夜には寮の部屋に戻ってもいいということだった。
ドアを開けると濡れたカーペットやベッドはすべて別のものに取り替えられている。
つい今朝方まで水浸しだったとは思えない。
「...ただいま」
夕食に出ているのか、それともISの開発からまだ帰っていないのか、簪の返事はなかった。
簪が帰ってからだと入りづらいし、プログラムでの疲れを取るためにゆっくりお湯に浸かりたいと思った阿九斗はバスタブの蛇口を捻る。
(さて、やることは山積みだな)
お湯が溜まるまでの間にシャワーで汗を流し、ボディーソープを手に取る。
今回の腕試しで多くの課題が見えた。
これからはマナのコントロールはもちろん、根本的にISを使いこなすための技術も磨かなくてはならない。
見よう見まねで使った瞬時加速も楯無に比べれば速度も遅く、発動するまでの時間も長かった。ここは経験の問題だろうが、今の阿九斗と楯無ではその一点に雲泥の差がある。
(僕は編入したてで皆に遅れを取っているんだ。知識だけなら独学でどうにかなるけど、実技的な部分はああやって誰かに習うしかない。そういう意味でも今回の強化プログラムは願ってもない機会だ)
コーチはIS学園の生徒会長。
それも2年生にして全生徒のトップに立った凄腕だ。学べることは多い。
やがてお湯が溜まると、阿九斗は浴室の照明を消したまま、洗面台からこぼれるほのかな明かりの中でお湯につかった。
スモークガラスを差すオレンジの明かりに、なんとも落ち着いた気分になる。
慌ただしさの後の静かな夜を阿九斗は味わっていた。
(この一週間で、得られるものはすべて得る)
天井に掲げた拳をグッと握り締め、阿九斗は浴室の戸を開けた。
「「えっ...」」
一瞬、状況が理解できずに立ち尽くしたのは阿九斗だけではなかった。
この世界に来てからというもの『水』が関わるとろくなことが起きない。
気がついたら海の底だったり、夜にスプリンクラーの水をかぶったり、放課後には服に着いた水が爆発したり。そして今夜、ちょっとした気まぐれでお湯に浸かっていたら裸の簪と鉢合わせたり。
「きゃあぁあぁあぁあー!」
「うわあああああああー!」
それはほとんど脊髄反射のようなものだった。
悲鳴を上げた簪の口を手で塞ぎ、阿九斗は首を横に向けて目を瞑る。
「見てしまったことは謝る! しかし、ただでさえ僕らはアリーナの一件で問題を起こしたばかりの身だ! ここでまた騒ぎを起こすのはお互いにとって良くない! それにこれは不幸な事故であって、冷静に考えれば下手に騒ぎにすることではないはずだ! 裸体を見られることに男女もなにもないとは僕も言わない! だから─────」
必死に弁明しているなかで阿九斗はあることに気がついた。簪は抵抗どころか、これといって身動き一つする様子がない。
(あれ......?)
見てみると簪は立ったまま気を失っていた、かと思えば阿九斗に身を預けるように倒れ込んでくる。
とっさに支えると、簪の華奢な身体は阿九斗が思っていた以上に軽かった。
(いかん、こんなところを誰かに見られでもしたら...)
─────コンコン
そのとき鳴ったドアのノックが、阿九斗には死刑宣告のように聞こえた。
「おーい、阿九斗く~ん」
(生徒会長!?)
タイミングは最悪だった。
確かに感じた死の予感がピリピリと阿九斗の頬を撫でる。
(一糸纏わぬ妹が意識のない状態で抱き抱えられている、こんな状況をもし会長が見たら......)
学園最強の生徒会長。その実力は身を持って知っている。
「 死は免れない! 」
身体も拭かずに服を着るとドアの前まで駆け込む。
「すみません、シャワーの途中だったんです。少しお待ち頂けますか?」
「あら、ごめんなさいね。お詫びにお姉さんが背中を流してあげよっか」
危機的状況に心臓がバクバクと音を立てるなか、阿九斗は努めて平常を装う。
「だからそういう冗談はやめていただけませんか。それはそうと、ご要件は? 簪さんはもう寝てしまっているので長くなるようなら、また明日にでも─────」
しかし、楯無を相手にその手の誤魔化しが通じたかというと微妙なところだ。
「......ねえ阿九斗くん、あなた簪ちゃんに変な事してないでしょうね」
(なんでそんなに勘が鋭いんだ!)
