BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのBALDR SKY / EXTELLA<<

死人である運命の――六条クリス。
異境より来る使者――岸波ハクノ。

二人の存在に世界はもはや変質を隠せない。

そして――その裏切りで結末は定まった。


Dive2 "Reboot"
第1話 再誕 / 深紅の虚像


 ことの起こりはまるで長い夢から覚めるように唐突で。

 その異物は当人に自覚なきまま、世界に産み落とされた。

 

 因は、はるか未来から。

 果は、現在(いま)を容赦なく変質させる。

 

 

 ◇◇

 

 

 ゆっくりと――水の中を沈んでいく。

 揺らぐ海面はすでに遠く。

 そのさきの空に、一切の光はない。

 

 

 灰色の霧に包まれた、赤い海――AIの無意識領域(Es)

 存在の確定しない確率の海。莫大な情報が混沌とした仮想の最果て。

 人の観測によりAIが構築した仮想空間(虚構)とは一線を画する、常識の通じないその深部。

 もし、人が触れてしまえば、認識限界を超えた情報の渦によって精神が容易く汚染され、すぐさま正気を失うことだろう。

 

 

 なのに――あなたは、そこにいた。

 知性あるものを受け入れることのない海を、あなたは揺蕩っている。

 

 

 冷たさはない。

 息苦しさもない。

 当たり前だ。あなたには人としての肉体がない。

 あるのは、ただ仄かな意識だけ。

 

 “――”

 

 ここは……。

 私は……なんだ?

 

 解を求めようとする意識は浮かんだ端からぽろぽろと消えていく。

 まるで夢の中のような曖昧模糊。

 順序立てて考えようとしても、その途端に言葉が滲みすぐさま白紙の状態へと戻る。

 

 思考することを何かに阻まれているのか。

 それとも、もとよりその機能がないのか。

 

 あなたはその試行を、何度も無垢に繰り返した。

 気が遠くなるほどの長い間。

 何度も、何度も、何度も。

 

 

 しかしながら、その行為にはなんの意味もなく、無情にもすべてが徒労に終わる。

 何に失敗したのかについての記録すら忘失し、初期状態へと落ち着く意識。だが、出処の分からぬ虚しさだけは、澱のように積み重なりあなたの中で残留していた。

 

 そして。

 いつしか、仮初の意識はありきたりな結論に辿り着き、やがて停止する。

 

 ――私はここまでだと。

 これ以上は望めないのだと。

 

 

 

 

 ――……どこまでも灰色で、暗い無意識の海。

 

 “――”

 

 けれどまだ。

 あなたはそこにいた。

 

 目的などない。

 このまま何も変わらないであろうことは感じている。

 しかし、このまま情報の海に溶けて、意味を消失する事だけは拒んでいた。

 

 ――消えたくない。

 

 それがあなたにあった、原初の衝動。

 自我さえも微睡のうちのあなたに残されたはじまりのこころ。

 

 

 

 いつしかあなたは深層へと沈んでいた。

 そこで、あなたは小さく光るなにか――この海で初めて見つけた意味あるものを探知し、ぼんやりとした意識を向ける。

 

 それは砂粒のように小さな光を放つ割れた鏡。

 砕け散った――の記憶の欠片。

 

 あなたはそれが何だか分からない。

 

 けれどどうしてだか。

 自然と意識はそれに向かい、決して離れることはなかった。

 

 衝動に端を発す心の赴くまま意識の触腕を伸ばしたあなたは、欠片の一つにそっと触れた。

 暖かさも懐かしさも感じない――けれど、間違いなくそれはあなたが探し、求めていたものだった。

 接触したと同時に欠片があなたと同化する。

 それを皮切りに、ほかの欠片達もゆっくりとあなたの意識の淵を周転し始める。

 

 欠片はあなたと共鳴すると同時にさらに輝きを増した。その光景はまるで原初の星系のように神々しい。光が中心へと集う様は、さながら孵化を待つ繭のようだった。

 

 ――はち切れそうになった繭はやがてひび割れ、その内側から人形が現れる。

 

 栗色の髪をした、その少女――RE01-HK-F-(岸波)MA01 / EV01(ハクノ)

 

 

 こうして、少女(あなた)は形を得た。

 

 

 

 

Dive02 Reboot

 

 

 

