廊下を駆け抜けて曲がり角を曲がった先には、二つの道。俺の目で見通せる限りでは、下階に繋がっている方は分からない。それはランサーにすら同じのようで、壁の前で立ち止まっていた。
「道は覚えてるか?」
「ある程度は。しかし、結界のせいか方向感覚が掴めません。ミナト殿のご期待に沿えられるかどうか……」
悔しそうにランサーが顔を歪める。
一晩、身辺警護と称して屋敷内を見回っていたはずのランサーが、間取りさえ頭に入れられなかったはずが無い。ならば、やはり結界が機能していると考えるのが真っ当だろう。歴戦の猛者の感覚すら奪う結界とか、アインツベルン恐るべし。しかし、このような悪条件だとしても今は外に出なければならない。ランサーには存分に走ってもらわねばならないのだ。
「悔しがることはないって。ランサーならこんな妨害、どうってことないだろ。それともなんだ、彼のフィオナが一番槍の名はこの程度か?」
「ミナト殿……! ───いえ、この程度で音を上げるはずなどありません。このディルムッドの活躍を、どうかその目に!」
「うおー! 任せたディルムッドー!」
あれ、なんか地味に興奮してきた。体が密着しているからだろうか。その弊害か、何気に真名を大声で叫んでいるが、おそらく既にばれているので問題ではないだろう。しかしこれでは冷静な判断が難しい。頬を叩いて頭を冷やし、俺は打開策でも練るとした。
「逃げるな、ミナトー!」
「来たな……! ランサー、とりあえず右だ!」
「承知しました、我が主!」
咄嗟にその場凌ぎの指示をだし、ランサーを走らせる。こんな時は直感に頼るのが吉のはず。たいてい本能が逝くべき道を照らしてくれるからである。ここから先は、ランサーの直感に頼れば何とかなるはずだ、ああ。
そうこうしない内に、ランサーとアルとの差はどんどん広がっていく。しかし、それは至極当然のことだ。ランサーとは、一番の敏捷値を誇る英霊に与えられるクラス。いくら総合的なステータスで劣っていたとしても、こと脚の速さに関してならランサーの勝利は揺るがない。……いや、待て。
「……なあ、ランサー。なんでアルは霊体化して追ってこないんだ?」
「と、言いますと?」
「ランサーは俺を抱えてるから無理だとしても、アルは違う。速さで負けているのなら、なおのこと霊体化しようっていう考えに辿りつく筈なのに……」
「何か理由がありそうですが……すみません、思いつく事は何も」
そう言ったランサーの言葉に対する落胆はない。こうも情報の少ない中で問いを投げて期待する答えが返ってくると思うほど、俺も甘くはない。どんな考えも推測の域を出ないだろうし、確かな答えはやはりアル本人の口から聞かなければならないだろう。
後ろを振り向けば、もうアルの姿は見えない。まだ始まったばかりのこの逃走劇だが、思ったよりも簡単に片が付きそうだ。
俺にとっては大き過ぎるこの屋敷も、ランサーの足ならば踏破することなど造作もない。流れるように廊下の景色は移ろっていき、その流動は出口に面する大広間に出た事で終わりを迎えようとしていた。
ここはどうやら二階のようだ。あとは下に降り、扉を開くのみ。ランサーならば跳躍一つで終えられる仕事である。
「ミナト殿、掴まって下さい!」
「あいさ!」
逃げる道中で加速した足を、そのまま跳躍の助走の代わりとする。かなりの速度が出ている今、跳んでいる最中に振り落とされでもすれば大怪我は免れない。ここはランサーの言う通り服を掴もうと……服……を……?
