正彦が目を覚ましたのは、仮眠室だった。正彦は目を擦りながら、体を起こす。すると側にいた真司が正彦の手を取り、
「お父さん、まだ休んでいてください」
と、言った。
「おぉ……、すまん……」
正彦は、ゆっくりと部屋を見回した。その部屋には、研究所にいた全員が揃っていた。皆、心配そうに正彦のことを見ている。そこでようやく、正彦は状況を理解したようだ。
「あぁ、少し疲れてしまっていたようだな。心配かけてすまんな、皆、部屋に戻ってくれ」
すると、美千子が前に出てきて言った。
「何言ってるの!? みんな、どれだけ心配したかわかってるの!」
美千子の頬は、すでに涙で濡れている。そんな美千子を見て、正彦も申し訳なさそうな顔をした。
「すまん……」
美千子は、正彦の手を両手で握り、こう言った。
「約束したじゃない。休息はしっかりとるって。もっと、自分を大切にしてくださいな。その身体は、あなただけのものじゃないのよ」
「迷惑かけたな。すまん、美千子」
正彦も、その手を握り返していた。ユウナはそれを見て、一安心した。もう少し気づくのが遅ければ、手遅れになるところだった。正彦も、これで休んでくれるはずだと信じ、部屋を出た。
その後、ユウナは廊下を歩いていると、前をアカネが歩いているのが見えた。そして、ユウナはアカネを呼び止めた。
「あの、アカネさん」
アカネが足を止めてふり返ると、ユウナはアカネに駆け寄り、
「今日は、すみませんでした。勝手なことして……」
と謝ると、アカネはこう言うのだった。
「まあ確かにな……。でも、そのおかげで異変に気づくことができた。あんたが教えてくれへんかったら、今ごろ手遅れになるとこやったし」
「でも……」
「大丈夫、気にせんといて」
アカネは言うと、また背を向けて向こうへ歩いていった。ユウナはその時、アカネの人のよさを改めて実感した。
その頃、まだ正彦は仮眠室のベッドに横になっていた。ヒロインが花瓶の水を入れ替え、
「教授、ここに置いておきますね」
と言い、それを窓辺のスペースに置いた。
「何か必要なことがあれば、言ってくださいね」
ヒロインは言うと、正彦の代わりにベッドの近くの椅子に座っていた真司が言った。
「ありがとう。君も、体調には気をつけてな」
「はい、失礼しますね」
ヒロインが出ていくと、真司は再び正彦の方を見た。正彦は目を開けており、黙ったまま天井を眺めている。その眼孔は、早く研究の続きをしたいと訴えているようにも見えた。それを察したのか、真司は正彦に言いきかせた。
「お父さん。続きは、当分お預けですよ。まずは、しっかり回復をすることです」
「わかっている。私も、少し無理をしすぎたようだ」
「なら、どうして休んでくれなかったんですか。お母さんも、言ってたじゃないですか。お父さんの身体は、お父さんだけのものではないと」
真司が言うのを、正彦はただ黙ってきいていた。
同じ頃、ダークネス・キャッスルではサタールがSPにあるデータを改ざんするためのウイルスをプログラミングで生成していた。すると城の窓から、プテラドスに乗ったフギンが中に入ってきた。
「どこへ行っていた」
サタールがふり向かず、手を動かしながら尋ねた。
「どこにも行ってねえよ。妹に会ってきたってだけだ。アイツ、クローノスの主管になったんだって、喜んでたぜ」
「そうか、ならばよかった……」
「それよりさぁ、なんでアイツにそんな大役を命じたのかね? 俺にゃ何の役所もくれねえのにさ」
「お前には、ほかにやってほしいことがあるからな」
「それって、またあいつらにオーディンの居場所を教えるとかか?」
フギンがきくと、サタールは黙っていた。それが気に食わなかったらしく、フギンは舌打ちをすると背を向け、また城から出ていこうとした。そしてサタールに背を向けたまま、フギンはきいた。
「そろそろ、教えた方がいいんじゃないのか? おじさんが犯した罪を、あいつらに」
それをきいたサタールはふり向くと、もうすでにフギンが飛び去った後だった。窓辺には、プテラドスが羽ばたく時にできた砂埃だけが舞っている。それを見ながら、サタールはあることについて考えていたのであった。
ユウナは、正彦を見舞いに行った。あれから数日が過ぎ、正彦の身体は順調に回復していた。ユウナは正彦の身の回りを整えながら、
「教授、大丈夫ですか?」
ときくと正彦も、
「あぁ、すっかり元気だ」
そう答えた。その隣で美千子が、研究を続ける気満々の正彦に対し、そうはさせまいと、
「でも、もう少し休んでくださいね」
と、言ってきかせるのだった。正彦もそれを察したのか、
「しばらくは……、できそうもないな……」
そう笑って呟いた。その笑顔を見て、ユウナもつられて微笑んだ。そして、正彦の近くに行くと、こう言った。