 >>ミッドスパイア構造体

 

 

 岸波ハクノの電子体をGOATが捕らえてから数日が経過した。

 強力な麻酔プログラムで昏倒させられた彼女は六条クリスの手により統合軍の管理下にあるミッドスパイア構造体深部の隔離室に収容された。

 現在、彼女は白い部屋にポツンと置かれた清潔なベッドの上に横たえられた状態で拘束されている。だが、この拘束自体にとくに意味はない。拘束具は彼女を捕らえたということを視覚的に明らかにするためのものであり、もし目を覚ませば容易く抜け出すであろうことは明白だった。

 彼女の意識を万が一にも覚醒させないため、一時的に意識を抑制するプログラムコードが常時投与されている。現在行われている簡単な検分が終わったのちに彼女は凍結処理される予定だった。

 

「――結論から言えば、これはNPCです」

 

 研究員が口を開く。

 

「戦闘ログの内容を鑑みれば高度な戦闘AIを組み込んだ、アークの試作無人兵器で間違いないでしょう」

 

「……現実の肉体(リアルボディ)を持つ人である可能性は」

 

 研究員は首を静かに振る。

 

「統合に届け出されている人民情報にこれと一致するものはありません。そもそも、署名(シグネチャ)があることから、これが造られた存在(NPC)であることは明らかです」

 

「なるほど」

 

「この型のNPCが量産されれば脅威です。その前に手を打つべきだと思いますが……」

 

 研究員の話を半分聞き流していたクリスは、網膜に展開したデータの一つに目をとめた。

 

「これは?」

 

 ハクノの全身を精査(スキャン)した人体図。その右手の薬指に黒い影があった。

 

「それは指輪型の端末です」

 

 クリスは額に手を当てしばらく考え込むと小さく呟く。

 

「……レガリアか」

 

 怪訝な表情を浮かべた研究員に彼女は首を振った。

 

「モニタに映らない理由は」

 

「不明です。コードの集積体であることは明らかですが、その言語が未知であるため内容の解析ができません」

 

 簡易的な調査ではここが限界なのだろう。

 ――だがそれでいい、とクリスは考える。

 バルドルの処理力を使えば何かしらの情報を得られるかもしれないが、それは彼女の意図するところではない。

 

「……取り外しはできる?」

 

「無理です、完全に一体化しています。指輪を含めて調整されたのがこのNPCなのでしょう。どうしても外したいというのなら――指を切断するほかありません」

 

 物騒な話にクリスは思わず顔を顰めた。

 

「それは許可できない。彼女をいま覚醒させるわけにはいかないわ」

 

 GOATの長官達はハクノをアークへの牽制に使えると考えていた。

 届け出のない兵器を企業が所持する事は禁じられている。とはいえテロの横行するこのご時世ではなかば形骸化したルールであり、どの企業も統合への報告以上の兵力を保有しているはずだ。だが表向きでは遵守しておく必要がある。

 今回、未知の挙動を見せる戦闘NPCとシュミクラムが確認され、その出自がアークだと断定された。この事実を利用すれば、アークの不穏な動きを抑制することができる。また、強制摘発をするときに都合のいい口実になるはずだ。

 

 それから二言三言会話したあとクリスは研究員を退室させた。

 彼女は部屋を隔てる分厚いガラスに触れ、その向こうに横たわるハクノに視線を向けた。

 

「しばらく寝てなさい――」

 

 そう呟くと彼女は瞼を閉じ、無機質なガラスへと額を預けた。

 硝子の冷たさは、彼女にあの日の記憶を呼び起こさせた――。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 粗い紙の上で砂粒を転がすような――最初はそんな不規則な音だったように思う。

 けれどそれはいつしか整い、意味ある旋律となった。

 深淵より伝播する残響。唄とはどこか違う不思議な音色。けれど、それは確かに意味を乗せていた。

 

 あれが聞こえたのは雪が降りそうに寒かった日の夜――灰色のクリスマスと呼ばれる出来事が起きる少し前のことだった。

 

 ◇

 

 >>鳳翔学園 12月24日 

 

 風が強く吹き付け窓が音を立てる。

 

