周囲を支配するのは闇。
ただの闇ではなかった。闇の中から霧の様な靄も出てきていたのだ。広がり続けており、それは一体どこまで続いているのか全く見当もつかなかった。
そして、此処には自分以外は何もなく誰もいない。この場に残るのは圧倒的な孤独感だけだった。歩いても、歩いても 何も変わらない。ただ 無限の闇だけが眼前に広がっていた。
それでも歩みを止める訳にはいかず、ただ只管に前を向いて歩き続けた。
その先に、何かがあると信じて。
――光がある事を信じて。
一体どのくらい歩いただろうか……、軈て1人の男が見えてきた。それは後ろ姿だったが、誰がいるのかは直ぐに判った。或いは、
『………なぁ、イアン。……確かお前、帰ったら オレと勝負するんじゃなかったのか? 確かほら、お前秘蔵の美味い酒があるんだったよな? 酒屋にキープしてるって自慢してたよな? ……それを賭けての勝負。互いに結構楽しみだったよな。皆も盛り上がってた。色々と苦しい筈だったのに、それでも笑っていたよな。……なぁ イアン。オレがもうちょっと帰るのが早かったら、お前は
目の前にいる赤毛の長身の男に声をかける。
その男イアンは、応える事なく、ただ前だけを見続けていた。その先は いったい何があるのか、何がいるのか、そもそも
そして、最初から傍にいたかの様に、イアンの隣にもう1人の男が現れた。
いや、霧が彼を覆い隠していたのだろう。何故かはわからないが、霧はその部分だけ消え去り、姿を現していた。
『……よぉ、ミタビか。……そうだったな。お前らの班は別だが、結構一緒にいる事が多かったっけ。……訊いたぜ。巨人相手に地上で、それも平地、開けた場所で勝負しようとしたんだってな? オレを見て『そんな自殺行為、一生絶対真似できん』って言ってた癖に……よぉ? お前らは エレンのヤツを守る為に。……個よりも人類を優先して。……心臓を、本当に………』
霧は徐々に晴れていく。
この周辺一帯の黒い霧が晴れ、無数の男達が姿を現した。
皆 見知った顔だった。そして嘗ての教え子たちもそこにはいた。
彼らは ただ一点を見続けていた。暗闇のその先を。
『……………』
その光景をただ黙ってみるしか出来なかった。
もう、言葉も出なくなってしまっている。言葉を失ってしまったかの様に。
軈て、ミタビとイアンがゆっくりと足を先へと進めた。それが合図だったかの様に、一斉にこの場の全員が前を向いて歩きだした。
―――行くな!!
そう叫んでいたのかもしれない。
ただ 言葉が出たのか、出なかったのか。それさえも判らなかった。
そして自由が利かないのは言葉だけじゃなく、足もだった。追いかけようとしても前に進まなかったのだ。
どれだけ力を込めても、どれだけ強く思っても 自分の脚じゃないかの様に脚が動かない。脳からの命令が一向に届かない。
『……………』
最後に見たのは、前を見て 歩き続けた男達の中でただ1人だけ 歩を止めて振り返った男がいた。 その男はイアン。
声が出ない。だから声の代わりに必死に念じ続ける。
『その先に行くな』と。
初めて その想いに応えたのだろうか、イアンは立ち止まり 軽く首を横へと振った。そして、僅かに振り返ると反対側の方向へと指をさし示した。
指示したと同時に、頭に声が流れ込んできた。
――お前が来るのはこっちじゃない。向こう側だ。
そう、言っていた。……そう 感じた。そして 充分過ぎる程伝わった。
『……オレは止まってられない、か』
認めると同時に声を発する事が出来る様になっていた。
そして 自分の顔に両手をゆっくりと宛がう。その後に離した掌には 塗した彼らが残した最後の欠片があった。
その欠片は僅かに光を放ち、その光がイアンが指示した方向へと飛び向かった。光を目で追うと。
――そこから先も、地獄だ。こちら側も そちら側も ある意味では変わらない。どちらも地獄。
また、声が聞こえてきた気がした。
『だろうな。……重々承知してるつもりだ。何度だって思う。この世界は………残酷なんだから、な』
絶対的な敵である巨人に囲まれた世界。
力が無ければ死ぬしかない修羅の場。
『――オレはこの世界で生きて、前に進み続ける。お前達の分も。……オレは決して忘れない』
この世界に落とされ、もう6年と言う年月。
沢山の出会いがあり、そして別れもあった。何度も、何度も……。
――本当に、耐えられるのか? この絶望の世界で。……本当に抗えるのか? この残酷な世界で。
また、声が聞こえてきた。
これは一体誰の声だと言うのだろうか? もう 見えなくなった彼らの声?