「うおこれ掴むとこねぇえええええ」
「ミ、ミナト殿!?」
扉まで一直線───二階から柵を足場に跳躍しようとしていたランサーが、土壇場で踏みとどまり、俺を包みように身をかがめ赤い絨毯の敷かれた床を滑り込む。所謂急ブレーキだ。
本気で死を覚悟したぜ……。
「す、すまん……服じゃなくて体に掴まるべきだった……」
「いえ、それよりも早く」
それが命取りになってしまった。
ランサーが体勢を立て直し俺を担ぎ直すと、一階のドアから出てくるアルと遭遇してしまったのだ。目的地には辿りついたが遠回りをしていたのだろう。でなければセイバーがランサーに追いつける考えが浮かばない。
「そこか……! ランサー、覚悟!」
その裂帛とともにセイバーが宙に浮く。なんてこともない。ただ強靭な脚力によって体が数メートル浮かぶほどの跳躍をしたまでだ。階段を駆け上がる手間を惜しんだ───いや、この方が常套手段か。
当初の目論見通りなら扉まで一っ跳びだったが、こうなっては助走もままならない。よしんば到達し得るほどの跳躍を見せたとしても、途中でアルに斬りかかられれば当然失速するだろう。つまりは、まずここでアルの初撃を防ぐ必要がある。
俺を脇に抱えたままのランサーはゲイ・ジャルグを実体化し、迎撃に備える。
紅槍を具現化したランサーの狙いはおそらく、破魔。昨日の打ち合い時に見た風と光の奔流をもって目くらましをすれば、多少の気はひけるはず。そうなればアルの隙を抜け、比較的容易に突破できるはずだ。
セイバーの華奢な体躯が眼前に迫り、その不可視の一刀を振りかざす。音すら置き去りにする超速の一刀───だが、それはランサーとて同じこと。瞬時に槍を引き絞ったランサーは、アルの剣へとその切っ先を押し当てる。
直前。
身を吹き飛ばすかと思うほどの凄絶な突風と、思わず目を覆い隠してしまうほどの強烈な光が襲った。
一瞬視界が遮られたと思えば、次の瞬間には強い衝撃が右から訪れる。ランサーが床を転げるのと同時に、ランサーの拘束を失った俺の身も地面に投げ出される。
くそ、視界がぼやける。立て続けの衝撃に頭がとてつもなく痛い。なおかつ状況把握もできないんだけど……何が起きたのか全然分かんない。
「フっ───ッ、なるほどな。俺の奸計に気付いていたというわけだ」
「当然だ。昨夜のような醜態はもう晒すまいぞ、ランサー」
ひょいとランサーが立ち上がり飄々とした口調でアルに言うと、アルも誇らしげな口調で言い返す。二人は何が起きてどうなったかを納得しているみたいだが、結局どういうことなんだ。
その疑問がパスを通じてランサーに伝わったのか、素早く解答をくれる。
『ゲイ・ジャルグによってセイバーの聖剣の防護を解いて目晦ましにするつもりだったのですが、先手を打たれました。ゲイ・ジャルグが聖剣と打ち合う前に、逆にセイバー自身がその風の膜を解いたのです。恥ずかしいことにそれに不意をつかれてしまいました』
『なるほど、どうりで。そう簡単にはいかないか』
こちらの思惑などお見通しというわけか。ままならないのは癪だが、最も優れたサーヴァントが相手となれば当然か。
しかし、状況は芳しくない。セイバーがフロアを上ってきたことで、ランサーとの距離は縮まってしまった。これでは俄然離脱が困難だ。反対に、先ほどの応報によって俺とランサーの距離は離れてしまっている。もし仮にランサーが俺を確保しようと動けば、その一瞬を狙わないアルではない。
「どうしますか、主よ。こうなれば屋敷内での戦闘も考慮に入れた方がよいのでは?」
ランサーの言葉に頷く。
そこが難点だったのだ。拠点内での戦闘を敬遠していたアルが、今は積極的にここで食い止めようとしている。おそらくは、敏捷値の差を見せつけられたことで、俺達を外に出すことの危険を悟ったのだろう。アイリさんが傷を負ったらしいが、アルはその
「考えは……なくもないな。ランサー、時間稼ぎを」
「承知」
