三人はすっかり話しこみ、夕方になってしまった。午後五時になっても、まだ空は明るく、夏が一段と近づいてくるような気配がした。帰りにミカが、
「そういえば相場君、夏休みにこっち来たいって言ってたよ」
と言った。
「相場君が?」
「なんかね、この時期は忙しいから、時間がとれたらまた話したいんだってさ」
「そうなんだ……」
「まだ気にしてんの?」
「えっ?」
「ほら、三年の時いろいろあったじゃん。彼、今も気にしてるみたいでさ、ユウナはどう思ってんのかなあって」
「私は……」
ユウナは言いかけると、あの時の相場の言葉を思い出した。
「相場君、言ってたんだ」
『俺もう、お前の無理してる顔見るのが、辛くてさ。お前にはずっと笑っていてほしい。お前には、ずっと笑顔でいてほしいんだ。俺も、いつか追いつくから。きっと心から笑えるようになって、お前を、元気にしたい』
「そんなこと言ってたんだ……」
ミカも、何気に空を見上げながら呟いた。
「今度、会ってまたちゃんと話した方がいいよ」
ミカはそう言って、ユウナにアドバイスをくれた。ユウナも、それをきいて嬉しくなった。
「うん。そうする。ありがとう」
ミカはそれを見て頷き、
「変わってないなぁ、ユウナは」
と言うのを、ユウナは不思議そうに見つめた。すると、ミカは話題を変えた。
「そうだ、ユウナは最近悩みとかないの?」
「悩み?」
「うん、あるんでしょ?」
「なんで?」
ユウナがきき返すと、
「なんか、最初会った時元気なさそうだったから」
と、ミカが言うのだった。
「わかるんだ……」
ユウナが呟くと、ミカは笑いながら言った。
「そんくらいわかるよ~。アカリほどじゃないけどさ」
すると、ユウナがこう話した。
「実は、隣の民宿に引きこもりの人がいて……」
「引きこもり?」
「うん。すごく心配で、入居したてのころからずっとその人の部屋に通ってたの。最初はなかなか反応くれなかったんだけど、しばらくしたら、中に入って話す機会があったの。その日から、よく話をするようになって。でも、理由をきいても口を開こうとはしてくれなくて……。だから、嫌われてもいい、そう思って毎日諦めずに通い続けてたら、この間、私の部屋まで出てきてくれて、すごく嬉しかったの」
「すごいじゃん! で、きき出せたの?」
ミカがきくと、ユウナは首を横に振った。
「それが、理由を知ってる人には全員口止めしてるらしいの」
「そっかぁ……」
「私、もう諦めた方がいいのかな」
ユウナが言うと、ミカはこう言うのだった。
「う~ん。でも本当にその人のこと助けてあげたいって思ってんなら、何としてでもきいてみるべきじゃない? そうやって、たくさんの人の役に立ってきたじゃん」
「私が、人の役に?」
「そうだよ。みんなあんたにチョー感謝してんのよ!」
それをきいたユウナは、嬉しそうに頬を染めた。
「私、もう少し粘ってみるよ。ダメだった時は、自分の力じゃどうしようもなかったんだって諦めがつくから」
ユウナが言うと、ミカも笑顔で頷くのだった。するとミカは思い出したように、
「あ、そうだ。あのお嬢様は感謝してないかな~」
と言うので、それをきいてユウナも可笑しくて笑っていた。
その頃、喫茶店にいたレイカはくしゃみをした。その前には、背広の袖をまくり上げた雅也がいた。雅也はクリアファイルのようなもので自分を扇ぎながら、
「いやあ、今日は暑いなあ」
と言っているとレイカが、
「だからって、なにもこの時期に冷房入れなくてもいいでしょ」
そう言うと、雅也は笑った。そしてレイカは、
「で、今日は何の用なのよ」
ときくと、雅也が言った。
「母さんがさ、仕事一段落したらまたお前に会いたいってさ」
「わざわざそれを?」
「実は俺も誘われたんだ。けど今度、オランダに取材頼まれちゃってさ。だから代わりにお前が会ってやれよ」
「嫌よ。せっかく離れてここまで来たのに」
レイカはそう言って、窓の外を見た。
「でも、もうあのことは許したんだろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ何もないじゃないか。せっかくの機会だから、たまには二人だけで夕食っていうのもいいんじゃないか?まあ強制はしないから、要はお前次第ってことさ」
それをきき、レイカは外の景色を見つめながら考えていた。
その夜、ユウナは寝る前にタンスの引き出しを開けた。中には、小さい袋が入っている。ユウナはそれを手に取ると、中身を取り出した。それは、ゲームカセットだった。
『そのカセットのことだけど、お前が持っててくれ』
