ついに翌日になり、朝、また義輝は黙って家を出た。それを見逃さなかったユウナは、そっとドアを開けた。義輝が歩いていくのが見えた。そして、そっと千花に連絡を入れる。千花も近くに待機していたらしく、すぐに合流できた。
「義輝、ほんとに何もないのかな……」
「大丈夫だよ、見失わないうちに行こう」
千花はそう言って、歩き出した。しかしユウナの不安は募る一方で、昨夜はよく眠れなかったのである。電信柱の近くに来た時、千花が不意に足を止めた。
「ちょっとあれ見て」
千花は小声で言うと、指差した。ユウナも指差された方を見ると、義輝が黒ずくめの男二人と何やら話している。内容まではきこえないが、ユウナは直感的にまずいと感じた。その後、義輝は二人に連れられて近くの喫茶店に入ってしまった。ユウナの隣では、千花が何枚も写真を撮っている。証拠の写真があれば、警察も動いてくれる。そして店の中で、もう一人黒ずくめの男が現れて何か交渉している。いったい、何の話をしているのだろう。電柱の陰から、二人はそっとその様子を窺っている。千花が、
「もう少し近づいてみようか」
と言った時、ユウナのスマホが鳴った。ユウナは画面を開き、
「あ、ご飯の時間。ごめん、すぐ戻るから!」
そう言い、向こうへ駆けていった。
「あ、ちょっと! ご飯の時間?」
千花はそう呟いて、怪訝そうにユウナを見ていた。正彦から、毎日決まった時間にモンスターたちのエサやりをするように言われていたのだ。生き物と同じで、一回パスすると消えてしまうことがあるらしい。ユウナは離れた場所まで来ると、スマホを地面に置いた。すると、虹色の扉が現れる。そして急いで中に入り、モンスターたちを呼んだ。真っ先に、レッドが寄ってきた。ユウナは、レッドに丸いビー玉のようなエサを与えた。そして、ユウナの手持ちすべてにエサを与え終えると、急いで外に出た。スマホをポケットに仕舞い、戻ろうとした。その時、目の前を誰かが通った。そこにはあの時、義輝と一緒だった女、美希の姿があった。ユウナはしばらく美希を見ていると、美希もユウナの存在に気づいていたらしく、先に話しかけてきたのだ。
「あぁ、お姉さん! こんなところで何してるんですか?」
美希が、ユウナに近づいてきた。ユウナは、この機会に義輝との関係についてきこうと思ったが、咄嗟のことでどう言えばよいか迷った。
「あ、あの……」
「そうだ。これ、安かったからたくさん買ったんですよ。でも一人じゃ食べきれないから、よかったらどうぞ。熱いうちに」
美希はそう言って、ユウナに商店街のコロッケを差し出した。ユウナはそれを受け取ると、美希は言った。
「ヨシ君からよくきくんです、お姉さんのこと。友達思いで、すっごく優しいんだって、自慢げに話してたんです。私もそれきいて、そういう兄弟がほしかったなぁって羨ましくなったんです」
「そう、ですか……」
ユウナは、ますます何を話せばよいかわからなくなった。そうしているうちに、
「じゃあ、私はこれで!」
と美希は言うと、向こうに歩いていってしまった。ユウナは呼び止めることもできず、しばらくそれを見つめていた。
千花のところへ戻ると、千花はメモをとっていた。
「ごめん」
ユウナがそう言うと千花は、
「しっ」
と言い、向こうを指差した。ユウナは言われた通りにすると、喫茶店の中にはまだ三人と義輝がいた。ユウナはよく目を凝らし見てみると、男のうち一人が札束を手にその枚数を数えている。そして、なんとそれを義輝に渡したのだ。ユウナは、息をのんだ。義輝はそれをカバンのポケットに仕舞い、立ち上がって店を出た。その一部始終を見ていたユウナは、そこから一歩も動けずにいた。すると千花に腕を引っ張られ、電柱の陰に隠れた。義輝は二人には気づかず、歩いていった。それを見てユウナはどういう状況か理解したが、信じたくはなかった。弟がそのようなことをするはずがない、そう自己暗示をかけたが、それは無力にも解けていった。
