年が明け、2018年1月。ユウナはまた、横大路研究所の戸を叩いた。戸を開けると、中には雅也と真司がいた。雅也はユウナに気づき、
「あ、ユウナちゃん! 明けましておめでとう。そして、結婚おめでとう。いやあ、式出れなくてごめんね。こっち帰ってきてからきいてさ」
と言うので、ユウナは中に入った。
「いいんです。それより、これ京都で買ってきたので、よかったらどうぞ」
ユウナは、雅也に和菓子の入った紙袋を渡した。
「えっ。ユウナちゃん、京都行ってきたの?」
「はい。雅也さんが帰ってこられるときいたので。外国、行かれていたんですよね」
「あぁ、そうなんだよ」
「よかったら、お話きかせてくれませんか?」
「どうしたの、急に」
雅也はユウナを見つめながら、不思議そうに尋ねる。
「その、少し気になって……。詳しくはきいていないので、どこへ行かれたのかとか……」
「いや、でも土産話するほど満喫してないというか……」
雅也は少し困った顔をしていると、真司が話に割って入ってきた。
「話してやれよ。お前が何を取材してきたのかくらいはさ」
「うるさいな。でも、わかったよ。じゃあ、こっちで話そうか」
雅也はそう言うと、ユウナを別の部屋に案内した。そこで、ユウナは雅也から取材の話をきいた。話をきいたあと、ユウナは感心した。
「そんなことがあったんですね。今日は、いろいろ為になりました。ニュースとは違って、細かい話まできけてよかったです」
「ハハッ、それはよかった。テレビじゃ、伝えられないことも多くあるからね」
「でも、少し安心しました」
「何が?」
「だって以前、外国にはもう取材に行けないと仰っていましたから。行けるようになって、よかったなぁって」
ユウナが大学生の時、雅也は過去の苦い思い出から、外国への取材は断り続けていたときいた。それを思うと、今回の雅也は非常に生き生きとしているようにも見えた。
「いつまでも、逃げてばかりではいられないからね……」
雅也は、そう呟くと窓の外を見つめる。あの時とは全く違う、穏やかな表情をしていた。それを見て、ユウナは過去を乗り越えた雅也は強いと感じるのだった。そして、ユウナは話を変えた。
「それより、今日はどうしてここへ?」
「あ、それについてはまだ話してなかったね。レイカが、今年の四月から一人暮らし始めるんだよ。まだ院生だけど、就職前の練習としてさ」
「そうだったんですか……」
「だから今日はね、真司に引越しの手伝いを頼みに来てたんだよ。それより君は、今でもレイカとは会ってるの?」
「いえ。連絡先も、未だにきいたことありませんし。卒業してから、どこで暮らしているのかもわかりませんでしたから、式にも、呼べなくて」
それをきいた雅也は、申し訳ないといった表情をする。
「あ〜、ごめんね。あいつにもよく言っておくよ。まったく、また余計な心配かけて」
「いえ、いいです。彼女も、この先のことで忙しいと思いますから、あまり負担になるようなことは……」
ユウナが言うと、雅也は一瞬無表情になり、その後突然笑い出した。それを見たユウナは、
「あの……、どうされたんですか?」
と、不思議そうに尋ねた。すると、雅也は言った。
「いや〜、ごめんごめん。君の優しさを、あいつにも分けてあげたいなって思ってさ」
「そんな……」
ユウナもまた、恥ずかしそうに下を向く。その時、部屋の戸が開いた。するとアカネが顔を出し、
「あ、ここにおったんや。来てるっていうから探したけど、どこにもおらへんねんもん」
そう言うので、
「アカネさん。どうしたんですか?」
と、ユウナは尋ねた。もしかしたら、また正彦に何かあったのではないかと思っていると、案の定アカネがこう言うのだ。
「ちょっと来てくれへん? 教授が……」
「えっ」
予感が的中し、驚いたような眼差しを、ユウナはアカネに向けた。
正彦は、自分の研究室で研究を続けようとしていた。美千子が不安そうな表情で、
「あなた。もうしばらく休んでねって言ったじゃない」
と言うが、正彦は何も答えずにコンピュータの前で手を動かし続けている。
「駄目だ。去年、やり残したことが山ほど残っている。一刻も早く、追いつかなければ」
美千子は、それをきいて段々と呆れ顔になっていった。すると、部屋をノックする音がきこえ、ドアが開いた。そして、部屋にアカネとユウナが入ってきた。
「教授、もうやめてください。あとは、うちらで何とかしますから」
アカネも説得しようとすると正彦が、
「しかし、私にはまだやらなければならないことがある。頼むから、一人にさせてくれ」
と、言い放った。部屋を出ると、美千子が二人に言った。
「ずっと、あの調子なの。気にかけてくれてるみんなのことなんか気にも留めずに、研究を続けようとするの。あの世界をなくすわけにはいかないからって、最近、そればっかり言ってるの」
