一年前のある日、部員と顧問の正彦が部室に集まって飲み会を開いた。真宏が手を伸ばし、ピーナツをつかんだ。しかし、真宏が手に持ったのはピーナツではない。そう、それはセミの抜け殻だったのだ。真宏は摘まんだ手を見ると、
「うわぁ!!」
と叫び、その声が部屋中に響いた。真宏は立ち上がり、手を振り回して後ろへ下がった。その振り回した手が、台に載せてあったトロフィーに当たり、それが下に落ちてしまった。割れる音が響いた。真宏は恐る恐る下を見ると、トロフィーが欠けている。そして部室は、一気に静まり返った。それを見た
「何……、してんの」
と言うと真宏は慌てて、
「違えんだ、こいつが……!」
と言って、正彦を指差した。すると
「でも、男のくせにセミの抜け殻ぐらいであんなビビる!?」
そう言い、
「ほんまや! もう二度とこんな賞とれへんかもしれへんねんで!?」
と、真宏を責めた。
その出来事がきっかけで、真宏は部屋に引きこもってしまったのだ。その事実を知ったユウナは、真宏を外へ強引に連れ出し、正彦が創った仮想世界、「セインツ・パラダイス」に連れてきた。
「こ、ここは……」
真宏が呟くと、ユウナがこう言った。
「ここは、仮想の世界です」
「仮想?」
「ここで生きている動物や植物は、全部プログラムを組みこまれています」
「おい、それってまさか……」
真宏は予感した。すると正面から、歩いてくる影があった。正彦だ。正彦は二人の前まで来ると、こう言った。
「やはりそういうことか、ユウナ君」
「はい。でも、こうすることしか思いつかなくて……」
ユウナは、少し下を向きながら答えた。正彦は真宏の顔を見ると、
「久しぶりだね」
と言った。すると真宏が、ユウナを見た。
「そういうことかよ」
すると、ユウナもふり向いた。
「私も、初めは迷ったんです。先輩が、どうしても教授に会いたくないと言っていたことも、少しは理解していました。けどここなら、話ができると思ったんです」
それをきいた真宏は、ふと正彦の方を見た。正彦も、真宏を見つめ返してくる。すると、真宏は背を向けてこう言った。
「何も話すことはねえ。俺は、あんたを恨んでんだよ。今更謝ったところで、俺の過ぎた時間は戻って来ねえよ」
「なら、その時間を無駄にしたのは誰ですか?」
ユウナは言った。それをきいて、真宏はふり向いた。ユウナは続け、
「失われた時間は、たしかにもう二度と戻ってきません。でもそれが、すべて教授のせいだと言いきるのは、間違っていると思います。先輩は、ただ逃げているだけです。たしかに、最初の原因は教授かもしれません。でも、もっと早くに話し合えば許せたんじゃないんですか? 先輩は、正面からそれに向き合わず、理屈をつけて逃げていただけなんじゃないですか?」
と、言った。真宏は足を踏み出し、正彦の近くへ歩みよった。
「俺は……、全部あんたのせいだと決めつけてた。でも、彼女の言う通り、逃げてるだけだったのかもしれない。彼女に言われるまで、それに気づけなかった俺にも非はあるってことだな」
「吉田君……」
「ちゃんと話せばよかった。今、あんたの思ってることもきかせてくれ」
真宏がそう言うと、正彦は話し始めた。
「私も、君には本当に申し訳ないことをしたと思ってるよ。君の、友達との信頼関係、そして些細な幸せをも奪ってしまった。本当に、すまない」
そして、正彦は頭を下げた。真宏は、
「そうだな。まぁ、たしかにあいつらは俺のこと、まだ許してくれてないかもしんねぇな。けど俺は、もう逃げない。どれだけ時間かかるかわかんねえけど、ちょっとずつ修復していけばいいや」
と言い、笑った。すると正彦は顔を上げ、
「許してくれるのか」
ときくと真宏が、
「あぁ。今のきいて、嘘じゃないってわかったしな」
と言った。
「ありがとう!」
正彦は手を差し出すと、真宏もそれを握った。
夏の兆しが現れるころ、ユウナの大学では、ユウナが所属する、アニメーション研究会の部室がより賑やかになっていた。部長が帰ってきたのだ。ユウナは絵コンテを仕上げると、真宏の席に持っていった。
「どうですか?」
ユウナがきくと、真宏は言った。
「う~ん。悪くはねんだけど、なんか物足りないなぁ」
それをきいてユウナは、
「わかりました」
と言い、またその絵コンテを持って自分の席に戻った。これが、ユウナがずっと待ち望んでいた光景だったのかもしれない。
夏休み、
「久しぶりだね、こうして話すの」
