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「………」
「…………」
「………」
「……あ、あの…?」
現在昼休み、教室。
仲の良い3人の友人たちとお弁当を食べ終わって、みんなでのんびり話しながらお茶を飲んでいると、これでもかというほど視線を感じた。
彼女らは四天宝寺に馴染む努力を初めて一番最初にクラスで仲良くなった子たちで、彼女は良くも悪くも『THE!大阪人!』だ。人との距離がやたら近くてぐいぐいくるし、とても親切で親身になってくれる優しい子。逆に云うと遠慮なく距離を詰めてくるのでそういうのが苦手な人にとっては天敵になりかねないような子だけど、最初はともかく今となってはあたしはこの子のそういうところに随分と救われたのだと思うから、嫌いじゃない。
その友人らのひとりが、両手で頬杖をついてまじまじとあたしの顔を見ているのだ。しかも、真正面から。
気にならないわけがない。
さすがにノーコメントではいられない。
しかしその視線に邪気がないのでどうしたものかと考えていると、身体を起こした彼女は感心したように大きく頷いた。え、何に納得したの。
「津々井ちゃんって、めっちゃ肌綺麗やね!」
ついでに云うと彼女は声が大きい。
彼女の声は周囲の友人たちにも聞こえていたらしく、そこかしこから同意の声が上がって非常に居心地が悪い。というか純粋に照れます。
「あ、ありがと」
いや、褒めていただけるのは嬉しいんですけどね。
氷帝時代、さんざっぱら景吾さんに『ブス』だの『不細工』だの『メスゴリラ』だの云われ続けていたあたしとしては嬉しいより先に照れるというか勘繰ってしまう。嫌な人間になったものです。誰のせいとは云わないけど。別に景吾さんのせいとか云わないけど!
「何かしとるん?」
「今は特にはしてないよ」
「今は?」
「うん、前はちょっとモデルみたいなことしてたから」
「え、何それ!」
驚かれてしまって、逆にあたしもびっくりした。
そういえば、氷帝では周知の事実だったしもう当たり前になっていたから口にすることなんてなかったんだ。
そうか、普通はモデルやってるって云ったらびっくりするか。といっても普通のファッションモデルなんかとはちょっと違うんだけど、大まかに云えばあれもモデルだ。あえていうなら、イメージモデルってやつ?
「えーと、前の学校の知り合いに頼まれてね。あとはその人のパーティーのパートナーとか無理矢理やらされてたから、一応気を遣ってたの」
氷帝はただでさえ子息令嬢が多かったうえに、一番濃い付き合いをしてたのはあの跡部財閥の御曹司だ。
もう金持ちと呼ぶのも馬鹿々々しいレベルの大金持ちだったのである。
家の関係で年数回開催されるというパーティーに、何故かあたしが景吾さんのパートナーとして最初に参加する羽目になったのは確か去年の6月。
予定を開けておけと指示されたから、てっきりまたテニス部で何かするのかと思ったら、家に迎えに来たのは跡部家のリムジン。黒塗り。ピカピカ。リンカーン。目を疑った。
とてもじゃないが一般家庭に迎えに来るような車じゃないのに、ドアを開けて出てきたのが景吾さんだったから気を失いそうになった。現実が辛い。
呆然としているあたしの意識を置いてきぼりに、景吾さんはあたしをリムジンに蹴り入れた。痛かった。女の子に対する扱いじゃないと抗議したら、お前みたいな女はメスゴリラの扱いで十分だと云われたことは一生忘れない。というかあたしがゴリラだったら絶対持てる力を振り絞って抵抗して逃げる。ゴリラって強いんだぞ! でもあたしは生身の人間なのです。泣いてません。
そして何の説明もされないまま跡部邸に到着し、あれよあれよという間にお手伝いさんたち総出で身包みをはがされドレスアップされメイクアップされ、これまた着飾った景吾さんの目の前に放り出されたあの瞬間の恐怖はきっと一生忘れない。多分、ドナドナされる牛の気持ちを誰よりもわかる人間はあたしだと思った。
なんでもその日は跡部財閥の式典だったそうで、主催者の息子である景吾さんも毎年参加が義務付けられていて、毎回適当な令嬢を選んでパートナーにしていたらしいのだ。
そこで今回白羽の矢が立ったのがあたしだったのだという。
いやあのあたし令嬢でも何でもないんですけど。一般会社員の娘なんですけど。
しかしそんな話を聞いてくれるはずもなく、あたしはパーティー中引きつりそうになる顔に鞭を打ちながら必死で笑顔を保ち続けていた。一瞬でも気を抜くと鬼の形相で睨まれるのだ。怖すぎた。
幸い偉い人と話すのは花や写真の関係で慣れていたので、一応大きな粗相はせずにパーティーはやり過ごせた。