そうして始まったセイバーとランサーの二度目の戦闘を横目に、俺は魔術行使の準備をする。裾から取り出したのは5枚の符。突然のことだったが、聖杯戦争にあたり常に懐に忍ばせておくという心構えが幸いした。5枚あれば十分以上の効果は見込める。
「Aqua,of condensation foucus its Ariton embody───(水よ、集束するは我が命のもと)」
魔術回路を励起させ、水の魔術を発動。大気中の湿気をかき集め、球の形に固定。それを核に水を生み出していきながら、水球に魔力を込めていく。
時間はかけられないのは明白。眼前の一戦は室内故か過激さこそ欠けるものの、確実にその破壊の余韻を見せている。戦いが長引けばこの美しい景観は、復旧不可能なほどに壊されてしまうだろう。愚かな意見の相違のせいで、アイリさんにこれ以上の迷惑はかけられないのだ。
「add grit laden lmup,temper circular───(砂塵は水塊に混じり、巡る)」
魔力の生成に伴う痛みを堪えて、魔術に巡らせる魔力量を増やす。
拳大の大きさになると、地の魔術を加味し更に練り上げる。十分と思ったころには、水球はサッカーボールほどの大きさになっていた。
『ランサー、よくやった! もういいぞ!』
ランサーが床を蹴り後退するのを見届けて、魔術を起動させる。風と水の魔術を併用することで球の形を保ちながら圧縮。一点だけ作られた綻びから、水は線となって射出する。
「Resolution,take care,take a stance,beam!!(受け止めて見せよ、是なるは抉る一閃なり!!)」
そう、これは魔術で模倣したウォーターカッター。中でもアブレシブジェット加工と呼ばれる、研磨剤を含ませるタイプのものの真似事だ。魔術が逆に科学を模倣するなんて、普通の魔術師ならば糾弾ものだろう。だが、俺にしてみれば、これは浪漫なのだ。水が金属すら切り裂くという感動を我が物としたかったが故の衝動なのだ! なんと言われようが構うものか!
とかいう俺の夢と浪漫を乗せた一閃は、アルに触れるや否やその形を失い霧散する。
「無駄だ。私にはAランク相当の対魔力が備わっている。現代の魔術では私に傷をつけることは叶わない」
「ぅ……知ってるよ、そんなこと! マスターの透視舐めんな!」
もしやとか思う暇もなく効力を失った
狙いは攻撃などではないのだから。
「っこれは……!」
魔力とは、とどのつまりエネルギーの塊だ。魔力を運搬するには普通、魔の術によって方向性を決めて初めて可能になる。しかしそれが、対魔力という形で魔力そのものとして機能している。それが発揮されるときの熱量は、いかほどのものだろうか。
答えはそう、水を蒸発させてしまうほど。
対魔力によって俺の管轄を離れた水蒸気に、風の魔術の応用によって直接魔力を送り込む。その水蒸気を集めて擬似的な霧を周囲に張れば、煙幕もどきの出来上がりだ。
「ランサー、今の内に───ぅぉっ」
言い終える前に行動に移していたランサーに引っ張られ、言葉が遮られる。遮られるのは二度目だ……! というかお腹痛い。
「くっ……、逃がすか!」
アルの声とともに霧が晴れ、アルが駆ける。これは……風か! なるほど、剣を覆う風の膜はこんな所でも役に立つのか。苦労して作った霧も一発である。
しかし、アルの挙動はもう遅い。霧を消し飛ばし一階に降り立った時には、既にランサーは扉を開ける寸前だ。ランサーが一息で巨大な扉を押し開けると同時、瞬間的に念話が行き交う。
『このまま逃げるのですか?』
『そんな事したら余計に疑われる。ここで止まって説得だ!』
ランサーが扉から数十歩の所で止まると、俺も腕の捕縛から抜ける。待つ暇はなく、すぐにアルの姿は現れた。怒りの程は、言わずもがなだ。
「もう逃げないのですか……?」
