桜が散り始め、街は新学期に向けて慌ただしくなっていた。ユウナもまた、大学へ進学するのだ。この日は、翌日に迫っていた入学式に備え、いろいろなものを買い出しに行った。ユウナが帰ってくると、待っていたのは雅也だった。
「やあ、ユウナちゃん。ほかに何か手伝うことはないかい?」
「いえ、大丈夫です。何から何まで、ありがとうございます」
「そんな畏まらなくていいよ。好きでやってるんだから」
雅也は笑顔で言った。
「そういえば、ユウナちゃんが進むとこって、たしか理工学部だったよね?」
「はい、パラダイス開発研究というところです」
雅也の質問に、ユウナは答えた。
「あぁ、横大路教授がいるところね」
「あの。先生のこと、ご存知なんですか?」
「あ、いや。詳しくは知らないけど、友人が横大路先生の教え子だったんだよね」
「そうなんですか」
すると雅也は、ユウナの耳元でこう囁いた。
「なんでも、学生にちょっかいを出すレベルがハンパじゃないとか」
ユウナはそれをきくと、一瞬固まってしまった。すると雅也は離れて、
「ハハハ、あくまで噂だけどね」
そう言うので、ユウナは苦笑した。しかし、ユウナにとってそのような話はどうでもよかった。これから何があるのか、大学では何を学べるのか、そればかりが楽しみで仕方なかったからだ。
第十五回
夕方、ユウナは民家の二階に足を運んだ。そして部屋のドアをノックし、中に声をかける。
「すみません、話せますか」
しかし、返答はない。
『彼はずっと部屋にいるのさ』
『ずっと?』
『あぁ。人と顔を合わせようともしない。困ったもんだねぇ。犬の世話まで私に押しつけて』
初子が言った通り、ユウナはその部屋の住人に会って話すどころか、顔すらも知らなかった。ユウナはその日も諦めて、下に降りた。するとその住人の飼い犬、ペロがユウナのところにかけよってきた。尻尾を振り、嬉しそうにユウナを見上げている。ユウナもペロの頭を撫でた。ペロは昔、孤独だった。その時、近くに入居していた男子学生に拾われ、飼われたのだ。しかしその学生もある日突然、ある理由で外に出られなくなってしまった。ユウナはそんなペロを見て可哀想に思い、初子に頼んで世話を任せてもらった。ペロは、その恩を忘れてはいないのだろう。そして何より、ユウナ自身もペロを見ることが毎日の喜びになりつつあった。
翌朝、アイロンをかけたスーツを着て、ユウナは入学式に臨んだ。有名な私立大学だけあって、会場には多くの人々が訪れていた。ユウナは不安さをぐっと堪え、校門に足を踏み入れた。すると、一歩進むごとに部活動やサークルへの勧誘を受けた。ユウナは戸惑いながら、そこをくぐり抜けて入学式が行われる講堂を探した。
ようやく会場にたどり着くと、手続きを済ませ、席に着いた。学長の、
「龍山大学にようこそ。君たちはこれから、多くのことを学ぶことでしょう。それを将来に向け、存分に生かせるよう、我々も尽力していきます」
というような挨拶のあと、様々なパフォーマンスが行われた。文科系サークルの新入生を歓迎する踊りや、学内についてのスライドショーが映された。それぞれの学部の説明もあり、それをきいてユウナはいっそう目を輝かせた。
入学式が終わり、今度は学科ごとのクラスに分かれた。そして、学科ごとの説明を受ける。ユウナのクラスの担当は、正彦だった。
「皆さん、初めまして。このクラスを担当する、横大路正彦です。しばらくは慣れないことばかりでさぞかし不安でしょうが、一緒に頑張っていきましょう! それでは、資料を配ります」
ユウナは、まさかいきなり正彦の授業を受けられるとは思っていなかったため、驚きとともに、少し高揚した。ユウナは資料が手元に回ってくるのを待っていると、一つ後ろの席に座っていた女子が話しかけてきた。
「ねぇねぇ、どこの出身?」
「えっ、私? あ、東京」
「え、ホントに? 私も東京!」
「そうなの?」
「うん。なんかさ、ここって都会とは少し違うっていうか、変わった雰囲気じゃんね」