 まどろんでいた意識がゆったりと浮上した。壁に備え付けられた時代錯誤も甚だしい古びた時計の針を確認すれば、数分ほど意識を手放していたことが分かった。

 生徒会室。その奥にある会長の椅子に私は深く腰掛けていた。

 両腕を前へぐっと伸ばし息を吐き、ゆっくりと天井を見上げリラックスしていると意識の埒外から声が掛けられた。

 

「――お疲れかしら」

 

 少し驚き、声のほうを見ると、いつ入室したのか存在感のない少女が佇んでいた。鳳翔学園の制服――上半身に影が差していて顔立ちは確認できない。

 こんな生徒が在籍していただろうか。じっと見ようとするとそれを遮るように彼女は言った。

 

「無駄よ」

 

 脈絡のない言葉、その意味するところが私には理解できなかった。

 彼女は構内に無断に立ち入った不審者……? 制服を着用しているためその線はないだろうが、どうしてこんな場所に。

 影のように掴みどころのない彼女の存在を私は気味悪く思った。だが不思議と少女がここにいる事への違和は感じない――明らかにおかしい女だと直感しているというのに。

 

 その事実がますます彼女の不自然さを際立たせる。

 

 ……頭の中がぼんやりとし始めた。どこか熱っぽいような。

 おかしい、――寝ぼけているのか。

 

「私は、データの整理を――していた」

 

 さきほどまでの己の行動を確認し、私は平静を保とうとする。

 

「そうね。真面目なアナタらしい」

 

 肯定する彼女は、ゆっくりと歩み寄る。

 

 窓の向こうから聞こえてきた歓声に、今の状況が現実であると私は認識する。

 不審な彼女は窓の向こうへと視線を向けた。

 

「今日はクリスマスね。一部の生徒たちが校内でパーティを楽しんでいるみたい」

 

 あなたが許可したんでしょう? と、彼女は問いかける。

 ああ――気心の知れた学友、あるいは交際相手、家族と共にこの日を過ごすのは幸せな事だ。

 

「でも、あなたは一人ね」

 

 表情の見えない少女――ただ、その青い眼は愉快そうに嗤っていた。

 どうしてか私は無性に苛立った。

 

「――それが何」

 

 波打つ感情に任せて出た刺々しい言葉に彼女は肩をすくめて小気味よく笑った。

 

「別に。アナタが異性やお友達からの誘いを断ったのは知ってる」

 

「――」

 

 私は唇を噛んだ。誰にも話していないことを――なぜこの女は知っている。

 

「孤独は好きでもないくせに」

 

 心底おかしそうに放たれた彼女の言葉に私は息を呑んだ。

 逆鱗というものだろう――気付けば私は、机の上にあったタブレットを彼女に向かって投げつけていた。ぶつかる寸前、彼女の身体が薄く波打った。それはまるで水面を渡る波紋のように。

 彼女を透過して壁に勢いよくぶつかったタブレットは粉々に砕けてスクラップになった。

 

「いきなり何よ」

 

 びっくりしたわ、と両手を広げる少女。私は俯いて首を振った。

 私はどうしようもなくこいつが嫌いだ。これ以上話をしたくない。

 

「消えて……私の前から、今すぐに!」

 

 すると、少女はすぐに頷いた。

 私は意外に思った。短い間に感じ取れた彼女のいやらしい性格からして笑いながら拒否すると感じていたのに。

 

 彼女は自分の子供に聞かせるような穏やかな調子で私に宣告した。

 

「安心して。もうじき――」

 

 彼女は窓の向こうに目をやった。そこには暗い夜空しかない――まるで星が降るような。

 

「――なくなるからね、何もかも」

 

 その言葉を最期に彼女の姿は掻き消えた。最初から誰もいなかったような静寂が生徒会室を包む。

 まるで白昼夢のような曖昧さだった。私は何を見、体験したのか、その全てが急速に遠ざかっていく。握りしめた掌からこぼれゆく砂粒のように抜け落ちていく。

 

 

 そして、私は忘れた。

 何を忘れたのかを忘れてしまった。確かにあったはずなのに、もはや手の届かない領域にある記憶。忌まわしい誰かが口にした最悪。

 

 “なくなるからね――何もかも”

 

 胸がひりつく。どうしようもない焦りを感じる。何かが致命的に手遅れになったような。

 

 焦りを抑えられない私は椅子から立ち上がる。

 窓に歩み寄り、そっと額を預けた。

 外気の冷たさを伝導した硝子はひんやりとして気持ち良かった。

 

