あれから、特に進展は見られず、日々が流れていた。桜も完全に散って、夏を知らせる太陽が照りつけている。部屋には、いつもの三人が集まっていた。
「あ~、暑くない? ゴールデンウィークもまだだってのに!」
ミカは下敷で扇ぎながら、そう呟いていた。アカリは立ち上がり、カーテンを閉めた。すると、部屋が薄暗くなる。アカリは元の場所に座り直し、
「こんなこと、しよる場合なんやろか」
と、呟いた。ユウナも、その気持ちは大いに理解できた。しかし、今後をどうするかが決まらない以上、何もできないのが現状だった。時間が経つに連れ、やる気が失せていく。ユウナは、心に葛藤を抱いた。自分だけでも、SPの中で生活を送ろうか。しかし、皆に心配をかけないだろうか。そればかりが、自分自身を苦しめていく。
『どうだ、あの世界に住んでみないか』
正彦の言葉が、ユウナの頭の中で繰り返し再生される。ユウナは黙ったまま、しばらく考えていたのだった。
第四十一回
2019年5月。この日も、ユウナたちはダンジョン攻略に参加した。もうすでに半分以上を攻略し、あとは高難度のダンジョンをクリアするのみとなっていた。
「じゃあ、私は三十三エリアに行くね」
SPのマップを見ながらユウナが言うと、
「オッケー。じゃ、私はここに行けばいいわけね」
と、ミカも場所を確認していた。
「えっと、じゃあうちはこっちね」
アカリも、ユウナに確認を取ると、そこに向けて歩いていった。そして、ユウナも自分に割り当てられたダンジョンへと足を運んだ。
この日も、それぞれのダンジョンでモンスターを戦わせていた。戦闘が終わると、ミカはダンジョンから出てきた。そして、ふと腕時計で時間を確認する。集合時間までには、まだまだ時間がある。ミカは適当な場所を探して座りこんだ。目の前には、湖が広がっている。そこでは、主に水属性のモンスターたちが泳ぎ、また木属性のモンスターなども湖の水を飲みに来ている。それをミカは、ほっこりしたような気持ちで見ていた。
しばらく時間が経つと、自然と睡魔に襲われる。うつらうつらしていると、誰かが後ろからミカに声をかけてきた。
「お~い、そんなとこで何してんだ?」
ミカはその声にハッとし、ふり返る。立っていたのは、フギンだった。フギンは不敵な笑みを浮かべながら、ミカを見ている。ミカもそれには驚き、立ち上がった。
「ちょっ! 何の用なの!?」
ミカは、当然の反応を示す。そしてフギンを精一杯睨むが、フギンには通用しないようだ。フギンは、
「ちょっと、水を飲みに来ただけだ」
と言いながら、湖に近づいた。そして、湖面に顔を近づけると、水をすくい上げて飲み始める。それを、ミカも驚いた目で見ていた。
「それって……、飲めるの?」
「あぁ。全部プログラムでできてるから、腹は膨れんけどな」
飲み終わると、フギンは立ち上がり言った。
「お前ら……、ここの世界に住むつもりなのか?」
「は?」
モンスターたちを見つめながら、フギンがそうきいてくるので、ミカは怪訝そうな顔できき返す。
「なんで、あんたがそんなこと知ってんのよ」
「やっぱりな……」
「え?」
フギンはふり返ると、ミカに言った。
「本気で、ゲームをクリアするつもりなら、ログインする時間も惜しいんだろ。だから、この世界に住むことを教授から勧められた。違うか?」
「そう、だけど……」
それには、ミカもそう言わざるを得なかった。フギンの言ったことは、すべて当たっている。どうやって推理したのかは不明だが、事実には変わりない。さらにフギンはミカに近づき、
「お前らがどこにいようと、何をしようと、うちのオヤジには筒抜けだぜ。それだけは、忠告しておく。だから、隠れて何かをしようとしても、無駄ってことだ」
と言うと、向こうに歩いていった。
「待ちなさいよ!」
ミカは、不意にフギンを呼び止めた。
「……あんたの目的って何?」
「知らねえよ。大事なことは、全部オヤジと部下の研究員しか知らねえ」
「じゃなくて、あんたが何をしようとしてんのか、まったく読めないんだけど」
「さぁな。自分でもわかんねえや」
フギンは空を見上げ、そう呟いた。
「本当は、こんなことしたくないんでしょ?」
「……確証はあんのか?」
「ないわよ! ないけど……、これまでのあんたを見てると、なんかそうは思えないっていうか……。無理やり、そのサタールって人に働かされてるんじゃないかって」
