家の前に行くと、玄関の前に部活から帰ってきた弟の義輝が立っていた。
「あれ、姉ちゃんどこ行っていたんだよ」
「え、あ、うん。ちょっと……。それより、あんたこそそこで何してんの?」
「あ、俺? テストで赤点だったから、入りにくくて……」
「だから言ったのに~」
ユウナは少々呆れて、代わりにドアを開けたが、中の電気はついていない。日がだいぶ傾いていたため、中は薄暗かった。
「お母さん?」
ユウナがそう呼びかけるが、返事はない。
「いないみたい。どこ行ったんだろ」
ユウナはリビングに入り、電気をつけた。それから間もなくして、母の百合子は帰ってきた。
「ただいま」
声をきいて、ユウナは玄関まで出迎えた。
「どこ行ってたの?」
「ちょっと市役所まで」
すると、ユウナは不思議そうに尋ねた。
「え? どうして?」
百合子も部屋の中に入ると、
「二人とも、ちょっといいかしら」
と、ユウナと義輝をソファーに座らせた。百合子は向かいに座ると、ゆっくりと口を開いた。
「二人とも、よくきいてね。実は私、今転職を考えているの」
「て……、転職!?」
二人が驚いたのも無理はなかった。
「今の職が不安なわけじゃないけど、これからのユウナの学費を思うと、少し生活が厳しくなりそうなの」
「それって、私のために転職するってこと?」
「それもあるけど、今の生活のほとんどがお父さんの給料から賄われてる。今のままだと、お父さんの負担も大きくなりそうなの。だから今日、転職できるか市役所に相談に行ってきたの」
「でも……」
ユウナが不安そうに言うと、百合子からこんな言葉が返ってきた。
「ユウナには、自分で決めた道を進んでほしいの。私も、できるかぎりのことはしたいわ。それはお父さんも同じ。だから、あなたは何も心配しないで、今やるべきことに専念してほしいの。わかって」
「お母さん……」
ユウナにとって、思いもよらぬ母の行動だった。自分は恵まれている、そう思えたことが何よりの救いだったのかもしれない。
ユウナは部屋に戻り、過去問を開く。この一週間、受験する龍山大学の過去問を解いてはいるが、自分で採点してみても、合格ラインには程遠かった。明日が決行日。明日が過ぎれば、もう少しは勉強に専念できる。ユウナはそれを理由にしたかったのだ。
そして朝になり、家を出て、バスに乗り、学校に着いた。ユウナが教室の席に着くと、ほどなくして相場が入ってきた。相場は隣に来ると、ユウナはこう話しかけた。
「ねぇ、相場君。今日、部活いつ終わる?」
「あぁ。俺、今日オフなんだ。たぶん、これで最後。もうすぐ、全国予選だからさ。明日からは、もう引退まで休めないと思う」
「そう、なんだ……」
ユウナにとっては、これが最初で最後のチャンスとなった。ユウナが口を開こうとした瞬間、教室のドアが開いて吉崎が入ってきた。皆はそれぞれの席に着いた。ユウナも、仕方なく席に着いた。ミカも前の方からふり返って、残念そうにユウナを見つめていた。
「こないだの全国模試、ほとんどの生徒が受けたと思うが、その結果を全身で受け止め、足りないところは今からでも補っておくように。あと、もうすぐ公募試験だな。試験は、自分の持ってる実力を出しきることが重要だ。受ける者は、それを忘れるんじゃないぞ」
「はい!」
全員が、声をそろえて答えた。ユウナは、ふたつのことで激しく鼓動が動いていた。
そして言い出せぬまま、時刻は放課後になっていた。教室に残っている生徒は皆、今週の公募試験に向け、手を動かしていた。相場もまた、帰らずに単語帳を開いていた。それを見たユウナは、
「相場君も、受けるんだね」
と、話しかけた。
「あぁ。でも俺の場合推薦だから、落ちたらだいぶ凹むんだよなぁ」
相場がそう言うのをきいて、ユウナの心は完全に割れてしまった。今日告白をすれば、相場を動揺させてしまうのではないかと。もしそうなると、入試にも影響してしまうのではないかと考えた。
「あのね、相場君。五時になったら、正門前のバス停に来てほしいの」
ユウナの心臓は、かなりバクバクの状態だった。クラスの生徒は勉強中といっても、友達同士で教えあったりしているため、ユウナの声は相場以外にはきこえていなかった。
「え、なんで……」
「話があるの。待ってるね」
