天を仰ぎみる。青い空に白い雲がゆったりと流れていく。
疲労感から思わず、息が漏れる。
「ふう〜。」
そのまま空気を吸う。
美味しい。
空気を吸うと言う動作だけをこれ程ゆっくりと行った事は無かったな。
「豊聡耳神子。」
「なんだ?」
寝転がったまま、首を動かすと、豊聡耳神子も寝転がった状態で僕の方に顔を向けていた。
僕は再び視線を空に向ける。
「........ありがとう。」
「.......ぷ」
「.................」
「はっはっっはっはっははっはははは!」
どうやら笑われてしまったようだ。
「はははは。............すまない。どうしてもおかしくてな。」
「そんなに変かい?」
「お前の口からそんな素直な言葉が出るとは思わなかったよ。」
「そうかい。まあ僕も年甲斐もなく、はしゃいだものだ。」
「そういえば、お前は何歳なんだ?」
「さあ?数えて無いから正確な数字はわからないけど、600年位は生きてるんじゃないかな。」
「なっ!600年だと!」
ガバッと、豊聡耳神子が起き上がりこちらを見てくる。耳当ては既に着けているようだ。
「はっはっは。」
「.............」
「さっきの意趣返しだよ。」
「.............」
僕が笑ってみせると、豊聡耳神子はジト目で睨んでくる。
「君でもそんな驚いた顔をするんだね。」
「.........うるさい。」
豊聡耳神子は顔を赤くして、そっぽを向く。
今のは意地が悪かったかな。話題を変えようか。
「君は疑問に思わないのかい?」
「何がだ?」
「600年なんて、普通ありえない。お前は本当に人間なのか?って聞いてこないのかい?」
「なるほど。確かに最初にこの国で会った時にその事を聞いたら、私も質問していただろうな。」
「今は疑問に思わないと?」
「その質問は、お前にとって望ましいものでない事など理解している。」
「............そうか。」
本当はありがとうと言いたかったが、また笑われるのがオチだと考えて言わなかった。
「因みに誕生日は5月29日だよ。」
「そこは普通なんだな。」
「君は僕を何だと思ってるんだい?」
「いやいや。600年なんて、そんな胡散臭い事言われた後に普通の誕生日を言われても信じていいものか。」
「........ふ。」
「お前、また私を笑ったな。」
なんだか、豊聡耳神子の当たりに遠慮が無くなってきている気がする。まあ、最初から遠慮は無かったが。
「すまないね。.......では、君の誕生日はいつなのかい?」
「2月7日だ。」
「それは誰に教えられたんだい?」
「そんなもの、母上に決まっておる。」
僕は流れる雲を眺めて、口元に笑みを浮かべる。
「...皆同じさ“自分が生まれた日が
「............」
「ただ自分の信頼する人が告げた日を、そのまま信じるしかないんだ。....本当かどうかは問題じゃない。『自分の誕生日を知っている』こと、それ自体が既に幸せなんじゃないかと僕は思うんだ。」
「.............」
それからは、暫くは彼女は何も話さなかったから、ただ空を眺め続けた。
「.........っふ。どうやら上手く誤魔化された気分だ。相変わらず、口が達者だな。」
漸く口を開いたかと思えば、そんな皮肉の言葉だった。
君も大概、素直じゃないな。
「酷いな、君は。.....じゃあ、ついでだ。君の年齢は幾つなんだい?」
「お前も酷いじゃないか。女性に年齢を聞くなんて。」
「面白い事を言うね。僕は600歳だ。君が仮に100歳だとしても、君と僕の間に最早、10年や20年の年齢の差など、なんの意味もなさないよ。」
「それでも秘密だよ。」
「おや、随分とつれないね。」
