朝、ユウナはいつものように初子と一緒に朝食を作った。初子は何も言わず、普段通り働いていた。身体の方はもう大丈夫なのかと不安に思ったが、本人も特に気にしている様子はなく、ただ手を動かしていた。
「あの……」
「何だい?」
ユウナはまた、病院で診てもらうように勧めようと思ったが、しつこいやつだと思われるのが関の山だろう。いや、もうすでに思われているかもしれない。
「あ、いえ」
ユウナは言うのをやめ、二人は食卓に着いた。相変わらず、真宏は起きてこない。
「いただきます」
ユウナが食べ始めた直後、なんと初子がこう言い出したのだ。
「そうそう、あんたの言う通りかもしれないねぇ」
「えっ、何の話ですか?」
急に言われ、ユウナはきょとんとした。
「病院に行こうと思う」
「ほんとですか?」
ユウナは嬉しそうに、初子を見つめた。
「意地張って死んじまったら、これほどバカな話はないからね。昨日、あれからずっと考えてたんだよ。もしかすると、あんたの言う通りかもしれないってね」
初子は言った。そしてユウナも、それに答えるかのようにこう話した。
「わかりました。私も、できるだけのことはやりたいと思います。初さんのお手伝いしていて、わかったんです。私が大学に行っている間も、常に働いている初さんは、やっぱりすごいと思います。炊事に洗濯、畑仕事まで、ずっと続けてこられた初さんを、私は尊敬しています。私には、すべてを一人でやれと言われてもできません。でも、思ったんです。もしも初さんが入院などになっても、私なりに、この宿を守っていこうって。だから、安心して……」
すると、ユウナが言い終わらないうちに初子は強く机を叩き、
「偉そうなこと言うんじゃないよ!」
と言った。ユウナは呆気にとられ、ただ初子を見つめていた。
「あんたなんかに、何ができるんだい。私はねぇ、正直言ってあんたみたいな子が一番嫌いさ。与えられた仕事もろくにこなせないのに口だけ達者で、おまけに宿を守りたいって? 笑わせるのもいい加減にしな! それに私はまだ入院すると決まったわけじゃ……!」
言いかけて初子は、ガクッと脇腹の辺りを押さえて苦しみ始めた。
「初さん!?」
ユウナは立ち上がると、初子のもとに駆けよった。そして救急車を呼び、初子は近くの病院へ搬送された。ユウナも同行し、医者から話をきかされた。
「ここに、胆石があります」
医者はユウナに写真を見せ、肝臓部分を示しながら説明した。
「胆石……?」
「胆石は手術で取り除けますが、早くしないと胆管炎など別の病気が併発する恐れがあります」
ユウナはその後も、黙って医者の話をきいていた。
その後、ユウナは初子の病室を訪ねた。看護師がカーテンを開けると、
「今は眠っておられます」
と言った。ユウナは見ると、ベッドには初子が目を閉じ、横たわっていた。
「手術……、受けられるでしょうか」
ユウナは呟くと、
「えっ?」
と看護師は、不思議そうにユウナを見た。
「本人の希望がないと、できないんですよね……」
ユウナが不安気に言うのを見て、看護師は言った。
「大丈夫ですよ。病気を治したくない人なんて、いませんから」
それをきいて、ユウナは少し安堵した。
「そうですよね」
ユウナはそう答えると、しばらく初子を見つめていた。
宿に帰ると、ユウナは和室に入った。そして、初子の夫・健治の遺影の前に座った。しばらくそれを眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
「おい!」
ユウナは驚き、後ろをふり向くと、そこには真宏が立っていた。
「婆さん、入院したんだってな」
「先輩、もう知ってるんですか?」
「さっき病院から電話かかってきたんだよ」
真宏はユウナの横に座り、胡坐をかいた。
「どうすんだ、これから」
真宏がきくとユウナは、
