竜騎を駆る者   作:副隊長

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今回R-15的な表現があります。苦手な方はご注意を。


10話 追憶と想い

 負けだった。ヴァイスハイトは、そう思った。レイムレス城塞攻略。ソレを成した彼は、政務室に一人で立ち尽くし、先の決戦について考えていた。

 ユン・ガソル軍の誇る、三銃士が二人配置されている城塞。ソレを、奪っていた。自身を信じる配下を戦陣で指揮し、打ち破っていた。魔導巧殻である、アルの力が大きかったが、それでも自身は実力でレイムレス城塞を奪ったと自負している。だが、負けたのである。

 完勝の筈だった。それを、ただ一人の男に、覆された。戦果だけ見れば、大勝であるが、完膚なきまでの敗北を喫していた。自身が生きているのは、ただ運が良かっただけなのだから。

 相手は漆黒の騎馬隊を指揮する将軍であった。名を、ユイン・シルヴェストと言った。肉薄されたときに、顔を見た。率いる騎馬隊と同じ、闇色の髪を首辺りで結っており、精悍な顔つきだったと思う。漆黒の鎧を身に纏い、首元に真紅の布を巻き付けた男であった。部隊の者全てが、真紅の布を身に付けていた。布は魔力か何かの加護があったのだろう、漆黒の中、それだけが淡く輝いているのが印象的であった。その灰色の瞳と目が合った時、背筋がぞくりとした。死神に魅入られる事があるのならば、ああいう気持ちなのかもしれない、とヴァイスハイトは思い起こす。それ程までに、苛烈であり、凄絶であった。戦鬼ガルムスが、気を付けるように言ったほどである。その強さは、ヴァイスハイトの想定の外にあった。

 

「あのような漢が居て、ノイアス元帥はユン・ガソルに負けたと言うのか。あれほどの将器を持ちながら、命欲しさにユン・ガソルに寝返ったと言うのかッ!」

 

 ぎり、っと奥歯をかみしめる音が聞こえた。ヴァイスハイトは、静かに怒る。あれほどの武勇を誇る将を配下に置きながら、ユン・ガソルに良いようにされた前元帥、ノイアス・エンシュミオスに。あのような状況下にありながら、自分を容易く討てると言う、凄まじい将器を持つにも拘らず、ユン・ガソルに寝返った裏切者に。

 特に、ヴァイスハイトのユイン・シルヴェストへの怒りは、類を見ないものがある。本来ならば、ヴァイスハイトを、メルキアを支えるべき人間であるのだ。その漢が、自身に、リセルに、アルに牙を剥いたのだ。凄まじい武技の冴えと苛烈なまでの用兵に、ただ蹂躙された。それ程の漢が、なぜ自身の傍にいない。何故メルキアから離れた。そう思えば思うほど、怒りと僅かな悲しみが胸の奥に生まれる。それ程までに、漆黒の騎馬隊に魅せられていた。

 

「次に会うときは、超えてみせるぞ、ユイン・シルヴェスト!」

 

 怒りを、力に変える。あれ程の力を持つ将軍が、メルキアから消えたと言う事実に、ヴァイスハイトはやるせない怒りを持て余していた。

 

 

 

 

 

 

 初めて人を殺したのは、まだ子供の頃の話であった。メルキア帝国バーニエ領の僻地。其処に馬を飼い、家族で暮らしていた。父が軍馬となる馬を増やす馬飼いの仕事で生計を立てていた為、幼少の時から馬には慣れ親しんでいた。6歳の時には仔馬を与えられ、それに愛情を注いでいた。子供ながらに、自分の弟だと思い、一緒に育った。馬自体は、もっと幼い頃から乗っていたが、自分の馬を与えられたのはソレが初めてであった。純粋に嬉しかったのは今でも思い出せる。

 

 どこにでもありそうな、小さな家庭だった。近所付き合いも円満だったと思う。10歳頃までは、友達と一緒に野を駆けたりもしていた。友人の一人の女の子が馬に乗れないと泣いたので、付きっきりで練習に付き合ったりなどもした。楽しく、幸せな生活だったのだと思う。そんな生活が永遠に続くと思っていた。

