数日後、正彦の研究室がある棟の周りに、皆は集まった。また正彦が前に立ち、
「これから、中にある機材を運び出す。男子諸君は、それらを運び出すのを手伝ってくれ。女の子たちは、段ボールにファイルを詰めてくれ。それでは、これから作業にとりかかる!」
そう指示すると皆は気合を入れたように、
「はい!」
と元気よく返事をし、中に入っていった。部屋の中では、皆が活き活きと働いている。それを見て、ユウナも嬉しくなった。
「なぁ、これ何~?」
「あ、それこっち入れて!」
「それより、先に誰かこの機械運んでよ」
アニ研の部員たちは、そう言いながら和気藹々と作業を進めている。ユウナは一年の時、初めてこの部屋に来た時のことを思い出した。
『何か用かな?』
『はい。この子が、教授に話があるそうです』
『おぉ、君か』
アカネにいきなり連れて来られ、かなり戸惑ったことが鮮明にユウナの頭の中に残っていた。あれから、ユウナは正彦のところへ行くのが楽しみになった。手伝いをしていると、現実のことをしばらく忘れられるような気がした。それは厳密に言えば、あまりいいことではないのかもしれないが、それでもユウナはここにいる時が楽しくて仕方なかったのだ。それでも、いつまでも思い出の中に浸っている場合ではない。早く引越しを完成させなければ、ほかの教授たちが来てしまう。ユウナも、棚にある資料を急いで段ボールの中に詰めこみ始めた。
その様子を、ゲームの中から見ている者がいた。そう、サタールだ。薄暗い城の中で、スクリーンで現実世界の様子を見ていた。
「やつらが動いても、我々がここにいることは変わらない」
サタールは、そう言いながら立ち上がった。そうすると後ろからフギンが来て、
「現実世界のことは、あんたが一番よく知ってるだろ。これからどうする?」
ときいてくるので、サタールは答えた。
「まだ焦って行動することはなかろう。じわじわ相手の心をあぶり出していくのもまた、私のスタンスだ」
サタールはフギンの方をふり向き、そしてまた笑った。
「お好きなように。俺はあんたの言うことをきいとけばいいってだけだからさ」
フギンは言うと、プテラドスに乗って城の外に飛び去ってしまった。
「さぁて、お次はどんなことをしてあげようか……」
サタールは一人でそう呟くとまた、薄笑いを浮かべていたのだった。
夕方になり、粗方の荷物が積み終わった。ユウナは、最後の書類を段ボールに詰めていた。必要な書類は段ボールの中に入れ、不必要な書類はビニール袋の中に入れる。そして、もうほかに入れるものはないか、部屋を一通り見回した。戸棚はほとんどが空になって、残っているのは昔のものばかりである。少しファイルなどを残しておかないと、教授たちが来た時に引越しの件がわかってしまうからだ。ユウナは最後の段ボールを抱え、部屋を出ていこうとした。そうすると、正彦の机の上に紙が置いてあるのが目に入った。ユウナは気になり、それをその場に置くと、そこへ見にいった。紙は裏返しになり、何が書かれているのだろうと、その紙を手に取ってみた。それを見たユウナは、
「これ……」
と呟き、愕然とした。そこにはユウナの顔写真、そして今までの経歴が書かれていた。なぜこのようなものがここにあるのか、まったくわからない。すると、
「もう準備できたで?」
と言いながら、アカネが入ってきた。
「ほかにいれるもんない? あ、これが最後やな。じゃあ持ってくで?」
アカネはそう言い、ドアの前に置いてあった段ボールを抱えた。ユウナは咄嗟に、見ていた紙を隠した。すると、その場で立っているユウナにアカネが、
「ん、どしたん?」
と、きいた。ユウナは急いで紙を机に置くと、
「あ、何でもないです。今から行きます」
そう答え、動揺を隠しながら出ていった。アカネはユウナが去ると、机の方を向いた。そこには、数枚の紙が伏せて置いてあった。
トラックの前には、数人の部員と真司が待機していた。
「もういいかい?」
真司がユウナに尋ねると、
「あ、まだあとひと箱あるので、もう少し待ってください」
と、ユウナが答えた。するとすぐに、
「お待たせしました!」
と言いながら、アカネが来て真司に箱を渡した。その箱を積み終え、真司はトラックの扉を閉めた。そのトラックは、やがて出発していった。しばらくして、見覚えのある車が目の前に来た。ユウナは驚いていると、窓が開いて雅也が顔を出した。
