暗沌とした黒い雲が時折、うねるように雷鳴を轟かせる。
簪がいたそこはIS学園にも劣らない、広大な敷地といくつもの巨大な校舎。しかし、その建築様式は簪が知るものとは異なる、どこか荘厳で宗教めいたものだった。
昼間に見ればそれは流麗で美しく見えたのだろうが、ただそこは今、無数の魔物が蠢く地獄と化している。
「なに...ここ?」
背筋を撫で上げるような嫌悪感に簪はせり上がる口元を押さえた。
オペレーションルームのモニターで見たそれとは比べ物にならないようなリアリティ。鉄筋の校舎にまとわりつくように触手がうねり、壁や地面を夥しい数の魔獣が這い、空はには巨大な羽虫が飛び回っていた。
ここは阿九斗の記憶、ワールドパージによって異世界の情景を元に作られた仮想空間だ。つまり今目の前にある情景は阿久斗の周りで実際に起きた事実なのだと簪は理解する。同時に、これを阿九斗が引き起こしたということも。
(とにかく...今は、阿九斗を探さなきゃだけど......)
簪は再び目の前の惨状を見る。
魔物の要塞、魔王の根城となったコンスタンツ魔術学院。あそこのどこかに阿九斗がいるのは間違いないだろう。
しかし、ISを使うことは極力避けなければならない。電脳ダイブとはISのコアネットワークを利用して自分自身の人格をパーソナルデータとしてシステムに投影する技術だ。それには少なからず、ISそのものにも負荷がかかっている。この状態でISを起動し、その機体情報をコアネットワークを通じて投影することにはそれなりの危険が伴うのだ。
(ISを使うのは最後の手段、だったら正面突破は論外。何らかの混乱に乗じて乗り込む? それならなにか武器だけでも調達して......)
「そこでなにをしている!」
「ひぇっ...!」
短い悲鳴のような声をあげ、簪は後ろを振り返った。
背中に長刀、腰に短刀。忍者と侍の中間をとったような和装に身を包んだ青い髪の少女が、凛とした目を吊り上げてこちらを見ている。きびきびとした様子で簪に歩み寄ると少女はなおも続けた。
「見たところうちの学院の生徒だな。とっくに避難命令は出ているだろう。ここは危険だ。早く避難を!」
そのとき初めて簪は自分の服装に気がついた。
IS学園の制服ではない。原色の青に近い色味の強いスカートに特徴的な白いラインの入ったデザイン。ブラウスはシンプルな代わりに胸元には大きめのリボンがあった。
(もしかしてこれが...阿九斗のいた魔術学院の制服なの?)
「おい! 聞いているのか!」
「あっ...ご、ごめんなさい。実はわたし、沙伊阿九斗っていう人を探していて......」
「沙伊...阿九斗だと?」
その瞬間、少女の目の色が警戒のそれに変わる。明らかな敵意が簪に向けられていた。
(言うべきじゃなかったかも......)
簪がそう思ったときには、少女はすでに腰に下げていた短刀を引き抜いていた。
逆手に構えられた白い刃が上空の雲を写して黒い陰りを見せる。
「さては貴様! 魔王の手の者か!」
「ち、違う...! 私はただ阿九斗を助けたいだけで...」
「こともあろうに私の前で魔王軍に加勢すると言うか! わかっているのか? やつは世界の秩序を乱し、魔物によって人々を脅かそうとしているのだぞ!」
「違う...! 阿九斗はそんなことしない!」
「ならどうしてやつはこんなことをするのだ! 魔物を従え、校舎を占領し、あろうことか照屋家当主を手にかけた!」
少女は校舎を指差して言った。そこは依然として魔物の巣窟と化している。
それに対して簪はただ悲しむようにして首を横に振った。
「わからない...でも、少なくとも私の知る阿九斗が戦うときはいつもなにかを守るためだった。どんな相手を敵にしようとも、揺らがないなにかのために。この状況を作り出したのが阿九斗なのはわかる。でもそれは無作為に人を傷つけるためじゃない...!」
それだけは違うと、簪は断じた。ここでそんなことを言えばこの少女と戦うリスクがあったのは理解した上、それでも簪にとってはそれが許せない言葉だったのだ。しかし、それに対する少女の反応は簪の予想の真逆を行くものだった。
目線の高さにまで上げた短刀を下ろし、どこか迷ったような表情で簪から視線を外す。
「......そんなことはわかっているのだ。やつが引き起こした現状がどうであれ、少なくとも、私はクラスメイトとして......いや、友人としてあの男なりの正しさを認めていた」
そう言ったあと、少女は短刀を腰の鞘に納める。それを見て簪も緊張を解いた。
「それで、これからお前はどうするつもりなのだ? 紗伊阿九斗を探していると言っていたが、それは今や帝都中が討伐のために行っている。どこか心当たりは?」
「ない...だからもし当面の目的が同じなら同行させて欲しい。あなたも阿九斗を探しているんでしょ?」
少女はただ黙ったまま簪を見ていた。今この状況で敵味方を判断するのは軽率な気もしたが、瞳の奥に彼女なりの本気が見えたのだろう。再び魔獣たちが蔓延る校舎へと足を向けた。
「紹介が遅れたな。私は学院2年、服部絢子だ」
「私は......更識簪」
「簪...和名ということは私と同じスハラ神の洗礼を受けているのか。なら刀の扱いはわかるだろう?」
絢子はマナを操作して転送円を描くと、そこから日本刀を取り出す。わずかに刀身を抜いて刃紋を確認するように一瞥すると、鞘に収めて簪に手渡した。
「使え。同行しようにもこれから向かう場所は生身では危険すぎる。私も魔物の群れを相手に人ひとり庇いながらは戦えんからな。これで自分の身は自分で守れ」
「あ、ありがとう...」
簪は少し驚いた様子で日本刀を受け取る。
渡すなり、時間が惜しいとばかりに走り出した絢子のあとに続きながら、簪は黒い不吉な雲を見上げて、ただ一つ思った。コンスタンツ魔術学院2年、服部絢子。彼女は阿九斗をクラスメイトだと言った。それが示す事実は至ってシンプル。
(阿九斗って、歳上だったんだ......)