「とりあえず、私が初さんの代わりに、家事をやろうと思います。でも、そうなると初さんが退院されるまで、部活にはほとんど顔を出せないかもしれません」
そう言うと、真宏が安心させるように言った。
「こっちのことは任せとけ。みんなにも俺から言っとくから」
「お願いします」
ユウナはそう言ったあと、ふと初子に言われたことが脳裏に浮かんだ。
『あんたなんかに、何ができるんだい』
その言葉は、ユウナの心に深い爪痕を残した。ユウナの顔を見た真宏が、
「どうしたんだ?」
ときくと、ユウナは答えた。
「今日、初さんに言われたんです。与えられた仕事もろくにこなせないのに、偉そうなことを言うなって」
「そっか……」
「私、一人で思い上がっていたんです。誰かの役に立ちたいって、ずっと思ってきましたから。てっきり、初さんもそれを理解してくれてるものだとばかり思ってたんです」
するとユウナから、涙がこぼれ落ちた。
「伝わってるよ、お前の気持ち」
真宏が言うので、ユウナは顔を上げた。
「たしかに、お前は不器用な部分もあるけどな。でも、がむしゃらに誰かの役に立ちたいって走り回ってんのに、誰が損するっていうんだよ。お節介でも、有難迷惑でも、何もしないよりはましだと思うぞ」
真宏が話すのをきいて、ユウナは少し元気を取り戻した。そしてユウナが、
「こんな私でも、初さんに認めてもらえますか?」
ときくと、
「んなもん、自分で考えろ」
そう言って真宏は立ち上がった。
「でも、俺だってできるだけのサポートはするぜ! お前には、借りがあるからな」
真宏はそう言い、部屋を出ていこうとした。するとユウナが、
「先輩!」
と、真宏を呼び止めた。
「なんだよ」
「じゃあ、一緒に相談に乗ってもらえませんか?」
「相談?」
真宏は怪訝そうな顔できき返し、ユウナを見つめていた。
そして、二人は正彦の研究室へ行った。
「相談というのは何だね?」
正彦は眼鏡をはずし、二人にきいた。すると、ユウナは言った。
「私、初さんに元気になってもらいたいんです。そのためには、どんなことをしたらいいか悩んでて……、いろんな人から話をきけば、きっといい案が浮かぶと思ったんです」
それをきいた正彦は、少々難しい表情をした。
「う~む、難しいお題だな」
ユウナにも、そう言われる予感がしていた。それでも、きいておきたかったのだ。すると真宏が、
「なんか、こう、婆さんが喜びそうなことってないか」
と補足すると、正彦はますますわからないといった表情をした。そうしていると、後ろに座っていた美千子が言った。
「じゃあ、初さんに何か懐かしいものを見せればいいんじゃないかしら」
「懐かしいもの?」
ユウナが尋ねると、美千子は続けた。
「えぇ。この前、二人で話してたら、年をとると昔を思い出すことが多いんですって」
その言葉にヒントを得たのか、急に正彦が立ち上がった。
「それだ!」
「何ですか?」
ユウナは、正彦にも尋ねた。
「夫に会わせればいいんじゃないだろうか」
正彦がそう言うので、真宏と美千子は呆れたような顔をした。しかしユウナは冷静に、
「あの、初さんのご主人はもう……」
と言いかけると、正彦はとんでもないことを言い出すのだ。
「プログラムで再現するんだ」
「プログラムで?」
ユウナは驚きのあまり、それ以外何も声に出せなかった。
「ご主人の、写真はあるかね?」
「あ、はい」
「よし、それならどうにかなりそうだ」
「どういうことだよ、ちゃんと説明しろよ」
真宏は、正彦が何をしようとしているのかわからず、説明を乞うた。それは言うまでもなく、ユウナや美千子も同じ気持ちだった。
「プログラムで再現するって、どういうことですか?」
「それは、できてからのお楽しみといこう」
正彦はそう言って、微笑んだ。
二人が宿に戻る途中、ユウナが真宏に言った。
「教授、何をするつもりなんでしょうね」
