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「この愚図が」
「ねえ、景吾さんってあたしの顔見たら暴言吐かないとハゲる呪いでもかけられてんの?」
お昼過ぎ、指定されていた時間に見送りのために大阪駅まで――梅田駅なのかどうかは知らない。なんかもう覚えられる気がしないのでもう気にしないことにした――やってきたあたしは、いきなり浴びせられた謂れのない罵声に顔をひきつらせた。いや、慣れたよ。慣れましたよ、景吾さんからの暴言は。むしろ最近は四天宝寺という優しい環境に身を置いていたおかげで、久しぶりに浴びる理不尽な罵声が懐かしいと思っちゃうくらいには慣れてましたけどね。ちなみにその懐かしさに気付いた瞬間絶望した。あたしはノーマルだ。
閑話休題。
気付きたくなかった事実から目を逸らすべく、気を取り直して大きく息を吸う。
と、吸い込んだ瞬間にドゴッと腰のあたりに衝撃が走る。はい、これも慣れました。ジロ先輩の特攻攻撃です。
しかしいつものように抱き着くジロ先輩を見ると、何故かぷっくりとほっぺに空気を入れてご機嫌斜めの様子。え、何事?
「小毬ちゃん、遅いC!」
「えええ、一応時間に余裕をもって来たはずなんですけど…」
「そんなの関係ないよ、俺が遅いって思ったらもう遅いんだから」
「ちょっと景吾さん、どういうことなんですか! あんたの唯我独尊がジロ先輩にうつっちゃってるじゃない!!」
「俺のせいじゃねえだろ」
「いーや、景吾さんのせいです。ジロ先輩みたいに純粋な人が、景吾さんみたいに穢れ切った人の近くにいたから悪影響を…」
「小毬、今のジローの顔見ろ。『計画通り』って歪み切った顔のどこが純粋なんだ」
「え?」
「えー?」
云われてあたしに抱き着いたままのジロ先輩の顔を覗き込む。
そこには目をキラキラさせて笑顔満開のジロ先輩しかいなくて、ああ、なんて癒されるのだろう。
こんな綺麗な笑顔を歪んでるだなんて、やっぱり景吾さんの目は穢れているに違いない。なんて嘆かわしい!
「お前は将来ホストに騙されて破産する」
「嫌な未来予想図を描くのはやめろ!!」
しかも真顔かよっていう。なんか本当にそうなりそうだからやめてくれ。
ところでいい加減重いのでジロ先輩を引っぺがそうと試みてみたんだけど、くっつき虫もびっくりなくらいはがれない。むしろはがそうとすればするほどより一層強い力で抱き着いてくるその様子に、こなき爺を思い浮かべてしまったあたしは間違ってませんよね?
八つ当たりに金色先輩にロックオンされてそそくさと逃げて行った景吾さんをザマアミロと笑いつつ、ふと気付く。
「っていうか、帰りは景吾さんも新幹線なんですね」
「今回は急いでないらしいからな」
「へー、景吾さんに新幹線…っていうか、駅似合わない…」
「空港なら似合うのにな」
「ほんとに。景吾さん、ひとりで飛行機で帰ればいいのに。団体行動嫌いそうに見えて、あの人実は寂しがり屋ですよね」
「俺さ、小毬のそういう命知らずなところは尊敬してるんだぜ」
「俺も。ミジンコ程も憧れないけど、かっこいいとは思ってる」
「やだ、なんですか急に」
「小毬ちゃん、後ろー!」
何ですかジロ先輩、そんな『志村、後ろ!』みたいなこと云って。
純粋無垢なあたしはジロ先輩の言葉に素直に後ろを振り返って後悔した。
「お前は本当に懲りないんだな」
だからさ景吾さん、あんたの笑顔は迫力満点過ぎるんですってば。
にっこりと笑顔を浮かべたままの景吾さんに、しかしおおよそ女の子に対してやるには信じられないくらいの力でかけられたアイアンクローの前に、そんな指摘は霧散したのである。あのさ、あたしの悲鳴聞いて笑ってるやつら、忘れないからな。特に宍戸先輩!
景吾さん渾身のアイアンクローからあたしを救ってくれたのは、やっぱり頼れる大親友であるちょただった。笑ってるだけで見てるだけの薄情な先輩たちとは大違いだ。ちなみに同じタイミングでやっとジロ先輩の呪縛からも解放されました。
解放されてなお痛むこめかみを摩っていると、ちょたは気の毒そうに飴をくれた。ありがとうね、だけどこの痛みは飴ちゃんごときでは癒されないのだよ。でも気遣いは嬉しいのでありがたく受け取る。
レモン味の飴を口に放り込みながら、四天宝寺の人たちと最後の交流中のみんなを眺める。
騒がしくて大変だったけど、このどんちゃん騒ぎは嫌いじゃない。
この騒がしさももう終わりかと思うと感慨深いものがある。本当、嵐みたいな2日間だった。
しみじみと考えたところで視界の端に渡邊先生と榊先生が話し込んでいる様子を入れてしまい苦いものを嚙み潰した気分になっていると、日吉や樺地もこちらにやってきた。あんまりこいつらはコミュニケーション大好きなわけじゃないからね、ある程度の挨拶で十分なんだろうね。でも見てたぞ、日吉。あんたちゃっかり財前と連絡先交換してたでしょ。微笑ましいなぁ!
