BALDR SKY / EXTELLA   作:荻音

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>>前回までのバルステラ!<<

無名都市で危ない男の人にナンパをされたはくのん!
そんなところを渚さんに助けてもらったよ! 今度はお礼をしたいね。
また無意識に触れた彼女は一部の記憶を取り戻した!

どうするはくのん!




第4話 予感 / レガリア

 >>無名都市 エディのアジト

 

 薄暗い部屋の中で何台ものPCが低い音を立てて稼働していた。壁には何枚もの紙が乱暴に張り付けられているが、字が汚くて言語が何かも判別できない。一言でいえば乱雑な部屋だが、本人いわく整頓された状態なのだそうだ。いつもはエディが愛用している甘いドラッグの香りが充満している部屋なのだが、今日はいつもと様子が違う。

 ……青い顔をして汗をだらだら流すエディと、ほくほく顔の白野が挟んでいるテーブルの上にその元凶があった。ぐつぐつと煮立つ赤いマグマの海。そんな地球のはじまりを連想させるマグマオーシャンにはわずかに浮かぶ白い大地がある。しかし、ああ、なんということだろう……そんな安全地帯にも黒い地雷が振りかけられている――。

 信じたくない、信じられるはずがない。目の前にあるのはこの仮想に現れた煉獄。約束された惨劇。其は――陳麻婆豆腐。俯いていたエディは震える拳を握りしめながら白野を盗み見る。彼女は慈愛の笑みを浮かべながら、れんげで麻婆を二つの取り皿に分けようとしていた。――戦慄。天使が死神の鎌を持っているかのような錯覚にぞわりとする。俺は食うというのか、アレを? 香りだけで汗が止まらない劇物を? 冗談じゃねぇ、間違いなく脳死(フラットライン)する! 恐らくは世界でも類を見ない間抜けな死に方だ……。

 

「お待たせエディ、――召し上がれ」

 

 差し出される小皿。彼は赤い湯気の向こうに斬首台の幻を見た。

 断るという選択肢はない。なぜならこの現状を生み出したのは他ならぬエディ自身なのだから。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

「遅れてごめん」

 

 アジトに入ってきた白野の姿に、エディは口に含んでいた炭酸飲料を勢いよく噴き出した。――何の冗談だってんだ、その尻尾は! その反応に満足したのか白野は狐面を外して得意げな顔を晒した。

 

「これで顔バレしない」

 

 逆に噂になりそうだと感じたが彼は口には出さなかった。鼻歌交じりで向かいのソファに座る白野。このまま案件について話し始めるのもいいが、ちょっとしたジョークで繋ぎを作るとするか。エディはいつものニヤニヤ顔で話し始める。

 

「時は金なり、って言葉がある……へへ、嬢ちゃん。遅刻した分をどう償ってもらおうか」

 

 白野はまばたきを数回した後に、小ぶりな胸を守るように腕をクロスさせて間延びした小さな悲鳴をあげた。二回りほどの年の差がある二人だ。冗談だということはお互いに分かっている。小さく笑い合った後にそういえば、と白野は続けた。

 

「アイテムボックスに私の好物が入ってたんだけど、食べる?」

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 目の前で幸せそうに麻婆を頬張る白野。対してハイライトの失せた瞳で手に持った小皿を見つめるエディ。――もしかしたら見た目ほど辛くないのではないか? そんなありえない考えに縋りつきながら、彼はれんげを皿に沈めた。

 その衝撃で麻婆豆腐内部の山椒が弾け、エディの嗅覚がこれでもかと刺激される。彼はれんげをゆっくりと口に運び、……その一歩手前でごくりと唾を飲み込んだ。不自然なまでに麻婆豆腐に息を吹きかけ、劇物を冷まそうと試みる。そんなエディに白野は――

 

「あつあつが美味しいよ」

 

 何の悪意も感じられないような笑顔で、無慈悲な言葉を浴びせるのだった。その一言に全てを悟ったかのような表情を浮かべるエディ。彼はその目を閉じて、麻婆豆腐を口に入れた。

 

 宇宙創世――ビッグバン以前の虚数空間には気の狂いそうな静寂があった。麻婆が舌に触れ、刺激が脳に伝達されるまでのほんの一瞬、エディは確かにそこにいたのだろう。そして、全てが崩壊する。想定外の辛さに悲鳴をあげる脳神経、山椒でビリビリしびれる舌。辛さが辛さを呼ぶ無限の円環。……辛い、辛い、辛い、辛い、辛い、辛い、辛い、旨い…………旨い? この感情は、何だ? 理解不能、まさに未知の感覚。ならば、……確かめる必要がある――!