「どうにか、説得する方法はないですか?」
ユウナがきくと、美千子は首を振って答える。
「駄目よ。何を言っても無駄なの。まるで、倒れる前に逆戻りね」
たしかにユウナ自身も、正彦が創ったあの世界がなくなるのは辛い。しかしサタールと和解できないのなら、必然的に存続は危うくなる。正彦も、それを危惧しているのだろう。あの様子では、サタールはさらなる攻撃を仕掛けてくる。そこをどう乗り切るかが、正彦にかかっていた。
その頃、雅也はリビングで真司と話していた。雅也が、
「あの子は、そのセインツ・パラダイスとやらを救おうとしているのか?」
ときくと、真司は答えた。
「あぁ。それを潰そうとしているのが、どうやらお父さんの弟、俺の叔父さんに当たる人らしいんだ。昔、お父さんがわざと見殺しにしたとか」
「それで、復讐を?」
「多分な」
真司の話をきき、雅也は難しい表情をしていた。何を思ったかは、ご想像にお任せする。
正彦はその頃、デスクに両肘をついて指を組み、その上に顎を乗せて一人考え事をしていた。言うまでもなく、SPをどのようにして存続させるかだ。サタールが謝っても許してくれないのであれば、戦うしかない。そうなれば、正彦一人の力ではどうにもならない。それならば、どうすればよいのか……。
そうしていると、ふとあの時の光景が頭を過ぎった。弟の隆文(サタール)は、必死に正彦の手を握っていた。しかし、正彦はその手を離してしまったのだ。その後、正彦は両親のいるところに一人で戻り、訳を話すと母親が正彦の頬を打った。その顔は、鬼のような剣幕で、それでいて目には涙を溜めていたことを、正彦は今でもはっきりと覚えていた。両親にとって、正彦よりも隆文の方が可愛かったのだ。故に、行方不明になったのが隆文ではなく、自分の方がよかったのかもしれないと、正彦は思うのだった。
戻って、雅也は研究所を後にしようとしていた。見送りに出た真司に対して雅也は、
「じゃあ、みんなによろしく。あと引越しの件、考えといてくれよ」
と言うので、真司も言った。
「べつに俺じゃなくてもいいだろ。お前が手伝ってやればさ」
「俺の方は仕事、まだ片付いてないから。日本にいなかった分、頑張って取り戻さなきゃな。また何かあったら寄るから、それじゃ」
雅也はそう言って出て行こうとすると、不意に真司が呼び止めた。
「待て」
「何?」
雅也は、それをきいてふり向いた。
「あ……、いや。何でもない」
「何だよ、言いたいことがあるなら言えよ。そういう仲だろ? 俺たちって」
「まぁ、そうだけど。お前、本当に妹のこと好きなんだなって、改めて思ってさ」
「まあね。まだ素直じゃない時もあるけど、それでも前よりはだいぶよくなってると思う。あいつも、そろそろ認めてくれてるだろ。血の繋がってない兄妹でも、いつかはその溝を完全に埋めてみせる」
「もう埋まってるだろ」
「……そうだといいけど……」
そう呟くと、また雅也は向きを変え、研究所を出ていった。真司はそれを見送りながら、雅也のことを少し気にしているようだった。友として、力になりたかったのかもしれない。
ユウナが部屋に戻ると、中にはミカとアカリが来ていた。ミカがユウナに気づき、先に声をかけた。
「あ、ユウナ」
「どうしたの?」
ユウナがきくと、ミカは答えた。
「なんか、暇さえあればこっち来てるから」
「ミカちゃん、ほぼ毎日来よるけんね」
「アカリだって、ほとんど毎日来てるでしょ」
それをきいて、ユウナは思わず笑ってしまった。この二人も、やはりSPや正彦のことを気にかけているのだろう。そう思うと、心強いと感じた。もしかすると、何かよい案を出してくれるかもしれない。すると、ミカがこう言い出した。
「昼は東京でバイトやって、その後セイパラを通してここへ来てるの。なんか、これさえあれば瞬間移動できる能力が備わったみたいでさ、すごくない?」
ミカは、二人にスマホを見せた。SPには、スマホからでも入りこめるのだ。よって、SPに入ることでこの研究所にも来ることができる。そう考えれば、ミカの言った「瞬間移動できる能力が備わったようだ」という発言も、あながち間違いではないということになる。
そうすると、アカリがユウナに尋ねてきた。
「ねぇ、あの後結局どうなったん?」
「えっ?」
「ほら、うちらが手伝いに行った日」
「あ、うん。悠二郎さん、喜んでた」
「よかったじゃん!」
それをきいていたミカも、そう言って喜んでいる。
「あと……、これからのことは後でゆっくり相談しようとも言ってくれた」
「……優しいんやね」
「うん。あの人と一緒になって、本当によかったと思う。優しくて、一緒にいて心が休まるっていうか……」
