ラウラを飲み込んで顕現した漆黒のISと対峙する野獣は、その正体を一目で見抜いていた。
正式名称ヴァルキリー・トレース・システム。頭文字を取り、VTシステムとも呼称されるそれは、過去のモンド・グロッソの
一体如何なる経緯でもって、そのようなVTシステムがラウラのISに搭載されていたのか、思考する野獣だったが、彼はすぐにそれを打ち切った。分からないことを考えても仕方がない、今はこの場を切り抜ける方が優先だと、深呼吸と共に意識を切り替える。
目の前に佇むISは、野獣もよく知っている機体であった。カラーリングが黒一色の塗りつぶされていようが、操縦者が顔のない泥のマネキンであろうが、そのISを間違えることなどあり得ない。
機体の名前は、暮桜。
操縦していたのは第一回モンド・グロッソにおける近接格闘部門のヴァルキリーにして総合部門優勝者、
「どうすっかなぁ~、俺もな~」
軽口を叩く野獣だがその表情は真剣そのものだ。何せ、彼の前に立つのは紛い物とはいえ世界最強のISなのだから。
そして、暮桜が動く。
第一手として放たれたのは、比較的オーソドックスな袈裟斬り。しかしVTシステムによって再現された暮桜の斬撃は、凡百のIS操縦者を遥かに凌駕する速度を持っていた。一撃目、そして続く二撃目、三撃目の攻撃を野獣が躱すことが出来ているのは、単に千冬というIS操縦者を見続けてきたからに他ならない。
『僕もしゅる^~』
「おっぶぇ!?」
だが、それでも追い詰められていく状況に、野獣は一か八か、全力での後退を試みる。スラスターを最大出力で噴かし、離脱する直前、暮桜の刀身が彼の肩を斬り裂いた。
「オォン!?」
「先輩!」
「田所さん、大丈夫ですか!?」
「アーイキソ……」
傷を負いながらも撤退に成功した野獣のもとに、後方で待機していた一夏とシャルルは即座に駆けつける。
「先輩、やっぱりあれって……」
「ヴァルキリー・トレース・システム、つまりCHYの偽物ゾ。本物に比べればお粗末な出来でも、戦闘力はかなり高めっすね……」
「やはりヤバい」とあらためてVTシステムの恐ろしさを認識する野獣。一方の一夏はその目に怒りを滾らせ、暮桜のことを睨みつけていた。
「くそっ、ふざけた真似しやがって!」
「い、一夏……?」
「あの野郎は、何も分かっちゃいない……! 千冬姉がどんな思いで、どんな覚悟で技を磨いて、剣を振るっているのかを……! あんな人形が形だけ模倣して、千冬姉の心を蔑ろにしてるのが、気に食わねぇんだよ!」
ギリィと音の鳴るほど強く、一夏は奥歯を食い縛る。今にも飛び出してもおかしくない彼の姿に、しかしシャルルは冷静に言葉を選んで呼び掛ける。
「でも一夏、一人で挑んだって勝ち目はないよ。いくら偽物でも、相手はあの織斑先生なんだよ?」
「そのくらい分かってる。けど、だからって放っておく訳にはいかないんだ。もしあいつが見境なしに暴れ始めたら、とんでもない被害になっちまう」
「そうだよ(便乗)。それに飲み込まれたBDWGもどうにかしないと(使命感)」
VTシステムは乗り手に関係なくヴァルキリーの動きを再現するため、戦力増強の面から見れば優れたシステムだと言える。だが、あくまで乗り手は乗り手であり、本来ならば不可能な動きすらシステムによって強制的に可能にさせられるため、肉体に掛かる負荷は尋常なものではないのである。況してや、このVTシステムが再現したのは世界最強のIS乗りたる千冬だ、軍人とはいえ代表候補生のラウラが許容出来るものではない。
「……先輩、シャルル、どうにかしてあいつの隙を作ってもらえませんか? 一太刀与える隙さえあれば、零落白夜で決められる筈です」
「あっ、いっすよ(快諾)」
「うん。それが一番有効なやり方だろうね」
エネルギー無効化攻撃、零落白夜。いくら千冬を再現したシステムとはいえ、エネルギーを全て消滅させられては止まるしかない。この場にいる三人の中で唯一の決定打を持つ一夏の提案を、二人が断ることはなかった。
「先輩、エネルギー残量は大丈夫ですか? 僕のリヴァイヴならコア・バイパスで先輩にエネルギーを移せますけど」
「いいっすかぁ?」
シャルルの専用機、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡから一本のケーブルが伸び、サイクロップスに接続される。シュヴァルツェア・レーゲン、そして暮桜との連戦により110弱まで消費されていたシールドエネルギーが、これにより安全圏まで回復する。
「……よし、終わりました!」
「ありがとナス! それじゃ、イクゾォオオオオオオオオオオオオ!!」
