オー・マイ・リトルガール!   作:秋元琶耶

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生徒の方はだいぶ落ち着いたので先生ふたりの様子を見に行ったら、なんというか、いい具合に出来上がっていた。

特に榊先生の方はほんとびっくりするくらい打ち解けてて、元生徒として非常に驚きを隠せない。もしかして、対極にいる人のほうが打ち解けやすいのかな? 自分にないところを補い合ういい友人、的な。

まぁそれならいいんだけど、とりあえず、今日はまだ飲んで帰るらしいので、あたしたち生徒は先に解散、ということで満場一致となった。ほっといたら閉店までいそうな駄目な大人たちに付き合ってはられません。一応云っとくけど、榊先生、明日遅刻してきたら許さないからね。

そして帰ったらあたしは写真の選別作業が待っているかと思うと気が重いけど、やらないわけにはいかない。うう、この時間になっちゃったってことは、ほぼ徹夜確定。しんどい。

 

楽しい時間は長続きしないものだと世知辛さを噛みしめながらお暇の準備をしていると、女将さんがわざわざ見送りに来てくれた。先生たちならともかく、あたしたちみたいなお子様が帰るだけで見送りに来てくれるなんて、ちょっと感動。

今後お世話にもなるし、親にもこのお店のことは伝えておこう。そしてあわよくばあたしも一緒にまた来たい。だって雰囲気もいいし料理も美味しかったし、何より自分の活けた花を飾ってくれるお店だ。実際のお客さんの反応とかも見られたら嬉しいじゃない?

最後にあたしも挨拶をしようとしたら、ちょっと待って、と云って一度女将さんは引っ込んでしまった。何かと思って待って、次に戻って来た時、女将さんの手には小さな花束があった。

「津々井さん、これ良かったら持って行って」

「え、これ…」

「これも頂いたんやけど、津々井さんが好きやって榊さんに聞いてね」

「すごい! ありがとうございます、いいんですか? こんな綺麗なガーベラ…」

喜んでから、はたと気付く。

 

ガーベラ。

赤いガーベラ。

特に意識したわけでもないのに首が横を向いてしまい、丁度あたしの隣にいたのは

 

―――謙也さんで。しかも、目が合ってしまって。

 

ガンッッッ

 

思わず後ろにあった樹に頭を打ち付けてしまった。いや、他意はないです。ないです。ほんと、ないですから。

「…大丈夫?」

「…大丈夫です…」

心配そうな女将さんにはなんとか笑顔を向けられたと思う、というか思いたい。頑張れあたしの表情筋、頑張れあたしの血液、顔面に集まるな!!

しかし動揺とか羞恥とかの感情をあたしの持てる全理性を総動員して抑え込み、お暇の挨拶だけはしっかりやってのける。挨拶、大事です。

若干女将さんの視線から『この子本当に大丈夫かしら』という不安のメッセージを受け取った気がしたけれど、大丈夫なんでご心配なく。次にお会いするときはちゃんとしたあたしで参上しますので、出来ればさっきのことは忘れてください、と星に願ってみる。

 

静かに閉まったお店の扉に小さく頭を下げながら、なんで今になって思い出したんだと叱咤する。

だって今日一日はすっかり忘れてて、謙也さんも普通に話してくれてて、あたしも普通に話せてたのに。

最後の最後に、こんなの。

折角忘れそうだったのに!

「け、景吾さんたちはホテルまでタクシーでしょ!? じゃあタクシー乗り場すぐそこですね!!」

「小毬、なんでそんな元気なの?」

「いいいいつでも元気いっぱいですけど!?」

「明らか挙動不審だろ」

「それもいつもだC~」

「あっははははは!」

「ほんならそこまでみんなで行こかー」

「俺らはみんな歩いて帰れるしな」

「ああ、悪いな」

こういうとき、スルースキルのある人はありがたい。

あんまりつっこまれるとあたしも発狂して手が出るかもしれないのでそっとしておいてもらいたいです。

 

よし、謙也さんも何も云わないし、このまま帰る流れになればダッシュで帰って逃げられる! と内心ガッツポーズしていると、ちょい待ち、と引き留められる。

いやあたし一刻も早く帰りたいんですけどさすがに金色先輩を無視するわけにはいかない。景吾さんだったら容赦なく無視するけど、金色先輩を無視するのはよくない。

だけど用事ならさくっとすませてくださいね、という願いを込めて振り返ると、にっこりと――そう、恐ろしいほどにっこりとほほ笑む金色先輩がいて。

「津々井ちゃんは謙也さんと帰りぃ」

「え!?」

「は!?」

「あら同じ反応」

なんとなく、嫌な予感がする。

謙也さんがこの前のことを誰かに話すとは思えないし、財前もさすがに云わないだろう。

けど多分、なんとなくだけど、金色先輩は知っている…というか何があったかまでは知らずとも、何かあったということには気付いているような気がする。この人はそういう人だ。

でも、だからこそ甘んじてはいられない。

先輩が何を考えているのかはわからないけれど、思惑通りに事を進めてなるものか!

