竜騎を駆る者   作:副隊長

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12話 休息

「今日は、駆けるぞ」

 

 愛馬に声をかける。既にこの身は軍装を纏い、指揮官用の漆黒の外套を羽織っていた。流石に、鎧を纏う事は出来なかったが、首元には、真紅の魔布を巻き付ける。それは自身の率いる漆黒の騎馬隊を象徴すると同時に、仲間である者を見極める、一種の証しだった。

 今回着替えてはいるが、軍営に向かう訳では無かった。未だ、体は万全ではない。寧ろ、まだ悪いと言えるだろう。腹部の違和感はいまだに続いており、稀に咳き込むこともある。吐き出すものは少しだけ紅く、血の味が広がる事も度々あった。だが、動く事が出来る程度には、回復していると言えた。気力も充実してきており、無理をすれば行軍にも耐えられるだろう。その為、今日は愛馬を思う存分駆けさせようと思っていた。馬は、ある程度走らせないといけないのだ。走らせなければ体が固まってしまう。馬とて人間と同じで、鍛錬を怠れば鈍ると言う事だった。自宅の厩舎から愛馬を出し、手綱を引く。

 

 自宅は、王都ロンテグリフの片隅にひっそりと宛がわれていた。元々降伏した将であったため、家はさほど大きくなかった。自分にはそれで良い、と思ってもいた。軍人である。仕事柄、軍営にいる方が多く、自分にはその方が合っているとも思っていた。

 家は小さいが、代わりに大きな厩舎が備え付けられている。愛馬を今し方出したのも、ここだ。自身は騎馬隊の指揮官であった。それ故、王が気を使ってくれたのだろう。厩舎は立派なモノであった。家が大きいよりも、厩舎が大きい事の方がはるかに有りがたかったのだ。飼おうと思えば、3頭の馬を飼う事が出来る。個人が持つには中々の大きさであった。比べてみると、自宅よりも立派かも知れない。ソレが、如何にも自分らしいと思えた。

 

「あまり駆けさせる事ができず、すまなかったな」

 

 愛馬の灰色の毛並を撫でながら、呟く。灰色とも、銀色とも取れる、見事な毛並みであった。例えるなら昼間に見える月、白夜の月のようであった。見惚れるほどに美しく、その毛並みを見ているだけで、充分に時間を潰せるだろうと思った。純粋に、美しいのである。その気高き姿に、俺は魅せられているのだ。

 愛馬は類稀な名馬だった。駆ける時は果敢なまでに駆け、本気で疾駆したときの速さは、影すら残らないと思える程の速さであった。そして、よく耐える。長時間の疾駆も可能である。騎乗する自分の事も良く解っており、頭も良い。俺には勿体ない程の名馬と言えた。馬首を軽く抱きしめる。愛馬の放つ熱が、心地良かった。静かに愛馬が嘶く。心が通じ合っている、そう思った。

 

 

 

 

 

「おや、ユイン将軍じゃないか、どこか行くんですかい?」

「あ、しょーぐんだー」

 

 駆けるには、王都の外に出る必要があった。街中を愛馬を曳きながら歩いていると、声をかけられた。家の近くで食堂を営んでいる、見知った男であった。恰幅の良い、柔和な顔つきの男だ。傍には、息子である幼い少年も一緒に居た。育ち盛りだからか、やんちゃな面構えをしている。

 

「まぁ、そんなところだよ。愛馬と共に駆けようかと思ってな」

「すげー! ねーねー、しょーぐん。馬にのってみたい!」

 

 穏やかに答える。急激な開発で土地こそ汚染され気味であるが、王都の中は戦火とは無縁であった。活気があるのだ。そう思う。少年が自分に馬の乗り方を教えてと乞う様は、微笑ましく思えた。ふむ、っと一考したのち、愛馬に声をかける。

 

「少しだけ、頼むぞ。なに、すぐ終わるさ」

 

 毛並みを撫で、告げる。此方を見た。それで、意思は通じていた。

 

