1964年10月。ここはとあるキャンプ場。断崖絶壁の麓にあり、崖には近寄らないことが義務付ける看板があちらこちらに立てられている。そこを訪れた人々は、キャンプファイヤーやバーベキューをして楽しんでいる。そのうちのひとつ、横大路家も例外ではなかった。両親が肉を焼いていると、しきりに台に手を伸ばしている子供がいた。その家の子供、隆文である。すると母親が、
「おや、それはまだ生肉よ。これなら食べられるわ」
と言い、箸で肉を取り、皿の上に乗せると隆文に渡した。
「熱いから、よく冷ますのよ」
母親が言うと、父親も笑った。
「仕方ないなぁ、隆文は」
そこに兄の正彦が戻ってきて、
「あ、僕も!」
と言って、肉を取ろうとした。すると、なんと母親がその手を払ったのだ。
「どこ行ってたんだい! 手伝いもしないで! そんな悪い子には食べさせないよ!」
「働かざる者、食うべからず。何度言わせるんだ!」
父親も、さっきまでとは打って変わって怖い表情で言った。
「でも、隆文は……」
「ほら、すぐそうやって言い訳する! 隆文はまだ五歳なんだから仕方ないけど、あんたはお兄ちゃんでしょ!」
母親は、そう言って隆文を庇った。叱られた正彦は、泣きそうになりながら、向こうに歩いていってしまった。隆文は、それを追いかけた。
「兄ちゃん!」
隆文は、崖の近くの岩場に座っている正彦に声をかける。
「兄ちゃん……、危ないよ」
しかし、正彦はふり向かなかった。二つしか差がないのに、なぜここまで扱いが違うのだろうと、正彦は目に涙を溜めている。それを察した隆文は、正彦に近寄った。
「お兄ちゃん……、ごめんね……」
しばらく互いに黙ると、正彦はふり向いた。そして隆文を見ると、笑顔でこう言った。
「隆文、遊ぼう」
それをきいて隆文も笑顔を取り戻し、
「うん!」
と、頷くのだった。
その後、正彦と隆文は追いかけっこをして遊んだ。正彦が崖の近くまで来ると、隆文が注意した。
「兄ちゃん、危ないよ!」
「大丈夫だって!」
正彦はそう言って、どんどん崖に近づいていく。隆文も、必死にそれを追いかけた。その時だった。地震が起きたのだ。地面が激しく揺れ、二人はその場にしゃがみこんだ。そして、悲劇は起きた。隆文のいる岩場が、激しく崩れ落ち始めたのだ。隆文は悲鳴を上げた。
「隆文!!」
正彦は、すぐに助けに行った。数メートルまで近づいた時、隆文のところの岩が完全に崩れる。正彦は急いでそこへ行くと、隆文は必死に別の岩にしがみついている。正彦は、隆文を呼び、急いで自分の手を差し伸べた。隆文も、迷わずにその手を握った。すると、その岩が崩れ落ち、隆文は宙ぶらりんの状態となった。正彦が手を離せば、隆文は谷の下に真っ逆さまだ。隆文は、泣き喚いている。正彦は、急いで隆文を引き上げようとした。すると、隆文の手が離れてしまった。そして隆文は、谷に吸いこまれるようにして、消えていったのだ。それを見た正彦は、
「隆文ー!!」
と、谷底に向かって叫んだ。どう考えても、隆文は助からない。両親に何と言えばよいのかわからなくなり、その場で一人泣いた。
不幸が幸いしたのか、隆文は谷底寸前のところに生えていた一本の木に服が引っかかり、ぶら下がっていた。意識を失い、誰も来る気配のない谷底で一人、孤独を味わっていた。
第三十二回
2017年12月。町の人々は、完全に冬服になっていた。悠二郎と祝言を挙げたユウナは、横大路研究所で次の仕事を探していた。
「ねぇ、なんで急に戻ってくる気になったの?」
ミカがきくと、ユウナは言った。
「悠二郎さんの仕事が落ち着くまで、ここにいようと思って。二人は?」
前に座っていたミカとアカリに尋ねると、ミカがこう言うのだった。
「あたしも、就職したとこ三ヶ月で辞めちゃってさぁ。なんか自分と合わなくて。最近は、バイトで手一杯かな」
「うちも。最近は景気悪いけん、なかなか採ってくれんのよ。それにうち、国公立やけど中退しとるじゃろ?」
アカリも、不安気に言う。
「じゃあ二人も、仕事が決まるまでここにいるの?」
「どうなんじゃろね。うちはどの道、家族のことも考えて働かなあかんし」
話をきいて、ユウナは現実を甘く見すぎていた自分を恥ずかしく思った。やはり、この世にあるほとんどのことは、思い通りには動かないということなのだろう。するとミカが思い出したように、
