誰かが、正彦の部屋の戸をノックした。戸を開けたのは、美千子だった。
「ユウナちゃん、今日も来てないのね」
「あぁ」
「頼りの綱なのに……。でも、仕方ないわね。大切なお友達を失ったんだもの」
正彦と美千子は、そのまま黙りこんでしまった。
その頃、ユウナは部屋で一人、何も考える気になれず、ただ黙ったまま炬燵に足を埋めるのだった。
第三十八回
別の部屋では、ミカとアカリが待機していた。机には、ユウナのスマホが置かれてある。
「ミカちゃん。ユウナちゃん、どうするんじゃろね」
「ちょっと待ってよ。こっちだって、まだ気持ちの整理が追いついてないんだから」
ミカも、予想外の事態についていけずにいた。するとまた、アカリが言葉を発する。
「ねぇ、ユウナちゃんの様子見にいかん? このままじゃ、何するかわからんよ」
それをきき、ミカも黙って考えた。ユウナの気持ちを考えると、何と声をかけてよいのかわからなかったのだ。
しかし結局、二人はユウナの部屋へ様子を見にいった。ユウナの前にスマホを置くと、ミカは話した。
「これ、鶴ケ崎さんが拾ってくれたって」
「鶴ケ崎さんが……?」
「元気出しなよ。そりゃぁ、こっちだって悲しいよ。でも、大輝君は最後まで自分の正義を貫いたんでしょ?」
ミカは、わざと明るく振る舞った。
「うん……」
ユウナも答えるが、何も耳に入ってこないようだった。そして、
「大ちゃんは……、私を助けてくれた。ずっと独りだった私を、救い出してくれた。それは、いつまで経っても変わらない。いつか、感謝を形にしようって、頑張ってきたのに、もう大ちゃんは……。こんなことになるなら、早くに伝えておけばよかった。私、大馬鹿だよ……。悔やんでも、悔やんでも、もう過ぎた時間は戻ってこないんだってことくらい、知ってたのに……」
と、泣きながら話した。それをきいて、アカリもユウナの背中に手を添えると励ました。
「大丈夫、ユウナちゃんの気持ちは、きっと天に届いとるよ」
しかし、ユウナは首を横に振るだけだった。ミカも、
「ユウナ……」
と、心配そうに呟いている。
「先に戻ってて。すぐ行くから……」
「一緒に行こう」
「私は、あとで行くから……」
ユウナは頑なに、ミカからの誘いを断った。そして、ミカはユウナの隣に座ると言った。
「じゃあ、私も好きなこと言わせてもらおっかな」
それをきいたユウナは、ふとミカの顔を見た。すると、ミカがこう言い出した。
「バカじゃないの!? なんなの、アイツ! 助けようとしたって、自分が死んじゃったら意味ないじゃん! 何が正義よ、何が俺の生き方よ! 残された人の身にもなりなさいよ! そりゃ、人を助けるのはすごく立派だけど、時と場合ってもんがあるでしょ!」
「ミカ……?」
「あぁ〜、ムカつく! 今度会ったら、絶対に殴ってやるんだから! だから、だから! 死ぬなんてなしだよ〜!!」
ミカの目からも、無数の涙が溢れ出てくる。アカリも、それに同調したように泣き始める。ユウナは、そんな二人をただただ見つめていた。悲しいのは自分だけではなかったのだと、その時にユウナは悟るのだった。
落ち着くと、ミカはユウナに笑いかけた。
「ユウナ……、一緒に行こう。お葬式」
「そうじゃね。うちらも、クラスメイトじゃったんやけん」
「二人とも……、ありがとう」
二人の提案が、ユウナにとっても嬉しかった。そして、いつの間にかユウナの心も徐々に温かさを取り戻しつつあった。
三人はその後、正彦の研究室に足を運んだ。そこで、正彦に大輝の葬式に行くと告げた。それには、正彦も快く承諾してくれた。
「そうか……。では、今回の件はまた今度にするかな」
「あの、本当にいいんですか?」
ユウナは心配になってきくと、近くにいた美千子もこう言った。
「何言ってるの。当然じゃない。こっちは大丈夫だから、行ってらっしゃい」
「はい、すみません」
「いいのよ」
美千子はそう言うと、微笑んだ。そして、三人は大輝の葬式に参列するため、一旦東京に帰ることにしたのだ。
