「いつもの2~3倍増しで怖くなってるぞ。その顔」
「………」
「確かに気持ちは判らんでもないが……、アキラ教官は人類最強って呼ばれてる人だって事、忘れてないよな? そもそも何でそんな人が今教官してるのか判らないが、それでも事実だ。ならおいそれとオレ達の様な訓練生が勝てる様な相手じゃないって事だろ」
今は絶賛反省会の真っ最中……ではなく、訓練を終えたその日の晩飯時である。
ずっとただ無言で食事を口に運び続けるのはアニ。いつも自分から話したり、誰かと話をしている様な場面をみたりは無い。連帯性に難があり、と言うのが彼女の評価だ。……だけど 会話である通りいつもの2~3倍は 《近付くなオーラ》が出ており その表情は般若そのものだった。
そんなアニに話しかけてるのはライナーである。
日中の格闘技の訓練を受けた。訓練と言うよりは 3対1ではあるが実戦。真剣勝負だった。……そして 1人の男に3人は完膚なきまでに負けてしまったのは 言うまでも無く 木剣を取る事も出来なかったから高得点はお預けになってしまった。
「……アンタは あそこまで完敗して悔しく無いんだね。図体デカいクセして、それでも男?」
「それは随分と辛辣なコメントだな。……別に悔しく無い訳ない。だが……
「あっそ。………御立派だよ。アンタは」
アニはそれ以上は何も言わず ただただ黙って食事を続け、ライナーも新たな決意を胸に秘めるのだった。
そして別のテーブル席では。
「エレン。昼の訓練の時の事だけど、ケガは無い? 大丈夫だった?」
「……ケガなんか無えよ。
「うん。……確かに そうだったね。傍から見ててよく判らなかったし」
あの4人の格闘訓練を横で見ていたミカサとアルミン。
過剰なまでにエレンの身を心配するミカサだが、あの訓練時においては何処か安心してみている事が出来た。
その訓練を受けて、その人間性に触れて、アキラと言う教官は ミカサにとっても他の教官とは違ったものがあると感じたから。
「くぁー! たったの1発の入らなかった!! くっそ……。こんなんじゃまるで駄目だ。……明日からはもっともっと頑張って訓練を続けて、あの技術も盗んでやる」
エレンもアニやライナー同様に、完膚なきまでに敗北をしてしまった事が悔しい様だ。……アニの様な怒の感情はあまり無い様だが相手の事を心底尊敬をしている様子も伺えた。
「技術もそうだし、アキラ教官のあの強靭な肉体も必要なんだって思うかな。何事もやっぱり身体が資本なんだって改めて思い知らされたよ。……僕もしっかり頑張らないといけないんだよなぁ。体力には全然自信ないから」
「それに、あの人は相手との呼吸の合わせ方も上手く感じた。位置取りの正確さや力の緩急も。力だけじゃなく技術も必要。そうも言ってる様に見えた。……エレンとライナーは空回りし過ぎ。いいように遊ばれたって印象も拭えない」
「うぐっ。はっきり言ってくれるな! 判ってんよ! それくらい!」
普段は 一部少々騒がしいのがいるが全体的に言えば比較的物静かに過ごしている訓練兵達だが、今日は随分と賑やかだ。その原因は大体が格闘術の訓練の際の話題ばかりである。
「……くそっ、あいつらが教官に贔屓目で見られるなんて事になったら」
その話題をあまり面白く無さそうにして聞いていたのは《ジャン・キルシュタイン》と言う名の訓練兵。
彼は素質は極めて優れていると言えるが、抜き身過ぎる性格が軋轢を生みやすいとも言える。
常日頃から、安全な内地で職務する特権階級である憲兵団に志願する事を堂々と公言している為訓練では上位の成績を目指していた。
昼間の格闘訓練はアニの言う通り点数は低く設定されているから骨休めに使っていたのだが……、突然それが覆された。結果的には誰も高得点を貰う事は無かったのだが、それでも一歩リードされてしまった感が拭えないでいた様だ。
だが。
「でも、一番点数が高いのは立体機動術だしなぁ。それにアキラ教官のアレを取るなんて、現状では殆ど不可能だし、まずは目の前の確実に取れそうな得点を狙うしかないかな」
「そ、そりゃそうだな! それしかないぜ!」