「鐙に足を掛けるんだが……、まだ無理だな。どれ、乗せてやろう」

「ああ、将軍、なんかすみません」

「これぐらい、気にする事では無いよ」

 

 愛馬は、軍馬であり、馬体は大きかった。子供では乗れる大きさでは無いので、脇に手を差し込む。壊れた義手は、調整してもらっていた。元々は魔法国家であるラナハイムで作られたモノであり、再調整されたモノは以前よりも少し反応が悪くなっていた。だが、子供を抱えるぐらいならば、問題は無かった。そのまま軽々と抱え上げ、乗せる。愛馬は、動く事無く佇んでいる。意図を良く解っていた。

 

「すっげー! しょーぐん、こんなに高いとこにいるんだ」

「そうなるな。流石に走らせる訳にはいかないから、ここまでだぞ」

「えー。走りたい!」

「落ちるから駄目だ。あと街中だからな。もっと大きくなったら、乗り方を教えてやるから辛抱しろ」

「うー。わかった。でも約束だぞ、男と男の約束だからな!」

「ああ、約束しよう。男同士の、約束だ」

 

 残念そうにする少年を、愛馬から降ろす。闊達で生きの良い子供だった。やんちゃ盛りで、可愛らしいものだ。そう思う。そんな少年と、小さな約束をした。なんとなく、嬉しく思った。慕われているのを、肌で感じたからだ。

 子供は嫌いでは無かった。と言うよりは、寧ろ好きである。元気に駆けまわったりしている姿を眺めていると、温かい気持ちになれるのだ。自身の両手は数多の血に染まっていると言える。そんな手ではあるが、守れるモノもある。ソレを実感できるのだろう。なにより、軍人と言う職業柄、自分は殺し過ぎているのだ。敵も、味方も。戦う事に迷いは無いし、後悔も無い。寧ろ望んでさえいる。そんな自分であるからこそ、生まれてくる命は大事にしたい。そう、心から思うのだ。血に染まっている。だからと言って、恥じる事も無ければ、自身を厭う必要も無い。ただ、眩しいまでの命に触れるのが、好きだった。

 

「すんません、ユイン将軍。うちの倅が、無礼を……」

「なに、構わんさ。子供の相手をするのも、良いものだよ」

 

 男と言葉を交わす。先のレイムレス要塞防衛戦。それに敗北したが、ユン・ガソルの民は熱狂していた。領土こそ増えなかったが、王者の風格を漂わせるギュランドロス様の余裕に、皆が湧いていたのだ。自身にも、それなりの戦果があった。ソレを聞いた者達が、良くやったと声をかけてくれるようになっていた。元々は降将であったため、どこか敬遠されていたのだが、今では幾分声をかけてくれる者が増えてきていた。一部の将軍たちにはまだまだ警戒されているが、民たちにはそれなりに慕われている気がしていた。温かい、人たちである。そんな事を思った。

 

「さて、私はそろそろ行くとする」

「しょーぐんまたな!」

「ああ、またな」

 

 少年が拳を突きだした。それに、こつんと自身の拳をぶつける。男と男の挨拶であった。

 

「引き留めて申し訳ありませんでした」

「いや、此方も中々有意義な時間だったさ」

 

 恐縮する男に、苦笑を浮かべつつ別れる。空は晴れ渡っている。良い天気だ。そう思った。

 

 

 

 

 

「いやー。なんか意外な姿を見たなぁ」

「ふむ、それは私の事をどう思っているのか聞いてみたいですね」

 

 男と別れてすぐに、そんな声が聞こえた。闊達でありながら、何処となく愛らしい響きのする声。三銃士の一人、パティルナ・シンク様であった。桔梗色の髪と、好奇心旺盛な空色の瞳が印象的な少女だった。何時もの様に赤色を基調とした軍服に身を纏い、傍らまで駆け寄って来て、此方を見上げてながらそう言う。言外に似合わないと言われていることに苦笑した。自身もそう思っているからだ。