何が一番怖かったって、パーティー中の景吾さんがめちゃくちゃ優しかったことだろう。
完璧なエスコート、レディーファースト。
あの人の性格を知らなければ恋に落ちていたであろう穏やかな笑顔が一番背筋が凍った。いやだって学校であんだけドタバタな殴り合いの喧嘩してる相手にそっと優しく微笑まれたら、恐怖以外の何物の感情も生まれないでしょ。でもあんな場面で景吾さんの怒りを買って放り出されたら心細さで死ぬ気がしたので、恐怖を押し殺してパートナーを演じたのである。褒めて。
パーティー後は疲れすぎててとてもじゃないが抗議する気になんてなれず、家に帰ってからは泥のように眠った。
翌日、疲れの抜けきらないまま這う這うの体で登校したら、景吾さんにパーティー中の駄目出しを食らった。それはもう流れるような罵倒の数々に、メンタル5であるはずのあたしもちょっと心が折れそうになったことは声高に主張したい。
が、何故かその後もパーティーがあるたびに呼び出されパートナーにされること数回。そのたびに駄目出しされ、悔しさのあまりあたしは社交界のマナー一般を身に着けてしまったのである。
おかげで今では景吾さん周辺の方々にはちょっとした評判になっているそうだ。あたしは一応極める女なのである。
ふふふ、もうパーティーなんか怖くないのだ。ばっちこい! ちなみに夏にもパーティー行ってきたよ! バッチリ好印象でした!
あれ、待って。
あたし流されすぎじゃない? 気付いてものすごいへこんだ。でも認めると今の自分全否定になってしまうので、気付かないふりをすることにする。
「…津々井ちゃんってわかりやすいけどわかりにくいわ」
「ほんま。何その謎設定」
「そうよ、4月からの付き合いで初めて知ったわ」
呆れ半分、面白半分。
ジト目で合計6つの目から注目されたあたしは居心地が悪い。いや、なんかそういうのわざわざ口にするのって自慢みたいで嫌じゃないですか。
一応弁解すると、それもそうね、と納得される。あ、すごくあっさりしてる。ありがたい。
しかし次に飛び出してきた言葉は万死に値する。
「ほんでその人と付き合っとったん?」
「ないよ。」
「…お、おん」
真顔になってしまって申し訳ないけどそれだけは絶対にないです。ありえません。
パーティーの間にもいろんな人から訊かれたし、気持ちはわかるけどあたしと景吾さんがそんな関係になるわけがない。想像しただけで鳥肌もんだ。多分景吾さんもそうだろう。最悪、そんな話題をあの人にしたら怒りのコブラツイストが繰り出される可能性すらある。とにかくありえない。
あー、想像しただけで疲れた。精神的に疲れた。これはもう癒されるしかない。今日は巴先輩に電話しよう…。
なんて今日の予定を考えていたら、目をキラキラさせた友人がずいっと身を乗り出した。
「モデルやっとったときは? 誰かええ人おらんかったん?」
「モデルって云っても特定のブランドだけだったし、基本的にはひとりでの仕事しか受けなかったから、出会いなんかないよぉ」
そもそも今考えてみたらあれはモデルと呼べるのかも微妙だ。
跡部財閥が経営している服飾ブランドで、極稀にモデルの都合がつかなかったときに声をかけられる程度。それだって条件付きでOKしているくらいだし。
雑誌の撮影なんて云われて当然完全拒否したんだけど、力ずくで――念の為にいっておくと、ヘッドロックを決められていた――話だけでも聞けと強制され、渋々ながら説明を受けてみてちょっと気が変わった。決して屈服したわけではないことだけは明記しておく。
あたしは自分がカメラを持って被写体を撮るってことしか考えてなくて、それが当然だと思っていた。が、人を撮ることもあることを考えると、撮られる側の気持ちを知ることも必要だと気付いたのだ。あと担当のカメラマンを紹介してもらえる約束を取り付けた。技術目的です、はい。妻子持ち愛妻家40歳後半。父親より年上の大先輩に抱く感情としては尊敬が妥当だろう。
ともかく、そんなわけで現場での出会いは皆無です。
思い返せば大変だったけどなかなかに楽しかったように思う。
撮影の技術も随分教わったし、被写体の気持ちがわかるいい機会だった。…と美談で終わらせてもいいんだけど、ここでもまた景吾さんからの駄目出しに発狂しそうになったことは主張しておこう。
「そういえば津々井ちゃんってさ」
「うん?」
たくさん話して疲れたし、喉が渇いた。
冷えてしまったお茶の残りを飲もうと手を伸ばした時、あたしは完全に油断していたのである。
「忍足先輩と付き合っとるん?」
パッと一瞬頭に浮かんだ忍足先輩は、東の忍足先輩だった。
でもなんで忍足先輩?