「やぁ、乗せていくよ」
「雅也さん、どうしたんですか?」
ユウナが不思議そうにきくと、建物から美千子が出てきた。
「私が呼んだのよ」
「美千子さんが?」
「えぇ。引越しのお話したら、是非手伝わせてくれって」
「そうだったんですか」
「君のためなら何だってするよ。さぁ、乗って」
雅也が言うので、ユウナは乗ることにした。
「アカネさんは?」
ユウナがアカネの方を見ると、アカネは遠慮したようにこう言った。
「うちは、ええわ」
「でも……」
「いいって。また、今度行くし」
「そうですか……。では、お疲れ様です」
「お疲れ!」
ユウナは、雅也の車に乗った。そして、雅也はアクセルを踏んだ。ユウナは景色を見ながら、さっきのことを思い出した。正彦の部屋にあったのは、ユウナの履歴書だったのだ。なぜ、正彦があのようなものを所持していたのだろうか。ユウナは黙っていると、雅也が話しかけてきた。
「そう言えば、俺の母さん、イギリスに行ったよ」
「鶴ケ崎先生が?」
「あぁ。イギリスの学校で、音楽の教師が不足してるんだって。だから、行くことに決めたんだってさ」
「先生は、とても真面目な方ですから」
「そうなんだよなぁ。妹は、そういう意味では母よりなんだよなぁ」
「妹さん、レイカさんとは最近はどうなんですか?」
「あぁ。昨日も晩飯誘ったんだけど、断られちゃって。やっぱり、忙しいみたいでさー」
ユウナが黙ってきいていると、雅也はこう言うのだった。
「あと、三十分ほどで着くな……」
すると、ユウナは尋ねた。
「あの、さっきから気になってたんですが、美千子さんとは、お知り合いだったんですか? そうだとしたら、どういう経緯で?」
それをきき、雅也は笑って答えた。
「あぁ、ごめんごめん。実は、俺と真司は高校が一緒だったんだよ。だから、おばさんとも顔見知りだったんだ。あいつは関東の高校で、卒業後はおばさんと一緒にこっちに移ってきたんだよ。おじさんも、ずっと単身赴任だったから、息子の下宿も兼ねて様子を見に行こうってことでね」
ユウナは黙っていた。それをバックミラーから見ていた雅也が、
「どうしたの?」
と声をかけると、ユウナは気づいた。
「あ。私、知らなくて……」
「驚くのも無理はないさ。俺も、久々に会ったから。あいつ、アメリカの学校に二年間留学してたんだろ?」
「はい。いろいろと、面白い話もしてくださいました」
「そうか。あいつも苦労したんだろうな……」
そう言っている間にも、雅也はブレーキを踏んだ。ユウナは横を見ると、一戸建ての家が建っていた。形は倉庫のようで、一階建てだった。
「ここ……、ですか?」
「そうだよ」
雅也は答えると、車から降りた。すると中から、真司が出てきた。
「遅かったなぁ」
「お前がちゃんとした地図くれなかったんだろ!」
二人がそう言い合っているので、ユウナは少し戸惑っていると、それを見た真司は、
「いらっしゃい、じゃあ中に入って」
と、優しく言った。ユウナは、
「お邪魔します」
そう言い、中に入った。建物自体は古かったが、中は手入れされており、床などはピカピカだった。ユウナは、しばらく入り口で感動していた。すると、隣に真司が来て言った。
「いや~、中古で買ったから、最初は酷いもんだったよ。中はクモの巣だらけでさぁ」
「お一人でやられたんですか?」
ユウナがきくと、
「俺も手伝ったんだ」
そう後ろにいた雅也が言うので、ユウナはふり返った。
「でも八割くらい俺がやったぞ?」
「いやいや、俺の方が働いた気がする。お前、昔っから人使い粗いだろ。電話かけてきた時も、すごく一方的だったし」
「お前しか頼れそうなやつがいなかったから、仕方なく呼んだんだぞ!」
「お前、上からだな~」
すると、真司と雅也の会話をきいていたユウナから、自然と笑みが漏れた。
「ユウナちゃん、どうしたの?」
「あ、すみません。お二人って、すごく仲がいいんだなぁって思いまして」
それをきいて、真司は言った。
「悪い、実はものすごく仲悪いんだ」
「でも、喧嘩するほど仲がいいって……」
それをきいた雅也が、
「じゃあ、こんな言葉知ってるかい。喧嘩しても仲が悪い」
と言うと、それが喧嘩にさらに火をつけたようだ。
「お前、昔から喧嘩売るの上手いよな~」