ユウナが、途中で話すのを止めた。そこまで言ってしまうと、流石にこの先を言うのは恥ずかしい。するとミカが、
「でも、ユウナが幸せそうでよかった〜。なんか、あいつが可哀想になってきたな」
と言うので、ユウナは「あいつ」とは誰のことかパッとわかった。
「それって……、もしかして大ちゃんのこと?」
「あ、でも悪い意味じゃないよ? でも今までのこと考えたら、少し可哀想かなって……」
「ミカちゃん……」
不意に、アカリがミカに注意する。それをきいたミカは、急いで言うのを止めた。見ると、ユウナは思い詰めたような表情をしている。
「……ごめん、つい」
ミカが謝ると、ユウナは言った。
「大ちゃん、言ってたんだ。本当に好きなら、どんなことでも本気になれるんだって。それきいて、悠二郎さんも頑張ってた。大ちゃんも、それを認めてくれた。だから、この次は大ちゃんにも幸せになってほしいの。それは、私の願いでもあるから」
ユウナが前向きに言うと、二人も安心したような笑みを浮かべていた。ユウナは、無意識に時計を見ると、夕方を指している。その時、大輝の言葉が頭の中で鮮明に再生された。
『大切なもののためなら、死に物狂いで取り返しに行く』
『今のあんたに……、ユウナを守る資格はねえ!』
それをきいて、悠二郎にもやる気が芽生えたのだろう。ただ好きなのではない、心から愛せるようになったのだ。大輝のあの言葉のおかげで、悠二郎は自信を取り戻せたのかもしれない。今度は自分が大輝の幸せを願う番だと、ユウナは意気込みながら帰った。
アパートの前まで来ると、悠二郎に会った。今日は、会社が早く終わったらしい。
「あ、お帰りなさい」
「あ、あぁ。君もね。今日は、どこ行ってたの?」
「あ、はい。教授の手伝いを……」
ユウナが答えると、悠二郎が言った。
「そうだったんだ。言ってくれたら、迎えに行ったのに」
「そんな、悪いです。それに……」
「俺のことなら、気を遣わなくて大丈夫だから。言っただろ?」
それをきき、ユウナは頷いた。慣れてきているとはいえ、今でも少しぎこちない。どうしても、他人のように振る舞ってしまう。それを、少し改善していくことがユウナの今の課題でもある。悠二郎は、
「そうだ。これから、どこか食べに行くか? 此間、美味しい店見つけたんだ」
と言うので、ユウナも嬉しそうに頷いた。
「はい。行ってみたいです、是非!」
それを見て悠二郎は、少し呆れたように笑っているのだった。その後、二人は駅中にあるレストランに入った。
「ごめんね。なんか、一日中一緒にいてあげられなくて。まだ仕事、一区切りついてなくてさ」
レストランで、悠二郎が酒を飲みながら言った。
「大丈夫です。それに、毎日がすごく新鮮ですから」
「新鮮ね……」
ユウナが言うと、悠二郎は上を見て呟いた。その時、ユウナはふと思った。悠二郎に、正彦の研究のことを話してもよいのだろうかと。ユウナは、まだそのことを話していないのだ。反対されるのではないか、その考えばかり先に出てくる。しかし、悠二郎が隠し事を好んでいないのは勘づいている。それなら、言ってもいいだろう。ユウナは、悠二郎を見つめながら話した。
「あの、きいてほしいことがあるんです」
「何?」
「悠二郎さん、気になってましたよね? なぜ私が毎日、卒業した大学の教授の研究室に行っているのか」
「あ……、うん。俺も、機会があればきこうと思って」
悠二郎もそう話すので、ユウナは教えることにした。どう思われようと、言わないよりはましだろう。ユウナは心を決め、口を開いた。
「私、学生のころからその方の研究を手伝っていて、卒業した今でも来るように言われてるんです。その研究というのは、ゲームの中、つまり人によって創られた仮想世界に入りこんで、そこでゲームをクリアしてくれって言われてるんです」
それをきいていた悠二郎は、飲んでいた酒を吹き出した。その様子を見たユウナは、
「信じられなくても、不思議はありません。以前、私もそうでしたから……」
と言うと、悠二郎がこう言った。
「その人、そんな研究やってるんだ。でも、俺はべつにいいと思う。それが、君にとって楽しければさ。驚かせてごめん、風に当たってくるね」
そして悠二郎は立ち上がり、ユウナの後ろを通って外に出ていってしまった。ユウナは、言えてよかったとホッと胸を撫で下ろした。悠二郎も、思っていたよりはあっさりとした反応だった。ユウナは明日、無関係者に口外してしまったことを、正彦に謝ろうと思った。それと同時に、悠二郎とも少しずつ距離を詰めていこうという決心もした。
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