異聞 艦隊これくしょん~艦これ~ 横鎮近衛艦隊奮戦録   作:フリードリヒ提督

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随分と執筆が長引きまして、どうも天の声で御座います。

青葉「随分催促されましたね。あ、どうも恐縮です、青葉です!」

なんやかんやあって、提督業引退しました!(2020年1月初頭あたりのお話です。)

青葉「そこ説明しないんです?」

する必要はないでしょう、Twitterでやりましたし、ここでは事実だけ。

青葉「もうお戻りには・・・?」

今のところないです。それでなくとも忙しいので。

青葉「そうですか・・・。」

 まぁ随分と前から見切りはつけていたので、悔いはもうないですとだけ。ただだからと言ってこちらは止めません。しっかりと書き続けますので、今後も宜しくお願いします。

青葉「方針変更で目に見える形での動きは殆どありませんが、ご了承下さいとのことです!」

と言う事で本編早速行きましょう。今回は久々の暗部のお話、少しずつ進行していたある因縁に、ある意味で決着がつくお話です。

青葉「ではどうぞ!」

久々なのだから言わせろォ!!(涙)


第4部3章~暗躍~

1

 

―――2054年12月初頭、史上例を見ない新機軸による作戦を成功裏に終えて、傷つきながらもサイパンへと帰投した横鎮近衛艦隊は、提督である直人と金剛を除く当人達は、当初短いと思っていた休息の時を送っていた。その傾向はインド洋西部からの進撃を担当した面々で特に顕著であり、直人もその一人であった。が、ほんの少しで終わると思っていた休暇は、実際には既に1週間をとうに過ぎていたのである。それもその筈、それらの艦娘達の予想を裏切り休暇は2週間もあったのだ。

この様な情勢を作り出した原因はと言うと、単に提督である直人自身が、休暇の期限を通知していなかったからであった。そこには、日付を気にせずのびのび休んで欲しいと言う思いがあったのだが、そんな思惑を他所に、その思惑通りに、艦娘達は休暇を楽しんでいるようである。

 

 

12月5日(土)11時02分 サイパン島司令部の裏山の一角にて

 

提督「~♪」

 

 司令部の裏手は敷地との高低差が大きく、ちょっとした山の様にも艦娘達からは見られている。その所謂「裏山」の中にはいくつかの広場と遊歩道が整備されており、軽く公園のようになっていて、時折艦娘達の散策する姿が散見される場所である。

その広場の一つで、直人はベンチに寝転がって読書に耽っていた。彼にとっても纏まった休みは久々で、ゆっくりと時間を気にしなくてもいい読書の時間を過ごせるとあってウキウキであった。完全にオフと言う事もあり、非常時に備えて身に付けているスロートマイク型のインカムも静かなものである。

 

矢矧「・・・まぁ、私達が言える事じゃないわね。」

 

北上「流石に休みたいよね、提督も。」

 

矢矧「そうねぇ―――はぁ、私達の提督が、日向で読書をこんな時間からしてるなんて、軍令部が知ったらどう思うかしらね・・・。」

 

 こういった時の艦隊運用は金剛の仕事なのだが、金剛も休養中、幕僚の榛名も当然休養中の為、大淀と瑞鶴、それに香取が立候補して、艦隊全体の運営を代行すると言った有様であった。少し離れた所を通りがかった2人も、口ではそう言いながら休養中の身である。尤も、直人の休みを邪魔しても悪い為、足早にその場を去ったのだが。

 

「―――もう、昼間からこんな所で読書だなんて、いい御身分ね。」

 

提督「働き詰めでも体を壊すからな、難しい匙加減だ。」

 

直人がそう言ってやり返した相手は瑞鶴であった。

 

瑞鶴「えぇそうね。大淀さんから様子を見てくる様に言われて来たけど、やっぱり読書してたわね。」

 

提督「ははは・・・。」

 

瑞鶴「もうすぐ御昼ご飯よ。そろそろ戻ってきなさいな。」

 

提督「ん・・・あ、ホントだ。」

 

腕時計に視線を向けてそう言うと、直人は読んでいた本にしおりを挟んで畳み、ベンチから起き上がる。

 

提督「・・・え、そんだけ?」

 

瑞鶴「大淀さんからはそれだけよ。提督さんってば、呼びに行かないと全然来ないからって。」

 

提督「やれやれ・・・。」

 

 なまじ今まで確かにそう言った傾向はあっただけに、何も言い返せず肩を竦めた直人であった。彼は瑞鶴を従えると、持ってきた本を小脇に抱えて、ゆったりした足取りで広場を後にするのであった。

 この年12月初頭の横鎮近衛艦隊は、第一艦隊と一水打群、更に両部隊以外から「白鯨」捜索に参加した艦娘達が全員休養中の為、サイパン司令部の至る所で、余暇を満喫する艦娘達の姿を拝む事が出来たという。一部は本国に休暇旅行に出ており、司令部を不在にしていた。この間、艦隊運営は第三艦隊を軸に、第六艦隊と編成途上の第二艦隊の合計3個艦隊だけで行わなくてはならなかった為に、一時的に戦力は低下していた。

ただこの頃になってくると、状況の推移変化と共に艦娘達の母数が増えている上、力量も初期の頃とは比べ物にならないほど向上していた為、懸念材料があるとすれば、母艦航空隊の機材の補充と、補充搭乗員の訓練位のものであった。それさえも、基地航空隊がその穴を埋める事でカバーされていたのだが。

 

 昼頃に大食堂にやってきた直人は、昼食を摂る為カウンターに向かった。土曜日と言えば食堂の調理担当は金剛だが、金剛は休養中かつ今は本土に行ってしまっている為、この日の朝から別の艦娘がヘルプで入っていた。

 

天城「はい、どうぞ。」

 

提督「ありがとう天城。」

 

天城「いえいえ、簡単なものしか作れなくて申し訳ないのですけれど。」

 

 天城はそう苦笑しながら言ったが、他の艦娘達と遜色ない程度の料理の技能がある事は盆に乗っているものを見れば見て取れたから、天城の言葉はただの謙遜であっただろう。

 

提督「いや、それでもヘルプで入って貰えて助かるよ。」

 

天城「お役に立てて、天城、嬉しいです。」

 

提督「慣れないだろうし余り無理するなよ、それではな。」

 

天城「はいっ!」

 

彼はそう言ってカウンターを離れ、適当なところに陣取った。するとそこへ瑞鶴がやってきて言う。

「隣いい?」

 

提督「いいよー。」

 

 完全にオフのノリで言う直人だが、瑞鶴はそんな事お構いなしに隣に座った。司令部での瑞鶴は基本的に胸当ては着けておらず、服装も上衣だけ弓道着の白筒袖ではなく、白の第2種軍服を纏っているが下は艦娘としての制服である赤のスカートである。腰から上だけを見れば、海上自衛軍にも居そうな風采ではあった。

因みに下だけスカートの理由は「その方が慣れているから」であり、翔鶴は下も軍服を着用している。基本的にセーラーなどの普段でも着られるスタイルが制服の艦娘は、そのまま司令部でもそれを着用している事が多く、その点では翔鶴型も例に漏れない筈なのだが、何故かここの翔鶴型姉妹は、制服を司令部で使いまわしていないのである。(無論第1・2種軍服も彼女達の正装であり、その点は自由であるのだが。)

 

瑞鶴「はぁ~。ホント大変ね。」

 

提督「瑞鶴もすまんな、秘書艦代行業務なんて。」

 

瑞鶴「今更水臭いわよ。どーんと頼りなさいな。」

 

提督「うん、ありがとう。」

 

「どういたしまして。それにしても、天城も料理出来たのねぇ。」

そう感心したように瑞鶴が言うと、直人も答えた。

 

提督「確かに。一応自炊奨励してはいるけど、皆忙しいから手を付けないのが実情だからね。」

 

瑞鶴「ま、それが本来の仕事でもあるしね。」

 

提督「あ、そうだ。航空隊の再建の方は?」

 

瑞鶴「流石に全然ダメ。機材が揃わないもの。」

 

提督「そうか・・・。」

 

瑞鶴「そうよ~、何処かの誰かさんがどうしてもって言うから。」

 

提督「ハハハ・・・確かに。」

 

直人が苦笑しながら言うと、瑞鶴が言う。

 

瑞鶴「いいの。搭乗員の犠牲者は損失機数に比べたら少ないし、それに―――」

 

提督「・・・?」

 

瑞鶴「―――提督さんが帰って来てくれるのが、一番嬉しいもの。」

 

「―――。」

直人が驚いたように瑞鶴の顔を見ると、瑞鶴は耳を真っ赤にしながら慌てて言った。

「・・・い、今の、ナシ!」///

あからさまに照れて発言を取り消そうとする瑞鶴を見た彼は思わず吹き出してしまった。

瑞鶴「な、なによ!?」

 

提督「いや、瑞鶴は俺の事、ちゃんと心配してくれてるんだなぁって、思ってね。」

 

瑞鶴「そ、そんなの、当たり前じゃない。提督さんが居なかったら、誰が艦隊を指揮するのよ。」

照れ隠しにそんな事を言う瑞鶴に、直人はちょっと意地悪な事を言ってみる事にした。

「金剛でも瑞鶴でも。俺でなくても艦隊はやってけるだろ?」

 

瑞鶴「それは!」

 

提督「そう思って、俺に反発する奴もいるからさ・・・。」

 

瑞鶴「―――!」

 

 直人の言葉には明らかに、彼に対して謀反気を強く持つ艦娘達の事が暗示されていた。那智や大井、霞と言った艦娘達である。相変わらず彼のやり方に不満を持つ彼女らの存在は、直人にとって頭を悩ます事この上なかった。

しかし彼は彼で自説を曲げるつもりは毛頭なく、これによって全面対決の構図になっていると言うのが実情で、艦隊の団結が危ぶまれる事態となっていた。

 

「全く・・・難儀なもんさ、貧乏くじとしか言いようがない。」

と言う直人の愚痴にも似た嘆きに、瑞鶴は慰めの声をかけた。

「でも、提督さんはめげずに頑張ってるじゃない。」

 

提督「当たり前さね、俺がめげたら誰が軍令部の無茶振りを聞くんだ。俺は結局、めげてる場合じゃないって事でもある。」

 

瑞鶴「・・・ホント、貧乏くじよねー。」

 

提督「あぁ、全くだ。」

 

 そう言ってお互いに苦笑しながら彼は食事を口に運ぶ。彼をして思わしめている事でもあるが、この世はままならぬものだと言うのが実際の心情だった。彼の高潔な理想も、残念ながら万人に受け入れられる訳では無いのだ。

事実として那智や霞のように反発が根強くある事がその証明でもあり、近代国民国家と言う体制そのものが孕む、水面下にある潜在的な反発と言う後日の禍根の種が、一見強固な絆で団結した様に見えるこの艦隊にも存在すると言う事でもあった。

 この提督への反発に根差す不満の種が根を張り続ける限り、何れ後日に災いを齎しかねない。はっきりと断じてしまうならば、組織内における不協和音は、時として致命的な結果を組織に齎しかねないのである。彼はそのことを承知していたが、その根幹の原因となるものが、彼が、若しくは彼女らが固く信じてやまない主義信条の話とあっては尚の事解決は困難であったし、これが命令違反や、ひいては提督自身への危害に及ぶ危険もある事を考えれば、これは由々しき事態と言えるだろう。

無論戦場ではある程度言う事を聞くだろう。幸か不幸か提督 紀伊 直人はどの艦娘より強大な力を持っているからだ。しかしそれが、彼の代弁者である金剛や瑞鶴と言った指揮官格の艦娘であったら、果たして統制しきれるだろうか。

 

 更に言えば、生身の彼に「艦娘を殺せない」事は以前述べた通りである。故にこう言った平時の、しかも静養中の時期こそ一番危険なのである。なぜなら彼は武装していないのだ。

いかに人間離れした実力を誇る彼でも、素手で艦娘と渡り合うのは余りにも分が悪い。第一膂力(りょりょく)に差があり過ぎるからである。これは如何に重量があっても遠心力と言う観点で劣る錨で刀の直人と対等に渡り合う電がいい例だろう。

しかも艦娘達に彼の魔術の事は殆ど知られていない(現状時雨を除いて何かの手品か艤装の能力だと思われている)し、知られてはならないから、事実上素手で立ち向かう事を余儀なくされかねないのである。

 当然この点は彼も考えていて、念の為川内を遠巻きにだが護衛に付けている。川内個人の能力としてもそうした隠密行動には適しているし、その対人戦闘能力は艦隊内で並ぶ者が無い。

当初はそれさえ断ろうとしたのだが、大淀や金剛と言った艦娘達に強面で詰め寄られては流石に言い返せなかった彼でもあった・・・。

 

 

2

 

その後、自室に戻った彼は特にやる事もなく、自分の刀である極光と希光の手入れをしていた。刃物の手入れは何時如何なる時も欠かしてはならない、これは刀を扱う者としては当然の心持であった。

 

提督「―――。」

 

無言で作業をする彼の部屋にノックの音が響き渡ったのは、丁度極光の手入れを終えて、鞘に戻した時であった。

 

提督「入れ。」

 

大淀「失礼します。」

 

ノックの主を私室に迎え入れた直人は、その後ろにもう一人付いているのに気付いた。

 

提督「・・・珍しいな大淀、龍田を連れてくるとは。」

 

彼は茶化すように言ったが、返答は沈黙で以て返された。これに直人も何かを悟る。

「―――話を聞こう。」

直人がそう言うと大淀は眼鏡のズレを直してこう告げた。

「先程龍田さんが本土より戻りました。それに前後する形で、横須賀鎮守府より指示が来ています。」

そう言って大淀は1枚の紙片を直人に手渡す。

 

提督「指示だって? 俺は休暇中だ、何だって俺に?」

 

そう言って彼はその紙に目を通す。命令書では無く解読文であった文章は、この様な内容だったと言う。

 

“横鎮防備艦隊司令官 石川 好弘少将に面会したき議有り、艦娘数名を選抜し大至急来庁あられたし。詳細は貴艦隊所属「CLT」に聞け 横須賀鎮守府司令長官 土方(ひじかた) 龍二(りゅうじ)海将”

 

提督「・・・正式な文章ですらないとは、あの人らしくもない。余程急いでいるようだが“CLT”とは?」

 

大淀「私もそれは考えました。ですが恐らく、“CLT”の“CL”は『軽巡』、“T”は『龍田』さんの頭文字ではないかと。」

 

龍田「正解ね~。」

 

提督「・・・嬉しくない正解だな。」

 

龍田「あら、どうして?」

 

提督「お前が絡むと碌な事が無い。」

 

そういう彼の声のトーンは本音を言う時の低いトーンであった。だが龍田は動じる風もなく「あらあら」と言っただけである。だが会話をしながら彼は仕事モードに切り替えていた。

 

提督「はぁ・・・で、何か分かったのか。」

 

龍田「独立監査隊―――覚えてるわね。」

 

提督「忘れる訳なかろ。」

 

 独立監査隊―――かつて権勢を誇った『幹部会』によって編成された、近衛艦隊を監視する為の組織・・・とされていたものである。組織自体は密かに生き延び、暗躍していると言う情報を直人も以前掴んでいた。

 

龍田「その目的、朧気(おぼろげ)ながら分かったわよ。」

 

提督「何?」

 

龍田「独立監査隊筋の内通者からの情報だから、話半分で聞いて頂戴。」

 

提督「・・・分かった。」

 

直人が頷いたのを見ると、龍田は話し始める。それは2週間ほど前の事である。

 

 

・・・

 

 

龍田「―――貴方も好きものよね。バレたら首が飛ぶわよ?」

 

「だが、奴らのやっている事には賛同出来ない。例え、深海棲艦を打倒する為でも、やっていい事と悪い事がある。」

 

 ある喫茶店で会合した二人は、声を押し殺して話し合っていた。内通者にとっては命がけの行動であるに違いないが、仮にも秘密組織で働く者として、偽装工作は徹底されているらしく、龍田の目にも追跡者らしきものは見当たらなかった。

 

龍田「同感ね。で? 今日は私にどんな耳寄りな話を教えてくれるのかしらぁ?」

 

「ある同僚が良心の呵責に耐えかねて話した事だ。俺も監査隊はきな臭いと思ってはいたが、これで確信した。」

 

龍田「ふぅん? 気になるわね。」

 

「実は―――」

 

内通者の話し始めた内容は、龍田の背筋を凍らせるのにすら十分過ぎるものであった。一通り話を聞き終えた龍田は、絞り出すようにこう言った。

 

龍田「―――冗談だと願いたい話ね。」

 

「俺もそう願いたい。だが、それを俺に伝えてくれた奴は―――」

 

龍田「・・・消されたのね?」

 

「あぁ・・・脱柵を試みてな。きっと、精神的にも耐えられなくなったのだろうと思う。」

 

龍田「そう・・・お気の毒にね―――」

 

 

・・・

 

 

その話を黙って聞いていた直人だったが、その話の核心を聞くや愕然とする。それこそが、この情報で最も重要な部分であったからである。

 

提督「―――負の因子の、「人間への固着実験」・・・!?」

 

龍田「そうよ。」

 

提督「そんな・・・そんな事が出来る筈がない。そんなことをすれば人間は―――」

 

龍田「“知性を蒸発させた獣”に成り下がる。しかもこの負の因子と言うのは、深海棲艦由来よ。」

 

提督「・・・。」

 

 それは、彼にとって想像するだに恐ろしい事であるに違いなかった。直人も一応、霊力を曲がりなりにも扱ってきた者として、それなりの見識はある。彼は黙りこくって、それが齎すであろう“惨劇”を想起しない訳には行かなかった。

深海棲艦由来―――と言う事は、恐らくは深海棲艦に埋め込まれた、生物を兵器に変容させてしまう「核」とされるものを埋め込んだのだろう。

この「核」とされるものは最近論文として発表されたばかりの、深海棲艦の生態に関する論文の中に記述されたものだが、動物実験では()()を埋め込んだ(―――より正確に言えば“飲み込ませた”)場合、「核」は被検体の体内に定着し、その後明らかに悶え苦しみながら身体が「変容」して行き、深海棲艦に成り果てるのだと言う。

動物実験では被検体は尽く死亡し、完全な深海棲艦は生成出来なかったらしいのだが、性格の凶暴化や身体能力の向上などが見られ、明らかにそれまでとは別物のような状態だったとされている。

論文自体は青葉の持つルートから入手して直人自身も目を通したので内容は知っているのだが―――

 

―――しかし、その動物実験を「人間で」行っているとすれば・・・どうだろうか?

