「鶴ケ崎さん?」
ユウナは、思わず声をかけた。それをきいてふり返ったのは、やはりレイカだった。ユウナは驚きながらも、尋ねてみた。
「なんで、ここに?」
「いちゃ悪い?」
レイカの対応は、相変わらず冷たかった。
「木、好きなの?」
ユウナはきくと、レイカは言った。
「べつに。ただなんとなく来ただけよ」
その時、ユウナはふとあの時のことを思い出した。
『たとえ攻撃されても、自分の力では何もできない。それでも、ずっしりと構えている。倒れることなく、いつも君たちを見守ってくれている。そんなこの木を見ていると、私はこいつを守りたくなるんだ』
あの日、ユウナの高校に来た正彦がユウナに言った言葉だった。それをきいて、ユウナは正彦のところで学びたいという思いがわき、龍山大学を志望校に選んだ。
ユウナはその木を見上げ、レイカにこう言った。
「自然って、見てるだけで心が癒されるというか、嫌なことも忘れさせてくれるよね。自分では何もできないのに、他の生き物の心を和ませてくれる、すごい存在だと思う」
するとレイカは、
「そんなくだらないこと考えてる暇があったら、明日の勉強でもしたらどうかしら」
と、言った。ユウナは、
「ねぇ、なんで? どうしてもっと、人を信じようとしないの?」
そう言うと、レイカは言った。
「言ったでしょ? 私が信じているのは、自分だけ。それ以外はどうなろうと知ったことじゃない」
「でも、これから先、他の人に頼らないといけない時だってきっとある。その時に、人を信じられなかったら、鶴ケ崎さん自身も信じてもらえなくなるかもしれないよ。人は、どうやっても一人じゃ生きていけないんだよ」
「そんなこと、あなたの知ったことじゃないでしょ。他人の心配するんなら、まずは自分の心配しなさいよ。てゆうか、あなたこそよく平気でいられるわね。自分には関係ないことも、厚かましくせっついて、バッカみたい。他人にばっかり構ってたら、自分が後悔することになるわよ」
「後悔……」
ユウナはレイカの言葉をきき、しばらく言葉が出てこなかった。
「でも……、でも、戦争とかで貧しい国の人たちも、必死に誰かに助けを求めてるんだよ。助けてほしいけど、助けてもらえなくて、苦しんでる人たちもいっぱいいるんだよ」
するとレイカは、
「返す言葉がなくなったからって、そんな話持ち出されても困るんだけど。私、そんなゴミには興味ないのよね」
と言うので、ユウナは驚きながら言った。
「ゴミ……?」
「だってそうじゃない。一人の力では何にもできないんだから。そんな人は、どうあがいてもずっと底辺のまま。私は違う。自分だけを信じ、どうすれば上に生き残れるのか、それだけを考えているの。まぁ、あなたに言ってもわからないと思うけど」
そしてレイカはユウナを通り過ぎ、歩道へ出た。
「まぁ、あなたもせいぜい頑張りなさい。まぁ、凡人の学力なんてたかが知れてるけど」
レイカはそう言って帰ろうとすると、ユウナはたまらず、レイカを呼び止めた。
「待って!」
レイカは足を止めると、ユウナは言った。
「今度、吹部のコンクールがあるんだって。鶴ケ崎さんも行ってみてほしいの。先生も、きっと喜ぶと思う」
それをきき、レイカがこう言うのだった。
「悪いけど、その日は私も試合なの。全国大会がかかった、大事な一戦。だから、無理。それに、私前にも言ったわよね? 私の前であの人の話はしないでって。あなたの収容能力、とても低いのね。でもまぁいいわ。何言ってもムダだってことがわかったから」
そしてレイカは、横断歩道を渡っていった。ユウナは立ち止まったまま、しばらくそれを見つめていたのだった。
レイカは帰りの電車の中で、ユウナの言葉を思い出していた。
『これから先、他の人に頼らないといけない時だってきっとある。その時に、人を信じられなかったら、鶴ケ崎さん自身も信じてもらえなくなるかもしれないよ』
思えばバレー部の練習の時、周りのことを考えずにプレーし、仲間を傷つけたこともあった。その時の、
『もっと周りをよく見て! あなただけが主役じゃないのよ!』
という、顧問の怒声が今でも耳に残っていた。去年、三年生が引退し、レイカがキャプテンに選ばれた時も、周りの反応はよくなかった。
『あの子自分のことしか考えてないからヤダ』
『勝てる気しない』
『あ〜あ、部活辞めよっかなぁ』
クラブメイトから陰口を言われ、それでもレイカは試合の時も自分の力だけでなんとかしようとすることが多かった。だが、実力は全く別のものでレイカが指揮を執るようになってからバレー部は無敗を誇っていった。ただ、それはバレー部が強いというよりも、レイカ一人が点を入れているといった感じだった。それについて、顧問から呼び出されたこともあった。