「あの、教授。この後、お話いいですか?」
「あぁ、べつに構わんよ」
事情を知っている美千子は、
「じゃあ、私は買い物にでも行ってくるわ。呉々も、無理はしちゃダメよ」
と正彦に言うと、部屋を出ていった。二人きりになると、正彦がユウナにきいた。
「で、話とは何だ?」
すると、ユウナは切り出した。きくなら、今しかない。そうとも思えた。
「あの、私、セインツ・パラダイス……、SPを攻撃してきている人のことが、少し気になってるんです」
「あぁ、それは今調べているよ」
「あの、教授」
「何だ?」
「その人は、教授のことを知っているんじゃないかと思って」
「私のことを? なぜだ」
「三年くらい前、梁谷さんが言っていたのを思い出したんです。教授を恨んでいる人が、あの世界を攻撃してきているのではないかと。その時、教授は心当たりがないと言っておられましたが、本当にないんですか?」
ユウナにそう尋ねられ、正彦は黙りこんだ。そしてしばらく考えたのち、険しい表情になってユウナを見た。
「それを、君が知って何になると言うんだ?」
「私、どうしても気になるんです。本当のことを、教えてくれませんか。そのようなことをきける筋合いがないことは弁えています。でも、どうしても知りたいんです」
すると、正彦は答えた。
「私から、言うことはない。もう、出ていってくれないか」
強い口調でそう言われたので、ユウナには出ていくしか選択肢がなくなった。
「……失礼します」
そう言うと、部屋を出ていった。ユウナがいなくなってからも、正彦は眉間に皺を寄せていた。何かとんでもないことをきいてしまったと、ユウナは廊下で少し後悔していた。それでも尚、なぜか諦める気になれなかった。これが、あの世界を守るきっかけになるかもしれないと思ったからだ。
その後も、ユウナは何かよい方法はないかと、部屋に戻らずに廊下で考えていた。その時、正彦の研究室の前を通りかかった。何気にその戸を開けた。中は雨戸が閉まり、依然として暗かった。ドアを閉めると、ほとんど視界が黒くなる。ユウナはドアを開け放したまま、中に入った。その時、何もしていないのに機械が突然音を出し、動き出した。それを見て、ユウナは戸惑った。また誰かを呼びに行こうかと思った時、勝手にSPに繋がるセイントドアが開いた。そして中から、一人の影が現れた。その影は真っ直ぐ、ユウナに近づいてくる。やがて、その顔が明らかになる。それは以前、SPの中で知り合った男、フギンだった。フギンを見てユウナは、さらに驚いた。
「あの……」
「やれやれ、何も知らないとはいえ、あんなこときかれたら、そりゃ追い出したくなるぜ」
「何のことですか?」
フギンの言っていることが、いまいち理解できないユウナは本気で戸惑った。そうすると、なんとフギンがユウナの腕をつかんできたのだ。
「よし、じゃあ行こうぜ」
ユウナは、咄嗟にその手を振り解いた。
「あの、どういうことですか?」
「聞き分けのねえやつだな。来てくれたらわかるぜ」
フギンはそう言い、再びユウナの手をつかんで強引にSPの中に連れこんだ。何が何だかわからず、抵抗することも忘れたユウナは、ただ中に誘われていった。
その頃、ミカはユウナを探していた。部屋に戻り、アカリに尋ねた。
「ユウナ見なかった?」
「え、見とらんけど……。教授のところじゃないん?」
「それがいなかったのよ」
ミカが言うのをきいて、アカリも心配そうになった。いったい、ユウナはどこに消えたのだろうと、二人は考えを巡らしていた。
そして、ユウナが連れてこられたのはSP内の未知の領域に聳え立つ、サタールのいるダークネス・キャッスルであった。フギンに案内され、ユウナは最上階の部屋へ向かった。扉が開くと、ある男が背を向けて立っているのがわかった。窓から、その下を眺めている。そこには、正彦の研究室にあるような機械がいくつも置かれていた。ユウナは、恐怖心を抱きつつ、フギンに続いて中に入った。
「オヤジ、連れてきましたぜ」
「ご苦労だった」
サタールがそう言うと、ふり返るのだった。その顔は、どこか正彦に似ているとユウナは思った。そしてサタールは、ゆっくりとユウナのところに歩み寄ってきた。
「君が、ユウナ君か」
「はい」
ユウナは、怯えながらも答えた。何が目的で、自分をこのようなところに連れてきたのか、ユウナにとっては皆無だった。それでも、サタールは悠々とユウナを見つめている。しばらくして、サタールがこう言うのだった。
「たしかに、あいつが認めるほどのことはあるかもしれんな」
サタールはまた、ユウナに背を向けると話を続けた。
「私は、この未知の領域を作った男だ。そして、セインツ・パラダイスに、攻撃ソフトを送りこんだのもこの私だ」