『これからのお前を見守ってくれるような、そんな気がするんだ』
出発の前日、大輝は優しくそう言ってくれた。十年以上も土の中に眠り、二人に掘り出してもらえるのを待っていた。そして今、お守りとしてユウナのことを守ってくれているのだろうか。
『でも本当にその人のこと助けてあげたいって思ってんなら、何としてでもきいてみるべきじゃない? そうやって、たくさんの人の役に立ってきたじゃん』
『みんな心配してるんだよ、ユウナのこと』
ミカの言葉も、ユウナの背中を強く押してくれた。ユウナはカセットを元の場所に仕舞うと、高校時代のことを思い出しながら眠った。
翌日、ユウナはアニ研の部室で星見に声をかけた。
「あの、渉先輩」
星見はふり向いて、
「何?」
ときくと、ユウナは星見の前に行き、こう言った。
「部長のことで、お話があります」
その瞬間、それがきこえたのか部室にいたほとんどの部員が動かしていた手を止めた。それでもユウナは気にせず、話し続けるのだった。
「横大路先生に言っても、答えてもらえなくて。今日こそ教えてくれませんか? 一体、彼に何があったのか」
「なんで、君はそんなにまでして知りたいん?」
星見がそうきき返してくるので、ユウナは答えた。
「私は、どうしてもあの人を救いたいんです。同じ民宿に住む人間として、そして、同じサークルの仲間として、彼を助けたいんです」
それをきいた星見は向こうを向き、
「そうか、あそこに住んでんのか」
と、呟いた。そして、
「実はな……」
そう言い、話そうとした。ユウナは、覚悟を決めたように星見を見つめた。その時、誰かが椅子から勢いよく立ち上がる音がした。
「待って!」
そう言ったのは、部員の西野
「べつに言わんでいいやん、あいつが悪いねんから」
すると三宮雄太も立ち上がり、
「ほんまや、言う必要ないって!」
と、夏姫の意見に賛成した。しかし星見は、落ち着いた様子でこう言った。
「でも、いずれは話さんなあかんと思ってた。せっかくできた後輩やから、そしてサークル仲間として部長のことくらいは……」
すると佐藤侑李が、
「でも、言って大丈夫なの? たしか、うちらだけの話だって……」
と、不安げに言う。
「大丈夫。今度、僕が会いに行って謝るから。あいつも、たぶん許してくれると思う」
星見は言った。とうとう、いつでも話がきける状態になった。
「あ、そうそう。恵ちゃんもきいといて」
星見は、ユウナと同じく一回生の
「あれはな、大きなコンクールに自分らの作品を出品して、金賞をもらった日の打ち上げ」
一年前のある日、部員と顧問の正彦が部室に集まって飲み会を開いた。部屋の真ん中にテーブルを置き、皆はそれを囲うように飲んだり食べたりしていた。そのすぐ近くの台には、ガラス製のトロフィーが置かれていた。
「お疲れ~!」
星見はそう声を上げると、皆は乾杯をした。皆、達成感を得たような、穏やかな表情をしていた。
「いやあ、一気に解放されたわぁ」
夏姫が言った。すると侑李も、
「ほんと、頑張って作った甲斐があったね」
と、嬉しそうに話した。すると今度は三宮が、
「なぁ、部長さんよう、今のお気持ちは?」
そう真宏の肩に手を回し、グーをマイク代わりにしてきいた。真宏は、
「うるせえな」
と言い、三宮の手を払った。
「でも、お前のおかげで優勝できた。お前がおらんかったら、きっと落ちてたと思う」
星見は、真宏を見てそう言った。
「ほんま、あたしらだけやったらあかんかったよな」
「そうそう」
夏姫と侑李も、そう言って真宏を褒めた。真宏は、少し照れくさそうに下を向いた。その横で、正彦もそれを見ていた。星見が、
「先生も、ありがとうございます」
と、今度は正彦にも礼を述べた。それをきいて正彦は、
「いやいや、頑張ったのは君たちだ。私は何もしとらんよ」
そう言った。すると真宏が、
「俺も、あんたには感謝してる」
と、正彦に言った。それをきいて、正彦は笑顔を見せた。すると一瞬、シリアスな雰囲気になったが、三宮や夏姫が雑談を始め、また賑やかになった。真宏は、目の前の皿からピーナツを摘まんで食べている。それを見ていた正彦は、あることを思いついた。そして、正彦は白衣のポケットから小さめのビニール袋を取り出した。そこに入っていたのは、セミの抜け殻だった。そして正彦は、気づかれないように真宏の皿の上に乗せた。この悪戯が、まさか取り返しのつかない事態を招いてしまうとは、この時はまだ正彦は知らなかった。そして真宏が手を伸ばし、ピーナツをつかんだ。しかし、真宏が手に持ったのはピーナツではない。そう、それはセミの抜け殻だったのだ。真宏は摘まんだ手を見ると、