そんな事をすれば、ただでさえ脆弱な人間の体は、「核」から溢れ出る負の衝動と、生きたまま兵器に体を作り変えられていく、その想像を絶する苦痛によって物心共に崩壊するに違いない。

そうなれば、良くてもただ破壊をまき散らすだけの獣―――ヒトでも深海棲艦でもない何者か―――に成り下がる運命しかない。概ねは命を落とす事だろう。

 

大淀「・・・だ、大丈夫ですか?」

 

 気付けば彼の体は震えていた。普通ならそんな光景、想像するだけでも(おぞ)ましい。彼がそう思ったとしても無理からぬ事であろう。それは余りに凄惨な現場である。

その命が尽きるまで「核」の力で体細胞が置き換えられていき、それに伴って体中から血液が溢れ出す事だろう。だが「核」によって無限大に作り出される血液と、「核」による身体の再構築によって死ぬ事すら許されず、その浸食が脳に至り、神経的な死―――脳死を迎えるまで地獄は終わらない。

後に残るのは、「かつて人間だったもの」の「死骸」であるに違いない。原形すら留めず、あちこちが硬質化し、元の形すら分からなくなったそれは、役割を果たす事無く宿主と共に死んだ「核」の、弱すぎた宿主に対する最も残酷な形の抗議であるだろう。

深海棲艦であるならば、「核」と何らかの生物データをベースに培養されるのだから苦痛はないだろう。上位種の深海棲艦がヒトの形をとっているのも事実だが、しかし人間は()()()()無いのだ―――。

 

龍田「・・・その様子だと、どんなに恐ろしいかは説明しなくて良さそうねぇ。」

 

提督「―――証拠は?」

 

龍田「ん―――?」

 

提督「龍田の事だ、これだけの大事を、証拠もなしに俺に報告はするまい。」

 

龍田「あら、私も買い被られたものねぇ。」

 

提督「―――茶化してるんじゃないぞ。龍田。」

 

龍田「―――!」

 

龍田の目をじっと見据えた彼の双眸は真剣そのものであった。尤も、そういう時の彼の目には威圧感もあったが、直人の言葉をあしらおうとした龍田はその発言を取り消して言った。

「・・・勿論、あるわよ。そしてそれがきっと、横鎮からの御呼び出しの理由ね~。」

 

提督「うん? なんでそれが関係あるんだ?」

 

龍田「その内通者からは、施設の場所も聞かされてたの。それでその情報を聞いてすぐに土方海将の所に行ったのよね。」

 

提督「・・・成程、証拠を掴むのであれば、公的機関の方がやりやすい。少なくとも、一人でやるよりは。しかも鎮守府は提督たちの不正に対する監査も同時にやっているから、捜査能力も意外と無下には出来ない。」

 

龍田「そう言う事。偽装工作も警戒して一寸(ちょっと)長めの間、艦娘を使って負の因子の探知をしたり、張り込みをして施設への物や人の出入りを見てたみたいね。」

 

 負の因子の観測に艦娘を使う理由は、単純に普段から霊力を感じ取っているからと言う単純な理由である。正の因子、負の因子問わず、霊力の流れもまたガスのように不可視的なものである。であれば、それを探知する専用の機材が必要だが実用化はされていない。となると自然、艦娘を警察犬として使うしかない。

 

提督「で、その結果は。」

 

龍田「―――大当たりだった、って訳。あの情報は()()事実だったって事よ。」

 

提督「・・・半分?」

 

龍田「中で何をしているか、そこまでは分からなかったそうなのよね~。でも、本来深海棲艦が居なければ説明が付かない負の因子は垂れ流しだったみたい。しかもかなり濃密に。深海棲艦が居るみたいだ、なーんて言う子もいたみたい。」

 

提督「・・・出入りしている人の服装は?」

 

龍田「流石、目の付け所がいいわねぇ。」

 

提督「勿体ぶらなくていいから。」

 

龍田「―――独立監査隊で使われている作業服と同種同色のものよ。一般に流通している様なものではないから、メーカー品と言って誤魔化す事は出来ないわね~。」

 

提督「そう言えば、今の『幹部会』にそれだけの組織を維持する事が出来るとは思えない。一体誰なら可能だろう―――?」

 

龍田「そうねー、第二席の嶋田海将補には無理ね。あの人は海上自衛軍と言えども海洋業務・対潜支援群司令よね。人員は多くないわねぇ。」

 

提督「何より奴は人望には欠けるし、あの体躯(たいく)に似合わず小心者だからな。それだけの事をする器ではない。」

 

龍田「第三席の来栖(くるす) 良助(りょうすけ)空将にも無理ね、あの人は航空幕僚副長だけれど、航空自衛軍にそんな事をしている余力はないわ。」

 

提督「土方さんは言うに及ばず・・・となると。」

 

龍田「―――元幹部会第一席、牟田口(むたぐち) 廉二郎(れんじろう)陸将。」

 

提督「奴しかおるまいな。奴は現在陸上幕僚副長として、陸上幕僚幹部のナンバー2として君臨しているし、その前は第1師団長だったからな。人を集めるのは簡単だ。」

 

―――陸上自衛軍第1師団。陸上自衛隊の軍への改編に伴って、元の東部方面隊から新たに創設された本州管区軍関東方面管区へ上位組織が変遷しているが、政経中枢師団*1である事と、首都防衛を任務としている事に違いはなく、北関東を新設された第16旅団*2に、甲信越を師団に格上げされた第12師団*3に引き続き委ね、首都東京と南関東を防衛する為に存在する、陸上自衛軍普通科師団では最精鋭の部隊の一つとされる師団である。

 牟田口 廉二郎陸将の前職は第1師団長であり、第二次大戦以来首都東京が初めて戦場となった、深海棲艦隊の日本侵攻作戦の際に、現在では殆ど廃墟となり見る影もない首都東京の防衛指揮を執った将校の一人である。この際牟田口は水際防御策を建策したが最終的に東部方面管区司令部によって退けられ、東部方面混成旅団(東部方面混成隊を改編)と第16旅団の提唱した誘因戦術に従事して功績を挙げている。

その功により陸上幕僚副長へ栄転し、大本営幹部会を経て現在に至るのだが、牟田口の水際防御策は、東京を廃墟にしてはならないと言う一点以外に利点が無かったが故に退けられたのであり、最終的に東京が廃墟になったとしても、自分達に有利な地形に引き込んだ方が、犠牲も少なく済むと言うのが、東部方面混成旅団や第16旅団が誘因戦術を建策した所以である。

 

提督「一応奴は英雄扱いされていた時期もあるからな。作戦方針を巡って対立こそしたが、東京から深海棲艦共を追い返したのも奴の前線指揮によるところが大だ。そのおかげで人脈もそれなりに広いとも聞いた事がある。あれやこれやのパイプを使って人を集めるくらいの事はするかもしれん。」

 

龍田「でも、それでやっている事は、道義的にも許されないわね~。」

 

提督「龍田がそれ程までに言うとは、奴らの目的とは一体なんだ?」

 

龍田「―――ここからは私の推測よ、よく聞いて頂戴。」

 

その口調からは、普段のふわっとした口調や語尾は消えていた。それはまるであの晩、彼の首を取りに来た時を彷彿とさせるものがあった。

 

龍田「私が考えるに、そんな事をする理由はたった一つ。それは、“艦娘に依らない対深海用新戦力の模索”しかないわ。」

 

提督「馬鹿な、そんな事は」

 

龍田「“出来はしない”?」

 

提督「―――。」

 

龍田「通常兵器では、逆に迎撃されてしまう。衛星を使った通信を利用する機器が機能を失っている以上、レーダーの範囲を超える様な長距離攻撃も無理。艦砲や航空機で、相手の土俵に乗り込んでいくしかない。艦娘以外での対抗が現実的でない。でも、私達艦娘の出現した経緯を考えてみて?」

 

提督「・・・。」

 

 彼は顎に手を当てて考える。思い返せば“最初の艦娘達”と言われた第1世代艦娘が出現を始めたのは2050年頃の事であり、その発生は一種の自然発生的なものであった。その理由も原理も現在では不明であるが、何らかの要因が揃ったと見るのが妥当であろう。

こういった経緯や、新しいものに対して猜疑的な者達が多い事から、様々な形で艦娘に対して懐疑的、若しくは反発的な者達が多い事は既に述べた通りである。*4

 であるならば、どの様な方法が最も強力であるか。それはやはり、「深海棲艦の力」を用いる事以外に無い。

深海棲艦達が負の霊力を原動力として用いる力と言うのは、同じ負の霊力を用いる者達、つまり深海棲艦同士で撃ち合う場合、どう言う訳か相互に中和する事無くその効力を発揮する。

正の霊力を原動力にする艦娘達は、通常弾頭や負の霊力による攻撃は勿論の事、同じ正の霊力での攻撃でも中和、若しくは歪曲(わいきょく)作用が働くのと比較すれば、大きな差があるばかりか、一歩思考を進めて奇妙ですらある。

しかしこれを逆に捉えれば扱えるものが限られる正の霊力では無く、深海棲艦の「核」を埋め込むことによって容易に取り入れる事が可能な負の霊力を用いた力を使えば、艦娘に依らずとも、深海棲艦に対抗する事も叶おうという訳である。

 確かに、理屈こそ通っている。霊力を扱う能力というものがそもそも生まれ持ってのものであると言う事は、世間大衆の間では、完全に秘匿された存在である魔術とは違い知られている事ではある。

また人間の体を強化しようと言う発想自体は、別段珍しいものでもない上、様々な手法が考案されてきた歴史がある。

更に言えば艦娘に依らず、負の霊力で対抗すればよいと言うのは、艦娘反対派の一部が提唱し続けている対抗策の一つとして、ある事にはあるのだ。牟田口陸将も艦娘反対派の一人であるから、その様な発想を真に受けたとしても不思議はない。

 

 だが、世の中にはやってよい事と悪い事がある。そしてこれは間違いなく「やってはならない事」であるという確信に至るまで、それほどの時間は要しなかった。確かに戦局は表面上優勢でも、いつ窮迫するかも分からぬ状況ではあるが、だからと言って許される所業ではない。それは人道にすら(もと)る行為である。

必死攻撃である体当たり攻撃が道義に悖るのであれば、人の命をとっかえひっかえして浪費しながら実験を重ねなければならないこの実験は、明らかに人道的にも倫理的にもナンセンスである。

 

提督「―――艦娘を信用するべきとかそうでないとか、そんな意固地で個人的な理由で、この様な行為を許してはならない!」

 

龍田「そう言う事なら、早い内に横須賀に行きましょう?」

 

提督「あぁ、そうしよう。恐らく土方さんも同じ結論の筈だ。」

 

彼は決然と立ち上がった。

 

提督「大淀。伊勢、日向、天龍は今どこに居る?」

 

大淀「全員司令部にいる筈です。」

 

龍田「あら、天龍ちゃんも連れて行くの~?」

 

天龍の名前を聞いた瞬間元に戻る龍田である。

 

提督「深海棲艦にまともに対抗して近接戦闘が出来るのは、正直龍田と川内を除けばこの3人だけだ。そうならないように近接格闘訓練を積んでいたのだが、結局の所、霊力を伴わない攻撃では今回のような状況では厳しかろう。」

 

龍田「そうねー。」

 

提督「大淀、直ぐにこの3人を食堂棟の小会議室へ呼んでくれ。龍田、お前も来い。」

 

大淀「はい!」

 

龍田「はぁ~い。」

 

提督「―――川内、いるか。」

 

川内「ここに。」

 

 その声と共に川内が、視覚的には何も無かった筈の空間から姿を現した。いや、正確に言えば彼はそこにいるのを知っていたのだ。その手品の正体は、川内が所持している光学迷彩装備であった。

 

龍田「フフッ、甲斐甲斐しいわね~♪」

 

川内「だって仕事だもん♪」

 

提督「はいはい。川内、お前も来い。」

 

川内「了解!」

 

そう言うと彼女は光学迷彩マントを外す。すると先ほどまでフードで顔面まですっぽり覆っていて、今も半分見えない状態の立ち姿が露わになる。

 

提督「―――ま、、そりゃマフラーはしてないわね。」

 

川内「意外と暑いんだよねーコレ。」

 

川内は制服を身に着けた上で、光学迷彩を駆動させる為の簡易艤装を装着した状態であったが、マフラーは身に着けていなかった。ただ、暑いと言う言葉の通りやや汗ばんではいた。

 

提督「後でシャワー浴びて来るんやで。」

 

川内「はーい。提督も一緒に浴びる?」

 

提督「阿呆、あとで金剛と鈴谷にシメられるわ。」

 

川内「あはははっ、そうだね~。」

 

龍田「あら~、女の子の折角の御誘いを断っちゃうなんて~♪」

 

提督「お前な・・・。」

 

川内「でもあの2人だったら特に気にしなさそうだけどね~。」

 

提督「意外と気づいてるで。」

 

川内「へー、意外だなぁ・・・。」

 

 などと軽口を叩き合いながら、3人は廊下を歩いてゆく。龍田と川内にとってはかつての古巣との戦いであり、直人にとっては因縁の相手との決戦の幕は、こうして静かに開けようとしていたのである。

告げられる事になる言葉が、自らを苦しめると知らぬまま―――。

 

 

3

 

 その後簡単に事情を説明した直人は、各人が荷物を纏める時間を置いて16時頃にサーブ340改でサイパンを離陸、夜の内に厚木に入ると、大迫一佐の出迎えで一度横鎮本庁の寮に入り、そこで一晩を過ごす事になる。

翌朝8時、手持無沙汰にしていた彼らはようやく大迫一佐に呼ばれて、横鎮本庁内にある小さな会議室に6人全員が通された。

 

12月6日8時11分 横鎮本庁舎・第4小会議室

 

提督「―――。」

 

コンコン、ガチャッ―――

 

ノックの音と共に、6人は一斉に立ってドアの方に向き直り、入室者に敬礼する。

 

「待たせたな。」

 

 声の主は勿論土方 龍二海将である。彼は集まった面々に向けて敬礼を返す。その傍らには、横鎮後方主任参謀である大迫一佐と、軍令部第3課長の尾野山(おのやま) 信幸(のぶゆき)一等海佐に加えて、直人は知らない人物が1人いた。

 

提督「尾野山一佐! お久しぶりです。」

 

尾野山「うん。君が時々隠顕性を無視した立ち回りをするから、情報統制が大変だよ。」

 

提督「それについては、重ね重ね・・・。」

 

尾野山「いや、それを止めるのも、君達の実力を削ぎかねんからな。気にしなくてもいい。」

 

提督「ハッ、ありがとうございます。ところで、そちらの士官の方はどなたです?」

 

その至極尤もな質問に答えたのは土方海将である。

「あぁ、紹介しよう。護衛艦隊後方主任参謀兼横須賀鎮守府事務局長、加藤(かとう) 恒太朗(こうたろう)二等海佐だ。」

 

「・・・加藤です。」

 

提督「―――土方海将、この方には“名乗って宜しいので”?」

 

土方「あぁ。君はもしかしたら面識がないかもしれないが、“例の一件”の関係者だ。末端のスタッフとして関与していたに過ぎないがね。」

 

提督「成程、それは失礼しました。紀伊 直人です、お初にお目にかかります。」

 

加藤「こちらこそ。例の件に付いては、私も痛恨の思いだった。この様な形で会えて私も嬉しく思うし、驚いてもいる。」

 

土方「まぁ、かけたまえ。」

 

提督「ハッ。」

 

土方海将の一声を合図に一同はそれぞれの椅子に座る。最初に口を開いたのは勿論土方海将であった。

「さて、世間話の一つもしたい所だが、事は急を要するから早速本題と行こう。紀伊君は大方の事情をそこの龍田から聞いていると思うが、紀伊君は連れてきた者達に、まだ話していないのかね?」

 

これに対して直人はこの様に答えた。それが、彼が出立前に龍田と川内を除く3人に話した内容を類推するに足るだろう。

「詳しい説明も兼ねて、土方海将から直接お話頂こうかと思い、まだ仔細は話せておりません。閣下の言われる様に、私も急を要すると思いましたので、こうして急ぎ参った次第です。」

 

土方「うん、その節はすまなかった。何分これ程まで早く来るとは思わず、時間を割く事が出来なかった。許せよ。」

 

提督「いえ、急だったのは分かってますから。」

 

土方「分かった。では掻い摘んで話そう。」

 

 そう言って話し始めた土方海将の言葉は、概ね龍田が直人に向かって説明した内容を要約したものに過ぎない。が、ここで初めて聞く事になった伊勢・日向・天龍の3人は一様に驚き、怒り、そして慄いた。3人も含めて艦娘達は直人とは異なり霊力に詳しいという訳では無く、単に行使出来ると言う範囲に留まっているが、深海棲艦の力を人体の強化に利用しようとしていると言う話の危険性は、否応なく呑み込めたようだった。

そして土方海将はその話をこう締めくくった。

「―――この試みは、人の生に対する冒涜に他ならならず、係る道義に悖る行いを、我々は、我々の尊厳を守る為にも、断固として阻止せねばならんのだ。その為ならば、独立監査隊のこの計画関係者の生死は、問うべきではないだろう。」

 

日向「―――恐ろしい事を考えたものだ。」

 

「ちょっと待って下さい。」

 

一同「「!」」

 

そう声を上げたのは、他ならぬ紀伊 直人であった。

 

提督「“()()()()()()()”と言う事は、とどのつまり―――」

 

研究資料を、その“()()()()()()()()()()()()()()()”と言う事ですか?