ユウナはそう言うと立ちあがり、教室を出ていった。果たして、相場は来てくれるのだろうか。ユウナは五時まで、いつものバス停で待っていた。時計台の針が五時を指し、チャイムが校庭に鳴り響いた。しかし、相場がくる気配はなかった。五時二十分を回り、バスが目の前に来た。そしてユウナは立ちあがり、バスに乗ろうとした時だった。
「中谷!」
足音とともに、声がはっきりときこえた。ユウナはふり向くと、相場が走ってきた。
「遅くなってごめん。クラスのやつに勉強教えててさ。それで、何だ? 話って」
ユウナが乗らないため、バスは戸を閉め、発車していった。
「あ、うん。その……、なんて言ったらいいんだろ」
相場が来ることを半ば諦めかけていたため、ユウナはなかなか言葉を見つけられずにいた。その様子は、偶然正門から出てきた大輝に見られていた。動かない二人を大輝は真剣に見つめていると、
「なーにしてんの!」
と、意表を突くようにしてミカが現れた。
「わっ! って、お前かよ」
「わぁ、あの二人、一体何してんだろうね」
ミカがわざとらしく言うと、
「もうお前、知ってんだろ」
と、大輝が言った。
「アハハ、バレた? 大輝君はさ、どう思ってんの? ユウナのこと」
それをきいた大輝は、
「べ、べつに何とも思ってねぇよ!」
と言って、動揺を隠した。しかし、ミカは大輝の本当の気持ちに気づいていたようだった。
一方、ユウナは相場を目の前にして何も言葉を発することもできなかった。予め考えてきていた言葉も、緊張ですべて白紙に戻ってしまっていた。相場も気まずそうに、
「中谷?」
と声をかけると、ユウナはようやく口を開いた。
「相場君……」
すると、
「あれぇ~、相場君に中谷さんじゃない。何してるの?」
と言いながら、偶然そこを通りがかった同じクラスの
「そうだ。私、化学でわからないところがあったの。ねぇ相場君、教えてくれない?」
まるでユウナを無視したかのように、佳帆は相場にねだった。それを遠くで見ていたミカも、
「うわ、マジで空気読めよあの女」
と、呟いた。
「でも中谷、話あるって……」
相場が言うと、佳帆はこう言った。
「いいじゃん、そんなのあとでさ。てゆうか正直な話、中谷さんってちょっと暗くない? ずっと思ってたのよね。一人でいること多いし、運動ダメダメだしさ、きっと引きこもってたんでしょ。そんな子に構ってあげるだけ無駄だって。どうせ勉強も一人ぼっちなんだから。さ、行きましょ」
佳帆が、相場の手を握った。相場は戸惑っていると、ユウナは我慢できずに背を向けて走りだした。
「ユウナ!」
ミカが追いかけようとすると、大輝もまた、ミカの手を引っ張った。
「大丈夫だよ、あいつなら」
「え?」
大輝の言葉を、ミカも少なからず理解した。
ユウナは、公園のベンチに座っていた。手に水滴が当たり、ユウナは空を見あげると、にわか雨が降ってきた。しかしユウナはその日、傘を持っていなかった。雨宿りできそうな場所もなく、一人ただ座っていた。いや、動く気にもなれなかった。相場は、佳帆と一緒に行ってしまったのだろうか。そんな気がしていた。しかし、そんなことはなかった。
ユウナの後ろから、誰かが近づいてくる。そして、自分の周りだけ薄暗くなった。後ろをふり返ると、相場がユウナに傘を差し出していた。
「何やってんだ?」
「相場君……。あ、山本さんは?」
「もう帰ったよ。お前の話、気になってさ」
ユウナはそれをきき、安心して立ちあがった。一つの傘の中で、二人は向き合った。ユウナの緊張は、いつの間にか治まっていた。
「私、相場君のことが好きなの。ずっと伝えたくて、でも、リカのこと考えると、言えなくて……。でも、後悔はしたくなかったの。ある人に言われたんだ。自分で決めた道なら、後悔はないって。私も、未来に悔いは残したくない。だから今日、伝えようって」
しばらくして、相場が言った。
「ありがとうな。お前のその気持ちだけで、嬉しい。でも、ごめん。今は、付きあえないんだ。お互い、受験とかいろいろあるだろ? だから、もう少し待ってほしい。お互いに落ち着いたら、また話そう」
「そっか……。そうだよね。私が間違ってた。ありがとう。なんか、気持ちが軽くなった気がする。これでやっと、夢に向かって頑張れる」
ユウナの言葉に、相場も微笑み返した。そして、こう言った。
「よし、じゃあ帰るか。お前、傘は?」
「いつもは折り畳み入れてるんだけど、今日は忘れちゃったみたい」
