魚住と同じ時間を過ごして、光秀はいくつか発見したことがある。あの不整脈は光秀自身が子供の頃に患ったものとはまったく別のものだった。そして自分はずっとあのヒーローに憧れ以上のものを抱いていた。だからこそ、あのヒーローに目を向けられる事が嬉しく浮かれすぎていた。
そしてその手の世界は影にこもった自分にはふさわしくないという事にも気付く。
魚住と屋上で話してからはもう届くメールも見なくなっていた。むしろ十二月に突入するとプライベートに意識を向ける余裕すらなくなる。
通常業務に加えて世間が楽しむ忘年会などの後始末が回ってくるためだ。急性アルコール中毒とは下手をすれば死ぬ可能性もあるため油断できない。
そんな中で、とある獣症患者の手術が行われた。それ自体は難しいものではないが、別件で事件の被害者という立場であるらしい。そのため患者の調書を取るなどいくつか協力要請が警察から医大へ来ていた。
もちろんその要請を無視しないが、だからと個人的に警察と関わりたいと思わない。そのため光秀はその患者を真琴と石黒に任せることにした。月城医大が誇るスーパードクターがいれば患者に何が起きたとしても対処できる。そして石黒なら警察に何を言われても黙らせるくらいはしてくれるだろう。
そして光秀はその日もインオペ患者の最後を看取っていた。助かる見込みのない患者に対して最善を尽くし、それでも亡くなれば敬意を向ける。その手の役目は若い医師には難しい作業だ。ましてや華やかな外見の人間には任せられない。その点で今河はとても優秀だった。
どんな患者にも別け隔てなく真面目に対応し、最後まで手を抜かず落胆もしない。心が鋼でできているかのように患者の死を乗り越えることもできていた。
「年末は亡くなる方が増えますな」
「年を越せないって、諦めちまうんだろうな」
誰もいない霊安室のそばで遭遇した今河と言葉を交わす。医学に対しては厳格な性格の今河は顔色ひとつ変えずにやってきた遺族を迎えた。そんな今河を尻目に光秀はエレベーターへ向かう。
世の中には諦めが肝心と言えることが多く存在する。しかし生きることを諦めてしまうというのはどれほどの絶望感から来るのだろうか。
日の届かない地下からエレベーターで地上に出る。そうして冬の弱い日差しを目にすることはできたが、光秀の中にまでその光は届きそうもなかった。
だがそんな弱い日差しの差し込む中庭に馴染みの患者を見つけて足を向ける。八十代の女性患者は内科に入院しているが、よく光秀に話しかけてくれた。
「こんにちは外科部長さん。柚餅食べる?」
「いただきます」
中庭のベンチにいる患者の隣に腰掛けると綺麗な和紙に包まれた餅をもらう。光秀は和紙を広げて黄色い餅を眺めた。
「冬至に柚餅を食べると厄除けになるそうよ。おじいさんが買ってきてくれたの」
この患者には同い年の夫がいるが、ほぼ毎日見舞いに来ているという。必ず午前中に来るため光秀は顔を合わせたことはないが話はよく聞いている。
師走の忙しない時間から切り離されたようにこの患者の周囲はゆっくりとしていた。そのため光秀もそれに合わせてゆっくりと話を聞いていく。
その中で不意に患者から質問が向けられた。
「外科部長さん、好きな人とはどう?」
まったく話したことのない話題に触れられて光秀は返す言葉に困る。すると患者は老いた顔を朗らかにほころばせた。
「十月くらいからかしら。若い患者さんの仲で噂になっているのよ」
そう告げた患者は笑顔のまま光秀を見つめる。
「雰囲気が丸くなったって。だからきっと恋人ができたのねって」
「そんなことは……」
「それなら片思いかしら?」
重なる問いかけを否定できず光秀は視線だけ背けた。十月という時期から考えれば、自分を変えた人物などすぐに思い付く。そして雰囲気が丸くなったとするなら、それは浮かれていたせいだと言える。
けれどその感情と思いは既に諦めて捨ててしまったものだった。少なくとももう魚住と連絡を取ることも会うこともない。