「お前も誤魔化しただろう。お互い様だ。それに秘密が多い方が女は魅力的だしな。」
「聖人と謳われた君が、随分と乙女な物言いだね。まあ、誕生日を知れただけ良しとするよ。」
「お前こそ、随分と誕生日に執着するんだな。そんなに大事か?」
「僕と君はお互いの誕生日を知った。さっきも言ったけどね。これはとても幸せな事だと僕は思うんだ。ここまで言えば、君もわかるだろう?」
「..............」
僕が言葉を投げかけると、豊聡耳神子は顔を赤くして黙り込んでしまった。
「..........帰る。」
余りにも喋らないから、視線を空に向けた瞬間、豊聡耳神子は有無を言わせず去って行ってしまった。
「...............」
1人取り残されてしまったようだ。思わず欠伸が出る。
いつまでも寝そべる訳にもいかないな。
僕はゆっくりと立ち上がり、砂を払う。
「先程の乙女な物言いといい、太子様は随分と初心なんだね、霍青娥。」
「あらあら〜。気付いてらっしゃたんですか?」
「君は穴に潜った時から、ずっと着けてきてたじゃないか。」
「最初から気が付いてたんですねー。でも、いいんですか?あのまま会話を続けていたら、豊聡耳様を口説き落とせそうな感じでしたのに。」
「聖人と謳われている彼女がそう思うのなら、確かに光栄な事ではあるね。でも今は君が僕達を着けて来た理由の方が興味があるかな。」
「あら随分と酷い事を言いますね。豊聡耳様が聞けば、今度こそ激怒しそうですわ。」
「それなら、それで楽しませて貰うよ。」
「これは随分と嗜虐的ですわね。豊聡耳様も苦労なさる事でしょう。」
「ふふふ。君と会話するのも、中々面白いね。でも、話題を逸らすのは感心しないな。僕の最初の問いには答えてくれないのかい?」
「あんな恐ろしい戯れを見た後ですもの、直ぐに答えないとどうなってしまうやら。」
両手で自身の体を抱いて、震える真似をする。
実に白々しい光景だった。
「ふふ。僕も随分とはしゃいでしまったからね。途中からはどちらが死んでもおかしくない技の応酬に発展してしまった事は、一応反省しているんだよ。」
「まあ、いいですわ。.......そうね〜。ここに来た理由は、貴方を殺す為ですわ。」
「じゃあ、その理由も聞いていいかい?」
「あら、動揺しないんですね。面白くありませんわ。................そうね。貴方が豊聡耳様をつまらなくさせているからよ。」
「ほう。僕がいては彼女はつまらない存在になるのか。」
「私は力のある者に道教を授けるのが、趣味なの。この国の聖徳太子の評判を聞き付けて、大陸を渡って来たわ。......そして、豊聡耳様を見て思ったの。この人は面白いと。政治家として、聖人としての振る舞い、力量、どれも素晴らしい。だけど、心の内はとても寂しがり屋で死を恐れる普通の小娘。でも、民衆や2人の部下の前ではそんな素振りは見せない。」
「.................」
話していくうちに、霍青娥の目が虚になり、ドロッとした粘性のある殺気が纏わり付いてくる。
「皆の前では聖人。心では1人、死と孤独に喘ぐ。そんな葛藤をしている豊聡耳様は面白かったわ。道教で不老不死になれるとわかると直ぐに飛びついて来る豊聡耳様もとても可愛かったわぁ。」
霍青娥の目に敵意が浮かぶ、霊圧も解放し始めた。
やはり僕の読みは当たっていたね。霍青娥の実力は、僕や豊聡耳神子よりも上回っているようだ。
まあ、僕も黙って殺されてやるつもりは無いんだけどね。
「でもね。貴方が現れた時から、豊聡耳様はつまらなくなったわ。貴方が豊聡耳様の孤独を癒し始めたから、さっきも随分と普通の小娘の様な反応だったわ。あれだけ面白かった豊聡耳様が普通の小娘に成り下がるなんて、耐えられない!..........それにね。心の支えになりつつある貴方を失えば、豊聡耳様はどんな荒れた姿を私に見せてくれるのか、それも楽しみなのよ。」
