ユウナは初子の手伝いを済ませ、夕飯を机に並べた。
「じゃあ、先輩呼んできますね」
ユウナはそう言って立ち上がろうとすると、初子が止めた。
「あぁ、いいよ。さっき電話かかってきてね、今日は食べて帰るそうだ。今朝は外食しないって言ってたくせに、まったく勝手だよ」
初子は、ブツブツ言いながら座った。それをきいてユウナは、まだ昼間のことを怒っているのだろうかと考えた。本当に真宏やアニ研の部員たちを疑っていたわけではないが、それでももっと適当な言い方があっただろうと、あの時の言動をまた悔やんだ。その時、犬の遠吠えがきこえてきた。きっとペロだろう。ユウナは後ろをふり向くと、襖の向こうで、ペロが月に向かって吠えている。それは、まるで真宏に向かって吠えているような、そして少しだけ、寂しがっているような姿に見えた。初子が、
「うるさいね〜」
と言い、襖を締めた。そしてユウナも我に返り、真宏にどう謝ればよいのか頭を悩ませていた。
翌朝、ユウナは大学へ向かった。
『もうすぐ、理想的な世界が出来上がる。こんなところで、つまずくわけにはいかないんだ』
正彦の言葉が、一定間隔置きに脳裏に浮かんだ。ユウナは正彦を助けたいと思うあまり、逆に真宏とその仲間を傷つけてしまった。
『もしもお前がアニ研の連中を疑ってるってんなら、俺は許さねえぞ』
あの言葉も、今もユウナの頭の中で鮮明に記憶されていた。アニ研の部室まで来た時、ユウナは入ることをためらった。もし真宏が、昨日のことを星見たちに話していたなら、星見たちとも顔を合わせ辛くなる。ユウナは結局、その場を離れた。その代わりに、正彦の研究室へ行くことにした。正彦や美千子なら、きっとまたユウナの相談に乗ってくれる。ユウナはそれを期待し、研究室を訪れたのだ。
ユウナは部屋をノックした。しかし、返答はない。留守かと思い、確認のためにガチャリとドアを開ける。中は暗く、やはりそこに正彦やアカネの姿はない。その時、ユウナはあることに気がついた。セインツ・パラダイスへの入り口が、破壊されていたのだ。別のドアも壊され、中のコードがはみ出している。ユウナは思わず、それに駆けよった。いったい誰がこんなことを……。すると、足音が近づいてきた。ユウナは戸惑い、咄嗟に机の陰に身を潜めた。そしてドアが開き、中に二人が入ってきた。
「ここが、私の研究室だ」
「はい」
それは予想通り、正彦だった。しかし、もう一人がわからない。
「わぁ、中って意外に広いんですね」
「あぁ。私は数年前から、ここで研究を進めている。まだ公表はできないが、じきに完成する。君も、誰にも言わないと誓ってくれるね」
「はい」
その会話をききながら、ユウナはただ固まっていた。しかし、いつまでもここに隠れているわけにもいくまい。ずっと同じ姿勢を続けていたせいか、膝が机の脚に当たった。それをきき逃さなかった正彦が、
「誰だっ!」
と言うと、ユウナはしまったと思ったが、勇気を持ってそっと立ち上がった。
「ユウナ君……」
正彦がユウナを見て呟くと、ユウナも気まずそうにお辞儀をした。
「何をしていたのかね」
「あ、教授にお話があって来たら、足音がきこえたので……」
すると正彦は笑い、
「そうか。そうだった、君に紹介したい子がいるんだ」
と言い、後ろを向いた。そこに立っていたのは、ユウナよりもやや背が低い女子だった。
「今年、私の学科に入学してきた一回生だ。ええと、名前は……」
正彦が言いかけると、その女子は自ら進み出てきてこう言った。
「
「は、はぁ……」
ユウナはそれをきき、少し戸惑ってしまった。するとユウナは、あることに気がついた。ヒロインという一回生のその女子は、演劇部で見た女子と体格や容姿が似ていたのだ。
「あの……。もしかして、演劇部の……?」
「えっ、先輩見てくださったんですか!?」
ヒロインが嬉しそうに言った。やはり、ヒロインは演劇部で見たあの一回生だったのだ。それにしても、まるで舞台をやることを望まれてつけられたような名前だと思った。
「これから、彼女にも私の研究の手伝いをしてもらおうかと思ってね。君も、どうか仲良くしてやってくれ」
正彦に言われ、
「はい」
と、ユウナは答えた。ヒロインもユウナを見て、
「先輩、これからよろしくお願いしますね」
そう言うのだった。まるで演劇の時とは打って変わって、どこか間の抜けていそうで、無邪気な表情をしている。ユウナがヒロインに、
「よろしくね」
と言うと、正彦がこう言った。
「これから、ここに皆を集めようと思うんだが、君たちも是非参加してほしい」
それをきくとユウナは、
「あの、私も話があってきたんですけど」
と言うと正彦は言った。