「そうだ、これ見て!」
と言いながら、自分のノートパソコンを出した。
「これ、前に勤めてた会社が開発したものなんだけど、人の指紋が読み取れるの。ユウナ、ちょっとここに手を置いてみて」
ミカは、ユウナに黒いパネルのようなものを出した。ユウナは戸惑いながらも、それに自分の右手を乗せた。すると、そのパネルは何かを読みこむような音を出し、パソコンの画面には生年月日などのデータが表示される。それを見たアカリは、
「すごい! 何これ!」
と、興奮気味に言った。
「まだ試作品なんだけどさ、これがあればその人のいろんな情報を読みこめるんだ」
「すごいね、警察みたい! ユウナちゃんもそう思わん?」
アカリがユウナを見るが、ユウナは驚きのあまり何も声に出せずにいた。科学の発展は、とてつもなく早い。そのことを、証明しているかのような技術だと感じていた。
その時、部屋のドアが開く。
「みんな、仕事は見つけられそう?」
アカネが、茶を持って入ってきた。
「あ、アカネさん……。すみません、急に押しかけてしまって」
ユウナは、茶を置いているアカネに言った。
「いいって。なんか気になることとかあったら、遠慮なく言ってな」
「あ、あの。教授は?」
「あぁ。なんか、またSPの不具合があるみたいで、部屋に閉じこもりっきり」
「不具合?」
「あ、べつに敵のウイルスが攻めてきたとか、そんなんとちゃうから」
アカネは、笑顔で答えた。
「そうですか……。SP、って言うようになったんですね」
「だって、セインツ・パラダイスやとちょっと長いやん? 教授も、呼びやすい名前で呼んだ方がいいって。まぁ、実際違いはないねんけどな」
それでも、ユウナは少し正彦のことが気がかりになった。あれ以来、研究所での手伝いはしていなかったが、果たしてどうなったのだろう。
「あの。教授に、会うことはできますか?」
「今は……、ちょっと無理かな。うちから言っとくし、教授が話せるようやったら呼びに来るから」
「お願いします」
ユウナは言うと、アカネは出ていった。すると、ミカは怪訝そうにユウナを見た。
「まだ、何か気になることでもあんの?」
「やっぱり教授、本当にあの世界をなくしたいなんて思ってないと思うから」
「まだ言いよるんじゃね……」
アカリも、そう言って下を向いた。アカネが出ていったドアを見つめていたユウナは、ふり返ると二人を見た。
「だって、教授は何も悪くないのに、せっかく創った世界を壊されるのは、やっぱり辛いと思う。誰がそんなことをしようとしているのか、私は知りたい。そして教授と同じように、その人のことが、私は許せない」
すると、アカリがこんなことをきいてくるのだった。
「じゃあ、ユウナちゃんはその人が、理由なくやっとると思うとるん?」
「理由?」
「もしかしたらその人は、昔教授と何かあって、教授のことを、すごく恨んどるような人やとしたら、ユウナちゃんはその人に何て言うの?」
「それは……」
ユウナは、返答に困ってしまった。そのようなことは、今まで一度も考えなかった。単なる愉快犯が、あの世界を乗っ取ろうとしているのだと、勝手に決めつけていた。しかし、アカリの言うことにも一理ある。ユウナの頭の中は、ますます混乱していった。
「やっぱり、教授に本当のこときいた方がいいんじゃない? ほんとに心当たりがないのかって」
ミカも、アカリの意見には賛成のようだ。しかし、ユウナにとってその行動は、まるで正彦を悪者にしているみたいで嫌だった。だが、迷っていても時間が経つだけだ。ユウナは顔を上げると、こう言った。
「私、きいてみる。もしかしたら、何か話してくれるかもしれない」
そしてドアを開け、正彦のいる研究室に向かった。自分も何か行動を起こさなければ、前に進めないとユウナは思った。
部屋の前に行くと、ユウナはノックした。しかし、返事は返ってこない。ユウナは思いきってドアノブに手をかけ、中に押すと鍵がかかっているらしく、開かなかった。そこへ、
「ユウナちゃん……?」
という、優しい声がするので、ユウナはふり向いた。そこには、やはり美千子がいた。盆に茶を載せ、静かに立っている。
その後、二人はリビングに行き、そこで美千子は話した。