「逃げるしかない状況は終わったからな。アル、お前は一つ勘違いをしている。俺はアイリさんに危害を加える気なんてなかったんだ、結果がどうあったとしても」
「その言葉を信じろと言うのか!」
「事実だ!」
事実は事実。なのに、アルの説得は叶わない。これ以上何をいう、道案内を頼むつもりだったという事か? アルからすれば良い訳にしても悪い冗談だ。これは……本当に。
「……ランサー、逃げる準備を」
「……御意」
やはり俺の交渉力は拙い。長年会話をしなかったせいというよりも、そもそもあまり得意な方ではなかったのだろう。そう考えないと、こうも言葉が浮かばない理由が見つからない。
身構えるランサーに少しだけ寄る。ここで戦うくらいなら、同盟の機を捨てて逃げた方がまだマシだ。
「───ちょーーーーーっと待った!」
緊張しきったその場に、女の声が響き渡る。この声は───
「アイリさん!?」
「そうよ……ッ、はぁ……もう、走らせないでほしいのだけどね……」
クリムゾン色の服を着たアイリさんが息も絶え絶えに城内から出てくる。走ったせいで疲れているようだが、アルの言うような傷は目では確認できない。大怪我には至らなかったということだろう。それに安堵するのも束の間、すぐに疑問は溢れ出た……が、溢れすぎて逆に言葉にならなかった。
それを代弁するように、セイバーが一つ疑問を消化する。
「どうしたのですか、アイリスフィール?」
「どうしたもこうしたもないわよ! 人が結界を張り直そうとしたら戦闘なんか始めるんだもの。魔力の余韻が強すぎて術式も弄れなかったわ!」
「結界……?」
と、目下の疑問のおかげで声が出た俺は、ちょうど先ほどの魔力の波動を思い出す。急な違和感の正体は、やはり結界だったのか。
「ええ、その事でも話があるのだけど、それよりも先に。二人とも、戦いたいなら話を聞いてからにしてくれない?」
俺としては願ってもない提案だ。ちらっとアルの顔を見れば、イラつきつつも渋々、という感じである。何とか会談に持ち込めそうな雰囲気だ。
「分かりました。ランサー、槍を仕舞ってくれ」
「ええ、当然です」
ランサーの手に握られていた紅槍はすぐに実体を失い消失した。
俺の返答にアイリさんは頷きつつ、くいっと声を発さないアルを見やる。
「……分かっています、アイリスフィール」
不機嫌にそういうアルの姿は、頬を膨らませる女の子に見えなくもなかった。
◇
追いかけっこをした廊下を逆戻りし、対談の場が設けられていた応接間に訪れる。やはりここも貴族臭い。
サーヴァントが脇に控え、二人が向かい合うように置かれたソファに座ると、さっそく話は切り出された。
「まず。ミナト君、最初にきたゴーレム、あれは何なの?」
アイリさんの開口一番、一番言い辛い話を持ち出される。
一応弁明しておくと、なんのミスも無かったはずだったんだ。俺が見た限りでは。
「あれは、伝言に遣わした使い魔……だったんですが……、爆発しました?」
「ええ、それはもうばっちりと。扉を開けた小人が来たと思ったら、いきなりボカンよ」
本当に爆発していたのか。
ここにきても俺の才能の無さが邪魔をしていたのである。やはり、素材の調達から完成まで自分だけで作ったのがダメだったのかもしれない。俺には早すぎたのかな、ゴーレム製作……。
「すみませんでした。お怪我は? 部屋は大丈夫ですか?」
「ええ。セイバーが咄嗟に守ってくれたから大事なかったし、爆発も大したことなかったから部屋もきっと大丈夫よ。それよりも煙の方がすごかったわね」
「そうですか……」
後で掃除しにいかせて貰おうと決意しつつ、今後スモールゴーレムの運用も止めようと誓った。何が起きるか分かったものじゃない。
アイリさんは続ける。
「その爆発の影響で周囲に張っていた結界に異常が出たから、それを直そうとしたら……セイバーが飛び出しちゃって」
「すみませんアイリスフイール……。つい気が立ってしまって」
って、結界の件も俺が原因かよ!