 

 

 カラン、と小皿とれんげが小気味よい音を立てた。気付くと小皿の中は空になっている。――まさか、俺は食べきったというのか? 対面の白野は、美味しかったでしょ? とでも言いたげな顔をしていた。

 不思議な達成感がエディの身体を包んでいる。これは、癖になる味だ……。言うなれば、新たな電子ドラッグ。――まぁ、何はともあれ。

 

「ごちそうさま。……美味かったぜ、”イヴ”にも食わせてやりてぇくらいだ」

 

 率直な謝意を白野に伝える。白野は皿を虚空に収納しながら首を傾げた。

 

「AIも食事をするの?」

 

「さすがにそれはノーだ。けど、知性はある」

 

 まだ話してなかったか。まぁいい機会だ、説明しておくか。

 

 ――大戦末期の頃。統合軍と大企業は共同で機械ベースのマシンの究極形態とされるバルドルシステムを開発した。バルドルは自律成長型推論ネットワークとして世界、十数か所に設置される。その一つが清城市にあり、今は環境建築(アーコロジー)を運営していた。

 

「あーころじー?」

 

「清城市の中心にある地上1000mにもなる巨大建築ミッドスパイアのことだ。人口の2割と富の70%が集約されているイヤミな場所だよ。……外部とは隔絶されていて富裕層の一部しか居住権が与えられねぇ」 

 

「そんな……」

 

 白野はひどく傷ついた表情をするが、エディはそれを鼻で笑った。

 

「ミッドスパイアの外周部は大部分がスラムで、毎日どっかしらでテロが起こってる。清城市全体に厭世的な雰囲気が満ち満ちているのさ。……と、本筋から逸れたな。話を戻すぜ」

 

 ルネサンス計画という軍主導で行われた次世代テクノロジー開発プロジェクトの一つに機械ベースと生体ベースのマシンに知性を持たせるというものがあった。その秤になったものが感覚質(クオリア)の獲得だった。

 

感覚質(クオリア)というのは、赤い、辛いみたいな意識体験の具体的な内容のことだ、分かるか?」

 

 白野はうーうー、と知恵熱を出した子供のように唸っていた。どうやら理解できないようだ。その様子にエディは少し唇をめくり上げて笑った。

 

「知っておいてほしいのはバルドルが結局感覚質(クオリア)を獲得できなかったという事だから、まぁいいさ」

 

 一方、バルドルの開発から遅れること数年、生体ベースのマシン研究の中で有機AIが偶発的に発現した。有機AIはそのまま爆発的な進化を遂げて感覚質(クオリア)を獲得、自己改良を続けて機械論的AI(バルドルマシン)を上回る計算能力をまでも手に入れた。さらに、それから十年も経たないうちにAI内部に量子的な通信手段を生み出したのだ。

 統合政府は原初の有機AI”イヴ”を管理下に置こうとしたが、意思疎通が叶わなかったためアーク・インダストリーにその管理を一任することになる。

 

「――AIが仮想を管理しているんだよね?」

 

 白野はエディに確認する。

 

「そうだ。清城市はイヴ、……灰色のクリスマスで消えちまったが蔵浜市にはマザーっていうAIがあった」

 

「だったらAIを管理しているアークは仮想を自由に出来るんじゃない?」

 

 白野とアークには何かしらの関係がある。だが”襲われた”という点を見ればそれが良好でないことは明らかだ。白野はアークがAIに干渉することで自分のいる座標(アドレス)を特定される可能性を危惧しているのだろう。

 