いや、その誰とも違う。
――本当の意味での絶望を、お前は
続く声。そして その恐れとは一体何のことだろうか。
頭に疑問が浮かぶ。
確かに、恐れる事は沢山ある。巨人もそうだし、何よりも自分自身が傷つくよりも、仲間達が傷つく事が恐ろしかった。ここまで自分自身を顧みない様になったのは一体何故かはわからないが、それ以上に怖かった。仲間達を失う事が
『――――っ!!』
自分自身が最も恐れる事を実感したその刹那、視界が急に眩く光出した。
目も開けられない程の強烈な光は一瞬で闇を払う。闇の世界から光の世界へと変貌させたのだ。
瞼から感じる光がやみ始めた所でゆっくりと目を開く。
目を開いてみれば自分は森の中に立っていた。
『………ここは?』
そこは見覚えのある風景。巨大樹に囲まれた森の中。
そう――この場所は。
――私は……決して屈しない。
『っ!?』
目の前に誰かが通り過ぎるのを感じた。
それは、見覚えのある顔。両目の下の雀斑。ショートの黒い髪。
『……イルゼ?』
そう、この世界で初めて出会ったイルゼだった。
森を抜けようとしているのだろう。彼女は自分の目の前を走っていったのだ。自分に気付かずに。
――街への帰還は……絶望かもしれない。それでも、今私が取るべき行動は恐怖にひれ伏す事じゃない。……この状況も調査兵団を志願した時から覚悟をしていたものだ
それは、頭に直接流れてくる声。……彼女の心の声だった。
――私は死をも恐れぬ人類の翼。調査兵団の一員。たとえ、たとえ命を落とすことになっても、最後まで戦い抜く……。
必死にペンを走らせ、状況を記録し続けるイルゼ。
そう――この光景は過去のもの。イルゼがこの後に巨人と遭遇し、そして自分と出会った。覚醒した後の初めての出会いだった。
『これは、過去の記憶……?』
今眼前の光景は過去の記憶である事を認識し始めるが……何処かが、何かが違った。
イルゼとの出会いは鮮明に覚えている。全てが初めて尽くしだったからより鮮明に覚えているのだ。
自分自身の記憶は、彼女が巨人への怒りを、絶望的な状況でも決して臆さずに啖呵を切った事だけの筈だ。
だから、出会う前の記憶など、イルゼの行動など判る筈がない。自分の記憶の中に持ち合わせている訳がない。
『いったい、何が……? いや、それよりも……』
――何で、イルゼはオレに気付かない?
つかず離れずの距離を保っているイルゼ。
何度か呼び、そして目も合った気がしたが、それでも イルゼは反応は無かった。先程の彼らでも応えてくれたと言うのに。
イルゼは……この後どうなっただろうか。走り続けた後は?
