オー・マイ・リトルガール!   作:秋元琶耶

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なんてひどい、暖かいやさしさ

 

 

 

これでもうあたしの灰色の中学生活は安泰だ。

 

―――そう思った瞬間があたしにもありました。

 

 

+++

 

 

昼休みにひよこ頭さんに全部話した、その日最後の授業終了直後のことだった。

 

「津々井!!!」

 

勢いよく教室のドアが開いたのは、チャイムが鳴ったのとほぼ同時。さすがのあたしも逃げる時間もない。え、っていうか何、まさか授業終わりまで外でスタンバってたとかそういう話? そんな馬鹿な。

3年生の教室ってどこだったっけと考えているうちに、同じく呆気に取られているクラス中を置いてきぼりのまま、ひよこ頭さんはあたしの鞄をひったくるように持った。ちなみにあたしの席は廊下側一番後ろで、一番に逃げるには最高の場所だけど、同時に捕まりやすい紙一重の場所でもあった。そしてたった今あたしは捕まったわけで。

「へ!?」

何事かわからず、急かされるままに立ち上がる。

すると。

「ほな、行くで!」

「は…!?」

どこに、とは問えなかった。

何故なら、ひよこ頭さんが凄まじいスピードで走り始めたからだ。

自慢じゃないがあたし津々井小毬、運動は大の苦手である。

いくら荷物を持っていないとはいえ、手を掴まれて走りにくいこの状況では転ばないようにするのが精いっぱいで、とてもじゃないが口を開く余裕なんてない。

もう、なんなの!?

 

 

+++

 

 

またもやせっつかれてインシューズからローファーに履き替えさせられ、ついには学校さえも飛び出して走らされること約10分。もう無理。マジ無理。息できない。胃がひっくり返りそうな気がしてきた。

本当にインドア文化系の体力を舐めないでいただきたいと抗議することすらままならず、漸く立ち止まってくれた途端にあたしはその場に座り込んで息を整えることに集中した。わ、脇腹痛い。

「すまん、ちょお早かったか!?」

ちょっとどころじゃないわ。

しかしそれも口にはできず、相変わらず吐き出せるのはぜーぜーというみっともない空気。重い機材持ったりするから筋肉はあっても、持久力なんて持ってないのよぅ。

息が整うまで、約1分ほどかかっただろうか。

その間ひよこ頭さんは背中を撫でてくれていたのだが、これも無自覚なんだろうなぁ…別にいいけど。

そうしてあたしがやっとまともに会話できそうだと判断した彼は、あたしの手を取って立ち上がらせて、前を向く。

つられて前を向いたあたしは、その瞬間、息を飲み込んだ。

 

「どや!?」

 

―――まるで宝物を見せつける、小さな子供のように。

 

目をキラキラさせて云うひよこ頭さんとあたしの視線の先に広がるのは、光の海だった。

少し周囲を見回すとどうやらここは小高い丘にある展望台のようだ。そういえば最後は意識は朦朧としてたけど階段を駆け上がってきたような気がする。

夕方から夜に移り変わる境目の時間だからだろうか、オレンジ色の空と少しずつつき始めた家々の光は美しく、眼下に広がる街の様子はまるで夕日に煌めく海のようで、幻想的だった。

 

「…あたしに、これを見せるために?」

視線は前から動かさないまま問う。すると、頭上で頷いたように空気が動いた。

「せや、昼の話聞いたら、ここに連れて来たらなあかん思てな」

 

―――どうして。

 

口にはせずに、今度は視線を向ける。

彼はちらりと一度あたしに視線をやってから、また前を向いてしまった。

あたしは、そのまま彼の横顔を見つめた。

 

「俺は生粋の大阪人やから、関東からこっちに移動してきた自分の気持ちはわからん。でもな、馴染まへんとか、友達いらんとか、静かに過ごしたいとか、そんなん寂しいやんか。ほんで、どこのどあほが云うたか知らんけど言葉が違うのはしゃーないんやから気にする必要なんかまったくあらへん。俺の従兄かて関東に転校したけど、向こうでもばりばりの関西弁使てるで?」

 

―――あなたには、関係ないのに。

 

そう云いきることは簡単だった。

簡単なはずだった。

当初に思い描いた灰色の中学生活を貫くなら、こんなことは余計なお世話だと告げればいいはずなのに。

 

「たった一度の中学生活やで? 楽しまな損やろ!」

 

―――できない。云えない。

 

この人の好意を嬉しいと、なんて暖かいのだと思ってしまっている、あたしが確かにいるから。

鬱陶しいと思うのも本音。

でも、あれだけ拒絶しても尚こんなにも優しさを与えてくれるこの人を、どうして切り捨てることができるだろう。

視線を落として、もう一度前を向く。

そこには相変わらず、美しい光の海が輝いていた。

「…っちゅーのも、あかん?」

そしてまた、この声。

伺うように、恐る恐るかけられるこの声。

 

