2018年12月も半ばに差しかかり、喜多村家の人々も新年を迎える準備に追われていた。ユウナも、子供たちと一緒に窓拭きなどを手伝っていた。すると美子が来て、
「奥さん、すいません。このようなことまで手伝わせてしもうて」
と言うので、
「いえ、好きでやってるので」
ユウナは、そう答えた。そこへ悠二郎も来て、ユウナを呼んだ。
「ユウナ、ちょっといい?」
「はい」
ユウナは答え、美子に礼をすると、悠二郎のところに行った。悠二郎は、少し浮かない表情をしていた。
第三十七回
ユウナは、悠二郎とともに一室に入った。悠二郎が腰を下ろすと、深く溜息を吐く。それを見たユウナは不思議に思い、座りながら悠二郎に尋ねた。
「あの、何かあったんですか?」
「あ、うん。母さんが……」
「お義母さんが?」
「今日、話をしにいったんだ。今後について。ユウナも、来年から働き始めるなら、そろそろ面接とかあるだろ? だから、それを今日言いにいったんだ。そしたら……」
悠二郎は、鬱々しい表情で話し始める。
悠二郎の話をきき、花を活けていた雅美は言った。
「ユウナさんには、これからもずっと、嫁としてこの家で働いてもらいます」
「母さん、話が違うよ。ユウナは、これから就職に向けて、就活しなくちゃならないんだ。それは、母さんだってわかってるだろ?」
「せやけど、この季節に応募してるとこなんてあらへんよ。それよりも、うちで働いた方が、あの子のためやと思うんよ」
「じゃあ、ユウナを一生閉じこめておくつもりですか」
「そんなん、言うてへんやん。あんたも、今勤めてる会社あるんやろ? 落ち着いたら、もとの場所に戻ったらええ話よ」
そう言って雅美は、活け花を続けていた。しかし悠二郎は納得がいかないように、
「わかった。これから、ユウナと話してくるよ」
と言い、立ち上がって部屋を出ていった。
「そんなことを、お義母さんが……」
悠二郎の話をきいて、ユウナは呟いた。悠二郎も、
「ほんとにごめん。また、余計な心配をさせてしまって」
と言うので、ユウナはこう言った。
「いいんです。お義母さんも、考えあってのことですし」
「じゃあ、君はほんとにいいのか? しばらく、この家から出られなくなっても。また、あの研究所にも行けなくなってしまうんだぞ?」
それをきき、ユウナは少し動揺したような表情を見せる。正彦のことが、ユウナの頭の中に浮かんだ。しかし、ユウナは言った。
「もう、教授のことはしばらく考えないことにしましたから」
「そう……。でも、俺は情けなくて仕方ないよ。今までも、母さんに押し切られてばっかだったし。あれから、何も変わってないなぁって、自分でも情けなくなってくるよ」
「そんなに、自分のことを卑下しないでください。悠二郎さんの考えも、わかる気がします。私、お義母さんと少し話してきてもいいですか?」
「あ、あぁ……」
悠二郎はそう答えながら、ユウナのことを見ていた。ユウナはその後、雅美と話そうと心に決めた。雅美を納得させる口実を、何が何でも見つけなければならない。自分のためにも、そして悠二郎のためにも、今はそうするしかないと思った。
ユウナは、雅美の部屋を訪ねた。戸の前に座り、
「失礼します」
そう声をかける。すると、
「どうぞ」
と返事がきこえるので、ユウナは戸を開けて中に入った。中では、雅美がいつものように花を活けている。ユウナは、雅美の正面に座った。雅美が、
「何やの」
と言い、手を止めてユウナの方を見た。そして、ユウナは話し始めた。
「あの、悠二郎さんからききました。お義母様は、私にこの家で、ずっと働いてほしいとお考えだと」
「何や、ほんまお喋りやなぁ」
「教えてください。それは、お姉さんがご結婚なさったからですか? 家元のこともあるので、家業もするとなると少し大変なように思います。だから私に嫁として、家業を継がせようとしているのですか?」
「それやったら、何やっていうの?」
雅美が、逆に尋ねてきた。それをきいて、ユウナは何も答えられなかった。雅美の考えは、少しの説得では変えられないということを、悟ったからかもしれない。ユウナが、
「……いえ、お義母様がそうお考えなのでしたなら、私はそれで構いません」
と答えると、雅美も表情を変えずに言った。
「そう。ほな、私は行くとこあるから、これで失礼させてもらうわ」
雅美は立ち上がり、戸の前に立った。その時、ふり向いてユウナに言った。
「そうや。廊下の掃除、うちが帰ってくる前までにやっといてもらえる?」
