ユウナは夕方、帰ってくると二階の部屋をノックした。
「すみません、中谷です」
ユウナはそう声をかけるが、依然として反応はなかった。ユウナは窓からなら中の様子がわかるかと思い、手すりから身を乗りだして覗いてみるが、カーテンが閉まっており、それすらもわからなかった。やはり自分では無理かと半ば諦めかけた時、ドアの取手に自分の手が触れた。鍵がかかっているだろうと、ユウナは一応その取手を引いてみた。するとドアが開いたので、ユウナは驚いた。開いているはずがないと思っていたが、入ることができた。ユウナは、そっと足を中に踏み入れた。そして音を立てずにドアを閉めると、中の様子を窺った。アパートの一室をそのまま貸家にしたような感じで、目の前には廊下があった。電気が消え、まるで留守のようにも見えた。ユウナは靴を脱いで、中に上がった。しばらく廊下を歩くと、左側に部屋があり、光がもれている。ユウナは、その部屋のドアに耳を当てた。中から、音楽がきこえてくる。ユウナはそっとその部屋のドアノブをつかみ、そっと押した。その瞬間、光が一斉に部屋の外に放出された。ユウナは少し眩しそうに、中を窺った。正面にはパソコンの画面があり、その前に背中を縮めてゲームをしている男がいた。男はヘッドフォンをしており、外にきこえていたのはそこからもれている音だった。そのため、ユウナが声をかけてもまったく反応しそうになかった。ユウナは仕方なく引き返そうとした、その時だった。
「あんたが新しく入居してきた新入生か」
突然、その男が話しかけてきたのだ。ユウナは惑いながらふり向くと、その男はヘッドフォンを外した。ユウナが、
「知ってるんですか? 私のこと」
ときくと、男は答えた。
「あぁ。あんたがペロの世話してんのも、この部屋から見てたからな」
「どうして、ずっと閉じこもってるんですか?」
ユウナは思わずきいてしまった。
「初さんや、大学の皆さんも、心配してると思います。だってほら、こんな狭いところにいたら、それこそもやしみたいになっちゃいますよ」
ユウナはわざと、自虐的なことを言った。
「俺の何を知ってる」
「はい?」
「あんたは、俺の何を知ってるんだ」
「何って……」
「みんなそうだよ。人の気持ちなんて考えないで、俺を置いてきぼりにする。何が心配だよ。心配なんかしてないくせに」
「そんな言い方……」
ユウナは反論しようと進み出ると、
「帰れ。二度と来るな」
と、男は冷たく言った。
「なぜですか? なぜそんなに人を憎むんですか?人を信じたこともない人に、そんなこと言われたくありません」
勢いのあまり、ユウナはそう言ってしまった。するとその男は、
「だからそれがムカつくんだよ……」
と呟くと、ユウナの方をふり向いた。
「頼む、帰ってくれ」
ユウナはそれを見て、驚いてしまった。両目下に大きなクマができ、肌は男とは思えないほど白かった。部屋の電気はついていないが、パソコンから出る光がその男の顔を照らしていた。ユウナはそれを見つめながら、
「私は、諦めませんから。どんなことをしてでも、あなたを救い出してみせます。いつか、必ず外の世界へ連れ出してみせますから」
と強気に言うと、部屋を出ていった。ユウナは階段を下り、自分の部屋に戻っていった。
次の日もまた、ユウナは男の部屋の前に行ったが、ドアには鍵がかかっていて開かない。ユウナはふと下を見ると、紙切れが落ちていた。ユウナはそれを拾い上げると、その紙にはこう書かれていた。
「困ったことがあったら、相談くらいは聞いてやる。吉田真宏」
これは、きっとユウナに向けて中から外に出したものだろう。それは、ユウナがあの男の名を初めて知った瞬間でもあった。この出会いにより、ユウナの大学生活がどう変わっていくのかは、今はまだご想像にお任せしたい。
その夜、東京では母、百合子がユウナのことを心配していた。
「どうした?」
帰ってきた惟英がきくと、百合子は答えた。
「あの子、今ごろちゃんとやってるのかしら。電話では元気そうだったけど」
「大丈夫さ、きっと。もう子供じゃないんだから」
「そうだけど……」
「心配ないさ。誰にだって、試練は訪れる。それをどう乗り切るかによって、成長していくんだ。あいつも今ごろ、いろんな壁に挑戦していることだろう。なぁ、そうだろ? 義輝」
惟英はそう言って、義輝を見た。
「あぁ、姉ちゃんは頼りないけど、どうにかなるだろ」
義輝も、そう言って笑った。それをきいて百合子も、
「そうね」
と、安心した表情を浮かべて立ち上がった。
ユウナもその時、ひとつ課題を終えて寝ようとしていたところだった。ユウナはふと、窓の外を見た。真宏の部屋が見える。カーテンは閉まっていたが、部屋の明かりが灯っていた。ユウナはそれを見て安心し、横になった。またひとつ、大きな難題を解決したことが嬉しかった。あとは、少しずつ近くなっていけばいい。明日からもまた、ユウナはあの部屋に通うことを決めたのだった。