エネルギーの譲渡を終えるや否や、野獣は近接ブレードを手に勢いよく飛び出した。そんな彼を暮桜は真っ向から迎撃する。それぞれの構える得物が激しくぶつかり合い、甲高い金属音を響かせた。
「──炎刃、全開!」
野獣が唱えた直後、ブレードから激しい炎が吹き出す。至近距離で突如放たれた猛火には、流石の暮桜も不意をつかれて動きを鈍らせる。たった一瞬、しかしその隙は野獣が一撃を入れるに十分な時間だった。
『アツゥイ!』
「うるせぇ(無慈悲)」
斬撃を受けた横腹が燃え上がり、暮桜からノイズの入った悲鳴が上がった。しかし野獣は更なる連撃を叩き込むことで、その声を強引に黙らせる。
『う~! う~、あついゆ~』
仕切り直しのためか、燃え盛る炎から一旦距離を取ろうとする暮桜。だがその寸前、脚部にシャルルのアサルトカノンが直撃した。ぐらりとバランスを崩したところに、逃れようとした野獣の刃が迫る。
『ああ逃れられない!』
「じっとしろお前! 逃げられねぇぞお前!」
「悪いけど、このまま押し切らせてもらうよっ!」
前衛を務め、暮桜の攻撃を引きつける野獣と、後衛として彼をアシストしつつ、正確な射撃で取れる選択肢を潰していくシャルルのコンビネーションに、暮桜は一方的な戦闘を余儀なくされる。
暮桜の前に立っているのが野獣でなければ、またはVTシステムが織斑千冬という操縦者をより高いレベルで再現出来ていれば、この状況が生まれることはなかっただろう。織斑千冬という操縦者があまりにも規格外であったが故に、システムでは彼女を完全に再現することが叶わず、また本物の千冬をずっと見守り、細かな癖や戦い方を知っている野獣だからこそ、拮抗した戦いを繰り広げることが出来ているのである。無論、彼を手助けするシャルルの力も大きい。
『おじさんやめちくり^~』
「おじ↑さん↓だと? ふざけんじゃねぇよお前! お兄さんダルルォ!?」
『あー痛い痛い痛い!!』
声を荒らげる野獣の剣が、拳が、黒塗りの体に連続で叩き込まれた。身を捩らせ、ふらつきながら後退る暮桜に、今度はシャルルの銃撃が牙を剥く。雨霰のように降り注ぐ弾丸に、暮桜は堪らず絶叫を上げた。
『痛いんだよぉおおおおおおおおおおお!!』
轟く咆哮が大気を叩き、ビリビリと震え上がらせる。その迫力を正面から受けたシャルルは思わず怯んでしまい、引き続けるトリガーから指を放してしまった。絶え間ない銃弾の雨に生まれる空白を一瞬で駆け抜け、暮桜は野獣のもとに至る。
上段の構えから放たれる振り下ろし、それは現役時代における千冬の切り札であった。
そんな必殺の一手に対し、野獣は──笑っていた。
「こ↑こ↓」
『!?』
恐るべき速さで伸ばされた野獣の手が、ブレードを握る暮桜の腕部を掴む。圧倒的な膂力で掴まれた腕は、あたかも固定されたかのように動かない。当然、剣など振り下ろせる筈がなかった。
野獣は知っていた、千冬の切り札を。
そしてそんな彼女の偽物であるVTシステムなら、トドメには必ず繰り出してくることを読んでいたのだ。
「カスが効かねぇんだよ!(無敵)」
力業で暮桜を止めた野獣は間髪入れず、がら空きの腹部を蹴り飛ばす。そのまま拳を固く握り締め、立て続けに振り抜いた。
「邪拳・夜逝魔衝音──!!」
『ヴォエ!?』
野獣渾身の一撃で顔面を殴り飛ばされた暮桜はふっと宙を舞い、ズザザザッと勢いのままに地面を滑る。ボロボロとなり、起き上がることすら儘ならなくなった様子の暮桜に、野獣は後方で準備していた一夏へと振り返る。
「──いきます!」
「オッスお願いしま~す」
「お願い! 一夏!」
野獣とシャルル、二人の声を受け、一夏はスラスター全開でよろめく暮桜へと突進する。小さく音を立てて刀身が変形し、放出されるエネルギーで新たな刃が構築される。
あらゆるエネルギーを無効化する必殺の一閃が、暮桜をブレードごと斬り裂いた。
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛も゛う゛や゛た゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!』
醜い断末魔を残し、維持することが出来なくなったVTシステムは、まるで溶けるように消えていく。残されたのは囚われたラウラであり、意識のない彼女はISを纏う一夏の胸に力なく倒れ込んだ。かなり憔悴しているが息はある、その事実に一夏はひとまず安堵した。
「……ま、色々あったけど、とりあえずチャラにしてやるさ」
自らに抱き止められて眠る少女に、一夏は口角を微かにつり上げた。