BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのバルステラ<<

エディ死す。
記憶情報の流入と教団の襲撃の波状攻撃に頭が割れそうだったハクノは意味も分からず令呪を切る。時同じくして、門倉甲は仮想へと没入した。



第5話 変調 / 記憶遡行Ⅱ (前)

 その奇妙な衝撃は突然だった。

 意識があらぬ方向へと弾かれるような――これまでにない没入(ダイブ)の感覚に俺は肝を冷やす。

 困惑する意識を電子体の指先に向けると、次第にその実体の濃度が薄まり、末端から冷えていくのを感じた。

 なんだか知らないがこのままだと絶対にまずい。

 

「ふざっけんな!」

 

 突如襲いかかる理不尽への恐怖と怒りでたまらず叫んだ俺は――

 

 

 気付くと無事に仮想世界へと辿り着いていた。

 

 呆気にとられたまま座標を確認すると、没入地点にしていたはずのエディのアジトから若干の距離がある。

 ドミニオンの反応を示すポインタは未だ健在だ、彼の脳内(ブレイン)チップから無事に情報を吸い出すためにも奴らの行動は今すぐにでも止めなければならない。目的を再確認した俺はレーダーの指し示す方向へと急いだ。

 

 仮想の大通りを行く途中、ついさっき遭遇したおかしな現象を俺は思い返していた。

 現実から仮想へと身を沈める過程で消えていく電子体の感覚。己の情報が削除(デリート)されていくようなあの感覚は二度と味わいたくないものだ。

 あれは仮想を管理するAI側の問題か、それとも――。

 

 ――いや。俺は首を振る。

 考えたところで意味がない。こういうのは参謀であるレインか、AIの魔女にお任せするべき案件だ。

 袋小路手前にあった思考に区切りをつけ、俺は前方を見つめ直した。

 

 と同時に、ドミニオンの反応が一斉にレーダーから途絶した。

 

「――ッ!」

 

 前触れも何もないあまりの唐突さに俺は思わず目を瞠る。一体何が起こった? 俺はさらに速度を上げて目的地へと急いだ。

 

 ◇

 

「こいつは……」

 

 土煙を抜け、目的地付近で停止した俺は困惑交じりに呟いた。

 爆心地とでもいうべきか――直径100m、深さ10m程の巨大なクレーターが俺の目の前に広がっていた。斜面には赤く燃える機体の残骸が転がり、孔には数本の巨大な剣が墓標のように突き立っていた。

 地形を変える程の凄まじいFC(フォースクラッシュ)。察するに、剣を中空から高速で投擲したものか。シンプルであるがゆえに回避は容易いと思えるが、タイミングを計れば複数のシュミクラムを一瞬で屠ることができるそれは十分に脅威だ。

 

 俺はどこかで見たことのあるような赤い大剣に目を向ける。するとそれは淡くて白い無数の光球となって消え、仮想の空気に溶けていった。

 剣の消えた先――クレーターの対岸に視線をやれば白いシュミクラムが佇んでいる。

 射抜くようにこちらを見ている機体。あれは確か――コード、ゲヘナ。ドレクスラーアジトで遭遇した狐面の巫女の相方だ。今日は単独行動なのか巫女の姿はどこにも確認できなかった。

 しばらく見つめ合った後、ゲヘナは視線を切って立ち去ろうとする。

 理由も分からず俺は呼び止めていた。

 

「――待て」

 

「なに?」

 

 ゲヘナは立ち止まってこちらを振り向く。通信から聞こえたのはまだ年若い少女の声だった。……女であることに僅かな驚きがあったが気を取り直す。

 さて、何を聞こうか。

 ……まず彼女たちについて俺が知っている事を整理しよう。

 数日前――ドレクスラーのアジトで遭遇した際、彼女は科学者たちの情報を求めていた。同一の目的を持っていた俺は一時的に協力し、敵勢力を撃滅した。

 そして現在(いま)――俺はエディの脳内チップの破壊を阻止するために没入し――彼女は奴のアジトへと迫るドミニオンの一団をなぜか蒸発させた。

 符号が合いすぎている。どちらも結果だけをみれば上手くかみ合っているように思えた。

 これは偶然か? いや、違うだろう。

 

