2013年2月28日。冷たい風が、高校の校庭を駆けめぐった。草木が揺れ、その寒さをじっと耐えているようだった。春はまだ遠い。だが、その翌日には、三百人足らずの生徒が一斉に羽ばたこうとしていた。卒業式である。明日からは、それぞれの道へと一人一人が歩みだしていく。道は違えど、今まで積み重ねてきたことを存分に生かし、そして新しい地で己の道を切り開くのだ。
この日は登校日であるが、卒業式の予行練習が終了すると、記念撮影をする者、校舎に別れを告げる者、皆は三年間の日々との別れを惜しんだ。その多くが下校の際、淡い希望と不安を抱くのだった。それでも明日に向け、生徒たちは足早に歩いていく。そして、春が来る頃の自分を想像するのだった。
その一方で、溜息をつく者がいた。
「ハァ……」
いつもの中庭で、ユウナたち三人は集まっていた。アカリが溜息をつくと、
「どうしたの?」
ユウナがきいた。アカリは答えた。
「後期日程まであと二週間あるんよ。みんなは、明日からは春休みやのに~」
「そういや、国公立ってまだ試験終わってないよね?」
ミカは、そう思い出したように呟く。
「自分で決めた道やけん、仕方ないか。うち、もう帰るね」
アカリは立ち上がり、帰っていった。残った二人も、アカリにそれぞれ応援の言葉をかけた。ユウナも新しい場所に向けて、気持ちを新たにしよう、そう思った。その時に、ふと思い出す言葉があった。
『お前、変わったよな』
『えっ?』
『昔は俺がついていないと何もできなかったけど、今はちゃんと自分の考え持って、そんなお前見てると俺、なんか嬉しくなって……』
ユウナはあの時、大輝への気持ちに気づいてしまった。この感情をどうするべきなのか、その思いが先に出てきてしまったのだ。
第十一回
「あ~、明日は卒業式かぁ。この校舎見るのもあと一日だと思うと、なんか切なくなるね」
ミカは、校舎の方をふり向きながら言った。ユウナは、歩くごとに自分の速度が落ちていることに気づいた。ミカがそれを見て、
「ユウナどうしたの?」
と尋ねるとユウナは、
「あぁ、何でもないの」
そう答え、速度を速めた。ミカに相談しようかとも思ったが、いつまでも友達に頼るわけにもいかないと自分で結論づけた。
「あのさぁ、ユウナの将来の夢って何」
ミカが突然きいてきた。
「えっ、私は……」
「あ、思い出した。人の役に立つ仕事だったっけ。ユウナ、真面目だからなぁ」
「ミカは」
「え?」
ユウナは言いかけると、ミカはふり返った。
「ミカは、将来何になりたいの?」
それをきいて、ミカがこう答えた。
「う~ん、やっぱIT関係の仕事だけど、うちって宝石店だからさ、その技術を生かして、宝石のこととか調べられたらなって」
「みんな、それぞれ夢持ってるんだね。私みたいな、漠然としか考えてない人なんか、あまりいないのかも」
「ユウナだってきっとすぐ見つかるよ」
ミカはそう言うと、両手でユウナの手を握った。
「困った時は、いつでも連絡してよ。卒業しても、私たち親友だからさ」
「ミカ……、うん」
その言葉をきいただけで、ユウナは自信を持てた。こんなに頼もしい友達に出会えたことを、ユウナは誇りに思った。これは、別れなどではないとも思えた。風が学校中を包みこみ、それはどこか暖かいようにも感じられた。
「ユウナは、卒業式のあと、どうするの? もう行っちゃうの?」
「しばらくは東京にいるよ。下宿とかも、これから探さないといけないし」
「そっか……、じゃあよかった。もう、しばらく会えないんじゃないかと思っちゃった」
ミカがそう言うので、ユウナは苦笑いを浮かべた。考えてみれば、下宿先も、引越しの手続きもまだ決めていなかった。最後に、
「ミカ、頑張ってね」
と、ユウナは言った。ミカもそれに答えるように、
「ユウナも早くいい夢、見つかるといいね」
そう言ってくれたのだ。そして、二人は笑顔のまま別れた。
ユウナがバス停に行くと、この時を見計らったかのようにバスが停車した。ユウナはそれに乗り、このバスに乗るのも今日を入れてあと三回ほどになるのだと思うと、少し寂しさを覚えた。毎朝、決まった時刻に乗り、そして帰りもほぼ決まった時間に乗るのが習慣だった。この日は、窓の外の景色だけを最寄りに着くまで、眺めながら帰るのだった。
「ただいま」
ユウナはいつものように、玄関の扉を開けた。その日は、百合子が家にいた。
「おかえり、昼ご飯用意してあるわよ」
百合子が優しく言うと、制服を干しているユウナのところに来た。
「今日、お父さん早く帰ってくるって」
「本当?」
「なんでも、大事な話があるとかで」
「わかった」
百合子がそう話すと、ユウナはそう答えた。ユウナは手を洗いながら、惟英の大事な話とは一体何だろうと、少し不安な気持ちになった。