「じゃあ、今日撮った写真、ほかに大事なことが映ってないか帰ってから調べてみるね。何かわかったら、私かお姉ちゃんが連絡すると思うから」
千花がそう言っても、ユウナの耳にはもはや何も入ってこなかった。
その日、義輝はやはり夜遅く帰ってきた。あれからどこに何をしに行ったのか、それはわからない。それでもユウナは、思いきって問いただそうと思った。義輝が戸を開けると、目の前にはユウナが立っていた。
「義輝、どこ行ってたの!」
ユウナが言うと義輝も、
「だから何でもねえって! 気にすんなっつったろ!」
と言い、家に上がってユウナを通りすぎようとした。すると、ユウナは咄嗟に義輝の腕をつかんでこう言った。
「あんたのために言ってるのよ!」
すると、義輝はその手を振り解いた。そしてユウナを見ると、
「疲れてんだよ。もう、ほっといてくれよ」
と言うので、ユウナは手を離した。そして義輝は、また二階に上がっていった。ユウナは、何も返す言葉が見つけられなかった。あのような義輝を見るのは初めてだった。まるで魂が抜けたような、そんな表情をしていた。それは時に、何かを抱えこんで言うことを我慢している、辛そうな顔にも見えた。
次の日、ユウナは目を覚ますと義輝は出かけたあとのようだった。そして、昨日のことを思い出した。あの顔を見て、何もないはずがない。実際、この目で取引が行われるところを目撃したのだ。あの金は、いったいどこへ持っていくのだろうか。ユウナは、自分の部屋で考えていた。すると、ラインの着信音がきこえた。ユウナは画面を確認すると案の定、ミカからであった。そこには、「ユウナ、今すぐ来れる?」とだけ表示されている。何かわかったのかと思い、ユウナは急いで着替えて家を出た。
月見里家に行くと、千花はこう言った。
「あれは、ヤクザよ!」
「いや知ってるから」
ミカがまたツッコんだ。ユウナは、
「じゃあやっぱり、あのお金は……」
と呟くと、千花は言った。
「たぶん、拳銃とか買う資金だと思う」
「でも、なんで義輝君に渡したりしたの? そんなの、自分たちで保管しとけばいいじゃん」
ミカが言うと千花は、
「でも、もしもそこのグループが狙われたら終わり。だから、一般人を利用してるの。もしもそこが襲われても、お金はほかのところにあるから大丈夫ってわけね。とりあえず、口外したら殺すって脅しとけば誰も安易に口を開こうとはしないし」
と言うので、ユウナは目を丸くした。あまりにも酷すぎる話だ。
『ほっといてくれよ』
義輝は、ずっと我慢していたのだ。あの顔は、ある種のエスオーエスサインだったのかもしれない。もっと早くに気づいてあげられなかった自分が、情けなく思った。
「どうしよう……。まさかこんなことになってるなんて……」
「大丈夫だって、警察に写真持っていけば大丈夫っしょ」
ミカは、ユウナを安心させるように言った。しかし千花は、あまり芳しくない顔をした。
「でも、これ持っていったからって動いてくれるかはわからない」
「なんでよ?」
「たしかに多少の手がかりにはなるかもしれないけど、決定的な証拠が映ってないの。だから、いくら最強と呼ばれた私でもこれ以上はどうすることもできない」
千花の話をきくとユウナは、
「私……、あの子に何て言えばいいのかわからなくて……。最近、表情が怖いの。前までは、もっと優しい表情だったのに、帰ってきたら変わってた」
と、下を見つめながら話した。そして、ユウナの目から涙が伝った。そうすると千花がユウナの手を握り、こう言った。
「大丈夫。てる君を助けられるのは、お姉さんだけだから。てる君を信じてあげて」
ユウナは、その手を握り返した。そして少し勇気が出てきたのか、頷いた。できるだけのことをやる、それは同時に自分にしかできないことなのだ。義輝は、きっと誰かの助けを待っている。かつて自分もそうであった。救いの手が差し伸べられたのは、きっと偶然ではなかったのだろう。