「エディを知っているな」

 

 俺は半ば確信を持って言葉を投げかけた。

 俺と狐面の巫女はエディで繋がっている――恐らくエディはドレクスラーのアジト情報を狐面の巫女など複数の人間に渡していたのだろう。確度の高い新鮮な情報を得るために、複数の人間を死地に送り込むとはエディもなかなか狡い事をする。

 

「まさか――彼を害するつもり?」

 

 彼女の返答は無風の湖面のように静かだった。けれどカメラアイからの視線に圧を感じる。返す言葉を間違えれば目の前のクレーターが何個か増えることだろう。

 俺は肩を竦めて両手を広げた。

 

「ありえない。奴は懇意にしていた情報屋だ」

 

「……知ってる」

 

 ふっと彼女の圧が消えた。俺への興味を失ったようにも思えた。

 動き方を忘れたかのようにゲヘナは仮想の空を物憂げに見つめていた。

 

 まだ会話の手番は続いていると判断した俺は、彼女に気になる事を聞いていく。

 

「狐面の巫女はいないのか?」

 

「……彼女が見える?」

 

 ――はは。

 分かりきっていることを質問するなと言うことか。

 だったら。

 

「あんた達はなんなんだ」

 

 不躾ではあるが直球で行かせてもらおう。

 戦場でゲヘナが見せた仮想の論理(ロジック)に囚われぬ動き。電子体の身でレーザー弾を防ぎ、大量の無人兵器(ドローン)を一瞬で支配下に置いた岸波ハクノという少女――明らかにどうかしている二人だ。アークでも詳しくは把握していないという準模倣体(シミュラクラ)無意識の海(エス)の浜辺に流れ着いたという謎の多い漂流者(ドリフター)

 本当のところはハクノという少女に直接聞きたいところではあるが。

 

 ……そういえば叔母さんにゲヘナについて尋ねるのをすっかり失念していた。無口のゲヘナは正直なところ印象に残っていなかったのだ。それほどまでにハクノの奇天烈さが悪目立ちしていた。

 

 ゲヘナはしばらく黙ったあとに口を開いた。

 

「よく分からない。質問するなら焦点をはっきりさせてほしい」

 

 ……それもそうか。

 

「……あんたらの目的は」

 

「答えられない」

 

「…………素性は」

 

「答えられない」

 

 ……なるほどね、これは酷い。

 俺のナノ単位の怒りを察知したのか、ゲヘナはゆっくりと弁明する。

 

「ごめん、意地悪をしているわけではなくて――言語化が難しい」

 

 彼女は少し考え込んだ後に僅かに頷いた。

 

「わたしは代理人(エージェント)。――ムーンセルよりの代理人(エージェント)

 

 上手く言葉にできたと満足げな様子のゲヘナ。

 対して俺は首を捻った。クゥと同じIDを持つあの電子体も自らのことを代理人(エージェント)と呼称していた。しかし気になるのは聞いたことのないもう一つの単語の方だった。

 

「ムーンセル――それはなんだ」

 

 聞くと彼女は家電の説明をするようにつらつらと答えだした。

 

「太陽系外からもたらされたテクノロジー。古代遺物(アーティファクト)である月内部にあるフォトニック純結晶体で構成された全長3000kmの演算装置――」

 

「待て待て待て待て」

 

 俺は自らの額を抑えて彼女の言葉を止めた。

 

「冗談だよな」

 

「……」

 

 引き気味に笑った俺にゲヘナは沈黙を返した。

 なんてこった――彼女の頭はおかしいのか? それとも未だ本当のことを語る気がないということだろうか。こちらの精神衛生上、後者の方が嬉しいのが複雑だ。

 けれど――月から来たとは面白い事を言うものだ。あまりの荒唐無稽さに俺は少し笑ってしまった。

 

