12
練習試合、合同練習はつつがなく終了した。
性格に問題ありの人たちばっかりが集まってる氷帝学園テニス部だけど、やっぱり実力は相当なものだ。素人のあたしが観ても、一人ひとりのレベルが高いのがわかる。
特に、景吾さん。
偉そうにしてるのは口だけじゃない。ちゃんと大言壮語にならないだけの実力を兼ね揃えている。人を見下した言動は相変わらず腹立つが、反論させないだけの力で相手を叩きのめす姿はただただ圧巻だった。
カメラを替え、レンズを替え。数えきれないほどのシャッターを切りながら、しみじみ思う。
この人、黙ってれば本当に格好いいのになぁ。
―――ゴヅンッ
衝撃、後に壮絶な痛み。
頭に隕石落ちたみたいな音がした。
「なっ…にすんだ!」
「むしゃくしゃした」
「それ、理由? ねえ、それ理由のつもり?」
力加減と角度によっては軽く殺人を犯せたであろう行為を働いておいて、そのキレやすい10代の代表みたいなこと云いやがっ…と思ったけどこの人も一応10代だったことに気付いて小さく口の中で笑う。そうだ、いくら老け顔でも中学三年生。あたしとわずか一歳しか違わない未成年なのだ。まだまだ小児科にお世話になるお年なのだ。
なんかウケる。
どうやら今度は笑いが漏れていたようで、同じ攻撃を同じ場所に食らった。
頸椎潰れたら絶対景吾さんに慰謝料請求する。心にそう決めた。
練習試合の結果は、2対3で氷帝に軍配が上がったらしい。
内容まではよく知らない。写真を撮るのに集中していたので、さすがに内容を楽しんでいる余裕なんてなかったのだ。
何せ、スポーツだ。
花や物と違って、同じ場所には留まってくれない。
一瞬、刹那。
シャッターチャンスとベストショットを狙って、持っていたメモリーすべてを使い切ってしまったくらいだ。
これを帰ってから選別して明日までに提出しろって云うのだから鬼だと思う。しかもそれをしれっと頼んできたのが榊先生っていうのがまたややこしい。別に嫌いな先生じゃないけど、冗談が通じないというか、素でスパルタみたいなところがあるからちょっとだけ苦手だ。というか今回はデジタル一眼レフで撮ってるんだから、あとからデータで送れば問題ないのでは、という疑問は鋭い榊先生の視線の前には無意味だった。やれ、と云ったらやれ。そういうことです。
そんなわけで、本当は練習試合が終わったらさっさと帰って選別しようと思っていたのに、そうは問屋が…というかジロ先輩が卸してくれなかった。
荷物をまとめて帰る準備をしていたあたしを目敏く見つけたジロ先輩が、悲鳴を上げたのだ。
「えーっ、小毬ちゃん帰っちゃうの!?」
「はい、だってもうやることないしウゲッ!」
「やだー! 小毬ちゃん帰っちゃやだー!」
「じ、ジロ先輩、い、息……」
見事に締め上げられ、挙句カメラバッグを人質に取られてしまい、結局あたしは午後の練習も見学することになってしまった。多分先輩は抱き締めてくれてるつもりなんだろうけど、運動部で鍛えてる人と、ひ弱なインドア系の人、しかも加減というものを知らないジロ先輩の力いっぱいの抱擁は、いささかあたしにはキツすぎる。
というかジロ先輩に涙目で見つめられて『帰っちゃやだ!』なんて云われて、帰れるわけない。可愛い。ジロ先輩、本当可愛い。後ろで景吾さんがごみを見るような目をしてたけどそんなの気にならない。お前は後で絶対潰す。
どうせ残っているならと、何に使えるかはわからないけれど練習風景や雑談風景なども撮っておくことにした。
再びレンズ越しの世界を見ながら、思う。
こうしてみていると、なんだか不思議な気分だ。
関東と関西、離れた場所にある学校の人たちが、同じテニスという繋がりで一緒にいる。
こういうのはあまり花や写真の世界にはないことだから、ちょっとだけ、こういういかにも青春! っていう感じが羨ましい。混ざりたいとはミジンコほども思わないけれど、こういうのは楽しそうだ。
ま、あたしには一生縁のない世界だ。
一度かぶりを振り、気を取り直してレンズを覗く。
戦略について話す人たち。
