朝、ユウナは目を開けた。襖の隙間から、朝陽が差しこんでくる。体を起こし、周りを確かめる。ユウナの寝ていた布団の横には、きれいに畳まれた布団が置いてある。悠二郎は、もう仕事に行ってしまったようだ。その時、ユウナはまた昨日の出来事を思い出す。
『家元を継ぐことになったら、この家から出られなくなるんだぞ?』
『もっと、よく考えてから発言するべきだ』
悠二郎の言葉で、ユウナは考えたことがあった。それは、家元を継ぐかどうかではなく、悠二郎とこの先、どう向き合っていくかだ。本当の夫婦ならば、本音で話し合えることが一番望ましい。それなのに、今の二人は互いに隠し合いをしているようだ。結局、花会が行われるまで、悠二郎には何も伝えなかった。それで、悠二郎を怒らせてしまったのかと、ユウナは反省していた。
朝食をとった後、ユウナは庭を歩いていた。まるで、庭園のように広い庭だ。しばらく、そこに咲いている花々を眺めていた。これらも、悠二郎の母の雅美が植えたものだろうかと考えながら眺めていると、すぐ近くから声がした。若い男女が、揉めているような声だ。何事かと、ユウナは声のする方に行ってみた。
家の陰から覗くと、向こうに若い男性と女性の姿が見える。ユウナは女性の方を見て、ハッとした。それは悠二郎の姉、
「ごめん、もう会えへん」
千年が言うと、相手の男が言った。
「やっぱり、まだ家のことで何かあんのか?」
「そやないけど、お母様は、どうしてもうちに家元を継がせたいらしいんよ」
千年が答えると、急に男が怒り出した。
「そんなん、約束と違うやん!」
「でも……」
「言い訳なんてききたないわ!」
男は、そう言い捨てると帰ってしまった。千年は黙ったまま、その場に立ち竦んでいた。そして千年が、その様子を見ていたユウナのところに近づいてくる。ユウナは急いで隠れ、千年が家の中に入っていくのを見ていた。先ほどの男は、いったい誰なのだろう。そして、千年とはどのような繋がりなのだろう。他人の話に関わるのはどうかと思ったが、それでも気になるのが、今でも変わらないユウナの性格であった。
第三十六回
ユウナは、家の中に戻って千年を探した。そして千年を見つけると、声をかけた。千年がふり向き、ユウナは近づいた。
「あの……。さっき、庭で男の方と会われているのを、偶然見てしまったんですが……」
「それが、何やっていうの」
「その……、どのようなご関係なのかなぁと思いまして。あ、少し気になっただけで……」
ユウナは若干後悔しつつも、そう話した。すると千年は向こうを向き、こう話し始めるのだ。
「お父様の会社にお勤めしてる方なんやけど、お父様の紹介で、交際することになったんよ。それで意気投合して、結婚しようって話まで出てん。でも、私が嫁ぐってきいた瞬間、家元を継ぐ思てたお母様が、猛烈に反対して……。昔から、お父様よりお母様の方が気ぃ強いから、お父様は何も言ってくれへんで……。それで、結果的に別れることになって。それでも最近、また向こうから会いに来てくれるようになったんよ。でも、それをお母様は知らはらへん。もしも知られたらって思うと、すごい怖いんよ……」
「そうだったんですか……」
ユウナが言うと、千年がまた、ユウナの方を向いて言った。
「だから、あんたも絶対に言うたらあかんで。もしもそのこと、お母様に教えたりなんかしたら、許さへんから!」
千年は強気にそう言うと、向こうに歩いていってしまった。ユウナはそれを見て、千年が不憫に思えて仕方がなかった。しかし、ここは千年の言うことに従わざるを得なかった。
そして、また週末に花会が行われ、ユウナもそれに出席した。ユウナはユウナで、
『もう二度とユウナに、僕の妻に、手を出さないでください!』
悠二郎はそう言っていたが、自分が家元を継ぐことによって千年が自由になるのなら、それはそれでよいかもしれないと、ユウナは思った。しかし、悠二郎の気持ちもわかる気がした。自分はこれから、どうしたらよいかと考えているうち、花を活ける手が止まっていた。それを見た雅美が、ユウナに話しかけてくる。
