女型の巨人は完全に白骨化し、熱気と蒸気だけを噴霧する骸へと変わり果てていた。
つまり、殆どの者が中身諸共喰い尽された、と判断してしまうのは当然だろう。それを確認した後にエルヴィンは総員に撤退命令を出した。
無数の巨人は全て女型の巨人の残骸に集中している為、その間に馬に乗り、西方向への離脱。つまりはカラネス区へと帰還する事。それが今作戦最後の命令だろう。あえて付け加えるとすれば『無事に』帰還する事だ。
「おい、エルヴィン。アキラとも話したが 審議所であれだけの啖呵きった後でのこのザマだ。このままのこのこ帰った所で、エレンやオレ達はどうなる?」
「それは帰った後で考えよう。今はこれ以上の損害を出さずに帰還できるように尽くす。ただそれだけだ」
「それによ、どうにかなりそうな事するんだったら、次回はリヴァイじゃなくオレが盛大に暴れてやれば良くねぇか? あぁ エレン――人を甚振るんじゃなくて、物な? すっげぇ笑顔で審議所の柱とか壁とか どっかーんっ! ってヤったらよ? メチャ引きつってるあの連中の顔が直ぐに出てくるわ」
「……それだけは止めろ。無駄な出費が掛かる事しか思い浮かばん。建設費もある。……アキラが負担するか?」
「バカによるバカな対応策だな。バカな発言だ。だがピクシス司令だけは笑ってそうだ」
「バカバカ言うんじゃねぇっての。……割とマジなんだけどな。壁ン中でフン反り帰ってる連中が、外で働いてるオレらの生殺与奪握ってるってのも、割とムカつくし」
審議所での話。エレンの今後の処遇についてだ。
死罪……あわや解体、解剖までもっていかれそうな勢いだったのをリヴァイとアキラ、最後はエルヴィンの進言で止めた。明らかにエレンの力は ここ100年の間では見られなかったもの、貴重過ぎると言うのに、あっさり考えるのを放棄している中央のメンバーを見て、嫌悪が走った所で 中の者は兎も角、調査兵団所属であれば誰も文句は言わないだろう。
「私情を抑えろアキラ。お前の力は外に発揮するもので内側ではない。……内側の件は私の仕事だ」
「……そう言われちまったら従う他ねぇってか。エルヴィンの仕事は一番疲れそうだ」
アキラは両手を上げる。当然エルヴィンのこれまでの仕事っぷりを見てきたアキラはその難易度、つまり 異常なしんどさだったよく判るつもりだった。つまり、自分自身にやれる事ではない、と思っていたと言う事だ。適材適所とはこの事だろう。
「さて、オレらは班の所へ戻る……いや、呼んでくるぞ。奴ら、そう遠くに行ってなければいいが……」
「そうだな。極秘だったとは言え、あいつらには何も話してないんだし……、詫び入れねぇと後が怖いか、オレら」
「……安心しろ。ヤられるのはお前だけだ」
「何1つ安心出来ねぇよ! なんでオレだけっ!? しかもヤるって!?」
抗議しつつも頭を掻きながら アキラは視線を仲間達がいるであろう方向へと向けた。
これは、本当に偶然だった。
死骸の蒸気で視界が異常に悪い状態で、
「まて。リヴァイはガスと刃を、アキラも刃は兎も角、ガスを補充していけ」
リヴァイと共に向かおうとした時。エルヴィンの指示が背中越しに聴こえた。
「時間が惜しい。十分足りると思うが……なぜだ?」
「これは命令だ。従え」
「………了解だ。お前の判断を信じよう」
リヴァイは直ぐに了解をし、ガスを補充しに行こうとしたが、アキラに止められる。
「わりぃ、リヴァイ。お前さんのガス、ちょっと分けてくれねぇ?」
「……何?」
「オレら2人でガスと武器補充しに行ってたら、結構時間かかるだろ? ……この場からさっさと動けて、かつエルヴィンの命令違反にならねぇのはこれしかないって思ってよ」
「個々のガス受け渡しはそれなりに面倒だし、圧力が低い分遅くもなる。そっちの方が時間がかかりそうだが?」
リヴァイは、懐疑そうな視線をアキラに向けるが、アキラの眼は真剣そのものだった。
「……全然使ってねぇから少し補充すりゃオレのが満タンになるんだ。時間はあんまかからねぇよ。……頼む」
「……ちっ、仕方がねぇな」
何かを感じ取ったのだろう。そして、説明をする手間も惜しいとも同時に感じられた。だから、リヴァイはコネクトチューブを取り出し、自身のガスボンベへと接続、片方をアキラに渡した