苦手なプレースタイルの相手を選んで練習に打ち込む人たち。
得意分野を更に伸ばそうと技を磨く人たち。
どうしてもうまくいかなくて拗ねる人たち。
ストイックにひたすら打ち合う人たち。
道具について議論する人たち。
練習試合のときとはまた違った顔が見られて、こういうのもいいな、と思わず口元が綻んだ。その瞬間を最悪なことに景吾さんに見られて、遠くから『変質者』と云われた。もちろん声は聞こえないので、口の動きでなんとなく察した。妙なコールがお気に入りの変態には絶対に云われたくない言葉だと心底思いました。
そんなハートフルストーリー(本来の意味の方)を挟みつつ、練習の合間の休憩時間、データのチェックをしていたところでふと隣に人の気配を感じて顔を上げた。
珍しいことに財前だった。
「な、津々井」
「おお、どうしたの財前」
めんどくさがりで、自分が楽しいことにしか興味を示さないやつが、何故かちょっとそわそわしながら隣に立っている。え、何、怖い。
隠し撮りの依頼でもされるのかとひやひやしていると、意外なことを口にした。
「今日の写真、あとで何枚か適当なのくれへん? ブログに載せたいんやけど」
なんでも財前は趣味でブログをやっているらしい。
ランキングとかにも入っていて、今日のことを記事にしたら大ブレイク間違いなしだとか。普段体温なんかどこに置いてきたのかわからないほど冷たい言葉しか発さない財前の熱いセリフに、一周回って感心する。あんた、ちゃんと人間だったのね。
とはいえ、今回の写真を撮ること自体はすでにみんなの許可をもらっているが、譲渡するなら話は別だ。
「映ってる人が許可くれたらいいよ」
今は個人情報について厳しい時代である。あたしの判断で勝手なことなどできないので、条件付きにするのは当然だ。
「…ケチか」
「肖像権侵害は駄目駄目よ~」
まぁ、他でもない財前の頼みだ。一応四天宝寺中の中では仲の良い人トップ3には入ると自負している友人の頼みなら、聞いてあげたい気持ちはある。みんなに確認は取ってあげるし、多分みんな駄目とは云わないだろう。これでもあたしは結構な友達思いなのだ。
そう云ってあげると、財前は満足そうに去っていった。心なしか嬉しそうな財前に、ちょっぴり笑いがこぼれる。なんだか違う顔の財前が見られて嬉しい。
それからまた数度の短い休憩を挟んで、時刻は17時。ようやっと学校での日程すべてが終了した。
この後は着替えてから全員一緒に予約してある店に向かうらしい。四天宝寺中からそう遠くない場所にあるようで、今回はみんな仲良く歩いて向かうとか。
いやー目立つね。
良くも悪くも目立つね。
絶対に関わり合いになりたくないオーラがプンプンだね。
まぁ、さすがにそこまで一緒に行くつもりなんかこれっぽっちもないし、いよいよもって選別作業に入らないと、今夜のあたしの睡眠時間が犠牲になる。それはいけない。あたしは食欲はそこまでないけど睡眠欲だけは人一倍…いや、さすがにジロ先輩ほどじゃないけど。
ともかく、誰かに捕まる前に手早く荷物をまとめて、部室や更衣室に向かうテニス部員の皆さんに軽く敬礼をしてご挨拶。
「じゃ、今度こそあたし帰りますね」
「えー!?」
「だって、みんなあとは交流会でじゃないですか。これこそあたしのやることなんてないんだから」
「えー…」
そう云われれば反論できないのか、ジロ先輩が恨めしそうにあたしを見た。うう、可愛い。これで年上なんて信じられない。
確かに今朝久しぶりにみんなに再会できて嬉しくて、だけど日中はずっとテニスにどっぷり、あたし写真に夢中になっていたから実はあんまり誰とも話せていない。景吾さん? あんな人ノーカンだノーカン。
氷帝を離れて3か月。
寂しくなかったというのは噓になる。
四天宝寺に慣れたことは本当だけど、やっぱり少し氷帝が懐かしく思う日もあって。
今日、みんなに久しぶりに会えたことでその気持ちは大きくなって。
だけど、あたしはもう大阪から東京に帰ることなんてきっとなくて。