 

「やだ、嫌だ、助けて! お父さん、お母さん、ユイン!!」

 

 だが、現実には続く事は無かった。不作による、飢餓。首都から見れば、ただの不作だっただろうが、辺境では死活問題であった。食べるモノが食べられない。それだけで、人は鬼になる事を知った。俺たちの住んでいた村は、蓄えがありまだマシであったが、近くの村は絶えた。村人は賊徒と化していた。食べられないだけで、人間は変わった。そして始まったのは――

 

 殺戮と蹂躙であった。

 

 悲鳴が聞こえた。家族や、自分に助けを呼んでいた。共に過ごし、馬の乗り方を教えた女の子であった。数人の村人に組み伏せられ、服を無理やり脱がされている。怒りで我を忘れて、殴りかかった。所詮子供であり、簡単に倒された。歯を食いしばった。弱い自分がどうしようもなく許せなかったのを覚えている。悲鳴が辺りに響いていた。少女を、男たちが代わる代わる嬲っていた。聞きたくなかった。見たくなかった。何よりも、許せなかった。蹂躙する男たちが、助けられない弱い自分が。

 

 何時間経っただろうか。やがて悲鳴も聞こえなくなった頃になって、漸く体に力が戻ってきた。男たちはまだ夢中で少女を嬲っている。ただ、許せなかった。剣が落ちていた。男たちが嬲るのには邪魔だから、外していた。手に取る。許す事など、できる訳が無かった。

 

「――」

 

 夢中で少女を嬲る男に向かって。両手で剣を振り抜いた。鮮血が舞う。両手に不快な感覚が残ったが、心が動く事は無かった。驚く男たちを、容赦なく二人三人と斬り付けた。体が、紅く染まる。許せない。思う事は、それだけであった。気付けば、辺りは屍の山となっていた。

 

「あぁ――」

 

 少女と目があう。汚されて、最初は泣き喚いていた。だが、その時は虚ろな瞳で俺を見ていた。

 

「殺、して……」

 

 今にも消え入りそうな声で、懇願された。少女の両足は逃げられないように、深く斬られている事に気付いた。治療もできない、もう長く無いのは明らかであった。少女の言葉に、ただ小さく頷いた。剣を振り下す。飛び散った血が、頬にかかる。その熱に、終わり逝く生を感じた。涙が出る事は、無かった。

 

 

 

 

 

 

「嫌な夢だ」

 

 目が覚め、口に出たのはそれだった。幼い頃起きた、つまらない出来事である。誰にも話した事は無く、話す気にもならない、そんな話。家族は、失っていた。賊徒と化した村人たちに、殺されていたのだ。涙は出なかった。自分は冷たい人間なのだと、その時に気付いた。ただ、何か大事なものが無くなったのだけは感じる事が出来た。虚しいと言うのは、ああいう気持ちを言うのかもしれない。今だからこそ、そう思う。少女の名前など、今では思い出す事も出来ない。

 話自体は、別に珍しい事では無い。食べ物が無ければ、人間は鬼になるのだ。その暴徒も、数日で鎮圧された。バーニエ領元帥、エイフェリア・プラダが直接指揮を執っていた。全てが終わり、軍を返しているときに、エイフェリアに出会った。村人一人一人に謝罪をして回っていた。助けられなくてすまない、力不足で済まない、と。自分も謝られていた。何の感慨も湧かなかった。ただ、立派な人なんだと言う事は、解った。

 エイフェリアを恨む気は、起きなかった。恨むべき暴徒は皆討たれていた。その暴徒も、被害者であったのだ、と歳月を重ねる事で思えるようになった。飢饉を恨むなど、無駄だと悟った。人知の及ぶところでは無かった。だからこそ、自分が弱かったことを恨んだ。思えばこの時、強さに固執するようになったのかもしれない。今だからこそ、そう思う。恨みは、歳月が宥めてくれていた。誰よりも強く在る。それだけが、自分には残った。やがてそれは、自身の『誇り』へと変わる。そんなつまらない思い出だった。だが、自身の原点であることも事実だった。だからこそ、話すような事では無いのだ。