翌朝、ユウナは部屋を片付けていた。今までは大学のガイダンスなどがあったため、引っ越してきてろくに部屋を片付けられていなかった。この日は時間に余裕があったので、出かける前に少し整理していこうと思った。ユウナは、タンスの横に家から持ってきたオーディンのポスターを貼り、服をブラッシングしていると、ポケットから何かが舞い落ちた。ユウナはそれを拾うと、そこには「アニメーション研究会」と書かれている。これは、入学式の日に勧誘でもらったものだ。
ユウナはこれを持って、学内のそこに書かれてある番号の部屋へ行った。ユウナはその部屋の前に立つと、中からは話し声や笑い声がきこえてくる。ユウナはもう一度、その紙を確認した。この部屋で間違いないようだ。ユウナは、そっと扉を開けた。
「失礼します」
すると、ある学生がユウナに気づいた。
「あ! 入部希望の人?」
そう言いながら、ユウナに近づいてきた。それをきいて、ユウナはこう言った。
「あ、いや。見学に来たんですけど、大丈夫でしょうか」
するとその学生が、
「あぁ、ちょっと来て」
と言うので、
「はい」
ユウナもそう言うと、ついていった。
「うちのサークル、本格的なアニメーション作ってんねんやんか」
その人はそう言いながら、ユウナにパソコンの画面を見せてくれた。そこには、テレビで放送されているようなアニメーションCGが映されていた。ユウナはそれを見て、ただ驚くしかなかった。予想していたよりも、かなり本格的だった。
「これを……、作ってるんですか?」
ユウナが不安げにきくと、その人は笑ってこう言った。
「大丈夫。僕らも、もともと初心者やったし。僕は
話しやすそうな人でユウナは安心したが、それでも自分には難易度が高いと思った。そして断ろうとすると、渉の横から数人の部員が割りこんできた。
「あ、来てくれたん? 助かるわ〜、人手少なかってん。あ、あたし
「俺、
「またそれ言ってる、誰も呼んでないでしょ。あ、私、
それぞれが自己紹介してきたので、ユウナも断りにくくなってしまった。結局、ユウナはそのサークルに入ることに決めた。
その後で、ユウナはリンに話した。
「で、結局入ることにしたんだ?」
「うん……、なんか断りにくくて。でも、そのサークルの顧問の先生が横大路先生なんだって。それきいて、ちょっと楽しみになってきたの」
すると、リンがこう言うのだった。
「数学のクラスにさ、学科の先輩が前にそのサークルに所属していたって言う子がいてさ、その子が言ってたんだけど、何回もおっきな大会で優勝してるらしいよ。学内でもちょっと有名で、まあ基本はサークルだからあまり注目はされてないっぽいけど、それでも年々レベル上げてきてるって」
「そう、なんだ……」
「あ、でも大丈夫じゃない? 所詮は趣味でやってるようなもんだし」
「そうだよね。私なりに、頑張ってみる」
ユウナはそう言ってリンを見ると、リンもユウナを見てこう言った。
「なんかユウナってさ……、たまに何考えてるかわからないよね!」
急にそう言われてユウナも、
「えっ?」
と返すと、リンはこう言った。
「だって、勧誘受けただけで部室見にいくなんてさ。最初からやりたかったんなら別だけど。でもまぁ、もっと好奇心持てってことかなぁ。あたしも何か探さないと」
ユウナはそれをきいて、微笑んでいた。前よりも忙しくなったとしても、これが大学生活における本当のスタートなのだと思うと、やる気が出てくるのだった。
しかし、ユウナの知らないところでは、確実に歯車は動いていた。正彦の研究室に、美千子が足を運んだ。美千子は正彦に、
「言わなくていいの? あのこと」
ときくと、
「いや、まだいいだろう。本人がいつ気がつくかが気がかりだが……」
そう言いながら、正彦も机に両肘をついて考えていた。
その夜、ユウナは母の百合子と電話で会話していた。
『どう? ちゃんとやってる?大家さんに迷惑とかかけてない?』
やはり百合子は、まだ心配しているようだ。ユウナが、
「大丈夫。ちゃんとやってるから」
そう答えると、百合子が言った。
『何かあったら言うのよ。お父さんは大丈夫だろうって言ってたけど、やっぱり私ってば心配性なのかしらね』
それをきいて、ユウナもこう言った。
「あのね、私ももう子供じゃないんだから、自分のことは自分でするよ。あと、サークルにも入ったの」
『サークル?』
百合子がきくと、ユウナは答えた。
「うん。アニメ研究会っていって、いろんなアニメ作れるんだ。でも、全国的に見てもレベルが高いらしくって、ついていけるかは不安だけど。でも、私なりに頑張ってみようと思う」
『そう……、体には気をつけるのよ』
「わかってるよ」
『そうそう、ゴールデンウィーク帰ってくる?』
「もう、まだ早いよ。ほんとに大丈夫だから」
