SPの空は、相変わらず曇っている。ここ数日、青空を見ていない。その様子を、建物の中からアカリも見ていた。
「ユウナちゃんたち……、大丈夫かな……」
アカリが呟いていると、後ろに誰かが来る気配がした。アカリはふり向くと、慎一郎が立っている。
「大丈夫? もう落ち着いた?」
「あ、はい。あの、ほかのみんなは?」
「研究所にいる。さっき連絡が入ってさ、教授の様態が急変したけど、今はもう落ち着きを取り戻してるそうだ」
「そうですか……、よかった……」
慎一郎の話をきき、アカリはホッと胸を撫で下ろした。
「それより、さっき真司と話してたんだけどさ、きいてくれるか?」
「何ですか?」
「俺は反対したんだけど、真司のやつがこれもひとつの手だって言ってたから。君にも、相談したいと思って……」
その話をきいたアカリは、何のことか皆目見当がつかなかった。そして、慎一郎は話し始める。
「最後のダンジョンをクリアすれば、このゲームが自動的に消去されることは知ってるね。でも、クリアしなくてもデータを消去できるんだ」
「どういうことですか?」
「研究室にあるレバーを引くと、この世界を構築しているデータ自体が破壊され、ゲームは完全に消去される。それは、教授がこの世界を創る時、予め用意していたものらしい。でも、それを敢えて君たちに教えなかった。なぜだかわかるか?」
「い、いえ……」
そのようなものがあるなど、思いもしなかった。てっきり、クリアするしかこのゲームを消す方法はないと思っていた。そして、慎一郎の口から思いもよらぬ言葉が飛び出す。
「君たちに、最後までこのゲームを楽しんでほしかったからだ」
「楽しむ……?」
アカリがきくと、慎一郎は頷いた。
「教授の本来の目的は、この技術をいつか世の中に発表して、ユーザーにゲームを楽しんでもらうこと。でも、もうそれは果たせなくなってしまった。だからせめて君たちには、このゲームの本当の素晴らしさを味わってほしかったんだそうだ」
「教授が……」
アカリは下を向いた。正彦は、本当にこの世界を心から愛しているのだろう。それならば、最後まで楽しみたい。アカリは、そう強く思った。そして顔を上げ、慎一郎に言った。
「教授のために……、最後まで楽しみたいです。これまで、一緒に頑張ってきたみんなと。私も、思いっきり遊びたい!」
「よかった……。教授も、喜んでくれるだろう。じゃあ、俺はもう帰るから」
そう言って慎一郎が部屋を出ていこうとすると、
「あ、あの……!」
と、アカリは咄嗟に呼び止めた。それをきいて慎一郎はふり向き、アカリを見つめた。アカリは、少し頬を染めている。
「あの……。もうしばらく、一緒にいてもらってもいいですか……?」
そんなアカリを不思議そうに見ていた慎一郎は、ふと口許を緩めた。
「いいよ」
慎一郎が戻ってきて、またアカリの前に立ったと思うと、彼女を自分の肩に抱き寄せたのだ。アカリも目を閉じ、幸せそうな表情を浮かべていた。
一方、別室ではレイカがテーブルに腰かけてカードを眺めていた。少年時代のフギンとミーサがSPに迷いこんだ際、落としていったものだ。そこには、子どもの頃のフギンの顔写真がある。それを見つめながら、レイカはあることを思い出していた。
まだレイカが小学校に上がる前の頃、雅也が家に同級生を複数連れてきたことがあった。部屋で雅也たちがトランプをして遊んでいるのを、レイカもそっとドアの陰から見ていた。
「うわ~、また負けたよ」
「お前、弱すぎだろ」
雅也が言うと、友達の一人もそう揶揄っている。その中に、部屋の隅で一人本を読んでいる少年がいた。
「おい、南斗。お前も一緒に来て遊ぼうぜ!」
雅也が呼びかけても、南斗と呼ばれた少年は見向きもしなかった。すると、雅也の友達が言った。
「だから連れてきてもしょうがないって言ったんだ。ほっとこうぜ」
それをきいて、雅也も仕方なくそれ以降は声をかけなかった。レイカの記憶にあるのは、ここまでである。