「あー、その点は問題ない、そもそもAIは人間が御しきれるものじゃなくてだな。アークは管理というか、放任しているようなものなんだ。AIは人類の営みに不干渉。仮想世界には現実世界に則ったロジックが適用されるからそれを曲げることをAIはよしとしない」

 

 淡々と説明していくエディだったが――

 

「……だから、電子体が死にかけていてもAIは死に行く肉体を無慈悲、無感情にし続けるだけなのさ」

 

 話が進むにつれて彼の顔ははだんだん暗くなっていた。そんな彼を見て出会ったときのことを思い出した白野は彼を励ます。

 

「また、治してあげるから大丈夫だよ」

 

「……今度は何を要求されるのやら」

 

 白野の微笑みに少し気を取り直したエディは、片手をひらひらさせていつものニヤケ顔を炸裂させた。自分の弱気は心の奥底にしまい込んだままに。

 

「んじゃ、遅くなったが、今回潜入してもらう構造体を説明する」

 

 

 ――最近おかしな夢を見るんだわ。ほんと笑っちまうんだけどさ、まぁなんだ、簡潔に言っちまうと……――俺が殺される夢だ。

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 >>ある企業の構造体内

 

 どことなく古さを感じる構造体内部を猛烈な速度で疾走する機械人形が一機あった。また、その機械人形の肩には尻尾を生やした狐面の少女が座っている。まるで数世紀前の神社から飛び出してきたかのようなその姿。まともな感性の持ち主なら間違いなく二度見はすることだろう。

 

 

 侵入から数分経過したが、まだ無人兵器(ウィルス)には遭遇していない。運がいいのか、それとも……。

 

 ――エディ、聞こえる?

 

 狐面を付けた白野が通信で彼に呼びかけるが応答は無い。どうやら構造体内全体に妨害装置(ジャマー)が展開されているようで、外部との連絡が全く取れないみたいだ。だが、それは予想の範疇であるため今は問題ではない。

 企業が有する構造体には離脱妨害(アンカー)妨害装置(ジャマー)が掛けられていることが多い。離脱妨害(アンカー)は外部からの移動(ムーヴ)による侵入と、構造体内部からの移動(ムーヴ)離脱(ログアウト)による脱出を阻止するはたらきがある。このため構造体に侵入するには入口を探す必要があり、用事をすませてもその場で離脱(ログアウト)は不可能であるから出口までご丁寧に戻る必要があるのだ。

 とはいえ、その構造体に所属する人達に離脱妨害(アンカー)が適用されることはない。ならば私を構造体の職員だと誤認させればいいだけの話。……その書き換えを可能にする場所、それが構造体の最奥にある制御中枢(セキュリティコア)だ。

 制御中枢(セキュリティコア)を管理下に置くことが出来れば、その構造体の情報の全てを手に入れるどころか、現実の建造物にまで影響を及ぼすことが可能になる。例えば、建物の電子錠を全て無効、あるいはガスを供給過多にしてパイプを破裂、さらに電気盤をショートさせて爆発を起こすなど……。

 

 でも、今回は情報を手に入れるだけだ。エディに頼まれたものは大きく分けて二つ。この構造体の持ち主である会社の実態が詳しく記された資料と、役員名簿である。なぜ必要なのかは終わったあとに教えてくれるらしい。とにもかくにも制御中枢(セキュリティコア)を目指す必要があるが、どこにあるかなど侵入者の私に分かるはずもない。だが、何の手段も用意しないでここに来る間抜けもいないだろう。私は左手を前方にかざし、瞼を閉じる。術式展開(コードキャスト)

 

 ――view_map()(周辺情報開示)

 

 まるで私の意識が構造体を包み込むかのように拡張されていく。全てを俯瞰できるようになった錯覚を覚えたと同時に、私の網膜にこの構造体全階層の地図情報が投射された。一辺5仮想キロ程の正方形の平面が三層……その最下層に制御中枢(セキュリティコア)の部屋がある。最短ルートを赤い線で表示させて、ゲヘナに指示を飛ばした。ゴーゴー、ゲヘナ!