何となく視界がぼやけ始めた気がしたが、すぐに収まった。何だったんだろうか……。その謎は謎のまま放置していようと、何故か頭の中でそう思うと同時、俺は確固たる意志をもって決意した。
───二度と魔術具は作るまいと。
「何から何まで遍く全て俺が原因なのは分かりました。実は、アイリさんに話したい事があってゴーレムを遣ったんですが、お話しいいですか?」
「ええ。まぁ、そうだろうとは思ってたわ」
本当はこんな状況で同盟を切り出すのは気が引けるが、考えてみると言うなら今日しかないのだ。断られたらその時は仕方ないと思う。潔く、この場を去ろう。
「俺は───貴方達アインツベルンと、同盟を結びたい」
「……私達がそれに応じた場合の対価は?」
「聖杯戦争において、現時点で我が陣営の持つ情報を明け渡します。また、同盟期間中に新しく手に入れた情報があったとすれば、それも明け渡しましょう。それ以上は、ありません」
もとより、同盟に足るほどの対価というものを俺達は持ち得ていなかった。真名、宝具共に露見している上、サーヴァントの性能は良いにせよ
「故に、こちらから求めるのは戦闘の協力のみ。そちらからの一切の情報の開示は必要ありません」
申し訳程度にそう一文付け加える。そうでなければ、きっと肯定は得られない。
「……今ここですぐに答えは出せないわ」
「そうですか」
その答えは予測していた分、衝撃を受けることなくすんなりと応答できた。
条件を飲んでもらえれば良々、無理だったならば道理なだけ。もはや決定は天運にかけて神に祈るばかりだ。
「今日中には答えを出すわ。できればその間、屋敷を空けてほしいの」
「ええ。分かりました、今日は一日街に繰り出すとします。ですが、その時はまた城に戻ってくればいいのですか?」
「そうね、来てくれると嬉しいかしら。返答が何にしても、身の安全は約束するわ」
それならば、と返答して席を立つ。
いや、先に席を立ってしまったが良いのだろうか。こんな時の礼儀が今一分からないが、あながち間違ってはいないだろうと思うのだけど。結果的にアイリさんは屋敷に残り、俺は外に行くのだから、順序的には正解のはずだ。
『ランサー、合ってる?』
『間違ってはおりません』
ついつい念話に逃げようとする自分に泣けてくる。というかランサー、その言い方、何か思う所があるのならしっかり伝えてくれ。その方が、将来的に俺のためになるから。
◇
まだご立腹気味なアルに道案内を頼みながら自室にまで戻って資金を手繰り寄せた後、城から出る。まだ朝なのだが、ここアインツベルン・フォレストは鬱蒼と生い茂る木々と立ち込める霧のおかげで妙に薄暗い。城の上階にあった来賓室ならまだしも、こう下にまで降りると、余計に光が届かなくなっていた。
行き先は冬木市新都。深山町の郊外に位置するアインツベルン城から苦になる遠さではないが、足でいくには遠いといえる距離である。アイリさんにベンツェの使用を勧められたが、そこは丁重に断っておいた。
「ランサー、頼む」
「お任せあれ」
そうして俺がとった選択は、ランサーに運んでもらうことであった。森の中では人目につくことはまずないだろうし、時間の短縮にもなる。危なげもないことは経験からして心得済みだ。今回は余裕があるせいか、何故かお姫様だっこで運ばれようとしているが、ランサーの選択に間違いはないだろう。
……そう思い為すがままにしておいたが、意外と恥ずかしい。何よりどこに目線をやれば良いのか困る。美男子が視界に入ると、つい腹が煮え滾りそうになってしまうのだ。そうだ、目を瞑ろう。
「では、参りますよ」
その声とともに、一気に風が吹き付けた。
通路は昨日アイリさんが通っていた道があるため、ランサー自身走りやすいはずだ。薄暗さや足場の問題もきっと心配には至らない。この二つの理由から、俺は安心して黙想に浸る事ができそうだった。
ランサーを召喚してから早三日。ろくに会話する時間もなくここまで来てしまった。今日は、そんな状況を打破するいい機会である。
「そうだ、ランサー。やっぱり面倒だから新都まで頼む」
「……はっ」
心労、お察しします。
「到着しました、主よ」
「ああ、ありがとうランサー」
俺が言ったあの言葉は、人目につかないこと。俺を運んだままであること。昼間であること。という三つの難題を含んだ、正直俺自身実は結構無茶振りなんじゃないかと思うものであった。しかし、ランサーは新都のビルとビルを跳び渡るという手法を用い、それを成し遂げてみせた。これには拍手喝采雨霰である。こうして降り立ったビルの屋上も、しっかりと階下へ降りられる建物を選んでいるところなどが高得点だ。