ユウナは急に話しかけられて少し驚いていたが、話すうちにいつの間にか今までの緊張が和らいでいるのがわかった。
「私、
その女子は言った。
「私、中谷優奈」
ユウナはさっそく、友達になれそうな子に出会えた。するとようやく、資料が回ってきた。
資料が全員にいき渡ると、正彦は話し始めた。
「まず最初に、大学は単位制だ。必須科目と選択科目、ともに規定単位に届かなかった場合は留年、もしくは再試験となる。次に、知っている人がほとんどだと思うが、この学科はできて間もない。クラスもまだ一クラスしかない。成績評価などで不安な人もあるだろう。そんな時は私か、事務の方にきくといい。ここで学ぶ時間が君たちにとって、将来かけがえのないものになるよう、願っている。以上だ」
皆、それをきいて不安げな表情を浮かべている。ユウナが周りを見渡すと、その部屋には十人ほどしかいなかった。まだできて三年目なのだから、それは仕方のない現状であった。
その後、ユウナはリンと廊下を歩いた。二人は、一日目にしてすっかり仲良くなっていた。するとリンが、
「ユウナはさ、なんでここ受けようと思ったの?」
と、きいてきた。ユウナはこう言った。
「あの先生が、私の高校に講演に来て、それで少し興味を持ったの。ほかにやりたいこともなかったから……」
「ふ〜ん、そうなんだ」
「リンはなんで?」
「私? 私は〜、う~ん、ちょっといろいろあって。親が一々うるさくってさ、どこでもいいや〜みたいな感じになっちゃったの。だからほんとにここに来てよかったのかなって思ったりもして」
「そう、なんだ……」
ユウナはそれ以外、何もきけなかった。
外に出ると、まだ勧誘をやっていた。
「文芸部入らん?」
「バスケ部〜バスケ部〜」
「野球部のマネージャー、募集してます!」
「クッキングサークル、いろんなお菓子とか作れんで!」
ユウナたちも、いろいろな部活からまた声をかけられる。そんな中、向こうにある人物を発見した。それはかつて予備校で知り合った、田中善喜だった。
『もし二人とも合格できたら、俺と、つ、付き合ってほしいんだ』
初めて会った日、思わぬ告白をされた相手だ。ユウナはしばらく立ち止まり、田中を見ていると、リンが前から声をかけた。
「どうしたの?」
するとユウナは気がつき、
「あ、なんでもないよ」
と言い、また歩きだした。気まずさもあって、話しかけない方がよかったのかもしれない。
そしてまた、しばらく歩いていくとあるサークルから声をかけられた。
「ちょっと君、アニメ作ってみいひん?」
ユウナがふり向くと、その部の学生たちが紙を配っていた。ユウナはその紙をもらうと、そこには「アニメーション研究会」と書かれていた。
「俺ら、同好会やけど、結構本格的なアニメ制作しててな。いろんなオーディションとかにも出品してんねん」
「それで賞とったりとかもしてんねんで」
男子が言うと横から女子も出てきて、そう付け加えた。
「でも、私アニメとかは……」
ユウナが断ろうとすると、
「大丈夫。初心者でも簡単に作れるから!」
と言われた。ユウナは少し戸惑っていると、
「なぁ、入らへん? 今人手足りんくて困ってんねんやんか〜」
そう男子学生は言った。すると、後ろの女子がその男子の後ろ襟をつかみ、
「ちょっと、困ってはるやん! あ、全然大丈夫やからな。無理に勧めてるわけちゃうし。でも、もしよかったら考えといて。じゃあ」
と言うと、その状態のまま男子学生を引きずって向こうへ行ってしまった。わけもわからないまま、ユウナはその場に立ってそれを見ていた。そうすると避難していたリンがまた戻ってくると、ユウナに言った。
「あぁいう勧誘って、あんまり相手にしない方がいいよ」
「えっ、どうして?」
「だって胡散臭そうじゃん。絶対怪しいって」
それをきいてユウナは、ミカが言いそうな言葉だと思った。そう思うと、なぜだか笑えてくるのだった。
「どうしたの? なんか変なこと言った? 私」
