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「………」
手の中にある紙、もっと云えば手紙と2枚のチケットを見つめて固まるあたし。
『やる。使え』
たったこれだけの、手紙というよりもメモ寄りの代物。一応手書きではあるけれど、恐ろしいほどの走り書き。しかも紙だってその辺にあった紙切れを再利用しました的なもので。
あの人何考えてんだろう。
誕生日じゃないし、何かの記念日というわけでもないのに唐突にこんなもん送られてきて、さすがのあたしだって反応に困る。
恐る恐るチケットを確認すれば、最近京都にできたという水族館の優待券で。
「………?」
何か企んでいるのだろうか。
いやでもいくら景吾さんでも理由もなく嫌がらせをするほど腐ってはいないはずだ。氷帝にいた頃ならともかく、今は離れているんだから日常生活でイラッとさせたとかいうこともないはずだし。云ってて悲しくなってきた、くっそ。
ともかく嫌がらせされる心当たりはない。
ということはつまり、純粋にいらないからくれたのかな?
京都の水族館なんて、東京に住んでいる景吾さんにしてみたら遠すぎていく気にはなれないのかもしれない。関東には有名な水族館はいっぱいあるし、わざわざこっちまで来ることもないしね。ああ見えてあの人一応忙しいし。
少し考えて、携帯を取り出す。
メールのあて先は当然景吾さん。
『このチケットは?』
数分も立たないうちに震える携帯。今丁度暇なのかしら、とどうでもいいことを考えながらメールを開く。
『やる。使え』
それはわかったから。
『いらないんですか?』
『株主優待でもらったもんだ。俺は興味ないからな』
『何か企んでます?』
『企んでほしければ今から計画練るぞ』
『すみませんやめてください。じゃあ、ありがたく頂きます』
『ああ、無駄にするなよ』
どうやら本気で何の他意もなくいらないからくれたらしい。おお、ラッキー。
有効期限はないからいつでもいいんだけど、折よくもうすぐ夏休み。どうにかすれば時間は作れるだろう。
なんだ、景吾さんもたまにはいいことしてくれるね。やるねー。おっと、滝先輩みたいな口調になってしまった。いかん、あたしもなかなかテンションが上がっている。
あと心底どうでもいい情報だけど、景吾さんはメールでは優しい。メールだと直接話してるときや電話のときみたいな勢いがないからかもしれないけど、なんかいつもより柔らかい感じがするんだよね。最初は毎回鳥肌立ててたけど、今はもう慣れた。ただしメールでは優しいからってあんまり調子に乗ったこと書くと、次に会った時に容赦なく殴られるから気を付けたほうがいい。
まあ、そんなこんなで水族館のタダ券を手に入れたわけでして。
一枚で2人までは入れるタイプのチケットだから、クラスの友達を誘ってみるのもいいかもしれない。クラスに馴染もう週間にはいろんなところに連れて行ってもらったし、そのお礼も兼ねるのもいい。
が、考えてみたら今クラスで仲がいいグループは全部で5人。チケットの人数から微妙にあぶれてしまう。足りない分は自分で払ってもいいけど、なんだかそれも違う気がする。
うーん、どうしたものか。
考えて、はたと気付く。
「…そうじゃん」
だったら、誘う人はちゃんといるじゃないか。
思い立ったら即行動なあたしは、さっそく携帯を開いて電話を掛ける。
ワンコール、ツーコール。
スリーコールの途中で取られた電話に、挨拶もそこそこに用件を伝えた。
「あ、謙也さんですか? 実はチケットもらったんですけど、今度水族館に行きません?」
+++
そんなわけで夏休みに突入して数日、やっと謙也さんと予定を合わせて今日は水族館に行く日だ。とはいっても大会前だからさすがに一日休みの日なんかなくて、今日はたまたま午後が休養日なのだという。
「誘っておいてなんですけど、いいんですか、休養日なのに休まなくて…」
「運動せんだけで十分な休息やっちゅー話や!」
にかっと笑う謙也さんに、ああ、爽やかだけどやっぱり体育会系だったんだなぁと今更ながら実感した。運動しないだけで休養って、どんだけ脳筋なの。云ったら傷付きそうなので云いませんけど。
夏休みの電車はどの時間帯だろうと混んでいる。さすがに平日朝の山手線みたいなえげつない混み方はしてないけど、それにしたって人が多い。
案の定座る席が空いているはずもなく、あたしと謙也さんはドア付近の少し空いたスペースを見つけて立っていた。
「どんくらいかかるんやったっけ?」
「大阪駅からだと45分くらいですね。京都って意外と近いんですねぇ」
「せやなぁ。近すぎてあんま行かへんけど、うちの親とか結構よく京都行っとるわ」
「あ、考えてみたらあたし、京都行くの初めてかも」
「ほんまに? なら帰りちょっと観光するか?」
「わっ、それいいですね!」
水族館は2時間もあればまわれるらしいし、幸い駅からも近い。ご飯の時間を考えても、本願寺くらいなら余裕で行けるだろう。俄然楽しみになってきた。
久しぶりの水族館、初めての京都、それが謙也さんと一緒っていうのがなんだか特別なように思えてにやけてしまう。
それに今更だけど、これってデートじゃない?
