その日、フェイトは画面モニターと睨み合っている最中であった。
ヒロに渡されたメモリースティック。その中に入っているという彼の公の物とは違う『改竄される前のデータ』がある。それを読み解き『ヒロ・ストラトス』が抱えている謎を解明することが彼の望みなのだろう。
それを理解し、だからこそ穴が空くほど例のデータと公表されてるデータを見比べていたのだが……。
「ダメ、わからない」
お手上げと言わんばかりにモニターから視線を逸らす。
多少の差異は確かにある。しかしそれは他のデータに対しても同じことが言えた。管理局のデータ以外にも彼のパーソナルデータはある、それらを見比べた結果全く同じものはなかった。僅かだが誤差レベルの記述違いがある。だがしかし、それは正に『誤差』、一見すれば「あろうがなかろうが変わらないのではないか?」と思えるものばかりだ。その中で唯一の間違いを探すなど一朝一夕で済むはずもなく、それどころか下手をしたら一年経っても分からないかもしれない。
想像以上の難敵にフェイトは頭を抱えため息が漏れてしまう。
誰かに助言でも聞くべきか? しかし適切な相手が思い浮かばない。
同じ執務官という点では、後輩のティアナ。義理の兄にしてかつて執務官の先輩であるクロノの二人が思い当たる。
しかし両者共に忙しい身。個人的な悩みであり、彼女自身に与えられた試練に彼等の力を借りて良いものか?
そう悩み、暫く唸っていたフェイトの下に一本の通信が入る。
相手は、今考えていた後輩、ティアナ・ランスターからだった。
「わざわざすみません、送ってもらっちゃって」
「なに、気にするな」
翌日。
ヒロは無事に起きたヴィヴィオを家へと送り届けた。ヴィヴィオとしてはそこまでして貰うのは流石に気が引けたのだが、原因の一端を作ったヒロ本人としてはそうでもしなければ気が収まらない。それに、これでもし何かあれば保護者が黙っていないだろう。彼女の怒りに触れない為にも、やはりヒロが送るという選択以外はあり得ない。
それも無事に終わり、ヴィヴィオに別れの言葉を告げ立ち去る予定だった。「お茶だけでも」とヴィヴィオは家に上げたがったようだがヒロにも予定がある。
だからこそ、早々に引き上げるつもりなのだが……。
「あ、ヒロ! 丁度良かった!」
奥の方から顔を覗かせたフェイトは、ヒロを見つけるや否や駆け足で寄ってくる。
「ああ、ハラオウン、久しぶり――」
「ゴメン、ちょっと付き合って!」
呑気に挨拶をするヒロの首根っこを掴むと勢いそのままにフェイトは出て行った。勿論、捕まったヒロも共に。
残されたヴィヴィオは、彼女が通り過ぎる際に留守番を頼まれたようで、一人取り残された。
もっとも、あんなに切羽詰まっているフェイトの跡を追うとは欠片も思えず――
「……いってらっしゃい」
ただ、呆気に取られながら見送るしか出来なかった。
「――で、何でオレはこんな所に連れて来られなきゃならないんだ?」
不満たっぷりに小声で文句を垂れるヒロ。彼がそう言いたくなるのも尤もだった。
理由も言わずに彼が連れて来られた場所は、クラナガンの片隅と言わんばかりに人通りの少ない
視線の先にはレトロな街灯があり、その足下にはオレンジ色のストレートヘアーがよく似合う美女がいる。
時間を気にしているのか、面を手のひら側にした腕時計をしきりに見ている。
少し大人びた服装をしているが、ヒロは彼女に覚えがある。合宿の際に出会い、妹と仲良くなった女性――ティアナ・ランスターだ。
合宿が終わった後も妹とは個人的な付き合いが続いているらしく、彼女の話題がよくあがる。もしここにアインハルトがいたら嬉々として話しかけに行ったかもしれない。
しかし今妹はおらず肝心なフェイトも様子見一点張りで動く気配がない。
さて、どうしたものか?
そう呆れていると、不意にフェイトが「あ……」と声を漏らした。
何か進展でもあったのだろうか? そう思い視線を彼女と同じくティアナの方に向ける。
先程まで時間を気にしていた件の彼女はそこから顔を上げある方向を見て、そして「此処にいる」と言わんばかりに手を上げて主張している。
待ち人がようやく現れたことに安堵したのか、表情は綻んでいるように見えた。
人目を気にしてこのような場所を選んだのかは分からないが、このような寂れた場所に彼女程の歳の女性が好んで来るとはあまり考えられない。
相手側の指定だろうか? 一体どのような人物なのか?