 

 

 ――流石におかしいと思ったのは何回目の扉を抜けたときだっただろう。最深層まで辿り着いたというのにこれまで一機の無人兵器(ウィルス)も見かけていない。地図情報には防壁(ICE)も表示されているから全てを避ける事が出来ている。そのため、警戒警報(ワーニング)が響かないことには一応の納得がいく……だが、巡回の無人兵器(ウィルス)もいないとは、にわかには信じられない。

 そして、侵入から20分ほどでとうとう私は制御中枢(セキュリティコア)に繋がる大きな扉に辿り着いた。これまでの扉は私が近付くと開いていたのだが、今回はぴくりとも動かない。ほうほう、抵抗らしい抵抗は初めてかも。

 私はゲヘナを扉に接近させ、ゲヘナの肩から手を伸ばして白い金属の扉にそっと触れた。瞬間、脳裏に何枚もの防御壁に守られた扉の情報が流れ込んでくる。――付加されているコードがあまりにも多い、防御の要を巧妙に隠している。本来ならコードを書き換えて扉を開くのだろうが……。

 私は拳をイメージして十数枚の防御壁を一気にぶち抜いた。所詮、魂のないデータ群だ、破壊するのは容易い。扉にはドアノブだけあれば良い……。簡潔なプログラムに落ちぶれてしまった制御中枢(セキュリティコア)の扉に、私は優しくコードを囁いた。

 

 ――開けて。

 

 地鳴りと共に左右に開いていく扉。地図で制御中枢(セキュリティコア)内部の敵の有無を確認してから、私とゲヘナは部屋に飛び込んだ。

 ……そういえば、障壁の破り方なんて私はどこで覚えたのだろう。

 

 

 一辺500仮想メートル程はありそうな仮想の部屋の奥に一際巨大なスクリーンを見つけた。水色に発光する画面にはたくさんのウィンドウが表示されては消えていく。恐らくはこれが中枢。ゲヘナの肩から飛び降りた私は近くにあった操作席(コンソール)に手をかざしてハッキングを開始する。

 先ほどとは比較にならない情報の波が脳に押し寄せる。私は必要のない情報群をまるごと吹き飛ばして、奥底にあったコアの制御に手をかけた。いける……! 私は構造体内の権限を奪取、行使した。

 

<<離脱妨害(アンカー)解除>>

 

 私はため息をひとつついた。ひとまずこれで、この場からの脱出が可能になった。あとは情報を吸い出して撤退するだけ。私はキーワードで情報を絞り込み、めぼしい資料を厳選した。

 

<<ダウンロード開始>>

 

 タスクの進捗状況を示すプログレスバーがゆっくりと動き始める。じれったい、しばらくかかりそうだ……。

 

 

 数分が経って、背後で蜂の羽音のような音が聞こえた。振り返ると空間を裂くように一機の機械人形が現れようとしている。とうとう気付かれたのかな。

 ――いやなタイミングだ。あと数分を耐えれば完全なデータを入手できるため移動で逃げるという選択肢の優先度は低い。もしかしたら、この微妙な時間を狙っていたのかな……? 既にゲヘナは私を守るように戦闘態勢に入っていた。

 完全にその姿を晒した機械人形をじっと見て気付く。これはαの時と同じ……確か、戦闘用電子体(シュミクラム)。通常の電子体を鋼鉄のロボットに組み替えたものだ。しばらく睨みあっているとあちらから音声だけの通信が届いた。

 

「――見事なハッキング能力だ。制御中枢(セキュリティコア)の扉をものの数秒で突破するその手腕、ドミニオンの巫女に匹敵する。だが、その面妖な風貌、聞いたことがない……。貴様、一体何者だ」

 

 丁寧に話そうとしているが高圧的な態度を隠しきれない男の声。顔を隠す相手にこちらも真面目に取り合うつもりはなかった。私は諭すように語りかける。

 

 ――人に名前を聞くときは、自分が名乗ってからだよ。

 

 一呼吸置いてから高笑いをする男。機体の出す殺気が一気に膨れ上がった。

 

「はっ! 良くほざいた雌狐。ここは既に戦場、ならば俺は貴様達を壊し尽くすまで! ……だが安心しろ、殺すのはそこの無口なシュミクラム野郎だけにしておいてやるッ!」

 

