疑問。
俺は頭にハテナを、疑問を抱いていた。その原因とも言えるものは不覚にも視界の中にあった。それは勿論、宙に浮かぶ葵にではない。寧ろそっちは今すぐにでも助けるために、俺の体が動いている。解決している。
俺が言いたいのはそれではない。
何故、―――――高見沢が居るのかということ。
小綺麗に着たスーツ。にもかかわらず不清潔な髪。嘘なのか本当なのか分からない口調。まさに、この世界へ飛ばされる前に会ったアイツがいる。幻覚ではない。妄想でもない。錯覚でもない。むしろそうであって欲しかった。が、現実は違う。実際に、俺の視界には高見沢陽一、本人が存在した。あろうことか、葵を飛ばした張本人であった。
何がしてぇんだ、あいつは・・・・?
異世界へ飛ばして、その世界で救世主《ヒーロー》にさせると言って、事件を解決することで注目を集めさせて、噂が広まれば音信不通。久々に電話がかかってきたと思えば、葵の正体を吐き、融解・結合《メルト・フィーリング》の説明や、俺の人生が決められたものだということを告白してきた。
わけわかんねぇ・・・・・。
俺が運命の歯車の上で動かされていたってのは別にどうだっていい。俺の選択がどうであれ、運命で決められた結末を迎えるのなんて、どうでもいい。
只、俺が疑問に抱くのは、味方とは思ってねぇけど、一時的に協定を築いたはずの高見沢が、俺の邪魔をするってことだ。
あいつの目には、一体どんな未来が見えてんだ?
葵を吹き飛ばすことに意味があんのか?
救世主《ヒーロー》にすることは、あいつにとっても利益なんじゃないのか?
どう解釈しても、どう理解しても、解読できねぇ。何がしたいのか、どうしたいのかの意図が掴めねぇ。
怖いくらいに冷静に働く俺の頭脳でも、あいつの考えは読めなかった。
あの行動に何の意味があるのか理解できない。
でも、今は考えるべきじゃないな。葵を助けよう。
能力を解除しているが、この一瞬停止した空気なら、通常の俺でも葵を助けられる。外野フライを取る要領で全力ダッシュ。ごめん、葵。お前をボールに例えるつもりじゃねぇけど、この方が伝わりやすいからさ。
余裕だった。ミシャルという少女は突然の光景に、固まったままだ。まぁ部外者が乱入したんだ。しかも、関係ない人物が。そういう意味では彼女は悪い人間ではなさそうだ。
ともかく、俺は自由落下する葵を傷つけないように優しく包み込む。卵を割らないように掴むように。ガラス細工をこの胸に抱き込むように。まぁ、葵はガラス細工なんかより綺麗だけどな。
何だろうな、今この瞬間において、彼女が愛おしく感じる。離したくない。離れたくない。抱きしめていたい。抱きかかえていたい。温もりを感じていたい。体温を感じていたい。
我侭なんだろうか?高慢なんだろうか?それとも性欲?物欲?独占欲?
ともかく、優しく抱きしめた葵をすぐ離して安全な場所へ移動させれば問題ない。
しかし、この瞬間を待っていたかのようにミシャルは触手で攻撃してきやがった。今離せば葵は怪我をしかねない。それは困る。傷物になんてしたくない。別段、葵を「物」扱いしたいわけじゃない。大切にしたいんだ。
だから、俺は理性で行動する。
動物的思考には、「葵を離せ」と出ている。戦いに集中するためには葵を置いてくるべきだと。勿論、それは正論だ。だが、この時の俺は我侭だ。
この手に感じる感触。柔らかく、華奢で、それでいて暖かい感触。簡単に壊れてしまいそうなのに、壊してしまいたくなるほど愛おしいのに、相手も壊してくれるのを望んでいそうなのに、壊さないように慎重に扱うこの感情。
矛盾なんだろう。
抱き寄せて、強く抱いて、体温を感じて、感触を堪能しながら、俺は迫り来る攻撃を避けていく。心の中から溢れ出る力。愛の力か?