「久しぶりってほどでもないだろ」
「そうだよね」
相場が言うので、ユウナも笑いながらそう返した。
「そうだ。あいつにも挨拶しときたいな」
「あいつ?」
ユウナが思わずきくと、
「リカ。転校したきり、メールでしかやり取りしてなかったからさ」
と、相場は言うのだった。ユウナもそれをきいて、案内することにした。突然相場を連れていったら、リカはいったいどんな顔をするのだろう。告白してすぐに別れた相手だったなら、尚更だ。
リカの家に着き、ユウナが呼鈴を鳴らすと、ドアが開いてリカが顔を出した。
「いらっしゃい」
「また、ご両親はいないの?」
ユウナがきくと、
「そうなんだ。さ、上がって!」
と、リカは二人を促した。相場は、少し気まずそうに中を見渡した。告白されたにもかかわらず、返事をしなかった相手の家に、自分が来ていいのだろうかという気持ちもあっただろう。
中に入ると、花の匂いがした。玄関には、花が瓶に入れて飾ってある。
「相場君」
リカが声をかけた。すると、
「いい香りだな」
と、相場は言った。それをきいてリカは、
「うん。花って、不思議な力があるよね。辛い時や悲しい時、香りを感じるだけでそれを忘れられる。だから、好きなんだ」
そう言うと、優しく微笑んだ。ユウナはそれを見ながら、初恋の相手を目の前にして動じないリカは強いと思った。相場が、
「あの時は、ごめんな。急なことで、何も返事できなくて」
と言うと、リカは首を振った。
「私の方こそ、もっと早くに伝えるべきだった。好きだっていう気持ちも、早くに気づくべきだった。でも、相場君のおかげで私は変われた。私に、勇気を与えてくれた。そのことだけは、いつまで経っても変わらないから」
リカが言うのをきいて、相場も笑っていた。ユウナはそんな二人のことを微笑ましく、そして時に羨ましいとも思った。
その夜、ユウナは布団の上で今日のことを思い出していた。言葉とは、人に希望を与え、温もりをくれる。そんなものだと、改めて実感するのだった。
夏休みが終わりに近づく中、アニ研が雑誌記事で紹介されることになった。雅也は、
「普段通りでいいからね。僕たちのことは気にしなくていいから、普段通りに作業をしてくれればいいよ」
と言うと、皆はいつも通りに作業を開始した。コンテストに出す短編アニメを作るのだ。
しかし、アニメが形になってきたころ、事件は起こった。ユウナが、出来上がった映像をパソコンで確認している時だった。側を通りかかった三宮が、それを見てこう言った。
「あれ、それ何かおかしない?」
「えっ?」
ユウナもそう声を上げ、よく見てみた。皆も、何事かとその場に集まってきた。
「それ、どっか抜けてない?」
「あぁ、わかった! 絵コンテのページが抜け落ちてたんじゃない?」
三宮も理解したように、
「ほんまや! 絵コンテを担当してたんってたしか……」
と言うと、皆は部員の
「あ、あの……、私……」
そう言って泣きそうになっていると、恵が皆から責められると感じたユウナは立ち上がり、
「すみません、私がよく確認していれば……」
と言いかけると、真宏が出てきた。
「ページが抜け落ちてたんなら、どっか近くに落ちてねえか?」
真宏が言うのをきいて、皆は急いで探し始めた。すると、
「あったで!」
と、夏姫が一枚の紙をかざした。すると真宏が、
「貸せ、俺がなんとかする!」
そう言い、その紙を受け取ると机に座って絵を描き始めた。出来上がると、それを星見のところへ持っていった。
「これ、入れられそうか?」
「やってみる」
星見もそう言い、それを受け取った。ユウナも、近くでそれを心配そうに見つめていた。うまくいってほしいと、そう心から願った。
日が落ちて外が真っ暗になったころ、映像の修復が完成した。それを皆で確認すると、
「終わった~」
と、星見はどっと疲れが来たように両手を伸ばした。ユウナもそれを見て、笑みをこぼした。ほかの部員たちも、終わってかなり安心しているようだ。そして、その日は解散することになった。
恵は、棟の裏でうずくまっていた。恵は、ふと顔を上げた。前には、真宏の姿があった。そして真宏は、恵の隣に座った。
「あ、あの……」
恵は戸惑いながら言うと、
「今日は、大変だったな。久々に疲れたぜ」
と言って、真宏は伸びをした。すると恵が、
「ごめんなさい!」
そう言って頭を下げた。それを見ると真宏は笑い、
「いいって、べつに気にしてねえから。それに、好きでやってなきゃ、あんな真剣にはならねえよ」