「それは、何のためにですか?」
「君が尊敬する人物、横大路正彦のことが気に食わないからさ」
「……どういう意味ですか?」
ユウナが強く質問すると、サタールはふり向いた。
「自己紹介がまだだったね。私の名は、サタール。そして本当の名は、横大路隆文さ」
「横大路……」
ユウナはその瞬間、信じたくはなかったが、多分そうなのだろうと凡その見当がついた。さらに、サタールは続ける。
「私は、横大路正彦の弟だ。昔、やつは私を殺そうとした」
それをきいたユウナは、声が出なかった。ずっと尊敬してきた正彦だからこそ、信じたくはなかったのだ。
「そんな……、教授が……」
「私も兄も、平和な家庭に生まれ育った。そんな中、両親とともにキャンプに行ったんだ。そこは崖の上にあり、景色が見事だったのを今でも覚えている。警告を無視して崖の近くで遊んでいた兄と私は、崖崩れに巻きこまれた。そして落ちかけた私を、兄は助けようとしてくれた。だが、私は幾つもの岩とともに下に落ちてしまった」
その話をきいて、ユウナはおかしな点を見つけた。サタールの話には、正彦が殺そうとしたというニュアンスがひとつも含まれていなかったのだ。
「あの、教授は助けようとしてくれたんですよね? だったら、殺そうとしたという表現はちょっと……」
「勿論、それだけではない」
サタールが、ユウナの言葉を遮った。
「私にはわかった。やつは、わざと手を離したのだ」
「わざと……?」
「あぁ。少しずつ、手の強さを緩めるのがわかった。私を、わざと崖に落としたんだ」
「でも、どうしてそんなこと……」
「やつは、私を妬んでいた」
「妬んで?」
「そうだ。やつは、兄だからという理由で、両親からあまり構ってもらっていなかった。私の方は、いつも隣には両親がいて、とても幸せだった」
「だから、教授はそんなことを……」
話をきかされ、ユウナはさらに戸惑った。今まで目標にしてきた正彦が、人を殺そうとしたことがあると知って、憤りを覚えた。
「どうだ? やつに幻滅したか?」
そう言いながら、サタールはユウナに近づいてきた。それでもユウナは、正彦のことを信じたかった。今の話は、すべて嘘だと思いたかった。
「私は……、それでも教授と一緒にいたいです」
ユウナが言うのをきいたサタールは、横を向いてこう言った。
「そうか。私は運良く、下に生えていた一本の木に助けられた。それから探検家に見つけてもらい、谷から助け出してもらえた。それから三十年くらい経ったころ、私はある新聞記事を目にした。それは私を崖に落とした男が、大学准教授として研究を評価されたという記事だった。私はそれを見て、憤りを感じたよ。なぜ、犯罪者がのこのこと普通に生活をし、幸福を味わっているのかと。私も今ごろは、偉大な研究者になっていたかもしれないというのに……」
ユウナは、黙ってそれをきいていた。するとサタールは本棚へ行き、中から一冊の本を取り出すと開いた。
「そして、あることを思いついた。やつのホームページにメールを送ってやろうと。私は、その日のうちに実行したよ。あなたの弟です、死にかけた弟です、と……。そして、返事は翌朝見たら届いていた」
「何と……、書かれてあったんですか?」
ユウナは、恐る恐る質問してみた。そして、サタールは答えた。
「よかった……、とだけ書かれていた。私はそれを見て、数秒も考えずしてわかったよ。これは、きっとやつの本心ではないと。やつは、私が生きていたと知って、残念に思ったのだろう。文面からも、そう読み取れたよ」
サタールは本をパタンと閉じ、それを持ったままユウナのところに戻ってきた。そして、その本をユウナに渡した。
「これは、私から君への、たった一度きりのプレゼントだ」
そう言うと、サタールは部屋から立ち去った。しばらく、ユウナは動けなかった。真相を知ってよかったと思う気持ちと、知らなければよかったと思う気持ちが、互いに混ざり合い、チグハグな気持ちを生み出していた。すると、後ろからフギンが声をかける。
「おい、送ってくから早くしろ」
しかし、ユウナにはきこえていないのか、肩が震えている。正彦はなぜ、話してくれなかったのだろう。幻滅してほしくなかったのか、それとも単に、過去を知られることを恐れていたのだろうか。それでも、教えてくれた方が何百倍もましだと思った。ユウナは、怒りや切なさという様々な感情が心の中を飛び交い、どうも落ち着かなかった。
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
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