そして昼食後、自分の部屋に行ったユウナはベッドに腰かけ、今までの出来事を思い返していた。二学期の最初に転校していったリカは、今ごろ京都で元気に過ごしているのだろうか。リカにパズドラのコンボというテクニックを教えてあげたり、一緒に帰ったりしたことがたった数ヶ月前なのにとても懐かしく感じられた。レイカは、あれから智美とどこかへ出かけたりしたのだろうか。智美のあの嬉しそうな表情は、いつまでも忘れないと思った。そして、相場とはそれぞれの目標を立て、互いにそれを成し遂げるという約束を交わした。ユウナはいろいろなことを思い返していると、ふとあの言葉が頭の中を過ぎった。
『昔は俺がついていないと何もできなかったけど、今はちゃんと自分の考え持って、そんなお前見てると俺、なんか嬉しくなって……』
大輝は、大学に入って救命士になると言っていた。人を助けたいという大輝の性格が、そこに表れていると思うのだった。人の役に立ちたいと思っているユウナとは、似ているようで少し違うのかもしれないとも感じた。それよりも最近、大輝の顔すらも見れない自分が、ユウナはよくわからなかった。やはり、この気持ちはそうなのだろうか。今までただの幼馴染だと思っていた大輝に対し、このような感情を抱くのはどうなのだろうかと、本気で悩んでしまう自分が怖くもあった。
ユウナは少し横になり、大輝との思い出を考えてみた。大輝とは幼稚園で知り合い、それから小、中、高と同じ学年だった。初めて助けられたのは、小学校に上がりたてのころだった。学校に来ることができず、両親に心配ばかりかけていた。そんな時、大輝が毎日のように家に足を運び、ドアの前でユウナに話しかけてくれた。その積み重ねによって、ユウナは学校に行けるようになった。
次に助けられたのは、クラスの男子たちから、からかわれていた時だった。
『いてーな、誰だよ!』
『やめろよ、もういいだろ』
『へんっ、いいじゃんか、別に』
『こいつが何したって言うんだよ、人傷つけて、そんなに楽しいかよ』
その時、大輝が来て助けてくれた。
『何かあったら、絶対俺に言えよ。俺が守ってやるから』
大輝にそう言われ、ユウナは少しずつだが変わることができた。女子の友達もでき、そして何より人に頼れるようになっていった。もし大輝に出会わなければ、今ごろ自分はどうなっていたのだろう。ユウナはそう思うと、恐ろしくなる。そしてユウナは、知らぬ間に眠ってしまっていたのだった。
どれ程時間が経っただろうか。部屋に夕陽が射しこみ、部屋を斑なく照らしていた。ユウナは目を覚ますと、起き上がって時計を見た。針は五時少し前を表していた。ユウナは目をこすり、下に降りた。それとほぼ同時に、玄関が開いて父の惟英が帰宅した。百合子が、
「おかえりなさい」
と言って迎えていた。惟英はユウナに封筒を渡し、
「大学からだ」
そう言った。ユウナは自分の部屋に戻り、その茶封筒を開けた。そこには入学案内のほかに、「学生寮について」という項目のチラシが入っていた。申込用紙には、氏名、自宅住所、電話番号のほか、入居理由というものがあった。ユウナはしばらくそれを見つめ、紙を封筒に戻した。ユウナは下宿については、金銭的なことを考えると、両親にこれ以上苦労をかけるわけにはいかないと決めていた。高いマンションを借りるより、学生寮の方が断然コストが抑えられる。ユウナはそれについて、あとで二人に相談しようと思い、封筒一式を机の隅によせた。
そして夕食時、案の定ユウナは惟英からこう言われた。
「そういえば、下宿についてまだ何も話してなかったなぁ。ユウナは、どうしたい?」
すると、ユウナは答えた。
「私は、学生寮でもいいかなって」
「そうか。ただ、お金のことは気にしなくてもいいからな」
「でも、一応私学だし、授業料もそれなりにかかるから、下宿までとなるとちょっと……。それに、二人にこれ以上負担はかけたくないの」
「あ、そうそう、それから言おうと思ってたんだが、大学の最寄駅の近くに、民宿があるそうだ。そこの人が、割と安い賃金で部屋を提供しているそうだ」
「え?」
惟英の予想外の言葉に、ユウナは一瞬戸惑ってしまった。
「ユウナもよかったら、そこにしてみないか? 大学にも行きやすいし、京都にも電車一本で行けるからな。卒業式の後にでも、そこの大家さんに会ってこようと思ってるんだ」
「でも、そんなことまで、悪いよ」
すると百合子が来て、
「そんなことないわ。お父さんは、あなたのために言っているのよ。いい話じゃない、話きくだけでもきいてきてもらったら?」
そう言うので惟英も、
「そうだな、じゃあ行ってくるよ」
と言った。ユウナはそれをきくと、こう言った。
