2018年3月、横大路研究所。冬の寒波が少しずつ和らぎ、春が近くなった。冬眠していた虫たちも、徐々に地上に顔を出し始めている。ユウナはといえば、いつものように正彦の研究所を訪れていた。そしてこの日も、それは変わらなかった。
いつもの部屋に、いつもの三人は集まっていた。アカリがA4くらいの大きさの紙に、絵を描いていると、横からミカが顔を覗かせ、話しかける。
「ねぇ、アカリ。何描いてんの?」
「アマテラス」
アカリが描いていたのは、パズドラに登場する「アマテラス」という名のモンスターだ。アカリは、研究を手伝う暇潰しに描いていたのだろう。それを見たミカは、
「アカリ、上手いね。あたしも何か描いてみようかな」
と言って、自分のカバンから紙とペンを取り出した。そしてしばらく経ち、ミカが自信満々に二人に紙を見せる。
「ねぇ、見て見て! クシナダ!」
「わ〜、ミカちゃんも上手〜」
アカリは、手を叩いた。
「ね、ユウナは?」
急にミカから話を振られ、ユウナは少し驚いたように答えた。
「え、私はあんまり絵上手じゃないから……」
「え? アニメ作ってたのに?」
「いや、まぁ……」
「何か描いてみてよ」
ミカは、そう言ってユウナを促す。ミカは、自分が書き始めた時にユウナも一緒に何か描くものだと思っていたらしい。それでもユウナは仕事以外、プライベートで絵を描いたことは少ない。そして、少し恥ずかしいという気持ちもあった。
「でも、やっぱりいい。上手く描けないと思うから」
「そんなことないでしょ! 何でもいいから。あ、でもパズドラに出てくるやつね!」
「うちも、ユウナちゃんの絵見てみたい!」
アカリも、ユウナの顔を覗きこんだ。ユウナは嫌だったが、友人のためなので仕方なく描くことにした。そしてペンを握った時、ガチャリと音がし、アカネが部屋に入ってきた。
「みんな、集合! 教授が呼んでる」
それをきき、三人は一斉にアカネの方を見た。いったい、何が起きたのだろう。ユウナも、ペンを握ったまま彼女を見つめていた。
第三十四回
夜、ユウナは帰宅すると悠二郎と話をした。年度末が迫っているため、悠二郎も仕事が大詰めであり、二人でゆっくり話す機会が少なかったのだ。しかしその日、悠二郎の仕事がいつもより早く済んだため、ユウナはこれからのことを話そうと思った。
「ユウナはさ、どうしてその人の研究を手伝おうと思ったの?」
リビングで、悠二郎が尋ねてきた。
「よくわかりません。でも、なぜだか自分の居場所ができた気がしたんです。あの方の力になりたい、そう思えたから、今まで続けてこれたんだと思います」
「そうなんだ……。ユウナがそうしたいなら、俺はそれでいいと思う」
「反対とか、しないんですか? 悠二郎さんだけの収入だと、やっぱりこの先厳しいから、私も早くどこかに就職しないと……」
「大丈夫だって。まだなんとかなってるから、余計な心配はしなくていい」
悠二郎はそう言って優しく微笑むと、ユウナの頭を撫でた。そして悠二郎は立ち上がり、部屋を出ていった。ユウナは、その部屋に取り残されたまま、正彦の言ったことを、思い出していた。
正彦は研究室に皆を集め、
『もう一度きこう。すべてのダンジョン攻略において、本当に情けない話だが、君たちの安全は私ではとても保証できない。中に入ったものは、生き物だろうと何でもプログラムと見なされてしまう。それでもし、ユーティリティにでも触れてしまったら、跡形もなく消去されてしまうかもしれない。そのことを踏まえた上で、今一度ききたい。君たちには、本当にあの世界で戦う覚悟があるか。ないと言うなら、もう私からは何も言わん。ただ、覚悟があるならば、今ここで教えてほしい。私からの、最後のお願いだ』
と、言っていた。その部屋にいたのはユウナのほかに、ミカ、アカリ、アカネ、ヒロインがいたが、皆、俯いたまま顔を上げようとはしなかった。ユウナにも、到底そんな勇気はなかった。それを正彦もわかっていたのか、それ以来黙りこんでいた。
ユウナに、敵と戦う覚悟があったと言えば、嘘になる。それでも、諦めきれなかったのだ。どうしてもあの世界を守りたい、それだけがユウナの中にあった。しかし、そのようなことを言える雰囲気でもなかった。しばらくは、あの世界から離れるべきだとも考えた。そして、また就活に戻ろうという結論に至った。