リンがきくのでユウナは首を横に振り、
「ううん、べつに」
と言うのを、リンも不思議そうに見ていた。
そして二人はまた歩きだすと、リンが尋ねた。
「ユウナ、これから用事ある?」
「あ、うん。友達と待ち合わせが。違う学部だけど、高校が一緒だったの。お昼、その子と約束してるんだ。あ、もしよかったら、リンも一緒に行かない?」
「え、いいの? じゃあ行く!」
そして、リンも一緒に行くことになった。
ユウナは、リカと一時に待ち合わせをしていた。ユウナはリカに、リンを紹介した。
「同じ学科の……」
「吉浪凛です」
リカもそれをきいて、
「四十住理華です」
と、丁寧に挨拶をした。そして三人は、近くのファミレスに寄った。
「そっちはどうだったの? 入学式」
リカが二人に尋ねるとユウナは、
「うん、よかったよ。いろんな催しがあって」
と答えた。そして、リカが言った。
「いいな〜。こっちのは古いキャンパスだったから、式も残念な感じだった。ユウナちゃんたちのとこは、新しいキャンパスで羨ましいよ」
「え、そうなの?」
ユウナがそう言うので、
「えっ、知らなかったの?」
と、リカも驚いたように返した。するとリンが、
「龍山の理系が強くなったのって、数年前らしいよ。あのキャンパスができたあたりから、強化し始めたんだってさ」
と言った。道理で、理系の学部だけが集まっているはずだ。今思えば、ユウナはこれまでそれらの話をよく知らなかった。すると、リカがこう言いだした。
「ところで、今日はユウナちゃんに見せたいものがあったんだ」
「何?」
ユウナが尋ねると、
「ジャーン」
そう言いながら、リカがスマホをユウナに見せてきた。
「半年前、ユウナちゃんがやり方教えてくれたじゃん。私、あれから頑張ってランク上げたんだよ」
リカが見せてくれたのは無料アプリ、パズドラだった。
「あぁ……、まだやってたんだ」
「うん、ユウナちゃんにはまだまだ及ばないかもしれないけど」
リカはそう言ったあと、
「そうだ、吉浪さんはやってる?」
と、リンにきいた。
「あ、うん、一応。多いよね〜、パズドラユーザー」
リンも、そう答えた。そしてまたひとつ、三人に共通の話題ができた。それから三人は、いろいろな話で盛り上がっていた。
同じ時分、別の店ではレイカと雅也が会っていた。
「入学おめでとう。今日からお前も、京大生か」
雅也がそう言っても、レイカはあまり嬉しくなさそうだった。
「どうしたんだ? せっかく祝ってやってるのに」
「憂鬱なのよ。昨日、犬に噛まれる夢見たし。これから先、ろくでもないことが起きる気がするのよね」
レイカがそう言ってぼやいていると、
「それは、彼女たちのことか?」
と、急に雅也が言いだした。
「何よ、突然」
「もしかすると、気に食わないんじゃないかなって思ってさ。学校は違うとはいえ、近くにいるわけだから」
「べつに近くでもないけど。高校の時からどうも苦手なのよね」
「それは……、彼女自身も一緒なんじゃないかな」
レイカは、ふと雅也と目線を合わせた。雅也が続けて、
「彼女は冷たくされてもなお、お前を助けようとした。しかしお前はそれを嫌がった。そして、彼女を認めようともしなかった。それはなぜか?お前に欠けているものが、彼女にはあったからだ」
そう言うのでレイカは机をバンと叩き、
「わかったように言わないでくれる? 第一、私一言もそんな話してませんけど」
と言っても、雅也は話し続けるのだ。
「最近のレイカを見てると、どうしてもそう思うんだよね。周りからは常に完璧だ、完全無欠だのと言われてたが、実はそうではなかった。いや、気づかされたんだよ、あの子に」
それをきいてレイカは耐えきれなくなり、
「私帰るわ。きいてるだけで反吐が出そう」
と言い、カバンを持ってさっさと店を出ていってしまった。それを見て雅也は、少しの笑みを浮かべていたのだった。
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