竜騎を駆る者   作:副隊長

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14話 共に在るもの

「目まぐるしく状況が変わる。これでは息も吐けんな……」

 

 メルキア帝国東方の都センタクス。東領元帥に就任したばかりのヴァイスハイトは誰ともなしに呟いた。強い光を示す瞳には、少しばかり疲労の色が見える。ヴァイスハイトが呟いたように、メルキア帝国ではヴァイスハイトの台頭を皮切りに、様々な事が起こっていた。

 

「仕方がありませんよ。帝都が謎の結晶化を起こしたのです。今やヴァイスハイト様も四元帥の一人になられたのですから、のんびりはしてられません。どうぞ」

「すまないな、リセル」

 

 ヴァイスハイトの呟きに、副官のリセルがやんわりと窘める。とは言え、ヴァイスハイトの言う事も、傍で補佐する彼女は十分に理解しているため、紅茶を差し入れた。相変わらず気の利く副官だ。ヴァイスハイトはそう思い、紅茶を受け取る。

 

 メルキア帝国、帝都結晶化。メルキア帝国を突如襲った、災厄であった。一夜にして、メルキアの首都一帯全てが凍り付いたのである。ソレを解く術は一切なかった。凍ったと称したが、氷では無いのだ。そして結晶化は、帝都だけでは無く、皇帝であるジルタニア・フィズ・メルキアーナをも封じてしまっていた。メルキアの意思である、皇帝が何もできなくなってしまったと言う事だった。

 由々しき事態であった。即座に四元帥会議が招集される。原因は解明されていないが、ユン・ガソルとの戦で投入された新兵器。ヴァイスハイト率いるセンタクス防衛部隊ごと、ユン・ガソルの主力を消し飛ばしたソレ。帝都結晶化の報を聞き、急遽行われた四元帥の会談では、その新兵器が原因だとみられていた。メルキア帝国が誇る魔導技術。ソレが、今回起った災厄の原因である可能性が高かったのだ。メルキアは魔導技術を国の根幹としていた。もしそれが事実だと言うのならば、メルキアの土台を根本から見直さなければならない事態だと言える。元帥就任早々、ヴァイスハイトはメルキアの進退を決める事態に直面していると言えた。

 

「ユン・ガソルと停戦しようかと思う」

「ソレが賢明でしょうね。遺憾ながら、今のセンタクスに、ユン・ガソルと事を構える力があるとも思えません」

 

 ヴァイスハイトはリセルに告げる。ユン・ガソルとの戦。レイムレス要塞こそ奪還する事には成功したが、東領元帥としての力は、ノイアス元帥の時と比べて低下していた。キサラの元帥であるガルムス・グリズラーが、ザフハに奪われていた、城塞都市ヘンダルムとクルッソ山岳都市を攻略していたのだ。もともと東領であったその二つを奪い返し、その指揮下に入れたからであった。取り返したのはガルムスであり、帝都が結晶化する前に皇帝に直々に言い渡されていた。いわば、報酬であるため、そのこと自体に異論は無かったが、東領元帥の力は落ちたと言わざる得ないのが、現状であった。

 

「だろうな。三銃士に王。……そして黒騎士。今の俺たちでは勝てる気がしない」

 

 リセルの言葉にヴァイスハイトは同意する。レイムレス城塞で、三銃士の二人が守る地を奪う事には成功した。だが、三銃士はその名の通り三人いるのである。いわば、レイムレス要塞の戦いは、完全な布陣では無かったのだ。

 そして、その三銃士を束ねる王が控えている。他国にはバカ王と噂される通り、度し難い男であったとヴァイスハイトは思う。だが、その力は侮れないものがあると感じた。類稀な力を持つ三銃士が、そしてその配下である精鋭たちが、心服していたのだ。それだけでも、ユン・ガソルの王、ギュランドロス・ヴァスガンの器が並大抵のものでは無いと想像できる。

 極めつけに、ユン・ガソルの黒騎士だった。思い返せば、ただただ悔しさだけがヴァイスハイトの胸に飛来する。相対したのはレイムレス要塞での追撃戦だった。ヴァイスハイトは三銃士を相手に完勝したと言えるほどの戦果を挙げていた。そして、その後は追撃戦を行い、ユン・ガソルの力を可能な限り削ぐ局面に来ていた。三銃士の二人を討てると言うタイミングで、奴は現れた。ユン・ガソルの黒騎士。ユイン・シルヴェスト。元メルキア軍人である降将であった。その男に完膚なきまでの敗北を喫した。様々な思いが去来する。

