あれから、フェイトはクロノの家を訪ねた。
長年の付き合いであり、既に家族であるエイミィやその子ども達に会いたかったという理由は勿論ある。
だがそれ以上に今フェイトがどうしても知りたい情報をクロノが持っている可能性があったことが大きいだろう。
フェイトが知りたいもの……そう、ヒロ・ストラトスについての情報を。
「成る程。事情は分かったよ」
事のあらましを伝えるとクロノは頷いた。
確かに彼はヒロについて知っている。フェイトでは知り得なかった情報も実際持っている。
本来ならプライバシーに関わること故他言無用なのだが、当のヒロ自身が「良し」としている以上言っても問題はないのだろう。
その為、応えれるのであれば応えれるつもりだった。
しかし……。
「あまり言いたくはないが、フェイト。……これ以上彼と関わるのは止めた方がいい」
「え?」
突飛もなくそんな事を言われたフェイトは面を食らった。
それはそうだろう、なにせクロノが
これはもう彼に何かあることは確定だろう。
「キミは優しい性格だ。聞けば絶対に抱え込んでしまうだろう、家族としてはそれを見過ごすことは出来ない」
続けてそう言ったクロノの顔には心配の色が伺えた。言葉通り純粋にフェイトのことを案じているようだ。
だがしかし。
「ゴメンね、お兄ちゃん。それでも私は知りたいの」
フェイトは首を横に振った。
先の店での出来事が脳裏に蘇る。ティアナがあったヒロと同じ顔の青年、それを見た時のヒロの空気の変わりよう。
それらを知る術もやはりヒロの過去にあるのだろう。
フェイトの予想が当たっているのなら、もうこの件は興味本意だけで調べていい案件ではない。
どんな鬼や蛇が出てきてもしっかりと受け止める覚悟が必要だ。
ヒロが何故それほどの重要なことを自分に教えたいのかは未だに分からない。
しかしそこにはやはり何かしらの『信頼』があるのだろう。ならば今はそれに応えたい。
フェイトの真剣な表情からそれを悟ったクロノは観念したように息を吐いた。
昔から頑固な所があったが、どうやらそれが働いてしまったらしい。こうなったら梃子でも動かないだろう。
「分かった。ボクが知っている範囲のことは教えるよ」
「うん、ありがとう、クロノ」
渋々と承諾したクロノだったが、今彼女が浮かべている笑顔が曇ることを思うと、やはりやるせない気持ちは拭えなかった。
ヒロ・ストラトスの人生は、途中までは特出すべき所がないものだった。
覇王直系の子孫に当たっていたが、彼自身はその素養はなく、どちらかと言えば能力も解析等に優れていた。その能力を用いれば肉体を上手く動かすことは出来るものの、あくまでも『その程度』であり、正直覇王の力には遠く及ばなかった。
しかしだからと言って彼も両親も悲観することなどなかった。覇王の直系であることは事実だが、その資質を持って生まれてくる者は稀だ。持って生まれた運命に縛られない分自由なのだと、そう思っていた……。
全ての発端は妹、アインハルトが生まれてすぐのこと。
ヒロは学校のレクリエーションで遠出した際ある組織に拉致された。
その組織は古くは聖王教会に属していた物だが、あまりに過激だった為、彼らから切り捨てられた者達らしい。
彼らは捨てられた後も信仰心を持っていた。異常な、いっそ狂気と言ってもいい程の……。
それらは長い月日を重ねる程に歪んでいった。
いつしか彼らは信仰だけでは飽き足らず、『聖王の完全な復活』を目論むようになっていた。
そしてその際に必要なデータを蒐集すべく、いくつもの被験体を使い、過去の人間の『再現』を行った。
その被験体の一人にヒロもいた。古代ベルカに連なる家系の者を探り当て、見事彼らの眼鏡に適った内の一人に。
拉致された先でヒロに待っていたものは非人道的な実験……などではなかった。
幾重にも行われる検査という検査。長期に渡る監視の下管理された生活。自由はないが、死の危険はないものだった。
しかしそれもある日を境に終わりを告げることになる。
それはある聖遺物との適合検査だった。