ランサーへの感謝もほどほどに、ビルを降り始める。
しかし、すぐにそれを後悔した。どうやらこのビルはオフィスビルだったようで、よく考えてみれば、平日の昼間に見知らぬ子供がいたとなれば訝しまれるのは当然だ。12階建てのビルを散々に怪しまれながら下りるとか、何の苦行だって話だ。
やっとこさ下りきって地上に戻ると、それを待っていたらしきランサーが疑問を口にした。
『ところで主よ、一体どうするおつもりで?』
『うむ、ではまずお前の服を買おう』
『……は? 何故、いや、どうしてその必要が?』
『俺のためだ。見ろ、お金の準備も万端だ』
すっとポケットから財布を覗かせる。中には気合で詰め込んだ札で一杯だ。ちなみに、ランサーは霊体化しているので俺のこの行為はある意味奇行であった。
『時々……ミナト殿が何をしたいのか、私には分かり兼ねないときがあります』
その言葉に、頭を抱えるランサーの姿を幻視した。
『そうか? 俺は分かりやすいと思うんだけど』
ウェイバーにも分かりやすいとよく言われていた。曰く、感情が顔に出まくりだとか。それはお前も同じだといってやったのだが。
すでに買う所は決まっていた。さぁ、いこう、ランサー。
ヴェルデへ!!
◇
三階にある紳士服売り場を一通り見て周る。平日の昼間ということもあり、さすがに客足は少なかった。ヴェルデの客足がこうもまばらであることに、正直戦慄したが、逆に考えてみると気がかりだったランサーの試着室の利用が楽になることにも気が付いた。
『ランサー、これなんかどうよ』
と、ベストやスーツを見せる。同じ騎士であるアルがダークスーツを着ているのだし、ランサーもそういった服が良いかもしれないと考えてのことである。して、ランサーからははっきりとしない答えがかえってきた。
『と、言われましても……。現代の装束に関してはよく分かりませんので』
それもそうだった。それに、町を出歩くとしてスーツは少し決めすぎか。
というわけで四階の売り場に移動し、物色をはじめる。ランサーがそう言う以上、俺が適当に見繕ってやる必要があるのだが、これは難しい。ただでさえヴェルデ、その良品の中から上下一つずつだけを選ぶのだろう? そんな罪深い事、俺には、できないかもしれない。
『あぁ、あの服なんかどうでしょう?』
ちょうど良くランサーの念話が頭に響く。日常的にかけている知覚共有によると、どうやら黒い革ジャンのことをいっているようだった。
『……あのさ、ランサー。お前もしかして、イギリスのロッカーみたいになりたいの?』
『え? い、いけませんか?』
『他人の趣味をとやかく言う気はないけどな……』
───正直ちょっとありえない。
目立つからという理由でスーツの考えを却下したというのに、革ジャンでは意味がないではないか。それならばスーツの方が何倍もマシだ。
一瞬で先行きに暗雲がかかるのを感じ、周囲の服を見回す。どうやらランサーの美的センスはあまり良いとは言い難いものらしい。もはや迷ってはいられない、このままではウチのサーヴァントがパンクになりかねない。
目に留まった一セットの服を掴み取り、抜き出す。それは黒を基調に緑のラインの入った───いわゆる、ジャージというものである。
『ランサー、こいつだ。俺はお前にこいつを着て欲しい』
『そうですか……? 確かに、これならば目立ちませんね』
ランサーが好印象なのは幸いだ。ほら早く、試着室に急ぎなさい。
試着室が分からないというランサーを案内し、霊体化を解かせ服を手渡す。さすがに服の着方が分からないとまでは言わないようだ。聖杯からの知識だろうか、いや憶測だけど。
「どう? 着終わった?」
カーテン越しに声をかける。
試着がし易いとはいえ、流石にそうそう機会をとるのもどうかと思う。結果的にはサイズが合えばこれが決定稿になるだろう。
ほどなくして、ランサーの滞りなさそうな声が返ってくる。
「ええ、おそらく、これでいいはずです」
シャーッと軽快な音を上げてカーテンがめくられる。
同時、俺の総身を衝撃が駆け巡る。
「……シャイニング・フェイス…………!」
「“輝く貌”……? ああ、似合っていると仰りたいのですね。良かった」
呟きが勝っ手に自己解釈されたようだった。まぁ、概ね間違ってはいないのだけど。ジャージというダサアイテムに着飾られながら、なおイケメンオーラを出し続けるその魔貌。確かにダサいはずなのに、よく見ないとジャージとさえ分からないレベルだ。
「では、しばしお待ちを」
カーテンが閉じられ、中から衣服の擦れる音がする。
ふと思ったが、男が男の着替えを待つ構図って、傍目から見るとどうなんだろう。いや、思考するに足らぬ問題であったか……。
きもい!