 ゲヘナは目を細め言い放つ。

 

「空さんなら、信じたのかな」

 

 その言葉に虚を突かれた俺は笑みを浮かべたまま凍りつく。言葉をなんとか捻り出せたのは数秒後のことだった。

 

「――――――今、なんて言った」

 

「空さんなら」

 

「繰り返さなくていい――お前はなんだ?」

 

 ゲヘナは不思議そうに首を傾げた。

 

「ムーンセルよりの代理人(エージェント)だよ」

 

 俺は混乱していた。

 思いもしない人物から空の名前を聞いた俺は平静さを欠こうとしていた。

 彼女は空の知り合いか? 俺と空の関係性を知っている? 彼女は最近までアークで凍結されていた電子体と聞く。それはないはずだ……いや違う、それはハクノであり、ゲヘナは……。クソッ、俺はこいつのことを何も知らない――。

 

「――あ」

 

 ぽつりと声を漏らしたゲヘナは俺との視線を突然切り、去ろうとする。

 

「待て、まだ聞きたいことが――」

 

 慌てて引きとめる俺へ、申し訳なさそうに彼女は告げた。

 

「またいずれ。……今は眠くて」

 

 ぷつんと通信が切れるとそのまま彼女はどこかへと転移していった。

 睡眠は重要だが、突然すぎやしないだろうか。まるで嵐のような奴――俺はやれやれと首を振る。ドレクスラーを追わなきゃならないって時にまた気になる要素が増えた。これはアークに知らせておいたほうがいいだろう。俺はゲヘナとのログを叔母さんへのメールに添付し送信した。

 

 時を同じくしてレインから通信が届く。

 

「無事ですか、中尉」

 

「ああ。そちらは問題ないか」

 

「はい。ですが、防壁の解除にしばらく時間がかかりそうです」

 

「……人形密造屋(NPCブートレガー)とドミニオンの通信記録を調べる。他は後でいい」

 

了解(ヤー)

 

 レインの短い返答の後、俺は現実へと帰還する。

 

 

<<離脱(ログアウト)>>

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ふと――身体が柔らかな椅子に包まれていることに気付く。

 前方には大きな銀幕。ああ、どうやらここは映画館、記憶を垣間見ることのできる不思議なところ。以前にも来たような覚えがかすかにあった。

 身が引き締まるブザーが鳴り、映写機のフィルムが勢いよく回りだす。

 

 ◇

 

 “答えよ――そなたが余のマスターか”

 

 高貴な赤い衣を纏った薔薇の皇帝が静かに、だが情熱的に問う。

 その視線の先にいたのは、芋虫のように横たわる満身創痍の少女――あまりにも無様だがその瞳には諦めない意思の輝きが満ち満ちていた。

 彼女はキッと顔を上げて赤い少女に応えた。

 

 “ああ!”

 

 “ふ。言葉は少ないが美しい返答(こえ)だ。気に入った。我が身を喚び付けた慢心も、今は問うまい。よし、特別に許す! そなたに余の奏者(マスター)たる栄誉を与えよう!”

 

 赤い少女は不敵に笑い、眼前の(人形)に長剣を構えた。

 

 ――これは取るに足らない凡百な出会い。

 されど、世界を色付かせる運命の出会い――

 

 

 西暦2032年、西欧財閥と呼ばれる巨大組織によって管理社会が築かれ、安定しつつも停滞する世界。ある時月面で発見された古代の遺物”ムーンセル”に、意思あるものが持てば世界さえ変革できる”聖杯”と同様の機能があることが確認された。

 自らの魂を霊子化できる魔術師(ウィザード)――霊子ハッカーたちは様々な願いを胸にムーンセルへとアクセスする。ムーンセルは己が担い手たる者を選ぶため、厳然たるルールが敷かれた電脳空間内での戦いの場を用意した。

 予選を突破した128人の魔術師たちは英霊であるサーヴァントを従えるマスターとなり、サーヴァント同士を戦わせて勝ち抜くトーナメントに参加することになる。敗北すれば即座に電脳死が与えられる過酷、現実へと帰還できるのは聖杯を獲得した優勝者ただ一人のみ。

