2015年4月。ここは龍山大学。日本が誇る、名門私立大学の一つである。ここでは毎年、前期授業が開始される前に学部学科ごとに教諭が集まって会議を開き、近況や今後について話し合うのだ。正彦もまた、本来ならばその会議に出席しなければならないが、ここ数年は研究に没頭していたため、出ていなかったのだ。もっと言えば、あまり自分の研究についてほかの教員に知られたくなかったのである。しかし、しばらく出席していなかったこともあり、正彦は今年、出席することになった。そして、教諭ごとに研究内容を発表していく。
「え~、私は宇治川の生態系について今後も調査を……」
「物体が消える速度について……」
教授たちの発表が、しばらく続いた。そして、正彦に順番が回ってきた。
「それでは横大路先生、よろしくお願いします」
司会の教授が言った。それをきき、正彦は立ち上がった。
「え~、では僭越ながら、私から発表させていただきます。私は今、新しいゲームを開発しております」
「おぉ……」
正彦が言うのをきいて、教授たちからは驚きの声が上がった。
「それは、どのような?」
一人にきかれ、正彦は答えた。
「はい。まあ言いますと、体験型ゲームです。本当にゲーム世界にいるような、そんな気分を味わえるのです」
「なるほど……、ではもっと詳しくきかせてください」
「いえ。これ以上は、お伝えすることはございません。まだ、開発途中の段階でして……」
「開発途中でも、どのようなゲームなのかもっと詳しく説明できるでしょう。それか、秘密にしていることでもおありなんですか?」
司会の教授から、正彦に疑いの目が向けられる。
「いや……、えぇ、それは……」
「横大路先生はここ数年、会議に出席しておられませんよね? 私たちに知られたくないことがあるから、いつも欠席していたのではないですか?」
すると、ほかの教授たちからもこのような声が飛び交った。
「最近は部屋に閉じこもりきりで、授業以外ではまったく見ないと学生もアンケートで答えてましたし……」
「研究室への訪問が許可されているのは、奥様だけだとの噂もあります」
それをきいて、正彦はギクリとした。
「本当に、何もないんですか?」
「いや、私は……」
「ならば、一度見てみたいものです。今言ったことが違うというのなら、見せられるはずだと思うのですが。今度、私たちであなたの研究室を訪ねさせていただきましょう。べつに、構いませんよね?」
正彦は仕方なく、ゆっくりと頷いた。大変なことになってしまった。正彦は、心の中で激しく動揺していたのだ。
第二十六回
前期授業が始まり、ユウナは三回生になった。卒業まであと二年、そろそろ卒業論文のテーマ決めをしないといけない。ユウナは、これまで以上に授業に集中した。勉強内容も一気に難しくなり、ゼミでも研究室での授業がほとんどになった。正彦が機械を動かし、ユウナはその様子を見て必死にメモしていた。
授業が終わると、ユウナは正彦の研究室に残った。
「教授、お疲れ様です。あの、私、これから卒業論文に向けてテーマを決めようかなって思うんですけど、何をしたらいいかわからなくて……。すみませんが、もし過去のものがあれば、ぜひ見せてほしいんですが……」
ユウナは、机を片付けている正彦に言った。
「あ、いや。すまんね、後にしてはもらえないか?」
「はい。では、失礼します」
ユウナは出ていこうとすると、急に正彦に呼び止められた。
「ユウナ君」
ユウナがふり返ると、正彦はこう言った。
「少し、私の話をきいてくれないか。あと、みんなを呼んできてくれ」
「はい……」
ユウナは答えると、何事かと正彦を見つめていたのだった。
その後、助手やアニ研の部員たちが部屋に集まった。皆は何があったのかと、話をしている。ユウナはその時、嫌な予感が頭の中を過ぎった。そうすると、正彦が部屋に現れた。
「皆に、きいてほしいことがある」
正彦は、皆を見つめながら話した。
「何や? また、セイパラが荒らされたとか?」
「そんな話やったら、うちら何もできひんで?」
「そうよ。私、これから大学院の授業あるんだから!」
三宮、夏姫、侑李が言った。しかしユウナだけが、正彦の様子を見て何かを感じていた。
「いや、違うんだ……。実は……」
正彦は、皆に現状を伝えた。
「はぁっ!?」
「研究がバレた!?」
皆は正彦の話をきくなり、身を乗り出して正彦を問い質した。