ところで関西に来てから何度か電車に乗ってるけど、こっちの運転って関東に比べると荒い気がする。 なんか結構な確率でがっくがっく揺れるんだけど。これ足腰弱い人には優しくないと思うんだよね。
あと難読熟語かよって云いたくなるような難しい地名が多くて困る。別に馬鹿じゃないけど、だからって何でもかんでも読めるわけじゃないのよ。
ぼんやりと路線図を眺めながらそんなことを考えていたら、がたん、と急に電車が揺れて、完全に油断していたあたしは見事に謙也さんの肩あたりに激突した。
「ふぎゃっ」
「だ、大丈夫か?」
「…へ、平気です…すみません…」
めっちゃ鼻ぶつけた。恥ずかしい。そして痛い。
涙目になって鼻をさすっていると、ぐい、と身体を引っ張られる。不意打ちだったので抵抗出来ず、あたしはいつの間にか電車の扉に背を預け、目の前には謙也さんが腕を突っ張って立っていて。
「これで少しはましになるやろ」
…多分これ、深く考えてないんだろうなぁ。
だってこれはいわゆる壁ドンってやつで。
でも云ったら謙也さんは照れて慌ててやめちゃうだろうから、あたしからは云わないでおこう。明日辺りに気付いて、それから盛大に照れる謙也さんを想像して、思わずあたしは笑ってしまった。
「なんや?」
「…ふふ、なんでもないです」
いつもより近い距離。
謙也さんが愛用している制汗スプレーの香り。
守ってもらえているという安心感は、少しだけ優越感にも似ていた。
けれどそれをどうにか謙也さんには悟られないよう、油断すればにやけそうになる頬を叱咤する。
それを見た謙也さんが不思議そうにしていたけれど、あんまり気にしないでください。
さてさて、京都まではあと40分。
しばしの電車の旅を楽しませてもらおうじゃないですか。
+++
水族館は駅からそう遠くなかった。
チケットを見せると恭しくお辞儀されてしまったけれど、残念ながらあたしは株主様じゃないんです。
ちょっと申し訳ない気持ちになって、思わず謙也さんと顔を見合わせて苦笑い。
居たたまれないのでそそくさと入館してしまえとばかりに早足に進むと、まずは京の川ゾーンに出迎えられた。この水族館の目玉らしい。
「おー、これがオオサンショウウオ」
「でっかいなぁ。っちゅうか数多ッ」
「さすが生きた化石…なんかちょっと神々しいですね」
「あれ、生きた化石ってシーラカンスちゃうかったっけ?」
「いろんな種類があるみたいですよ。確かメタセコイアとかカモノハシとかもそうじゃなかったかなぁ」
「…小毬、物知りやな」
「えっへん」
「なんやそれ」
視線はオオサンショウウオに向けたまま会話をしていたのだけど、笑った謙也さんの声が思ったよりも近くて、おやっと思って少し顔を動かしてギョッとした。
だって、謙也さんの顔がすぐ傍にあったのだ。
今日あたしはいつもよりは高めのヒールを履いてる。でもそれにしたって近い。思わず息を止めて固まってしまったあたしの様子に謙也さんが気づいた様子はなく、感心したようにオオサンショウウオを眺めている。
「ほな、次行こか」
「…うぃっす」
ずるい。
天然ずるい。
先を進む謙也さんの背中を、ちょっと恨めしく思いながら睨み付ける。
さっきの電車といい、謙也さんってやっぱり天然だ。っていうかあれもこれも全部計算してやってたとしたら、相当だ。景吾さんでもびっくりするほどタラシだ。
…あたし以外の人にもやってたら、面白くないな。
別に拗ねてませんけど。
ま、謙也さんのことだから誰彼構わずってことはないだろうし、そもそも今一緒にいるのはあたしなのだ。
そのことにまず満足することにして、気を取り直して次のエリアに進む。
オットセイやアザラシのいる海獣ゾーン、水中をダイナミックに潜水し泳ぐ姿と陸でのんびり過ごす2 つの姿を臨めるペンギンゾーンを通り抜けると、次に待っていたのは大水槽エリアと呼ばれる場所だった。1、2 階吹き抜けに設置された約 500 トンの水量を有する水槽は圧巻で、どこから見ても美しいビュースポットがあるということだった。
「わ、すごい」
「なんや、ほんまに海に潜ってる気分になるなぁ」
「そうですね。きれー…」