 ――あなた……口だけは良く動くんだね。

 

 瞬間、男が何を感じたのかは分からない、だがその言葉が戦いの火蓋を切ったことは間違いないだろう。二人の脳内に無感情な機械音声が響いた。

 

<<戦闘開始(オープンコンバット)>>

 

 紫の刺々しい細身の機体、私は名も知らぬ彼の機体を仮称”β”とした。

 開幕と同時に、βの右手に出現した長針銃(ロングニードル)から銀の針が音速で数発撃ち出される。狙われたのは全て脚部。それをゲヘナは長刀で全て的確に弾いて見せた。なんていやらしい攻撃なのだろう、最初に機動力を奪おうという考えか。私は彼の性格をなんとなくだが理解出来たような気がした。

 次はこちらの番だと言わんばかりにゲヘナが長刀を構えて一直線にβの懐に飛び込む。だが、直前にその突撃を阻むかのような赤い残像がゲヘナに襲いかかった。跳躍してぎりぎりのところを躱すゲヘナ。見るとβの両腕からは赤く光る鞭が伸びていた。

 鞭は苦痛を与える事が主目的の兵装で殺傷能力は実のところあまりない。だが、シュミクラムの膂力が合わさればそれなりの損害を与える事が可能なのは間違いないだろう。攻撃時の両機の距離から考えて、あの鞭は最低でも10m程の長さを展開できる。

 

 ゲヘナには多分、長距離兵装が無い。そのため距離を保とうとする相手とは少しばかり相性が悪いと考えられる。私は少し離れた場所から二機の戦いを眺めながら思考を巡らす。さて、これからどう戦おうか……。

 

 まるで空間を切り刻むかのような赤い光の乱舞。雨のように降る鞭の隙間を縫うように華麗なステップを踏むゲヘナ。じりじりと距離を詰めていくゲヘナを牽制する不意打ちの銀の針もゲヘナは当たり前のように長刀で打ち払う。だが、あと一息の距離から近付くことが出来ない。……戦いはまさに千日手の様相を呈し始めていた。ならばそれを壊せるのは第三者以外にいない。私はオープン回線で叫ぶ。

 

 ――ゲヘナ! あれを使って!

 

 私の意味深な言葉を警戒してβの動きが一瞬止まる。――それが狙いだった。今の二機の距離で見せるその隙はあまりにも致命的。ゲヘナは過たず、それを突く。

 彼らの視線が交錯した。と同時にゲヘナの長刀は間違いなくβの腹を薙ぎ払った。――やったか? ……だが、何回瞬きをしてもβは倒れない。ゲヘナも臨戦体勢のままだ。疑問の赴くままにβの胴体部分に視線を向けた私は些か呆気にとられてしまう。なんとβは赤い鞭を鎖帷子のように胴体に巻きつけて斬撃の威力を削いでいたのだ。

 ゲヘナとβによる二度目の睨み合いが始まると同時にあちらから通信が入る。

 

「恥を知れィ! あまりにも卑怯な策にさすがの俺様も開いた口が塞がらんわ。……だが貴様の起死回生の策もこれでご破算となった。さぁ、次はどのように抵抗するつもりだ雌狐」

 

 βは舐めるような声色で語りかけてきた。

 斬撃による傷は負わなかったものの、衝撃による痛みはあるはずだ。それを微塵も感じさせないβのやせ我慢の精神には賛辞を送ろう。

 さて、実のところ私はもう抵抗する気がない。

 なぜなら――

 

<<ダウンロード完了>>

 

 ――勝利条件が整ったからだ。

 制御中枢(セキュリティコア)を奪い取った私は既に離脱妨害(アンカー)を解除している。これまでのβとの戦いは目的の情報をダウンロードするまでの時間稼ぎにすぎない。もちろん倒せれば御の字だったが贅沢は言わないのが華。これにて撤退させてもらおう。

 私は移動(ムーヴ)プロセスを実行した。 ………………。

 

 

 

「くくく、どうした雌狐。その狐面で表情は見えんが、焦っているのが分かるぞ。どうやらあてが外れたらしいなぁ?」

 