「はい」
ユウナが答えると、雅美はそのまま部屋を出ていった。ユウナは、しばらくその部屋に残り、考えていた。このままでは、本当に外に出られなくなるかもしれない。悠二郎にも、また心配をかけてしまうかもしれない。それでも、雅美に何を言おうかわからなかった。
ユウナはその後、廊下の拭き掃除をしていた。すると、どこからか子供の声がきこえてくる。また、由希と大雅が遊んでいるのだろうと、ユウナは微笑ましく思った。二人は、ユウナから見て姪と甥に当たる。それだけに、愛らしくも思えた。そこへ、大雅が走ってきた。ユウナは、大雅に声をかけた。
「廊下を走り回ったら危ないよ」
すると、大雅はユウナにこう言った。
「隠れん坊しよう」
「え? でも掃除が……」
ユウナが言うと、大雅は不満そうな顔をする。ユウナは少し戸惑ったが、雅美が帰ってくる前までにやっておけばいいだろうと、大雅と一緒に隠れん坊をすることにした。
そして大雅が隠れ、ユウナは鬼になった。ユウナは、
「大雅君〜?」
と声をかけながら、大雅を探す。小学校以来の隠れん坊に、ユウナも少し楽しくなり、大雅を探していた。しばらく探し回ったあと、ようやく大雅を発見した。襖の裏に隠れていたのだ。ユウナはそっと近づき、
「あ〜、大雅君発見」
と言うと、大雅もあっさり出てきた。ユウナは、それを見て笑っていた。その後、大雅と一緒に戯れていた。すると、そこに声がかかった。
「ちょっと」
ユウナはハッと我に返り、ふり向いた。そこには、雅美が立っていたのだ。厳しい形相をして、ユウナを睨みつけている。
「お義母様……」
ユウナが呟くと、雅美は歩いてきてユウナの頬を叩いたのだ。それには、ユウナが一番驚いた。そして雅美が、
「何やの、あれ。帰ってくるまでにやっといて言うたのに、ほったらかして子供と遊んで! ほんま、何様のつもりや! 早よやり、その後はお風呂場の掃除頼むで」
と言い、奥の部屋へ行ってしまった。そして、その光景を目の当たりにした大雅の方に、ユウナは目を向ける。案の定、大雅は今にも泣きそうな顔になっていた。ユウナは大雅を安心させようとしゃがみこみ、頭を撫でながら言った。
「大丈夫だから。心配かけてごめんね。じゃあ、お母さんのとこ行こっか」
ユウナが言うのをきいて、大雅も頷いた。ユウナは大雅を母の絵美里のところに連れていき、自分は戻って拭き掃除の続きに取りかかる。それでも、あの雅美の顔が未だに忘れられない。それほどまでに、怒らせてしまったのだろうか。ユウナは廊下を拭きながら、そればかりを考えていたのだった。
夕方になり、悠二郎が帰宅してきた。すると、縁側の廊下に腰掛けているユウナのことが目に入った。そして、無言で隣に座る。
「悠二郎さん?」
「大雅君からきいたよ。母さん、ユウナのこと打ったんだって?」
「あ、はい……」
悠二郎にそう言われ、ユウナは恥ずかしそうに答えた。すると、悠二郎がきいてきた。
「ユウナって、両親に引っ叩かれたことってある?」
「いえ、ないです……」
ユウナが答えると、悠二郎は微笑しながらこう言うのだ。
「そっか……。痛かったでしょ? 俺も、小さいころよくやられたよ。父さんのよりも、母さんのビンタの方が落ちこんだな」
悠二郎が上を見ながら懐かしそうに話すのを、ユウナも見ていた。そうすると、なぜか先ほどまでの暗かった気持ちが、晴れるような気がした。
「でも、多分イライラしてただけだと思うよ。あいつ、よく八つ当たりするから」
「あいつって、お義母さんのことですか?」
「あぁ、うん。流石に、本人の前で言ったことはないけどね」
悠二郎は、笑いながら言った。それを見て、ユウナも少し笑顔を取り戻せた。そして、悠二郎に思いの丈を話すことにしたのだ。
「私、やっぱり不安なんです」
「不安?」
「最初は、ちょっと顔を出す程度のつもりだったのに、こんなに長くいることになるなんて、正直思ってなかったんです。だから、少し混乱してて……。もう、前のところに戻る日は来ないんじゃないかって、考えてしまって……」
これは、ユウナの本心だった。悠二郎の実家に来たのは、悠二郎の家族に会っておきたかったからだ。まさか、このような時期になるまでいることになるとは、当初は思ってもいなかった。就職の募集も、とっくに終わってしまった。ユウナは、もう行き場を失ってしまったような心持ちだった。
「じゃあ、ユウナはどうしたい? これから」
「えっ……」