「なるほど、理由はわかったよ。実に面白いね。でも、僕も自分の命が惜しいからね。その申し入れはすまないが、取り下げてくれないかい?」
「あら、抵抗するの?やめておいたほうがいいわよ〜。貴方もわかっているでしょう。私と貴方じゃ抵抗しても無意味だと。貴方も苦しまずに楽に死にたいとは思わない?」
彼女の物言いに思わず笑みが零れる。
「確かに君の力は素晴らしい。だけど、私には遠く及ばない。」
私は眼鏡を外す。霊圧の蓋をを解き放つ。
体に満ちていく霊圧に笑みを浮かべながら、髪の毛をオールバックにする。
胸の傷も膨大な霊圧で瞬時に塞がる。
解放された霊圧が周囲の岩や木々を押し潰す。
視線を前に向けると、霍青娥が全身から汗を吹き出しながら、荒い息で跪いていた。
「どうしたんだい、蹲って?........ああ、私の霊圧に当てられて身体が弛緩しているのか。........さて、君は私を亡き者にしたい。私は命が惜しい。お互い相容れない願望だが、君の気持ちを汲もう。先手は君に譲ってもいい。」
蹲った彼女の地面には、彼女自身が流した汗で水溜りが出来ていた。
「どうか、私を見逃してはくれないだろうか。」
私が霍青娥に問いかける。霍青娥が貌を上げる。
彼女は青白い貌でゆっくりと頷いた。
「そうか。わかってくれたんだね。嬉しいよ。」
私は笑みを浮かべ告げる。
そして、彼女の服の襟を掴んで立たせ、彼女の耳元に口を近づける。彼女の震えが、腕から伝わってくる。
「ひっ!」
「今のやり取りは、誰にも秘密だ。勿論、豊聡耳神子に対してもだ。君はこう言う2人だけの秘密と言う物は好きだろう?」
霍青娥が何も言わない。いや、反応を示す事も出来ないようだ。
私はそれを見て肯定と受け取った。
「気に入ってくれてなによりだ。では、私は帰るとしよう。................ありがとう、私を見逃してくれて。そして、今の君の姿は正に羽虫のようだ。」
私はそう告げると瞬歩で去った。
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私は刺激を求めていた。
他人に力を見せびらかしたり、他人の力を取り込む事が私の習慣であり趣味であった。
そうする事で私の中の憧れに近付けると信じているから。
お父さんが魅入られた仙人の頂に。
だけど、私は仙人の世界に認められる事は無かった。そして邪仙の烙印を受けた。
私は仙人の居ない国なら、仙人の力も珍しいだろう。最近は大和の聖徳太子と言う聖人もいるらしい。
私は海を渡った。そこで会った豊聡耳神子と言う聖人。
想像以上だった。力も民からの人望も政治手腕も、何より聖人に似つかわしくない人間臭い葛藤を抱えている。
理想的だった。いや、理想的過ぎる。私の欲を満たすのにこれ程の人物は居ない。
私は直ぐに彼女に取り入った。
楽しかった。豊聡耳様、布都さん、屠自古さん、皆面白い人達だった。
揶揄うとより面白い反応を示してくれる三人。布都さんと屠自古さんの人生を文字通り弄んで、怒り狂い哀しむ布都さん。どこまでも能天気な屠自古さん。その2人を愉しそうに、そして悲しそうに見守る豊聡耳様。
私は彼女達と関わる事が何よりも楽しみになっていた。
そんなある時、藍染惣右介と言う男が現れたのは。
あの男が現れてからというもの、豊聡耳様の葛藤がどんどん薄れていった。
このままでは、豊聡耳様はただの人間に成り下がってしまう。私の好きだった豊聡耳様が居なくなる。
焦った私は藍染惣右介の暗殺を考えた。
そして現在、
私は激しい後悔をしていた。
何だこれは?
