ユウナは京都で買い物を済ませると、電車の駅に向かう途中、電話が鳴った。ユウナは、それに出ると医者がこう言った。
「あ、中谷優奈さんですね。今日、鈴木さんの手術がありまして、お伝えしたいことがあるのですが。すぐに、来られますか?」
それをきいた瞬間、ユウナは嫌な予感がした。初子に、何かあったのかもしれない。ユウナは一言言うと電話を切り、そのまま病院へ行こうと走り出した。
信号待ちをしていると、ユウナの目の前に見覚えのある車が停車した。すると右側の窓が開き、中から雅也が顔を出した。
「あ、ユウナちゃん! 奇遇だね。どうかしたの?」
ユウナは焦っていたが、雅也に訳を話した。すると雅也が、病院まで送ってくれるのだという。ユウナは、急いでその車の助手席に乗った。
「あの夫婦には、子供がいなかったそうだ」
雅也は車を運転しながら、そう話した。
「そうなんですか?」
「あぁ。きく話によると、ご主人は若かったころ、外国をあちこち飛び回っていたそうだ。でもそれを反省して、年をとってからは夫婦で暮らすことが多かったんだってさ」
「苦労、されたんですね……」
「ご主人が亡くなる数年前に二人で宿屋を始めて、亡くなってからはあの人だけで営業してたみたいだけど、ここ数年は入居者がいなかったんだ」
「その話は、前にもきいたことがあります。一年前、入居者を一人もとらなかったって。それは、ご自分でも身体のことを気にしていたからだと。私、すごく不安なんです。もしも、手術がうまくいってなかったらって……」
「心配いらないよ」
雅也が、前を見ながら言った。ユウナはその言葉をきき、雅也の方を見た。
「僕も、ジャーナリストになりたてのころ、取材する機会があってね。その時にいろいろと調べてたんだけど、どうやら巷ではスピリッターって言われてたみたい」
「スピリッター?」
「精神が図太い人って意味らしい。何があっても、臆せず、強く生きる。それが、あの人の昔ながらの生き方だったのかもしれない」
その話をききながら、ユウナは初子のことを思い出した。まさに、初子はそのような人だった。毎日、畑を耕し、休む間もなく働いている。それでも尚、弱音のひとつも吐かない。それこそが、初子の生きがいなのだろうとも思えた。程なくして、病院が見えてくる。
ユウナは先に降り、病院内へ駆けこんだ。そして、医者がいる診察室へ向かった。そこへ行くと、医師は柔らかい表情をしてユウナにこう伝えた。
「摘出は成功しました」
それをきいて、ユウナはホッと胸を撫で下ろした。すると、医者は話を続けた。
「数日後には退院の予定なのですが、本人は帰りたくないと仰ってまして……」
ユウナは医者の話をきき、初子はなぜ帰りたがらないのかと疑問に思った。そして、さらに医者は続けた。
「これは、ご本人から直接きいたわけではないですが、恐らくは、自分でもまたいつ倒れるのかわからないと思っているのかもしれません。また病気で倒れ、もしそこに誰もいてくれなかったらどうなってしまうのか、想像するだけでも怖いのでしょう」
ユウナは、
「私、話してきます」
と言うと、医者はしばらく黙り、こう言った。
「わかりました。ですが、私からも一つお願いしたいことがあります」
「お願い?」
「はい。彼女の心を、受け入れてほしいのです」
「初さんの、心……?」
「彼女が今、何を思っているのか、どうしてほしいのか、それを感じとってあげてください。そうすれば、彼女を説得することができるかもしれません」
「わかりました。やってみます」
ユウナは答え、診察室を出た。そして長い廊下を歩き、初子の病室の前に来た。部屋をノックし、ユウナは中に入った。そこには、初子が以前より痩せた姿でベッドに横になっている。ユウナが近づくと、初子が先に言葉を発した。
「嫌だねえ、高いところで寝るのは。居心地が悪くて仕方ないよ」
初子はそう言いながら、片手でベッドを力なく揉んだ。するとユウナが、
「あの。どうして、帰りたくないんですか?」
と尋ねると、初子はこう言った。
「私も、もう永くはないかもしれないと思ってねぇ。だからいっそのこと、ずっとここにいたいと思ったのさ。帰ったら、またみんなに迷惑かけちまうからね」
「迷惑だなんて、思ってません」
「いいんだ。あんたも、もう私に構わず、自分のやりたいことやればいいんだ。ここに来てから、急にあの人のことを思い出す時間が増えたよ。あの愛おしかった時間は、もう戻っては来ない。それはわかってるつもりだったが、どうしても考えちまうんだよ」
初子はそう言って、健治の遺影が飾ってある机の方を見た。ユウナも、ただ黙って初子の視線を追った。そしてふと、医者の言葉が頭の中を過ぎった。
『彼女が今、何を思っているのか、どうしてほしいのか、それを感じとってあげてください』
彼女は今、夫の健治に会いたがっている。しかし、もう健治はこの世にいない。そればかりは、誰がどうすることもできない。時に、正彦が言っていたことはどういう意味だったのだろう。ユウナはそれらを考えながら、ゆっくりと病室の戸を閉めた。ユウナがしばらく立ち止まっていると、背後から声がした。