 

土方「―――そうだ。」

 

 彼の質問に対する答えを聞き、天龍ら3人は驚いたような顔をした。艦娘も提督も、人々を守る為の存在だ。だが土方海将は人々を守る為と言う名目で、悪事を働く「人間」を、彼らに殺せと言っているに他ならないのである。

これは提督である直人を含めた彼らの存在意義にとって著しい矛盾であり、龍田や川内は兎も角、他の3人が驚くのは無理もない事であった。

 

提督「―――。」

 

 余りの事に、彼も言葉を失った。彼も自分の命を守る為に、人を手にかけた事はある。元はと言えば独立監査隊出身である川内に、特別に彼女に命じて自分を守らせた事もある。だが一般の艦娘にそのような事を命じる事が、彼に出来るだろうか。

―――余りに心許ない、と己自身でも思うほどである。リンガ泊地で憲兵の真似事をした時でさえ、「生死は問わない」とは命じられていたものの、実際には艦娘達の士気に関わる部分でもあった為、現実的でないと言うのが彼の判断であった。この為艦娘達には意図的にこの部分は伏せ、またあくまで目的は「検挙」である為、極力犠牲者を出さないようにしてさえいたのだ。

 艦娘達にとっても想いは同じだった。繰り返しにこそなるが、自分達は人々を守る為の存在であると固く信ずる彼女らにとって、いくら提督の命令であったとしても、人間に対してその力を振るう事が出来るだろうか。それでは今人類に対して牙を剥く深海棲艦と、同じ穴の狢ではないか・・・?

この事は艦娘達のアイデンティティそのものに大きく根差すものであり、深海棲艦と“ある種に於いて”似て非なる存在とも言える艦娘達にとって、根源的設問であった。艦娘が撃つべく生まれた対象はあくまで深海棲艦である。例え無数の深海棲艦の血に自ずから塗れていたとしても、人間の血を浴びるのとでは、その深海棲艦と人類全体とが戦争をしている今のこの状況では、その意味合いが全く異なるのである。

 

提督「・・・尾野山一佐!」

 

助けを求めるようにその名を呼んだのは、当然であったかもしれない。尾野山一等海佐は軍令部内で情報や法務を担当している部署でもある第3部のトップであるからだ。

 

尾野山「―――我々も、これについては密かに内定を進める過程で情報を手に入れていた。だが、現行の法規に則る限りに於いて、彼らに対しそれらに抵触する何かが生じた訳ではない。公的に見れば、人体実験をしているという証拠すらないのだからな・・・。」

 

提督「―――!」

 

それを聞いた彼は流石に怯んだ。尾野山一佐も無念そうに顔を歪めていたが、直人に至っては顔から血の気が引いていた。虚ろな目で彼は加藤二佐を見たが、その回答はそれを後押しするものでしかなかった。

「我々も、尾野山一佐に協力して捜査はしましたが、彼らの隠蔽工作は殆ど完璧と言ってよく、仮に人体実験をしているとして、その為の人員をどの様に捻出しているのか、また死亡した者の遺体をどう搬出・処理しているのかさえ不明なのです。」

 

提督「・・・。」

 

 その言葉を聞いた彼は思わず無言になってしまった。その胸中には様々な思念が去来したに違いないが、はた目から見ても狼狽している事が分かるその様子は、あの龍田でさえ内心心配するほどであったと言う。それを沈痛な面持ちで見ていた土方海将でさえも、彼にかける言葉は見つからなかったらしく口を開かなかった。

 

提督「―――尾野山一佐。」

 

不意に彼が口を開いた。

 

尾野山「どうした?」

 

提督「―――この行動は、法的にはどの様な扱いになるのです?」

 

尾野山「・・・無かった事になる。ただ、私は今回、山本海幕長の代理人としても此処に来ている。その海幕長から、君に言伝がある。『君にとってはつらい事になるかもしれないが、係る暴挙は断じて見逃してはならない。この様な事があったなどと言う証拠を、どの様な手段を用いてでもこの世から抹消して欲しい。』との事だ。」

 

提督「・・・そうですか。」

 

 なおも沈痛な面持ちで沈思する直人。伊勢・日向・天龍の3人も様々に考えを巡らせているのか口を開かない。永遠に続くかと思われる沈黙の末、口を開いたのは直人だった。

「―――分かりました、やりましょう。」

 

その声は弱々しく、迫力には欠けた。しかしそれでも彼は決意した事に違いはなかった。

 

提督「正直に申せば、我々にとって著しい矛盾であり、また一番の貧乏くじでしょう。ですが我々がやらなければならないと言う事であれば、それもやむを得ないでしょう。我々が、闇の存在である限り。そうですね、土方海将。」

 

土方「そうだ。本当なら君のような若者にではなく、私自らが出かけて行かなければならない。しかし、証拠も表向きに犯した法もない以上、我々が表立っては動けない。しかしだからと言ってこの無法をのさばらせれば、人々に多大な害を齎さないと誰が言えるだろう。」

 

提督「その通りです。それに私は既に、独立監査隊の刺客をこの手で殺してもいます。今更この手は綺麗になり得ません。ですから私は、この世の闇を背負って、世の裏側に消えましょう。」

 

土方「―――すまない。」

 

提督「謝るにしても、今更ですよ。私は―――」

 

そこまで言いかけて彼は口をつぐんだ。そして一度切ってから吐き出した。それは、決然たる覚悟を決めた証でもあった。

「兎も角、やりましょう。奴らの暴挙を、これ以上見逃すに如かずです。」

 

土方「宜しく頼むぞ。子細はここにいる加藤二佐に聞いてくれ。協力は惜しまん。大迫一佐、頼むぞ。」

 

大迫「ハッ!」

 

伊勢「提督・・・。」

 

提督「・・・。」

 

 思わず心配になるほど憂鬱に沈む顔をしつつも、彼は結局、今までで一番の貧乏くじを引き受けた。それは彼らが元よりそういった極秘裏の特殊な仕事も引き受ける事が前提であり、近衛艦隊と言う存在が、戦時下における艦娘や深海棲艦に関連した無法に対する、カウンターウェイトと言う性質を最も鮮明にしている一面であっただろう。

しかしここで注目するべきであるのは、提督本人が、本心から不本意さと言う感情を排除しきれなかった事である。艦娘達が人を殺める事に抵抗があるのは当然であるとしても、提督がそれに対して躊躇いを覚えたのには勿論理由があった。それを後年、何人か引き取った艦娘達の一人に言った事があると言う。

 その時直人は、この任務について「提督業をやっていて、後にも先にもこれ以上に嫌な仕事は無かった」と言った上でこう言ったと言う。

「自分の身を守る為なら、正当防衛も成立するだろう。深海棲艦とはあの時戦争状態だったのだから正当化されるにしても、戦争の相手ではない筈の人を殺めるのには、それなりの理由があって然るべき筈だ。だがあの時は、『将来的に人に害を与えるかもしれないから』『やってはならない事であるから』と言う理由で、人を深海棲艦と同列に扱って殺すと言う事だった。命を狙われたから自分の身を守る為に相手を殺すのとでは、意味合いが全く違う。あの時ほど、自己を押し殺した事はなかった―――」

それは恐ろしいまでの、彼がした中で最大の彼自身に対する欺瞞であったに違いない。それは、ここからの事の推移を見ても明らかであるだろう・・・。

 

 

 その後、諸々の情報交換や打ち合わせを終えた直人は、会議室を出た後覚束ない足取りで廊下を歩いていた。その後ろに続く艦娘達は、今まで見た事も無い様な彼のその様子に、どう声をかけたものか分からず、6人は静かに寮の割り当てられた部屋に戻った。

直人は部屋に戻ると、椅子に腰かけ頭を抱え、机に向かって考えを巡らせ始めた。

 

10時37分 横鎮本庁・艦娘艦隊寄宿舎208号室

 

話を聞き終えて部屋に戻った伊勢と日向だったが、室内は重苦しい沈黙に包まれていた。それを押し破ったのは伊勢だったが、その声には、いつもの快活さはなかった。

 

伊勢「・・・日向、どう思う?」

 

日向「・・・それは、何に対してだ?」

 

伊勢「―――今回の任務について。」

 

日向「―――そうだな・・・。」

 

伊勢も日向も、土方海将から聞かされた内容は困惑させるに足り得るものだった。確かに、止めねばならない暴挙ではある。しかし、その為に戦う相手は深海棲艦ではなく人間である。日向は伊勢の言いたい事は無論分かっていたし、ずっと考えてもいたから、言葉を選びながら答え始める。

 

日向「・・・正直、私もこんな事だとは、思ってもみなかった。だが絶対に、誰かが止めないといけない事だ。」

 

伊勢「そうだね・・・。」

 

日向「物証も、法的根拠もない相手を、公権力で裁くことは、確かに出来ない。だから、世間では存在しない事になっている私達に、白羽の矢が立ったと言う事は、想像に難くない。でも・・・。」

 

伊勢「・・・?」

 

日向「この手で、人を斬る事になるとは、思わなかった・・・。」

 

伊勢「・・・だね。」

 

日向「だが、問題は提督だ。」

 

伊勢「・・・私は、提督の命令なら覚悟が出来る。」

 

日向「あぁ、同感だ。だがあの様子だと、相当堪えている様だな。」

 

伊勢「・・・励ましに行きますか。」

 

日向「まぁ、そうなるな。」(そう言うと思ったよ。)

 

2人は頷きを交わすと、2人に割り当てられた部屋を出て、隣の提督の部屋に向かおうとした。すると提督の部屋の前に、川内と龍田がいるのを2人は発見する。

 

伊勢「あなたたち・・・。」

 

龍田「―――同じ結論になったみたいね。」

 

伊勢「・・・そうだね。」

 

川内「行こう。提督はこう言う所弱いから。」

 

 静かに発せられた川内の言葉に3人は頷き、伊勢がノックの後にドアノブに手をかけ、扉を開く。部屋の中を見た4人の視界には、扉に背を向ける形で机に向かい苦悩する、自分達の提督の姿があった。勿論誰か来た事位は気づいていたが、彼の関心は端からこの時周囲の事などにはなかった。

 

日向「―――提督。」

 

日向が投げかけた呼び声で、彼はようやく誰が来たのかを悟って振り向く。

 

提督「お前達・・・。」

 

川内「―――提督、私達は、提督を守る剣。そうよね?」

 

「・・・あぁ。」

その質問に彼は頷きと共に答えた。

 

川内「貴方は、私達を守る盾、そうよね?」

 

「・・・。」

2度目の質問には沈黙のまま頷いて答えられた。

 

川内「なら、提督が私達の事を思って悩んでくれてる、その苦悩を、私達にも背負わせて欲しいの。」

 

提督「川内・・・?」

 

川内「一人で背負い込もうとしないで? 貴方は確かに、沢山の艦娘の上に立つ、たった一人の上司かもしれない。私達とは、別の次元で物事を考えないといけない。でもだからと言って、それを一人で背負い込まなきゃいけない訳じゃないと思う。」

 

伊勢「そうよ。私だって、人を斬るのには躊躇いはある。貴方と同じ様に。だからこそ、この想いを共有する事で、受け止める事は出来ない?」

 

提督「・・・。」

 

日向「私達は、提督の命令なら、決断出来る。例え、想いが何処に有ろうともだ。」

 

龍田「そうよ~。私はあんな連中、特に何とも思わないけれど、提督が決断するかしないかで、今からの動きが変わるものね。」

 

提督「・・・この場にいる、全員で背負う。そう言う事か?」

 

弱々しいながらに発せられたその言葉に、4人の艦娘達は各々に力強く頷いた。

 

「―――俺は・・・俺達は・・・これでいいのかな。」

 その直人の言葉に、川内はどういう事かと思った。しかしどう尋ねたものかとも思い、咄嗟に言葉を出せないでいると、彼は少しの間の後こう言った。

「―――俺達は艦娘艦隊だ。大本営の命令であるならば、当然命令は履行しなければならない。だが・・・その艦娘に・・・お前達に、人を殺せと命じる事になるなんて・・・。」

 

伊勢「提督・・・。」

 

提督「俺もこんな仕事は心底嫌だ。だが俺が行く分には、命令であるから勿論行こう。俺の手は既に、人と深海棲艦の血で、どす黒く染まっている。今更、人の血も深海棲艦の血も、雪ぎようがない。だがお前達艦娘が手をかけてよいのは、深海棲艦だけである筈だと今日(こんにち)まで信じてきた。その俺が、自分ですら嫌な仕事を、部下であるお前達にさせられると思うか・・・?」

 

伊勢「・・・私も、同じ気持ちだよ。提督の気持ちだって分かる。でももし提督が一人で行ってしまったら、提督に何かあった時、私達を率いる人がいなくなってしまう。提督が、私達を守ろうとしてくれるのと同じように、私達も提督を守りたい。例え、戦場でなくとも。」

 

川内「提督にとって私達が大事なのと同じ位、私達も提督の事は大事なんだよ? 貴方以外の人の下で戦う事は、私達にとって、考えられない事だから。だから私達は、今回の任務、提督に付いていくよ。必要なのは、命令だけ。ササっと終わらせて、あとで愚痴にしよ? それだったら、幾らでも聞いてあげる。」

 

日向「無理に1人で立とうとするな。私達にも、支えさせて欲しい。」

 

提督「・・・本当にいいんだな?」

 

日向「あぁ。提督の命令なら、立ち塞がる全てを斬り伏せよう。」

日向のその力強い言葉を聞いた直人は、どこか諦めたように、そして何かを振り払うように言った。

「―――分かった、では命じよう。この任務、付いてきて貰うぞ。そこまで言ったのだ、最後まで付き合って貰おう。」

 

川内「最初からそのつもりだよ。例え地獄の果てまでも、提督が止めたって付いて行って、提督を守ってあげる。」

 

提督「・・・ありがとう。」

 

 こうして、休暇中の艦娘達とは対照的に、彼の休暇は突然に終わった。そしてその休暇明けに待っていたのは、彼が後にも先にも、最も不本意だったと言う任務であったのは、ある種において不幸ではあったかもしれない。しかしながら、彼は結局軍人としての宿命の為に、その刀を取らざるを得ない立場ではあったのだ。だがその時ばかりは、彼の配下にいた艦娘達の、固く強い忠誠心に後押しされての事であった。尤も、当の本人曰く「どうせ止めても聞きやしないだろうし、それについては観念しただけだ」と言う事らしいのだが。要するに、彼が折れたのだと言う。

ともあれ、方針は決した。既に出発日時も定まっていたから、彼らはそこに向けて準備を進めるのである・・・。

 

 

4

 

 2日後の12月8日午前6時に密かに新横浜駅に入った直人らは、始発の[広島行]ひかり533号に乗って新富士駅に向かい、そこで横須賀鎮守府が手配したワゴン車に乗り、国道139号線を北上し、富士山を展望しつつ新横浜駅から約2時間半をかけ、富士五湖の一つである西湖(さいこ)北湖畔、観岳園キャンプ場と呼ばれていた場所に来ていた。

長きに渡る戦乱と住民の疎開によって、富士北縁に当たるこの地域は俄かに人口が増加していたが、この一帯には人も住んでおらず、キャンプなどと言う心のゆとりを持つ者もなく、キャンプ場は文字通り荒れ果てていた。

 