「うわぁ!!」
と叫び、その声が部屋中に響いた。真宏は立ち上がり、手を振り回して後ろへ下がった。その振り回した手が、台に載せてあったトロフィーに当たり、それが下に落ちてしまった。割れる音が響いた。真宏は恐る恐る下を見ると、トロフィーが欠けている。そして部室は、一気に静まり返った。三宮が、
「何……、してんの」
と言うと真宏は慌てて、
「違えんだ、こいつが……!」
と言って、正彦を指差した。すると侑李が呆れたように、
「でも、男のくせにセミの抜け殻ぐらいであんなビビる!?」
そう言い、夏姫も、
「ほんまや! もう二度とこんな賞とれへんかもしれへんねんで!?」
と、真宏を責めた。しかし星見だけは、
「まあまあ、わざとちゃうねんから、もう言わんとこ。また目指したらええねんし」
と、真宏を庇うように言った。それでも侑李は腹の虫が治まらないらしく、
「信じらんない! 私帰る」
そう言うと立ち上がって、部室を出ていってしまった。すると夏姫や三宮も、
「あたしも」
「俺も」
と言い、続いて部屋から去った。部屋には、真宏、星見、正彦だけが残った。真宏は正彦を見下ろし、言った。
「どうしてくれんだよ」
「あ、いや……。すまん」
「すまんで済むか!」
真宏はそう言いながら、正彦につかみかかろうとすると、それを星見が止めに入った。真宏は荒い息を吐きながら、こう言った。
「もう、こんなやつのいるところには顔を出せねえ」
そして、真宏もその部室から姿を消した。その夜、部員全員に真宏からもう来れないといった内容のメールが届けられた。それを見て、全員が真宏だけ責めたことを後悔した。
星見は話し終えても、顔を上げようとはしなかった。何も知らなかったユウナは、ただ唇を噛みしめていた。
「僕たち、ずっとあいつに謝りたかってん。でもあいつは、もうここには来うへん」
星見が言うとユウナは、
「私……、そんな理由じゃ、諦めきれません」
そう言って、静かに部屋を出ていった。そして廊下を歩きながら、これから真宏をどうやって説得するかだけを考えていた。
しかし、何も思いつかないまま、帰ってきてしまっていた。しかし、ユウナはいても立ってもいられず、真宏の部屋をノックした。
「失礼します」
ユウナはそう言い、ドアを開けた。真宏は、またヘッドフォンを被っていた。
「どうした?」
真宏はヘッドフォンを外し、ふり向いた。するとユウナはその場に座り、こう言った。
「今日、先輩からききました」
「何を?」
「トロフィーのこと、しつこくきいてみたら話してくれたんです」
それをきいて真宏は向こうを向きながら、
「そうか……」
と言った。
「たしかに、先生のしたことは度がすぎると思います。でも、閉じこもったところで何も解決されないじゃないですか。それに、ちゃんと話し合えば……」
「話したところで何だってんだよ!」
ユウナが言いかけると、真宏は怒鳴った。ユウナは言い返せずにいると、真宏は続けた。
「あの悪戯オヤジのせいで、俺の学生生活はぶっ壊れた。今更、何を話せっていうんだよ。俺はあいつを許さない、ききたくもない」
ユウナは、真宏の顔を見つめるしかできなかった。真宏は、敵に襲われた獣のような目をしていた。
「それなら……、なぜ退学しないんですか?」
ユウナがきくと、真宏は下を向いた。
「授業に出ないと、どの道いつか退学になります。それなら、早く辞めてほかの道に行けばよかったんじゃないですか?」
ユウナはそう言っても、真宏はただ黙っていた。
「先生に会いたくないだけなら、そうしてたんですね」
ユウナが優しく言うのをきいて、真宏は再びユウナの方を見た。
「大学を辞めてしまうと、部活の人とも距離を置いてしまう。そう考えたんじゃないんですか?」
「それは……」
「皆さんが先輩を心配しているように、先輩も、あの人たちのことが大切なんじゃないですか? だから、これ以上関係を壊したくない、そう思ってるんじゃないですか?」
「あぁー!!」
真宏は、次々と降ってくる質問から逃れるように、そう言って両手で耳を覆った。するとユウナは最後に、
「もし、今言ったことが当たっているのなら、先生に会ってください。これで、今日は失礼します」
と言い、立ち上がって部屋を出ていった。真宏はそれを見ると、耳から手を離し、その姿勢のまま両膝に額をくっつけていた。
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