それも実の姉と同じ歳なのである。そう考えると複雑な心境だった。
〇
「困ったお方です。まさか本当に来てしまわれるとは」
スハラ神の神殿、その最奥に安置されている神木の前でクロエは自身の専用機《黒鍵》の能力をフルに発揮して阿九斗やそれを救出に来た簪の様子を見ていた。
《黒鍵》の能力は電脳世界にダイブし、それを構築しているシステムと同等の権限を内部で行使できる。必要であればあらゆる自然現象や物理現象を操作することができ、また人間の意識、記憶にすら干渉することができる。が、それも外部から、すなわち亡国機業からの攻撃にリソースを割かれていなければの話だ。
それでも残された力で電脳世界のあらゆる事柄をモニターできるクロエは、唯一この仮想可視化された電脳世界の全てを瞬時に把握できる立場にいる。
そしてクロエの目の前にある巨大な神木こそ、阿九斗の記憶を元に可視化された学園のシステムそのものであるのだ。
「すぐに対応する必要があります」
この世界は阿九斗の記憶によって情報が可視化され、場合によっては影響しあって成立している。しかしここには阿九斗の記憶にもクロエの力にも影響されない不確定要素が介在している。それは亡国機業による攻撃、学園の外から電脳世界にダイブしている人格。パーソナルデータが存在しているのだ。
「本来なら私がこの場所でダイブしてきた敵を向かい討てば良かったのですが、もしそのパーソナルデータによって阿九斗様に危害が加えられれば、電脳世界としてではなく本当にダメージを受けてしまいかねません」
クロエは亡国機業側の電脳ダイブによって生み出されたデータを捕捉して、その人物と周囲の光景を映像としてモニターに出す。全身を白い装いで身を包め、自身の背丈を優に超えるほどの大剣を片手でいとも簡単に携えている人物。
「大和望一郎。束様の読み通り、亡国機業の背後にいたのはやはりあなたでしたか。彼だけは排除しなければならない。そのためにも」
クロエはスクリーンを操作してもう一箇所、景色を映し出した。そこには絢子とともに校舎へと向かう簪の姿があった。
〇
走りながら校舎へと向かう道中、簪は絢子に尋ねた。
「教えてほしいの。今の状況をできるだけ詳しく、そもそもなにが発端でこんなことに......」
「お前、なにも知らずにあんな危険な場所にいたというのか?」
危険、と言われても、ダイブによって簪のデータが送り込まれた場所がそこだったのだ。身の危険は愚か、この世界が今どのような状況にあるのかもきちんと把握できないでいる。もっとも、この世界の人間、服部絢子からしてみれば当然知っているであろうことも簪は知らないのだから、それとなくわかったふうに話を合わせて説明を促した。
「ことの発端は、沙伊阿久斗がスハラ教大司祭である照屋栄蔵を暗殺し、学院を占拠したことがきっかけだ。それを受けた我ら服部家は軍を編成、先んじて、一番槍を私と妹の二人が務めることになった」
「先んじてって、たった二人で?」
絢子は表情を渋めた。
「照屋家と服部家は古くから因縁があってな。それだけにしがらみも多い。しかしあちらの思惑が露骨に見えていようが私のやるべきことは魔王紗伊阿九斗を討伐することだ。いや、私だけではないな。今や帝都の全てがあいつの敵になっているといっていい。」
上空では後続の部隊なのか、各方から飛翔魔法で校舎に接近する人影が見える。絢子と同じスハラ神に仕える伊賀忍軍だ。今もなお、魔獣によって占拠されている校舎を隙なく包囲するようにして徐々に間隔を狭めていく。やがて彼らが包囲網の中心近くまで迫った時、校舎の方から空に向かって一直線に何かが打ち放たれた。
それは巨大な鋼鉄の杭だった。地下から岩盤を貫き、螺旋を描きながら空高くまで舞い上がった杭は徐々に勢いを失い、地上にいる絢子と簪のそばで落下する。轟音とともに土煙が二人の視界を奪った。
「ぐっ!」
「なに...?」
あまりのことに反応が遅れたが、それだけでは終わらない。杭によって開けられた大穴から咆哮があたり一面に響き渡り、巨大な黒龍が翼を羽ばたかせながら姿を現す。その背中にいたのは、
「「阿九斗!」」
青い光を纏い、マナによる肉体強化で別人のように筋肉が隆起しているが、間違いない。
それは魔王紗伊阿九斗の姿だった。
感想......ほしーな (●ꉺωꉺ●)
評価くれてもいいんですよ?
というわけでよろしくお願いいたしゃしゃすしゃす