「―――で、ここからはヘリで行く、と言う事でしたね?」

直人は傍らにいる同行者である横鎮の情報将校に尋ねた。彼を含む6人は普段の軍服や制服ではなく、横鎮から貸与された海自軍の作業着に身を包んでいた。3人は些か服が窮屈そうであったが、まぁよしとしよう。

 

「はい、陸上自衛軍から1機借り受けましたので、これで節刀ヶ岳(せっとうがだけ)北山麓にある当該施設まで、稜線に沿って隠匿しつつ向かいます。乗員数の関係で、私が同行出来るのはここまでです。健闘を祈る、と言えるような状況ではありませんが、どうか、お気をつけて。」

 

提督「感謝します、お世話になりました。」

 

 礼を述べた彼の前には、タンデムローターの輸送ヘリが1機着陸していた。問題の実験施設は山の中であり、ここからは道すらない状態なのである。しかもその施設は節刀ヶ岳山頂の北側にある窪地に寄り固まる様に建っており、よって彼らはこの一帯の山地の稜線を利して低空飛行を行い、施設の北側の稜線裏に潜入する事になっていた。

勿論この着陸地点は傾斜地だが、ヘリボーン経験が全員無い為、カーゴドアを地面になるべく近づける事で、危険なく下りられるようにしようと言う事に決まっていた。そのパイロットも選りすぐりのベテランが選ばれていた。

6人は言葉を交わす事も無く、粛々とヘリに乗り込むと、ヘリはふわりと舞い上がり、綿密に飛行され尽くしたルートを飛ぶ。この日は曇り空が広がっており、それがヘリの隠密飛行を援け、彼らは一切気取られる事なく潜入に成功した。だがその間、この任務の(様々な意味での)重大さを想い、普段と比較しても嘘のような口数の少なさであったのは間違いない。

 

 節刀ヶ岳の頂は低雲に遮られて見えず、窪地の稜線にも時々綿の様な雲が流れてくるような天気の悪さである。その稜線に向かって、黙々と登って行く6人は、その稜線から、明らかに異様な雰囲気の建物を見出した。

手入れは一件行き届いているようにも見えるが、所々不十分な部分もあり、少なくとも直近数か月程度で建てられた様子では無い、ある程度の年月は立っているようであった。建物は窪地に隠れるように寄せ集まって数棟建っており、最も大きな建物には人員が集中されている様子が見て取れた。

横鎮から得た情報には、その最も大きな建物から、最も強く負の霊力が放散されている事から、そこが実験棟なのではないかと推察されていた。周囲は鉄柵と有刺鉄線に囲まれ、物資搬入用や出入りをする為のゲートや道があった。

 

提督「―――川内、どうだ。」

 

彼は小声でそう聞いてみた。この5人の中では、川内が一番霊力の感知力は高いのである。川内はその直人の質問に対してこう答えた。

「情報通り、あそこから強い負の霊力を感じる。何かがいる、と言うよりは、何かをした、と言う方が近いかも。」

 

提督「というと?」

 

川内「少なくとも複数の性質の違う霊力が、同じところから放たれてる感じ。深海棲艦隊のような、色んなタイプが集まってる時に感じるそれに近いかな。」

 

提督「成程・・・。龍田、警備の数は?」

 

龍田「情報通り、正門守衛4名、裏門に2名、大きな建物の前に2名、構内に10人前後。」

 

提督「―――お任せあれ。」

 

 そう言って彼は1丁のライフルを構えた。それはかつて、金剛に救われた際に携行していたM82A2 バレット“kii Custom”と同じ系譜に並ぶ父の形見の一つ、「M39 EMR“kii Custom”」である。

原形となったM39 EMRは米海兵隊が2008年に配備した、M14の機関部を用いた狙撃銃であり、カスタム内容は標準重量の22.0インチバレルを、22.0インチヘビーバレルに換装して安定性を高めつつ、スコープを3.5-12倍可変スコープに変更した他、様々なパーツを新しいパーツに更新したのである。

銃身の先端にはデフォルトのフラッシュサプレッサーでは無く、サイレンサーが取り付けられていた。彼を先頭にして一同は稜線を潜みながら正門側に回り込んでいき、南西側に射点を確保すると、照準を正門警備の守衛に合わせる。

 

「行くぞ、構えておけ。」

 直人がそう言うと5人は一様に身構えて、その時を待つ。全員が近接装備の上、横鎮から貸与された20式小銃改を提げていた。

(―――許せ、これも仕事だ。)

彼はそう心の中で詫びながら引き金を引いた―――

 

 

 それは、ほんの30秒足らずの事だった。あっと言う間に、4人の守衛は全員頭部を撃ち抜かれ、物言わぬ屍へと姿を変えていた。狙われている事には気付いたかもしれなかったが、その早業と的確さを前にして声一つ上げる事も出来ずに死に絶えたのだった。

 

川内「・・・すご。」

 

伊勢「提督、艤装なしでもこんなに強い訳・・・?」

 

提督「親父の受け売りさ、勿論自分でも訓練はしてるがな。それより行くぞ、連中も守衛が殺された事に気づくまで、そう時間はかからん筈だ。」

 

 そう言って彼は素早く動き始める。5人はその後に続いて動き始め、川内は光学迷彩装備を動かして、自身の能力で上空から様子を窺う。未だ、守衛所の異変には気付かれておらず、また正門はフェンスゲートでは無く、昇降バーがあるのみで、容易に侵入する事が出来た為、川内を除く5人は直ちに正門をすり抜け、敷地内に潜入する事が出来た。

 

「・・・。」

 

提督「―――。」

 

 建物の陰に潜み、巡邏中の警備員の様子を窺う直人。警備員は拳銃と警棒で武装しており、このままでは実験棟とみられる大きな建物まで辿り着く事は容易では無い事は言うまでもなかった。だが彼は何かを待っている様子でもあった。

 

ビシャァッ

 

「―――!?」

 

ドサッ―――

 

 前触れもなく、彼の目の前で数人の警備員が脳漿を撒き散らしながら倒れた。音どころか、何の前置きもなく。その答えが彼には分っていた。そんな芸当が出来るのも1人しかいないだろう。川内と、川内の持つ、サプレッサー付きH&K USPである。

直人らの動きは空中にいる川内には当然見えているし、警備員のそれも言うまでもない。その川内からの側面援護によって5人は無事に実験棟へと侵入する事が出来た。

中は薄暗く、空気は僅かながらも淀み、得体の知れない不気味な雰囲気が、彼らの意識に注意喚起を促した。天龍などは感じた事もない空気感に目を丸くしていた程で、直人ですら、この時の基準でこそあったが、これほど(おぞ)ましい雰囲気は感じた事が無かった。深海棲艦の棲地の方がまだマシである。

 

提督「―――気を付けろ、何かが変だ。」

 

川内「うん、分かってる。」

 

その時、けたたましい鐘が突如として鳴り響く。

 

ジリリリリリリリリリリリ・・・

 

「“侵入者発見、侵入者発見! 直ちに排除せよ! 繰り返す、侵入者発見、侵入者発見―――!”」

 

「まぁ、そうだわな。」

 直人はそう言って右後方上に振り返る。そこには、目立たない角度に設置された監視カメラがあった。彼らの存在は察知され、既に10人以上の武装警備員を始末した事もすぐに詳らかになるだろう。

最早ただで返してはくれない事は、日の目を見るより明らかである。しかし彼らは元より実力でその障害を排除する事に衆議一決している。であるならば、取り得るアクションは一つだけである。

 

提督「総員抜刀、室内での発砲を許可する。」

 

5人「「了解!」」

 

 5人は各々の得物を取り出す。提督を含む4人は刀を、川内は短刀を、龍田は槍を、天龍と龍田はそれぞれ簡易艤装を稼働させる。全てはただ、彼らを殺す為に。通路に面した部屋から、廊下の奥から人影が次々と現れ、銃や警棒を抜き放つ。

彼らに迷いが無かったかと問われれば、それはノーである。だが、彼らは自分達の為だけではない。このまま進めさせた結果奪われる命を救う為に、既に失われた命の為にも、ここで彼らを斬らねばならなかったのだ。

それが、深海棲艦と戦っている者達が、同時に、その人類には過ぎたブラックボックスを開けさせない為の、安直でこそあれ、最も確実な方法であったと信じたのだ。『“ヒト”が、“人”である為』に・・・。

 

 

ドオオォォォン

 

「がっ―――!?」

 

 彼の持つデザートイーグルから放たれた、.357マグナム弾を眉間に受けて、また一人拳銃を構えた男が後ろに吹き飛ぶように倒れる。既に幅2.5mのその通路は赤く染まり、何人もの警備員や武装したスタッフとみられる男達が倒れていた。いずれも既に動かない、頭部の状態から見ても、即死した事は明らかであった。

別の所では龍田が狭い通路で槍を器用に振るって自分より体格で上回る男達を全員切り伏せ、伊勢と日向は建物左翼を、天龍と川内はその反対側を制圧していく。至って理想的な布陣で、1階、2階、3階を全て制圧していく6人。地下階からも続々と増援が駆けつけて来、それを尽く打ち取っていく事になり、当然ながら、斬り捨てられた者も10人や20人では無い。

 

「―――嫌な感触だ。」

2階があらかた片付いた時、右手を何度も開閉しながらそう呟く日向。3階へはこの時川内・龍田・天龍が向かっており、1階からは最早何の音もしない。

 

「俺も、余り快くはないな。」

隣にいた直人は頷いてそう答えた。

 

日向「深海棲艦は、ここまですっと刃が通らない。恐らく、深海での生活に、適応する為なんだろうな、皮膚が厚いんだ。」

 

提督「それも表面は張りがあってはた目には血色が薄い事以外には人と見た目が変わらない。だが握ってみると分かる。確かに暖かいのだが、握った時の感触が人より弾力がある。言ってしまえば軟らかいゴムを握ってるような、そんな感じだ。」

 

 この時日向は内心、「良く知っているな」と思った。まぁ無理もないだろう。彼が大立ち回りをしているところなど、彼女はまだ目にしたことが無いのだ。彼女は感心しつつも、それを窺わせる事なく続けた。

「―――しかもどう言う訳か、そのせいで刃が通りにくい。鎧の代わりとして機能しているのかもしれない。」

 

提督「確かにそうかもしれないな。この“極光”や“希光”であれば難なく切り裂く事も出来るが、それでも手応えが固い。なんとも、形容し難い固さだが。」

 

日向「そうだな・・・。」

 

そこに川内が出し抜けに現れて報告する。

「3階、制圧完了したよ!」

 

提督「ご苦労様。」

 

川内「それで、ここからどうするの?」

 

提督「ひとまず資料類を奪取する。横鎮からの頼みだからこれはやらねばなるまい。その後、ここにある機材物品を完全に破壊する。」

 

川内「いくつか資料室とか研究室(ラボ)があったね、手あたり次第当たる感じかな?」

 

提督「うん、頼む。」

 

川内「了解!」

 

提督「他の皆も頼む。」

 

龍田「私は死体を片付けて置くわぁ。」

 

提督「分かった。」

 

 龍田は直人の了解を得て彼に敬礼すると、1階に姿を消し、残った4人は直人と共にそれぞれ部屋と言う部屋を捜索し始める。この実験棟の地上階は、実態としては研究室であり、3階に2つの資料室、1つの書類保管室などがあり、2階に2つのラボ、1階にも2つのラボの合計4つのラボがあった。

 龍田が死体の幾つかから身分証を取り出して見た所、横鎮の予測通り、陸上自衛軍に籍を置く者達ばかりが、ここで勤務していた事が明らかとなった。日本は現在、国家総動員体制下にあり、各分野から軍に数多くの人々が招集されて奉職しているのが現実である。

その関係で、特に人員を擁する陸上自衛軍には、様々な業種を経験した者達が集っている。自然、技術者や研究者の卵とも言うべき人々も混じっていることから、こうした秘密研究へ人材を充当する事は、陸上自衛軍単体で容易に可能なのだ。つまりこの頃にもなれば、秘密プロジェクトを行い得る土壌は整っていた訳である。

尤も、当の本人達にとってはそのような都合など関係のないものであったが。

 

提督「―――うーん。」

 

 直人は書類保管室に入って手当たり次第に書類を漁っていたが、特に研究に絡みそうも無いものばかりしか見つけられず、唸り声を上げながら紙の束をめくっていた。

そんなところへ伊勢が血相を変え転がり込んで来てこう告げた事で、一気に状況が動き始める。

「提督、ちょっと来て!」

 

提督「あ、あぁ、分かった。」

 

その声色からも只ならぬ事だと察した直人は、手にしていた書類を雑に置くと、伊勢の後に続いて資料保管室を出た。

その行先は、2階にある「早蕨(さわらび)ラボ」と表札に書かれた部屋だった。室内にはロッカー2つとデスクが2つ、観葉植物のプランターがせめてもの彩りを部屋に添え、沢山の書類や資料が各所にあり、片方のデスクにはPCが据えられていた。

 

「見て、これ。」

伊勢が差し出したのは、その書類束の中にあった資料の一つであった。

 

「―――これは・・・!」

目を通した直人はその内容を見て、龍田や横鎮の言が正しかった事を知った。そこに記されていたのは、ここで行われている研究、その概要であったのだ。

 

―――U作業計画書

表題にそう記された書類は、この様に記されていた。

 

1.概要

 当計画は、深海棲艦の生態を追求し、その構造を理解するに努めると共に、その能力を応用する可能性を模索する事が目的である。

これが果たされたならば、現在遂行中の戦争において、人類は飛躍的に優位に立つ可能性を秘めているばかりか、将来の人類の発展に於いて、大きな力となる事は確実である。

 

2.基本要領

 深海棲艦の生物的起源、及び生体的構造の研究を通じて、その実態の全容を把握する事に努めると共に、生態学的見地よりその能力の応用を行い得る可能性を多角的アプローチによって模索し、今次戦争において有用な技術を確立する事を目指す。

研究の性質上、当計画は機密なるを要する。それに伴う注意事項は付記1を参照する事・・・

 

 

提督「・・・ここは、深海棲艦を利用した兵器を生み出そうとしていた、と言う事だな。」

 

「えぇ―――そう言う事よぉ。」

 背後から現れた龍田は、直人の言を肯定した。龍田にしても、端から彼がこの話を全面的に信用してくれるとは思ってもおらず、むしろこうしてここに有り余る証拠を見せる事によって、自身の言葉に偽りがない事を証明しようとしていたのだ。そして彼は龍田の言う「証拠」を目の当たりにしたのである。

 

龍田「はいこれ。」

 

提督「ん、これは?」

 

龍田「ここのラボ4人分のカードキーよ。これが無いとラボの端末にアクセス出来ない仕組みみたいね~。」

 

提督「成程、ありがとう。」

 

龍田「ふふっ、どういたしましてぇ♪」

 

提督「―――よし、とりあえず各ラボの―――主任研究員か、そのそれぞれの役割をまず特定しよう。俺はこの部屋を見る。残りは手分けして頼むぞ。後川内をこっちに寄越してくれ。」

 

伊勢「了解。」

 

伊勢は彼に命じられて早蕨ラボを後にし、龍田もその後に続いて受け持ちの作業に戻っていった。そしてその後資料の山を漁ってる内に、廊下から足音が近づいてきた。

 

川内「提督、呼んだー?」

 

提督「あぁ、呼んだよ。」

 

現れた川内に彼はにこやかにそう答えた。だが、繕われた笑みである事は、川内にはまる分かりであった。

(提督・・・キツそうだなぁ・・・。)

内心で彼女はそう思いはしたものの、表立って口には出さず、彼の次の言葉を待つのである。

 

提督「ちょっとこのパソコンのデータを調べるから、その間にここにある書類の確認お願い。」

 

川内「OK!」

 

 直人はその元気な声を聴くと、一つ頷いてデスクの前に座り、受け取ったカードキーを端末に認証させた。PCが立ち上がりホーム画面になると、彼は目ぼしいファイルを片っ端から調べ始め、そこで様々なデータが入っているものをいくつか発見し、中身を素早く確認して行く。

 

提督「・・・ふむ。」

 

 

そこにあったデータとは、この早蕨ラボの役割を端的に明示するものであった。それは、研究レポートである。

 

・2048年11月18日 早蕨ラボ研究進捗

 深海棲艦の生物的起源は、何者かによって人為的に生み出されたものであるとするのが最も適切であると思われる。「イ級」と呼称される個体の肉体サンプルを用いたDNA解析の結果、多数の遺伝子改変の形跡が発見された。元々は水棲の哺乳類であると思われるが、その遺伝子上に於いて原型は殆ど残っていない為、どの様な生物であったかは不明である。

 但し、この生物がどのようにして、非生物的物体を体表と体内に保有し、また運用しているかについては現時点において不明。更なる研究を要する。

 

・2048年12月1日 早蕨ラボ研究進捗

 ヒト型深海棲艦の起源は、概ねヒューマノイド、殊にホモ・サピエンスと推察される。先日海自軍から提供を受けた「ホ級」と呼称される種の個体の死体を解剖した結果、肉体の構造は我々と酷似していたが、皮膚の厚みがホモ・サピエンスよりも厚く、かつ弾力に富んでいる事が判明した。また肋骨を初めとする、上半身の空洞を支持する骨格・肉体構造もホモ・サピエンスより強固であり、これは海中、特に深海部での活動に耐える為の構造であると考えられる。