 

「あの、あ、あたしひとりで帰れます!」

「そんなん云うてももう遅い時間やし」

「せやで、こんな時間に女の子ひとりでなんて帰されへんよ」

「や、でもその…」

なんと金色先輩の援護をしたのは忍足先輩だった。なんで!?

金色先輩と違って――失礼――忍足先輩は妙な含みを持った云い方はしてないし純粋に心配してくれているだけなんだろうし、それは素直に嬉しいのだけれど。

じゃあ、だったら、何も謙也さんじゃなくてもいいんじゃないの!? と思うあたしもいるわけで。

「謙也もええな?」

「え!?」

「ちゃんと津々井のこと送ったり」

しかしあたしの心の声が届くはずなどなく、呆気にとられるあたしと謙也さんを余所に、他のみんなはすっかりあたしたちが一緒に帰るのが決定事項みたいな雰囲気になっている。

 

待って。

あたしも謙也さんも、うんなんて云ってないのに!

 

「ね、ねえ景吾さん、あたしも…」

「小毬、明日データちゃんと持って来いよ」

「あ、はい…」

ついでにタクシーで送ってって、と云おうとしたんですけど。

業務的なことを云われちゃうと、さすがにあたしも素直になっちゃうもんで、余計なことが云えなかった。あの人、仕事に関することは茶化すと怖いんだよ。いや、あたしだっていつもふざけてるわけじゃないんですけどね。

「ほななー」

「小毬ちゃん、また明日ねーっ!」

「じゃーなー」

「ま、また明日ー…」

そしてみんなは逆方向だから、といって、ぽつんとあたしと謙也さんが取り残されてしまった。え、そんなことある? こんだけ人数がいて、あたし以外の人みんな反対方向とか、そんなんある?

 

やばい。

腕の中にあるガーベラと、隣にいる謙也さん。

これで意識するなというほうが無理な話で、今にも心臓が飛び出しそうなほど鼓動を打っている。

「…あの」

無理しないでくださいね、と。

云おうとして、視線だけ謙也さんに投げる。

顔が赤い自覚はあったけれど、暗いからよく見えないに違いない、なんて自分に言い聞かせたのだ、けれど。

「…お、俺らも帰るか!」

 

そう云う謙也さんも、顔、赤かった。

 

 

+++

 

 

「………」

「…………」

 

沈黙が痛い。

みんなと別れてから、すでに10分。ひたすらうちに向かって歩いているわけですが、この10分、無言です。セミの鳴く音くらいしか聞こえません。

や、やばい。

気まずい。

さっきの謙也さんの反応からすると、謙也さんも忘れてない。

そりゃそうだよね、あんなことされてサクッと忘れちゃう人なんていないよね。相当慣れてるなら別だけど。

 

気まずい。

申し訳ない。

 

けれどいつまでもこのまんまっていうのもあたしの胃が耐えられそうにない。

もとはと云えばあたしがやらかしたのが悪いんだし、やっぱりあたしからアクションを起こさなくてはいけないだろう。

…よし!

意を決して、呼んでみる。

「…け、謙也さん?」

「…なんや?」

な、なんかちょっと不機嫌?

振り向いてもくれない謙也さんにちょっとだけ不安になる。

いつだって正面を切って話してくれる人なのに、今は全然こっちを見てくれない。

それだけでうっかり泣きそうになる。

でも、今この場で泣くのは迷惑以外の何物でもない。それくらいわかる。

涙声にならないように歯を食いしばりながら、続ける。

「…その、この間の、ことなんですけど」

思い出すたびにあの時の自分をぶん殴りたい衝動に駆られる。

ばかあほまぬけ。

あんなことさえしなければ、今だっていつもみたいに楽しく帰れていたかもしれないのに。

「わす、忘れてください! あたし、どうかしてたんです!」

 

本当にどうかしてた。

満足のいく仕上がりになってテンションが上がっていたなんて、謙也さんからガーベラの優しい匂いがしたからつい、なんてそんなの言い訳だ。

謙也さんには何の関係もない、あたしの勝手な都合の話。

だからあんなことは事故みたいなものだと思って、きれいさっぱり忘れてもらうのが一番いい。

そうじゃないと、今後の関係に支障を来す―――って、今後の関係っていったい何だろう、なんて考えてる場合じゃないってば!

「…嫌や」

思わず、顔を上げる。

今、謙也さん、なんて云った?