「………」
「…ん?」
水槽にへばりついて、水の中を優雅に泳いでいる魚を眺めていると、ふと視線を感じた。隣にいるのは当然謙也さんで、何かあったのかと見上げてみると。
「謙也さん?」
「ん!? や、な、なんでもない、なんでもないで!」
「え、ならいいんですけど…」
謙也さん、あたしを見てぽかんとしてたよね。
やだなぁ、もしかして今気付かないうちに間抜け面になってたかしら。うわこいつぶっさいく、とか思われてたら結構へこむんですが。景吾さんにブスとか暴言吐かれるのは慣れたけど、謙也さんにそんなこと云われたらしばらく旅に出たくなる気がする。普通にへこむ。
が、それを確かめる勇気はないので、嫌な考えを払拭するように次のエリアに移動する。
「あ、次は磯の教室ですって。実際触れるみたいですね」
「…な、なまこ…?」
「うおお、すごい、ぷにぷに…」
「ぎゃ! 小毬、よぉ触れんな!?」
「暴れないし可愛いですよ?」
「あかん。俺無理…」
「そういえばなまこって身の危険を感じると内臓を吐き出すらしいですよ」
「何それ怖…もう触るんやめときや…」
「えー。じゃあこっちは?」
「ヒトデ!? それこそ無理やん…!」
「あ、ネコザメ。ネコザメですって、可愛い!」
「可愛い!? めっちゃ怖いねんけど! 睨んどるやん、完全にヤる気の目やん…!」
「…謙也さんって意外と…」
「意外となんですか」
「いえ」
「しゃーないやろ、怖いもんは怖いねん!」
顔を青くして両手で自分を抱き締める謙也さんを見て、あたしの心の奥底にあるSの心が目覚めそうになる。いや、だってさ、謙也さんの表情って、ちょっと加虐心を煽られるんだよね。だって可愛いんだもん。
謙也さんの手を取って無理矢理なまこを持たせたい気持ちを理性を総動員してなんとか押さえつけつつ、気を逸らすように先に進むことにする。
「じゃあ次はあれ行きましょう。カニとエビのところ」
「うわこれもでかい。怖…」
「タカアシガニ、節足動物では世界最大ですって。すごいなー。これに抱き着かれたら痛そう」
「怖い想像すんのやめや…!」
「でもきっと熱湯かけたらこっちの勝ちですよ」
「自分も熱いやんか」
「我慢すればカニしゃぶ一丁上がり」
「カニ…食いたい」
「イセエビも山ほどいるけど、これ食用じゃないですからね」
「わ、わかっとるわ!」
「…帰り、カニ食べて帰りましょうか」
「ええな、そうしよ」
間違っても水族館で話す内容じゃなかったのは自覚してるので、あの、係員さん、悲しそうな顔しないでください。
でも帰りはかに道楽行ってきます。
+++
色気よりも食い気全開の話をしたあとは、京都特有の生き物を展示している山紫水明ゾーン、最後に公園と一体化して開放感たっぷりの屋外空間が売りだという京の里山ゾーンを散歩して、京都の水族館のすべてを回ったことになる。
ちなみにイルカショーの方は時間的に微妙だったので今回はやめておいた。チケットはもう一枚残ってるし、またこっちに来る口実にもなるしいいよね。
「本願寺も見られたし、京都満喫した気がします!」
「水族館も久しぶりに行くとええもんやなぁ」
「たまには景吾さんに感謝ですね。お礼云うの心底癪だけど。過去の清算までするとチケットの一枚二枚程度じゃすまされないほどの被害受けてるからお礼とかあんまり云いたくないけど」
「恨みつらみ溜まりすぎやろ」
「鬱憤は計り知れないったら」
乾いた笑いを浮かべて呟けば、そっと季節の小鉢を差し出された。慰めか。傷付いた。食べるけど。
水族館を満喫したあとは京都観光に移行して、時間も時間だったので水族館からも駅からもほど近い本願寺に足を運んだ。広大な敷地にはどこをみても国宝やら重要文化財ばかりで、ただただ圧巻だった。さすが京都。
のんびりと敷地内を散歩していると隣の謙也さんのお腹から盛大な空腹を訴える音が聞こえ、近くにいた外国人観光客が噴き出していた。
そういえば部活終わりから待ち合わせの間にちょこっと食べたとは云っていたけど、今はもう夕方近く。食べ盛り育ち盛りな謙也さんには耐えがたい空腹だったんだろう。