 

「まだまだ弱いのだな、私は……」

 

 呟く。弱いのだ。心が弱いから、何時までも引き摺る。傷が癒える事も、無い。だからこそ、強く在りたい。そう、渇望している。左手を動かす。持ち上がるが、義手は外されていた。ヴァイスハイトと刃を交えた時に、壊れたのを覚えている。天運。ソレを持っているのだろう。そう思った。だが、倒せない事など、ない。天が味方をすると言うのならば、天をも穿つだけなのだ。そう思うと、心が躍る。戦鬼とは違った意味での強大な敵に、思いを馳せる。笑みが、零れた。

 

「傷は、深いか」

 

 腹部を見て、そう思った。包帯が、赤黒く染まっている。どうやら今は傷口が塞がれているが、酷いものだったのだろうと予想できる。だが、生きていた。ならば、まだ戦えるのである。寝台から起き上がり、座る。座するほうが、気を充実させるのには都合がよかった。そのまま目を閉じる。体の内から、力が満ちていくのを感じる。普段に比べれば、悲しくなるほどに弱弱しい。だが、確かに気力は充実していく。ならば、時が身体を癒してくれるだろう。そう思い、目を閉じた。

 

 

 

 

 

「貴方は、何をしているのですか!?」

「む……」

 

 扉が開く気配を感じた。誰か来たのかと思ったところで、一喝される。エルミナ様であった。何の用だろうか、そんな事を思う。自分は負傷しており、流石に、これ以上動く事は無理だと判断していた。レイムレス要塞での決戦で、精根尽き果てていた。

 

「もう一度、聞きます。貴方は何をしているのですか?」

「座して、気を練っております」

 

 答える。嘘など言っていない。体に気を充実させれば、怪我をしていたとしても無理は聞くのだ。先の戦で立ち回れたことが、ソレを証明していた。そのため、気を充実させておくのは、軍人である自分には必要だと思えた。流石に即座に傷を癒す事は、できない。そのため、調練に耐えられる体では無かった。だからこそ、せめて気の充実を図ったと言う訳だ。

 

「ッ?! ~~!」

 

 自分の返答に、エルミナ様はこれでもかと言うほどに、地団太を踏んだ。何を怒っているのだ、この人は。そう思った。そのままエルミナ様を眺める。すこし、面白かった。

 

「あなたと言う人は、自分がどういう状態か解っているのですか!?」

「死の淵に立っていたが、戻ってきたと言うところですね。死線を、また一つ越えました」

 

 エルミナ様の言葉に、静かに答える。死線をまた一つ越えていた。死の淵に立っていたのだ。ソレを、乗り越えた。もしかしたら過去の夢を見たのは、死に近かったからかもしれない。そう思った。だが、超えた。死を乗り越えたのだ。死をも退けた。そう言う事なのだ。

 

「其処まで分かっているならば、なぜ無茶をするのですか。貴方は、死にたいのですか?」

「まさか」

 

 幾分落ち着いたエルミナ様の言葉に、ゆったりと答える。死にたいと思ったことは無かった。昔はあったが、今そう思う事は無い。とはいえ、だからといって死を厭う訳でも無い。戦えば、死ぬか生きる。どちらかなのだ。軍人である自分は、何時死ぬかわからない。それ故、既に死んでいるのかもしれない。そんな事を考える。

 

「エルミナ様。死線を超えた先に、新たな強さがあるのです。死が、人を更に強くする。私は、そう思うのですよ」

「だから、死線に足を入れると?」

「然り」

「ッ?! そんなのはおかしいです。死線の先にあるのは、死だけです」

 

 意見が衝突していた。死線の先にある強さと、死線の先にある死。どちらも、一つの結論であった。俺は前者を信じ、エルミナ様は後者を主張する。何度も聞いてきた、言葉であった。

 

「そうかもしれませんね。ですが、私はそれで命を落としたとしても、悔いなどありませんよ。それで、『誇り』は守れます」

「ふざけないでください。ならば貴方を待つ者はどうするのです? 貴方を失う者がどんな思いをすると――」

 