 但し、ゲノムマッピングを行いDNAを分析した結果、当該種のDNA内には下半身を構築する要素が欠落しており、当該個体と同種の個体には、これまでの観測及び複数例の簡易的な検体によって、骨盤より下の構造が無い事が判明している事から、この種の個体は、()()()()()()()この様な形にデザインされた可能性が高い。

 なお、腰椎内側に、金属製の球形に類似した物体を発見した。現時点において役割は不明、“堂島(どうじま)ラボ”へ解析に回しておく。

 

 

提督「―――この早蕨ラボの役割は、生物学的な面から深海棲艦の本質に迫るのが目的だったようだな。」

 

川内「そうだねー、資料もそんな感じのものばっかり。」

 

提督「そうか・・・しかもこれ、俺が着任する前の記録だ。と言う事は相当前から研究されてるな。」

 

彼の見たレポートは、少なくとも6年は前のものから始まっていた。6年前と言えば2046年であり、彼が既に霊力駆動型のヒト用兵装を知った後の事である。それ以前のものは、失われたのか、故意に削除されたのかまでは分からないものの、一番最初のレポートについては発見出来なかったのだった。

 

提督「・・・ここには人体実験に関する証拠はなさそうだな。」

 

川内「やってても深海棲艦に関する実験くらいだろうねー。」

 

提督「ひとまず別の所も見てみようか。」

 

川内「はーい。」

 

 川内は早蕨ラボを出る彼の後に続いて部屋を後にする。廊下は未だに物が散乱していたが、龍田が黙々と()()()()()()と見えてある程度は綺麗になっていた。彼らの他に人影は最早一つもなく、どうやらここに居た全員が、研究員でありつつも戦闘要員であったであろう事を彼らに想像させた。そんな彼らの声や物音以外に何も響かなくなった空間で、彼らは情報を集め整理して行った。その結果、前掲の早蕨ラボの研究レポート内に記述のあった“堂島ラボ”が、深海棲艦が装着している装備等に用いられている素材についての研究を行っている事を初め、残る2つのラボの内、“梶原(かじはら)ラボ”が深海棲艦の兵装運用方法についての研究、“鳴見(なるみ)ラボ”が深海棲艦の知的能力についての研究を行っている事が明らかになった。

特に梶原ラボには、霊能力面からこの兵装に迫った痕跡もあり、それが最も最有力であるとするレポートが発見されもした事から、霊力によって深海棲艦が兵器を駆動させている事は、比較的前の段階で詳らかになっていた事を彼らは知ったのである。

 

「―――。」

梶原ラボでその事実の一端を目にした彼は、ある一つの事に思い当たる。

 

提督(―――成程、深海棲艦の研究に比べて、艦娘の“戦力化”が早かった訳だ。そもそも深海棲艦の研究の時点で、“霊力を使う事”がテーブルに乗っていたのだから、その分建造の理論構築も速かったのか。)

 

 魔術は兎も角として、霊力―――霊能力自体は比較的知られた能力である。端的に言えば“霊感”と呼ばれる霊感知能力然り、怨霊や悪霊を祓う「お祓い」もこの世界では霊的な能力の一つであり、やはり胡散臭く見られてはいるものの、立派に周知されているものであるのだ。

しかし普通はこう言った軍事面のテクノロジーで出てくるものではないから、艦娘の艤装が霊力などというもので駆動するとは普通は思わないだろう事は確実であるし、そこが分からなければ艦娘の建造はおろか、その戦力化すらままならないのである。

―――しかしここで、既に深海棲艦を研究する段階で、()()()()()()()()の一環として、その武装が「霊力を用いた技術である」と言う仮説が立てられ、それに基づいて研究が行われていたとしたら、どうだろうか?

この条件なら、艦娘と言う一見奇妙な存在が、どの様にして生まれ、どの様にして戦っているか、見当はある程度付けやすくなるのだ。それがひいては艦娘の建造と言う技術に行き着く事になり、戦力化の加速に直結するのだ。

 

提督(と言う事は、巨大艤装も深海棲艦研究の副産物、という訳か。やれやれ・・・こんな所で理論構築が終わっていたとは。)

 

 彼ら4人が用いる巨大艤装についても、7年前の運用当初から霊力を用いる様に作られていた。つまりこの痕跡自体は、少なくとも8年は前のものと見るのが適当なようである。

それを知った彼の心境は些か複雑であり、艦娘の建造にまつわる技術が、よもや深海棲艦の研究の過程で漏れ出たものを基礎にしていたなどと言う事実もさる事ながら、自分達の切り札さえも、深海棲艦の存在無くして誕生し得なかったのだ。

かつて三技研で言われた言葉、「横鎮近衛艦隊の建造設備が、深海棲艦(イレギュラー)を建造する可能性がある」と言う小松所長の発言は、まるで証拠のない話などでは無く、技術の出所を考えれば、技術者としては当然の懸念だったのである。

余談ではあるが、彼の艤装が宿した究極の力、“大いなる(フィンブル)(ヴィンテル)”の出所も深海棲艦の力である。つまるところ、奇しくも巨大艤装と大いなる冬は、同じ深海棲艦のテクノロジーや力を祖とするものだったのである。

 とは言うものの、人類に出来たのは後にも先にも所詮ここまで、ここで得た霊力技術を現代科学と結合させる、つまり艦娘と同水準の戦力を人類独自で手にする事は、遂に出来なかったのであり、そこから先は全て艦娘技術と言う一つの完結されたブラックボックスを、手探りで使う以外に道はなかったのである。

 

伊勢「提督!」

 

提督「どうだ、そっちは。」

 

伊勢「どれも証拠にはならないものばかりよ。やっぱり、地下に行くしかないみたい。」

 

提督「・・・そうか。」

 

 やはりか―――彼はそう思って、伊勢に全員を地下階への階段に集めるよう指示する。地上階はラボと銘打たれている部屋がありはするが実質オフィスであった。外観から言っても研究室があるような大きな施設には見えず、突入した彼らも地下階への階段を既に発見している。

そして、地上階で様々な事実を発見しこそし、様々な資料やデータを接収した彼らではあったが、本題である人体実験の情報を一つも得られなかった。と言う事になれば、目を向けるべきなのは地下階である。既に人員は一掃され、その点心配する事はない。が―――

 

提督「―――深海棲艦の出現に留意する必要があるな。」

 

伊勢「―――!」

 

驚きの表情を見せる伊勢に彼はこう言った。

「ここは深海棲艦の実験をしている場所だと言う触れ込みだ。生きた個体が居ないと、果たして誰が断言できようか。ましてやそれが人体実験を行っているならば、被検体の独房や、その被害者がいる可能性もある。念の為、全員納刀の上、小銃に着剣して置け。」

 

5人「「了解。」」

 

 5人は背に提げた小銃を降ろすと、その銃口に銃剣を装着すると、コッキングレバーを引いて薬室に最初の1発を手で込める。一方の直人も手にするデザートイーグルのマガジンキャッチを外してマガジンを取り出し、残弾数を確認するが、2発しかないのを確認するとそれをマガジンポーチに仕舞い、交換に一杯まで装填されたマガジンを取り出してデザートイーグルに装填する。

 

提督「――よし、いくぞ。」

 

 その声を合図に、6人は階段を下っていく。照明は落とされておらず、階段には照明が灯っていた為、足元は明るかった。しかしそれでも、錆や汚れの目立つその景色は、明るいにも拘らず何処か薄暗さを印象付けずにはいられなかった。

 

 

5

 

―――そして、階段を降り切った6人は明らかに雰囲気が変わったのを感じた。確かに換気は良くされている。数本の通風筒が地表にも露出していた事からもそれは分かるのだが、それでいても、深海棲艦特有の皮脂と潮の香りが混ざった独特な匂いが、人の生活臭に混じって漂っていたのだ。そんな床以外一面白い無機質な空間に降り立った彼等だったが、そこには最早誰もいない。

その白さが空間の明るさを強調するようだったが、清掃も余りされなかったのだろうか、汚れや錆は覆いようもなく、それが室内の輪郭を浮かび上がらせていた。

 

提督「―――地下も3層あるのか。」

 

 階段横の施設図を見て彼は呟いた。しかもその規模は地上の比ではない事が見て取れた。地下1階だけでも10以上の部屋があり、しかもこの層が居住区になっているらしかった。武器庫もこの層にあり、この層には人が生活するのに必要なものが一通り揃っていた。

 

提督「―――天龍、龍田、この階層を任せる。」

 

天龍「おう、分かったぜ。」

 

龍田「はぁ~い。」

 

直人は居住区を2人に任せたが、彼の指示に応えた天龍の声にいつもの勢いはない。

 

提督「・・・天龍。」

 

天龍「な、なんだよ。」

 

提督「・・・無理するなよ。」

 

天龍「―――サンキュー。」

 

天龍のお礼の言葉を素直に頷いて聞いた彼は、川内・伊勢・日向の3人を連れて、先程降りた階段の隣に折り返されていた、地下2階への階段を下って行った。

 

 

 4人が階段を下りている間も中の雰囲気は変わらぬまま、彼らは地下2階へと足を踏み入れた。降りた先には地下3階への階段が折り返されており、降りたすぐ横の壁には、地下1階の階段出口で見たのと同じ案内板が掲示されていた。

 

提督「―――この階層は徹底して調べるぞ。各自分かれて探索を頼む。」

 

3人「「はいっ!」」

 

 案内板には、この地下2階には資料室やラボがある事になっていた。彼が睨んだ通り、どうやらここに何かがあるようだと言う事は、この案内板からも十分類推する事が出来た。この階層にあるラボは3つ、そして、実験室が2つある事が案内板には記されていた。

直人はその内、第1実験室へと足を踏み入れた。

 

提督「―――広いな。」

 

 それが彼の第一印象だった。勿論他に言うべき事は沢山あった。しかしながら、ここが山岳の地下にあり、しかも地下3層の内2層目である事を踏まえれば、それは余りに広いと言えるだろう。彼が立っている場所は推定面積でも40㎡以上あり、様々な機材や書類棚、複数の机も機材の他に文書などが散乱しており、廊下と同じくグレーの床以外白一色と言う異質な部屋であった。

更に入り口を入って右側にはガラスが張ってあり、近寄ってみると、普通のガラスよりも厚く、その向こうは吹き抜けになっている事が分かった。それが、この部屋に広いと言う印象を与えていた要因であったのだ。

 

「―――!」

 その下を覗き込んだ彼は言葉を失った。床や3階部分の壁からは白さが失われ、何かが付着し、風化した様に、灰色に染まっていたのである。そして所々に、拭い切れない赤い痕跡が見えた―――見えてしまった、と言う方が正しいだろう。つまりその壁や床を灰色に染め上げたもの、それは・・・

 

提督(・・・まさか、血か。)

 

 血液は時間が経過すると、血液中に含まれる鉄分であるヘモグロビンが酸化して黒く変色する。元々の赤みも確かに残るのだが、時間が経てば経つほど黒くなっていく。つまり壁や床に付着した血液は到底拭い切れていないままに放置され、そのまま灰色のシミとして残ったもの、と言う事になる。

そして所々に残った赤い痕跡は、まだそこに付着して日の浅い血液が、今正に酸化しようとしている最中のものなのだろう。まだ確定とは言えないにしろ、彼にそう想像させるには、その光景は余りに説得力を持たせ過ぎていた。

 そして彼は、室内のコンソールに目を向けた。情報があるなら間違いなくここだと確信したが故である。もし彼の想像が事実なら、今彼が立っている場所は、実験室の制御室と言う事になる。

 

提督(コンソール自体は一般的なものだ、俺でも扱えるな―――)

 

 彼は海保時代に海自や海保がこの頃導入している共通規格のコンソールを、彼が海保に籍を置いていた際に、訓練にしろ実務にしろ実際に相当使った事があり、ここにあるコンソールはそれらと同じ系譜に並ぶ機材ばかりであった。つまりここにある機械類を彼が扱えない道理はなく、彼は素早く必要なデータの閲覧にかかった。

幸いな事に何かの作業中だったのかアクセス権限は既に入力されていた為、彼は容易にデータを閲覧する事が出来た。それだけ、彼らの襲撃が奇襲効果を挙げたと言う事だったのだろう事は推察に難くない。

―――しかしながらこの時ばかりは、彼自身その事を後悔した。なぜならそこに記されたのは、苦い現実に他ならなかったからである。

これは彼が持ち帰ったデータの一部を抜粋したものである。

 

―――実験記録

 

・2048年2月10日

 

 “検体α-01”(30代男性、■■刑務所より移送)に対し、駆逐艦級深海棲艦の核埋め込み施術を実施。手順はマニュアル通り。施術後当実験室にて経過観察を実施した。

入室1時間後、体表に硬質化及び皮膚の肥大を確認、筋機能に影響なしとの事。

3時間後、硬質化の範囲が増大、また硬質化した部分が黒く変色を開始、同時に“検体α-01”が全身の痛みを訴え始め、各部から出血が見られ始める。

6時間後、硬質化の範囲が更に増大し、四肢の筋機能に障害、同時に衝動的な暴力反応が見られる。

7時間51分後、突如全身の痙攣の後死亡。

〇検死結果

 脳髄が“核”の影響を受けた事による脳死と推定される。検体の施術方法等については見直さざるを得ないものと推定される。

最終的に体表の硬質化は金属のような状態になり、分析の結果、深海鋼に近い性質を持つ事が判明した。また皮膚の厚みは通常の10倍程度に達しており、細胞・神経構造も異なるものに変質していた。このメカニズムについては更なる実験が必要となるであろう。

 

*補遺1:後日の解剖と細胞分析の結果、各部の細胞がヘイフリック限界*5を起こしていた事が判明した。また、血中から未知の物質が発見され、各部の細胞にもこの物質が流入している事に加え、これが流入した細胞がヒトとは別の遺伝子に書き換えられている事も確認された。そして各部細胞がナチュラルキラー(NK)細胞による攻撃を受けていた痕跡が発見された事から、この物質が体細胞のDNAを書き換えるのに何らかの役割をし、それによってNK細胞の攻撃対象となった全身の細胞が破壊された事で出血が起き、脳髄の脳細胞が攻撃され破壊された事で脳死に至ったものと推定される。なお、この際出血量は本来の致死量を超えているものであったと推定されるが、これについては別途計測を要する。

*補遺2:補遺1の分析結果を確認する為、マニュアルと同じ方法で実験動物C-021(イヌ、犬種:ラブラドールレトリバー)を用いて実験を行ったところ、同様の結果を得る事が出来た。検死結果にもある通り、施術方法は全面的に見直す必要があると思われる。

 

 

「―――。」

 僅かに眩暈を覚えて彼は一旦読む目を止めた。彼が想像した通りの事が起きていた事が、これによって証明されてしまったのである。駆逐艦級の核、つまり小型艦用のそれは、言うなれば深海棲艦の心臓としての役割を持つ。しかしそれは同時に骨髄のような血液生成機能を持ち、宿主が失血程度で死に至るが如き事態を防ぐようになっているのだ。

それは正に、宿主を永久に戦わせる為の猟奇的霊力装置であり、艦娘機関とは根本を隔絶した、肉体と機械の融合を達成する為の機構だったのである。しかも小型艦用の核は自我を持たない集合意識の一種だったと今日では見られており、しかも生きた核を使用している為、その後の実験結果は、その肉体改造が巧緻を極めて行ったことを証明するかのような有様だった。しかしNK細胞の働きを抑制する事が出来なかったようで、80件を優に超す実験結果には、殆どに「失敗した」という文言が並んでいた。

 

「提督!」

その声で直人は我に返った。振り返るとそこにはノートのようなものを持った伊勢がいた。

 

提督「あ、あぁ・・・伊勢か、どうした。」

 

伊勢「これを見て、研究員の日誌を見つけたわ。」

 

提督「ありがとう。」

 

そう言って彼は受け取ると、軽く目を通していく。すると、書き殴られた様に記されたつい最近の1ページが目に留まった。

 

―――2054年10月10日

 失敗、失敗、失敗の連続だ! こんなことを命じた連中は気が狂ってる! 何とかして止めさせるんだ、これ以上、こんな事を続けていたら、おかしくなりそうだ! だが奴らは諦めていない、生きた戦艦級の核が手に入ったとか言っていた。前に戦艦級の核を使った時の結果がどうなったのか、奴らは気にも留めていやしない。今度こそ大丈夫だなどと言ってやがる―――

 

提督「・・・多分この日記の持ち主が、龍田に情報を渡したのだろうな。どこにあったんだ?」

 

伊勢「奥の資料室よ。沢山の資料の中に隠す様に挟んであったわ。」

 

提督「そうか・・・。」

 

彼は心の中で冥福を祈った。

 

「提督・・・伊勢もいたのか。」

そのタイミングで現れたのは日向である。

 

提督「どうした。」

 

日向「第2実験室の机の上に、研究員の日誌があった。ここを見てくれ。」

 

「あぁ・・・。」

彼は開かれたノートを受け取り、そのページを読み―――そして絶句した。

 

―――2054年12月1日

 我々は()()()()()()。過去7度失敗し、どの艦種のものでも成功してこなかった戦艦級の核の移植に、遂に成功したのだ。“検体θ(シータ)-04”の成功には、牟田口閣下もお喜びになるだろう。彼は素晴らしい戦闘力を有し、しかも我々の制御下にある。

些か性格面に難があるが、その様な事はこの際問題ではないだろう。彼は得た力を使って人類の為に戦う事を快く思っており、艦娘を凌駕しうる可能性を持つ彼と言う存在は、今後の戦局を変えるだろう―――

 

「成功・・・成功だと!? 馬鹿な、()()()()()()()()が、どう成功したと言うんだ!?