――巨人に……遭遇。
そう、イルゼは ここで巨人と遭遇してしまったのだ。6mと言う圧倒的な体躯の差を持つ化け物と対峙してしまった。
『っ! そ、そうだ。……ここで、オレが…………!!!』
ここで、信じられない光景を目の当たりにしてしまった。
あの時の啖呵。『この世から消え失せろ!』と言う怒りを向けて、それが巨人の何かに触れたのか、或いは気まぐれだったのかは判らない。
判らないが――巨人はイルゼを襲ったのだ。
そのイルゼの身体よりも大きな手で、彼女を掴んだ。
そう、この場面は見覚えがある。この後に助けに入る――筈なのに。
『っっ!!! い、イルゼ!!!』
誰も来ない。
何も……無かった。あの巨人の背後から 一撃を喰らわせて、イルゼを助ける、助けた筈だったのに。周囲にはイルゼと巨人しかいなかったのだ。
イルゼは……抗う事が出来ない。
『や、やめろ………』
イルゼは、懸命に走るが………巨人からは逃れる事が出来ない。
『やめろ………』
武器も無く装備の一式も無い。そんな状態で狙われてしまえば。
『やめろぉぉぉぉ!!』
人間は――無力だ。
巨人は、イルゼの頭に喰いついた。
手で必死に抗っているが、力では敵わない。そのままイルゼの頭は噛み砕かれて、血飛沫が宙に舞った。
ぱきっ、ぺきっ
耳障りな音を奏でながら、イルゼを喰らい続ける巨人。
『あ……、あ……………』
そして―― 全く動けなかった自分自身。
手を伸ばしても、届かない。足を動かしても、追いつけない。
ただ、死んでいくのを眺める事しか出来なかった。
そして……また、風景が変わった。
『ぁ、ぁ……、ぺ、ぺと……ら?』
イルゼと巨人の姿が無くなったと思えば、目の前にはぺトラが立っていた。
なぜか、その表情は微笑んでいた。
――大丈夫……、大丈夫だから………。
ゆっくりと抱きしめてくれる。
そして、その周囲にはリヴァイを除いたリヴァイ班の皆がいた。ぺトラだけじゃない。
オルオが、エルドが、グンタがいた。
特に長く共に戦ってきた。特に多くの時間を共有してきたかけがえの無い仲間達だ。
いや――仲間と言うより皆は………。
どごんっ!
『っっ!!』
突然の、事だった。
突然現れた巨人にエルドが踏み潰された。
『ぁ……ぁぁ………』
他の3人は即座に迎撃態勢に入るが、今までの巨人とはくらべものにならない程早く、正確な攻撃をしてくる。大樹とも呼べる凶悪な脚が、グンタの身体を蹴り抜いた。
凶悪な拳が、オルオの身体を砕いた。
『ぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁ……』
そして―――。
――大丈夫、大丈夫だから……。
ぺトラに迫る凶悪な顔。
大口開いて迫る巨人。それは珍しい女型タイプの巨人だった。
ぺトラの身体を有に超える大口は、一瞬の内に彼女の身体を喰いちぎ……。
『ぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!』
彼女達の血で身体が染まったと感じた途端に、一気に覚醒した。
「………………ああああああああああああ!!!!」
身体が、跳ね起きる。
滝の様に流れ出る汗で、視界が塞がる。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
窓からは、太陽光が自身の身体を照らし、包み込んでくれているが、今の彼には何も判っておらず、寧ろその温もりさえも強烈な不快感を感じてしまっている様だった。
「はぁっ、はぁっ、こ、ここ……は……?」
流れ続ける汗を拭い、目元も拭い周囲をゆっくりと見渡した。
混乱し続ける頭で必死に自分がいる場所を確認しようとしたその時だった。
「ちょ、あ、アキラ!? 大丈夫っっ!?」
勢いよく開かれる扉。
そして、飛び込んできたのは……。
「ぺ、ぺと………ら……?」
「大丈夫なのっ!? 突然叫ぶなんて一体どうしたのっ!?」
慌てて駆け寄ってきたのはぺトラだった。