「あぁ。どうせ、またくだらないことだろ。きくだけ無駄だったな。まあ明日にでも、俺らだけで考えようぜ。それよりお前、写真はどうしたんだよ」
「スキャンしてもらったので、ちゃんとここにあります」
ユウナは健治の遺影を、カバンから取り出した。
「でも、教授はきっと何かしてくれると思います。今までも、そうでしたから」
「俺にはわかんねえんだよなぁ」
真宏は空を見上げ、そう呟いていた。
「でも、話し合って解かり合えたんですよね?」
「ああ。二度と話が通じることはないって思ってたけど、お前が気づかせてくれた。いや待てよ……!」
「どうしたんですか?」
「思えば俺、お前にいっぱい借り作らされてんじゃん! あぁ、どうしたらいいんだ!」
「いいですよ。返してほしいなんて思ってないですし」
「いいや、それじゃ俺のプライドが許さねえ」
「先輩にも、プライドってあったんですね」
「あったりめーだよ!」
二人はそんな会話をしながら、帰っていった。
明くる日、初子が病院で横になっていた。しかし、目は開いている。するとドアが開き、美千子が顔を出した。
「あら、初さん。調子はどう?」
「おやまぁ、こんなところまで来て」
「心配だったのよぉ」
美千子はそう言いながら、ベッドの横の椅子に腰かけた。
「あ、そうだ。これ、どうぞ」
美千子は、初子に紙袋を渡した。
「いいよ、お見舞いなんて」
初子はそう言いながら、その袋を受け取った。
「あら、お見舞いじゃないわ。もうすぐ誕生日でしょ?」
「ふん、こんな婆さんが年をとって喜ぶもんかい」
「うふふ。いいから、受け取って」
美千子はそう言うと、話を変えた。
「ユウナちゃんがね、夫に頼んで、初さんが喜びそうなものを作ってもらってるのよ」
「あの子が?」
「えぇ。必死に、初さんに喜んでほしいって思ってるのよ、きっと」
「そうかい……」
初子は、ユウナにきつく言い過ぎたことを、少し後悔していた。すると美千子は何か思い出したように、バッグからあるものを取り出した。
「そうそう、忘れるところだったわ。はい、これ」
美千子が初子に渡したものは、夫であった健治の遺影だった。初子はそれを見つめながら、
「あの人も……、私が来るのを待ち侘びているのかもしれないね」
と、寂しそうに呟くのだった。
「初さん。縁起でもないこと言わないで。きっと成功するわよ、手術」
美千子は、そう言って励ました。初子もそれをききながら、遺影を前のテーブルの上に置いた。この時、初子は知っていたのかもしれない。この後、自分の身に何が起きようとしているのかを。
一方、初子が入院している間、民宿の家事はユウナがすることになった。リンやリカも、それを手伝いに来ていた。ユウナは二人に、
「ごめんね。こんなことまでさせちゃって」
と謝ると、
「いいって。こっちは好きでやってんだから」
そうリンが言うと、リカもこう言うのだった。
「そうだよ。私たちだって、友達の役に立ちたいもん」
「ありがとう」
ユウナは、嬉しそうに二人を見た。すると、リンがきいた。
「そういえば手術ってさぁ、今日だっけ」
「あ、うん」
「え、そうなの?」
ユウナが答えると、リカもそう言った。
「私も、初さんにはいっぱい迷惑かけたから、せめてもの恩返しがしたいの。ただ住まわせてもらってるだけだと、申し訳なくて……」
ユウナがそう言うので、その場が一瞬重たい雰囲気に包まれた。それを感じ取ったのか、
「あ、何でもないよ。じゃあ私、今から買い物行ってくるね」
とユウナは言うと、慌ただしく出ていった。リカは、それを微笑ましそうな目で見つめていたのだった。
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
-
中谷優奈
-
鶴ケ崎麗菓
-
月見里美香
-
夢野あかり
-
池谷大輝
-
相場善秀