急に身体に見えない力で押さえつけられたかの様な感覚を覚えた。
い、息が出来ない。
パキリ、ピシリ、バキィ
そんな何かが軋む音と地鳴りの様な轟音が聞こえる。
心臓の鼓動がうるさい。全身から血液が失っていく様な感覚。手足の先端から感覚が無くなり、それが全身に広がり前後不覚に陥る。全身から汗が噴き出す。身体の震えが止まらない。いよいよ吐き気も感じ始めた。視界が霞んでくる。
長らく忘れていた。これは生物の本能に刻まれた生存本能だ。恐怖だ。
自覚した瞬間に、更に身体の震えが強くなった。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い
「どうか、私を見逃してはくれないだろうか。」
藍染惣右介の声が頭上から聞こえた。
台詞だけを聞けば、私が彼を狙い、彼が命乞いをしている様に聞こえるが、この状況を見ればどちらが捕食者であるかは一目瞭然だった。
この期に及んで、「貴方は意地悪だわ」などと揶揄う余力など勿論無い。
だが、いつまでもこのままではいけない。早く彼の言葉に返事しなければ。彼の不興を買えば、殺されるかもしれない。
私は鉛の様に重くなった頭を上げて、彼の目を見た。
だけど、その行為にも後悔する事になる。
彼の瞳は漆黒の闇だった。色の話では無い。彼の瞳が放つ光だ。この世の全ての光を呑み込んでしまいそうな、そんな漆黒の光だ。
彼と目が合った瞬間、身体から全ての力が抜けた。全身を氷漬けにされたかの様に感じる程体温が下がる。
私は心の中で乾いた笑いをあげる。
嗚呼。これは駄目だ。私はここで死ぬ。
私は自分の死を悟り、諦めた。
嗚呼。私は触れてはいけないパンドラの箱を開けてしまったのだと悟った。
「そうか。わかってくれたんだね。嬉しいよ。」
だが、私の予想とは裏腹に、彼は私を見逃してくれる様な雰囲気を出した。
ホッ。
無意識に安堵の息が漏れていた。
それと共に身体の体温が、感覚が戻っていく様な感じがしてきた。
助かる。
幾分、心も落ち着いて来た。後はこのままこの場を去れば大丈夫。
未だに震える手に力を入れて、簪に手を伸ばそうとする。
しかし、
「!?」
急に彼の手が私の襟を掴んで立たせる。
私は再び恐慌に陥る。
「ひっ!」
小さな悲鳴が漏れる。
私でもこんな声をあげてしまうんだなんて、感慨に耽る余裕も無く、再び身体の自由が無くなっていく。
彼の顔が近い。
怖い。
彼の瞳が怖い。
彼の口が近付いてくる。
怖い。
常に上がっている不気味な口角が恐ろしい。
彼の口が私の耳に近づく。
怖い。
このまま魂まで喰らい尽くされそうな錯覚を覚える。
「今のやり取りは、誰にも秘密だ。勿論、豊聡耳神子に対してもだ。君はこう言う2人だけの秘密と言うものが好きだろう?」
辛うじて聞き取れた言葉。だけど、それに反応を示せない。
不意に手を離された。
ドサッと地面に再び這い蹲る。
もう狂ってしまいそうだ。苦しい。た、助けて、誰か。
「お、お父様」
無意識に小さく口の中でそう呟いた事にも気が付かない。
「気に入ってくれてなによりだ。では、私は帰るとしよう。................ありがとう、私を見逃してくれて。そして、今の君の姿は正に羽虫のようだ。」
不意に私を押さえ付けていた重圧が解放される。
私は顔をあげる。いつのまにか藍染惣右介は居なくなっていたようだ。
それに気付いた瞬間、太腿に暖かい物を感じた。そして、頬にも暖かい物を感じた。
「.....フフフフフ。」
思わず笑いが込み上がってくる。
自分の命なんて、既に勘定に入れてなかった筈なのに、いざ殺されそうになったら無様に命乞いなんて、
「私もまだまだね。」
私は自身の腕で身体を抱き締め、震えていた。