寂しいけれど、その寂しさにすら慣れなければならないことを、あたしは知っていた。
もう少し、みんなと話したいけれど。
あの頃の気持ちを思い出せば思い出すだけ、きっとこの後辛くなる。
どっちのほうがより辛いだろう。
考えるまでもない。
どっちも同じだけ、ものすごく辛い。
「ジロー、わがまま云うたらあかんで。津々井が困る」
「だってぇ」
ジロ先輩に悪気はないから、あたしも強くは云えなくて困っていたら、やんわりと忍足先輩が助け舟を出してくれた。慌てて忍足先輩を見れば、軽くウィンク。あ、死ぬ。あたしのハートは完全に射抜かれた。
このまま昇天したいところだけど、先輩がくれた助け舟、しっかり活用させていただきます。
子供のようにあたしの服の裾を掴んで離さないジロ先輩の手を取って、云う。
「何も今生の別れじゃないんだから、ね、ジロ先輩。あたしきっと東京に遊びに行きますよ」
「ほんと!?」
「はい。もう夏に一度戻る予定はありますから、その時ゆっくり遊びましょうよ」
「わーい、超嬉Cー! でも、やっぱり今日もお別れなんて寂しいよぉ!」
「全く、ジローのやつ…」
「あ、あはは…」
駄々っ子全開なジロ先輩には、さすがの忍足先輩も困ったように笑うしかできない。
こういう時に頼りになる、というか主にこういう時しか役に立たない景吾さんは白石先輩と一緒に渡邊先生のところに行っちゃってるし、どうしよう。
でも、どんなに可愛いジロ先輩のお願いでもさすがに榊先生の許可なくご一緒なんか出来ないし、と思っていると。
「津々井」
「あ、はい」
なんと向こうからやってきた。見れば白石先輩や景吾さんも一緒で、渡邊先生との話は終わって戻って来たらしい。
先生の前にもかかわらずやだやだを続けるジロ先輩、メンタル鋼すぎるだろ。そういうところも可愛いけど!
不可解そうにジロ先輩を見た榊先生に手短に状況を説明すると、そうか、と一度呟いて考え込んでしまった。え、まさかこんなことでレギュラー落ちとかしないですよね?
ちょっと心配になりつつ、何故か先生の視線はジロ先輩ではなくあたしに向いた。え、何。いくらなんでも先生まであたしに帰るななんてあほなこと云うはずが。
「てっきりお前も来るものだと思って話を通しておいたんだが…」
云ったわ。
え、何それ先生の中であたしってどういう位置づけだったのか、今度膝を突き合わせて語る必要がありそうだ。
というか何をですか?
先生の両方の発言の意味が分からず首を傾げると、榊先生はとんでもないことを云いだした。
「実はこれから行く店の女将が、定期的に花を活けてくれる人材を探しているというのでな。津々井を推薦しておいた」
「へ!?」
「過去の作品を見せて気に入ってくれたようなので、紹介しようと思っていたのだ」
先生によると、そのお店では以前は常連客に華道家の先生がいて、週に一回定期的に玄関や個室に飾る花を活けていたそうなのだ。しかしその先生が身体を壊してしまいしばらく花を活けられないから、代わりの人材を探していたという話だった。
業者に頼むのも今更だし、その先生が戻って来た時に業者を介入させていると面倒だし、どうしたものかと頭を悩ませていたところで丁度榊先生からの予約があり、たまたま先生の元教え子にあたしという存在がいたというわけで。
一瞬、この願ってもないような状況に頭の理解がついていかなかった。
期間限定ではあるけれど、決まった場所で花を活けられる。
そんなの、答えは決まってる。
「ほらみんなさっさとシャワー浴びて着替えて! んもー榊先生ったら素敵! 最高! 今日もスカーフが決まってますねっ!」
世事はいい、と云いつつも満更でもなさそうな榊先生の背中をぐいぐい押しながら、あたしの心はすでにここにない。
花を活けられる。
その機会を与えられる。
それは、あたしにとって至上の喜びだった。
だからあたしは、気付かなかったのだ。
謙也さんが、複雑そうにあたしを見つめていたことに、この時、これっぽっちも気付けなかった。
*****
次はちょっと謙也さんタイム