研究所を出ると、真司と美千子が見送りに出た。真司は、
「こっちは、気にすることないから。父さんも、そこまで空気読めない人じゃないからさ」
と言い、美千子も、
「そうよ。帰ってくるのは、いつでもいいからね」
そう、優しく言ってくれた。
「ありがとうございます」
ユウナが二人に頭を下げると、ミカとアカリも頭を下げた。そして駅に向け、歩き出した。それを見送りながら、ふと美千子が呟いた。
「あの子たちの友情の方が、一枚上手ね。そっちも見習ったらどうかしら」
「まぁ、なんだかんだ言って、あいつらとは仲が悪いわけではないですしね」
真司もそう答えながら、ユウナたちの後ろ姿を見つめていた。横では、美千子が微笑を貫いているのだった。
三人は電車に乗り、そのまま新幹線に乗り換えて東京に向かった。先に、ユウナは実家の玄関を潜った。リビングの戸を開けると、家族が優しく迎えてくれた。三人とも、喪服に身を包んでいる。
「お帰りなさい。あなたの服、ちゃんとクリーニングに出しておいたわよ」
百合子はそう言いながら、箱を出してきた。中を見ると、そこにはユウナの黒いスーツがあった。これは、ユウナが前の会社に入る際、就職活動用に着ていた服だった。まさか、次に着ることになるのが、葬式だとは当時は夢にも思わなかっただろう。
翌日、その服を着てユウナは葬式に臨んだ。会場は静まり返り、前列には大輝の母親らしき女性が座っている。後列には、ユウナを含むかつてのクラスメイトや同僚が座った。前にある大輝の遺影が、異様に眩しかった。ユウナの近くでは、女性たちの啜り泣く声がきこえる。ユウナも、再び泣き出しそうになるのを必死に堪えた。これが現実だと、受け入れなければならない。そう、ユウナは自分に言い聞かせていた。
式が終わると、ユウナは会場をウロウロとした。そこには、大輝の幼い頃の写真などが飾られている。その中には、ユウナと一緒に撮ったものもあった。ユウナは、それを懐かしそうに眺めていた。すると、
「あ、いたいた!」
という声がするのでふり向くと、ミカとアカリがこちらに向かって歩いてくる。
「どうしたの?」
「今からさ、一緒にお昼食べに行かない?」
ミカに誘われたが、どうしても今はそのような気持ちになれなかった。
「ごめん。私は、いい」
「ほんとに?」
「うん。私はいいから、二人で行ってきて」
「そっか……。わかった、じゃあアカリ行こ」
「うん」
二人は行ってしまい、ユウナはそれを見送ったあと、疲れたのか近くの椅子に腰を下ろした。しばらく会場の様子を見ていると、母の百合子が来て隣に座った。
「お母さん……?」
ユウナはそれを見て、少し驚いたような表情を浮かべる。
「どうしても、あなたに伝えたいことがあって」
「伝えたいこと?」
「えぇ。あの子……、大輝君のことで……」
「大ちゃんのこと?」
ユウナがきくと、百合子は話し始める。
「向こうのお母さんからきいた話なんだけど、大輝君、ずっとユウナのこと心配してたんですって」
「心配してた……?」
「何でも一人で背負い過ぎていないかとか、それを誰にも言えずにいるんじゃないかとか、すっごく気にしていたらしいの。家にいる時も、そればっかり言ってたって、さっき話してたわ。それをきいて私、嬉しくなっちゃった。昔から、何も変わってないなって。私と話す時は、ユウナならどうにかなってるって言ってたけど、お家では真逆だったみたいね」
「そう、なんだ……」
「だから、あなたに知ってほしかった。遠くにいても、ちゃんと見てくれてる人がいたんだってことを」
「うん……。ありがとう、教えてくれて。それに、なんだか大ちゃんらしいな……」
ユウナが呟くのを、百合子も微笑みながら見ていた。それが、大輝の「気遣い」というものだったのかもしれない。大輝自身、どこまでユウナのことを気にしてくれていたか、それは誰にも計り知れないものだったのだ。
それと同じ時分、正彦の研究室に真司、悠二郎、慎一郎、そして雅也が集まっていた。真司が、
「彼女たちは、今は東京に帰っている」