間違いなく、彼の目の前にいるのは…… アキラの目の前にいるのはぺトラだった。
「っ………」
「アキラ!? ほんとに、どうしたの!?」
アキラの両肩を持って揺さぶるぺトラ。
触れられた肩。ぺトラの暖かさが肩に伝わる。間違いなく生きているという事がこの時初めて理解する事が出来た。
だから……、アキラは咄嗟にぺトラのその手を取る。
「え………、―――っっ!!?」
「ぺトラ……! よかった………、よかった……っ!」
思い切り、自分の方へと引き寄せると、その身体を抱きしめた。
紛れもない。アレは夢だったのだと、悪夢だったのだと、自分に言い聞かせて、そして 目の前のぺトラは間違いなく生きているのだとも言い聞かせて。
突然抱きしめられた事に混乱してしまうのはぺトラ。
それも仕様がない事だろう。
アキラは、あの後も戦い続けた。
蔓延る巨人を薙ぎ倒し、皆の援護にも回り、更に復興関係にも力を入れていた。
とある厄介とも言える案件も重なって、その疲労度は今まで以上だと言う事もよく判った。だから、アキラには休息を強引にではあるが リヴァイ兵長権限で取らせたのだ。
これは珍しい事ではない。そして 休息を取らされた? アキラが泥の様に眠るのも珍しい事ではない。
有り得ないのは――今の現状。
「っっ~~~!!(な、なに!? い、いったい、なに?? なんでっっ!? あ、あき、あきら近いっっ、あきらがちかいっっっ!!)」
脳内がパニックを起こしてしまっているのがよく判るぺトラ。
アキラが抱きしめる力が非常に強い為、振りほどこうにも振りほどく事が出来ない。……いや、振りほどくつもりなど、毛頭ないのかもしれない。だけど次のアキラの言葉を訊いて、脳内が冷却される事になる。
「無事で……、ほんとうに………」
「え……っ?」
無事で良かった。
アキラが言っている言葉だ。
いったい何の事だ? と思ってしまうぺトラ。アキラのお目付け役として、イルゼもそうだが、互いに監視して無茶をしない、させない事を貫いて作戦に当たっていた。それでも犠牲者0とまではいかなかったが、それでも 壁の穴を塞ぐ事が出来た事もあって 比較的安全に制圧をする事が出来た。
だから、アキラがそこまで心配する理由が……判らなかった。
そして、新たに来訪者が訪れる。
「あ、アキラっ!? 今の悲鳴……って、ええっ!?」
次に入ってきたのはイルゼ。
比較的直ぐ傍の部屋で作業をしていた為、イルゼ自身もアキラの悲鳴を訊いていたのだ。だが、ぺトラの方が数秒部屋に入るのが早かった為、今現在に至る。
「な、なんでぺトラと抱き合って……!? な、何してるのよ!!」
「い、いや、これはそのっ! ち、違って」
「なにが!! ちょっと、今だって色々と仕事とかがあるのに……って、わぁっ!?」
イルゼが傍に来た。
イルゼも無事だった、と言う事を理解したアキラは、イルゼもぺトラ同様に抱き寄せたのだ。傍から見れば、非常に贅沢な両手に花状態になってしまっているが、アキラは構う事は無い。
「……すま、ん。少し、少しだけ……、こう、させてくれ……。イルゼ、ぺトラ……。本当に、良かった………っ」
イルゼは当然ながら、最初のぺトラ同様に 盛大にパニックになったのと同時に顔を真っ赤にさせていた。
最後には、混乱は残りつつもぺトラとイルゼの2人は アキラの背中を摩っていた。
その身体が震えている事に気付いたから。
そして、異常とも呼べる力を身に纏わす超人と呼ばれているアキラも、人間なんだ。同じ人間なんだと、判っている事であっても今また改めて心に刻み付け、そのアキラの震える身体が収まるまで、2人はアキラの事を抱きしめ続けるのだった。
前書きより続き。
ぶっちゃけ ただぺトラとイルゼを抱きしめさせたかっただけに作った話。
自然に2人を抱きしめるのは、今の所はこうするしかないかな? と。
前の話で、あれだけ恰好付けた癖に、と自分でも後悔……はしてません。
抱きしめさせたかったので(苦笑)