「まあいいわ、用って言っても大したことじゃないの。とりあえずここを開けてもらえる?」
「ダメです!!」
つい出てしまった言葉に阿九斗は思わず口を押さえた。これでは疑ってくれと言っているようなものだ。
ドア越しに楯無が何やら言っていたが、構わずその場を離れて浴室へ走る。
(まずい、このままじゃあ部屋に入られるのは目に見えている。せめてこの意味深過ぎる状況をどうにかしないと)
未だ気を失ったままの簪をできるだけ見ないように抱えてベッドに寝かせる。もはや恥ずかしがっている余裕はなく、服を着せることは無理でも、この上から布団をかければ寝ているように見えるはずだ。
(あとはこれで─────)
─────ドン
次の瞬間、蒼流旋の一撃が部屋のドアを突き破った。
阿九斗は初めてISの部分展開というものを見たが、そんなことを気にしている場合ではない。
突き刺さった扉の一部を引き擦りながら現れた楯無は背筋を凍らせるような冷ややかな笑顔で阿九斗に歩み寄る。
「阿九斗く~ん。お姉さんを無視した理由、説明してもらおうかしら」
「その、服を着なくては...と、思いまして...」
濡れた服の裾を指差して、精一杯の作り笑いを浮かべて言った。
話というのもなんのことはない。明日のプログラムを変更し、1組の代表候補生を招いて射撃訓練を行なうとのことだった。
当初の予定では5日目のプログラムに遠距離戦が組み込まれていたのだが、その日とスケジュールを振り替えるということらしい。
(たしかに、もし今日の試合で僕がまともに射撃戦闘ができていれば、会長のガトリングを封じた時点でもっと優位に立ち回れたはずだ。目立つ欠点がこうして浮き彫りになったなら、優先順位を繰り上げるのは当然のことか)
(あの顔、きっと無駄に難しいこと考えちゃってるんだろうなぁ)
その理由は単純な話で、明日の放課後までに楯無の機体の修復が間に合わないというだけのことであったが、そんなことは知る由もない阿九斗だった。
○
そして翌朝。
微かな頭痛を感じて簪は目を覚ました。
(あれ...どうして私......)
整備室を後にしてからのことをなにも思い出せない。
今現在、自分はこうして部屋の寝室で横たわっているわけだが、ベッドに入った覚えすらない。それどころか、自分がどうやって部屋まで戻ってきたのかもあやふやなのだ。
昨日の疲れが残ってしまっているのか、妙に気だるい身体をよじって時計を確認すると時刻は午前6時。
(そろそろ、阿九斗がランニングから戻ってくる時間だ...)
本来であればもう寮に戻っている時間帯なのだが、簪に遠慮してか、最近になってから阿九斗はランニングの時間を遅めにずらしている。
身支度を整えようと起き上がると、身体に擦れる布団の感覚がいつもと違うことに気づき、ふと簪は自分の身体に視線を落とした。
「ひゃっ!?」
短い悲鳴をあげ、すぐさま抱き寄せるように布団を掴む。
(な、なんで私...なにも服を着ていないの......!?)
再度、昨夜の記憶を辿るがどうしても思い出せない。
整理しきれない状況に頭がパンクしそうになりながらも深呼吸を繰り返し、かろうじて落ち着きを取り戻すと、キャビネットに置いていた眼鏡を取る。
(......阿九斗は、いない)
隣のベッドを見ると、そこは不自然なほどに整頓されていた。
それは阿九斗が起きたあと自主的に整えたものであったが、それを簪は妙に思わずにはいられない。
果たして阿九斗はこのベッドを使ったのだろうか。使ってないとしたら阿九斗はどこで寝たのか。そして身体に残った倦怠感と今の自分の格好から導き出される答えは─────
─────コンコン
「簪さん、入っても平気かい?」
「ひゃい!」
反射的に出た簪の悲鳴ともつかない声を返事と解釈したのか、阿九斗は部屋に入る。
「......き、着替えがまだだったなら、済むまで廊下で待っていたのに」
「こ、これはその...」
口ごもる簪に阿九斗は背を向ける。
その様子が、簪にはどこかよそよそしく感じられた。
(やっぱり...たった数日で間違いが.......。いいえ、まだ断言することはできない。結論を出そうにも情報が少なすぎる。本人に直接聞くのは...でもどうやって聞けば?「昨日はいったい何があったの?」ダメ! そんなのまともに答えられたら、私死んじゃう!)
