幼女戦記-コボルトの狂気-   作:我楽娯兵

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微かな異変

小さく息を吐き、膨大な過去の記憶よりたった一人の男児のみを思い出すと言うのも困難な事であった。

あれとの、ヴォーヴェライトとの仕事上の関わりはほんの数回程度だった。

その数回の印象は強烈なものであったが、時の流れによりやはり色褪せてくる。

マグカップを手に取り、冷めたコーヒーを飲む。

やけに甘く牛乳の匂いが強調された風味。ざらざらとしたフィルターを抜けてきた珈琲豆の粕が舌に触る。

 

「ヴィーシャめ……私がこの淹れかたが嫌いなのは知っているだろう」

 

ひとりごちる私はマグカップを置く。

黄橡色の珈琲がくるくると渦を描き回っていた。

この珈琲の淹れ方は、東南圏のある地方特有淹れ方だった。

カップの底をコンデンスミルクで満たし珈琲を注ぐ。後は混ぜる。

甘い、とても甘い。私はこの珈琲が嫌いだった。

ヴィーシャは気に入っているようだが、二度と私にこれを出すなと言い聞かせなければ成らない。

 

これもヴォーヴェライトの影響か。ヴィーシャは彼の入れるこれが好きで足繁く通っていた事を覚えている。

これを飲みながら何気ない会話をしていたのだろう。一介の兵士と、理智の怪物が楽しげに笑い合いながら。身震いがしてしまうくらい馬鹿馬鹿しい。

ヴォーヴェライトが行ったことは許される事ではない。

私はそれを証明する証人として、国際医師裁判に提出する書類を書いているのだ。

 

茶封筒の中に入った書類を取り出す。悪ふざけのように丸秘と赤いスタンプがでかでかと押された極秘資料。懇意にしている技師から取り寄せたものだ。

その中には一人の死亡報告書と、それにいたる経過観察書が同封されていた。

――『A(アーリンゲ)D(ディーステル)死亡経過報告書』

狂科学者(ヴォーヴェライト)の最初の被害者にして、狂科学(マッドサイエンス)の象徴的名詞。

(ターニャ)(ヴォーヴェライト)を繋ぎ合せた楔の名前でもあった。

 

タイプライターに再度向き合い、キーを叩く。

ライン戦線に配属されて長く小隊の指揮を取り、私に登録魔導師(ネームド)としての名前「ラインの悪魔」と自身の耳に届くほど活躍をしていた。

これは軍大学に入る約一ヶ月前の話だ。

 

 

 

 

 

「各員、状況報告」

 

私はインカムに問いかけ部下の状態を確認した。

地上では榴弾が炸裂し、空にまでその振動が空気を通し内蔵を揺さぶった。

今日日は対空攻撃の手は薄く航空魔導師との遭遇は無かった事を記憶している。

いつもの通り、空を飛び支援の無線が入れば尽かさず向かい敵を射殺する。簡単な仕事だ。刺激の少ない機械的な作業ほど慣れが恐ろしいものはない。

刺激の少ない仕事の中で、刺激的過ぎた出来事と言えば目の前にいる『それ』だった。

 

無傷(ノンダメージ)です。今回は腕が飛ばずに済みましたよ小隊長』

 

活気に溢れた声で答える隊員がいて、その言葉にセレブリャコーフ伍長ともう一人が笑い声を上げた。

目をやった私はそれが恥ずかしそうに『左腕』で頭を掻いていた。

千切れ飛んだ筈の『左腕』。健常者の如く、アーリンゲ伍長は前線に復帰していた。

伍長が被弾してだいたい二週間程だ。

あまりにも早すぎる復帰に私は驚くよりも先に正気を疑った。

 

アーリンゲ伍長を前線に戻す判断を下したジーヴァス大尉を。

ジーヴァス大尉は伍長に施術し成功を収めたと興奮気味に触れ回り、フランソワの魔導師が詰め込まれた死体袋を抱き枕代わりに寝ていたのを見たのが最後だった。

どういう治療をしたのか一切わからない。

あちらの知識がある私だからこそ、これがあまりにも異常事態であることはひと目で判るのだ。一時期反響を呼んだ指を再生させる粉があるというが、これはいくらなんでも規模が違いすぎる。

 

設備も、環境も、状態も、人員も、何もかもが足りていないこのライン戦線で。

――腕を繋ぎ直すなど。

馬鹿げている。これこそ神の加護が必要だろう。

私は存在Xの干渉と疑いを強めていた。だがあれがアーリンゲ伍長に祝福を授けるとはどうにも思えない。

彼は献身的な教徒であり毎日祈りを捧げている事は知ってはいる。知ってはいるがそんな人間この世にゴマンといるだろう、この生きがたい世情では尚の事。

 

なにより存在Xがそこまで慈悲深いとは思えない。信仰心がないという理由だけで私を女人の体に生まれ変わらせる「神様」だ。

 

(なぜ女性に、せめて男児だろう。存在Xめッ!)