何かできることはないかと、駅のベンチに腰かけてユウナは考えていた。
「こんなとこで何してんだ」
しばらくして、不意に誰かから声がかかった。それをきいて、ユウナは顔を上げた。目の前には、大輝が立っている。
「大ちゃん……」
「なんか浮かねえ顔してるな、何かあったのか」
「大ちゃんこそ、大変だったんだね。お父さんのこと、ミカからきいて……」
すると大輝は遠くを見つめながら、
「まぁな……」
と、答えた。大輝は大学の入学式の直前、父が事故で亡くなり、今は母の実家である村上家に引きとられている。
「交差点で倒れてた人を助けようとして、トラックにはねられたんだ。即死だった。人助けだっていっても、自分が死んじまったら洒落になんねえからな。俺も、あんま人のこと言えねえけど……」
それをきいて、ユウナはハッとした。義輝は助けを求めているわけではない、関係のない人間を巻きこみたくないだけなのだと。
「って、お前さっきから元気ないじゃん。何かあったんだろ」
やはり、大輝の目は誤魔化せない。それもそのはず、小さいころからずっとユウナを見てきたのだ。ユウナは、大輝になら言っても大丈夫だろうと思った。
「実は……」
ユウナは、大輝に真実を伝えた。昔、よくユウナの家に行っていた大輝は、義輝とも親しかったのだ。大輝はその後、ユウナの家に行った。
大輝は千花が撮った写真を見せながら、
「これ、お前なんだろ?」
と言うと義輝が、
「何だよこれ……」
そう言って、写真を手に取った。ユウナも、
「ごめん。友達にお願いして、調べてもらったの」
と、伝えた。
「何があったのか、教えてくれるな?」
大輝も、昔から義輝を知っている分、できるだけ助けになりたかったらしい。
「兄ちゃんには関係ないだろ」
義輝はそう言うと、写真を置いてそっぽを向いた。
「最近はここら辺も治安が悪いからな、あちこちで暴力団関係の事件が起きてる。わかるか、お前、そいつらに利用されてんだぞ?」
「俺も、そんくらいわかってんだよ! でも、どうしてもってあいつが……」
義輝が言うのでユウナは、
「あいつって、美希さんのこと?」
と、きいた。それをきいて、義輝はユウナの方を見た。そして、ユウナは続けた。
「美希さんは、いい人だよ。でも、怖い人たちが後ろについてるって考えたら、また話は変わってくる」
義輝は下を向いた。すると大輝も、優しく言った。
「あのな義輝。あんまり自分一人で何とかしようって思わない方がいいぞ」
すると義輝が、
「うるせえな! いくら兄ちゃんでも、俺の気持ちまではわかんねえんだよ!」
と言い、立ち上がった。そして、今度はユウナを見るとこう言った。
「あと、姉ちゃん。もう二度と余計なことはすんな」
そして義輝は、家を出ていった。残されたユウナと大輝は、しばらく黙りこんだ。そうすると、大輝が不意に溜息をつく。
「俺もあいつのこと、弟みたいに思ってきたから、何かできると思ったんだけどなぁ。やっぱり、あいつ自身が素直にならねえとダメみてぇだ」
「どうしよう、私。もしも義輝に何かあったら……」
ユウナの不安は、増すばかりだ。相手が相手ゆえ、どうすることもできなかった。すると大輝が立ち上がり、ユウナの肩に手を置くとこう言った。
「まぁ、大丈夫だろ。お前もどんなピンチになったって、なんとかくぐり抜けてきたんだからさ。そんなお前の弟だ、もっと信じてやれ」
「そんな簡単に言わないで。だって、向こうは……」
ユウナが言いかけると、
「俺はあいつとお前を信じる」
と、大輝が言ってくれた。ユウナはそれをきき、少し冷静になった。
「あいつを救えるのは、お前だけなんだからさ」
大輝は背を向けてそう言うと、またふり向いて笑顔を作った。ユウナには、まだそれがわからなかった。いったい、どうすればよいというのだろうか。
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