 侮ったわけでは無かった。事前に、キサラの戦鬼、ガルムス・グリズラーから忠告を受けていた。言い訳をするならば、負傷していたと聞いていたので、その時に出会う事は無いと踏んでいたが、現れたのだ。その間隙を見事に突かれていた。

 闇に溶け込むかのような、漆黒の騎馬隊。ヴァイスハイトの率いていたメルキア軍の半数にすら遥かに満たない、極少数の兵力であった。疲労度合いこそ違うが、彼我の戦力差は明白であった。にも拘らず、蹂躙された。虚を突かれた。確かにそれはあるが、ソレを考慮したとしても大敗したと言えるほど、鮮やかに撃破られた。その戦で、ヴァイスハイト自身も命の危機に瀕した。副官であるリセルを無力化され、魔導巧殻のアルですら搔い潜り、ヴァイスハイトに肉薄した。死神。ユインを見た時、そう本能が感じ取った。生き残ったのは、偏に運が良かったからだった。あの時の事は、今思い出しても背筋に悪感が走る。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「あの男とは、まともにやっても勝てる気がしない」

「……ユン・ガソルの黒騎士ですか?」

 

 リセルがヴァイスハイトに尋ねる。無意識なのだろう、リセルは手を庇うように両手を組んでいた。今思い返してみると、ユインがリセルを無力化したのは、あり得ない神業であった。その力を最も実感したのは、リセルかもしれない。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「ああ。漸くセンタクスも落ち着いてきたことだし、近々ベルモンやリリエッタ、奴の事を知る兵士たちに話を聞いてみようと思う」

「シーラには聞かないのですか? 彼女なら、商人独自の情報網を持っていそうですが……」

「そう思い、既に頼んである。仕入れのついでにでも、情報を探ってくれるようだ」

「そうでしたか」

 

 目まぐるしく状況が変わっていた。レイムレス城塞では言い様の無い怒りと、僅かな悲しみを感じたが、忙しく元帥として動き回った日々がヴァイスハイトを幾分か冷静にしていた。少しでも情報が欲しい。そう思ったのだ。ただ一人で戦況を覆した男、ユイン・シルヴェスト。その男に打ち勝つには少しでも情報が欲しかった。それに知りたかったのだ。あれ程の将器を持つ男が、何故メルキアから離れたのかを。

 先の敗戦で生き延び、センタクスを奪還した自分に合流さえしていれば、片腕としてその力を振るってくれたかもしれない男であった。キサラの戦鬼とぶつかり負傷して尚、自分を退けるその強さに魅せられたのかもしれない。ヴァイスハイトはそう思った。

 

「なんにしても、情報がほしい。リセルも、何か解ったら報告するように頼む」

「畏まりました」

 

 リセルに指示を出す。それで、話は終わりだった。元帥になった。だが、困難は始まったばかりである。帝都結晶化にユン・ガソル。そして、ユイン・シルヴェスト。乗り越えるべきものは多く、自分にはまだまだ多くの仲間が必要である。ヴァイスハイトはそう思い、静かに闘志を燃やした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬を引き、歩く。ラナハイムに向かう商隊。ソレを取り仕切る女性と言葉を交わしながら、歩いていた。愛馬である白夜は、商隊の進む速さに歩幅を合わせている。その姿はどこか寂しそうであった。思いっきり駆けたいところを俺たちに合わせてくれているのだろう。すぐに理解できた。すまない。そう言う思いを込めて、その毛並みを撫でる。

 

「へぇー。正直冗談かと思ってましたが、お兄さんは本当にユン・ガソルの将軍さんなんですね」

「そうなるが、今は将軍と呼ばないで貰えると助かる。こんな形をしているが、今は私用で動いているのでね」

 

 小隊を率いる女性は、何処となく人懐っこい感じのする人物であった。ラナハイムに向かう商隊。それの護衛として、自分は彼女の傍らにいた。一人で旅をするよりも、商隊についていく方が何かと都合がよかった。それ故、行動をともにしていたと言う訳だ。ユン・ガソルの将軍。その肩書きを買われ、即座に同行を許可してもらえた。尤も、彼女の口振りからして、本気で信じていた訳ではないだようだが。ちなみに服装は軍装に指揮官用の外套と言う、何時もの姿であった。軍装や外套に小さく刻まれたユン・ガソルの紋章が、将校であることを示すには都合がよかった。なにより、着なれており、旅にも適していた。長期の行軍でも着るモノである。その辺の旅着よりも遥かに使い勝手が良いのだ。

 