「じゃあ、私も行く。まだ本当に住むかどうかはわからないけど、どんな所か見てみたい」
すると惟英は、こう言うのだった。
「いや、まずは父さんが先に行って、話だけきいてくる。その後で、ユウナは個人で行けばいい」
「……わかった。この時期は仕事も忙しいのに、いろいろしてくれてありがとう」
「こんなくらい、どうってことないさ」
すると百合子はユウナに、
「あなたは安心して、明日もう一日、頑張って行ってきなさい」
と、また優しく言ってくれた。
「高校生活、最後の晴れ舞台だからな」
惟英もそう言うのでユウナは嬉しそうに、
「うん、ありがとう」
と答えていた。するとドアが開いて、
「ただいまぁ」
そう言いながら、義輝が帰ってきた。
「あら、遅かったわね」
「明日先輩たちが卒業するからさ、部活の三送会だったんだよ」
義輝はそう言って、ソファーに腰を下ろした。
「もう、着替えてから座りなさい」
百合子が言うと義輝は、
「はぁい」
そう言って、洗面所の方へ行った。それを見て、ユウナはこの季節はどこも卒業一色なのだと思った。ユウナも明日の今ごろには、新しい季節に向けて旅支度を始めているのかもしれない。それを思うと、少し楽しみになるのであった。
翌朝、時計は午前七時を指していた。窓の外から、小鳥のさえずりがきこえてくる。ユウナは、いつもと同じ時間に起きた。髪を梳き、制服を着た。この制服を着るのも、今日が最後だと思うと、寂しくなるのだった。しばらく、鏡の前に立って自分を見つめていた。
家を出る時、式が終わったら正門前で待ち合わせという約束を百合子とした。ユウナは家を出てしばらく歩き、立ち止まって空を見上げた。まだ時間には余裕がある。いつも何気に通るバス停までの道のりを、ユウナは何かを気にしているかのように見渡しながら歩いた。いつも通っていたこの何気ない景色も、この日はとても美しく見えた。まるでユウナの卒業を祝福しているかのように、心地よい風が吹き、小鳥たちが鳴いている。そしてユウナは、若干の寂しさを覚え始めた。明日からは、この道を通ることもめっきり減るだろう。当たり前だった場所も、思い出になるのだということをこの時、初めて思い知らされたような気がした。
そしてとうとう、バス停に着いてしまった。この日は3月1日。前の日よりも、確実に暖かくなっているような気がした。バスが停車し、ユウナはゆっくりと乗車した。やがて発車し、景色が川のように流れ始めた。どこか特別な場所にでも連れていってくれるような、そんな気がした。日の出町を通ると、リカと一緒に帰った日のことをまた思い出した。そして、ユウナの高校が見えてくる。
バスが停車し、ユウナは降りると、前の歩道を同じ卒業生たちが多く歩いていくのが見えた。ユウナもそれに続くようにして、校舎の中へと入っていった。
教室へ行くと、すでにほとんどの生徒が登校していた。教室の中は在校生によって飾りつけされ、それをバックに写真を撮っているクラスメイトたちが多く目についた。するとミカが来て、ユウナに一緒に写真を撮ろうと誘ってきた。そしてアカリと三人で、祝福の文字が書かれた黒板をバックに、自分たちのスマホで写真を撮った。
「何これ、ブレてんじゃん」
「やっぱ自撮りってムズいよね!」
「今度はユウナので撮ろっか」
「私はいいよ」
「なんでよ~」
すると、教室に大輝が入ってきた。それを見たミカが、
「あ、じゃあ大輝君撮って」
と言って、ユウナのスマホを渡した。
「は?」
大輝は状況が把握できていなかったが、三人が黒板のところに並んでピースをしているのを見て、
「あ、おう」
と言い、スマホのカメラで三人をとらえると、シャッターを切った。するとミカが、
「じゃあ、次は二人ね」
と言い、大輝をユウナの側に押しやった。
「は? べつにいいよ」
「何言ってんの、これが最後かもしんないんだよ!」
大輝は、そう言われてユウナを見た。ユウナも恥ずかしくなり、大輝と目を合わせられずにいた。大輝が近くに来ると、やはりドキドキしてしまうのだ。二人が黒板の前に並ぶと、二人はカメラを見つめた。そして、ミカがシャッターを切る。ユウナはスマホを受け取り、画面を見た。そこには、ちゃんと二人の姿があった。それを見て、ユウナは微笑んでいた。
「なあ、ユウナ」
大輝に声をかけられ、ユウナはハッと我に返った。
「どうしたの?」
大輝が何か言おうとした時、チャイムが鳴った。それと同時に吉崎が来て、
「おーい、みんな早くホールに移動しろ」
と言われ、皆はホールに向かった。大輝も、
「行こうぜ」
とユウナに笑いかけ、側にいた二人も続いていった。
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