ミカが言うのをきき、フギンは声を出して笑った。
「な、何よ!」
「いや。まさかあんたに、そんな風に見られてたとはね~」
「……じゃあ、違うって言うの?」
「否定はしねえよ。ただ、俺にもわからない。本当は、何がしたいんだろうって……」
フギンが突然、普通の喋り方になった。そしてまたミカに近づいてくると、ミカの肩に自分の手を置いた。
「けど、俺はお前さんたちを応援してるんだぜ?」
「ど、どういう意味?」
「オヤジの陰謀から、真っ向からぶつかってさ。最初は、バカな奴らだと思ってたけど、それでも必死にこの世界を守ろうとしている。これは遊びじゃない、戦争だ。本気で守りたいって思うなら、俺たちを殺すつもりで来い」
そう言ったあと、フギンは空に向かって笛を吹いた。すると、上からプテラドスが降り立った。フギンはそれに乗り、
「じゃあな。まあ、せいぜい頑張れよ」
そうミカに言うと、そのまま飛び去ってしまった。その様子を、ミカは下からポカンと見ていたのだった。そして次第に、ミカの心はフギンに惹かれていった。
しばらく経ち、ユウナとアカリが戻ってきた。
「あ、ミカちゃん。そっちは、どうやった?」
「あ、うん。余裕だったよ」
アカリにきかれ、ミカは適当に答えた。ユウナはミカのその様子に、少し疑問を抱いたが、気のせいだと思って追求しなかった。その後、三人は部屋に戻ることにした。
部屋に戻った三人は、休憩として菓子を食べていると、アカリが呟いた。
「ほんま、どうしよっか……。あの世界に住むのはいいけど、ちょっと怖いけんね」
「私も、そうした方がいろいろな意味で便利だと思うの。でも、それなりに危険だってことは理解してるつもり」
ユウナも、自分の考えを言った。あれから散々話し合ったが、どうにも纏まりそうにはなかった。二人がそんな会話をしている間にも、ミカは先ほどのフギンの話を思い返していた。
『俺はお前さんたちを応援してるんだぜ?』
敵だとわかっていても、女心は正直だということだろうか。異性として、少し気になり始めていた。それだけは本当らしい。不意に、アカリがミカに声をかける。
「ミカちゃん、どしたん? さっきから、黙りよるけど」
「え? あ、ううん。何でもないよ。それよりさ、せっかくの連休だし、気分転換に三人でまたどっか行かない?」
「あ、いいね!」
アカリも、乗り気で答えた。しかしユウナには、ミカが無理に笑顔を作っているように見えた。何かを、自分やアカリに隠しているように見えたのだ。
時刻は、もう夕方五時前だ。時計を見たアカリは、
「あ、いかん! これから、バイトあるんやった! ごめんね、もう行くけん」
と言って立ち上がった。
「あ、うん。頑張ってね!」
ミカが言うと、
「うん、じゃあね」
とアカリは言い、カバンを持って部屋を出ていった。その部屋には、ユウナとミカだけが残った。ユウナは、さっき抱いた疑問をミカにきこうと思ったが、なかなかその勇気が出てこない。やっと決心し、ユウナは口を開いた。その瞬間、ミカと声が重なった。ミカも、ユウナに何か言おうとしたのだ。
「あ、ユウナ。何か言った?」
「あ、ううん。何でもないの。それより、ミカこそ何て言おうとしたの?」
思わず、ユウナは嘘をついてしまった。それでミカを傷つけることだけは、何が何でも嫌だった。ミカはしばらく間を置き、ユウナに言った。
「ねぇ。学生の時、ユウナを連れていったやついるでしょ? その……、フギンとかいう」
「うん」
「あの時、どこ連れてかれたの?」
ユウナはその時の光景を思い出し、しばらく考えていた。
「……よくわからない。でも、オーディンがあの世界を救う鍵になるって」
「オーディンが?」
「うん。よくわからないけど、そう言ってた。あの人、そこで私にきれいな水晶を見せてくれたの。それが、オーディンの心だって」
「オーディンの、心……?」
ミカも、怪訝そうな表情で繰り返していた。ユウナは、また思い出したことがあった。あの時、フギンからきいた言葉だ。
『こいつは、オーディンの心自身。こいつをどうコントロールできるかが、この世界の命運を揺るがす。これは忠告だ。おいらたちの目的は、この世界を滅ぼすこと。本気で守りてえって思ってんなら、命がけで来いよ』