場面が変わって、レイカは引越し用の荷物を、前に住んでいたマンションの外に出していた。そして朝、トラックが来るまでの間、電話で雅也と話した。
「今日から、向こうに住むわ」
『ほんとに大丈夫か? まだ院生なんだし、無理しなくていいぞ?』
「大丈夫よ。もう、一人には慣れてるから」
『そうか……。じゃ、頑張れよ』
その時、トラックが目の前に停車した。レイカは雅也に、
「それじゃ、あっちに着いたらまた連絡するわ」
と言い、電話を切った。一軒家のリビングに置いてあるような、テーブルが丸ごと入りそうな荷台だった。レイカはワンルームマンションから、ひと回り広い部屋に引越すだけなので、大げさすぎるくらいの大きさだ。レイカは呆れていると、前方のドアが開いた。すると、真司が降りてきた。
「君の兄貴に頼まれてね、引越しの手伝いをしてやってくれってさ」
「……ほんとにお節介なんだから」
真司が言うのをきいて、レイカはボソッと呟いた。それを見て、真司が言った。
「話にはきいてたけど……、君はほんとに節操がないんだな。まあいい、さっさと終わらせよう。荷物はこれで全部か?」
「ええ」
レイカが答えると、真司は置いてある段ボールなどを荷台に上げる。その作業中、真司がレイカにこんな話を持ちかけた。
「それより、君は兄さんのこと、どう思ってるんだ?」
「べつに……、あなたには関係ないと思いますけど」
「まあ、そうだけどさ。俺も一応あいつのダチなんだし、ちょっとは気にしても罪はないと思うがな」
十数分が経過し、荷物がすべて積み終わった。
「さぁ、行こうか」
真司は、レイカをトラックの助手席に誘った。そして、レイカは真司と一緒に、新しいマンションに向かうことにした。
戻って、ユウナは横大路研究所に行った。いつものように、ミカやアカリと広さ六畳ほどの部屋の中にいた。ミカは、しきりにパソコンのキーボードを叩いている。アカリが、
「ミカちゃん、それ何しよるん?」
ときくと、ミカは答えた。
「私、教授のメールボックス整理してるんだけどさ」
「え、なんで?」
アカリがきくと、ミカはこう言うのだ。
「ログインしたの。ハッキングっていうやつ?」
「嘘! いかんよ、それ」
「なーんてね。教授に頼まれてさ、要らないメール整理してくれって」
「なんや、ビックリした……。手伝おうか?」
「いいよいいよ」
「遠慮せんでええけん。ねえ、ユウナちゃんも手伝おう?」
不意にアカリがユウナの方を見たが、ユウナは二人の話をろくにきいていなかったのか、何のことだか理解できなかった。
「どうしたん?」
アカリは、ユウナにきいた。その時、ユウナは二人に就活のことを打ち明けようと考えた。そして、
「ねえ、きいてほしい話があるの」
と言うとミカも、
「え、何?」
と、動かしていた手を止めて尋ねてくる。そしてその後、ユウナは考えていることを、二人にすべて話した。
「えっ? 就活すんの?」
ユウナの話をきいたミカからは、予想通りの反応が返ってきた。アカリの方は、感心している。
「ユウナちゃん、偉いね。旦那さんだけに、負担かけんようにしよるんじゃろ?」
「うん。それに、私だけこんなことしてていいのかなって思って……。やっぱり、二人が安定して生活するためには、その方がいいと思うの」
「ユウナは、高校の時から真面目だからね」
「だから私、しばらく教授を手伝えなくなりそうなの。だから、二人には申し訳ないけど、また時々、ここへ来て教授の様子を見ててあげてほしい」
ユウナは、正彦のことも気がかりだった。また、いつ倒れるのかわからない。美千子や真司も、いつもこの研究所にいるわけではない。それ故に、二人に託そうと考えたのだ。
「二人も、忙しいのはわかってる。私だけ就活やって、勝手だなあって思うかもしれない。でも、またあの時みたいになったら、私また、どうしていいかわからなくなる。だから、お願い。教授を、支えてあげてほしいの」
それをきき、二人が頷かないわけがない。
「ユウナのお願いだもん、断れないよね」
「そうそう。こっちのことは、全然気にせんでええけんね」
ミカとアカリは、口を揃えて了承してくれた。ユウナもそれをきいて嬉しくなり、