 閉じた瞼の向こうで何かが光った。

 ゆっくりと瞼を開く。

 

 ああ――終わる。

 私は思う。

 

 今回も。

 

 夜の帳が下りた街並みの向こう。

 ――複数の光柱(ひかり)が空を引き裂いていた。

 

 

 ◇

 

 

 風が強く吹き付け窓が音を立てる。

 

 まどろんでいた意識がゆったりと浮上した。壁に備え付けられた時代錯誤も甚だしい古びた時計の針を確認すれば、数分ほど意識を手放していたことが分かった。

 生徒会室。その奥にある会長の椅子に私は深く腰掛けていた。

 両腕を前へぐっと伸ばし息を吐き、ゆっくりと天井を見上げた。

 そんな私に意識の埒外から声が掛けられる。

 

「お疲れかしら」

 

 碧眼の少女が部屋の隅からこちらを見つめていた。

 私は無言で睨みつけるがどこ吹く風、そんな拒絶を意に介さずに、彼女は私へと近付く。

 

「アナタのことを聞かせて」

 

 背後から私の肩を掴んだ彼女は、甘く耳元で囁く。

 ――気持ち悪い。この感情はどこから来るのか。そんなことは考えたくもなかった。

 

「六条の家は嫌い?」

 

 彼女の質問に答える気はさらさら無い。

 なのに自然と唇は動く。

 

「恩があるわ」

 

「養護施設から引き取ってもらっただけなのに」

 

「幸運だった」

 

「彼らはアナタの優秀さだけを選んだわ」

 

「期待には応え続けている」

 

「アナタは怖がっている――変化を」

 

 突然……何を言っている。

 

「心は施設に捕らわれたまま。あなたは何も変わってはいない」

 

 目を閉じる。

 ――やめろ。

 

「孤独になったのは境遇のせいでも、性格のせいでもない。アナタはただ暗闇の中に一人でいたかった」

 

 やめろ。

 

「変化したくないからひとりを選ぶ。救えない馬鹿ね。アナタはとっても中途半端。そんなのは孤独でも孤高でもなく、ただの寂しがり屋というの」

 

 ……ふざけるな。

 

「その矛盾。――私は愛するわ」

 

 顎をぐいと上げられる。

 覗きこむ少女の青い眼はやはり、嗤っていた。

 

「私は、嫌いだ」

 

 拒絶――瞬間、天井が焼け落ち、灼熱が私を襲った。身体は蒸発し、意識は細切れになり、どこかへと飛散した。

 

 

 ◇

 

 

 風が強く吹き付け窓が音を立てる。

 

 まどろんでいた意識がゆったりと浮上した。壁に備え付けられた時代錯誤も甚だしい古びた時計の針を確認すれば、数分ほど意識を手放していたことが分かった。

 生徒会室。その奥にある会長の椅子に私は深く腰掛けていた。

 すぐに立ち上がり、扉を潜ろうとする。

 

「――どこに行くの?」

 

 片隅の少女がおかしそうに尋ねる。

 

「アンタのいないところよ」

 

 私は廊下に出てすぐに駆ける。

 冷えた空気、暗い回廊。連なる教室を走り抜ける――その全ての扉に彼女は立ちつくしていた。ああ、なんて悪夢。これまで何回繰り返してきたのか。これから何回繰り返すのか。

 

 昇降口を出て、寮へと走る。

 吐く息は白い。コートを羽織ることなく外に出ていたため肌がひりひりと痛んだ。

 

 寮に飛び入る。

 ソファに座ってくつろいでいた寮生がびくりと震えた。私はそれに構うことなく自分の部屋へと向かった。

 

 自室の扉を施錠し、二段ベッドの下に入り毛布を被る。

 私はほかの寮生と違い、一人で部屋を使わせてもらっていた。理由はいくつかあるが、今はどうでもいい――夢なら覚めてくれ。

 しかしながら願いは届けられず、誰もいないはずの上のベッドがきしんだ音を立てた。

 乾いた笑いが出た。いるのだ、そこに彼女が。

 

「いつまで目を逸らすつもり」

 

 少女は二段ベッドから飛び降りて器用に着地した。

 ――ひどい悪夢だ。

 

「勘弁して、なんなのよ」

 