「すまんが、あとにしてほしい。大事なことだからな」
ユウナは仕方なく、
「わかりました」
と、答えた。
やがて、研究室にはアカネやアニ研部員たちが集まった。その中には、真宏の姿もあった。ユウナはやはり、真宏を直接見ることができなかった。そして、正彦が部屋に戻ってくるのを待った。
やがて正彦が、ヒロインを連れて入ってきた。
「紹介しよう。新しい助手、一回生の梁谷ヒロイン君だ」
正彦が、ヒロインを皆に紹介した。するとリンが隣にいるユウナに、
「ねぇ、あの子って演劇部じゃない?」
と囁くので、ユウナも黙って頷いた。するとヒロインが皆に言った。
「初めまして、至らない箇所も多いと思いますが、どうかよろしくお願いします。因みに、主役って書いてヒロインです!」
ヒロインが言うのをきいて、アニ研の部員たちは名前について互いに囁き合った。キラキラネームにも程があると思われるのは、当然のことであろう。しかしヒロインは、特に気に留める様子もなく、正彦の後ろに下がった。そして、皆が黙るのを見計らい、正彦は本題に入った。それは言うまでもなく、今回の一件だ。
「誰かが、私の創った世界を壊そうとしているらしい。それは、コンピュータについてある程度詳しく、そしてセインツ・パラダイスの存在を知っていないとできないことだ」
それに真っ先に反応を示したのは、やはりアニ研の部員たちだった。
「ちょっと、それってうちらを疑ってるってこと?」
夏姫が言うと三宮も、
「ほんまや、今日俺らを呼んだんって絶対それやろ!」
と、いきり立った。
「いや待て、それは誤解だ。今日君たちを召集したのは、決して君たちを疑っているからじゃない」
「じゃあ、何なん?」
「ゲーム世界に入り、中で何が起きているのか調べてほしいんだ」
正彦が言うのをきいて、皆は互いに顔を見合わせた。
「犯人の尻尾さえつかめれば、あとはこちらでどうにかする。やってくれる者はいないか」
正彦はそう言い、挙手を求めた。しかし、手を挙げる者はいない。それどころか、部屋の中は静まり返ってしまった。正彦は最初から結果がわかっていたのか、
「……わかった。今日は、これで解散とする」
とあっさり言うと、部屋を出ていってしまった。ユウナも、それをまじまじと見つめていたのだった。
皆が部屋から出ていくと、真宏の後姿がユウナの目に入った。
「あ、あの!」
ユウナが思いきって声をかけると、真宏は足を止めた。
「先日は……、その、すみませんでした」
「……所詮はあのオヤジの言うことだからな」
「えっ?」
ユウナは、真宏の言葉に戸惑いを覚えた。すると真宏はふり向いて、こう続けた。
「お前も、あいつの言うことを百パーセント信じるなよ」
そして真宏も、部屋を出ていくのだった。その時、それが何を意味しているのか、ユウナにとっては皆無だった。真宏は、やはりまだ許してくれていないらしい。ユウナが立ち止まっていると、リンが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「えっ? あ、ううん。何でもないよ」
ユウナは咄嗟に誤魔化すと、
「どうしたんですか?」
とヒロインも、ユウナのところに来るなりきいてきた。ユウナは戸惑いを隠せなかった。
「今のって、部活の先輩とかですか?」
「あ……、うん」
「何部なんですか?」
「アニメーション研究会っていって、もともとはサークルだったんだけど、去年部活として正式に認められたの。あの先輩は部長で、その部活の設立者」
「しかも同じ民宿に住んでるんだもんね〜」
ユウナが説明すると、リンが言った。すると、ヒロインがこんなことを言ってきた。
「じゃあ、中谷先輩ってあの人のこと好きなんですか?」
「えっ?」
「だって、同じところに住んでるってことは、きっとそれだけじゃないですよね。絶対、何かありますよね」
「何かって……、何もないよ」
「またまた~、そんな感じでしたよ。さっきの顔」
ユウナはそう言われ、先程のことを思い出そうとした。ユウナはこれまで、真宏に対してそのような感情を抱いたことはない。ユウナが言おうとした時、ヒロインが時計を見てこう言った。
「あっ、もうこんな時間。部活行ってきますね」
そして、ユウナの話をきかずに行ってしまった。その様子をずっと見ていたリンが、
「バッカじゃない?」
と、言った。
「えっ?」
ユウナはリンを見ると、リンは言うのだった。
「あぁいうタイプが一番嫌いなんだよね」
「どうして?」
「人のこと知ったように言って、間が悪くなったらすぐ逃げるじゃん。何考えてんのって思うんだよね。しかも演劇部の活動日って今日じゃないし」
「え、そうなの?」
「うん、貼り紙見てきたから」