 ――それが、月の聖杯戦争。

 

 予選を突破した岸波白野は自分の名前以外の記憶を何らかの不具合で失っていた。聖杯に託す願いすら思い出せなかった彼女は聖杯戦争(殺し合い)に参加することを躊躇い、思い悩みながらもトーナメントに臨む。

 それから彼女は様々な相手と戦い、様々な事を学び、セイバーと共にその全てを撃破した。楽な対戦など一つもありはしなかったが、”生きたい”という純粋な思いと諦めの悪さを武器に戦い、彼女はついに月の聖杯戦争の勝利者となった。

 

 聖杯(ムーンセル)の中枢――熾天の玉座で彼らを待っていたのは聖杯戦争の創始者を名乗る白衣の男だった。

 彼は言った。

 

「……停滞した精神、袋小路の世界――この時代はすでに腐乱した果実そのものだ。繁栄するために費やされた多くの命と資源がこの程度の文明で終わる為のものだったなど決して許されない。今まで支払ったものに相応しいものを築き上げなければ、人類はただの殺戮者だ」

 

 理的で冷静な男の眼。

 

「はるかな過去に生きた人間としてこんな未来は認められない。しかし、時間は不可逆だ。戻る事が出来ないのなら、進むしかない。――だから。もう一度()()()()()に戻す。誰もが当事者となる生存競争を持って人類の意識を違う道に進ませなくてはならない」

 

 偏執的で独善な言葉。

 

「地上に嵐を。失ったものを嘘にしないために、どうか、歴史をやり直してくれ」

 

 戦争そのものを憎みながらも戦争が生み出した成果を否定できなかった男。彼はハクノを真摯に、信頼をこめて見つめた。

 

 本戦の開始時には明らかに最弱のマスターでありながらついには世界の王を倒すに至った名もない一般人(岸波白野)

 戦いが彼女を鍛えた。苦境がその血肉を鋼に変えた。それは人類の可能性を示すものだ。

 

 彼の考えを否定することは出来ない。

 ――けれど。

 

 

 私は、

 選択した。

 

 

 ◇

 

 

「――奏者よ」

 

 優しい声が降ってくる。

 暖かな白い光が徐々に瞼の奥へと浸透していき、緩やかに意識が浮かび上がる。

 目覚め。新しい一日の始まり。ああ、今日もきっと穏やかな一日になるのだろう。……けれど、もう少しだけぽかぽかのベッドの中の幸せに浸っていよう。

 そう、あとちょっとだけ。惰眠をむさぼろう。

 

「むう、起きているのだろう。……意地が悪いぞ、余は寂しい」

 

 耳元でじゃれてくるセイバーの甘い声がくすぐったくて身体がむず痒くなる。

 私は鋼の精神を盾に全力で聞こえないフリをした。

 

「――奏者がその気ならこちらにも考えがあるぞ」

 

 声がするや否や腹部に衝撃が走った。――くっ、跨られたか!

 さすがはセイバー、大胆だ。一体全体ここからどうするつもりなんだ。

 彼女は私の肩に手をかけて語り出す。

 

「後悔しても遅いのだぞ。――ふ、古くより、眠り姫を目覚めさせるのは皇帝の口付けと決まっているのだ――!」

 

 な、なんだってー!

 驚愕の事実に身体を硬直させていると、頬に彼女の柔らかい髪がかかるのが分かった。彼女の息遣いをすぐ近くに感じる。私の表情を彼女が間近で見ているという当たり前の事実になぜか胸が高鳴る。

 呼吸の調子が乱れていく。そろそろ目を開けようか……いや、まだ早いだろうか? 目覚めを悟られないように呼吸を戻そうとするけれど、意識すればする程コントロールはぽろぽろと手から離れていき上手くいかない。

 寝たふりは、もうばれているよね。これじゃあまるで私がそのセイバーに……なんだ、うん、……されたがってるみたいじゃないか! くそぅ、目を開けるべきなのは分かっているけど、なぜか開こうとしない。なぜだー、なぜだー!