聞き間違いだったのかと思って口を開こうとすると、謙也さんは足を止めた。

思わずあたしも立ち止まり、謙也さんの反応を待つことしばし。

「忘れん」

ぽかんとして、言葉が出てこない。

謙也さんは、ゆっくりと振り返って、云った。

 

「そんなん無理や。忘れたくても、忘れられるわけないやろ!」

 

…ねえ、謙也さん。

なんで?

どうして?

 

―――そんなに顔、赤いの?

 

だけど、あたしも人のこと、云えない。

だってあたしもきっと、顔、赤いもの。

この赤さは、今抱えている真っ赤なガーベラのせいではないはずだ。

身体中の血液が顔に集まってきているような、そんな錯覚を覚えるほどの赤さ。

 

どうして忘れてくれないの。

忘れたくても忘れられないって、どういう意味?

あたし、そんなに頭良くないからわかんないよ。

なんで自分の顔が赤いのかもわからないのに、謙也さんが何を考えてるかなんて、もっとわかんないよ。

 

ぐるぐるぐるぐる、目まぐるしく頭の中をとめどないことが巡って大混乱を起こしている。

ひっくり返らないのが奇跡のように思えるほどの雑念の中、ごほん、というわざとらしい謙也さんの咳払いにハッとして思わず居住まいを正す。

「…待っとって、もらってもええでしょうか?」

「…ま、待つ……」

なんで敬語、とかはもうツッコんでいる気力なんてない。

どんな、と小さく口を動かすと、一度大きく息を吸った謙也さんは、それからまっすぐにあたしを見つめて。

「俺、今めっちゃかっこ悪い自覚あるし、ちゃんと胸張れるようになったら、津々井に云いたいことあんねんけど」

だから、待ってて、と。

 

「…今から期待しとったら、あかん?」

 

一転、照れたように困ったように頬を掻く謙也さん。

期待してていいかなんて、そんなことを云われて、一体あたしはどうしたらいいのかわからない。

謙也さんの視線を見つめ返しながら、あたしは考える。

回らない頭でも、必死に考えた。

 

どうしてあたしは、あの時この人の頭にキスをしたのだろう。

謙也さんでなければなかった理由なんてどこにもない。

けれど、あの場にいたのが財前だったら?

白石先輩だったら?

他の誰かだったら、あたしはキスしていた?

…多分、していない。そもそも飾りたいなんて思わなかったに違いない。

謙也さんだったから、ガーベラが似合うと思って、飾りたくなったのだ。

 

どうしてこの人だったのだろう。

どうしてこの人は、忘れてくれないのだろう。

 

―――あたしは、この人のことを、どう思っているのだろう。

 

忍足先輩に向けていた感情とは、似ているけれど違うもの。

謙也さんといると、暖かい気持ちになる。

優しくてお節介で、賑やかな人。

あたしにはない、底抜けの明るさを持っているこの人に惹かれない人なんてきっといないのだと思う。

 

出会い方は多分良くなかった。

二回目の出会いもあの時のあたしにとってはマイナスだったのに、どうしていつの間に、この短い間にこの人はあたしの中で大きな割合を占めてしまったのだろう。

気付けば目で追っていて、気付けば傍にいてくれて、太陽みたいな笑顔を向けられることに少しの優越感を覚え始めたのはいつの頃?

 

昔忍足先輩に持っていた感情とも、巴先輩や景吾さんたちに向けるものとも違う感情。

ねえ、この感情の名前は、何?

わからない。

はっきりとはしていない。

もう少しで形付くであろうこの感情に、もしかしたら今はまだ名前なんてないのかもしれない。

だけど、今すぐ答えは出さなくてもいいのならば。

 

目を閉じる。

真っ暗になった世界で、けれど、目の前にいる謙也さんの姿だけが鮮明だった。

「…いいです」

多分、それが答え。

「え」

「待ってます。期待、しててくれていいと思います。多分」

「多分かい!」

途端にいつものノリに戻った謙也さんに少し噴き出して、ああ、やっぱり、と。

 

まだ名前を付けていないこの感情に、少しの確信を持った。

 

「…ね、謙也さん」

空いていたほうの手で、謙也さんの手に触れる。

もう片方では、ぎゅっと大好きなガーベラを抱き締めて。

少し迷ってから、ひっかけるようにして手を握って。

「小毬で、いいです」

すると謙也さんは驚いたように大きく目を見開いて、それから、嬉しそうにそっと細めて。

 

「―――おん、小毬」

 

名前を、呼ばれる。

あなたの声が、とても優しかった。

ぎゅっと、手を握り返してくれた。

あなたの手が、とても暖かかった。

 

胸に、じわりと幸せを感じた。

 

 

 

 

 

*****

 

もうちょっとで連載は終わらす。

あとは短編とかで穴埋めしたいと思ってます。

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