 

「うーん。部下にも自分にも厳しく、強い。特に自分を顧みない根っからの軍人。って感じかなぁ」

「む、残念な事に、否定できる要素が無いですね」

「あはは、でしょ?」

 

 パティルナ様の評に、返す言葉が無かった。強く在る。そう決めている自分を良く理解できている言葉だったからだ。

 

「それにしても、凄いな馬だね。戦場じゃゆっくり見る余裕も無かったけど、落ち着いて見ると凄いや。大きくて、逞しい。それでいて綺麗な毛並み。馬の事は解らないけど、きっとすごい馬なんだね」

「ありがとうございます」

 

 馬を曳き、歩く。パティルナ様も隣に付きながら言った。少し、嬉しかった。王より貰い受けた自慢の愛馬である。ソレを褒められるのは悪い気はしないのだ。少しだけ笑みが零れた。

 

「んーどうしたのさ、いきなり笑って」

「失礼。愛馬が褒められたのが嬉しかったもので。戦場では命を預け、共に戦いますからね。我が半身とも言えるのですよ。ソレを褒められれば、嬉しくも思いますよ」

 

 パティルナの言葉に応える。誰よりも何よりも信頼できる。ソレが愛馬だった。戦場では、命を預ける事になるのだ。互いに信頼していなければ、戦えなどしない。馬は家族であり、大事な友なのだ。友と言えば、人の友がいた。傷もだいぶ癒えてきた為、そろそろ王に願い出て会いに行ってみるか。そんな事を考えながら、すこしだけゆっくりと歩く。少し早い気がしたので、小柄なパティルナ様の歩幅に合わせた。

 

「お互い信頼してるんだね。まぁ、当然か。それじゃさ、ユインの愛馬は何て名前なの?」

「名前、ですか」

 

 パティルナ様の言葉に、少し考える。馬に名前など付けた事が無かった。正確には一度だけあるが、死んだのだ。賊徒に殺され、喰われた。人の家族が死んだ時よりも、悲しみが深かった。それ故、愛馬に名前を付ける事などしなくなっていた。軍馬でもあるのだ、自分か馬。戦場に出ればどちらかが死んでも不思議では無かった。名前など付けたら、悲しみが深くなる。そう思ったのかもしれない。無意識に名を付ける事が無くなっていた。苦笑する。今まで気付かなかったが、自分は愛馬に名も与えられない程、弱かったのだ。ならば今、名付けてやろう。そう思った。

 

「……、白夜と言います」

 

 思い浮かんだのは、白夜と言う名だった。その毛並みをただ美しいと思った。昼間に見える月。白夜の月にちなんだ名前だった。悪くない、そう感じた。

 

「へぇ、確かに銀色の毛並には似合ってるかも。うん、綺麗な良い名前だよ。これがギュランドロス様なら、ロイヤルドロスとかつけてるだろうしね」

「くく、付けても不思議じゃないですね」

「だよね、だよね! 猫にもグレートドロスとかミラクルドロスとか色々付けてたし、馬にも絶対つけてるよ!」

 

 語りながら、歩く。闊達で明るい。傍にいて楽しくなる人物であった。三銃士の中では、一番王に似ている。ソレが、パティルナと言う人物であった。騒がしいが、楽しい。エルミナ様やルイーネ様を姉と言ってる所為か、妹の様な気質も持っている気がした。

 

「っと、もう門の前まで来ましたね」

「あれ? 外に行くの?」

「はい。今日は白夜と共に駆けようと思いましてね」

 

 パティルナ様に答えるながら、そばを歩く愛馬に触れる。お前の名は白夜だ。そう小さく呟きながら、その瞳を見た。小さく嘶く。それだけで、通じ合うのだ。命を預けあう、友。ソレが、愛馬である白夜なのだ。人では無い。だからこそ、何の心配も無く友と呼ぶに足るのだろう。そう思う。