「話はできたかい?」
ユウナがふり返ると、近くの椅子には雅也が腰かけていた。ユウナは、雅也の隣に座った。
「私……、思ったんですけど、今までちゃんと初さんのお役に立ててたんでしょうか。もしかすると、逆に負担をかけてたのかもって思う時があるんです。そうなると、私のせいで初さんは……」
ユウナは、目に涙をためながら話した。
「そんなに悲観的になることないさ。あの人はあの人なりに、君のことを受け入れてる気がする。素直な気持ちをうまく伝えられず、不器用だけど、それでも君のことを信頼してる。東京から田舎に出てきて、大変だったろうけど、あの人なりに頑張ったんだ。それは、君も見てきて思ったんじゃないかな」
「初さんって……、東京の方だったんですか?」
「あれ?きいてなかった?あの人、バリバリの江戸っ子だよ?」
ユウナは前を見つめ、こう言った。
「私も、私なりに頑張ってみます。うまくいくかわかりませんが、あの人を喜ばせて元気にしたいんです」
「そっか……。じゃあ僕も応援するよ」
「ありがとうございます」
ユウナは立ち上がり、歩いていった。自分のやるべきこと、ユウナはそれをすでに決めていた。それは、正彦を信じることだ。正彦ならきっと、ほかの人が思いつかないようなことをしてくれるはずだ。今までの経験からも、そうであった。ユウナはただ前だけを見据え、病院の廊下を歩いていた。
数日後、ユウナは再び初子の病室を訪れた。ドアを開けると、初子が窓の外を眺めている。
「初さん、調子はどうですか?」
ユウナが尋ねると、
「また来たのかい」
と、初子はいつも通り不愛想に言った。
「初さん。一度、外に出てみませんか?」
「何だい。また連れ戻しに来たのか」
ユウナが言うと、初子はそう返してきた。それだけでなく、ユウナと顔を合わせようともしない。しかしユウナは優しく、
「違います。今日は、会わせたい人がいるんです」
と、答えた。
「会わせたい人? 誰だい」
「初さんの、よく知っている人です。病院には許可をとってあります。あとは、初さんが来てくれるかどうかなので」
ユウナは、真剣に初子を見つめていた。初子にも、それを見て冗談ではないとわかった。そして初子は、静かに腰を上げるのだった。
初子を連れ出すことに成功したユウナは、外に出た。後ろから初子が、
「で、どこにいるんだい」
と尋ねると、ユウナは立ち止まった。前を見ると、地面にスマホが置かれ、その上に虹色の扉が見える。ユウナはふり返り、
「この中です」
と言った。初子はそれをきいて、呆れたようにこう言った。
「からかうのも程々にしな。そんなものに引っかかるほど、私は馬鹿じゃないよ」
そして、ユウナは真面目な顔で答えた。
「初さんが信じてくれるなら、私についてきてください。もし信じられないのなら、病室に戻ってください」
ユウナはそう言い終えると、虹色の扉をくぐった。初子はそれを見て、夢でも見ているのかと錯覚するほど疑心暗鬼になった。そして、恐る恐るその扉に近づき、中に手を入れると不思議な感覚になった。扉の向こう側を覗くと、自分の手はつき出ていなかった。初子は、ゆっくりとその中へ入っていった。
目を開けると、壮大な楽園が広がっていた。その数メートル先には、ユウナが立っている。ユウナは初子を見つめながら、
「初さんなら、来てくれると信じてました」
そう言うと初子が、
「何がどうなってるんだい、ここは」
と言うので、ユウナは説明した。
「ここは、ある人が開発した世界です。森や動物、いろんな生き物たちが暮らしている、夢の楽園です。そしてもうひとつ。ここでは、現実の世界ではいなくなってしまった人に、また会うことができます」
そしてユウナは、向こうを指した。初子がその方向を見ると、花畑に誰かが立っている。後姿で顔はよくわからないが、初子にはわかった。それは紛れもなく亡くなった初子の夫、健治であった。初子はそれが健治だとわかると、そこに向けて無我夢中で歩き出した。そして近くまで来ると、
「お前さん……」
と、思わず声をかけた。すると、健治はゆっくりとふり返った。
「もしかして、迎えに来てくれたのかい」
しかし、健治は何も答えなかった。すると初子の後ろにユウナが来て、
「これは、初さんの部屋にあった写真から画像部分のデータをプログラムで組みこんで、再現したものです。なので、残念ですが会話までは……」
そう言うと、初子は笑いながら言った。
「知ってるよ」
「えっ」
「これで、私が喜ぶとでも思ったかい」
「はい。お医者さんから、初さんの心を受け入れてほしいと、そう言われました。だから、私は初さんが一番会いたいと思う方を、連れてこようと思ったんです」
「そうかい。だがこんなもので……、私が、喜ぶはず……、ないじゃないか」
初子の声は、次第に震えていった。それをきいて、ユウナは初子の今の気持ちを全身で受け止めようと思った。初子の足元には、小雨のように涙が落ちていく。そして再び顔を上げると、目の前には健治が遺影と同じ優しい表情で立っている。それを見て、さらに初子の頬を無数の涙が伝った。ユウナは、しばらく初子に昔のような二人きりの時間を味わわせてあげたいと思い、静かにその場を離れていった。ふり返ると、遠くで初子が健治に声をかけたりしている。それを見てユウナは少し悲しくなりつつも、微笑ましくもなった。