『あなたはたしかに実力はあるかもしれない。でも、もっと周りを見た方がいいわよ。団体スポーツっていうのは、仲間との信頼関係を築くことが何より重要となってくるわ。でもあなたのプレーを見てると、一人で戦ってるようにしか見えない。それではいつまで経っても、信頼は築けないわ』
レイカ自身も、それはわかっていたのだ。誰かに頼らないといけない時も、人生には存在することも。人は一生を一人だけの力で生きることは不可能なのだと、それはレイカにもわかっていた。それなのになぜか、誰かを信じることを自ら拒んでしまうのだ。
幼いころ、ずっと帰ってくるものだと思っていた母親が、大きくなっても帰ってはこなかった。それをレイカはいつの日にか裏切りだと思いこみ、母親を憎むようになった。そして誰も信じられなくなってしまった。ずっと待っていた、母が家に戻ることを。でも、結局それはなかった。高校に進学し、母の智美がそこで教師をしていることを知り、智美も気を遣ってこれからの話をしてきたこともあったが、その時にはすでにレイカから母の存在は消えていた。
今更、昔のようになど戻れない。レイカはそう考えていた。自分だけを信じ、人に頼ろうとしない性格は、過去の経験からきているのかもしれない。レイカは窓辺にもたれながら、せわしく流れる外の風景をただ眺めていたのだった。
そして次の日、その次の日とテストが続き、最終日が無事に終了した。ひと段落つき、ユウナは気持ちを切り替えていた。まだ入試という、最大の試験が年明けに残っている。少しでも気持ちを落ち着かせ、勉強に励もうと思った。
ユウナは廊下に出ると偶然、レイカを見かけた。しかし二日前のこともあり、声はかけられなかった。レイカは、いつにもなく寂しそうな表情をしていた。それは、遠くからでもよくわかった。何かあったのだろうか。
その頃、男子サッカーの部室では大輝とキャプテンの西城佑希が話していた。
「鶴ケ崎? あぁ、母親が吹部の顧問やってんのな」
「あるやつの話だと、なんかいろいろあって、家を出たあとそのまま帰ってないらしいぜ。お前、同じクラスだったろ? 何かきいた事ねえか?」
大輝は、西城に尋ねた。
「本人の口からじゃねぇけど、噂にはなってたかな。なんで母親がいる学校を受験したのかって話。単に知らなかったって言うやつと、知ってたけど来たって言うやつがいたな」
「どういう意味だ?」
「俺も詳しい話は知んねぇけど、話し合う機会が欲しかったんじゃないかってみんな言ってる。クラスでは真面目で、学級委員やって、おまけに勉強もスポーツも学年一位。けど家ではどうなんだろうなって話。てか、お前なんで急にそんなこときいてきたんだ?」
西城は不思議そうにきくと、大輝はこう言った。
「あ、いや。同じクラスのやつがさ、なんかすげぇ心配してて……」
それをきき、西城はわかったように言った。
「はは〜ん。やっぱりあいつか」
すると大輝は焦って、
「い、いや、べつに違ぇよ」
そう言って目線をそらすと、西城はこう言った。
「照れてるってことは、やっぱそうなんだな。幼馴染だから、そういうことも心配しちゃうんだなぁ」
あからさまに面白がっている西城に大輝が、
「だから……!」
と言いかけると、ドアが開いて相場が中に入ってきた。
「おい、お前ら。もう練習始まってんぞ」
相場がそう言うと大輝は、
「じゃ、俺、先行くわ」
と言い、相場の目を見ずにタオルとペットボトルを抱えて部室を出ていった。
「何話してたんだ?」
相場がきくと、西城が言った。
「あ、いやべつに。何でも」
そして西城も部屋を出ようとした時、相場が呼び止めた。
「西城」
相場は、心配したような顔をしていた。西城は足を止め、ふり向かずにこう言った。
「わかってる。キャプテンの俺がこれじゃあ、ダメだよな」
そして西城はふり返り、強い目で相場を見るとこう言った。
「絶対、全国でも一位になってやる!」
それをきいた相場は笑みを浮かべ、
「あぁ!」
と言いながら、頷いたのだった。
そして自由登校期間が過ぎ、ついに二学期終業の日がきた。2012年12月19日。受験生にとって、ラストスパートともいえる時期だ。無事に進路が決まり、新しい道にワクワク感を抱いている生徒もいれば、ユウナたちのようにこれからが勝負だという生徒も、クラスにはいた。式もホームルームも終わり、ユウナが帰ろうとしていた時だった。同じクラスの山本佳帆が、教室に紙を持って駆けこんできた。
「みんな! ニュースニュース!」
それをきいて、クラスに残っていたほとんどの生徒がそこに集まってきた。佳帆が持ってきた紙を見せ、言った。
「三組の鶴ケ崎さん、今回三位だって!」