 

「へぇ。それならさ、あたしもついて行っていいかな? 今日は非番だから、暇なんだ」

「構いませんが、楽しくは無いと思いますよ」

「そうかな? 絶対楽しそうだけどなぁ」

 

 俺の言葉をパティルナ様は否定する。自分としてはただ駆けるだけなので、特別面白い事ではないと思うのだが、彼女は楽しみでたまらないと言った感じであった。

 

「それなら私から言う事は無いですが、馬はどうするのですか? 連れて来ると言うなら待ちますが」

「何言ってんのさ。乗るにきまってるじゃん。白夜に。一緒に乗せてっ!」

「む?」

 

 パティルナ様の言葉に、少しばかり考え込む。できない事は無い。パティルナ様より大きいエルミナ様を抱え、駆けた事もあるのだ。それぐらいは容易だろう。だが、イマイチやる意図が解らなかった。

 

「しかし、ご自分の馬に乗った方が良いのでは?」

 

 とりあえず尋ねる。

 

「いやさ、あたし基本的に馬とか乗らないんだよね。自分の足で走るのが性に合っているって言うか、流石に馬には負けるけど、乗る意味があんまりないんだ」

「つまり、自分の馬が居ないと」

「そう言う事。ついでに言うと、エル姉だけずるいもん! 助けられたとき、あたしなんか、二騎に脇を持たれて、物みたいに運んでいかれたんだから! エル姉と扱いが違いすぎるよ」

「ソレは申し訳ありませんでした」

 

 聞いてみると、ある意味パティルナ様らしい理由であった。三銃士の中でも最も戦闘能力に秀でる彼女は、運動能力も高い。と言うか、高すぎる。以前で共に戦ったザフハの獣人と比べたとしても、見劣りするどころか、その上を行っていると言えた。以前助けたザフハの部族長のネネカ・ハーネスとも渡り合えるような気がする。それぐらい凄まじかった。だからこそ軍馬がいらないと言うのだが、少々呆れてしまう。自分が言えた事では無いが、目の前で闊達に笑う少女は、間違いなく人外の領域に片足を突っ込んでいるのだ。流石はユン・ガソルの誇る三銃士。素直にそう思った。

 と言うか、麾下の助け方に不満があったようで、軽く根に持っていた。緊急時だったため、その辺りは許してほしいところだった。

 

「だからさ、あたしも白夜に乗りたいの。こんな綺麗な馬なんだから、一回ぐらい乗ってみたいな。ね、良いでしょ? 良いよね!」

「まぁ、良いでしょう。どうぞ」

 

 パティルナ様の勢いに苦笑しながら、そう言い右手を差し出す。この方の好奇心は中々に旺盛なようだ。見た目通りだと内心で思いつつ、左手で手綱を持った。

 

「やた! じゃあ、乗るね」

「失礼」 

 

 右足の鐙から足を外す。其処にパティルナ様が足を掛け、一息に登ってきた。その小さな体を右手で支える。数舜後には、すとんと自分の前に収まっていた。落ちないように、一声かけ軽く左手を腹部に回す。手綱は右手に持ち替えていた。体を触られるにしても、義手ならばまだ抵抗が少ないだろうと思った。

 

「わぁ。良い眺めだね。ユインはいつもこの高さからものを見てるんだ。徒歩よりもずっと良く見える。うーん。走る方が得意だけど、この視野は羨ましいなぁ」

「騎馬には騎馬の、徒歩には徒歩の良さがありますよ。例えば、騎兵の勢いは武器になりますが、場合によっては敵にもなり得るのですよ。付き過ぎた勢いが止められない。そう言う事もあります。歩兵にはない弱点でしょうね」

 

 穏やかに答える。馬には馬の、足には足の良さがあるのだ。自分は間違いなく馬派だが、そう思っている。

 