「エルヴィン。アキラにガスを渡す。……どうやらコイツが殆ど使ってなかったってのはマジみたいだから ああは言ったが 少なくともアキラが動き出すのに時間はあんまりかからねぇ。……これでも良いか?」
「……ああ。それで良い」
エルヴィンの了承も経て、これで命令違反ではない、と言わんばかりにアキラはエルヴィンの方を見た。
数秒程見た後、自分自身のガス補充が完了する。それを確認した後にアキラは言った。
「エルヴィン。……オレには
「………」
「行く。……良いよな?」
「ああ。行け。リヴァイ班を引き連れ、森の西側へ。可能な範囲で陣形が整うのを待て」
「ああ」
アキラは頷くと跳躍した。
ガスを使う訳でもなく、木々の合間を縫って跳躍を続ける。勢いがなくなりそうになれば、その度巨大樹を強く蹴り、勢いをつけて飛び続けた。
「……そういえば、アイツに立体機動装置はいらなかった。……そもそも使い方下手糞だってのも忘れてた」
リヴァイは、アキラが向かうのを見送った後にそう愚痴る。
「エルヴィン。……従うが後で説明はしてもらうぞ」
「ああ。判っている」
リヴァイもこの場から移動。勿論 ちゃんと立体機動装置を使って。
巨大樹の森上空に一斉に信号弾が撃ち放たれる。
木々のせいで見えにくいかもしれないが、無数に放たれた煙弾は 誰の目にも止まる事になった。
『総員撤退、馬に乗って帰れってさ』
『はいっ!』
『なんだ……? 終わったのか……?』
『みたい……だね』
『帰れる! やった!!』
それを目撃した全員が一斉に行動を開始。
安堵する者、まだ状況が掴みにくく、仲間達に引っ張られる者、油断できないと言わんばかりに無口になっている者、ただただ歓喜する者、と心情は人それぞれの様だが、兎も角留まる事を止めて馬へと飛び乗っていた。
それは勿論リヴァイ班も同様だ。
一番最初にグンタがそれを目撃。
「どうやら終わったようだな。馬に戻るぞ! 撤退の準備だ!」
初遠征のエレン。まだまだ表情が硬いが安堵している事は間違いないだろう。
「………ッ」
「だ、そうだ。中身のクソ野郎がどんな面してるか拝みに行こうじゃねぇか」
「……そうね」
「ぺトラ。お前はアキラの面先に見て来いよ。時間オーバーした~ って震えてるかもだぜ」
「……オルオ。その喋り方止めろ!」
ある意味図星だったのだろう、表情が少しだけ吊り上がってるぺトラ。
時間内に帰ってくる、と言う制約を力いっぱい約束させたのはぺトラだ。アキラはこれまではちゃんとそれを守って行動してきた。……今回は異常な相手だったと言う点はあっても、アキラ自身が無理していい訳はない。とも思っている。立体機動装置を使えば 無理ない範囲で逃れる事だって出来る。仲間達を頼る事だって出来る。
「(……ほんと、全部背負おうとするんだから……)」
アキラが仲間を頼ろうと思ってない訳がないと言うのは知っている。だけど、誰よりも優しいから こんな異常な相手が来た時は自分自身で決着を付けようとするんだ。壊滅させられた班を見た筈だから、それがより全面に前に出てきただけの事だろう。
その気持ちはぺトラだけじゃない。長らく共に戦ってきたメンバーであれば誰もが判っている。
「まぁ まだオレらはアキラに比べたら小さいもんだ。この中で一番近いのはエレンじゃないか?」
「ええっ!? お、オレですか?? そんな教官に近いなんて……」
「阿呆。その巨人になれる力に経験が加われば、って話だ。今のお前じゃオレ等の足元にも及んでねぇよ」
「本当に偉くなったもんだなオルオ。初陣でションベン漏らしてた奴とは思えねぇよ」
「「!?」」
そんな中でのエルドからの突然の爆弾発言。
「えぇっ!?」
「バカか!! 何言ってやがる!! それに、オレのが討伐数とかの実績は上なんだが!! 上なんだが!!」
さっきまでの格好付けていたオルオは見る影もなく、ただただ喚いていた。
「だが、事実だ。ああ、因みにオレは漏らしてないからな。オレの知る範囲で漏らしてないのは、アキラと兵長は当然として、後はグンタとオレだけ」
「えっ…… てことは……?」
エルドの話を訊いて、ゆっくりと振り返るエレン。その先にいるのはぺトラさん。
話を訊いてなかったのだろうか、ぺトラはキョロキョロと周囲を見ていた。『一体何事?』と言わんばかりに。でもその内容を知った時にはどうなるか……火を見るより明らかだ。