恥ずかしさ大爆発で切腹しかねない顔になっている謙也さんは非常に可愛いのだけれど、それを放置するほどあたしも鬼じゃない。それにあたしだってお腹はすき始めていたので、散歩を切り上げて京都駅で食事にすることに。
大阪に帰ってから食事にするならかに道楽に行こうなんて話してたけど、京都で食べるなら京都らしいものにしようってことになって、今あたしたちは駅ビル内のお店にやってきていた。
なんでもここは料亭メニューの一端をリーズナブルな価格で気軽に食べられるらしく、結構な人気店なのだとか。が、タイミングがよかったのか運よくあたしたちは並ぶことなくすんなり席に通されてラッキーだった。
それぞれオススメされた料理を頼んで、料理を待つ間は水族館での話や本願寺を回った感想なんかをのんびり話した。
今思い出しても、なまこを嫌がっていた謙也さんの姿は面白い。ペンギンは可愛かったし、大水槽のインパクトはやっぱりすごかった。本願寺は冬に行っても綺麗だという話なので、今度は是非冬にも来てみたい。
そんなことを話していると、いよいよ料理が運ばれてきた。
ふわりと美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、なんだか急にお腹がペコペコになった気がする。
「いただきます! おお、すごい。豪華だ!」
「いただきます。小毬のもうまそやなー!」
「んんん、ほっこりする味…美味しいー!」
「餡にも出汁がきいとって、しっかりしとるわぁ」
「謙也さんのもちょっと食べたい。一口ください」
「ええで、ほい」
そして差し出される一口分の料理。
…ねえ、ちょっと心配になって来たんだけど、本当に計算してないんですよね?
だって、謙也さんが、これはいわゆる…アーン、というやつで。
「景吾さんの鳴き声ではない」
「な、なんで跡部?」
「いえ…」
景吾さんの幻覚が心底鬱陶しかったけど、まあ、いいか。
あんまり深く考えたら負けなんだと思う。
動揺を悟られないよう一度お茶で喉を潤し、相変わらず何も考えてなさそうな顔でお箸を差し出す謙也さんに若干の腹立たしさすら感じつつ、ええいままよ、と開き直った。
「いっただきまーす。んむっ」
「あ」
「ん、美味しい!」
「………」
さすが京都というべきか、上品な美味しさでほっこりする。いいねえ、京都だねえ。見た目も綺麗だし、こういう上品さってたまに味わうとすごく心に染みる。
いや、高級っていうものなら景吾さんに引っ張っていかれてたパーティーとかで十分味わってたんだけど、あれっていかにも豪華! っていう目に痛いやつだったから、何回行っても慣れなかったんだよね。あたしにはこういうはんなり京都の上品な高級感のほうが合ってる気がする。自分で云うのもなんですけど。
あと、こういうお店見るとついつい飾ってあるお花とか見ちゃう。お店に合った花器に、季節と雰囲気をうまく調和させた花。いつかこういうところの担当が出来たりしたら幸せだなぁ、なんて思いながら料理を味わっていると。
謙也さんは、ぴたりと動きを止めていて。
どうしたのかと思えば、徐々に首から耳から顔を赤くして、のろのろと俯く。
あ、気付いたのか。
予想は正しく、そっとお箸を置いて頭を抱えた謙也さんは、か細い声で呟いた。
「…これ、あかんかったな」
「…今更ですか」
「すんません…」
遅まきながら自分のやったことを自覚して謝る謙也さんを見て呆れるが、ぴん、と思いつく。
そうそう、謙也さんもあたしの料理、美味しそうって云ってたよね。
なので。
「はい、じゃあ謙也さんも」
「へっ」
にーっこりと笑って。
「どうぞ!」
あたしが差し出した蓮華を見つめて、謙也さんはこれでもかというほど顔を赤くして固まった。
やばい、楽しい。
今日すっごい楽しい。
後日、水族館の売店でお揃いで買ったオオサンショウウオの携帯ストラップをつけて学校に行ったら、金色先輩や財前からものすごーく生温い目で見られたけれど、この夏の良い思い出が出来ました!
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カニっていざ食べると毎回そんなに好きじゃないって気付くから不思議