と言いながら、夜空を見上げた。空には、無数の星があちらこちらに散りばめられている。
「本当に、気にしてないんですか?」
恵は、真宏の顔を覗きこむようにきいた。
「あぁ、誰にだって最初から完璧はあり得ねえ。ミスをするから、上達するんだ。お前も、これをバネにしてみたらどうだ? 失敗をどう捉えるかは勝手だけどさ、俺はそっちの方がいいと思うぜ」
真宏は立ち上がった。そして、
「部室、帰るぞ」
と言って手を差し出すと、恵は少し赤くなりながら真宏の手を握った。そして立ち上がると、真宏の後ろをついていった。部室に着くまでの間、恵は真宏の後姿を見つめていた。そして、少しずつ自分の気持ちに気づいていったのだ。
数週間後、アニ研の部室では緊張感が漂っていた。そう、この日が審査発表の日なのだ。銅賞は複数、銀賞は二チームが獲得できるが、金賞は一つのチームしかとることができない。部員たちはただ無言で、その時間が来るのを待った。星見が、
「もうそろそろか……」
と呟き、パソコンの電源を入れた。皆は、黙ってそこに集まった。ユウナも、朝から緊張していた。落ちてもどうということはないが、できれば最高の思い出として残したい。その思いが強かったのだ。星見は、
「いくで?」
と言い、審査発表のページを開いた。しばらくして、
「あった!」
と、夏姫は指差した。よく見てみると、銀賞のところに「龍山大学アニメ研究会」とある。それを見て、部員たちは大いに盛り上がった。
「おぉ~!」
「頑張った甲斐があったね」
「ほんまやね」
皆はそう言って、喜びを分かち合った。
2013年11月の下旬に差しかかったころ、ユウナがリカと話をしていると、部屋の中から、人が倒れるような音がした。二人は、その音をはっきりときいた。そして立ち上がると、何事かと見にいった。すると、台所で初子が横になって倒れていた。
「初さん!?」
ユウナが、急いで駆けよった。
数日後、ユウナは初子の病室を訪れた。ドアを開けると、初子が窓の外を眺めている。
「初さん、調子はどうですか?」
ユウナが尋ねると、
「また来たのかい」
と、初子はいつも通り不愛想に言った。
「初さん。一度、外に出てみませんか?」
「何だい。また連れ戻しに来たのか」
ユウナが言うと、初子はそう返してきた。それだけでなく、ユウナと顔を合わせようともしない。しかしユウナは優しく、
「違います。今日は、会わせたい人がいるんです」
と、答えた。
「会わせたい人? 誰だい」
ユウナは、初子をセインツ・パラダイスに連れてきた。
「ここでは、現実の世界ではいなくなってしまった人に、また会うことができます」
ユウナは説明し、向こうを指した。初子がその方向を見ると、花畑に誰かが立っている。後姿で顔はよくわからないが、初子にはわかった。それは紛れもなく亡くなった初子の夫、健治であった。
『夫が、近くの病院で死んだのさ』
初子は近くまで来ると、
「お前さん……」
と、思わず声をかけた。すると、健治はゆっくりとふり返った。
「もしかして、迎えに来てくれたのかい」
しかし、健治は何も答えなかった。すると初子の後ろにユウナが来て、
「これは、初さんの部屋にあった写真から画像部分のデータをプログラムで組みこんで、再現したものです。なので、残念ですが会話までは……」
そう言うと、初子は笑いながら言った。
「知ってるよ」
「えっ」
「これで、私が喜ぶとでも思ったかい」
「はい。お医者さんから、初さんの心を受け入れてほしいと、そう言われました。だから、私は初さんが一番会いたいと思う方を、連れてこようと思ったんです」
「そうかい。だがこんなもので……、私が、喜ぶはず……、ないじゃないか」
初子の声は、次第に震えていった。それをきいて、ユウナは初子の今の気持ちを全身で受け止めようと思った。初子の足元には、小雨のように涙が落ちていく。そして再び顔を上げると、目の前には健治が遺影と同じ優しい表情で立っている。それを見て、さらに初子の頬を無数の涙が伝った。ユウナは、しばらく初子に昔のような二人きりの時間を味わわせてあげたいと思い、静かにその場を離れていった。ふり返ると、遠くで初子が健治に声をかけたりしている。それを見てユウナは少し悲しくなりつつも、微笑ましくもなった。
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