 嘆いても少女は笑うだけ。

 

「あなた、誰?」

 

 私は彼女の瞳を見つめる。

 

「そんな質問に意味はないわ」

 

「っ……」

 

「そうね――でも、もう終わり」

 

 部屋が真っ白になり、刹那のうちに身体はばらばらに消し飛んだ。

 

 

 ◇

 

 

 私は生徒会室を出てすぐに駆ける。

 冷えた空気、暗い回廊。連なる教室を走り抜ける――その全ての扉に彼女は立っていた。ああ、なんて悪夢。これまで何回繰り返してきたのか。これから何回繰り返すのか。

 

 

 私は攻撃を受けていた。

 意識への干渉。もはやいつからなのかは分からない。気付くのがあまりにも遅れた。

 

 私は電脳症だ。

 他人の意識が無制限に流れ込むのが主な症状だったが、今ではだいぶ回復している。脳の境界を意識して設定することで流入を妨げ、どうにか日常生活を送れるようになったのだ。

 

 今まさに、この脳の境界が侵されようとしていた。私の脳に何者かが侵入している。だがこれは潜脳(マインドハック)とはまったく異なる感触だった。他人に土足で脳を踏み荒らされるようなものが潜脳だとすれば、今の状態は脳の境界ごと他人に呑み込まれるようなものだった。それは自己現実の崩壊を意味する。

 この相手()は何者なのだ。

 私は彼女の現実に浸食されている、日々細胞が生まれ変わるように私は刻一刻と彼女に成り果てようとしている。

 彼女の目的は一体――。

 私の心を暴くこと? 彼女の言動から私の記憶を参照していることは明らかだ。けれどそれは手段であって目的ではない予感がある。

 

 彼女が心を読むように、私も彼女の心を読もうとする。

 だが、驚くことにそこは私の領域だった。どういうこと――これではまるで私の虚像。

 細部を把握しようとする都度私たちの境界はどんどんと曖昧になっていった。強く自己を認識しなければ私の存在はすぐに押し流されてしまうだろう。

 何が起きている……?

 

 私は私に攻撃を受けていた。

 訳が分からない――。

 

 

 昇降口から出た私の前に彼女が陽炎のように揺らめく。まるで出来の悪い幻術。

 

「無駄よ――もういいでしょう」

 

 彼女を拒み続けば、これまで繰り返してきたように私の命は跡形もなく消えるのだろう。空より来たる極限の光で。けれど、このまま変質を受け入れても私は――。

 

「私とあなたは一緒よ」

 

 突然の彼女の妄言に私は言い返す。

 

「何を……ありえない。あなたは悪魔よ」

 

「孤独で残忍で、陰湿――違うの? アナタは夏の頃、一人の生徒を病院送りにしたわ」

 

 私はたじろぐ。

 

「……あれは。注意を受けて激昂した彼が、暴力を振るおうとしたから。――それで返り討ちにしただけ。怪我をさせる気なんてなかった」

 

 少女は腹を抱えて笑った。

 

「良くほざく。彼の両手の指を踏みにじって粉砕しときながら。まさか、覚えてないの? 高慢な彼が泣き喚き、無様に小便を垂れ流している姿を見たアナタは……愉快そうに嗤っていたのよ!」

 

「やめて! それは駄目……」

 

「アナタは他人を家畜以下の存在だと思っている! いい子を装っていても私には分かる。壊したくて壊したくて仕方ない性質は抑えられない。あの場所でせっかく壊し方を学んだのだから壊したい。そうでしょう? ――アナタはそう望まれて生まれてきたんだから!」

 

 彼女の嘲笑に私は頭を抱えて叫ぶ。

 

「消えてっ!!」

 

 瞬間、私を灼熱の炎が舐める。

 今回も終わる――もういい加減にして。

 もう、私を見ないで。

 

 

 ◇

 

 

 昇降口から出た私の前に彼女が陽炎のように揺らめく。まるで出来の悪い幻術。

 これまで何回繰り返してきたのか。これから何回繰り返すのか。

 憔悴した私は溜め息をつく。

 

「グングニールが墜ちるのね」

 

 少女はうなずいた。

 

「しばらくすればここは消える」

 

 もう私には何が現実か分からなかった。どこからが夢で、どこまでが現実なのか――その境界の曖昧さはそのまま彼女との距離になる。

 