いや忍足先輩も小学校まではこっちの学校だったんだし知ってる人がいてもおかしくないけど、今の流れでどうして忍足先輩が…と途中まで考えてハッとする。
忍足先輩違いだ、これ。
「あ、ああ、けっ謙也さんか!」
「他におらんやん」
「いやいや、前の学校にね…」
説明しようとして、あ、これややこしいなって途中で気付いたので適当に濁しておいた。もごもごしてたら友人たちは首を傾げてたけど、追及はしてこなかった。ありがたい。この細かいことは気にしない感じ、今はものすごく救われた。
ああ、そうそう、それで、謙也さんね。
「つ、付き合ってはない、よ…」
「でもむっちゃ仲ええやんか」
「よく一緒に帰っとるやろ」
「うちらと昼一緒せんときは忍足先輩が一緒なんやろ?」
「うー…」
バレテーラ。意外と見られてるものなんですね。
恥ずかしいやら何やらでもじもじしてしまう。いや、だって、改めて第三者からそういうの云われると、照れるっていうか。えへへ。いや別に嬉しいとかそういうわけじゃないんですけど。
緩まりそうになる頬を引っ張ってみたけど、それを見咎められて非常に不思議そうな顔をされた。あ、忘れてください。
「あ、わかった」
閃いた、とばかりに手を叩いた友人の顔は非常に輝いていた。が、申し訳ないがあたしには嫌な予感しかしない。
そしてその嫌な予感は当たるのだ。
「ほんなら白石先輩や!」
「なんで!?」
「ほな、ユウジ先輩?」
「もっとなんで!?」
「あ、大穴で財前か」
「絶対ないでしょ!」
「えー、じゃあ千歳先輩とか」
「会話どころか遭遇するのすらレアな人と…?」
「そういえば意外と小春先輩とも仲ええやんな?」
「仲はいいと思うけど、そもそもあの人って女が対象なのかな?」
「石田先輩と小石川先輩じゃあらへんやろ?」
「違うけど、なんでそのふたりだけ最初から除外なのか気になる…」
「あとはあれか、遠山くんなんかかわええよね」
「金ちゃんってそもそも人間に興味あるの?」
最後の疑問には3人とも考え込んでしまった。ああ、ごめん、哲学みたいな疑問投げかけてしまったよ。でも多分、今のところ金ちゃんはテニスとたこ焼きにしか興味ないよ。テニスしてない人間にはあんまり興味なさそうだよ。
3人が頭を悩ませている間に落ち着いたあたしは、やっとお茶を飲めた。ああ、ホッとする。なんかいろいろと疲れましたよ。
「っていうか待って、なんでそんな話になってるの…」
あたしが誰かと付き合っているかもしれない、と勘違いしたのは百歩譲ってわかった。わかんないけどわかったってことにしとこう。
が、その相手のラインナップが揃いもソロってテニス部っていうのが気になる。
「だって津々井ちゃん、テニス部の人たちと仲ええやろ?」
「ま、まぁ…」
「ほんで夏からこっち、津々井ちゃんめっちゃ可愛くなったやん」
もとから可愛いけど、と真顔で云われては照れるしかない。
ど、どうも。
と、あたしが勝手に照れている間にも会話は進んでいく。
「せやから、夏に誰かと付き合い始めたんちゃうかなーって」
「そうそう、報告してくれるかと思ったら全然そんな気配ないし、ほな訊いたろーってな」
「でも、ほんまに誰とも付き合うてへんの? 他校とかでも?」
「ないない、ほんとに誰とも付き合ってないよ」
年齢=彼氏いない歴を地で行く人生である。
そもそも花に写真に忙しくしている生活の中でまともな恋人を作る時間なんてないに等しい。
そして氷帝時代は、あたしも忙しかったけど仲の良かったテニス部も負けず劣らず忙しかった。
遊び人の典型みたいな見た目してる景吾さんですら、あれでかなりストイックな生活をしていた。以前に一度、一日のスケジュールを聞いたことがあるけど、あれをほぼ毎日こなしてる景吾さんは絶対変態だ。どMだ。気を遣って口にしなかったのにアイアンクローを見舞われた件に関しては許していない。