「ユウナさん、さっきからどうしたん? 花道において、花を活ける時にそれ以外のことを考えるのは、花にとって失礼や。一番やったらあかんで」
「すみません……」
「それに、余計なことを考えると、それが作品にも現れるものです。もしも、それができひんようやったら、今すぐにでもこの家を出ていきなさい」
「本当に、申し訳ありません」
雅美の態度も、あれから一段と冷たくなっている。ユウナは雅美に謝ると、花道だけに集中しようと、また手を動かし始める。その様子を、近くから千年も見ていた。
花会のあと、ユウナは廊下を歩いていた。左手に、庭が見える。様々な色の花が、風に揺られている。ユウナはそれに見とれていると、どこからか子供の声がした。そうすると、向こうから子供が二人、駆けてきた。それは悠二郎の甥に当たる
「こら、大雅。大人しく出てきなさい!」
どうやら、由希が鬼のようだ。大雅は嫌がって、ユウナから離れようとしない。そこに二人の母、
「こら、お姉さんが困ってはるでしょ!」
そう言い、大雅を抱きかかえる。絵美里はユウナの方を向くと、
「どうもすみません」
と言うのでユウナも、
「いえ、いいんです。……元気ですね」
そう言って誤魔化した。絵美里はそれをきいて、微笑していた。そして、大雅を抱いたまま、由希も連れて向こうへ行ってしまった。それを見ていて、ユウナは自分もあのように元気な子を産みたいとさえ思った。それと同時に、もしかすると千年も同じ気持ちなのかもしれないという思いが、頭の中を過ぎった。そうすると、後ろから誰かが声をかけてきた。
「ちょっと」
突然のことでユウナは驚き、後ろをふり向いた。そこにいたのは、なんと千年だった。
「お姉さん……。あの、どうしたんですか?」
「ちょっと、話したいなって思って」
「えっ……?」
「時間、空いてる?」
真剣な顔をしながら、千年がきいてくる。ユウナも、黙って頷いた。まさか、千年から声をかけてくるとは思わなかったため、しばらくの間、動揺を抑えられずにいた。
二人は、ある和室に入った。そこで、千年とユウナは向かい合った。ユウナが、話とは何だろうと考えていると、先に千年が言った。
「この前、あんな言い方してごめん」
「えっ……?」
「うち、あの時他人に見られてどうしようか、すごい焦ってて……。もし、お母様に知られたらなんて思うと、夜も寝れへんくなりそうで怖くて……。だから、あんなきつい言い方してしまったんよ。ほんま、ごめんな」
千年は、泣きそうになりながら言った。それを見たユウナは、
「いえ、いいんです。私の方こそ、関係ないのに余計な口を挟んでしまって、すみません」
と言った。すると、千年がこう言うのだ。
「うち、やっぱりあの人のこと諦めることにする」
「それは……、なぜですか?」
ユウナも、ついついきいてしまった。すると、千年が続ける。
「だって、うちが家元を継がんことには、あんたも巻きこんでしまう。何も知らんとこの家に来たあんたが、辛い思いしてるの見てると、こっちまで辛なる。だから、いっその事あの人のことは忘れて、花道に専念しようと思う」
千年は、ここまでユウナのことを考えてくれていた。話をきいていたユウナは、千年が気の毒に思えて仕方なかった。自分のために、恋人のことを諦めると言う千年に対して、どうにかしてあげられないものかと、必死に考えを巡らせた。そして、千年に尋ねた。
「お姉さんは、どう思ってるんですか? お母様のこと」
「どうって……、急にそんなん言われても……。昔から、何かを人に押し付けるのが得意な人やったから、今回の件も長女が家元を継ぐのが当たり前やと思ってる」
「でも……、好きなんですよね、活け花」
「えっ?」
ユウナは、つい余計なことを口走ってしまった。それでもユウナは、この機会に自分の考えを千年に伝えようと思った。
「私、初めて活け花を教わった時、お姉さんの手慣れさがすごいと思ったんです。活ける花もすごく素敵で、まるで魂がこもってるような、そんな作品に見えたんです」