「いや。まだ、バレたわけではない。しかし、もう言い逃れはできんだろう。あの世界が、セインツ・パラダイスの存在が知られては、否応なしに発表させられる。そうなればきっと、世間が取り立ててくる。そして私は、研究どころではなくなる。だから、どうにかできないものかと君たちに集まってもらったんだ」
それをきき、皆は顔を見合わせた。
「でも、そんなん言うたって……、ムズない?」
「ほんまや、ほかの先生らが、絶対来る言うたんやろ?」
ユウナも、正彦の大切にしてきた世界がこのような形で終わりを迎えることに、悔しさを覚えた。すると、三宮がこのような提案をした。
「そうや! 風邪ひきました~って言うたらええんちゃう?」
「しらこっ! 仮病とか絶対バレるやん、小学生か!」
「なんやと?」
夏姫に即否定され、三宮は言い返していた。そうすると、後ろの方から手が上がった。
「あの!」
皆がそれをきいてふり返ると、そこにはヒロインがいた。
「引越し、したらどうでしょうか」
「引越し?」
皆は、互いに囁き合った。ヒロインは続けて、
「研究道具をどこかに移して、お見せしてもいいようなものだけをここに残したらいいと思います。そうしたら、あの世界のことを知られる心配もないですし……」
と、言うのだ。
「けど、そんなん言うても当てあるん?」
「引越しってだけでも、俺らだけでやらんなあかんしなぁ」
「業者にも頼めないんじゃ、ちょっと大変かも……」
皆は、頭を抱えこんだ。引越し自体は名案だが、今すぐにとなると部屋を借りる費用、そして機材などを大学の外に運び出さないとならない。大学側に内緒でするとなると、さらに話がややこしくなる。それは大学の敷地以外に、引っ越さなければならないためだ。どうしたものかと、正彦も悩んでいた。その時、
「方法ならありますよ、お父さん」
という、声がきこえた。そしてドアが開き、ある青年が入ってきた。灰色の背広を着て、眼鏡をかけている。見る限り、歳は二十代後半くらいだろう。正彦がその青年を見ると、
「帰ってきていたのか」
そう言った。
「はい。今朝空港に着いて、先ほど帰ってきました」
その青年は、正彦を見て答えた。
「あの、お知り合いですか?」
正彦に、おし美がきいた。
「あぁ……。私の息子、真司だ」
正彦が答えると皆は、
『はぁ!? 先生の息子!?』
と、見事に声を揃えて言った。ユウナも、目を丸くしていた。正彦から、そのような話などきいたこともなかった。てっきり、家族は妻の美千子だけだと勝手に思いこんでいた。それでもよくよく考えてみると、正彦と美千子はそれなりの歳であるため、子供がいてもなんら不思議ではない。
「どうだった、アメリカの学校は」
正彦が息子の
「えぇ、素晴らしかったですよ。授業をきいていても、あちらのやり方はかなり進んでいて、日本はだいぶ遅れているんだと思いました」
「そうだろう。お前を留学させて、心底よかったと思っている。私も、自分の研究にやりがいを持てるようになった。このままではだめだ、日本はもっと進化しなければならない。そう思えたのかもしれない」
「そうですね」
ユウナをはじめ、そこにいる学生たちは二人が何を話しているのか理解できずにいた。それでも二人は、お構いなしに話を続ける。
「私は、もっと広い世界を見てみたい。見る世界が変われば、考え方も変わる。私は今まで、そう信じてきた。そしてこれからも、その考えを曲げることは決してない」
正彦が言うと、真司もこう返した。
「それは私も同じですよ。私はアメリカに留学し、己の視界の狭さを恥じました。でも、この経験は決して無駄にはならないのだと、そう思えました。そしてこれから、私は技術者として、日本の発展に尽くしたいとも思えたんです」
「この二年間で、考えが変わったのか」
「はい、もちろん変わりましたよ。あの時、お父さんが私に言ったことも、今となっては理解できる気がします。この経験を未来に生かし、視野が狭かったあの頃の自分に、蹴りをつけたいのです」
「真司……」
「お父さん……」
(なにコレ……)
ユウナの耳元では、リンが囁いた。すると、正彦は再び皆の方を向いた。
「みんな、今日はご苦労だった。これで、解散とする。引越しの件、しばらく考えておく。事が決まり次第、すぐにでも連絡をする。では、解散! それから、ユウナ君、アカネ君、ヒロイン君は残ってくれ。今後について、少し話し合いたい」