 冷淡に告げる。自分は元来冷たい人間なのだ。他者を見て滾る事は多い。だが、自分の事に関してはどうにも無頓着であった。そんな性格が伝わったのか、エルミナ様はさらに声を上げる。優しい人だ。そう、思った。

 

「失う物などありませんよ。私が死んだところで、顧みる者など、無いのです。何よりも、貴女が心配する事ではありません」

 

 声を遮り、告げる。自分には、麾下ぐらいしかいない。そして、麾下は自分が死しても戦いぬけるように育てていた。だからこそ、何も心配する事は無い。

 そう言えば一人だけ友と呼べる男がいた。尤も、俺が死んだところで、揺らぐほど弱い男ではないが。だからこそ友足り得る、気高き男がいた。なんとなく、久方ぶりに会いたくなった。どうせ静養を言い付けられる。尋ねてみるか。思考の隅で、そんな事を考える。既に自分の中で、この話は決着している。

 

「……ユン・ガソルにとっての大きな損失です」

「三銃士がおられます」

「しかし、貴方の力は本物です」

「ですが、変わりはいるのですよ」

「指揮官は、貴方です」

「副官のカイアスでも、十分に動けます」

 

 論争する気など、無かった。エルミナ様の言葉に、ただ事実だけを突きつける。それで良かった。話をしていて、目の前の女性が優しいと感じた。だが、軍を統括する者がそれではダメなのだ。将に執着していては、何れ重さに耐えきれず、自壊する。だからこそ、淡々と諭す。私など、顧みる必要はないと。

 

「それでも……」

「エルミナ様。私は、ただ一つ護れれば良いのです」

「……それは?」

「誇り」

 

 本心である。それだけ護れれば、良いのだ。無論、臣として王を守る為に死力は尽くす。王を見捨てる事は絶対にしないと誓った。だが、戦は何が起こるかわからない。志半ばで敗れる事があるかもしれない。その時には、『誇り』さえ護れれば良かった。

 

「貴方の誇りとは?」

「漢の誇りと言うのは、軽々しく口に出すものでは無いのですよ」

「そうですか、わたしでは……ッ。もう、良いです」

 

 気落ちしている。そう思った。だが、言葉をかけようとは思わない。エルミナ様が触れている場所は、自身にとって譲れない一線なのだ。それ故、三銃士が相手でも、例え相手が王だったとしても、妥協する事は無い。ソレが俺であり、ユイン・シルヴェストなのだ。

 

「……先の戦では、ありがとうございます。何時か、借りは返します」

 

 絞り出すように、エルミナ様は言った。声が少し震えているのが解った。だが、そう思っただけである。

 

「動くべき時に駆け、戦うべくして戦っただけです。恩義を感じる必要などありません」

「それでも、貴方に助けられました」

「貴女だから助けたのではありません。助けたのが、貴女だったと言うだけなのです」

「……」

 

 畳みかける。彼女は軍を統括する者であった。将など使い潰す。実際にそれでは人は付いて来ないが、その気概は持って貰いたかった。将が負傷したからと言って、心を乱してはいけないのだ。それでは軍人として、優しすぎる。壊れてしまうのだ。気高く、美しい。そんな女性だからこそ、そうなってほしくは無い。だからこそ、自分などに時間を割いてはダメなのである。エルミナ様は、王を、ユン・ガソルを支える主柱の一人なのだ。だからこそ、強く在ってほしい。そう願うのだ。

 

「失礼、します」

 

 そう言い、エルミナ様は退出していった。部屋を渦巻いていた険悪な空気が、消える。深く、溜息を吐いた。下手を打った。それだけは良く解っていた。

 

「貴女は、私等に気を割いてはいけないのですよ。そんな時があるならば、ただ強く在れ。ユン・ガソルの、王の為に」

 

 エルミナ様に求めているもの。ソレだけだった。三銃士の彼女が強く在る。それだけで、良いと思った。

 

 

 

 

 

 

「あの男はどうしてああなんですかッ」

 