そのカードには、「横大路南斗」と書かれてある。あの少年が、フギンだったのだろうか。レイカは、そのカードをテーブルの引き出しに仕舞った。
『誰が何と言おうと、お前が何と思おうと、俺にとってお前は実の妹だ。それだけは、間違いない。たとえ親が違っても、俺の妹なんだ』
あの時の雅也の言葉は、今でも鮮明に覚えている。
『俺、絶対帰ってくるから。いつになるかわからないけど、絶対に、お前を一人にしない。約束するから』
しかし雅也は、結局帰って来ることはなかった。それでも、兄が嘘つきだとは思わないことにした。雅也も、帰ってきたかっただろう。レイカは、もう会えなくなってしまった雅也のことを、あれから忘れた日は一度たりともない。それだけは、事実だったのだ。
しばらく経ち、部屋のドアが開かれた。
「やっぱり、ここにいたのか」
「何の用?」
レイカは、入ってきた真司にきいた。真司はレイカに歓迎されていないとわかりつつも、レイカの隣の席に腰を下ろした。
「考えていたのか、兄さんのこと」
「えぇ」
「このゲーム、実はレバーひとつで崩れるように設計されてるんだ。父さんがこの世界を創る時、そうしたらしい。テレビゲームに例えると、リセットボタンみたいなもんだな。だから場合によっては、最後のダンジョンをクリアせずにドカーンってなるかもな」
「どうせ、そんなことだろうと思ったわ」
真司の爆弾的発言にも、レイカは至って冷静だった。興味がないといったような目で、向こうを見つめ続けている。
「君は、本当にこのゲームをクリアしたいって思ってるのか?」
「自分でも、よくわからない。どの道、もう行く場所なんてないから、協力してあげてるだけ」
「そっか……」
真司もそう呟いたあと、レイカと同じ方向を見つめていた。しばらく時間が経った時、真司は突然レイカの手を握った。その瞬間、レイカは目線を自分の手に落とした。そして、囁くように真司が言った。
「好きだ……、君のこと」
レイカが顔を上げると、真司は優しい目で見つめてくる。
「ずっと、伝えようと思ってた。辛い時、側にいてやりたいなって。だから……」
「私は、べつに辛くなんて……」
レイカは真司の言葉を遮るが、真司もまた、さらにその言葉を遮った。
「今が、辛い時なんだろ? 大好きだった兄を失くして、泣きたいのに、泣くことを君のプライドが許さない。そんなこと、関係ねぇんだよ! 泣きたい時に泣いて、何が悪いんだ。いつか、梁谷って子にも同じこと言ったけど、これだけは言わせてくれ。人と違って、何が悪い」
その瞬間、レイカの頬を一筋の涙が伝った。ずっと我慢してきたものが、感情が、一気に溢れ出したようだった。涙が流れるのを塞いでいた堤防が崩れ、一気に外の世界へ放出されたのだ。レイカの肩は、小刻みに震えている。真司は、そんなレイカを抱き寄せた。肩を優しく叩きながら、真司はまたレイカに囁く。
「……結婚しよう」
レイカは、涙が止まらなかった。辛い時、寂しい時に側にいてくれる。そんな誰かを、レイカは待ち続けていた。しかし、どうしてもそれを認めたくないもう一人の自分がいたのだ。そんなプライドをすべて捨て、レイカは真司の胸に自分の額をくっつけていた。
研究室では、悠二郎がベビーカーで大毅を寝かしつけていた。それを見ていたミーサが、
「あんた……、あの女のどこに惚れたんだ?」
と、不意に尋ねてくる。
「どこって……、そうだなぁ。やっぱり、常に一生懸命なところかな。他人からしてみたら、どうでもいいことなのかもしれないけど、それでも一生懸命になれるってすごいことだなって思うんだ。だから俺は、今でもユウナのそんなところが好きなんだ」
「羨ましいな……」
「羨ましい?」
「俺、あいつのことずっと嫌いだった。それは、自分にはないもんを持ち合わせてたから。けど、最近わかった気がするんだ。嫉妬してるだけじゃ、前に進めないって。だから俺も変わりたい。少しずつでいいから、前に進みたいんだ。一人の女として、そして、一人の人間として。俺は……、私は変わりたい」