ふと、直ぐ隣で話しているのを訊いて、気を取り直すジャン。立体機動術を得意としているジャンにとって、それが一番最適だという事を改めて認識した様だ。
「でもよぉ、ジャン。立体機動だけど オレ直ぐにガスが無くなっちまって 届かない事が多いんだ。……どうすりゃいいかな?」
「そんな時は、一瞬だけ強めに吹かせばいいんだ。そうやって進もうとする慣性を利用した方が消費が少なく済むんだ。……でもまぁ 誰にでもできるってわけじゃねぇんだろうがな!」
すっかりといつもの調子に戻ったジャン。
そんな姿を ジロリと見続けるのはエレンだ。
アキラ教官との一戦は、確かに自分の力となった。点数には結ばなかったかもしれないが、決して無駄ではない。普段の数倍 濃密な訓練をする事が出来たのだから。
だが それでもアニが言っていた言葉が頭の中を霞め続けるのだ。
――巨人から離れる為に、巨人殺しの技術を高め続けている。
ジャンの姿を見て、最も巨人に有効な立体機動術の技術を高く持った者が 巨人から離れて内地へと行く。そんな光景は茶番にしか見えない。
「うーん。立体機動術って 本当の所は調査兵団にしか必要とされてなかったから、それだと立体機動術の技術は衰退しちゃう。……だから内地に行けるっていう付加価値をつけて技術の衰退を防ぐしかなかった、とされてるんだけど……それが壁の崩壊後の現在も続いているっていう原因は、権限を持つ内地の憲兵団の……」
アルミンはこの現状、自分なりの分析をエレンに話をしているんだけど、まるで聞いてない様子だ。ただ一点。ジャンだけを見続けていた。
完全に調子を取り戻してしまってるジャンは意気揚々と自慢話にも聞こえる様な話を続けていた。
「でも あんまりオレが立体機動上手いからって、言いふらすんじゃねぇぞ。競争相手が増えちまうからな」
「オイ……ジャン」
もう訊いてられなくなったエレンは ジャンに向かって声をかける。
「なんだエレン?」
「お前 おかしいと思わねぇのか? 巨人から遠ざかりたいがために、巨人殺しの技術を磨くって仕組みをよ……」
「……まぁ そうかもしれんがな。けどそれが現実なんだから甘んじて受けるほかねぇな。昼間のあんな例外は除けといたとしてもだ。何より オレのためにもこの愚策は維持されるべきなんだよ」
2人の相性は……頗る悪い。別に今が初めてと言う訳でもない。
今日はただいつもと違う展開だったから 暫くは平穏だったと言えるがいつもいつも顔を合わす度にケンカをしだす様な犬猿の仲なのだ。
だから、こんな言い合いが始まってしまえば……。
「このクズ野郎が!!」
「才能がねぇからってひがむんじゃねぇよ! テメェは精々不可能な事に挑み続けてろや! 今日の昼間みてぇによ!」
と、ケンカになってしまう。
本当にいつも飽きずにやっているのだ。己の方向性が全く真逆だからこそ。
「また始まったな……」
「またかよ。あいつら」
「ほんと、よくやるよなぁ」
周りも最初のころは止めていたのだが……次第に止める事は無くなって 見世物の様に眺めていた。
「だから!! その愚策が続いてりゃ、どうやって巨人に勝つっていうんだよ! できる奴らが内側に引きこもりやがって!」
「だから、巨人に勝つのが不可能だっつってんだよ! まだお前1人がアキラ教官に勝つ方が難易度低いってもんだ!」
「なんだと!? あの人は人類最強って言われてる内の1人なんだぞ! そんな人が巨人より弱い訳ないだろうが!」
「お前は、馬鹿か!? 巨人に勝つっつーのは 全滅させるって意味だろうが。どう考えたってよ! 一匹や二匹殺せる事じゃねぇ。いったいこの世界に何百匹巨人がいるかも判ってねぇのに、夢ばっかみてんじゃねぇ! ………………っ」
ジャンがこの時――ふと、視線を向けた相手はエレンではなく、ミカサ。
ミカサはこの事態を幾度となく見続けていた。最初はエレンの身を案じて止めていたのだが、最近はただただ呆れるばかりで、ため息を吐くだけに留めていたのだ。
そんな姿を見たジャンは……。
「ふざけんなよ!! てめぇぇ!!!」
「ハァ!??」
いまにも掴みかかりそうな勢いはエレンにあったのだが、ジャンが先にエレンの胸倉を掴み上げた。
