中尉達と協力して命からがらドレクスラー機関のアジトを脱出したはくのん。
複数の組織から狙われている事を知ったはくのんは、六条クリスという若い女性とパーティーを組むことにした。
Dive0までの相関図
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第1話 狂信 / 彼女たちの流儀 (前)
誰にも見えない”時”がくる
あなたはわたしのそばにいて、
わたしはあなたのそばにいる
あなたはわたしのまえぶれで、
わたしはあなたのかげぼうし
誰にも見えない”時”がくる
日輪が地に落ちる
花弁は溶けて、生命が始まる
あなたはわたしのそばにいて
わたしはあなたのなかにいる
わたしはあなたのなかにいる
>>ドミニオン教団支部
そこは壮麗な礼拝堂だった。
息をするのもためらわれる静寂――最奥にあるステンドグラスから漏れ出る幽かな白い光は、鏡面のように磨かれた漆黒の床を曖昧に照らしている。信者が一心に神を求める厳粛とした空間のはずであるが、ここは神の家とは思えない陰鬱とした空気に満ちていた。
全体的に薄暗い礼拝堂の壁に目を向けると、凝った装飾がいくつも見受けられる。その中でも目につくのは禍々しい逆十字の紋章である。これが意味するところは”神の愛の否定”。
――ここに蔓延している厭世的な雰囲気は、ここに集う偏った思想を持つ人々の性質ゆえなのか。
他の箇所にも人体の一部を連想させる趣味の悪い装飾があちこちに見受けられた。まるで黒曜石が人の中身を模倣して形状を変化させたかのよう――鑿で削れば赤い血が噴き出すのではないかと錯覚してしまう異質さ、薄皮一枚下に存在する狂気。
この礼拝堂は黒曜石の胎の中、無機が有機を孕む矛盾。
人はこんな場所では到底、正気を保てない。
だから――ここにいる人たちはすでにどこか狂っているといえる。
礼拝堂の最奥、禍々しい逆十字がデザインされた巨大なステンドグラス、一段高くなった舞台の前にフードを被った信徒たちが影のように佇んでいる。身じろぎひとつしない彼らが意識を向けるのは、ゆったりとしたカソックを身に纏う泰然とした壮年の男。
彫りの深いスラブ系の顔立ちのこの男はグレゴリー神父――現在
信徒に背を向けながら両腕を天に広げ、大木のようにどっしりと直立する壮年の神父はステンドグラスの前で信託を待つ敬虔な聖女のように瞼を閉じ、また神を冒涜するかの如き勢いで天に顎を向けていた。
その奇行の意味を窺い知る事はできない……だが、ろくでもないことを考えているのは間違いないだろう。なんといってもこの神父は、10数年前までは取るに足らない小規模な宗教団体にすぎなかったドミニオンを、就任数年で統合政府にも危険視されるほどの反社会的団体にまとめあげた狂人である。
一時期、統合軍と傭兵組織フェンリルで構成された合同部隊との抗争でドミニオンは壊滅、グレゴリー神父は死亡したものと思われていた。だが、数年前――灰色のクリスマスの直後――に再び姿を現し、その復活の報に水面下で活動を続けていたドミニオンが息を吹き返した。
また、灰色のクリスマスで家族を失った者……環境の悪化、貧富の差の拡大を受け、先の見えない生活に絶望した結果終末的思想に染まる者などといった信者を取り込み、組織はその規模を爆発的に広げている。
ドミニオンの教義はグノーシス主義に基づくものである。このグノーシス主義というものは一世紀頃に生まれた思想の一つで物質と霊の二元論の立場をとることに特徴がある。
私たちがいる宇宙が始まるよりはるか昔――充溢した神の世界に知恵を司る女神、ソフィアがいた。彼女は自身の力を発揮しようとして、誤ってデミウルゴスと呼ばれる狂った神を作ってしまう。デミウルゴスは己の出自を忘却していて、神は己以外にいないと誤認していた。デミウルゴスは狂ったままに悪しき宇宙を作る――それが私たちの生きるこの世界なのである。
何故、この世の中にはこれほどまでに耐えがたい悲しみや苦しみに溢れているのか。――それは単にこの世界が狂った神に創られた悪しき宇宙であるからにすぎない。悪しき宇宙は物質で構成されている、ならば物質で作られた肉体も悪である。
だが一方で、二元論に当てはめると肉体に対する霊は善であるといえる。
ソフィアのいる善の宇宙、すなわち真の世界に我々が回帰するためには悪しき肉体を捨て去り、霊となる必要がある。霊、精神だけの存在……それは仮想における電子体に近似している。これは偶然だろうか? いや、違う。
――仮想世界とは、実のところ肉体という牢獄からから解き放たれ真の世界へと我々が帰還するためにソフィアが与えてくださった”箱舟”なのである。ああ、なんと慈悲深い女神なのだろうか。一刻も早く箱舟を起動させて女神の許へと還らなければならない……。