と言うと、何も知らされていなかった慎一郎は声を上げた。
「え、なんで?」
「ユウナちゃんの親友が亡くなったんだってさ」
次に雅也が、そう言って説明を加える。それをきいた慎一郎は、呆れ顔になって言った。
「ったく、こんな大事な時期に何やってんだよ。せっかく迎えに行ってやったのによ。礼もなしな上に、友人の葬式か。お目出度い奴らだな」
兄の発言に、悠二郎が頭に来たらしく、怒鳴りつける。
「おい、今のはどういうことだよ!」
「何だよ、お前の奥さんだろ? お前にも責任があるんじゃないのか」
「謝れよ。ユウナが今、どんな気持ちで東京にいるか考えて言ってんのかよ! 今すぐ、謝れ!」
悠二郎が慎一郎につかみかかろうとすると、真司はそれを止めに入った。そして悠二郎を無理やり廊下に連れ出すと、言い聞かせた。
「気持ちはわかるけど、あいつも悪気があって言ったわけじゃないと思うんだ。だから、その、ごめん。あいつの代わりに、俺が謝るよ」
そして真司は、悠二郎を残したまま再び部屋の中に戻っていった。悠二郎は、そのままその場に蹲り、腕に顔を埋めて考えていた。
『ユウナがどう思おうと、ユウナの夫は俺だから。俺も、彼に負けないくらい、強くならなくちゃな。そうでなきゃ、またあの時みたいに怒られちゃうよ』
悠二郎も、一度きりだが大輝とは面識があった。
『今のあんたは、他人から見ても中途半端に、厄介事から逃げ出そうとしているようにしか思えねえよ。そんな今のあんたに……、ユウナを守る資格はねえ!』
あの言葉のおかげで、悠二郎は「結婚」ということの重みを知ることができた。悠二郎もまた、大輝に感謝すべき相手だったのかもしれない。
ユウナはその頃、まだ会場の中にいた。椅子に腰かけたまま、また人々の行き交う様子などを眺めていた。そこに、また懐かしい声がかかる。
「ユウナ?」
顔を上げると、そこには同じ年くらいの女の姿があった。ユウナは最初、それが誰だかわからなかった。しかしその女は、
「やっと見つけたよ〜」
と言いながら、ユウナに近づいてきた。その時、ようやく気がついた。
『池谷君、ずっと見てたよ。ユウナのこと』
それは、高校の時に一緒だった春日かおりだったのだ。ユウナは、それをとても懐かしく思った。
「来てたんだ……」
「まぁね。私も一応、同じクラスになったことあるし」
ユウナが立ち上がって言うと、かおりも答えた。そして、こう続けた。
「それに私、去年結婚したんだ」
「そうなんだ……。あ、おめでとう」
「そっちは?」
「私も、去年……」
「うわー、偶然!」
かおりは今、「山田」という苗字らしい。
「それにしても、あれから五年以上も経つのに、ユウナ全然変わんないね」
「そうかな……」
「そうだよ! なんか、羨ましい」
「でも、かおりだってきれいだよ」
「そう? ありがと」
二人はそんな会話をしていると、近くを男性が数人通りかかった。ユウナは、その中にいる相場と目が合ってしまった。しばらく見つめ合うと、かおりは空気を読んだのか、
「じゃあ、私もう行くね!」
と言い、向こうへ行ってしまった。すると、相場の周りにいた男たちも、かおりと同じことを思ったのか、隣にいたかつてのサッカー部キャプテン、
「あ、俺たち先に行ってるから。後で来いよ」
と相場に伝えると、
「あ、あぁ」
と、相場も答えていた。そして、西城たちもどこかに行ってしまった。その後、相場はユウナのところに来た。相場は、少しだけ気まずそうだ。
「あ……。なんか、久しぶりだな」
「うん、そうだね」
二人は、何を互いに話してよいかわからなくなった。しばらく沈黙が流れると、ユウナは相場にこんな提案をした。
「ねぇ、相場君はお昼もう食べた? まだだったら、これからどこかに食べに行かない?」
「あ……、あぁ」
相場は戸惑いつつも、笑顔で答えた。それに安心し、ユウナは相場と一緒に会場を出た。
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