ちょっと自分でもどうか思うぜ! こんなイベントがあったのならば一縷の望みに懸けて触媒無しの召喚でも良かったんじゃないか、と今になって後悔する。ほら、駅前のアイスクリーム屋さん、女の子と行きたかった。たしか男二人で入るような空間では無かったはずだ。いや、まぁ、行くつもりではあるが。
「すみません。ミナト殿、服を持って頂けますか」
その声にカーテンを見れば、横の隙間からにゅっと腕が伸びている。その手には、ランサーの着ていたジャージが丁寧に畳まれ乗せられていた。几帳面だな。
その思いを無駄にしないためにも、こちらも両手で丁寧にホールドする。決して形は崩さなかった。
『時間をおかけしました』
『あ、霊体化したのか。便利だよな、それ』
用済みになった試着室のカーテンを開けて、何事もなかったかのように見せかける。もし一部始終を見ている人がいたならばその目を疑う事態だな。だが残念、ランサーは忽然と姿を消しました。霊体化的に。
後は支払を済ませるだけだが、レジはどこだったか。
『先程、衣服と紙幣を交換している貴婦人を見かけましたが、そちらのことでしょうか』
『おお! そこだ、そこ。で、どっちだ?』
『右の柱の方でございます』
ランサーの言う通り右を見れば、確かに白く美しく逞しい柱が天上を支えており、その向こうに、微かにレジと思しきカウンターを捉えられた。ジャージ一式を片手に持ち直し、そこに向けて歩を進める。
こうしてランサーの服を買う事ができ、また俺の夢の理想形に一歩近づいた。最終目標は、俺のことを“ミナト”と呼ばせることだ。それにはまだまだ信頼が足りていない。行ってみれば、今日の徘徊はそういった理由が主であるといえる。一番因縁深いアル達とは少なくとも今日一日は戦闘に発展しないだろうし、直接的な被害を被っていない他の陣営達の標的にされることも昨日の今日ではないだろう。おそらくは聖杯戦争中、もっとも安全に過ごせる一日は今日だ。これはアクションに出ずにはいられない。
「……このサイズでも入りそうにないよなぁ、アイツ……」
「…………!」
レジも近くなっていたその時、ふと、懐かしい声が聞こえた気がした。それと同じく、見覚えのある黒髪も視界に入る。
「ったく、馬鹿でかい図体しやがって。LLサイズでも入るか不安になってくるじゃないか……」
見間違いではなかった。
愚痴っぽい物言いは相変わらず。外国人の小柄な青年が、彼では到底履けないようなサイズのジーンズを品定めしている様は、なんとも奇怪に見える。
考えてみればそうだ。同じ聖杯戦争に参加者として冬木の地に参列した以上、ヴェルデの魅力に取りつかれ、さながら誘蛾灯に集まる害虫がごとく顔合わせするハメになるのは簡単に予想できていたじゃないか。
「ウェイバー……」
「なっ……! ミ、ミナト……!?」
この青年こそ、俺の聖杯戦争の目的。唯一にして初めての友人、ウェイバー・ベルベット、その人であった。
この時代ってウォーターカッターの概念あったのでしょうか。1880年代なんですけど。
構想すらない気がしますねぇ。