「実は、今は誰とも口を利きたがらないの」
「誰とも?」
「そう。悪い癖が、悪化した感じ。私や、大学時代から助手としてあの人を手伝っていたアカネちゃんですら、あの部屋への立ち入りを禁止されてるの」
「そんな……」
正彦に、いったい何があったというのか。ユウナは第一に、正彦の身体を案じた。
「それで、教授は大丈夫なんですか? この調子だと、過労で倒れてしまいます」
「私も、ずっと心配してきたの。こっちも、精神がズタズタよ」
それは、美千子も同じ考えのようだ。それもそのはず、三十年以上も人生をともにしてきたのだから。美千子の気持ちを察すると、ユウナはますます胸を締めつけられるような感覚に陥った。美千子の場合、それは尚更強いだろう。
「どうにか、部屋から連れ出す方法はありませんか?」
「そうね……。これは真司が言ってたんだけど、ユウナちゃんたちはスマートフォンを介して、あの世界に行き来できるじゃない。それを使えば、あの部屋にいけるんじゃないかしら」
これは、ユウナにも考えつかなかった。成る程、それならば正彦に会えるかもしれないとユウナは思い、早速実行しようと立ち上がった。
「私、やってみます。どうしても、教授に尋ねたいことがあるので」
「尋ねたいこと?」
「はい。こんなことを言うと失礼なのは、十分理解しているつもりです。でもあの世界、セインツ・パラダイスを攻撃している人にも、きっと何かしらの理由があるんだと思います。それは、教授への私怨が原因だと」
「私怨……」
美千子は絶句したように、ユウナを見つめている。それをきいて、驚くのは無理もない話だ。それでもユウナは、話さずにはいられなかった。そうすると美千子は口を開き、
「……そんなこと、思いもしなかったわ。あの人、滅多に昔の話をしないから。三十年も一緒にいて、おかしいわよね。それでも、あまり話したがらないの」
と言うので、ユウナはさらに知りたいという衝動に駆られた。どうしても、正彦の過去について知りたい。それが平和であろうが不幸の連続であろうが、今までにない好奇心は抑えようもなかったのだ。
ユウナはミカやアカリ、アカネには告げずにSP(セインツ・パラダイス)へ入った。教えてしまうと、反対されてしまうかもしれないと考えたからだ。後で叱られてもいい、自分に今できることをしようと、ユウナは虹色の扉を潜った。光が止むと、そこは以前とほとんど変わっていない湖の前だった。足を進め、研究室に続くドアを探した。しばらく歩くと、向こうに大きな扉が見える。その日は、モンスターとは一体も遭遇しなかった。もしかしたら、何かが原因かもしれないが、その時は正彦に会う方が先だと、そこの扉を潜った。
抜けると、正彦の研究室だった。電気が点いておらず、部屋にある光はディスプレイの画面やランプの点滅くらいだった。ユウナは、手探りで正彦を探した。そうすると、巨大なディスプレイの前に突っ伏している正彦が見えた。画面の光に照らされ、ユウナは寝ているのかと思ったが、ある異変に気づいた。正彦は、身動き一つしていなかったのだ。
ユウナは急いで近づき、
「教授?」
と、正彦を揺り起こそうとした。すると正彦は刺激され、椅子から落ち、その場に倒れこんだ。それを見たユウナは驚き、
「教授!?」
と声を上げ、何をどうすればよいのか、わからなくなってしまった。ひとまず、誰かを呼ぼうとユウナは、その部屋のドアを開けて人を探しに行った。
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中谷優奈
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鶴ケ崎麗菓
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月見里美香
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夢野あかり
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池谷大輝
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相場善秀