ノアの箱舟の逸話は聞いたことがあるだろうか。大洪水に際し、かの箱舟はその機能を発揮し七日七晩の嵐を凌ぎ切り、やがてノア達は新しい大地に辿り着いたのだという。
箱舟が役目を果たしたのは大災害があったからである。対偶的に考えれば、何事も無ければ箱舟はただの舟にすぎず、本来の目的を遂げることはできないといえる……それでは宝の持ち腐れだ。
従ってドミニオンは物質界――地球を自ら滅ぼすことで仮想世界の真の機能を起動させ、霊体を正しい世界へと導くつもりなのだ。
希望の舟で新天地に至るために絶望で世界を包もうとするとは、なんと破綻した考えであろうか。しかしこの話は決して夢物語で終わるものではない。その滅びを可能とするナノマシン――無際限に分解増殖する”アセンブラ”は未完成ながらもすでにドミニオンの手の中にあった。
ドレクスラー機関のアセンブラ開発はすでに最終段階を迎えている。機関の研究員の大半は自身の研究が破滅に加担しているとは微塵も思っていない……本来は大気や土壌に含まれる有害な物質を分解し、大戦以前の環境に戻すことを目的としたナノマシンなのだ。
だが、機関の内部にはすでにドミニオンの人間が入り込んでいる。そのため、いつでもアセンブラのプログラムコードの書き換えが出来る状況にあった。
そもそも研究資金を提供している有力団体の一つにドミニオンの名が挙がる時点で、組織内部の自浄作用はお察しだ。
数時間前、ドレクスラー機関の別口の支援者であった清城市の市長が、私兵として雇っていた者達に機関の拠点襲撃を命令した。その目的は自身とドレクスラー機関とのかかわりを示す情報の破棄、くわえて拠点自体の破壊だった。
ドレクスラー研究員が横流しする無害なナノマシンや電子ドラッグで私腹を肥やしていた市長は、彼らのアセンブラ開発についてまったく聞かされていなかった。だが、どこかで情報が漏れたようだ。甘い蜜を吸っていたはずの市長は手の平を亜光速でひっくり返し、私兵――ダーインスレイヴの隊長――ジルベルトに連絡をした。
その襲撃は予兆がなかった点ではまさに電撃作戦の如しだった。
しかし、ドミニオンの手の者が拠点の警備をしていたためか侵攻は最低限で済み、アセンブラの研究データといった重要なものは水際で運び出すことが出来た。
それを成したのが、ドミニオンの巫女と呼ばれる謎の少女である――。
相も変わらず大樹のようなポーズを取り続ける神父。
その背後で空間が突然歪み、そこから小柄な少女がぬらりと現れた。
紫を基色としたオリエンタル風の衣装に身を包むミステリアスな彼女――その表情は顔を覆う仮面で確認することは出来ない。色素の薄い髪はやや後ろ下がりのカジュアルショート。また、太ももが露わになっている衣装を身につけている割には、彼女に扇情さを微塵も感じないのは、身に纏う宗教的な雰囲気が原因か、それとも単に年齢が足りないのか……。
彼女こそが白き機体ネージュ・エールを駆るドミニオンの巫女だった。
巫女の来訪に驚く様子もない神父は後ろを振り返らないままに少女と問答を始める。
「ご苦労だった巫女よ――首尾はどうかね?」
「万事滞りなく」
少女は軽く頭を下げた。
彼女が今回の任を失敗していた場合、アセンブラの構造データや支援者の情報がそのまま第三者に渡っていた可能性が高い。それは、ドミニオンの計画が外部に漏れる事と同義である。
ドレクスラー機関がアセンブラを開発している事に勘付いていたとしても、そこにドミニオンが関わっていると考える人は多くない。最悪の想像から人は無意識に目を背けようとする――カルト教団と大量殺戮兵器の組み合わせを真顔で言えば、陰謀論と一笑に付されることだろう。
だが、確たる情報があれば――もし、その情報を手に入れたのが
彼らの会話はそれからも続く。
だが、しばらくして突然巫女の言が止まった。――少女はこれから話す内容を言うべきか否かではなく、どう説明したものか分からぬ様子である。だが、彼女は少し逡巡してから口を開いた。
「……女神の使徒と遭遇しました」
それを聞いた神父は目をゆっくりと開いていく。彼は同時に、ほおうと興味深そうに深いため息を一つ吐いた。
「――指輪は、はめていたかね?」
巫女は無言で首肯する。
「ふはははっ! 素晴らしい!」
神父はさも愉快そうに天に向かって哄笑を始めた。
「感謝いたします、我らが女神よッ! これで真の世界へと至る道程はッ! よりッ! 盤石なものとなった!」
彼の言葉を正確に理解できるものはこの場にいなかった。狂信者達は疑うこともなく、ただただ意味不明な狂言を無言で受け入れるのみ。
ただ――ドミニオンの巫女だけは、