真司が言うので、雅也も言い返した。
「お前こそ、一言一句喧嘩腰で言うのはやめろ!」
「なに~」
そろそろまずくなってきたと、ユウナは思った。
「あ、あの……」
そこに運よく車が停車し、中から正彦が出てきた。
「父さん、遅かったですね」
真司が、急に敬語になった。
「いやぁ、コンビニでお気に入りのヨーグルトを買おうと思ったら、なかなかなくてね。五軒目でやっと買えたんだ」
「もう、そんなことは後にしてください。荷物もあと大量に運びこまないといけないんですよ?」
二人はそのような会話をしながら、中に入っていった。ユウナはそれを見ていると、横から雅也が囁いてきた。
「実はあいつ、おじさんの前では態度を変えるんだ」
「どうしてですか?」
「怖いんだろ。おじさん、あいつが幼かったころ、ちょっとでも悪さをしたら家に入れなかったらしいからね」
「教授が……?」
ユウナは正彦の意外な面を知り、驚いていた。中では、正彦と真司が雑談をしている。あの正彦がそのような厳しい親だとは、思いもしなかった。
ユウナはその後、正彦の部屋を訪ねた。そしてドアを開けると、新しい研究室が見える。なかなかきれいだった。目の前には、「セインツ・パラダイス」に続く扉があった。床には、旧研究室から持ってきた資料入りの段ボールが山積みで置いてある。それを、正彦は一人で整理している。
「手伝いましょうか」
ユウナが言うと、
「あぁ、悪いね」
と、正彦は顔を上げた。そして、ユウナも部屋の片付けを手伝うことにした。大半が終わると、正彦はユウナに礼を言った。
「今日は悪かったね、いろいろと手伝ってもらって」
「いいんです。楽しかったですから。それに今日、一番働いたのは教授だと思います」
「私が?」
「はい」
ユウナがそう言うので、正彦は笑った。久しぶりに、正彦の笑顔を見たような気がした。ユウナは、そう思うだけで嬉しくなるのだった。するとその時、あのことがユウナの頭の中を過ぎった。
「あの……、教授。ひとつ、きいてもいいですか?」
「何だい?」
「私、前の教授の部屋で、妙なものを発見したのですが……」
「妙なもの?」
正彦が、怪訝そうにきいた。
「はい。私のことが書かれている紙があったんです。なぜ、あのようなものが教授の部屋にあったのか、どうしても気になって……」
ユウナが言うと、正彦は理解したような表情になった。
「そうか、やはり見られてしまったか……」
「では、あれは教授が用意したんですか?」
「あぁ。そうだ」
「それは、何のために……?」
「何のためかと言われると、少し言い辛いな……」
「もしかして……」
「何だ?」
ユウナは呟くと、正彦がきいた。そうするとユウナは、
「あ、いえ。何でもありません。深く考えちゃいけないって思ってるんですが、どうしても、不安になる時があるんです。教授が、これから何をしようとしているのかも、わからなくなって……。私、少し考えすぎなんでしょうか」
と言い、正彦を見つめた。すると正彦は視線を逸らし、こう話すのだった。
「この世には、必然と偶然が存在する。でも、それがどちらなのか誰にもわからないんだ。今、君がここにいるのは、必然か偶然か、私にもわからない。おそらく、君にもわからないだろう」
「はい……」
「だが、その分、楽しみではある。この先、何が起こるのかわからないからこそ、人生は楽しい。そうは思わないか」
「よく、わかります」
正彦は、再びユウナの方を向くとこう言った。
「君に出会えてよかった。今、心からそう思うよ」
それをきき、ユウナも思った。正彦は、突然誰も予想し得ない突拍子もないことを言う。でもそれが、面白くもあった。正彦と出会ったことが、必然であろうと偶然であろうと、関係ない。今が楽しければ、それでいい。
誰もいなくなった旧研究室では、アカネが最後まで残って掃除をしていた。引越しは、大学の許可を得ずに行ったため、継続的に手入れをしなければならないのだ。アカネは、ふと正彦の机の上を見た。そこに置かれていた紙には、五人の履歴書があった。その中には、ユウナやアカネのことも書かれてあったのだ。アカネは手を止め、しばらくそれを眺めていたのだった。
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