なんとかして思い出そうとするが、頭痛が邪魔をしてうまく頭が回らない。
そんな様子を見かねた阿九斗が口を開いた。考え込んでいる簪の表情が怒って見えたのだ。
「あの、昨日の事なんだけど......」
(昨日の事ってなに...!?)
「君には恥ずかしい思いをさせてしまった。僕もけじめをつけなくちゃいけないと思ってる」
(けじめってなんの...!?)
阿九斗としては故意ではないとはいえ、見てしまったことは間違いない。頬を張られるくらいは仕方ないと、覚悟は決めていた。
しかし、おかしな方向に思考を巡らせた簪には殴られる前の心の準備も、一世一代の男の覚悟とすら見て取れてしまったのだ。
「それは...どういう意味、なの......?」
「それこそ君次第だよ。それ次第で僕には責任を果たす意思がある」
簪が拳を固めて振り上げようものなら、それを甘んじて受ける。部屋から出て行けと言われれば、黙ってそれに従う。それが自分の取るべき責任だと阿九斗は考えていた。
しかしそんな阿九斗に、これはいよいよなってしまったのかと簪は慌てるしかない。
(まさか......責任を取らなきゃいけないようなことがあったっていうの?)
それがなにか想像もつかないわけではない。むしろ想像できるからこそ、状況の把握が追いつかない。
ピンク色に膨らんだ妄想の世界で、白いタキシードの阿九斗とウエディングドレスの自分が唇を合わせようとしたところで、簪は両手を振ってそれをかき消した。
(な、なにを考えてるの私......!? まだ高校生なのに、ってそうじゃなくて......こういうのはお互いの意思が大事で......でも責任を取るってことは、阿九斗にもその気があったから、そういうことに及んだってわけで......)
「簪ちゃんのその格好......ついに成ったのね!」
二人の心臓が飛び出しそうなほどに高鳴った。
それは阿九斗でも簪でもない、第三者の声だった。手にしていた扇子には『色欲』の二文字。浮かべた下世話な笑みを隠そうともせず阿九斗ににじり寄り、肘で脇腹を小突いている。
「せ、生徒会長!?」
(お姉ちゃん!?)
簪も、まさかこの状況を身内に見られるとは思いもしなかった。
しかし関係に溝があるとはいえ、姉は姉。ここは、やはりきちんと話しておく必要がある。
意を決して簪が口を開こうとすると、
「そんなわけないでしょう。昨晩は簪さんが寝付いていたのを見たではないですか」
(.........え?)
一瞬早く阿九斗が答えた。
「あら、別に隠さなくてもいいのよ♪ 阿九斗くんもずいぶん汗をかいているようだし、昨晩はそんなにハードだったのかしら~」
昨晩の怒り様から一転して楽しそうに言う楯無。阿九斗は思った。
(この人はわかってる。わかった上でこうして僕をからかっているんだ)
阿九斗はため息をつく。
「ランニングの習慣があるのはご存知でしょう。それに僕らはまだ15の齢い。ましてや簪さんに限ってそのようなこと起こり得るはずがないではないですか」
その言葉に簪はムッときた。
簪がそんな不純な人間ではないと言いたいのはわかる。でもその言い方ではまるで自分に女性としてのそういった魅力がないかのようではないか。
(そっか...起こりえないんだ......そうなんだ.........)
沼のそこから湧き出すメタンガスのようにフツフツと殺意が芽生える。
それにいち早く気づいた楯無は逃げるように部屋から退散した。
「まったくあの人は......」
阿九斗は呆れたように頭を掻く。
─────ガシッ ガシッ
「.........あの、簪さん?」
「.........なに?」
─────ガシッ ガシッ ガシッ ガシッ
「さっきから僕のすねを蹴飛ばしているのはどうして?」
「...自分の胸に手を当てて考えて」
簪の機嫌はすこぶる悪かった
そして、その日の4組の実習後。
アリーナのシャワーに強烈なフラッシュバック感じた簪は、機械がショートするような奇怪な声をあげて倒れたとか、そうでないとか......
評価、感想のほどよろしくお願いします。
ではまた次回~