取り乱したように彼は目を血走らせてそう叫んだ。彼をしてそうさせるに足るだけの状況が、そこには揃っていた。

 

伊勢「提督! 落ち着いて!」

 

提督「これが落ち着いていられるか、この研究所は狂気に塗れていたんだ! こんな事をしなくたって、戦況は既に―――」

 

パチン―――!

 

「―――!?」

 いきなり平手打ちを食らい、彼は思わず面食らった。そんな彼に平手打ちを食らわせたのはなんと日向であり、それは同時に彼に冷や水を浴びせたような効果を与えたのである。

 

日向「落ち着け提督。まずは冷静に考えるんだ。」

 

提督「日向・・・?」

 

日向「私達がするべきなのは、この悍ましい現実を資料として持ち帰り、封印する事だ。それに、このθ-04については大凡居場所が分かっている。」

 

「本当か!?」

驚いてそう問い返す彼に対して日向は淡々と答える。

「あぁ、地下3階の最深部、“Sクラス隔離室”と呼ばれている部屋だ。そこに隔離されているらしい。」

 

提督「・・・成程。つまりここで殺すしかない、と言う事だな。」

 

日向「そうだ。落ち着いたか?」

 

提督「―――あぁ。すまない、見苦しいところを見せた。」

 

日向「いいさ。ほら、ここの所長のものと思われるカードキーもある。」

 

提督「・・・うん、分かった。」

 

彼は日向からそのカードキーを受け取り、意を決して第1実験室を出ると、偶然そのすぐ傍の廊下にいた川内と鉢合わせた。

「うわっ、ビックリしたぁ・・・。」

驚いたように声を上げる川内に、直人は口早に言った。

「おぉ、川内か。丁度いい、天龍と龍田を呼んできてくれ、急ぎでな。地下3階に行く。」

 

川内「う、うん。了解!」

 

 様々なものを見た事で、彼の中で方針は定まった。闇雲な調査しか手掛かりを探る方法が無かったところから、一気に状況が進展した訳である。彼は地下2階に降りてきた天龍と龍田に、簡潔に現在起きている事態の説明をすると、5人を引き連れていよいよ地下3階へと向かうのである。

確実にここに何かがある、と言う確信めいた思いを抱きながら階段を下っていく直人は、自然と刀の柄に手をかけていた。それだけここが危険であるかもしれないと言う事を、彼自身無意識ながらに感じ取ったのかもしれず、それを見た5人も改めて自身の得物に意識を向けたのだった。

 

 

6

 

 地下3階に辿り着いた彼らは、明確に雰囲気が異なる事を否応なく認識した。と言っても景色が劇的に変わった訳では無く、廊下から見える雰囲気は、全くこれまでと同一のものである。だが、それまでもどことなく鼻についた深海棲艦の臭気が、ここに来て明らかに強くなったからである。

地下2階まではそこに人がいた事が分かる程度には、人間の出す臭いがしたものであったが、この階層だけは明確に違うと言う事が分かるほど強い臭気が充満していたのである。それはその匂いが何なのか理解していない者にとっては、空気が淀んでいるとしか思えないような状態であった。

 

「なんだ、ここは・・・。」

直人ですらも、思わず呻くような声でそう言ったほどである。背後に控える5人もそれぞれに顔をしかめていた。

 

川内「まるで敵艦隊の中にいるみたい・・・。」

 

提督「案外言い得て妙かもしれん。ここには沢山の深海棲艦の核が、生きたまま持ち込まれ、そして様々な実験に供されていた。その際に生じた霊力輻射がこの階層全体に及び、これだけの禍々しい空間を生み出したんだろう。当然、霊力を用いる才もない連中には、感じ取る事すら出来んだろうがな。せいぜい、連中の匂いがすると言う程度だろう。」

 

川内「でもそれは・・・」

 

「―――この場所が、深海棲艦によって徐々に浸食されていたと言う事。」

瞠目して龍田がそう言ったのを聞いた川内を除く3人は驚いた様な顔をした。そしてその言葉を受けた直人もまた、全く驚かずこう言った。

「俺の同族―――俺やお前達が守るべき“ヒト”がした事だ。よくその目に刻んで置け。」

 

 彼はそう言うとフロアの廊下に足を踏み入れた。龍田や川内、提督は兎も角、他の3人が驚いたのは無理もない事であった。深海棲艦による浸食と言う行動は元来、彼らがテリトリーを広げる為に行う行動である。そのテリトリーこそ、両陣営で“棲地”と呼ばれるものであり、彼らが事実上占拠している占領地でもあるのだ。この事は当時既に軍関係では知られていた事であり、直人自身も勿論よく知っている事実でもあった。

そしてそれは何も、彼らが意図せずとも引き起こされる事象でさえある。即ち、下手をすれば、この場所もまた棲地へと変貌していたかもしれない。それだけに、その状態は棲地に近しいものがあった。

 事態の深刻さを改めて認識した6人は、何時でも武器を使えるようにしながら各部屋を回り、何かが潜んでいないかを確認していく。彼らは棲地を攻略する時以上に神経を張り巡らせ、入念にクリアリングをして行った。

 

提督「・・・検体房?」

 

彼がふと目を止めた表札には、「第3検体房」と刻まれていた。妙な胸騒ぎを覚えた彼は、手にした銃が直ちに撃てる事と、背後に伊勢が控えている事を目視で確認すると、扉の施錠を解除して少し開け、中の様子を窺った。

 

ワンワンワンワン! バサササッ―――!

 

その声を聞いた彼は扉を開ける。中には動物を収めた檻が沢山置かれていた。犬、猫、猿、フクロウ、鷹と言った様々な動物達がそこにはいた。

 

提督「実験動物達か・・・気の毒にな。」

 

伊勢「お、こんな所に柴犬かぁ。」

 

後ろから伊勢が覗き込みながらそう言うと、檻の一つに駆け寄ろうとする。

 

提督「後にせい。」

 

伊勢「はーい。」

 

 すかさず制止した直人は、その隣の部屋へと向かった。隣の部屋も表札には「第2検体房」と記されており、彼は再び慎重に扉を少し開ける。そして彼はその異様さに思わず目を見張った。

室内には生き物の気配はなかった。ただ左右に並べられた沢山の金属製の棚に、何かラベリングされたシリンダーが無数に並んでいるのみであった。異様なのは、そのシリンダーの中身である。

 

体組織の一部を伴った、深海棲艦の一部だったのである。

 

提督(なんだ、これは・・・)

 

 異様な光景に息を呑みながらも、彼は扉を開け、小銃を構えながら室内に入った。ぼんやりと照明が灯された室内には誰もいなかった。しかし無数のシリンダーが並ぶその光景は、その照明と合わさって不気味な雰囲気を醸し出していた。直人はその内の一つに近づくと、ラベルを読んでみた。

 

―――core-ル 3j71―――

 

 それを見た時、彼は、その正体を悟った。シリンダーに開いていたガラス製の窓を叩いてみると、中に入っていた物体の体組織が、うねっと動いたのも確かに見た。そしてその隣にも並ぶシリンダーの4つまでのラベルと読み比べてみて、彼は確信した。

 

提督「伊勢、ここに並んでいるシリンダー、この中身全部、深海棲艦の核だ・・・!」

 

伊勢「こ、これ、全部・・・!?」

 

伊勢が驚いたのもそれはそれで無理はなかった。この室内には少なくとも300を超えるシリンダーが並べられていて、その全てに深海棲艦の核が納められていると言うのだから。

 

提督「間違いない、しかもこれらはまだ生きている。恐らくはここにある核を用いて、動物や人間に対して実験を行っていたに違いない。」

 

伊勢「でもそんなの一体どこからどうやって―――」

 

言いかけて伊勢は察する。

 

提督「そうだ、何度か我が方の基地が襲撃を受けていただろう。その時に人目を盗んで拿捕し、核だけを取り出したのだろうね。しかもこれは相当数の核を切除したのだろう、手法が洗練されている。」

 

伊勢「それを、ここに保管しているって訳?」

 

提督「それも殆ど動かない所を見ると、一種の休眠状態に置かされているようだ。このシリンダーに充填しているのは多分、ある種の特殊な溶液なのだろう。でなければ、保管するには危険過ぎるからな・・・。」

 

 彼はそれだけ言うとそれらに背を向けてその場を後にする。眠ってくれているのであれば、それに越した事はないと考えた為であった。

第2検体房を出た2人は、更にその隣室に向かう。そしてそこがある意味、一番の問題でもあった。その表札に刻まれていたのは、第1検体房の文字。彼は再び2つの検体房と同じく、施錠を外し、僅かに扉を開けながら、その隙間に銃口を突きつけつつ様子を窺った。

 

―――そこは正に独房だった。中には人の気配もあった。

 

「う、撃たないでくれ・・・っ!」

 

 悲鳴のような男の声が、扉の内側から上がった。その声を聴いた彼は扉を開けて銃を構え、室内へと踏み込んで室内を索敵するが、彼と独房内の者を除けば誰もいない。彼が銃を降ろした時のベルトリングの音を聞いて伊勢も室内に入ってくる。

 

「あ、あんたら、ここの連中か?」

 

 先程の声の主が、怯えたように尋ねてくる。一番手前の房に入っていた中年の男に対して、直人は淡々と答える。

「いや、違う。我々はこの施設の所属ではありません。」

その声を聴いた他の独房に入れられていた者達からどよめきが走る。見れば誰もが薄い青色の服に身を包み、その目からは活力が失われていたが、突然の乱入者に一様に驚いていた。

 

「なら、助けてくれないか? 私はここの方針に反対した為に、ここに入れられていたんだ。多くは死刑囚だが、他にも同様にここに入れられた者達が何人かいる。」

 

提督「死刑囚・・・成程、実験記録と合致するな。ここから出す分には一向に構いませんが、人手が足りませんし、あなた方の移送までは我々も想定していません。この施設の制圧が済み次第手配するので、それまでここで待って頂きます。」

 

「・・・分かった。」

 

返事を聞いて彼が踵を返して去ろうとするとその男が直人を呼び止めてこう尋ねた。

 

「この施設の連中はどうなった?」

 

提督「全員亡くなりました、我々と銃撃戦をして。残ったのは我々と、ここにいる者と、動物達だけです。」

 

「そうか・・・。」

 

それだけ答えると彼はその場を立ち去った。伊勢はそんな彼の背中と独房を交互に見やってから、急いで直人の後を追って第1検体房を出た。

 

伊勢「なんですぐに出さなかったの?」

 

廊下に出た彼に頃合いを見てそう尋ねた伊勢に対して、直人は一言、こう答えた。

「あいつらが逃げない保証がないからな。」

 

伊勢「あぁ、成程・・・。」

 

提督「それにたった6人しかいないのに、あれだけの人数を見れる訳がない。20人はいる様だったしな。」

 

「例の検体の話もあるし、人手は割けない。」

そう得意げに言った伊勢に彼は笑いながら答えた。

「そうだな、その通りなんだ。人間がそう()()()()()()()としたら、どんな姿で、どの様な力を持っているのか、流石に想像もつかないからな。」

 

伊勢「そうだね・・・なんにしろ、ここで終わらせないと。」

 

提督「あぁ、負の連鎖によって生み出された産物だ。だからこそ幕引きにする必要がある。こんな悪夢を、これ以上引き延ばさせてはならない。破滅的な結果を招く前に、終わらせる必要があるんだ。倒すにしろ、決着を預けるにしろ、だ。」

 

伊勢「でも命令は・・・」

 

提督「―――この事実を抹消する事だ。その為には、その検体も殺す必要があるだろう。だが、死を本心から望む人間など、いる訳がないからな・・・。」

 

伊勢「・・・そうだね。」

 

矛盾した世の中だ、と彼がふと思った時、背後から足音がして彼は振り返った。

 

「他は全部終わったぞ、誰も居なかった。あとは“奥”だけだ。」

そう声をかけてきた日向を初め、フロアに散っていた4人がそこに揃っていた。

 

提督「分かった。では、パンドラの箱を開ける事にしようか。」

 

 そう言うと5人は無言で頷いた後、歩き出した直人の後に続いて、この施設の最深部へと歩みを進めていく。直人も改めて銃のセーフティや弾倉の残弾をチェックし、右腰のホルスターに挿された拳銃の所在も確認していく。この時直人はまだ、左腰に提げていた極光と希光は抜いていない。彼は小銃を構えながら、粛々と廊下を前進して行った。

 それ程長くは無い道のりを、角を二つ曲がり、俄かに深海棲艦の気配が強まりだしたと感じたその時、廊下の終端が彼らの正面に立ち塞がった。

それは、廊下の終端を殆ど一杯に占有した大きな扉だった。中央には「Sクラス隔離室」と刻まれた表札と共に、小さな液晶画面が付いたコードの読み取り機があり、これで扉を制御しているようだ。色味はこれまでと変わる事はないが、直人は試みまでに、廊下とその扉の部分を叩いて音を比べてみる事にした。

 

提督「―――材質が明確に違うな。廊下の壁は一般的に使われる壁材と同じ音がするが、この扉は・・・まるで装甲板だな。金属の音もそうだが、音の伝わり方が弱い。空洞が無い感じだ。」

 

川内「頑丈に作らなきゃいけない理由がある、って訳だね。」

 

提督「そう言う事だな・・・天龍?」

 

彼が何気なく天龍に声をかけると、天龍はピクッと一つ体を震わせてから声を出した。

「おっ・・・おう、どうしたんだ?」

 

提督「随分無口じゃないか、大丈夫か?」

 

天龍「へっ、どうって事ないぜ。さっさと終わらせようぜ。」

 

提督「そうか・・・。」

 

 その声を聞いた彼は「無理もない」と内心で思った。当然である、彼でさえ、心を押し殺さなければ飲まれてしまいそうなほど、彼らが感じ取っていた雰囲気は、尋常では無いものだったのだ。普段口数の多い方である天龍でさえその有様なのだし、直人でさえ日誌を見て思わず取り乱してしまったほどである。

他の4人も、受け続けているストレスたるやいかばかりだろう・・・。

 彼は内心ではそう思いつつ、口には出さず、ただこう言って口火を切ったのだった。

 

提督「―――いくぞ。」

 

そう言って彼は、所長の物と見られるカードキーを認証する。

 

“パスワードを認証して下さい。”

と言う文字が液晶画面に出たのを見た彼は龍田に目配せをすると、龍田は一つ頷いて彼と入れ替わり、コンソールに一つの文字列を、どこからか持って来たのだろうデバイスを用いて、乾いた電子音と共に入力した。

 

Mr. Hyde

 

 するとデバイスから「ピーッ」という音が鳴ると同時に、液晶画面に“認証しました。”という文字が現れ、重厚な音と共に扉が緩やかに左にスライドした。その先には通路が少し続いており、彼らが入るとは言ってきた扉は閉まり、通路の先にあった扉が代わって開いた。

 

7

 

―――そこは、異質な空間へと変貌していた。白い壁にはシミの様に変質した黒い物体が浮き、継ぎ目は赤く変色していた。そこには、その白さが与える清潔な印象は何処にもなく、ただ異質化した空間が、そこには広がっていた。

 

そして足を踏み入れた6人の目の前には、一人の人影があった。だがその特徴は、人と呼べるものでは無かった。

 身体的特徴からも男である事は容易に想像が付いたが、両腕の外側は、黒光りするものが隆起し、爪は更なる硬質化を遂げ、全身の筋肉が盛り上がっている一方、皮膚も肥大し、その輪郭を打ち消しつつ、その肌からは血の色が見えづらくなっていた。

その人影は、彼らの足音を認めると、ゆっくりと彼らの方を振り向いた。

「・・・お前ら、ここの連中じゃねぇな?」

粗野な声が周囲に響く。直人は怯む事なく答えた。

「横須賀鎮守府から派遣されてきた者だ。“θ-04”だな?」

そう問われるとその男は答える。

「確かに、“θ-04”と奴らは呼んでいたがそんな名前じゃァない。俺には『幸田(こうだ) 真人(まさと)』って名前がある。」

 

提督(幸田 真人、前科7犯の末、連続強盗殺人の容疑で4年前に死刑が確定した男だ。既に刑が執行されたと聞いていたが、こんな所に・・・。)

 

「あんた、ここの連中はどうした?」

そう問われた彼は、特に包み隠す事なく言う。

「抵抗した者は皆死んだ。検体房の連中以外はな。」

それを聞いた男は高らかに笑いながら言った。

「ハハハハハハッ! 揃ってその若さ、それも女ばかりでか。あんたら強いんだな、それとも、連中が弱すぎたんだな。あんた鎮守府から来たって言ったな。と言う事は、そこに侍らせてんのが、連中の言う艦娘って訳だ。別嬪揃いで羨ましい限りだなオイ?」

 

提督「―――下品な物言いだな。」

 

「よく言われる。」

特に堪えた様子も無く男は言い、暫しの静寂が訪れる。

「なぁ、あんた強いのか?」

沈黙を破った男に彼はただ一言

「さぁな。」

と答えたのみであった。

「そうかい・・・なら、」

 

“その身に聞いてみるとしようか―――”

 

提督「!」

 

「―――なっ!!」

 

 言い終わったのと、男が彼に向かい水平に飛んだのは同時だった。しかもその脚力は尋常ではない。艦娘達の反射神経でも、ましてや彼でも、それを完全に捉える事は出来なかった。その彼をして唯一出来たのは、携えた銃を、自身の前に掲げる事だけだった。

 

ドゴオオオオオン!!