あれは何を意味していたのか、未だによく理解できずにいた。するとミカがユウナに、このようなことをきいてきた。
「でさ、ユウナはさ、どう思ってる? アイツのこと……」
「アイツって、フギンさんのこと?」
ユウナがきき返すと、ミカは頷くのだった。
「どうって……、突然きかれても……」
ユウナが躊躇っていると、ミカはフッと笑った。
「そうだよね……。なんか、変なこと気にして、バカみたい。私、昔からそうだったから」
ミカが言うので、ユウナは気になって尋ねてみた。
「ねぇ。本当に、何もないの?」
その言葉で、またミカは真顔に戻った。図星のようだ。それを見て、ユウナはとうとう欲求を抑えられなくなってしまった。
「悩みがあるなら、私でよかったら、話してくれない? 友達として、できれば私もミカの力になりたいから」
「ユウナ……」
そう呟きながら、ミカもユウナを見つめた。その言葉で話す決心がついたのか、ミカは下を向いて大きく息を吐くと、再びユウナを見て言った。
「私、その……。アイツのこと、ちょっとだけ気になるっつーか……、いいなぁ~って。敵だっていうことはわかってる。でも、自分でも気持ちの整理がつかなくて……」
「それって、好きってこと……?」
「まだわからない。でも私も、ここまで一人だから。自然に、そう思ったのかもしれない」
「ミカ……」
ユウナは、ミカのことが心配になった。するとミカは立ち上がり、ドアノブに手をかけた。その時、ユウナの方をふり向いて言った。
「しばらく、考えてくるね。ごめんね、余計な心配かけて」
ミカが出ていこうとすると、ユウナは咄嗟に呼び止めた。
「待って、ミカ」
それをきいて、ミカも動きを止める。
「私も、可能な限り仲間の気持ちを尊重したい。でも、SPを潰そうとしている人のことを好きになったら……。その……。利用、されるかもしれないし……」
ユウナの話をきき、ミカはしばらく黙ったまま立ち止まっていた。それは、ミカも十分理解しているのだろう。その上で、ユウナに打ち明けたのだ。ミカはふり返って、
「たしかに、その通りだよね。ごめん、今の話は忘れて。じゃあ、また明日ね」
と言いながら、また笑顔を見せると、部屋を出ていってしまった。しかし、そう言われてもユウナの不安は治まらない。ミカは、本当にフギンのことが好きなのだろうか。もしそうだとすると、ミカはフギンに利用されかねなくなる。それだけは、何としてでも阻止したかったのだ。
考えても考えても、どうにも答えを導けそうにない。いつものように、ユウナは研究所のリビングへと向かった。そこで、美千子に相談することにしたのだ。美千子も、正彦の管理で多忙なため、話すのは躊躇われたが、自分だけでは解決できそうもなかった。
美千子は紅茶を入れながら、
「ごめんなさいね。いつまでも、ここに縛りつけちゃって」
そう言うので、
「いえ。毎日、楽しんでやっていますので」
と、ユウナは答えた。美千子は紅茶をユウナに出しながら、
「名前の通り相変わらず優しいのね、ユウナちゃんは。それで、今日は何の相談? また、あの人のこと?」
と言い、前の席に座った。
「いえ、今日は教授のことではなくて……」
ユウナが言うのを、美千子は黙ってきいている。本当に、こんなことをきいてもよいのだろうかと躊躇いつつ、ユウナは言うことにした。
「あの。友達……、ミカのことなんですけど」
「ミカちゃんが、どうかしたの?」
「こんなことを美千子さんにきくのはどうかとも思ったんですが、私一人じゃ考えられそうになくて……。あの世界、セインツ・パラダイスを乗っ取ろうとしている人たちがいるじゃないですか。そのうちの一人を、ミカは気にしてるみたいなんです。好きになったんじゃないかって……」
その話をきくと、美千子も驚いた表情をしている。無理もない。ユウナは続け、
「普通なら、友達として友達の恋を、応援してあげるべきだと思うんです。でも、それが私たちの敵だとしたら、うまく言えなくて……」
と言った。すると、その話をきいていた美千子が口を開く。
「そうね……。それなら、私よりも適任がいるんじゃないかしら」
「えっ……?」
それをきき、ユウナは呆気にとられていた。
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