その後で、ユウナは正彦に礼を言いにいった。
「教授。今日は、ありがとうございました」
ユウナが頭を下げると、正彦は言った。
「そうか。喜んでくれたか」
「はい」
ユウナは顔を上げると、嬉しそうに答えた。
「私、あんな初さんを見るのは初めてだったので、すごく嬉しかったんです。普段はあまり笑わず、辛いことや悲しいことがあっても、何も言わずに我慢してるみたいで。だから、もっと相談してほしかったんです。怒られてばかりですけど、私でも何かできることがあると思ったんです。だから初めて、あの方の役に立てたような気がして」
「そうか。君がそう思うなら、間違いはないだろう」
正彦の言葉をきき、ユウナはさらに嬉しく思った。
「一人で抱えこむのには、限度がある。何でも一人で解決しようとすると、いつか必ず誤った方向へ行ってしまう。だから私は、誰も一人にしたくはない。吉田君も、ゼミのクラスで発表以外では誰とも話さず、孤立していた。だから私が声をかけ、ここに連れてきたんだ。そうしたら、いつの間にか友達もでき、サークルまで立ち上げていた」
「そうだったんですね……」
「アカネ君だってそうだ」
「アカネさんも?」
ユウナは、意外そうに正彦を見た。あの活発でしっかりしたアカネが、クラスで孤立していたとはとても思い難かった。
「授業が終わっても、一人で本を読んでいることが多かった。そしてここの手伝いをさせているうち、彼女は変わった。知らないうちにみんなの輪の中にいた。人というものは、そういうものなのかもしれないな」
ユウナはそう話す正彦を見つめながら、
「そうかもしれませんね」
と、同調した。すぐ近くの画面には、初子と健治の姿が映し出されていたのだった。
ユウナが帰宅すると、すでに初子が戻ってきていた。ユウナは襖を開け、
「初さん、お帰りなさい」
そう言った。ユウナは先ほど、退院の手続きを済ませていた。そしてユウナが自分の部屋に行こうとすると初子が、
「待ちな」
と言うので、ユウナはふり向いた。すると、初子は向こうを目にしたままこう言った。
「あの時は、悪かったね」
初めて初子に謝られたので戸惑いもあったが、ユウナはこの時、これが初子の素直な気持ちなのかもしれないと感じた。ユウナも笑顔で、
「私も、少し調子に乗りすぎてしまって、すみませんでした」
と答えると、初子はいつもの調子で言った。
「ちょっとどころじゃなかったよ!」
それをきくと、ユウナは笑った。そして二人はしばらくの間、笑い合った。
2013年12月24日。街は、クリスマス一色だった。ある飲食店では、リンがサンタの衣装に身を包み、
「メリークリスマス!」
と言った。その席にはユウナのほかに、リカや夏姫、三宮もいた。リカが、
「久しぶりだね、こうしてみんなで集まるのって」
と言うので、ユウナも頷いた。すると三宮が、
「ていうか、部長遅ない?」
そう言うと夏姫も、
「せやなぁ、うちらだけで先始めてよか~」
と、言うのだった。小さな幸せは、いくらでも近くに散らばっている。そのことをユウナはこの時、また痛感していた。初子もあの時、健治にどんなことを話したのだろう。ユウナは、些細な幸せがこれからも途絶えないよう、心の中で願った。
第二十回「
次回予告
リン「私……、家出してきたんだ」
「なんでいんのよ」
神坂隆吉「私は、リンの父親だ」
ユウナ「リンはお父さんのこと、どう思ってる?」
リン「こんな生活してるって、絶対に知られたくなくて」
アカネ「もっとほかに、やりたいことあるんちゃうの?」
隆吉「リンは大学では元気にしてるか?」
リン「私のこと、ほんとに心配してくれてたんだって、離れてから初めて思った」
ユウナ「もう一度、お父さんとよく話してみるべきだと思う」
隆吉「今では過保護だったと、反省している」
リン「私、ここに来て思ったんだ。バカばっかりいるの」
「だから、私も少し元気になれた」
リン「ユウナって、ほんとにお節介なんだね」
ユウナ「それが、私の生き方だから」
次回(第二十一回)
「
序盤のキャラで、最も印象深い登場人物は?
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中谷優奈
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鶴ケ崎麗菓
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月見里美香
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夢野あかり
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池谷大輝
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相場善秀