「ああ、なんか解るかも。走っているときに槍を構えられたらヤバいもんね」

「そう言う事です。ですから、歩兵には正面から槍にぶつかってもらい、その側面や背後を騎兵がつくと言う動きが理想でしょう」

「うーん。常道と言えば常道だけど、馬に乗ってその視点でモノを見ている時に聞くと、素直に納得できるね。勉強になるなぁ」

「お役に立てたならば、何よりです。さて、少し駆けます」

 

 素直に感心するパティルナ様に、頷く。三銃士であり、戦況を変える切り札。そんな彼女だが、向上心は高く、些細な事でも確実に血肉とする姿に、此方も感心した。彼女もまた、強いのだろう。そう思った。ユン・ガソルは強い。素直にそう思えた。愛馬の手綱を握り、軽く馬腹を蹴った。ゆっくりと、そして次第に加速し始める。

 

「おお、早いね。門がみるみる離れてるよ」

「そうですね。満足していただけたならば、何よりです」

「この速さは騎兵ならではだなぁ。風がすっごく気持ちいいよ」

 

 風を切り、駆ける。左手で軽くパティルナ様を支えながら、走っていた。身体に負担は無いように思える。此れならば大丈夫か、そう思いながら、少しずつ馬腹を足で締め、速度を上げるように白夜に意思を伝える。

 

「少しずつ、速度を上げます。舌を噛まないよう、気を付けてくださいね」

「ふふん。心配いらないよ。走りながら話すのは慣れてるからね。ましてや馬に乗ってるだけだし」

「ほぅ、これは頼もしい」

 

 パティルナ様の言葉に、にやりと笑う。騎馬に乗ったことはあまりないようだった。ならば、騎兵が本当の意味で、駆けると言う事を教えてあげよう。そう、思った。少しずつ、速度を上げ始める。

 

「おお、凄い凄い! 前の方に合った木が、もう後ろに」

 

 パティルナ様が、若干興奮したように言った。既に王都を守護する門からはそこそこ離れており、野をかけていた。少しずつ自然が見えており、この場所だけ見れば環境が汚染されているとは思えなかった。無論、それは現在地だけの話であり、他はもっと酷いものだと言う事は聞いていた。だが、馬を駆るには充分な地であると言えた。そんな事を思いながら、更に速度を上げる。

 

「これぐらいが、我が麾下達の通常の速さですね」

「凄いね。ユインだけが、ザフハの増援に出されるわけだよ。これは他の部隊じゃ追いつけないって」

 

 麾下達を率いる通常行軍速度で駆ける。パティルナ様は、感心したように頷いていた。俺の左手を、右手で軽く触れているのが解った。何も言わずに、更に速度を上げる。風圧が強くなった。駆けている、漸くそう思えてきた。腿を締め、愛馬に意思を伝えた。

 

「これぐらいが、強行軍の速さですね」

「……ね、ねぇユイン。ちょっと早くないかな?」

「更にあげますよ」

「ええ!?」

 

 パティルナ様の声が、少し震えていた。視点の高さと速さに慣れていないのだろう。そう思った。彼女は地上ではかなりの速さで動く。瞬間的な爆発力ならば、騎馬隊以上の物がある。それ故、地上での速さに慣れてしまっているのだ。だからこそ、騎馬隊の速さに目がついていかないのだろう。そう思った。思いながらも、更に速度を上げる。

 

「これが、麾下の中からさらに精鋭を選んで疾駆したときの速さ。ヴァイスハイトに向かったのが、この位の速さですね」

「ちょ、はやいはやいはやいはやいはやい!! おちる、落ちるって! ねぇ、ユイン、あたし落ちるって、空飛んじゃうって!!」

「ふふ、楽しそうで何よりです。最後に、疾駆」

 