 ……移動、できない。どうして? 私はβを狐面の下から睨みつける。

 

「ああ、いいぞぉ、貴様のその態度。俺がこれまで殺してきた奴と同じような臭いがする。……そう、負け犬の臭いがなァ! ははははははッ! そうッ! 貴様もすでに察しているだろうが、俺様の機体には離脱妨害(アンカー)装置が付けられている。半径3km以内にいる奴は、だれであろうとも、ここから逃れることはできない!」

 

 な、なんてことだ。私は思わず身を震わせる。聞かれてもいないことをこんなに話してくれるとは……。話を額面通りに受け取るのならば、βを倒すか、βから距離をとればここから移動(ムーヴ)できるという事だ。それならやりようはある。

 そんな私の考えを先読みしたかのようにβは言葉を続ける。

 

「そして貴様は、もはやここから出る事も叶わん!」

 

 同時に私を取り囲むように数機の中型無人兵器(ウィルス)が出現した。これは……まずい! ゲヘナがこちらに向かおうとするがβはそれを鞭で阻む。

 

「おっと、お前の相手は俺様だ、この下等生物! 先刻までは2対1だったからな、これで正々堂々とした戦いが出来る。なに、殺しはしない。ただ、許しを乞うまであの女を痛めつけるだけだ。……無口な貴様もあの雌狐が四肢を斬り落とされたのなら流石に喋るだろう? はははははッ!」

 

 色々と突っ込みたいが、とりあえずあまりの下種さに言葉が出ない。その間にも無人兵器(ウィルス)が銃器を構えてこちらに照準を定めようとしていた。

 

「存分に泣き喚け、女ァ!」

 

 βの号令とともに無人兵器(ウィルス)の銃器が私に向かって一斉に火を噴く! 普通なら、このまま撃ち抜かれて床を這うことになるのだろう。この男もそれを待ち望んでいるはずだ。――だが、今回は相手が悪かった。

 

 

 数瞬前に私は既に魔術師(ウィザード)の力を行使している。術式展開(コードキャスト)

 

 ――move_speed()(速度強化)

 

 陳腐な表現だがまるで足に羽が生えたかのような気分。私は射線から飛び跳ねるように離脱し、ウィルスの包囲網を一気に抜け出した。その一瞬の出来事にゲヘナを押しとどめていたβが思わず唸るが、すぐに気を取り直して吐き捨てる。

 

「妙な手品を使うようだが、無駄な事だ。貴様は逃がさん……俺様がそう決めた!」

 

 さらにβは数機の中型ウィルスを展開。最初のものと合わせると、とうとう10機を越える。そして恐ろしい事にその全ての機体が私に照準を合わせていた。怖いね、とても怖い。でもゲヘナは、……あの子は最前線でずっとこんな気持ちを味わっていたんだ。

 

 ――ありがとう。

 

 とくん、と左手の指輪に熱が灯る。同時に穴だらけの記憶にほんの一欠片の単語だけ戻ってきた。……そうだ、これはレガリア。……名も思い出せない彼女、が大切にしていた……何かを証明する指輪。彼女が愛おしそうに触れ、そしてキスを落としていたもの。

 ――彼女と想いを通わせることのできるレガリア。

 私は狐面をわずかにずらし、心をこめてそっと指輪に口付けをした。

 

 ――余はそなたと共にある、奏者よ。

 

 懐かしい声を聞いた気がした――

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 突如として、狐面の少女を中心に炎の渦が巻き起こる。情熱の赤――彼女を昂らせる原初の火。その規模はおよそ半径20m。以前とはまさに桁が違う炎の旋風。それ自体に威力が無くとも、人の無意識に宿る炎への恐怖を呼び起こすであろうそれは、間違いなく精神への圧力になる。

 

「なんなんだァ?!」

 

 ゲヘナと鍔競り合いをしていたβ……赤髪の神経質そうな若い男、ジルベール・ジルベルトは咄嗟に雌狐を取り囲むウィルスを後退させようとするが、間に合わずその半分が炎に呑み込まれてしまう。――フォースクラッシュか?! バカな、シュミクラムならまだしも、生身の電子体に使えるはずがない! 