「んー。それならお兄さんの事は何て呼べばいいですかね?」

「何でも構わんよ。この場では唯の雇われに過ぎない。名前でも、お兄さんでも好きに呼ぶと良いさ」

「そうですか? ……ていうか、よくよく考えたらまだ名乗ってませんでしたね。私は、シーラって言います。よろしくお願いします、お兄さん」

「私は、ユイン・シルヴェストだ」

 

 そう言えば名乗っていなかったか。そう思い、シーラの名乗りに言葉を返す。目の前の女性はどこか、話しやすい雰囲気があり、名乗りもしていない事に気が付かなかった。苦笑を零す。

 

「まじですか!?」

 

 俺が名乗ると、シーラは目を見開き、声を荒げた。虚を突かれた。そんな顔をしている。さて、っと思考を動かす。

 

「どうかしたのだろうか?」

「あ、いえ、えーと……。最近噂のユン・ガソルの黒騎士様だとは思わなかったもので!」

「ふむ、まあ、そう言う事にしておこうか」

「助かります」

 

 あからさまに怪しかった。追及しても良いのだが、現状は此方から頼み込んで同行させてもらったと言えなくもない。それ故、あまり不義理な事をしようとも思えなかった。頻繁に続くようなら考えるが、この場では捨て置く事にした。

 

「しかし、私が噂とはね。戦う事しか能の無い男の噂など、して楽しいものだろうか?」

 

 ただ強く在る事を望む。言うならば、自分だけのために強さを求めている。自分はそれだけのつまらない男なのだ。そんな男の話をして面白いのだろうか?

 

「そりゃ楽しいからするんでしょう。元々メルキアの軍人さんですから、大きい声では賞賛されませんが、認めてる人は認めてますよ。ユン・ガソルには三銃士以外に黒騎士もいるって」

「あの三銃士と同列に扱われるなど、光栄だな。とは言え、私は戦う事が出来るだけだ。そこまで過大評価されても困るのだよ」

 

 事実であった。戦う事ならば誰にも負けないと言う自信は今でも揺らいでいない。誇りが胸の内で、静かに燃えているのだ。だが、それとこれとは話が違う。戦が強いのと三銃士の様に戦以外の事、例えば政治ができるのとでは、まるで必要な能力が違っているのだ。何より自身は純粋な軍人である。政治に口を出す気は無かった。軍人は戦の事だけを考えればいいのだ。殺す力に特化しているものが政を行えば、どんな強硬な策もとれると思う。だが、それでは駄目なのだ。だからこそ、俺の様な軍人は戦いの事だけを考える。それがあるべき姿ではないだろうか。

 

「あらら、欲が無い事ですね」

「欲が無いと言うよりは、分を弁えていると言ってもらいたいところだな」

「じゃあ、そう言いますね」

 

 俺の言葉に、シーラはにひひっと笑みを浮かべた。裏表のある人物だと見当はつく。だが、その笑みを見ていると、決して悪い人間だとも思えなかった。戦場以外では、自分は存外甘いのだと、そこで気付いた。苦笑する。直すべき点ではあるが、不思議と悪い気分では無かった。

 

 

 

 

 

「……ふむ」

「お兄さん、どうかしましたか?」

 

 暫くシーラと語りながら歩いていたところで、気付いた。地が揺れている。遠くから、僅かに馬の嘶きが聞こえてくる。それなりの数であった。既に日が沈みかけ、一日の終わりを感じさせる。気が緩み、襲ってくるならば絶好なタイミングと言えた。

 

「馬。それなりの数が来ているな」

「ええ!?」

「馬蹄と地の振動から推測するに二十騎程だろうか」

「おにーさん、何でそんなに落ち着いているんですか!?」

 

 地の動きと、響く馬蹄から数を予想する。職業柄、馬の動きと言うのには熟知しており、敏感であった。聞こえてくる馬蹄は一糸の乱れも無い。それなりの訓練を積んだ騎兵だろう。見当をつける。ならば、恐れる事は無かった。此れが賊の類だったのならば、足並みは揃わず、纏まった音では無いのだ。

 

「まぁ、恐れる道理は無いからな」

「そりゃ、お兄さんはそうかもしれませんが、私はか弱い商人ですよ!」

「ふ、いざとなったら全員守って見せるさ。尤も、その必要はないだろうがね」 

 

 確信をもって告げる。一糸乱れぬ行軍をする少数の騎馬。ソレが略奪をするとは思えなかった。寧ろ、道のりを急いですらいるように感じる。騎馬隊の指揮官だからこそ分かる、一種の呼吸だった。

 