 部屋を出たエルミナは、腹を立てていた。ユイン・シルヴェスト。その男の在り方についてである。強さに拘りを持ち、ソレを追い求める。ただただ苛烈な男であった。軍人として見れば、凄まじい戦果を挙げ、それでもなお慢心せずに上を見据え続けている。尊敬するに足る男なのだと、漸くエルミナも思えるようになっていた。それだけの戦果を挙げている事を、王であるギュランドロスから聞いていたのだ。

 ザフハの増援。その任についたユイン・シルヴェストは、あの戦鬼と刃を交えさせ、生き残っていたのである。負傷させられていた。だが、ザフハの部隊長救出と言う任務を受け、戦鬼を相手に立ち回り、部隊を殆ど傷つける事無く目標を達成している。あのメルキア最強と誉高い、キサラの精鋭相手にである。その手並みは峻烈でありながら、鮮やかであったとザフハの首長すら賞賛を送ったと言う。勝負には負けたが、試合には勝った。そんな戦果だったのだ。戦鬼ガルムス相手に引き分けたと言っても過言では無い。ユインはザフハの首長に敗北したと語ったらしいが、とてもそうは思えない。それほどの男だったのである。

 

「あんなに、酷い怪我をしているのと言うのに、なぜ自分を労わってくれないのですか」

 

 そして、先のレイムレス城塞での決戦。王であるギュランドロス様は、ユインを招集したが、ザフハから返ってきた書簡を見て、ユインの力を使う事は諦めたらしい。万全ならば、その速さを以て、戦場に辿り着ける。だが、負傷していた。腹を割られているのだ。致命傷でこそないが、まともに動けるとは思えない。少なくとも、自分ならば倒れ伏しているだろう。エルミナはそんな事を思う。

 だが、ユイン・シルヴェストは来た。主であるギュランドロスが驚く程の速さ。ザフハ領を経由して、増援に向かっている部隊に追い付いてきたのだ。その道のりは、漆黒の騎馬隊を以てしてでも、長い。駆けに駆け続けて、漸くたどり着けるほどの道程。ソレを、一人の脱落者も出さず、率いてきたのだ。重傷を負っているにも関わらず。そして、ギュランドロスに重傷を負っている事を気取らせる事無く、素知らぬ顔をして戦線に加わったのだ。

 そして、助けられた。エルミナとパティルナが二人掛かりでも止められなかったヴァイスハイト・ツェリンダー。ソレを、容易く退けたのである。眼前で駆けまわる漆黒は、鮮やかだった。闇の中で淡く光る、真紅。今でも思い浮かべる事が出来る。夜を駆ける騎馬隊は、それ程までにエルミナの心を魅了していた。強い。心の底から、思った。それ程の将が味方だと思うと、敗戦で萎えた心が、再び燃え上がった。後一撃、そこまで追い詰めたところで、ユインは止まった。その時はなぜ討たないのかと疑問に思ったが、義手が壊れたと後で聞いた。ヴァイスハイトに運が味方したのであった。ソレが無ければ、討ち果たせていたとエルミナは思う。それほどの男だったのだ。ユインシルヴェストは。

 

「馬鹿です。どうしようもない、馬鹿です……」

 

 そして、その男が倒れた。エルミナは、直前まで、強く抱かれていた。思えば、そうしていないと倒れてしまうほど、傷が深かったのだと気付いた。馬上からゆっくりと地に崩れ落ちる姿を見た時、言い知れぬ不安に駆られた。控えていた副官が、慌てて受け止めるのを見た。即座に鎧を外す。血が、広がっている。これ程までの傷を負っていると言うのに、なぜ気が付かなかった。なぜ隠し通せたのか。そう、思った。そして、認めた。認めるしかなかった。この男は、何処までもギュランドロス様に心服しているのだと。偽りの忠義では、ここまでの深い傷を負いながらも戦場に出るなど、できる筈がないのだから。

 

「あれ? どうしたのエル姉。なんか怒ってるね」

「怒ってなど、いません! おこる理由なんかありません」

「いや、絶対怒ってるよ……」

 