「ぺトラさんもですか!?」
「え……? な、なにが??」
女の人にそんな事を訊くなんて…… って思ったりもするが、エレンも大概まだ子供。そんな気遣いが出来るのであれば、とうの昔にミカサとちゃっかりくっついていた可能性が大である。
ぺトラがまだ気づいてないのは良い事……なのだが、しっかりとここの導火線も付けようとするのがエルド。
「初陣でションベン」
「うぎゃああああああああ!!! な、なんの話してんだぁぁぁ!!!」
「訊いてなかったヤツが悪い」
「話すヤツが悪いだろぉぉぉ!!威厳とか無くなる!! っっ!!!」
ここで漸くぺトラはある事に気付けた。
この暗黒の歴史――エレンには知られてしまったが、まだ知られてない人がいる。付き合いが凄く長いのに、それでも知られてない奇跡。
「エルドお前ぇ!!! ぜーーーーったいこれ以上言うな!! 言ったらマジで千切る!! 千切るからなぁ!!」
誰に? と聞くのは野暮と言うものだ。
でも、流石に殺気全開で言うぺトラを前にして、『アキラの前でか? エレンにも知られたし、もう別に良くね?』とは言えない様子。
喚いてたぺトラだが、それも直ぐに息を潜めた。数度呼吸をして息を整えた後に これでもか! と声を深く沈めてエレンに一言。
「エレン……。あなたも判ってるよね……? 喋ったりしたら……」
「わ、わ、わかりました!!」
そう言う以外他に答えは無いでしょう? と誰に弁明する訳でもなくエレンは即答。
実の所、エレンは『空中で撒き散らしたんですか!?』と勢いで質問をする所だった。壁外遠征における巨人との戦闘なら、地上にいたとは考えにくい。つまり普通は空中戦。思わず漏らすような場面は当然巨人に捕まれそうになって、殺されそうになった時の確率が高い。
と、割とどうでも良い事を考えてしまうのも 撤退命令が出たからの気の緩みからだろう。
「お前らピクニックにでも来てんのか!?壁外なんだぞ! ちっとは注意しろよ!! あぁ、因みにエルドの言う通りだ。オレは漏らしてねぇからな!」
「その話題から離れろぉぉぉ!!! お前も千切るぞ!!」
「キャラ変わり過ぎだっつーの! ほれ見ろ! リヴァイ兵長かアキラの連絡だ。信号弾、撃つぞ」
言い合いが続いた後、空に伸びる信号弾に気付いた。
比較的に傍だった事もあり、リヴァイかアキラのどちらかだろうと考えたグンタはこちらからも信号を出そうとしたのだが、次の瞬間、煙弾が上がった方向とは真逆の方から轟音が聞こえてきた。
反射的に全員が後ろを振り向くが、そこには誰もおらず 巨大樹が薙ぎ倒されているだけだった。
「おおっとー、ちょい待ちグンタ。信号上げるな。リヴァイは今ガスと刃補給中。ここにはいねぇ。
倒れた巨大樹。倒れた原因は直ぐに判った。思いっきり踏み台にしたからだろう。強引な移動術。巨大樹を蹴って勢いよく空中疾走。その速度は余裕で立体機動装置の速度を上回るのだが、難点が当然ながらある。蹴った物は巨大樹だろうが建物だろうが、倒壊してしまう可能性が高いと言う所だ。
倒れてしまっては、他の兵士達が使用する事が出来ない、つまり立体機動装置が活かせない環境に陥れてしまう。結果、最悪の事態に陥る可能性も捨てきれない。
だから当然それなりに使用条件は決めていた。急を要する時以外は使わないようにと。
ここに戻ってくる際に、それを使ったと言う事は急を要する事態が起きている――と理解が出来る。……普通ならすぐに出来るのだが。
「なんか、楽しそうな話が聞こえてきたぞ? お前ら余裕だなぁー、ま それくらいリラックスしてた方が良いか。固くなるよりはぜんっぜん。こっちにゃ、初陣。
戻ってきたのはアキラだ。
これだけ待たせておいて陽気に振る舞ってる所に加えて、現状では禁止ワードに近い発言が含まれていると言う事。初陣――と言う言葉にピクリと反応。更に誰が戻ってきたのかも合わせて、更に過剰反応。
「………」
「遅くなって悪かっ――」「キェェェェ!!」「――っおぁ!!?」
木の上から 野生? のぺトラが飛びかかってきた。
「な、なにすんだ! ぺトラ!」
「チョエァァ!!」
「こらーー! ナチュラルに目ェ潰しにくんなっっ!!」
奇声を発するぺトラも可愛いかも……… と思ったり 苦笑