 苦々しげに表情を歪めるジルベルト。その間に、炎は何らかの意思を持つかのようにゆっくりとその範囲を狭めていった。――炎が退くことで徐々に露わになっていくのは真紅の絨毯、くわえて大理石の魔法円に変質した床。無人兵器は動きを止めているだけで傷は確認できない。最後に……魔法円の中心には、左手に歪な赤い剣を携えた狐面の少女が立っていた。その剣は陽炎のように揺らめく炎を纏っている。

 

 ジルベルトはしばしの間、言葉を失っていたがすぐさま正気に戻る。――結局のところ、この雌狐は炎をまき散らして、床の装飾を変えただけだ。気味の悪い剣を持ってはいるが、シュミクラムにもなれないあの女に一体何が出来るというのだ。

 自らの優位性を再確認した彼は唇を歪め、元通りの高圧的な態度で白野にまくし立てた。

 

「今の目くらましは面白かったぞ雌狐。特級プログラマ(ウィザード)のお遊びもここまでくると魔法にしか見えん。だが、それが俺を苛つかせるッ! この薄汚いAI主義者(エイリアニスト)がっ!」

 

 すかさず堂に入った構えを見せるジルベルト。

 

「その小さな剣で俺様と斬り合ってみるか? いいぞ。散々に甚振った後に貴様の狐面を剥ぎ取り、泣き叫んだ顔面の皮をホルマリン漬けにしてくれるわ!」

 

 対する白野は彼の脅し文句に微塵も動揺するそぶりを見せずに、

 

 ――私は、戦わない。

 

 そう短く返答し、剣を持たない右手を勢いよく前にかざした。

 

 ――でも、彼らが戦ってくれる!

 

 彼女が言葉を放つと同時に、変質した床の上で動きを止めていたウィルスが白野を守るように陣を組んだ。さらに、状況を理解できずに混乱しているジルベルトが操っているウィルスに照準を定め、同時に射撃して確実に一機を破壊した。

 

「き、貴様ァ! まさか、無人兵器(ウィルス)の管理者を書き換えたか、卑怯者め!」

 

 戦闘中にそんなことを出来る特級プログラマ(ウィザード)などそうそういない。そもそも特級プログラマ(ウィザード)が前線に出てくることなど通常ならありえないのだ。

 ――あの雌狐は炎を展開している間に……いや違うッ! あの炎そのものが奴の展開する管理者書き換えプログラムの視覚効果(エフェクト)の可能性がある。ならばあの炎に触れなければいいだけの話だ。

 

 ――これで正々堂々とした戦いが出来るね。

 

 白野はうなずいてころころと笑う。その態度をみたジルベルトはおぞましい獰猛な笑みを浮かべた。時を同じくして空間を裂くように戦闘用電子体(シュミクラム)が3機、ジルベルトを守るように転移してくる。びっくりする白野にジルベルトは高笑いをした。

 

「俺の辞書の定義では正々堂々とはこういうことだ! 勝利のためなら手段は選ばん! お前たちはあのシュミクラムを相手にしろ。俺はあの雌狐に手ずから恐怖を刻みつけてやるッ!」

 

 すごい理屈だと一瞬白野は思ったが、立場からいえば私は不法侵入者なのだ。βの言ってることは矛盾だらけで、人として凄く破綻している気がするけれど、構造体防衛の社会的な大義はあちらにある。――でもだからといって私はこんなところで死ぬ気は更々ない!

 白野は狐面の下で前向きな笑みを浮かべた。

 

 ――絶対に生きて脱出してみせる!

 

 

 




MATERIAL

>>β
ジルベルトの機体。名はノーブルヴァーチュ。それなりに強い。

>>フォースクラッシュ
通常兵装を凌駕する性能と威力を備えた非常に強力な武器。簡単に言えば必殺技。多くの場合一機につきひとつだが、まれに複数持っている機体もある。

>>AI主義者(エイリアニスト)
独自の知性を持つに至ったAIに対して寛容的な姿勢を見せる者に対する差別的な言葉。反AI主義者がよく使う。

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