 

心裡で私は毒を吐くが、だとしても部下が復帰するのは喜ばしい事だ。

笑えるときに笑うのは精神的にもいいこと。私も肩をすくめて笑った。

このときはまだ私は知らなかった。

彼が後に登録魔導師(ネームド)狂戦士(ベルセルク)」と呼ばれるとは。

 

 

 

 

 

「大尉は定期的に礼拝を?」

 

「時間と気が向いたらだ。戦場は検体が多くて時間を作れないからねえ」

 

週末に大テントで行われる礼拝(ミサ)で偶然、ジーヴァス大尉と出会った。

ジーヴァス大尉の白衣は茶色に近く変色した血の跡が疎らに着いており、見た目は医者と言うより油仕事後の機械技師のような様相で祈りを捧げていた。

見た目は小さな子供が二人並んで祈りを捧げていた。手を組み眼を閉じ神という偶像に妄信する。滑稽な行為で、私のように存在Xの実在とその仕打ちに愚弄するために通うものも少ないだろう。

 

ジーヴァス大尉はただ単に神への忠誠からか、それとも日常行為としてか。その祈りが存在Xの自己満足のために行われているとは知りはしないだろう。

司祭者のありがたい人生論を聞き最後には神への賛美に至る。毎度の事だ。

恨みの念を届ける為に来ている私には司祭者の言葉は不必要な言葉だ。だが、こうしていて途中退席するのも失礼だ。大人しく訊くに限るが。

 

「神とは身勝手だと思わないかね」

 

小さな声でジーヴァス大尉は私に問いかけてきた。

 

「それはどういうことですか?」

 

「こんなにぐちゃぐちゃになるまでほったらかす神を君はどう思う」

 

「どうと言われましても。私は信じることが救いと教わりました」

 

「献身的だ。よい心がけだがね、私はどうしても天上でふんぞり返った彼が疑問でならないんだよ」

 

司祭者の話は終わり、ミサに参加していた者たちが大テントより徐々に出て行く。

言葉の意図を読み取れず混乱してしまう。ジーヴァス大尉は立ち上がり、神の像の元に行き見上げた。

 

「私は時々思うのだよ。神とは我々となんら変わりない存在なのではと」

 

「は……神が我々と同列といいたいので?」

 

ジーヴァス大尉は今頃になって私を見て気まずそうに頬をかく。

 

「すまない。君は宗教を持っていたんだった」

 

「いえ、構いません。私は寛容なほうです」

 

「よかった。こういう話をすると気を悪くする人間もいる」

 

だとしても手遅れだろう。神が人間と同列など、あの司祭者が聞いたら怒っているだろう。気づけば大テントには私とジーヴァス大尉だけになっていた。

私は訊いてみる。

 

「どういう理由で神が人間と同列なのです?」

 

「直感、に近いのだがね。よくある物事を極めたものを人は『神』と讃えたがるだろう。なら私が『人間』を卵子と精子から生み出す方法以外で生み出し、生命を完全に理解すればそれは神ではないのかとね」

 

「人を生み出したから神とは安直過ぎます」

 

「たしかにね。神とはどういった存在なのだろうね、私たちや世界を生み出してなにをしたいのか。気になるんだよ」

 

「信仰がほしいのでしょう」

 

「創造物からの賛美を欲するのかい神は。なら何故我々を賛美の言葉だけを言う生物にしなかった」

 

「それは神だけが知るところでしょう」

 

「神と言う存在を理解するのに逃げてはいけないよ、デクレチャフ少尉。私たちは神を正しく理解する必要がある」

 

「なぜ?」

 

「なぜか……こうは思わないか? 神は地を創り空を創り、生物を作ったにも拘らず何故人間だけにこうも複雑な思考を与えたのだ? エデンの林檎を口にしたからか? 知識と言う物を発生させる供物がこの世存在すると」

 

「宗教論がしたいので?」

 

「いいや、人間と言う生物の探求だよ。獣とは一線を画す生物を私はすべてを知りたい。不思議じゃないかい、なぜ人と人ではなにが違う。鯨と我々はどこが違う。人同士は00.1%しか変わりはしないのに00.1%が個になり得る。チンパンジーは手話を理解するだけの知能を有し会話が成立するのに、どうして我々が高位に立っていると考えれるのか」

 

「人と言う形でしょう。より合理的に産まれている。手を使って頭を使って物を作っている」

 

「そうか。なら、神と我々はどう違う。我々は神と同様の姿をしているのになにが違うのだ」

 

「奇跡、でしょう。我々は奇跡を使えない」

 

くだらない問答だ。答えは簡潔である。

我々は神ではないし、神の創造物ではないはずだ。

私は無神論者であの存在Xが我々の創造者とは考えない。我々は進化の中から生じたのだ。自然淘汰の波から適応し得たからこそ我々で在りえている。

ただ、決定的に違うのは能力だろう。

 