ノーマル状態にもかかわらず、身軽な動きだ。自分でも驚く程に軽やかだ。それは葵を抱きしめて堪能しているからか?だとすればそれは性欲の力だ。はぁ、やっぱ俺は雄なんだな。まぁそれでもいい。葵を救えるならば。
しかし、俺は誤算に気づかなかった。動物的思考に頼れば良かったと後悔するだろう。人間的思考、つまり理性で動くべきではなかった。
余裕は、高慢は、人を堕落させる。
もう一度やり直せるなら、こんな結末を変えたい。
俺のこの手で変えたい。
何もかも、最初から―――――――――
「―――――――――っ!!!」
明敏は絶句した。目に映る光景を否定するために。受け入れないために。理解せず打ち消すために。
「あ・・・・・・・・・」
彼の胸の中で驚愕に目を見開く少女。激痛も、苦痛も感じさせない瘴気のない目にも、確実な死を確信していた。
無理もない、彼女、如月葵の胸を複数の触手で束ねられた槍が貫いて、明敏ごと串刺しているのだから。
「アキト!!」
「なっ―――――!!」
その場にいた全員が言葉を失う。しかし、高見沢だけは、不敵に微笑んでいた。
「あ・・・・おい・・・・?」
「・・・・・・・・・」
明敏の呼びかけに反応するように、目線を向ける。しかし、彼女の目からは「大丈夫。」と言わんばかりに落ち着いた表情を見せる。
―――――悲しくない。
―――――寂しくない。
―――――大丈夫。
明敏にはそう言っているようにも見えた。だが、それが彼にとって胸を締め付けるほどに悲しい。寂しい。
触手の槍が彼らの体から引き抜かれると同時、葵の体から電源が切れたかのように力が抜ける。
「葵・・・・!!!!!」
明敏は落とさないように、無くさないようにしっかりと抱き留める。そこで彼は初めて目にする。
―――――彼女が人間ではない証拠を。
貫かれ、穴のあいた葵の胸元。本来なら、肉や骨が見え、見るに耐えないはずなのだが、そこには動線や配線、何かの管や破損したチップのようなものが見えていた。驚くことはなかった。何せ事前に報告は受けているからだ。
彼女は人間ではありません、と。
疑ってはいない。疑わないように誤魔化してもいない。受け入れていた。彼女が人間でなくとも、それでもいいと思っていたのだ。例えそうであっても葵を愛せる、と。
だから、彼の手が震えている理由はそんなちっぽけな理由ではない。
「あお・・・・い・・・・・・葵!!」
腕の中で力なく抱きかかえられている葵。幾ら呼びかけても反応を示さない恋人。体を揺すり大切な人の意識を取り戻させようとするも反応がない。
―――――――――死んだ。
無情にも、薄情にも、異状にも明敏の頭の中で渦巻く答え。それを打ち消すように何度も呼びかけ、何度もその華奢な体を揺する。壊れてしまいそうなガラス細工。力を入れれば割れてしまいそうな卵。しかし、そんな脆くも儚い恋人を壊れないように、ともすれば壊れてもいいから生き返って欲しい。息を吹き返して欲しい。
明敏は、懸命に呼びかけを続けた。だが、それも次第に状況を理解し把握したように、口は閉ざされていった。
「・・・・・・・・・・・」
長い沈黙。しかしそれは彼の体感であり、現実のものとは違っていた。
「心配すんな・・・・・・」
ぽつりと呟く声。口を開いたのは明敏だった。震える声音は彼の心境を示していた。そして、彼の心境を示すように体から真っ白い炎を浮かび上がらせる。
「一人には・・・・・・・・・・させねぇよ・・・・・」
か細く、崩れる一歩手前のような声。今、彼を一突きすれば壊れていくのだろう。しかし、融解・結合を発動させた明敏には壊れることはないのかもしれない。
意識のない、力の抜けた葵の体を、明敏の真っ白い炎が包んだ。彼女の輪郭が薄れ、少しずつ存在が消えていく。分子レベルで、原子レベルで分解されていく。
明敏は少しずつ消えゆく葵を、まるで眠った恋人を眺めるような瞳で見送った。
「・・・・・・・・・・あ・・・・・・・が・・・・・・・と」
弱々しい声が、明敏の鼓膜を揺らす。それは今現在、彼の胸の中で、彼の能力で少しずつ消えていく葵からだった。
「葵、心配すんな。お前を死なせねぇ」
明敏は運命に抗うような目付きで、葵を見つめた。彼女はゆっくりと顔を上げ、明敏を見つめた。その瞳は―――――喜んでいた。
「あり・・・・がと・・う・・・・」
彼女の口から感謝の旨がでた。明敏は疑問を抱きはしたが気に留めなかった。何故なら分かっているからだ。彼女が感謝する理由。自分の体が消えていくことに疑問を持たない理由。
「これ・・・・・で・・・・・ひと・・・つに・・・・・・・・」
だからこそ明敏は、表情を変えられなかった。眠る恋人を見守るような表情から。もし変えるとすれば、どんな表情筋を駆使しても一つの表情にしかできないからだ。
葵の体は残すところあと僅かだった。彼女の目には涙ひとつ浮かばず。泣きそうな顔一つ見せず。恋人であり、大切な人である明敏の目を一心に見つめていた。
「・・・・・・・・・ね・・・ぇ・・・・・・・」
葵は消え入りそうな声で、明敏に問いかける。今の彼には声一つ漏らせない。崩れるかも知れないから。壊れてしまうかもしれないから。しかし、恋人の言葉を無視するわけにもいかない。
「・・・・、・・・ん?・・・・・・どう、した?」
平静を保つように堪える明敏。声が震えているのが分かるほどに壊れていた。彼女の存在が消えかかっているのが目に見えているからなのだろうか。最早、彼女には頭以外が消えていた。
葵は数秒、目を閉じ、言葉を溜めてから口を開いた。
「―――――――――笑って―――――――――」