「じゃあ、俺のに入れよ。今日は俺もバスで帰るからさ」
「いいの?」
「気まずいか?」
「ううん。ただ、ちょっと悪いなって」
「なんか、お前と話してると、やなこととか忘れられるな」
その言葉をきいて、ユウナは相場を見つめた。
「いや、何でもない。行こっか」
相場は少し赤くなりながら、歩きだした。ユウナも傘からはみ出ないように、隣を歩いた。
そしてバスに乗り、二人掛けの席に座った。もともとバスを利用している生徒が少ないこともあるが、テスト前には珍しく中は空いていた。バスが発車すると、ユウナは相場に話しかけた。
「相場君は、なんでこの高校選んだの?」
相場はこう答えた。
「うち親が厳しくてさ。何かにつけ常に上にいないとだめだみたいな感じだったんだよ。中学の時も、ちょっとでも点数が下がると家に入れてもらえないこともあった。高校選びの時も、強制的に一位の私立高校入れられそうになってさ。俺の中では、親に対する初めての反発だったのかもな。親父なんか初めの年は、ろくに口きいてもくれなかったんだ。でも今ではこう言ってくれるんだ。お前の好きなことをしろって」
「いいお父さんだね」
「中谷は?」
「私は、ただなんとなく。自分の学力では厳しいところもあったけど、今思うとそれは単に、自分を苦しめたかっただけなのかもしれない。お母さんも、私のためにいろいろ考えてくれてるみたいで。それが、すっごく嬉しくて。私、小学校の時からずっと引きこもってたんだ。友達なんか、ろくに作れずにいつも一人だったの。でも高校に入って、親友と呼べる友達もできて、それとリカに言われたんだ」
『私ね、ずっと夢だったの。ユウナちゃんみたいになるのが。私にも、明るい友達が欲しかった。困ってる時、助けてくれる人とか、色んなこと、教えてくれる人が側にいてくれる、そんなユウナちゃんたちが羨ましかったんだ』
「あいつらしいな」
ユウナは、久しぶりに相場の笑った顔を見た気がした。そうしている間に、バスは八王子市に入っていた。ユウナは降りようと、席を立ちあがった。すると相場が、
「中谷、これ貸すよ」
と言って、傘を渡した。
「え、でも相場君。これ一つしかないんじゃ……」
「いいよ。俺、降りてすぐ家だから。電車の方がなんか落ち着くから、それで通ってるだけ」
「そうだったんだ。ありがとう、じゃあ明日返すね」
ユウナはそう言って相場に礼を言うと、バスを降りた。バスが走り出すと、ユウナは外から手をふった。相場も、中から笑顔でふり返していた。
ユウナは相場を乗せたバスを見送ると、何一つ悔いのない顔で家まで歩きだした。そして空はいつの間にか晴れ、雲の切れ間に虹がかかっていた。
第五回「
次回予告
ミカ「珍しい宝石が手に入ったの」
ユウナ「タンザナイト?」
ミカ「石言葉は、冷静さを与え、その人を正しい判断へと導いてくれる」
ユウナ「ミカはどこ受験するの?」
ミカ「あたし、べつに進路とかどうでもいいし」
ユウナ「やりたいことがあれば、人は真剣になれるものだと思うんです」
ミカ「私、IT技術者になりたいの」
克美「だめだ!」
ミカ「あんな親大っ嫌い」
千香子「何をするにも、元気が一番ね」
克美「世の中お前が考えてるほど甘くないんだよ!」
ミカ「こっちの気持ちなんにもわかってないのはそっちじゃない!」
ユウナ「ミカに、好きなことをさせてあげてください!」
次回(第六回)
「
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
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中谷優奈
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鶴ケ崎麗菓
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月見里美香
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夢野あかり
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池谷大輝
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相場善秀