「ありがとう!」
と言い、つい涙がこぼれそうになった。それを見て、二人も笑っていた。
その頃、正彦は腕を組んで考え事をしていた。横から美千子が、
「あなた」
と呼びかけるが、返答がない。
「紅茶でも淹れましょうか?」
そう言っても、正彦の耳には何も入ってこないようだ。そして、美千子は正彦に対してこう言った。
「いつも言っていますけど、時には休んでくださいね。あなたにとってあの世界が大事なのは、よく理解しているわ。でも、誰の命にも変えられないじゃない」
すると正彦は、ようやく反応したように美千子の方を向いた。美千子は続けて、
「もしも、彼女たちの身に何か起きたら、責任とれる? あなたがまた倒れたら、悲しむのは誰よ。もっと、他人のことも考えてくださいな」
と、涙ながらに言うので、正彦も少し考え直したような顔をしている。正彦はこれまで、ユウナたちにいくつもの困難を強いてきた。そのことを、自覚し始めたのかもしれない。そして、また皆を集める決心をしたのだった。
一方、ユウナのいる部屋では……。
「それよりさぁ、どこの業界受けんの?」
ミカが、菓子を食べながらユウナに尋ねていた。
「まだ決めてないけど、アニメ関連は難しいかな。前の会社半年で辞めてるし、大学での経験ももう使えないと思うから」
「それ、自業自得じゃない?」
ミカに言われ、ユウナは苦笑するしかない。ミカの言う通りだ。なぜ前の会社を辞めてしまったのだろうと、今更ながら思った。そうするとアカリが、
「大丈夫。ユウナちゃんなら、いい大学出てるんやけん、きっとすぐ見つかるよ」
と、言ってくれた。ユウナも、
「ありがとう」
と言い、アカリの優しさを感じていた。すると、また部屋のドアが開かれる。アカネが入ってきて、
「みんな、また教授が呼んでる」
と、告げに来た。三人はまた顔を見合わせながら、正彦の研究室に向かった。
正彦は皆を集めると、全員の顔を見渡しながら話し始める。
「皆、よくきいてほしい。私は、ワクチン用のソフトを作ろうと思う」
その言葉に、室内がざわめく。
「敵のウイルスを採取し、それに対抗できるソフトをSPの中に注入しようと考えている。そうすることで、敵がウイルスを二度と送れないようにする。もう、君たちに負担をかけたくない。前にも言った通り、私は君たちの身の安全を保証できない。だから、あの世界を守るために私なりに考えた結果だ。これで、本当に救えるかどうかわからんが、やれるだけやってみようと思う」
ユウナもその話をきいて、正彦はあれから必死に考えたのだと、一発で理解した。そうすると、前にいたヒロインが手を挙げる。
「あの。差し出がましいですが、もしもそれが旧型にしか対応できなくて、もし、新型が襲ってきたら、それこそイタチごっこじゃないですか?」
「無論、それも考えている」
正彦は、ヒロインの質問に即座に答えた。その通りだ。いくらウイルスの侵入を抑制するソフトを作ったとしても、またすぐに新しいウイルスを送ってくる可能性は十分にあり得る。サタールは、決してそのようなことでは諦めないだろう。そのことは、ユウナにもわかった。
「だから、私のことは構わず、君たちは君たちで普通の日常に戻ってもらいたい。必ず、私があの世界を救ってみせよう」
正彦は、強気の目で言った。ユウナは正彦の身体のことが心配だったが、止めてはいけないのだという気がした。
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中谷優奈
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鶴ケ崎麗菓
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月見里美香
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夢野あかり
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池谷大輝
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相場善秀