「私は死ぬ」

 

「当たり前のように」

 

 意味も分からず意識を侵され、魂を汚染され、訳も分からず未来を宣告される。事実と虚構の境界が混ざり合い、私は正気を手放す。

 

「……何もしてないのに」

 

「どうして」

 

「ありえない」

 

「生きたい」

 

「死ねない」

 

『だったら――』

 

 私は夜闇に立ち尽くす。

 いつの間にか不審な少女は消えていた。

 いや――最初から彼女はいないのだ。

 

『ああ――』

 

「――」

「姉さん」

 

『アナタを――私は……(アタシ)は……』

 

 ゆっくりと夜空を見上げる。

 目は濁り、指の先が震える――そしてタガが外れ哄笑する。

 

「クッ――アハハハハハハハハ!!!」

 

 

 ここに彼女の生存の確定が確定した。

 つまり――因果(リンク)は結ばれた。

 

 

 ◇

 

 

 回想を終え、瞼を開く。

 

 灰色のクリスマス前後の記憶はまるで精神病患者が見た夢のように混沌としている。潜脳とは似て非なる攻撃、繰り返し体験した自分の死――あれが現実だったかは今となっては分からない。

 事実としてあるのは私が蔵浜付近の山道で倒れていたということだ。記憶にはないがどうやら私は何らかの交通手段を使って爆心から逃れたらしい。

 そこで私は世界の終わりのような光景を見た。まるでマントルのマグマが一気に地上へ溢れ出たかのような炎の地獄が地平線付近に広がっていた。

 街が跡形もなく吹き飛び、人の生存なんて期待できない惨状。通常ならそれを見て、嘆き悲しみ涙を流し、そして怒るのだろう。しかし、私は――ああ、そう――としか思えなった。

 正直なところ現実感に乏しかったのだ。

 

 そんな目の前のことより、私は先ほど見たおかしなヴィジョンと現実の奇妙な一致に疑問を抱いていた。

 

 あの時、私は自分が自分に攻撃を受けているのだと直感していた。もし、それが正しいのだとすれば、私という存在がどこかにもう一人いるということだ。ドミニオンの教義を引用するなら、それは真の世界の私といえるのかもしれない

 

 ――くだらない。真の世界などありえないし、人に未来など見通せるはずもない。

 

 以前の私ならそう一蹴しただろう。

 けれど、すぐに悪夢が私を襲った。

 

 右目の眼帯を外し、私はガラスに反射した己の顔を見つめる。そこには虹彩が変色した眼球がある。この瞳の色は忘れもしない、あの少女の碧眼。現実には影響の及ばない電子体だけの変化だが、精神ともいえる電子体の変質が何を意味するかは分かりきっている。

 

 ――精神の汚染だ。

 

 まるで死の回避の代償に自身の大事な部分を明け渡してしまったかのよう。私の意識は私だけのものだ。そこに誰かが介入していいはずがないというのに。

 

 あの日から私の中で声がする。

 いや、それは声ではなく心地の良い旋律。

 接続点を経由して届く世界への敵意。

 心地よい湯舟――そこに張られた底なしの悪意。

 認めたくはないが私の精神は徐々に誘導を受けている。ドミニオンら敵に対する暴力性、嗜虐心の暴走、与えられた未知の知識はその一端だろう。

 

 壊せ――と絶えず彼女がささやく。それは抗いがたい誘惑だった。

 だが、傀儡になるのはまっぴらだ――くたばれ。

 

 この悪意が、私の全てを呑み込む前に。

 私が私を喪う前に、私はその元凶を断たなければならない。

 

 そのためなら。

 ――慕ってくれた少女の信用を裏切ることなど造作もない。

 

 

 




MATERIAL

>>六条クリスの灰色のクリスマス
彼女はその日何者かの干渉を受け、自らの死を繰り返し体験し心神喪失状態に陥る。その後、現在まで連続する意識を取り戻した時、彼女は覚えのない山中の道路にいた。
訳も分からず生き延びた彼女にとって現在は、クリスマスの夢の続きのようなもの。現実だとは分かっていてもどこか浮つく感覚がある。
精神を蝕む源泉を彼女は断つ――己の確固たる現実のために。

>>岸波ハクノ
...Zzz...
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