「次に会えるのは夏かなぁ」
「そうだね、そっちに行くときは連絡するよ」
「待ってるからね」
「んふふ、ありがと! 日吉も樺地も遊ぼうね!」
「暇だったらな」
「暇は作るものだよ」
「うす」
「ほら樺地もそうだって」
「都合よく解釈するな」
「いいじゃん、人生に息抜きは必要なんだって」
「お前の人生はいつでも息抜きっぽいけどな」
「あんた云う事がだんだん景吾さんに似てきたわね」
「あ、俺も最近そう思う」
「うす」
「やめ…やめろ!!」
本気で嫌がってるよこいつ。
心底恐ろし気に顔を歪めて小刻みに震える日吉を見て、あたしたちは思わず笑ってしまった。笑い声と笑う時間の長さに比例して日吉の顔の歪みと不機嫌度が大きくなっていくのが更に面白い。日吉って真面目だけど、真面目故の面白さがあるよね。持ってると思います。
2年生でほのぼの談笑していると、小石川先輩が遅れてやってきた。なんでも氷帝のみんなにお土産を選んでくれていたみたいで、さすが四天宝寺の良心。痒い所に手が届く素敵な先輩だと改めて実感する。普段全然目立たないけど。
どうやら忍足先輩も一緒に選んでいたようで、紙袋を引っ提げながら、東京に帰ってからのお楽しみや、とニコニコしていた。え、何、怪しい。
ちなみにあとで小石川先輩に聞いたところによると、どうもグリコのべっこうあめを購入したらしい。あの例のランニングマンがプリントされてるやつ。い、いいチョイスですね。でも念の為普通のお土産も買ったらしいです。普通の方は千鳥屋のみたらし小餅。これなら景吾さんでも文句を云わずに食べそうなチョイスがさすがです。
先輩たちのファインプレーに感心していると、お土産をとりあえず日吉に渡した忍足先輩が隣に立った。
「今回はありがとうな、津々井。急やったし、大変やったやろ」
「いえ、こちらこそ! 忙しかったけど楽しかったですから。それに、みんなに会えて楽しかったです」
「…ほんまに津々井はええ子やなぁ」
「え、あ、いやぁ…」
いきなりしみじみ云われては照れてしまう。しかも忍足先輩に褒められるなんて、嬉しすぎじゃないですか。
にやけて腑抜けた顔になっている自覚はあるのに、嬉しさのほうが勝ってなかなか表情を引き締められない。
必死こいて両手で顔を伸ばしていると、ぽん、と頭に暖かい感覚。
顔を上げれば、忍足先輩が柔らかく微笑みながら、あたしの頭を撫でてくれた。
「何かあったら連絡しぃや」
「な、何か?」
「そ。俺でも巴でも、どっちでもええ。いつでも相談乗るし、覚えとき」
優しい目。
暖かい手。
頼っていいのだと云われていることに気付いて、一瞬、目の奥が熱くなった。
「…傍に誰がおるんか、わかっとるやろ?」
けれど、今は泣くべきではないということもちゃんとあたしはわかっている。
忍足先輩が何を云っているかも、わかってしまった。
そんなにあたしは…あたしたちはわかりやすかったんだろうか? 景吾さんも何か気付いてる感じしたし。
気恥ずかしさと、心強さ。
忍足先輩の言葉に裏付けられ、あたしは恵まれているのだと心底思った。
「―――はい!」
だから、心からの笑顔を。
誰が傍にいるか。
考えるまでもない。
もう、ちゃんとあたしは知っているのだから。
+++
「じゃーなー!」
「気ぃ付けて帰りやー!」
「またねー!」
新幹線の出発の時間が迫り、名残惜しそうに去っていく氷帝のみんなに手を振る。
今度こそお別れで、また静かな日々が戻ってくるのだろう。
そう考えるとやっぱり物足りないような寂しさが胸を締め付けれど、寂しいだけではないとちゃんと知っている。
遠くにいても大切に想ってくれる、想える人がいるというこの事実は酷く優しい。
ついにみんなの姿が見えなくなって、四天宝寺のみんなもここで解散らしく、三々五々に帰っていった。
けれどなんとなく名残惜しくて。
みんなが消えていった方をぼんやりと見つめていると、ふと隣に人が経つ気配がした。確かめるまでもなく謙也さんだった。
謙也さんは、顔は前に向けたままぽつりと呟いた。
「…寂しいか?」
「そりゃもちろん」
迷いなくきっぱりと云えば、謙也さんはがっくりと肩を落としていた。
その様子に、気付かれないように少しだけ笑って。
「でも、平気です」
云って、謙也さんの服の裾をちょい、と掴んで。
「どうやらあたしは、ひとりじゃないみたいなので」
それから見上げて微笑む。
謙也さんは一度くしゃりと泣き出しそうな顔をした後、それから困ったように笑った。
随分と複雑な顔をするものだな、なんて思った。
だけど今のあたしにそれを指摘する資格も権利もない。
だから。
「帰りましょ!」
一歩、前に足を踏み出す。
振り返り、手を差し出す。
この手を伸ばすのは、もうひとりだけだとあたしは決めているから。
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それは、あなた