 パティルナとすれ違った。思わずパティルナが尋ねてしまうほどに、今のエルミナは怒気を発している。怒り心頭。そう言うのが相応しい。言い返すエルミナに、パティルナは苦笑を浮かべる。どう見ても怒っているのだ。

 

「ユイン・シルヴェストに会いに行きました」

「へぇ、エル姉から尋ねるなんてなんか意外だな」

「……助けて貰ったのです。礼を言うのは当たり前でしょう」

「まぁ、そうだよね。あたしもそのつもりだったからさ。でも、何を言われたのさ?」

 

 言葉にすると、エルミナの中では怒りよりも、別の感情が浮かんだ。突き放された。そう思うと、無性に悲しかった。ようやく心から認める事が出来た相手。その男に拒絶されたのが、エルミナにとって、思いの外苦しかったのだ。そんな言葉に形容しがたい気持ちを、エルミナは持て余していた。

 

「拒絶されました。ユインの事など、顧みる必要はないと言われました」

「ははぁん。そう言う事か。エル姉も不器用だけど、ユインも相当だなぁ……」

 

 エルミナの言葉に、パティルナはどういう事があったのか大まかに想像がついた。要は、エルミナは個人として話、ユインは軍人として話していたのだ。それでは両者に溝ができるのは仕方が無い。パティルナは瞬時に理解し、苦笑した。パティルナからすれば、不器用な似た者同士だった。

 

「エル姉、多分それは違うよ。拒絶したんじゃない。寧ろ、ユインはエル姉の事を心配してるんじゃないかな?」

「意味が解りません。どうしてそうなるのですか?」

「だって、ユインだし。前提に、軍人としての思考があるもん。だから、考える事は全部ギュランドロス様、ひいてはユン・ガソルの事を優先するんだと思うなぁ」

 

 パティルナが困ったように言った。一歩引いたところから二人を見ていると、容易に解った。かみ合っていないのだ。軍人として、ただユン・ガソルの為を思うユインと、助けられた事に対して感謝の意を示しているエルミナ。根本的なところで、ずれているのだ。だからこそ、通じ合わなかった。

 

「では、あの男は自分の事では無く、ユン・ガソルの為に?」

「うん。特にエル姉は軍を統括しているからね。ユインからしたら、そんな要職についてる人が自分に時間を割くのが堪えられなかったんじゃないかな?」

「なんですか、それは……」

 

 パティルナの言葉に、漸くユインの意図に気付いた。ぐるぐると、様々な感情がエルミナの中で渦巻く。そして、限界を迎えた。パティルナの顔が若干引き攣った。やっちゃったと、その顔が告げている。

 

「どうして、あの男は、そうも自身を顧みないのですか! 今回だって死ぬ一歩手前まで行ったんですよ!?」

「いや、それをあたしに言われても困るなぁ」

「うう……、イライラします。どうしてメルキアの男と言うのは、こうも私の心を乱すのですか!?」

「だから、知らないってば」

 

 怒り狂うエルミナに、パティルナは溜息をもらす。沈んでいるエルミナはらしくないが、怒り狂っているエルミナはそれはそれで面倒なのだ。

 

「顧みるな? ならもっと自分を労われば良いじゃないですか。傷を負って、それを隠して、無茶をして、倒れる。そんなことをされたら、心配で放っておける訳が無いじゃないですか。それなのに自分を棚に上げて、私の事を心配している? 笑わせないでください!!」

「ああ、うん。そうだよね。エル姉の言うとおりだよ」

 

 パティルナはもう、めんどくさそうに話を合わせている。心底どうでも良いと言った具合であった。

 

「あの男の思うようになってなんかあげません。絶対、考えを改めさせます」

「そっか、頑張ってね」

「はい!」

 

 変なスイッチを入れてしまった。パティルナはそう思った。ごめんユイン。あたしにこれを止める事は無理だよ。パティルナは内心でそう謝罪を告げた。

 




そのうち連載のペースを少し落とすかもしれません。魔導巧殻をまだやり足らないんですが、やる時間が無いw
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