「………」

 

―――ああ、だけど。

 

「…馬鹿ですか、あなた」

「んぐっ」

「でも、ありがとうございます」

目を閉じる。

だけど瞼の裏には未だに光の海が揺蕩い、きっとずっと忘れることはないのだろう。

ゆっくりと目を開けて、それから、高いところにあるひよこ頭さんを見上げた。

 

「ここは、とっても綺麗」

 

どうしてあなたがこんなにもあたしを気遣ってくれるのかはわからない。

多分純粋にお節介焼きの性分が疼いたとかそういう何でもない理由なのだとは思う。

けれどそれが今、あたしにはとても嬉しい。

あなたの優しさが、こんなにも心を温かくしてくれた。

だから、その感謝を込めて。

今まで、四天宝寺中に入ってからずっと浮かべることのなかった、笑顔を浮かべた。

 

「―――……」

 

すると何故かひよこ頭さんは半口を開けて間抜けな表情で固まってしまった。え、どうしたんですか。何の脈絡もなく魂抜けたんですか。

 

ところで、いろいろと吹っ切れたところであたしは自分の本能がむくむくと主張を始めたことを自覚した。

この欲求を解消するには、手段は一つしかない。

「あの、鞄、返してもらえませんか?」

「え!? あ、せ、せやな、すまん!」

どこか挙動不審気味なひよこ頭さんはこの際置いといて、戻ってきた鞄を開いていそいそと準備をする。今日は資料撮影用の小さいデジカメしか持ってきていないことが今は悔しい。

一転きょとんとし始めたひよこ頭さんを余所に、あたしは光の海に向けて数枚シャッターを切る。確認して、角度を変えてもう数枚。

うむ、やっぱり綺麗。今度は一眼レフ持ってきてみよう。

「…写真好きなん?」

「というか、半分仕事みたいなものです」

「仕事!?」

「自分の作品を写真にして提供したりもしてるし、依頼があれば大体何でも撮るので」

花はもちろん、ポスターの撮影だったり、風景も動物も時には人も撮る。

メモリーに入ったままになっていたこれまでの写真を見せると、ひよこ頭さんは感心したように頷いた。

 

写真は元々父親の趣味だった。

昔から父のお下がりのカメラを貰ってそれで遊んでいたので、いつから本格的に写真を始めたのかは覚えていないけれど、物心ついた時にはもうどこにでもカメラを持ち歩いていたと思う。

母は親戚に華道家がいる関係で少しそちらもかじっていて、あたしもなんとなくお花に興味をもったのは小学校の中学年。

そこから機会があるたびにいろんな花をアレンジして写真を撮ったり、撮り溜めていた写真をコンクールに出したりしていたら、いつの間にか少しずつ名前が売れるようになって、両親経由で小さな依頼を受けるようになったのが小学校高学年頃からだろうか。

写真にしろ、花にしろ、あたしにとっては空気と同じくらいあって当然のものだ。これを手放す未来なんて見えない。

 

この世のすべては一分、一秒ごとに姿を変えていく。

永遠に同じものなんて存在しない。

そんな世界で、写真の中だけはずっと同じまま続いていくというこの矛盾があたしはたまらなく好きなのだ。

自分の手で、刹那の四角を閉じ込める。

ファインダー越しの世界が、あたしは好きだ。

基本的には自分のアレンジした花を撮っていることが多いけど、人を撮るのも好き。

喜怒哀楽、ころころと変わる表情の中、とっておきの一枚で誰かを幸せに出来たらそれは嬉しいことだと思う。

 

まだ写真のデータに目を輝かせているひよこ頭さんにこっそり微笑んでから、もう一度光の海を見る。

ほんの少しずつ色が橙から藍色に染まり始めて、さっきまでとはまた違った魅力があった。

最後に一枚この光景をカメラに収めて、ひよこ頭さんを振り返る。

「そろそろ降りましょうか」

「ん、ああ、せやな」

気付けば随分長い時間ここにいたような気がする。学校を飛び出してきたのが4時前だから、もう30分。話していた時間を考えても、結構な時間だ。あたしはともかく、ひよこ頭さんはいいのだろうか。

「…あの、部活大丈夫ですか?」

「あっ」

瞬間、さっと顔色を悪くする。…黙って来たのか。

「…私も一緒に部長さんに謝りましょうか?」

「いや、それもうかっこ悪すぎやろ…」

両手で顔を覆って絶望するひよこ頭さんを見ておかしくて小さく笑うと、ちょっぴり恨めしそうな目で見られてしまった。

 

…そういえばあたし、この人の名前、知らないんだよなぁ。

 

 

 

 

 

*****

 

ヤンキー財前が呼んでた、下の名前しか知らない。

ってところでひと段落。

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