悠二郎を見ると、悠二郎は笑いかけている。本音を言うならば、就職してちゃんとしたところで働きたいとユウナは思っていた。
「私、できれば就職したいんです。悠二郎さんが頑張って働いてるのに、私だけこの家の人たちに甘えるわけにはいきませんから」
「そっか……。じゃあ、もう一度、母さんにそう言うしかないな。大丈夫、俺も協力するから」
悠二郎は笑った。これほどまでに、心強い夫を持つ女が果たしてこの世にいるだろうか。ユウナは嬉しさをかみしめながら、悠二郎を見つめていた。
その後、悠二郎はまた雅美の部屋に行った。そこで、雅美にこう伝えた。
「ユウナは、他所で働きたがっています。母さんも、それはわかっていると思う。今までのユウナの言動を見て、そう思わないかい?」
「でも、どこか当てがあるん?」
「それは、これから探せばいい。ユウナも、まだ二十四なんだ。就職先くらい、まだどこにでもあるよ。だから、それをどうかわかってほしいんだ」
「そんな、綺麗事……」
「綺麗事なんかじゃない!」
悠二郎の声が、部屋中に轟いた。悠二郎がこのように怒鳴ったのを初めてきいたのか、雅美は押し黙った。そして、悠二郎は続ける。
「ユウナは、本気でそう思ってるんだ。嫁だからって、何でも言うことをきくと思ったら、それは大間違いだ。俺も、そのつもりで結婚したんじゃない。俺からも、お願いするから」
それをきいても、雅美は何も言わなかった。しばらく沈黙が流れると、雅美はゆっくりと立ち上がり、そのまま部屋を出ていった。やはり雅美は、まだ納得がいっていない様子だ。それでも悠二郎は、雅美が納得するまで諦めるつもりはなかった。
その頃、ユウナは千年の部屋にいた。千年にも、考えていることを話そうと思ったのだ。
「私……、これからどうしたらいいんでしょう」
「知らんよ」
千年は、呆気なくそう言った。そして、
「でも、あんたがそう思ってるんやろ? それなら、うちはべつにいいと思う。あとは、お母様をどう説得するかが重要やもんな」
と、言ってくれた。ユウナも、それをきいて嬉しくなった。そして千年は立ち上がり、部屋を出ていく時に、ユウナの方をふり向き、こう言った。
「大丈夫。あんたやったら、なんとかなる。うちも、応援するから」
そして、向こうに行ってしまった。ユウナは、ますます嬉しくなった。皆、自分のことを応援してくれている。そう思うだけで、いくら心の支えになったことだろう。
夕食の時、ユウナは雅美に話そうと思った。食卓を囲っている皆が静かになるのを見計らい、ユウナは雅美を見つめて言った。
「お母様、あとでお話いいですか?」
しかし、雅美は何も言わずに立ち上がり、食器を持って台所の方へ行ってしまった。話をする時間さえ、与えてくれないようだ。それでも、ユウナは雅美と話すには何をすればよいのか必死に考えを巡らせた。
その夜、いつものように悠二郎とともに寝室に行くと、悠二郎が打ち明けた。
「母さん、まだ認めてくれてない。俺も今日あれから話しに行ったんだけど、ちょっと反論しただけでガン無視決めこんでくるからね。親一人説得できないなんて、俺もまだまだだな」
「そんなことありません。悠二郎さんは、私のために、ここまでしてくれたんですから。それだけで、嬉しいです」
「そっか……」
悠二郎も、ユウナを見て微笑んだ。すると突然、悠二郎が話題を変えた。
「そうだ。実は今日、兄貴からメールが届いてさ。来週辺り、帰ってくるんだってさ」
「そうなんですか?」
「あぁ。ユウナのこと話したら、是非会ってみたいって言ってた」
「そうですか……」
その時、ユウナはふとあの晩のことを思い出した。深夜四時ごろ、庭で悠二郎が誰かと電話で会話していたのだ。
『例のこと、ほんとに言わなくて大丈夫なのか? うん、わかった。じゃあ、待ってる』
あの電話の相手は、悠二郎の兄だったのだろうか。それにしても、あの会話は自分に何かを隠しているようにもきこえた。
「あの」
「ん、何?」
「……、いえ。何でもありません」
ユウナは思いきってきこうとしたが、悠二郎が隠し事をするとは思い難かった。一人で何でも抱えこむなと言った張本人は、悠二郎だったからだ。ユウナは考えることをやめ、今は雅美をどのように説得するかだけを考えることにした。その日は寝ることにし、また明日じっくり考えることにした。
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