「やめてよ、そんなお世辞」
「お世辞なんかじゃありません!」
ユウナが言うので、千年は黙った。
「あ、すみません。でも、本当なんです。お姉さんの活ける花を見ていたら、本当に好きでないとあんなに上達しないと思うんです。それを、お母様に証明することができたら、結婚を許してくれるのではないかと思いまして」
「でも、そんな……」
千年は、不安気な顔をしている。しかしユウナには、珍しく絶対的な自信があったのだ。千年の作品であれば、きっと雅美も納得してくれるだろう。それほどまでに千年の活けた花は、ユウナの中で素晴らしかったのだ。
その後、千年は雅美の部屋に行った。それには、ユウナも同行した。雅美が二人を交互に見ると、
「何やの、話って」
と、きいた。そして、千年は口を開いた。
「私、今でも
それをきいた瞬間、雅美の顔色が変わった。しかし千年は動じず、さらにこう続けた。
「うち、やっぱりあの人のこと諦めきれません。どうか、どうか結婚をお許しください!」
千年が頭を下げると、雅美は言った。
「あれほど言ったのに……。なんで、なんで言うことをきいてくれへんの?」
すると千年は顔を上げ、こう言うのだ。
「うちも、散々考えました。でもあの人は、お母様の思っている以上に優しい方です」
「いくら優しくても、結婚するっていうのは、余所に嫁ぐいうことなんよ? 相手が婿に来てくれる言うんやったらええけど、もしもあんたがおらんようになったら、誰が家元を継ぐんか、よう考えや」
そう言うと雅美は立ち上がり、その部屋を出ていこうとした。その時、ユウナは咄嗟に雅美を呼び止めた。
「待ってください」
「何よ?」
「たしかに、お義母さんの仰る通りかもしれません。ですが、それだけで反対するというのは、少し違うような気がします」
「違う?」
雅美は、ユウナを見ながら尋ねた。千年も、驚きの目をユウナに向けている。それでもユウナは後に退かず、話を続けた。
「たしかに家元は大事だと思います。お義母さんが大切にされている理由も、わかる気がします。でも、少しはお姉さんのお気持ちも察してあげるべきだと思います」
「あんた、何様よ!」
「これはあくまで私の考えですが、次のお花会の際に、お姉さんだけのお花を審査するというのはどうでしょうか!」
「千年だけの……、花……?」
雅美がきいてくるので、ユウナは顔を上げて答えた。
「お義母様には、師匠の方がいらっしゃるとききました。その方に審査をしていただき、そこでお姉さんの腕が認められたのなら、結婚を承諾してはいただけないでしょうか」
これは、ユウナから咄嗟に出た言葉だった。千年も、それには驚いたらしく、ユウナのことを見つめながら、
「あんた……」
と、少々呆れ気味に呟いている。ユウナは雅美を見つめ、
「よろしくお願いします!」
そう言い、また頭を下げた。雅美はしばらく黙ったあと、口を開いた。
「……わかった。でも、あの方が認めてくださらんかったら、あんたが家元を継ぐんやで」
雅美は、千年を見ながら言った。千年は、下を向いたまま黙っている。雅美は薄く笑みを浮かべると、その部屋を出ていった。しばらくは動きそうにない千年を、ユウナも心配そうに見つめていた。
その後、二人は部屋に戻り、ユウナは千年に謝った。
「あの、本当にごめんなさい」
「もうええよ」
千年は、すぐに許してくれた。
「でも、知らんかった。あんたが、先生のこときいてたなんて」
「はい。こちらに来る前、大体の話は悠二郎さんからききましたから」
「ほんまに、お喋りやわ〜」
千年から、ようやく笑みが漏れた。それを見て、ユウナも一安心した。それでも、まだこの一件が終わったわけではない。これから、千年の戦いが始まる。ユウナはそのことを知っていた分、笑えなかったのだ。
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
-
中谷優奈
-
鶴ケ崎麗菓
-
月見里美香
-
夢野あかり
-
池谷大輝
-
相場善秀