 

 ……?

 どうにもタメが長い。不審に思って薄目を開けると、そこには真っ赤な顔で固まったセイバーがいた。

 まったく……セイバーったら。私は呆れて苦笑いを浮かべた。

 天真爛漫を地でいくセイバーだが、親しい者に拒絶されることを恐れている彼女は、土壇場でこういうことになる。

 ……そこもかわいらしいだけどね。

 

「おはよう、セイバー」

 

 私は彼女の小さな身体に抱きついた。

 

「むむ――」

 

 突然の動きにバランスを崩したセイバーはそのまま私に倒れこんでくる。

 

「このままゆっくりしようよ、……ね」

 

 笑いかけると彼女は恥ずかしそうに目を逸らした。

 

「……す、少しだけだぞ」

 

 陥落したセイバーと二人してベッドに倒れ込んで笑いあった――その瞬間、大きな音を立てて寝室の扉が開いた。

 

「二度寝は悪い文明、です!」

 

 その声はアルテラ?!

 なぜか顔を赤くしている彼女に叩き起こされた私は、涙を流しながらベッドから放り出されたのだった……。

 

 

 ◇

 

 

 青空の下、荘厳な建築が立ち並ぶ目抜き通りをセイバーと並んでゆっくりと歩く。

 

 遊星ヴェルバーの襲来に端を発したレガリアを巡る一連の事変が終結してしばらく。霊子虚構世界SE.RA.PHには一時の平和が訪れていた。

 セイバーの支配する領域、SE.RA.PHローマの領土は日々拡大を続け、新たなNPCや徐々に増えつつある地上の人間の受け入れもそれなりのペースで進んでいた。

 

 なにもかもが順調だった。

 

 道を行く人々はみな笑顔で、それを見ているセイバーもほくほく顔だ。もちろんそんなセイバーを見れて私も嬉しい。

 ふと前を見ると前方から子供たちが手を振りながら駆け寄ってくる。

 

「新王さまー!」

 

 は、恥ずかしい! その呼び方はやめて!

 でも、手を広げて受け入れ態勢は整える。

 だが、彼らの向かう先はセイバーだった。私は広げた手をそのまま握り締め、一息で八極拳の演舞をした。

 

 ――こおおおおぉ、気を高める……。

 

 ふぅ、やってて良かった八極拳。落ち着いて考えれば子供たちがセイバーの方へ向かうのも当然だ。セイバーの服装には気品があるのに対し、私はただの巫女のような装いだ。どう見ても王様ではない……うーん、マントでも被るか。

 

「童女たちよ。余は新王ではない――皇帝だ」

 

 子供の頭をセイバーは優しく撫でる。

 

「すっごーい」

 

 感嘆の声にセイバーは気分を良くしてふふんと胸を張った。

 

「そうであろう、そうであろう――」

 

 子供らの問いに大きな身振りで人懐こく応対する彼女、市井の者とのこのような何気ない対話こそ彼女のしたかった治世なのだろう。

 段々と人が集まる中、私はどんどんと人の輪から押し出されていき、しまいには弾きだされてしまった。

 

 あんまりだとは思うが、これもまた個性のない私の見目の報いか。私は意味もなくその場でジャンプした。

 セイバーから焦った調子の念話が飛んでくる。

 

(どこにいる、奏者?!)

 

 気が付いたら近くにいないのだから心配しても当然か。

 

(大丈夫、少し離れたところにいるだけ。――それよりみんなの話を聞いてあげて、みんなセイバーが好きみたいだから)

 

(……うむ。SE.RA.PHのローマ市民である彼らの声に耳を傾けるのが余の務め。けれど奏者よ、一人で平気か? 寂しくはないか?)