 

「がっ―――!?」

 激しく彼の体が背後の壁のような扉に叩きつけられる。それに遅れる様に、砕け散った20式小銃改が、彼の周囲に破片をばら撒く。骨と言う骨が悲鳴を上げ、激痛が全身を駆け巡りながら、彼の体は重力に従って壁を伝い、床へと落ちて行く。しかし致命傷に近いその一撃をそれで耐えられたのは、掲げた20式小銃改がクッションとなったからこそである。

突然の事に、他の5人は状況を理解出来なかった。ただ彼が、本能のままにその右腕を左腰に伸ばしていた―――

 

ガキイイィィィン

 

提督「―――!」

 彼でも何をしたのか分からなかった。敢えて言うなら、戦士としての本能が彼を突き動かし、極光を引き抜かせたのだろう。そして咄嗟に引き抜き受け止めたにも拘らず、極光は折れるどころか刃こぼれの一つもしていない。

「へぇ、本当に強いな。」

 

提督「・・・舐めるな。本土の軟弱者共とは、鍛え方が違うっっ!!」

 

ギイイイイイン

 

 彼はその一振りで男を弾き飛ばす。彼の膂力は艦娘には到底及ばないまでも、一般的な人間よりは遥かに高い。面食らう男の前で彼はよろめく様に立ち上がった。全身からは悲鳴が上がりっぱなしだったが、泣き言など言っている場合ではない。

 

伊勢「大丈夫!?」

 

天龍「てめぇ―――!」

 

川内「私達の提督に―――!」

 

伊勢が思わず駆け寄り、天龍と川内は彼をかばうように抜刀して立ち塞がる。

 

提督「あぁ、大丈夫だ。銃が俺を守ってくれた―――なんてざまだ。」

 

伊勢「そう、よかった。」

 

「こりゃいいや。正直ずっとここに閉じ込められて退屈してたんだ、付き合って貰うぜ―――。」

 

男は再び身構えた。全身の筋肉に力が蓄えられていくのが、外見からでも明らかな程に分かる。

 

提督「腕のそれは装甲だ、気を付けろ!」

 

 彼が5人にそう叫んだのと男が再び飛んだのは、直人の方がやや早く、ほぼ同時であった。川内と天龍に正面から飛び掛かった男に対し、2人はその腕の一撃を身をよじって躱すと、返しの一撃を左右から同時に見舞う。だが―――

 

ギイィィン!

 

 その一閃は広げられた腕の装甲に阻まれた。特に刀を使っている天龍は余りの感触の硬さに目を白黒させていたが、あっけなく突破されたと見るや直人は一歩、前へ。

 

提督「―――むん!」

 彼が気合いを入れたと同時に、極光の刀身が白く輝きを帯びる。霊力刀である極光が帯びた霊力が彼の霊力と同調した証である。そして気合を入れたと共に放たれた下段からの一閃を男はその両腕の装甲で受け止める。

火花が散り、左腕の装甲に僅かな傷を残したが、正の霊力で以てして余りにも固い感触に、彼は驚きを隠せなかった。深海棲艦相手でもここまで硬いのは殆ど経験が無いのだ。

 そしてその程度で男は止められなかった。男は右、左と連続で装甲での突きを繰り出すと、それを彼は身をよじって躱し、今度は右から払うような一撃を身をかがめて躱すと、直人はすかさずそのまま跳躍し、宙返りしつつ一閃し、背後に着地して回転斬りを見舞う。

(―――背中に目でもついてんのか!)

彼は内心で舌打ちした。加えた二連撃は全て装甲で防がれてしまったのである。

 

天龍「はあああっ!!」

 

 そこへ天龍が簡易艤装を起動して斬り込む。先程と違い鋭い三連撃を見舞うが、やはり結果は彼の時と同じであり、逆に天龍の方が殴り飛ばされ壁にしたたかに打ち付けられる。

そこへすかさず直人も川内と共に飛び込んで二、三度斬りかかるが、その身のこなしは見た目以上に早く、その体に傷一つ付ける事も出来ない。だが彼もさるもの、男の反撃をひらりひらりとかわし、伊勢と日向が飛び込んで来るのを見ると揃って一度距離を置いた。

 

提督(なんて奴だ・・・本当に一般人か・・・?)

 

 艦娘達2人掛かりでも崩れないその守りに彼は舌を巻く。身のこなしや膂力において一般人より遥かに勝る艦娘を相手に、そんな芸当は彼でさえ容易ではないのに、目の前に立つ被検体の男はそれを軽々とこなしている。それどころか人一人を腕の一突きで吹き飛ばすなど、到底常人の技では無い。

 

伊勢「くっ―――!」ギィン

 

日向「化け物め―――!」ガイィン

 

その声で彼は我に返り、そして極光から左手を離し、空いたその手を今一度左腰に伸ばす―――

 

「どうしたどうしたぁ―――!!」

 

 何かを感じ取った男が振り返ると、そこには希光で逆持ちに2度その刃を振り抜いた直人と、迫りくる2つの霊力刃が目に映った。その霊力刃は男の意表を突いたらしく、光の刃は男の上半身を深々と抉り取った。

 

提督(よしっ―――!)

 

漸く一撃を浴びせた事で、彼の意気は否応無く上がった。だが―――

 

「それがどうしたぁっ!!」

 

 男は全く止まらなかった。それどころか彼に向かって突進を仕掛けたのである。直人の目には、急速に傷が塞がっていくのがありありと見て取れた。

(なんだその反則じみた回復力は―――!?)

直人は驚愕したが、だからと言って一度目と違って体が動いていない訳では無い。彼は突き出された左腕を一歩前に出ながら身をかがめて躱すと、勢いをそのまま極光に乗せて、一気にその左脇腹に向かって振り抜いた。

鮮血が迸り、男の体が力を失ったようにそのままどうと倒れ込む。

 

伊勢「提督・・・!」

 

川内「ふぅ―――。」

 

ドシュゥッ

 

提督「―――!」

 

彼が振り返ると、男に止めを刺す龍田がいた。よく見ると龍田の槍は、男の頸椎の辺りを刺し貫いていた。

 

龍田「施術マニュアル通りなら、核はこの辺りにあるわ。見て提督。」

 

龍田に呼ばれ直人がその指差した場所を見ると、彼が切り裂いた左脇腹が、既に塞がり始めていたのが確かに分かった。だが龍田の一突きによってその再生は止まったらしく、傷からは湧き出る様に血が溢れていた。

 

提督「・・・とてつもない再生能力だな。」

 

龍田「確かにこれなら、深海棲艦を止められるかもしれないけれど・・・一撃で人なんて吹き飛ばされてしまうのに、この程度が埋め込み手術の成果だって言うんじゃ、割に合わなすぎるわねぇ。」

 

提督「全くだ。命を賭けるだけの対価があるとは、到底思えないな。さぁ、行こう。龍田、横鎮に報告の用意を。」

 

龍田「はぁい。」

 

彼がカードキーを読み取り機に読み込ませて扉を開け、5人の艦娘達が通路まで出た後、殿の直人はもう一度後ろを振り返る。

「―――。」(結局の所、奴は既に死んでいる筈の人間だ、俺と同じ様にな。ならばこの土深くでもう一度死んだとしても―――)

同じ事だろう、そこでその想念は唐突な中断を余儀なくされた。なぜなら死んだ筈の被検体が動き始めたからである。しかもそのタイミングで無情にも扉は閉まりだす。

 

伊勢「提督―――」

 

提督「下がってろ!!」

 

伊勢「!!」

 

「クククク・・・」

 

扉が閉まり、男が起き上がる。本来なら出血多量で既に死んでいる筈の男がである。

 

「面白れぇじゃねぇか、お前が“連中”の言っていた“例の男”か。」

 

提督「連中・・・?」

 

「ならば・・・ココデコロシテヤル。」

 

その瞬間男の体が変容を始める。腕が、足が、その体が装甲に包まれていく。そんなものに包まれたが最後、恐らく彼の刀は役に立たなくなってしまう。ならば―――

 

提督(魔術制御術式壱式・参式、解放―――!)

 

 彼は切り札を発動する。左手袋の甲に刻まれた術式が輝きを見せ、同時の彼の周囲に10本以上の白金剣が現れる。そして彼はすかさずそれを射出した。見かけ10本に見えた白金剣だったが、実際には彼の内的宇宙から白金剣を取り出す為のゲートを開いただけであり、次から次へと白金剣が連続で射出されていく。

殆どの物質を貫通出来るほどの硬さを誇る彼の白金剣は、深海鋼に変容していくその体を次々に貫通し、ずたずたに引き裂いた。そうして、さしもの被検体も壁を背にして倒れ込んだ。

 

提督「―――ふぅ。」

 

 彼は思わず息をついた。これだけの魔術を行使するのには、相応の魔力を消費する必要がある。しかも彼自身そこいらの魔術師より魔力を持っているとは言っても、彼の魔術である白金千剣はその魔力の量と比しても燃費が悪く、その為に普段は無理なく使える程度にリミッターを掛けている訳である。

彼が再び魔術制御術式をかけ、その場を立ち去ろうとした、その時であった。

 

「グ・・・フフフ・・・」

 

その笑いは確かに被検体のものだった。驚いて直人は再び振り返る。

 

提督(まだ―――!?)

 

「化け物じみた強さだ・・・なぁおい?」

まだ声が出せるのか―――そう驚きながらも直人は言った。

「化け物なのは、お互い様じゃないのか?」

 

「あぁ、ちげぇねぇや・・・。」

そこまで言うと、突如男は断末魔の叫びをあげた。

「―――深海万歳! ()()()()()()()()()()()万歳!! 我らが闘争の先に、栄光あれぇぇっ!!!」

 

提督(―――!)

・・・大いなる冬(フィンブルヴィンテル)、その名を死に際に確かに口にして、男は事切れた。その表情は狂気の笑みに満ち、死んだ事にすら気付いていないかのようであった。だが、彼を支配した想念はそれとは別の所にあった。

 

(まさか・・・この実験は霊力的な繋がりを使い、深海側に漏れていた・・・いや、連中に操作されていたのか?)

 彼のその仮説は戦後補完される事になる。と言うのも、戦後の深海側への聴取や記録等により、特に小型な駆逐艦やそれ以下のクラスの深海棲艦は、戦闘マシーンとして特化させるため、ハイブマインドに極めて近いものだったとされており、また軽巡以上でも通信手段としてテレパシーに近い霊力通信が用いられていた事が明らかになっていることから、心を学習する以前の深海棲艦は、一種の集合精神に近いものだったとされているのだ。

現在のこの情勢は、心を手にした深海棲艦に起こった精神的な進化によって生じたと見る事も出来、その為に深海棲艦内での対立が生じたと言う事も出来る様である。

 

提督「・・・まさかな。」

 

その考えを振り切って彼はSクラス隔離室を後にした。その直後の12時50分、施設の通信設備を使い、横鎮に対し、電話連絡が行われた。

 

 

12月8日12時50分 横鎮本庁・司令長官室

 

プロロロロロロッ

 

カチャッ

 

2人しかいない長官室の電話が鳴り、その受話器を土方海将が取る。

 

土方「―――土方だ。」

 

提督「“・・・鳥籠は壊れ、鳥は飛び立ちました。”」

 

土方「・・・分かった。」

 

提督「“それと、検体として30人ほどの人間やその他動物が収容されていました。これらの収容の手筈をお願いします。我々は彼らの監視に当たり、収容を確認次第帰還します。”」

 

土方「直ぐ手配する。ご苦労だった。」

 

ガチャッ

 

大迫「閣下・・・。」

 

浮かない表情の大迫一佐に、土方海将は告げる。

 

土方「・・・成功したそうだ。施設は確かに実在し、且つ、制圧に成功したようだ。」

 

大迫「そうですか・・・。」

 

土方「―――我々は今度の事を、決して忘れてはならないが、口外する事もまた、当面は許されるまい。」

 

大迫「心得ております。」

 

土方「うむ・・・もう下がっていいぞ。遅くなってしまったかもしれないが、昼食にするといい。」

 

大迫「では、失礼します。」

 

そう言うと大迫一佐は敬礼した後、身を翻して長官室を後にするのであった。

 

土方(成功、などと言ってはいかんな。私も遂に、焼きが回ったのだろうか・・・。)

 

 1人になった彼は執務室の自らの椅子にもたれかかりつつ、瞑目した。奪われた―――否、奪わざるを得なかった多くの人命に対して。そして、それを行った彼らにも。同時に、その任を命令によって強制し、送り出さざるを得なかった土方海将は、この報告を受けて自責の念を強くした。

 直人の送った第一報の意味は、事実、次の通りのものであった。

 

「施設・情報の掌握は完全に終了し、確認された被検体の処分も完了した。」

 

 

8

 

 任務を終えた直人は、護送される途中のヘリで、その掌中に握った物に目を落とした。それは、あの施設にあった全データを収めた、いくつかのUSBメモリだった。この中の幾つかは純然たる研究結果であり、今後何かしらの役に立てられる事は疑いようがない。しかし中には、現実と呼ぶには余りに現実離れし過ぎた、悍ましい記録もまた収められていた。彼の仕事は、尾野山一佐にこれを送り届ける事で完了する。

 

提督(―――「この様な暴挙の証拠を、残してはならない。」か・・・果たしてどこまでが本音なのだろうな。)

 

彼は憔悴しきった頭でそんな事を考えていた。山本海幕長の言伝とは裏腹に、このデータが持ち帰られた理由は、横鎮での細部打ち合わせの際の事であった。

 

 

横鎮を出る前、尾野山一佐とミーティングを行っていた彼は、ごく自然な流れからこんな事を切り出されていた。

「あぁそれと、施設にあるデータについては、全て接収の上で、現場にあるデータは全て処分して貰いたい。」

 

提督「―――お安い御用ですが、今回の証拠は残らず消す、と言う事では?」

 

尾野山「それはあくまで表面上の事だ。彼らが何をしていたのか、それを確かめて置くに過ぎたる事はない。」

 

その言葉を聞いた直人はらしくもなくこう切り返していた。

「―――尾野山一佐。この事について、山本海幕長は何か仰っているのでしょうか?」

それに対して尾野山一佐は首を振ってこう言った。

「いや、これは私の独断だ。山本海幕長には伝えていない。」

 

提督「・・・。」

 

「紀伊君。君達の奮戦も空しく、未だに戦局が芳しくない事は、最前線で誰よりも多く、激しく戦い抜いてきた君には分かっている筈だ。」

 尾野山一佐の言葉は事実である。横鎮近衛艦隊を初めとする一般・機密問わない多くの精鋭部隊や、自衛軍将兵の必死の努力より、敵勢力圏を大きく削り取ったにも拘らず、深海棲艦隊はその勢いを衰えさせる事無く戦線に停滞を齎しているのだ。西はコロンボ、北はアッツ・キスカ島、東はミッドウェー諸島、南は豪州ダーウィンに至る広大な範囲から、敵対的な深海棲艦の勢力を放逐したとはいえ、ソロモン諸島では一進一退の攻防が続き、ベンガル湾では未だに通商破壊が続いている。

 勿論それは太平洋方面でも例外ではなく、サイパンは勿論の事、パラオやラバウル航路の航路上で、潜水艦の発見報告が後を絶たない。サイパンに至っては現在でも、ウェーク棲地から飛来する偵察機や海上封鎖を目論む通商破壊部隊、時々来る爆撃隊との応酬に明け暮れる日々なのだ。

その事を肌身に良く知る彼は素直に頷いた。

 

提督「そうです。だからこそ、この戦局の均衡を揺るがしかねない()()をこの際除いてしまう、そう言う事でしたよね?」

 

尾野山「そうだ。だが彼らの研究は、別なアプローチから深海棲艦への対抗策を模索した結果だ。ならば彼らが何を知り、なぜそこに至ったのか。その過程に、今まで知られてこなかった事実があるかもしれん。何せ、深海棲艦について、生物学的に有益な資料は、皆無と言ってよいのだからな・・・。」

 

提督「―――()()()()、ですか。」

 

尾野山「その戦後を()()()()だ。我々にはもう、使う物を取捨選択している様な余裕はない。それが現実なのだ。」

 

提督「・・・分かりました。」

 

 

提督(誰が・・・得をするのだろうな。この戦いは。)

 

 彼はこの戦いの裏に、政治的な争いが絡んでいると踏んでいた。つまり、旧幹部会とも呼ばれる牟田口陸将をトップとする派閥と、現在の主流に躍り出た山本海幕長の率いる派閥である。牟田口陸将を初めとする艦娘に否定的な将校達は、通常戦力に重きを置くこれまでのやり方を全面的に変えようとする、山本海幕長を初めとする開明派としばしば対立を繰り返しており、この際この一件を契機として、牟田口陸将を主流から排除しようと試みているのではないか?