聖王に纏わる物は大半が聖王教会が管理していた。それ故に聖王由来の代物はそこにはなかった。
代わりに、彼女が敬愛していた兄の遺品があった。
いくつもの国を焼いた暴竜の遺骸を基に作った禍々しい悪魔の手が――。
それからヒロの地獄は始まった。
一度取り付けられた悪魔の手、ハンニバルは決して外れぬように身体の内部にコアを埋め込まれた。
その為彼はハンニバルに掛けられた呪い――トレースからは一日足りとも逃れられなくなった。
まだ十歳そこらの少年が体験するには過酷な『彼の騎士』の生き様が身体と精神を蝕んでいく。
彼の騎士だからこそ出来た動き。それを追体験すれば未熟な体の肉は裂け骨は砕けた。
彼の騎士が平然と行った虐殺。平穏の中で過ごしてきた少年に吐きたくなる程の血の匂いと、人を殺し・壊す不快な感触が襲う。
彼の騎士ですら苦しませた毒。毒そのものは再現されなかったとはいえその苦痛は本物だった。のたうち回ることすら出来ない強烈な痛みが数日続くことすらあった。
そして、彼の騎士の生涯を何日も掛けて追体験したヒロの精神は徐々に摩耗していった――。
助けが来たのは何カ月経った後だったろうか。
もはやこの時のヒロに時間を気にする余裕はない。いや寧ろ常時『死』を望んでいたのだ。
心はどんなに死を望もうとも肉体は死ぬことはなかった。
それは他の個体よりもハンニバルとの適合率が高いことに興味を持った彼らが生き続けるような処置をしていたことと。
もう一つ。ヒロの能力と魔力がハンニバルやトレースの影響を受けてか変質してしまった為だった。
それは正に彼の騎士が保有していた技能であった。
クリアマグナと
結果、彼は死ぬことすら許されない地獄を延々と繰り返していた。
助けに来たのは当時執務官だったクロノとリードだった。この件に関しては元々リードが担当していたが、別の事件の関連性からクロノも同行することになった。
そして、いざ助けにきた彼らが見たのものは……まるでミイラのような状態になりながらも、辛うじて発せれる声でただ「死にたい」「殺してくれ」と懇願し続ける少年の姿だった。
助け出されたからといってヒロの容態が回復することはなかった。肉体的な面はともかくとし、重要なのは精神の方だ。
はっきり言ってしまえば、この時のヒロの精神はもう
何故なら、既に精神は生きることを放棄してしまっていたからだ。
これではこちらがどんなに生かそうと努力しても意味がない。
そのことに両親は愕然としていたが仕方ない。寧ろあんな目に遭ったのに死んでいない方が奇跡だ。
しかし、それも時間の問題だろう。
どうしようもない現実。医者ですら匙を投げる程の事態に彼らは嘆き悲しむことしか出来なかった。
娘も生まれ、これから家族四人で苦楽を共にしていこうとした矢先のこと。
あまりに酷い。息子が何をしたというのか? ただ平穏に生きていただけの子どもが何故このような目に遭わなければいけないのか。
生まれたばかりの娘から兄を取ろうとする……そんなこと許されていいはずがない。
行き場のない怒りをぶつけることも出来ず、ただ呑み込むしか出来なかった両親。
そんな彼らに救いの手を差し出したのは神や医者ではなく、この事件の担当だった執務官だった。
彼は言う、「どんな手を使ってもいいのなら何とかしよう」と。
それは危険な悪魔の囁き。『救う』とも『助ける』とも言っていない、何が起こるか分からないパンドラの箱。
しかし息子を失う恐怖に耐えきれない両親は彼に乞うた。
その瞬間、彼は――リードは探し求めていた駒の一つを手に入れる前段階に成功した。
リードは彼らの願いを聞き入れた。
ヒロの精神を救うべく、死なせない為に。
あろうことか壊れかけのヒロの精神と、ハンニバルに残った彼の騎士の残留思念を混ぜ合わせるという荒療治を行ったのだ。
そうして、彼は作り出してしまった。
ヒロ・ストラトスでありながらヒロ・ストラトスとは異なる、アゼル・イージェスの面も持ち、しかしそれらとはまた違った人格を。
――そしてそれを、秘密裏に『代替人格』として使うことを。