あの奇跡のような体験だけは我々には――

 

「なら、奇跡を使えるようになれば『神』となるのかい? 永遠を得れば神となりえるのかい?」

 

「私にお聞きにならなくても、理解はしているはずです」

 

「我々は神ではない、人間である。その通り、我々は人間でありその矜持(プライド)がある」

 

「分かっているではないですか」

 

「神に祈る者、敬う者、知らぬ者、罵る者が勝者になった例はある。だがしかし、神に『縋る』者は常に敗者。だから私たちは祈り、敬い、罵ることが勝利への道なのだろう」

 

「この戦争のですか?」

 

ジーヴァス大尉は私を見てにっこりと笑った。

 

「いいや。世界に、私は世間に打ち勝ちたい。より人間を理解するためにね」

 

ゆっくりとした足取りでテントを出たジーヴァス大尉を追う。

その後姿は何かうずうずしている様子であった。

神を理解する。到底出来る事ではないだろう。

それこそ即身仏になるだけの覚悟と苦行を要するに違いない。神を、存在Xを理解するなど――理解は出来そうな気がする。

この人生と言う仕打ちをするような奴だ。稚拙で高慢な態度が頭に浮かぶ。

存在Xに厄災あれ。この人生始まって呪いのように私は唱え続けるだろう。

 

「一つお聞きしたいのですが?」

 

「なんだい? 私が答えられる範囲でなら」

 

「アーリンゲ伍長にはどういった処置を」

 

振り向き立ち止まったジーヴァス大尉は熟考している様子であった。

 

「復帰が早すぎるって? 確かに二週間は早すぎるかな?」

 

「どうして疑問なのです。伍長の治療を行ったのは彼方だ」

 

どう答えるべきかと言った様子で頬を掻く。

ジーヴァス大尉は暫時考えた後、こう答えた。

 

「革新的神経系及び筋肉接合治療。これ以上は答えられないな、個人情報(プライバシー)的にも。――機密(シークレット)的にも」

 

悪戯が成功したと喜んでいる表情でジーヴァス大尉は医療テントに戻っていった。

 

 

 

 

 

その夜、私とツーマンセルを組んでいたセレブリャコーフ伍長より相談があった。

別段深刻な問題ではないと言う。ただ隊員の一人、アーリンゲ伍長の様子が変だというのだ。

 

「どういった感じに変なのだ」と私は聞いた。「彼は病み上がりだ、どういった変化が会ってもおかしくはない。言ってみろ」

 

伍長は少々言いにくそうにしていたが、徐々に話し出した。

 

「性格が、変に明るくなったと申しますか。それに今まで言わなかった神に関する縁起でもない冗談(ブラックジョーク)を……」

 

「ほう、どんな不謹慎な冗談(ブラックジョーク)を言った?」

 

伍長は周囲の眼を気にしながら恐る恐る言った。

 

「小隊の二人と食事をした時、アーリンゲが物凄い勢いで食べてたんです。その食べかたが汚いって別の隊の人に言われて彼が――ユーデア人は神の子を裏切って食べたのに食いかたを気にするんだな、て」

 

少々仰天してしまう。

本当に不謹慎な冗談(ブラックジョーク)であった為だ。

ユーデア教徒に向かって吐いたのなら喧嘩になること間違いなしだ。

帝国には二つの宗教が存在している。私も所属するイースター教とユーデア教の二つだ。この二つは元を辿れば一つの教徒であったそうだが、どこの世界でもありえることが起こっていた。

 

イエス・キリストがユダヤ教徒に裏切られ磔にされたように、イースター教の崇拝する神の子がユーデア教徒に裏切られ、「食べられた(カニバリズム)」と言う話があるのだ。

宗教に関しての黒い冗談(ブラックジョーク)はどこの時代、どこの世界でも大問題に発展する。

イルラム教徒を欺き豚肉を食わせれば戦争に発展すると言われる位に、宗教的繊細な問題をアーリンゲ伍長はほじくっていたのだ。

 

「その隊員はユーデアの? 喧嘩に発展したのか?」

 

「いえ、怒ってはいましたが。気分を害したと言ってどこかに」

 

「そうか……」

 

セレブリャコーフ伍長の言う通り、アーリンゲ伍長は『変わって』いた。

私もミサに参加していて彼がイースターの熱心な教徒であることは知っている。

知っているが、こういった問題を口にするような人間でない事も知っている。

明らかに考え方が『変貌』している。

 

「わかった。私のほうからアーリンゲ伍長に言っておく」

 

「よろしくお願いします。少尉殿」

 

安心した様子のセレブリャコーフ伍長であったが、私の中では何かが引っかかっていた。底知れない、原因のない不安感のようなものが芽吹いていた。


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