それをきいて、皆は驚きの声を上げた。ユウナも、近くに行きその紙を覗いた。期末試験の順位表だ。それを見て、ユウナは驚いた。佳帆の言う通り、三位がレイカで一位が春日かおり、二位が西城という結果だった。レイカは一年の時から、一位を落としたことはない。今回初めて、一位の座を奪われたのだった。ユウナは直感的に思った。あの時、自分が本人の前で母親のことを口にしたからだと。
「そりゃ、ずっと一位だったってことがおかしかったんじゃないの?」
ミカは陽気にそう言っている。が、ユウナはそうは思えなかった。レイカが成績を落としたのは、自分のせいなのかもしれない。レイカは、まだ心の傷を負っている。そのことが、今回の結果につながったのだろう。やはりどうにかして、親子の仲をつなぎとめたい、ユウナはそう思った。そのためには、どうしてもさせなければならないことがある。レイカを、智美のコンクールに行かせることだ。バレーの試合は午前からで、コンクールは午後からだったため、うまくいけば充分間に合う時間だった。たとえ嫌われても、ユウナはレイカを説得しよう、そう心に決めた。
そして二日後。ユウナは朝、六時過ぎに家を出た。試合は新宿で朝九時から。ユウナは自転車に乗り、駅に向かった。ユウナは二日前、智美に頼んで地図をもらっていた。その地図を頼りに、レイカの最寄り駅で降り、そして更にバス停に向かった。時計を見ると、七時前だった。そろそろ、バスに乗る時間だ。ユウナは周りを見回したが、レイカはどこにもいない。そして七時を過ぎ、空もだいぶ明るくなってきた。それでも、見つけられなかった。もう行ってしまったのだろうか。ユウナは少し諦めていた。
駅を出てすぐ近くに人通りの少ない公園があり、ユウナはその周りを仕方なくウロウロしていた。すると向こうに、小さいバス停があった。この時間のために、その前を通る車もほとんどなく、人通りもなかった。しかし、そこに一人だけ人が立っていた。スポーツバッグを首から下げ、だらしなく髪が風に揺れている。レイカは、そのバス停でバスを待っていたのだ。ユウナはそれを認識すると、急いで近づいていった。
「あの……」
その声に、レイカがふり向いた。
「あなた何してるの?」
レイカは、少し驚いた表情でユウナを見た。
「話があるの。どうしても、きいてほしくて」
「それでわざわざ? はぁ、暇ね」
それでもユウナは、思いきって話した。
「先生、きっと鶴ケ崎さんにも来てほしいと思ってる。だから、どうしても行ってあげてほしい」
「だからあなたには関係ないって言ってるでしょ?」
「でも先生、ずっと後悔してたの。あなたを、一人にさせてしまったって。だから、話しあいたいって。それは、鶴ケ崎さんも思ってるんでしょう?」
「もういいわよ、その話は。今日大事な試合だから、余計なことは考えたくないの。もう私に関わらないでくれる?」
レイカはそう言い、前を向いた。ユウナはそれをきいて、
「でも……、それじゃ、先生が可哀想だよ」
と言うとレイカが少し怒ったように、
「はぁ? 私が悪いって言いたいの?」
そう言うのでユウナは、
「そうじゃないけど……」
と返すと、次にレイカがこう言った。
「あの人、私を置いて出ていったのよ? 自分のことばっかりで、家族のことなんか後回し。私のことなんか、考えてるはずもない」
すると向こうから、バスが近づいてきた。
「じゃあ私、これで行くから。あなたが代わりに行ってあげなさいよ」
レイカはそう言うと、前に進み出た。するとユウナが咄嗟に、レイカの手を掴んだ。
「お願い! このままだと先生、一生あなたと解かりあえないかもしれないよ」
「一生……?」
レイカは一瞬固まり、ハッとしてユウナの手を払った。
「なんでそこまでするのよ。だいたいムカつくのよね、あなた。何もかもが腹立たしいわ。お節介の度がすぎてる。私がどうなろうと、あなたには関係ない。わかる? もう私に話しかけてこないで、ウザいから」
そしてバスが停車し、扉が開くと同時にレイカは乗りこんだ。ユウナには、もう返す言葉がなかった。バスが発車すると、ユウナはそれをただ見送った。たしかに、お節介はユウナの悪いところなのかもしれない。でも、可哀想な人を見るとどうしても放っておけないのだ。人の性格は、小さいころにあった過去からくるものなのかもしれない。ユウナも、昔何度も助けられたことを忘れたことは一度もなかった。それゆえに、今は誰かを助けたい、そう思っているのだ。しかし、それは時と場合によっては迷惑だったり、ただのお節介だったりもする。ユウナにもそれはわかっていたが、どうにも止められなかったのだ。
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