エレンとジャンの間柄。その軋轢に拍車をかけていると思われる最大の理由が……ミカサにあったりする事は この中では誰も知らない事実である。
「この野郎……! そんなに強く引っ張ったら服が破けちゃうだろうが!!」
「服なんかどうでもいいだろうが!! テメェ……、うらやましい!!!」
「はぁ……? 何言ってんだ? お前、いい加減にしねぇと……」
ぐぐぐ、っと拳を上げたエレン。
だが、それを振るう前に見たのは アニ。そしてライナーの姿だった。
その姿を見てエレンは 自分が今は何者であるのかを 見直す事が出来た。
そして、今のジャンの姿もはっきりと見る事が出来た。
「(そうだ……こいつはただ感情を発散しているだけの、……今までのオレ自身だ。だが、オレはもう違う。……オレは兵士なんだ!)」
感情に任せてただ暴れるのではなく 辛く苦しい訓練を続けて会得する事が出来た格闘術を使う。それも 今の相手は木剣を、……武器を持っていない。
エレンは胸倉を掴み上げ続けるジャンの腕を取り、そのまま引っ張って首を取った。その勢いと合わせて脚を引っかけ ジャンの身体を地に叩きつけた。
だん! と言う大きな音が響く。それは身体が反転し背中から叩きつけられた為だ。ジャンは何が起きたのか一瞬判らなかったが、それでも背中に走る痛みは判った。
「いってぇな! てめぇ! 何しやがった!!」
再び立ち上がってエレンに詰め寄るジャン。エレンはただ冷やかにジャンをただ見ていった。
「今の技はな。お前がちんたらやってる間に痛い目に遭いながら学んだ格闘術だ。……楽して感情任せに生きるのが現実だって? お前……それでも兵士かよ」
エレンの言葉に――場の皆の表情が変わった。
いつものエレンではなかったから。ジャンも同じだが それでもどちらかと言えば感情に任せて暴れてるのはエレンの方だったから。
そんなエレンの言葉だったからこそ、強く響いたのだろう。
だが、響いたのは言葉だけではないのがこの場の全員にとっての不運である。
それを直ぐに思い知る事になる。
「兵士が何だって……? っっ!!!」
まず初めに気付いたのはジャンだった。
扉がゆっくりと開いたのだ。……それに、少しずつ開いていく扉の向こうで 目が光っているのを見た気がした。
半分程開いた所で誰が来たのかが判った。
大きな身体、睨んでいる訳ではないのに竦んでしまう様な丸く不気味な目。そして何より……見事なハゲ頭。
「……今しがた、大きな音が聞こえたが………。誰か説明して貰おうか……」
そう、シャーディス教官である。
普段のアキラの言い方から 忘れてしまいそうになるが、この教官は訓練兵にとって悪夢の鬼教官なのだ。怒らせてしまえば大変であり 更に言えばかなり成績に響いてしまう。その辺りは甘めであるアキラとは対極の存在なのだ。
暴れていた張本人であったエレンとジャンは まさに光の速さで元の席に戻って静かに俯いていた。死刑宣告を受ける間際にまで追い詰められた囚人の様な表情をしてる2人。
そんな中で、ゆっくりと手を上げるのはミカサ。
「サシャが放屁した音です」
「ええっ!?」
まさかの言葉。
サシャにとって、飯抜きにされかけた悪夢の教官に売られてしまった。
「……また 貴様か」
「!!!!」
恐怖で表情が引き攣ってしまってるサシャ。悪夢が呼び起こされる気分だった。
数秒間睨まれた後。
「……少しは慎みを覚えろ」
シャーディス教官は、今回だけは 小言だけで済ましてくれた。それはそれで奇跡だと言えるかもしれない。まるで死神の様なオーラを纏っていたシャーディスはそのまま部屋を一周すると 部屋から出て行った。
「ちょ……!! み、ミカサ……っっ!!」
「……ああするしか、助かる術が無かった。サシャだから あの程度で済んだ」
盛大に それでいて静かに抗議するサシャ。ミカサはただただ冷静にそう答えるだけだった。サシャ以外だったらもっと長くなっていた、と言い聞かせてるのだが 納得できそうにないサシャ。
「危なかったなジャン。つまんねぇ喧嘩で せっかくの憲兵団を逃す所だった」
「……しかし、困ったな。このままじゃ 収まりがつかねぇぞ」