 

 私は子供か。心配性なセイバーの言葉にくすりと笑う。

 

(安心して。あまり遠くへは行かないから)

 

 ◇

 

 パンテオン――其れは神々を祀る神殿。

 半球形をしたドームが特徴である石造りの巨大建築。頂上部分に開いたオクルスと呼ばれる孔から射し込む柔らかな光が冷たい壁を照らしている様は、不思議と調和を感じさせた。

 優しい空間、神の存在をすぐ近くに感じるように計算された場所。ローマ文明が終わりを告げた後もキリスト教徒がそのまま使い続けたのも納得の美しさがここにはある。

 セイバーは複雑な心境だろうか……――いや、それすらも好しとするのが彼女のありかただろう。

 

 SE.RA.PHが再現した歴史に思いを馳せながら内部を歩いていると、灰色の壁をじっと見つめたまま立ちつくしている男がいた。

 不思議に思いながら近付くと、男はゆっくりとこちらを向いた。

 

「――見事なものだ」

 

 黒いスーツを着こなす理知的な眼鏡の男性は微笑みながら、片手を壁に伸ばした。

 

「2000年もの間、朽ちることのなかったローマ建築群。腐食を耐えた要因とされるのがこの古代コンクリートだ。近代のコンクリートは100年も経てば劣化するが、これは違う。――遥か昔に途絶えた技術が、再現ではあるが今目の前にあるというのは実に興味深いね」

 

 聞いたことのある話だ。従来のポルトランドセメントと異なり、古代コンクリートは酸に対する抵抗性が強かったという。ローマ文明のあとの大型建築は石造りが主流となったのでその製造法は失われてしまったというが。

 しかし、彼は一体……?

 戸惑う私をみて彼は苦笑した。

 

「すまない――私は久利原直樹、学者だ。よろしく」

 

 私は彼に求められるがままに握手を交わした。

 

 ――学者。

 脳裏に過ったのは二人の男だった。聖杯戦争を仕組んだ医学者ピースマン、そしてヴェルバー事変の首謀者、数学者アルキメデス。

 学者に苦手意識を持っているのは否めない。けれど私は頭を振って、真っ直ぐに男の顔を見つめた。そこには落ち着いた理性の瞳があった。

 所属する枠だけで人を判断することなく、相手そのものを理解しようとする……簡単そうに思えて実のところ難しいこれは自分の世界を広げることに繋がるはずだ。

 彼の第一印象は悪くなかった。むしろ優しそうな人だと私は感じている。

 

「岸波白野です、どうも」

 

 彼は頷いたあとに、困ったような表情を浮かべた。

 

「おかしなことを聞くようだが、ここがどこだか分かるかな。どうにも記憶が曖昧でね……気付けばこんな場所にいたのだ」

 

 それは大変だ。落ち着き払っているが、実際は心細いのかもしれない。元記憶喪失の自分には彼の境遇が他人事のようには思えなかった。

 しかし、どうしてそんなことが起きているのだろう……。ムーンセルが生成するNPCであれば最低限SE.RA.PHの基礎知識は入力されているはずだ。それがないのだとすれば、彼は地上からの移住者、いや……自覚なきままムーンセルに招かれた魔術師(ウィザード)という可能性も否定できない。

 よし、なにから説明したものか。

 

 と……その前に、この領域()を初めて訪れた人を歓迎する言葉を彼にも送ろう。いつもはテンション高めのセイバーが言っているのだけど今回は代理で私が。

 私は自身の胸に手を当てて、彼に告げた。

 

「ようこそ、SE.RA.PHローマへ。人々の辿り着いた新たな(ステラ)へ」

 

 

 




MATERIAL

>>八極拳
とあるアサシンに護身術として教えてもらったらしい。

>>久利原直樹
アセンブラ開発者。門倉甲をはじめとする如月寮生の恩師。ドレクスラー機関のトップで灰色のクリスマスの発端となったアセンブラ流出を起こしたとされる人物。

>>BALDR ACE
「BALDR」シリーズ初のスマホ/ブラウザ向けゲーム。
メインシナリオは卑影ムラサキ氏。配信時期は未定。
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