「とりあえず、道を開けた方が良いだろう」

「了解しました! って、なんか普通に従ってしまった!? これが黒騎士の力!?」

「……面白い人だな、貴女は」

 

 シーラの言葉に苦笑する。どこまでが本気で、何処までが冗談なのだろうか。そんな事を考える。その間に、道が開いた。二十騎程の騎馬が駆け抜けていく。先頭を駆ける騎馬が此方に向かい、軍令を取るのが見えた。軍属である。見ただけで解った。ユン・ガソルの騎馬では無かった。ラナハイムの紋様。ソレが刻まれていた。

 

「綺麗な人がいましたね。あんな綺麗な人、滅多にいませんよ」

「そうだな」

「うーん。予想以上に淡白な反応。お兄さんは女性に興味が無いんですか?」

 

 騎兵に囲まれるように、一人の女性が居た。騎兵が駆け抜けるのを見送っているうちに、日が落ち、月が顔を出したところであった。とは言え闇と言うには程遠く、薄暗い程度だった。その淡い月明かりに照らされる女性はどこか怪しげな美しさを持っていたと思う。だが、それだけであった。月を綺麗だと思う程度の感慨しかわかなかった。そんな内心を敏感に感じ取ったのが、シーラは嫌らしい笑みを浮かべてこちらを見た。一考する。

 

「私とて男だ。多少の興味はある……。が、今はあまり気にならんよ」

「え!? いや、その」

 

 そう言い、シーラの手を取った。静かに瞳を見詰める。シーラが困ったように目をそらした。

 

「まぁ、こんなものか」

「……。お兄さんは結構嫌な人ですね」

「先にからかおうとしたのは貴女だろう。くく、仕掛けられると解っていて待つのは性に合わないのでね」

「ぐ、痛いところを突きますね。お堅い軍人さんなのかと思いきや、意外と冗談もいけるのか」

「弱点を突くのは戦いの基本だからな。隙を晒す方が悪いのだよ」

 

 即座に手を離し、しれっと言い切る。何か言いたそうだったので、先手を打ったと言う訳であった。此方の意図をすぐ理解したシーラは、不満そうに声を上げた。先に手を出そうとしたのは其方だろう。そう言う事で封殺した。ぐぬぬと歯ぎしりする姿は、中々に面白い。あまり警戒心を抱かせない人物であった。

 

「そろそろ野営の準備かな?」

「そうですね。少しばかり暗くなってきてますから、急ぎましょうか。おーい皆、この辺りで野営をするよ!」

 

 尋ねると、丁度そう思っていたのか、シーラも部下の商人たちに指示を出し始めた。ソレを眺める。自分の役目は護衛であるため、手伝う必要が無かったのだ。と言うか、軍営ともまた勝手が違う為、手伝うつもりが結果的に邪魔する事になりかねない。故に、少し離れた場所で辺りを警戒していた。それは、皆が了解している事であった。多少申し訳なく思うが、これはこれで大事な事であった。

 

 

 

 

 

 

「もうすぐラナハイムか。彼の地に赴くのは、数年ぶりになる」

 

 商人達がテキパキと野営地を整えるのを横目に見ながら、白夜の毛並を撫でつつ、語る。温かい。相棒の発する熱を感じた。良い馬である。自分には過ぎたる名馬だ。見るたびに、そう思った。近くの商人から秣を貰い、与える。口にせずに、黙って此方を見ていた。その瞳は、どこか悲しそうな色をしていた。無言の瞳に、何か切実な訴えを感じた。

 

「……どうした?」

「――」

 

 尋ねる。馬は頭が良い。人語を話す事はできないが、敬意を厚意をもって接していると此方の意思を良く組んでくれるようになるのだ。言葉が通じている。そう言っても良い程であった。そのため、ある意味では、人よりも信頼関係が重要と言えた。その点、自分と白夜は絆が強いと実感できた。そんな俺の目を見詰め、白夜はただ、寂しそうに嘶く。何か言わなければいけない。そう感じた。

 

「ッ……ゲホコホ……」

「――」

 

 言葉を出そうとしたところで、咳き込む。右手で口元を抑える。白夜がまた嘶いた。月明かりの下でも解るほどの、鮮やかな紅が広がっていた。ソレを見詰め、左手で懐から手拭いを取り出し、綺麗にふき取った。そして僅かに血の匂いの付いた右手に、腰に下げている水筒の水をかけ、もう一度ふき取る。それで血を吐いた痕跡は消えていた。