「だろうなぁ。そうだろうそうだろう。ああまで言われちゃぁな。目の前の点数よりも 自分の男見せねぇと流石に廃るか」
「当たり前…………は?」
「え?」
本当にいつの間にだろうか。
エレンとジャンの席は木のテーブル挟んだ向かい合わせ。その間に……いつの間にか誰かが来ていたのだ。シャーディス教官が登場して、お通夜状態と言える程にまで静寂になっていて、誰もが動けなかった時に、いつの間にか……。
「ほんと、お前らはいつも騒がしいなぁ? 今までの訓練兵達も似たトコあるけど、また別格だ。お前ら」
「あ、アキラきょっっ!」
「なんで、いつの間にっっ!!」
そっと手を伸ばして、2人の口を塞ぐ。
そう、この場にやってきていたのはアキラ。シャーディスと一緒になってここに着たのか………? 或いは隠れてたのか? いつ来たのかは判らないが 判るのは 今間違いなくいると言う事。
「まーた騒いでハゲがやってきたら嫌だろ? 夜は結構機嫌が悪くなりやすいそうなんだ。後 ミカサ。今のはファインプレイだぜ。サシャの名を出すのは効果的だよ」
「はい。そう思ってましたから」
「ちょっ ふ、2人で私を……っ!!」
サシャは抗議しようと大きな声を出しかけたのだが……、アキラが口許に人差し指を当て静かにする様に促す。普段 あまりいう事を訊かないサシャではあるが、アキラの言う事は結構訊くので 直ぐに口を閉じた。
「解決方法ならあるじゃねぇか。とっておきのヤツが。取っ組み合いを認めてる時間があるんだし、そこで
「んなっ! 誰が負けるっていうんだ!」
「お前さん。真面目に受けてなかったろ? 立体機動でエレンが勝てねぇ理屈と同じだ」
ぐりっ とエレンの頭を撫でた。
「コイツは強くなってる。お前さんがひと泡吹かせんのは結構ムズイだろうなぁ~」
「ぬぐぐ……」
「オレはお前の調子が整うまでまっても良いぜ。ジャン」
「く、くそ……」
今の自分では格闘術の面においては圧倒的に力不足だという認識はジャンにもあった様だ。
だから 今は耐えるしかなかった。何よりこの施設内でこれ以上の騒ぎを起こしたくないから。
「ジャンも今日みたいなヤツ、やるか? 点ならやるぜ」
「……アンタにゃ 勝てる気がしねぇよ。それに 目の前の野郎に勝てねぇ様なままじゃ気が収まらねぇ!」
「そっか。まぁ 頑張れ!」
ひょいっと立ち上がるアキラ。
全員の方を見ると。
「多分、明日の訓練 普段より2~3割増しのモンになると思うから、今日は早めに寝とく事を薦めるぞー」
まさかの宣言だった。
皆、『ええ!! なぜ!?!?』の様な表情をしている。それを感じ取った様で。
「今回の騒ぎ。なんもお咎めなしにハゲがするとは思えんのよ。訓練内容に関してはオレは口出しせんし。今回のは所謂連帯責任ってヤツだ。怒るんなら、2人に宜しく」
殆ど全員の視線がエレンとジャンの2人に突き刺さり、針の筵になってしまってる。
大声を上げたがっている様だが、またシャーディス教官がやってきてしまえば、本末転倒なので、視線だけの抗議をエレンとジャンに向けるに留まっていた。
それを尻目に、アキラはと言うとまた移動。
「もー、機嫌直しなって。アニ。眉間に皺が出来るかもだぜ? 何度もにらんでたら」
「……別に、睨んでないですが。それにこれが普通だと何度も言ってますよ」
「オレには そうは、見えんのですが……。ま 良いか。いつでも 再戦の受付はしてるからな? 後 訓練も頑張れよ」
ゆっくりと立ち上がって戻ろうとしたアキラだったが、何かを思い出した様にアニに向き直した。
「ああそうだったな。お前のキック。めちゃ痛かったぜ。大したもんだ」
そう言うと アニの頭をぽんっと軽く叩いた。
そしてその後。
「それじゃあな皆。おやすみ~」
アキラは 部屋から出て行った。
殆ど躱した上に3対1でも負けた相手にそう言われても嫌味にしか聞こえてこない。教官だから、と言えば聞こえはいいかもしれないが、普段のアキラは教官っぽくないから 中々そう思うのが難しいのだ。
「…………………」
だが、ムカつくけれど、……それでも褒められる事自体は、そこまで悪い気はしなかったアニだった。