まぁとにかく、昔も今も彼氏なんかいないって話ですよ。
…とりあえず、今のところね。
なんだかむず痒い気がして微妙な顔をしていると、そんなあたしには気付かなかったらしい友人たちは何やら思案顔だ。
3人して腕を組んでまじまじとあたしの顔をみて、うーんと唸る。
「津々井ちゃん可愛いし性格いいから、選びたい放題やんな」
「や、やめて何その悪女的な扱い…!」
しかも選び放題って何さ。
そりゃ、景吾さんに認められたんだからどうしようもない不細工ではないとは思うけど、だからって超絶美形なわけでもない自覚はある。誰もが認める美形っていうのは、それこそ景吾さんとか白石先輩とか、あとは青学の不二さんとか、ああいう人たちのことをいうのだ。あたしは違う。
というか仮に選べたとしてもあたしの選択肢はひとつに決まっている。
…だいぶ前から。
何やらわいわいと3人で盛り上がっている中、小さく息をついて、心持ち声を潜めて。
「…あの、好きな人は、いるけど」
ぽつり、と呟くと。
何故か一瞬クラス中がしんと静まって、次の瞬間。
「えーっ!?」
「何、誰なん!?」
「今この瞬間失恋した男子手ぇ上げ!!」
「や、やめなさいよ!?」
そしてお前らノリいいな、クラスの男子全員が挙手したよ! やめて! ありがとね!!
今となってはこういうのも楽しいと思えるけど、いざ自分がその中心に立たされると非常に照れる。これは顔が赤くなっても仕方ないでしょ。
怒るに怒れずプルプルしていると、それを見ていた友人にタックルされた。痛い。でもジロ先輩のタックルに比べたら可愛いものだったのでたたらを踏みつつも何とか踏み止まる。ど、どうしたんですか。
「津々井ちゃん、可愛い!」
「ぎゃー!」
抱き着かれつつ、思いっきり髪を掻き回される。髪が! ぼさぼさに!
と、もうふたつの衝撃が追加され、見れば残りの友人ふたりで。
「誰かは付き合い始めたときの楽しみにしといたるわ!」
「あーん、ほんまこの子幸せにせなあかんなぁ!」
ジロ先輩タックルに慣れているあたしといえど、3人からのタックルはなかなかに厳しい。悲鳴を上げる足腰に鞭を打ち必死でこらえつつ、手荒くあたしの幸せを願ってくれている友人たちの存在がありがたいと思った。容赦なく抱きしめられてそろそろ限界ですが。
そういえば、四天宝寺中にやってきた当初は、クラスでこんなに笑う自分の予想なんてまったく出来なかったことをふと思い出す。
あの頃はクラスも嫌で学校自体が嫌で、何をするにも嫌々で毎日腐ってた。
そんなどうしようもなかったあたしを変えてくれたのが―――きっかけをくれたのが、謙也さんだったのだ。
一生忘れない、あの光の展望台。
小さいことに気を取られて、大きなものを見ようともしていなかったあたしに、世界があんなにきれいで広いことを教えてくれた人。
優しくて、暖かくて、太陽みたいな人。
いつでも伸ばしてくれる謙也さんの手が好きだ。
あたしに合わせて隣を歩いてくれる謙也さんの気遣いが好きだ。
当たり前のようにあたしの名前を呼んでくれる謙也さんの声が好きだ。
目が合うと嬉しそうに笑ってくれる謙也さんのその笑顔が好きだ。
あの人を好きになれた、自分のことを、今は少しだけ好きになれた。
この人があたしの好きな人ですって、いつか自信を持って紹介できたらいい。
3人の友人にもみくちゃにされながら、あたしは心からそう思った。
それが、11月最後の日の出来事。
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次で最後になります。