そんな考えを巡らせながら待ち人の姿を確認しようとして――
「ようやく来た。遅いわよ」
「……ゴメン、電車が遅れて……」
「え、そうなの? ……ま、こっちも無理言って来てもらってるんだからそこはいいんだけど」
――絶句した。
あとから来たのは一人の青年だ。お世辞にもオシャレとは遠いラフな格好で、少しでも着飾っているティアナとは対照的。そのくせ目元をしっかり隠した不釣り合いなサングラスがこれでもかと主張していた。
一言で言うなら『怪しい男』だ。実際その姿を見てからフェイトの視線が鋭さを増している。
きっと事情を知らない者なら皆フェイトと同じことをしたのではないだろうか?
しかし、生憎ヒロはその事情……いや、問題の『怪しい男』の正体を知っている。
彼の名前は『クロウ』、リード直属の部下の一人だ。魔力量そのものはそれほど多くはないものの、それを補ってあまりある程の射撃の名手である。リボルバーとオートマグ、異なる二丁の専用の銃型デバイスを自在に操り格上の相手ですら『撃ち負かす』、近接が真骨頂のヒロとは真逆のタイプだ。
性格は基本寡黙で用がなければ自分から話しに行くようなタイプではなく、人とのコミュニケーションも苦手としている。
そんな彼のことを知っているヒロだからこそ、ティアナの待ち人がクロウであったことに驚きを隠せなかった。
クロウの仕事は表に立って行うものではなく、どちらかというと裏の……汚れ仕事だ。リードからの指示でターゲットを決め、速やかにそれを処理する。リード直属の戦力の中でも秘密裏にそういった事をこなす専門家だ。
確かに管理局員として正式に登録はされているが、それでも執務官をやっているティアナと接点を持つ機会などそうあるものではないだろう。
食い入るように見ているフェイト程ではないが、少し興味が出た。そして、おおよそ彼女の目的が分かった。
だからこそいい加減にこちらに意識を向けて欲しいのだが、当人は先程から微動だにしない。
「ハラオウン」
試しに呼んでみるが返答はない。石かと思わんばかりに固まっている。
その姿に呆れため息を漏らすヒロ。
顎に手を当て、何なら効果があるか数秒程思考。その結果最も効果的な方法を試してみることにした。
足を動かし身体を寄せる。『近づいた』というよりは『密着』に近い程の距離。
その超至近距離になっても動かないフェイトの集中力にはほとほと呆れつつも、更に顔を彼女の耳に寄せる
そして――
「――フェイト」
囁いた。彼女のファーストネームを、出来る限り甘く、優しく。
「ひゃぅ!?」
随分と可愛いらしい悲鳴があがった。どうやら効果は抜群のようだ。
「な、なに!?」
耳を抑えながらも距離を取り、瞬時に振り返る。顔は真っ赤に染まり、瞳は動揺の色が伺いしれる。
その姿に一瞬見惚れはするもののすぐに意識を戻し口を開く。
「ようやく戻ってきたな、何度呼びかけても返事がないからちょっとイタズラしたくなっただろうが」
「ご、ごめん……て、イタズラ?」
苦笑を漏らすヒロに謝ったのも束の間、その言葉の意味を考え、先の出来事を思い返す。
「あ、あああ……!」
すると顔が先程とは比べ物にならない程赤くなり俯いて黙ってしまう。完全な不意打ちな上に内容が内容の為だろう、意識をこちらに向けさせるには相応のインパクトが欲しいだろうとして行ったのだが「流石にやりすぎたか」と思ったヒロは「悪かったな」と頭を下げた。
「だ、大丈夫……えっと、それより――」
「ああ、どうやら移動を始めたようだな」
視界の端で件の二人が動いた事を確認すると、ヒロはフェイトの言葉を切り、あるいは繋げてそう言った。
その事に不服そうに頬を膨らませるフェイトだったが、ヒロの言った通りターゲットが動いた以上こちらもつけなければいけない。
不満はあれど見失うのは本意ではない為『その事』に対する言及は後にすることにし、彼らは二人の跡を追うことにした。