 これは興味深くもあり、しかもそれなりに説得力のある説ではある。しかし彼には証拠となり得るものは無かったから、彼はそれ以上深くは考えず、目を閉じて居眠りを始めるのであった。

 

 

~同刻・ベーリング海棲地中枢部~

 

「なに・・・“特異艦”との交信が途絶えた?」

 

その報告が、玉座に居座る極北棲姫「ヴォルケンクラッツァー」の下に届いたのは、彼がその居眠りをしていた時であった。

 

「どうもそうみたい。」

 

それを知らせたヴォルケンクラッツァーの片腕、極北棲戦姫「リヴァイアサン」も、表情は今一つ冴えなかった。

 

極北棲姫「うぬ・・・調整の甲斐無くか。」

 

極北棲戦姫「それが、最後の交信で面白い事が分かったわ。」

 

極北棲姫「と言うと・・・?」

 

極北棲戦姫「その特異艦を倒したのは、どうやら“例の艦隊”の提督のようなのよね。」

 

極北棲姫「サイパン艦隊のか?」

 

極北棲戦姫「えぇ。」

 

 それを聞いた極北棲姫はふと考え込んだ後、得心した様子でこう切り出した。

「・・・一つはっきりとしている事は、サイパン艦隊は少なくとも、人間共の秘密に介入出来る存在である、と言う事だ。」

ヴォルケンクラッツァーの言葉は、横鎮近衛艦隊の特務組織的性質を浮き彫りにしたものだった。彼女がその結論に至ったのも、独立監査隊が裏で進めていた研究は、表層では何の情報も無かったし、それに繋がるような情報も無かったのだ。その点、彼らの機密保持は概ね成功していたと言ってよい。

 

極北棲戦姫「特別な命令系統があるってこと?」

 

極北棲姫「恐らくはな。この仮説は、奴らの行動パターンにも一致する。奴らは戦場の“掃除屋”だ。いつも攻勢の先や後に現れては、その都度壊滅的な打撃を加えてさっさと逃げ帰る、徹底した一撃離脱戦法。しかもその攻撃手法に臆病さは感じられない・・・見事なものだ。」

 

極北棲戦姫「あら、珍しいわね、そこまで敵を褒めるなんて。」

 

リヴァイアサンがそう茶化すと、ヴォルケンクラッツァーは首を静かに横に振って続ける。

「―――そうではない。あれが多数の中の一つなら、恐らくは埋もれて見えないに違いない。「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」の“玉”とはそう言うものだ。あれらが目立つのは、そいつらが僅か1()()()()でやって来て、戦場を荒らしまわるからなのだ。忌々しい事この上ないではないか。」

 

「・・・戦いたいの?」

 リヴァイアサンのその言葉は、なまじヴォルケンクラッツァーの“兵器”としての本能をくすぐるものは確かにあった。戦うならば、実に格好の好敵手と言えよう。事実として、ベーリング海の南縁でシャドウ・ブラッタを沈めたのも彼らだと言う事は調べが付いており、その再編成に今尚頭を悩ませているのが現状でもあるからだ。

だがヴォルケンクラッツァーはこう言った。

「・・・いや、私も立場は弁えている。上に立つ者が(いたずら)に猪突したとしても、それが吉と出るとは限るまい。それに、今は大事な時だ。こう言う時こそ内部の統制を図り、体勢を立て直さねばならん。」

 

極北棲戦姫「えぇ、そうね。」

 

極北棲姫「―――少し前までは、この様な事、考えるまでも無かったのだがな・・・。」

 

 

~同刻・???~

 

「深海棲艦技術の流用―――発想は悪くないのだけど・・・邪道ね。」

 

 

12月8日16時23分 横鎮本庁・艦娘艦隊寄宿舎209号室

 

提督「・・・。」

 

 全ては終わった。しかしそれでも、彼の心は、深く沈みこんだままであった。彼はベッドに腰かけたまま、頭を垂れ、手を組んだまま、まるで石造のように動かなかった。彼は自分のした行いの、その罪深さに苛まれていたのだ。これで良かったのだと言う事は分かっているのだ。しかしその過程に、誤りが無かったと言えるのだろうか。

 

コンコン―――

 

部屋にノックの音が鳴り響いたのは、そんな時だった。彼はその音に反応する風でもなく、ただ静かに座っていた。が―――

 

ドンドンドン!

 

ノックが叩くような音に変わった時、始めて彼はハッとなり、慌てて部屋の玄関に足を運び、覗き穴から何者かと相手を見る。

 

提督(―――金剛!? それに榛名も・・・。)

 

普通の金剛とは逆跳ねのアホ毛、間違いなく彼の秘書艦の金剛である。その横に、控えめに並んで立っているのは、一緒に休暇中の筈の榛名である。彼が扉を開くと、金剛は満面の笑みを咲かせながら押し入って来た。

 

提督「ちょっ、ちょちょちょっ!?」

 

突然の事に彼も理解が追い付かず、何事かと思考を巡らせようとすると、先に口を開いたのはやはり金剛だった。

 

金剛「やっぱり来てたんデスネー?」

 

提督「え、やっぱり? と言うかどうしてここが?」

そう問いかけた金剛から帰ってきた答えは至極単純だった。

「私の取ってたHotelは厚木基地の近くネー。」

 

提督「あちゃぁ・・・なんとまぁ。」

とんだ偶然もあったものだ、と思った直人だったが、金剛はその様子を見て首を傾げた。

「oh? 来ちゃダメでしたカー?」

 

提督「いや、()()別にそんな事も無い。折角だし上がってけよ。ほら、榛名も。」

 

金剛「お邪魔しマース!」

直人が言うなり元気一杯に上がり込む金剛である。が、金剛は意図的に彼に説明しなかった部分がある。というのも・・・。

 

 

~12月6日昼前~

 

この時金剛はこの寮のロビーに来ていた。

 

金剛「こちらに、石川少将は今日チェックインしてますカー?」

 

「えぇっと・・・いいえ、おられません。」

 

金剛(おかしい、提督抜きでバルバロッサが来る筈ない・・・。)

 

~12月7日午前~

 

金剛「こちらに、石川少将は今日チェックインしてますカー?」

 

「あー、今日もこちらにはお泊りになられていません。」

 

金剛「そうでしたカー。」(なにか・・・あったのかな?)

 

~そしてさっき~

 

金剛「こちらに、石川少将は今日チェックインしてますカー?」

 

「えーと・・・はい、()()こちらに到着なさっています。秘書艦の方ですか?」

 

 

―――と、言う具合で、1日1回必ずロビーに行って、彼が宿泊しているかどうかを聞いていた訳である。言ってしまえば彼が戻って来たタイミングと、金剛がやって来たタイミングが噛み合った訳である。榛名は単純に誘われて付いてきただけなのだが。

 

「久々のHoliday、色々買っちゃったネー!」

その金剛は思う存分休暇を満喫しているようであった。一応休暇の期限を把握しているのは直人と金剛、それと司令部で今も業務中の大淀や瑞鶴などと言った面々位である。

 

榛名「持って帰る時大変ですね・・・。」

 

「うそ、そんな買ったの?」

流石に聞き流せなかったか思わず金剛にそう問いかける直人。

 

金剛「アハハ・・・まぁ。」

 

提督「うーん・・・ま、いいか。」

強く言う事も流石に憚られ、頭を掻く直人である。

 

「・・・。」ジーッ

その直人を急に見つめる金剛。

「・・・?」

さっきから唐突な展開が多いのは彼自身慣れているからいいとしても、不思議になるのは変わらない。徐々に怪訝な顔をし始める直人に、金剛は突然切り出した。

「・・・何かあったネー?」

 

提督「えっ・・・?」

 

金剛「なんだか提督、今日は勢いがないデース。」

 

提督「・・・。」

 

先程から直人のその態度には、何処か作ったような不自然さが付き纏っていた。叶わないなと思いながら直人は言ったものだ。

「金剛には、分かってしまうか。」

 

金剛「そもそも休暇中の提督が、私を同伴せずに一人でここにいる訳が無いネー。」

 

提督「うーん、流石にそんな事は無かった筈だが・・・。」

 

金剛「細かい事は、気にしないネー♪」

 

気にしてくれよと思う直人であったが、口を衝いて出たのは別の言葉であった。

 

提督「まぁ、そもそも今回は仕事で来てたしな。」

 

金剛「それはお疲れ様ネー、」

 

提督「全く・・・疲れたよ。」

 

この時その場にいた榛名は、後年この時の事をこう語っている。

「あの時の提督は、心底疲れ切っているご様子でした。何か思い詰めておられると言うか、疲れてぐったりと言うよりは、心理的にお疲れになられていたんだと思います。普段そういった事がおありにならないだけに、傍目から見ていて不安になる位、その時の提督のご様子は、いつもと違っていました。」

 

金剛「何があったのか、聞いてもいいデスカ?」

 

提督「余り、多くは言えない話ではあるのだがね・・・。」

直人のその言葉で、金剛も機密に絡む事であるのは悟ったようだが、金剛は退かなかった。

「夫婦の秘密は、ヴァルハラまで持っていくネー。」

 

榛名「私も、誰にも言いませんよ。」

 

「・・・。」

 直人は黙して一つ頷き、ぽつりぽつりと言葉を発する。その様子はさも、言葉を殊更に選んでいるようでもあったと言う。

「・・・人を殺した、任務でな。」

 

金剛「ッ・・・!」

 

提督「同行してきた艦娘達もだ。」

 

金剛「一体誰をデース?」

その質問に直人は5人の艦娘の名を挙げ、その後こう続ける。

「―――建物の制圧だと言う事で、近接戦闘が出来る者を、選んでいったんだ。」

 

金剛「でも、最初から、人を殺すと言うのは・・・?」

 

提督「・・・聞いていない。土方さんもこの点は・・・意図的に伏せていた。」

 

金剛「ウーン、じゃぁ命令の出所は何処だったんデース?」

 

提督「それは・・・どうやら山本海幕長のようだった。」

そこまで聞いた金剛は得心した様にこう言った。

「なるほど、じゃぁ提督は悪くないネー。」

「えっ、何を言って・・・?」

直人が当惑した様に言うと金剛はこう言った。

「提督は命令に従っただけデース。どんな任務だったのか、詳しくは聞きませんガ、その人達がバッドな事をしていて、それを止める為に仕方なく殺すしかなかった、それだけネー。」

しかしそれに反論したのは他ならぬ直人自身だった。

「だが、だからと言って無闇に人を殺していい理由にはならない。例え艦娘であってもそれは同じ筈だ。そもそも我々は深海棲艦と戦争中の身、こんな所で人同士で殺し合いをしている場合じゃぁない。」

「勿論ネー。でも、何かが起こってからでは遅い、その為に提督が呼ばれた。違いますカ?」

「―――!」

 

“我々は秘密艦隊故に何でも屋だ―――”

“私達に出来る事なら、汚れ仕事でも何でもやります。それが近衛艦隊ですから―――!”

“そんな命令、今すぐにでも拒否して下さい!

我々の持つ命令拒絶権は乱用していい性質のものではない―――!”

“あなたが、未来を変えたいと望むならば―――恐れないで”

 

多くの言葉が、彼の脳裏をよぎった。それは、彼らがそこにある意味を問うた言葉の数々だった。

「・・・そう、だな―――軍人として、命令は絶対だ。我々が、何でも屋であるならばな。」

気付けば彼の口から、自然とそんな言葉がこぼれていた。

金剛「そうネー。それに、もう起こってしまった事にいつまでも落ち込んでいるのは、提督らしくないデース。」

それを聞いた直人の顔からは、影が憑き物が落ちたように消えていた。

「ありがとう、落ち着いた。」

 

金剛「ノープログレムネー。」

 直人はこの時、自分がなぜ呼ばれたのかその理由を見失い、手にかけた人を“無為な死”であるとして悔い、恐れていたのだ。

彼があの様な形で呼ばれると言う事は、何か人に言えない様な事や隠し通さなければならない事でしかない。でなければ、紀伊 直人と言う“幽霊”を呼び出す訳はないし、近衛艦隊の性質を考えれば、暗部の仕事をやる事になるのは必然ですらあった。それが彼らが存在する意義だからである。

 その事を、ようやく彼は再確認した。汚れ仕事だろうが、彼等はやらねばならない。それが、紀伊 直人と言う存在が陰に“生かされた”理由ですらある。そこに恐れを抱く事は、彼には許されはしないのだった。彼はもう、立ち止まる事が出来ないのだ。

 

 

~2日後・牟田口陸将のオフィス~

 

牟田口「何? “U作業場”が!?」

 

「はっ、何者かの襲撃と制圧を受けた後、放棄されていた模様。生存者はなく、データは全て破壊されるか持ち去られたようです。」

 

牟田口「例の検体は、どうなった!」

 

「そちらも処分されていたようです。これで、U作業は・・・」

 

牟田口「断念、せざるを得んか・・・。」

 独立監査隊としても、これ以降の動きは困難であった。何者かの突入を受けた―――十中八九大本営の仕向けたものであろうが―――と言う事は、この事がどこかしらから漏れ、制圧されてしまったことを意味している。目を付けられている以上、これ以上この計画を動かす事は出来なかった。何よりそれは自身の立場にも関わるからであり、自ら尻尾を出すに等しい行為だからでもあった。

ともあれ、牟田口陸将の野心であった、「艦娘に代わる新戦力の創出」と言う野望は、ここに潰え去ったのだった。

 

 

 それから数日の間、彼は金剛や他の艦娘も交えつつ久々の本土を満喫した後、本土にいる艦娘達に期日を伝えてサイパンへと戻っていった。榛名は金剛の代理人と言う事で最後まで残り、期日違反を起こした者が出ないように監督した後、最終日組と共にサイパンへと帰着、各々日常へと戻っていった。

 横鎮近衛艦隊の仕事は、何も敵との交戦だけではない、後方での暗躍も仕事の内である。輝かしい経歴から汚れ仕事まで、その全てを内包し、その勤めを全うするのが、裏帳簿たる彼らの仕事なのだ。だがそれゆえに彼らは葛藤し、悩み、苦しみながら、それでも前へと進んでいく。

彼らは人類にとっての英雄でありながらその在り方は英雄では無い。英雄であるならば、彼らはなぜ、常に暗躍する事を強いられなければならないのだろう。それは、彼らと言う幽霊が、知られてはならないからである。知られてはならない物を持つが故の(さが)であり、知られないが故に与える敵への重圧を、絶やす事が無い様にでもある。

 彼は―――彼らはその宿命を受け入れ、困難な運命に逆らい、打破していった。その在り方を、その忠誠を、英雄的と称さずして報いる事は出来ないだろう。彼らに対して、国家が、戦局が与えた重圧というものは、そう言うものだったのである。

 

 あらゆる死線を潜り抜け、2054年はこうして終わってゆく。戦時でありながら長期化した戦争は人々の心を弛緩させ、戦時とは思えない賑やかなクリスマスも終わり、年越しに向けた準備を始める大衆は、彼ら前線に立つ者達の目にどう映ったのであろうか。

だが、大衆がどうあれ戦いは続いていく。彼らが最終的に勝利を収める、その時まで―――。

 

 

~次回予告~

 

 日常に帰った横鎮近衛艦隊は、様々な任務を遂行しながら次の指示を待ち受けていた。

そこに舞い込んだ緊急電は、その後に始まる非常事態の、ほんの前触れに過ぎなかった!

慣例通り全艦隊を挙げて出撃する横鎮近衛艦隊に待ち受ける試練とは―――!?

 

次回、横鎮近衛艦隊奮戦録第4部4章、『跳梁の深海棲艦隊、友軍基地を死守せよ!』

艦娘達の歴史が、また1ページ―――

*1
市街地戦に対応する為の機動力を重視した軽装部隊

*2
自衛軍発足後間もない2039年に、第16普通科連隊を基幹として発足した比較的新しい部隊でありながら、北関東沿岸部及び河川域の防衛で多大な功績を挙げた

*3
この時は麾下にある3個普通科連隊他を前線に送り出しており、本来の防衛警備任務は予備役を動員した第2・13の2個後備普通科連隊にて対応中

*4
これについては第1部2章を参照

*5
細胞の増殖回数を決めているDNAの末端「テロメア」が一定の短さになった事で生じる細胞分裂の停止現象の事。細胞老化の一因でもあり、人間の寿命に関与する要素でもある。


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