ミーサの最後の言葉をきくと、悠二郎は微笑んだ。二人はその後、笑顔で見つめ合っていた。
SPでは、ユウナとアカネが建物に戻ってきた。外は雨が降っており、二人は急いで中に駆けこんだ。その音をきいたアカリは、すぐに玄関へ駆けつけた。
「ユウナちゃん、アカネ先輩!」
「アカリ……、中の様子は?」
「うん。さっきちょっとシビアだったけど、もう大丈夫」
「よかった……」
ユウナが安堵したような笑みを浮かべると、アカリの様子がおかしいことに気づいた。肩が震え、今にも泣き出しそうだ。
「アカリ……?」
次の瞬間、アカリはユウナに抱きついてきた。
「ユウナちゃん……。よかった……、もう戻って来ないかもって、すごく、すごく、不安だった……!」
それをきいて、ユウナもようやくアカリの心中を察することができた。アカリの背中を擦りながら、
「アカリ……。ごめんね、心配かけて」
と、ユウナは言った。アカネもその様子を、目を細めながら見ていた。
そして三人は、皆が集まっているという部屋に行った。中にはレイカ、真司、慎一郎がいた。アカリの言った通り、今はだいぶ落ち着いた空気が漂っている。
「あ、あの……」
ユウナが声をかけると、真司が立ち上がって迎えてくれた。
「おかえり」
「あ、はい。ただいま戻りました」
ユウナも、そう返した。その時、あることに気づく。
「あの……、ミカは……?」
ユウナが尋ねると、真司は首を横に振るのだった。
「いや、まだ戻ってない」
「そんな……」
ユウナは、不安を抑えきれなかった。帰ってくる途中、ずっとミカも自力で戻ってきていると信じこんでいた。それでも、ユウナが希望を捨てることはなかった。
「私……、探しに行ってきます」
ユウナは出ていこうとするが、真司が腕をつかんで止めた。
「いや、無茶だ! 今行くのは危険だ、嵐が治まるのを待った方がいい」
「でも!」
「気持ちはわかる! けど、今は信じて待とう」
「でも……、でも、ミカに何かあったのだとしたら……」
ユウナは悔しさのあまり、唇を噛みしめる。すると、アカネが近づいてきて言った。
「ここは、彼女の言う通りにさせてあげてください」
それをきいた真司は、
「君まで何を言い出すんだ。これ以上、君たちを危険な目に遭わせたくないんだ」
と言うと、アカネが尋ねてきた。
「あの話は、もう話したんですか?」
真司はしばらく黙ったあと、こう答えた。
「あぁ。最後の手段として、そうするしかないって父さんも言ってる」
「教授が、何と……?」
ユウナは、すぐにその話に食いついた。アカネも、リセットボタンの存在を知っているのだ。真司は、ユウナにもその話をした。
話をきいたユウナは愕然とし、
「教授が……、そんな……」
と、ただ呆然と呟いていた。今まで知らされなかった悔しさと、データが消えてしまう悲しさが入り混じり、何とも表現しにくい感情に打ちのめされた。
「で、どうする? 探しに行くのか?」
「……はい」
「じゃあ、俺たちは先に戻ってる。四人で行くといい。もし万が一、敵が襲ってきたら、仲間同士で協力し合ってその場を凌いでいってくれ」
「わかりました」
ユウナは答えると、後ろをふり向いて皆の方を見た。ほかの三人は、ただユウナのことを見つめている。ミカを無事に救出し、そして脱出してレバーを引く。そうすれば、このゲームのデータはすべて消去される。
ユウナが再び真司の方を向き、
「あちらの世界のことは、よろしくお願いします」
と言うと、真司も笑顔で返してくれた。
「あぁ。十二分に、気をつけてな」
「はい!」
そして四人は豪雨の中、出発していってしまった。真司と慎一郎はそれを見送ったあと、現実世界に帰った。
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