 血を吐いた事に、驚きは無かった。負傷をしてから血を吐く事が何度かあったのだ。苦笑を漏らす。誰にも気取られていないつもりであり、実際、王や三銃士にも気づかれていなかった。麾下達やカイアスですら、誰一人として気付いていない。それを、愛馬にだけは気付かれている。寂しそうに嘶き、此方をじっと見つめてくる瞳に、そう悟った。

 

「大丈――ッ、ゴホ……」

「――」

 

 二言目が、出ることはなかった。更に咳き込む。立っていられなくなり、膝をついた。右手で口を押え、義手をしている左手を地についた。視界が揺れていた。だが、完全に崩れ落ちるのを良しとしなかった。回復に向かっているとはいえ、無理をし過ぎたのかもしれない。そう思った。血の匂いが口と鼻から広がっていく。どこか懐かしい感じがする。痛みは、無かった。白夜が、座り込む俺の肩に頭を寄せ、ゆっくりとこすりつけた。心配されている。そう、はっきりと感じた。お前は本当に俺の事をよく見てくれているのだな。そんな事を呟く。泣いている。言葉を発さない白夜の目を見て、そう感じた。

 

「お前には、隠し事などできんのだな」

「――」

 

 膝をついたまま何とか馬首を抱き、呟く。安心させるつもりで抱きしめたのだが、力はあまり入っていないように思えた。触れた腕から感じる愛馬の熱が心地よかった。白夜の発する熱が、自身の熱と混じり合い、俺の中で確かな暑さとなる。まだ生きている。その鼓動を実感する。膝をついている。だが、それでも自身は両足で地を踏みしめ、生きているのだ。確かな生を感じる。為らば、自身はまだ戦う事が出来るのだろう。そう思った。気を、全身に巡らせ立ち上がる。視界は少し揺れているが、問題は無かった。

 

「なぁ、白夜。私はどれくらい……」

 

 そこまで呟き、言葉を止めた。言葉にする意味などない。ソレに気付いた。愛馬を見る。依然として此方を寂しそうに見つめている。俺の事を労わるように、その身を寄せている。本当に自分には過ぎた名馬だ。そう思った。クライス・リル・ラナハイムがただ一人の人の友だと言うのならば、白夜はただ一人の馬の友だと言えた。

 生涯を通し、真の友と呼べるものが一人でも作れれば良いと思っていた。ソレを今の時点で二人得ている。そう気付いた。笑みが零れる。良い友を得たのだ。胸を張って断言できた。恐れるモノなど無かった。

 

「なに、大丈夫だ。私はまだ戦える。ユイン・シルヴェストは、剣を持ち戦場を駆け抜ける事が出来るのだ。心配する事は無い。唯、その身を俺に預けてくれれば嬉しい」

「――」

 

 愛馬の目を見て、語る。その灰色とも白銀とも取れる、見事な毛並みを撫でながら、言葉を紡ぐ。女性に触れるよりも繊細な手つきで、その毛並みを撫で続ける。血塗られている手である。だが、厭う事も無ければ、恥ずべき事も無い。誇るべき手であった。その手で、白夜の身体に触れ、その熱を感じる。自身はまだ、生きているのだ。胸の内には誇りがあり、血肉は熱く滾っている。ならば、どのような状況になったとしても戦う事が出来る。そう確信していた。体が、魂が熱くて仕方が無かった。天に向かい、右腕を伸ばす。

 

「俺はな、白夜。自分がどこまで届くのかを確かめたい。この手が何を掴めるのかを、知りたいのだ。だからこそ、戦場を駆け抜ける。もしかしたら、それ程長くないのかもしれない。それでもなお、見極めたいのだ」

「――」

 

 白夜の体に、自身の血が少し付いていた。ソレを、丁寧に拭い去る。そして先ほどと同じように水筒から少しだけ水をかけ、綺麗にふき取った。紅は、どこにも見当たらなかった。美しい。月明かりに照らされる白銀を見て、それだけを感じた。

 

「俺に、最期まで付いてきてくれるか?」

 

 白夜の目をじっと見つめ、告げた。何故か、聞いておきたかった。

 

「――」

 

 静かに嘶いた。先ほどまでとは違う、力強さを感じさせる嘶きだった。笑みが零れる。相棒は、何処までも自分の意思を汲んでくれている。ソレが理解できた。自分の命を預けるに相応しい、相棒だった。

 

「頼りにしているぞ、白夜」

 

 しっかりと、告げた。愛馬が嘶く。もう一度、天を見上げた。赤と青。二つの月が、俺たちを優しく照らしてくれていた。目を閉じる。白夜のかすかな息遣いを感じた。死ぬときは、お前と共に在りたいものだ。そう願った。

 

 

 


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