 一気に駆け抜ける。地表が、木が、鳥が、次々と姿を現しは、消える。精鋭中の精鋭。それと共に駆ける時の速さであった。体験した事の無い速さに、パティルナ様は軽くパニックに陥っている。地上で誰よりも速く動ける彼女だからこそ、騎乗で、自分の足で動いていない速さに耐性が無かったのだ。普段は悪戯をする側であるパティルナ様を、良い様にできる機会であった。そんな機会を逃す手は無いと言えた。勿論、騎馬の力を教えると言う意図もある。ただ、どうせ教えるなら楽しく教えようと思っただけだった。軽く笑みを浮かべながら、両手で手綱を持った。一気に愛馬である白夜の最高速度まで加速する。風を追い抜いた。そんな事を思うほどの速さだった。心地よい。軽く呟いた。

 

「ぜんっぜん、心地よくないっ! 揺れまくってるし、浮いてるし、お尻痛いって!! それに落ちるって、早いって、怖いよ!」

「またまた、ご冗談を。三銃士がこれぐらいで音を上げるものですか」

「三銃士はっ、関係っ、ないよねっ! 落ちる、落ちる、ユインの、馬鹿あああああ!!」

 

 愛馬の最高速度。ソレを以て、駆け抜ける。漆黒の騎馬隊ですら置き去りにできる速さ。俺が信頼する相棒の、本気だった。無論、パティルナ様を乗せているため、普段より少しばかり遅いのだが、それでも十分すぎる程の速さを誇っていた。風を追い抜いている。そう、実感できるのだ。白夜と共に、野を駆ける。それだけで、心が躍った。パティルナ様が悲鳴を上げている。知った事では無い。顧みず、風を超えた。

 

 

 

 

 

「ぜったい、絶対馬なんか乗らないから! 歩いて帰るんだから」

 

 やり過ぎた。そう、思った。半泣きになりながら睨み付けてくるパティルナ様は、普段の姿からは想像できないほど弱弱しかった。手綱を持つ両手をきつく掴みつつ、顔だけを此方に向けそう言っていた。まさか、馬で駆けただけでこうなるとは予想できなかった。久方ぶりに愛馬に長く乗ったため、調子に乗ってしまったのだった。白夜と共に駆けるだけで、心が躍っていたのだ。苦笑が浮かんだ。

 

「パティルナ様。馬に乗る時は、遠くを眺めるのですよ」

「……遠くを見る?」

「はい。視野が広くなります。だからこそ、近くでは無く遠くを見る。無論それだけではダメですが、そうする事で、速さは気にならなくなります」

 

 このまま騎馬に苦手意識を持たせたまま帰らせるのはダメだろう。そう思い、コツを教える。パティルナ様は半信半疑と思いつつも、試してみようと思ったのか、前を向いた。両腕はしっかりと握られている。苦笑が漏れた。そこまで怖かったのか。慣れてないのだから仕方が無い。そう、思った。

 

「軽く、駆けますよ」

「軽くだからね。絶対軽くだから」

 

 駆けると言う言葉に、パティルナ様はびくっと震えた。重傷を与えてしまった。切実に痛感した。

 

「解ってますよ」

「うぅ、信用できないなぁ……」

 

 左手を手綱からはなし、最初の様にパティルナ様を支えた。そのまま馬腹を軽くける。ゆったりと駆けた。それ以上速度を上げる事はしない。

 

「あたしは、このくらいで良いよ」

「まぁ、慣れたら大丈夫ですよ」

「慣れる気がしないって……」

 

 軽く駆ける白夜に安心したのか、パティルナ様は疲れたように漏らした。教えたとおりに遠くを見ようとしているのが解った。それで幾分かましになっていたようだ。

 

「まぁ、もう少しだけ頑張ってみましょう。」

「うう、頑張る……」

「ええ、頑張りましょう」

 

 疲れ切って居るパティルナ様を励ます。馬を嫌いにする訳には行かない。そう思った。そのまま暫く駆けながら、パティルナ様に騎馬の扱い方を教えて過ごす事にした。頬を撫でる風が、心地よい。そう感じた。穏やかな日。そのように過ごしていた。

 

 

 

 

 




白夜はびゃくやでは無くはくやと読みます。

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