百合子の話に、ユウナは少々呆れ気味で言った。そして、ユウナは通話を切った。それでも、こんなに自分のことを心配してくれる人がいるということは、何よりも支えとなった。心配してくれているといえば、不意に大輝の言葉を思い出す。
『そのカセットのことだけど、お前が持っててくれ。お守りにしてほしい』
ユウナは引き出しの中から、小さな袋を取り出した。その中には、古びたカセットがある。これは十年もの間、ずっと土の中に埋まっていたが、再びユウナのもとに帰れる時を待っていたのかもしれない。そしてユウナはしばらくそれを見つめると、袋を締めて再びもとの場所に戻した。続いて、ユウナは同じ引き出しの中から、今度は神社の御守りを取り出した。これは、ミカとその両親からもらったものだ。
『あったりまえじゃん! 友達なんだからさぁ』
ミカもまた、ユウナの見送りに来てくれたのだ。大学に入ってからはまだ一度も連絡を取り合っていないが、ユウナはそれをすぐ手に取れる場所に保管していた。落ちこんだ時は、ミカのことを思い出すと元気が出ると思ったからだ。ユウナは、それももとの場所に戻し、布団に入った。そして、これからが本番だと自分に言いきかせ、目を閉じた。
次の日、授業が終わると正彦がユウナに声をかけた。
「ユウナ君」
「はい」
ユウナは答えると、正彦が言った。
「ちょっと悪いが、私の研究室まで足を運んでくれないか」
ユウナはそれをきいて、不思議そうに正彦を見ていた。
そして、ユウナは正彦と一緒に正彦の研究室へ行った。中に入ると、また怪しい機械が点滅していた。ユウナは正彦に、
「あの、先生。用事って、何のことですか?」
と尋ねた。すると、正彦はこう言うのだった。
「まぁ、座りたまえ」
そして、助手用の椅子を指した。ユウナはそこに座ると、正彦はこう言いだした。
「君は、前に言っていたよね? 私が求める世界、人と自然が共存していける世界はゲームの中にあるんではないかと」
「はい」
「これがその世界だ」
ユウナは、正彦の言っていることが理解できなかった。一体、何をしようというのだろうか。そこにこの間、ユウナをここへ連れてきた学生が来て、正彦の後ろにある機械に触れた。すると急にその機械が動き出し、ランプが激しく点滅した。ユウナはただその様子を見ていると、その機械には大きな扉があり、その扉がゆっくりと開き始めるのだった。ユウナは何も言えず、瞬きも忘れてそれをずっと見続けていた。扉が完全に開くと、ユウナは目を疑った。扉の向こうには、きれいな花畑が広がっている。無論、この建物の近くにはそのような場所があるはずがない。ユウナは無意識に立ち上がると、その扉をくぐり抜けた。そして辺りを見渡していると、花畑からなんとユウナのスマホに入っているはずの、レッドが顔を出したのだ。ユウナは驚いていると、後ろから正彦が来て言った。
「どうだね。これが私の理想とする世界だ。気に入ってもらえたかな」
「どういうことですか?」
ユウナはふり返ると、正彦にきいた。
「いやね、君にここで手伝って欲しいことがあるんだよ」
「手伝ってほしいこと?」
ユウナがきくと、助手の学生が言った。
「この世界でも、生き物が生きてる。だから、その子たちの世話を頼みたいねん」
「世話を?」
すると正彦も、
「あぁ。手伝ってくれるか?」
と、きいてきた。ユウナは少し迷った。これは夢かもしれない。するとレッドがユウナの足元に来て、飛び跳ねている。それを見て、ユウナはこれは夢ではないとなぜだか悟ることができた。そして、正彦にこう言った。
「私に、お手伝いさせてください」
すると正彦は微笑み、
「君なら、そう言ってくれると信じてたよ、ありがとう。改めて、これからよろしく」
と言うのでユウナも、
「はい!」
そう言って笑った。女子学生も、
「よかった。うちは
と言った。
「よろしくお願いします」
ユウナも言うと、再びその世界に見入っていた。これがユウナにとって初めて見た、正彦の作り上げた世界であった。
第十五回「
次回予告
ユウナ「私は、あの人を助けたいんです」
正彦「これは、人工的に創り上げた世界にすぎない」
雅也「自分の好きなことを続けていけるからこそ、頑張れると思うんだ」
ユウナ「気になるんです」
「教えてくれませんか、彼に何があったのか」
正彦「君がそれを知って、何になるというんだ」
初子「それが、あの子の望みだからね」
美千子「そんな研究やって、何の役に立つっていうの!?」
「あの人のことが、すごく心配なの」
ユウナ「教授には、夢があるんです」
正彦「この世界で、救えるものがあるならば、私はこれ以上ない幸せだと思う」
ユウナ「信じてるんです。いつの日かきっと、その世界が本物となって実現すると」
「先、輩……?」
次回(第十六回)
「
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
-
中谷優奈
-
鶴ケ崎麗菓
-
月見里美香
-
夢野あかり
-
池谷大輝
-
相場善秀