体育館には、たしかそこを利用する部活動の活動日が掲示されていた。
「ユウナも、気にしないでいいよ。ユウナが先輩に対してその気がないなら、あんなやつ無視っとけばいいんだからさ」
「ありがとう」
ユウナも、笑顔で答えた。
しかし帰り道、ユウナはどうしてもそのことが頭から離れなかった。
『中谷先輩ってあの人のこと好きなんですか?』
実際、ヒロインに言われるまでは意識したことすらなかった。思い返せば、高校の時にも似たようなことがあった。
『ねぇ、ユウナは誰が好きなの?』
ミカにきかれ、ユウナは食べ物を喉に詰まらせた。
『ユウナちゃん、好きな人おるの?』
『い、いないよ』
アカリにもそうきかれ、ユウナは咄嗟に答えた。それにさらに追い打ちをかけるように、ミカが言ってきたのだ。
『でもさ、気になる人はいるでしょ?』
『べつに……』
『もぉ、言っちゃいなよ!』
やはり、自分は顔に出やすい性格なのかもしれないと、ユウナは徐々に認め始めた。
ユウナは、気晴らしに京都に行った。駅前のショッピングモールの前は、夕方は多くの人で賑わっていた。ユウナが歩いていると、後ろから不意に声をかけてくる者がいた。
「おや、またまた偶然だねぇ~」
ふり向くと、雅也がレイカを連れて歩いてくる。
「こんにちは」
ユウナも、そう言って挨拶をした。
「今日はどうしたの、夏服でも買いに来たのかな」
雅也はいつもと変わらず、笑いながら言った。
「い……、いえ、少し気分転換を……」
「何々、授業が忙しいの? それとも部活?」
「え、まぁ……」
「じゃあよかったらさ、これから三人でお茶しに行かない?」
「でも、いつも悪いです」
ユウナが断ろうとすると、雅也がふり返ってレイカにきいた。
「なぁ、いいだろ」
「私、これから大学に資料取りに行かなきゃいけないから」
「なんだよ、今日じゃなくてもいいだろ」
雅也が言うと、レイカは無視して歩いていってしまった。
「レイカ!」
雅也が呼んでも、レイカはふり向かなかった。
「いやぁ、ごめんね。なんか毎回。それより、これから何か用事あった?」
「いえ、特には……」
「じゃあ、ちょっと付き合ってもらえるかな」
「はい。でも、今度は私に奢らせてもらえませんか」
「えっ、いいけどどうして?」
「いつも、お世話になってますから……」
ユウナが少し恥ずかしそうに言うので、雅也も優しく笑った。
「君は本当にできてるね。いいお嫁さんになれるよ」
雅也の言葉をきいて、ユウナはさらに恥ずかしくなっていった。
そして、二人は近くの喫茶店に入った。
「今日は、妹さんとお出かけだったんですか」
ユウナが尋ねると、雅也は言った。
「あぁ、映画誘ったんだよね。今流行ってるやつ」
「そうなんですか」
「君は? さっき気分転換って言ってたけど、何かまた困ってるの?」
「えっ、あ、授業が大変で……」
ユウナはなるべく顔に出さないように、そう言って誤魔化した。
「そちらは、何かあったんですか?」
「あ、うん。実はね……、僕って雑誌社に努めてるわけじゃない。それで、上司の人から、外国での取材を頼まれちゃってね」
「外国、ですか?」
「あぁ。今、内戦してる国があるよね。飢えに苦しみ、毎日に怯えてる人がいる。それを、取材してきてほしいんだってさ。実は僕自身、すごく迷ってるんだよ」
「危ない、ですもんね」
ユウナが言うと、雅也はこう言った。
「それだけじゃないんだ」
「えっ?」
「あ、いや、何でもない」
雅也は窓の縁に肘をつくと、外を眺めていた。その表情は、今までの雅也とは思えないほど悲しそうな表情だった。しばらく沈黙が続き、段々と気まずくなってきたのを感じたユウナは声をかけた。
「あの……」
「あ、ごめんごめん。なんか重くさせちゃったね」
雅也が笑うのを見て、ユウナも少し安心した。悲しそうに見えたのは、きっと気のせいだったのだろう。すると雅也が、ユウナに尋ねてきた。
「君は、人は一度の間違いで、人生が台無しになると思うかい?」
ユウナは、返答に困った。なぜ彼は、自分にそんなことをきいてくるのだろうか。
「僕は、人は間違えてこそ成長するものだと思うんだよね。間違うことのない人なんて、いないと思うから。それをどう乗りきるかが、大切なんだと思う。でも、その術を知らない人間は、一生報われない気がする」
雅也は、また悲しそうな顔になった。それを黙ってきいていたユウナは、もしかすると雅也には人に言えないような過去があるのかもしれないと思った。ユウナは、そのことをとてもきくことができなかった。
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