そして、その日は解散となった。皆は雑談をしながら、部屋を出ていった。ユウナはその場に立っていると、不意に誰かに肩を叩かれた。見ると、真宏だった。真宏は何も言わず、そのまま部屋を出ていってしまった。それが何を意味していたのか、その時のユウナにはよくわからなかった。
その後、静かになった部屋では美千子が皆に紅茶を入れた。正彦が前に立つと、
「これから、例のことについて話し合いたい」
と言った。すると、
「待ってください」
そう言いながら、真司は立ち上がった。
「彼女たちの意見も、きき入れるべきです。一方的に話を進めるのは、お父さんの昔からの悪い癖です」
「私は、ちゃんと彼女たちに意見をきいた。そして出たのが、引越しという案だ」
「もっと、ほかにきくべきことがあるでしょう。そこのところ、お父さんは昔から何も変わっていませんね」
「なに~?」
正彦がついムキになると、ユウナが二人に声をかけた。
「あの……」
すると正彦は気がつき、
「あぁ、すまんね。恥ずかしいところを見せてしまった……」
そう言うのでユウナが、
「いえ……。それより、お二人の詳しい話をきかせてもらえませんか」
と、言った。
「詳しい話?」
「はい。今のところ、親子だということしか認識がなくて……」
ユウナが言うのをきき、二人は口ごもった。それを見ていた美千子が来て、ユウナにこう話すのだった。
「実はね、真司は昔、正彦さんがパラダイス学科を立ち上げる前、所属していた学科にいたの」
「えっ、そうなんですか?」
「えぇ。それも、正彦さんのゼミにね。そこの大学院を二年前に卒業して、今年の春までアメリカの短期大学に留学していたのよ」
「そう、だったんですね……」
ユウナは、正彦を見た。正彦は恥ずかしそうに、
「まぁ、そんなところだな……」
と言った。
「でも、なぜ留学なさろうと思ったんですか?」
ユウナが尋ねると、真司は答えた。
「実はね、もともと留学する気なんてなかったんだよ。でも偶然、そこの大学のことが書かれた記事を見つけて、もっといろいろな世界を見てみたいって思ったんだ。だからこそ、留学することにした。お父さんも、あっさり賛成してくれてね」
そうすると美千子が、水を差すような発言をした。
「私は、最初は反対だったけどね」
「えっ、どうしてですか?」
「お母さんは、心配なんですよ。向こうの食べ物は体に悪いだろうとか、英語は話せるのかとか……。でもそれは、私のことを気にしてくれていたんですよね」
「えぇ、まぁ……」
それをきいて美千子は、少し顔を赤く染めた。
「それだけで、十分励みになりましたよ。でも私は、あちらの生活が無駄だったとは思いません。多くの人々と触れ合い、多くのことを学びましたから」
「それもそうね……」
美千子は、そう言って笑顔を見せた。ユウナはそれを見て、少しだけ羨ましく思った。家族の愛が、ひしひしと伝わってくるようだ。たまらず、声に出した。
「素敵な……」
「素敵な家族ですね」
ユウナは言いかけると、先にヒロインが言った。それをきいて、ヒロインだけでなく、アカネやリンも同じことを思ったのだろうと、ユウナは思った。そして正彦がようやく、本題に入った。ユウナたちを見ながら、
「え~、それではさっきの話に戻ろう。引越しという件だが、本当にそれでいいか?」
と、最後の意見を求めた。アカネが、
「でも、みんなも言ってた通り、うちらだけで運び出すとなると、人手が足りひんくなる。しかも男子より女子の方が人数多いから、機材運びも難儀すると思う」
そう言うので、皆は考えていた。すると、ある声が上がった。
「私がなんとかしましょう」
真司だ。正彦は真司に、
「当てがあるというのか」
ときくと、真司は答えた。
「お父さんはお忘れかもしれませんが、同じゼミに引越屋の長男坊がいたんですよ。彼に連絡をとれば、どうにかなるかもしれません」
「けど、他人に頼るのはちょっと……」
アカネが拒絶しようとすると、真司はこう言うのだ。
「ご安心ください。車を借りるだけなので、運ぶだけならここにいる人たちだけで大丈夫でしょう。如何ですか、お父さん」
真司は正彦を見つめながらきくと、
「あぁ……。構わんよ」
と、正彦は答えるのだった。
「それでは早速、連絡しておきますね」
真司は言うと、部屋を出ていった。ユウナは、真司を頼もしく思った。神様がこの危機に、助っ人を送ってくれたのだろうか。そして、研究室引越し大作戦がついに幕を開けるのだった。
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