「本当の世界……」
と、諦念を幾分か含んだ抑揚のない声色で小さく呟いた。
神父はなおも大げさに腕を天に差し上げながら演説を続ける。
「彼女は真の世界より遣わされた勇士――我々が忘却の河を渡りたいのならば越えなければならない最期の試練なのだよ。そして指輪は我々に贈られる褒章、新天地への道標となるものだ」
回りくどくて良く分からない神父の言葉を一言で伝達するならばこうなる――彼女を殺して、指輪を奪え。
信徒たちにとって神父の言葉は神の言葉と同義である。これから
私たちにはたして
先程の戦闘で
ただ、彼女の強さは無人兵器の支配によるものが大きい。シュミクラムの集団で数を削って一騎打ちに持ち込むことが出来れば、空中機動が出来るこちらに負ける道理はない。
しかし、私に出来るのだろうか……。
――私は本当に彼女を殺せるのだろうか。
「――とはいえこれはサブプランである。正直なところアークが彼女を解放するとは思っていなかったのでね……橘君の深遠な考えは理解できないがこの状況は我々にとって好ましいものだ」
ゆっくりと首を振る神父。しばらくして彼は両腕を広げたままぎゅっと拳を握る。
「我々は預言の通りこの悪しき世界に終焉を与えよう、それが人々へと等しく与えられる
その言葉を最後に神父は口を真一文字に閉じ沈黙した。
厳かな声が反響する礼拝堂、だがそれもゆっくりとおさまり――やがて静寂が礼拝堂を支配を広げていく。それに合わせて信徒たちは一人また一人とこの場から離脱していった。彼らの多くはドミニオンの支部にそのまま赴き、今の言葉を他の信徒に伝えるのだろう。
いつの間にか広い礼拝堂に残ったのは向かい合う神父と巫女の二人だけになった。
仮面越しに見つめ合う二人が何を考えているかどうかを第三者は量ることはできない。だが、彼らの関係が表面上良好らしいということはなんとなく感じられるはずだ。
しばらくして巫女がポツリと言葉を漏らした。
「彼女はどこから来て、どこへ行くのでしょう」
それは古くは聖書にも記されている人類の命題である。とはいえこれは禅問答のようなものであるため明確な答えは用意されていない。
しかし
神父は目を伏せて答えた。
「――彼女は善だ。善なる者は悪を追う、ならば悪の行く先が善の行き着く果てである」
迂遠な言い回し……紫衣の巫女にはその真意を見通すことが出来なかった。彼女はなんとか言葉の表面だけを掬い取り、それを神父に問う。
「悪……私たちのこと、ですね」
神父は大きく頷いた。
「いかにも。我々の行いは過去現在未来においてすべて紛れもない悪の所業である。それを女神の使徒が許容することはないだろう。だが巫女よ、覚えておきなさい。この世は、あまねく
この世界は悪しき神によって開かれた偽物の宇宙。数え切れない悪が蔓延ることを善しとした残酷な世界。ならば彼女の向く先を変えるほどの悪が私たち以外にもこの世界に存在していてもなんらおかしくはないということ。
でも、それでは駄目だ。彼女は私たちを導かなければならない存在である。彼女が使徒の力を行使する方向を間違えさせないために私たちはこれからも悪を遂行する必要があるだろう。
――なんて醜悪。でも、本当の世界に行けるのなら私はそれでいい。
……本当の世界。お姉ちゃん、先輩のいる世界。
――会いたい、会いたいよ。
でもそれは……。
◇◇◇◇◇◇◇
>>古びたアリーナ
「――来て! ゲヘナッ!!」
白野の呼びかけに、アリーナの空気が一度震える。
間をおかずに彼女の眼前に一機のシュミクラムが参上した。一部黒く焼け焦げているが、それだけではけっして貶めることの叶わぬ高貴な甲冑を身に纏う白き機械の鋼。
ゲヘナは長刀を優雅に掲げ、緑色の単眼で前方を睨みつける。
その先にはワインレッドの装甲が禍々しい、歪な機体が静かに腰をおとし戦闘態勢をとっていた。両腕にチェーンソーを装備したその姿は、グリムバフォメットの名の通り山羊の角を生やす血塗れの悪魔のようだった。
「ゲヘナ――あなたがハクノの仲間なのかしら」
悪魔の機体を駆るのは、六条クリス。先程、なんやかんやあって強引に白野と組むことになったフリーの傭兵である。彼女の目的はドミニオンとアークにあるというが、詳しくは分からない。
ただ、クリスは支援要員として白野の魔術師の力を必要とし、白野はクリスに戦闘要員としての力を求めているのだった。
そして、パーティを組む記念に彼女たちは
「分からない。彼女……彼? ――彼女はいつも突然現れて、突然消える。でも、何度も私を助けてくれる、私の分身みたいな存在かな」
――最初は殺されかけたけどネ!
白野は自然な動作で虚空から狐面を取り出す。まるで手品の所作だが仮想では驚きに値しないものだ。いつものように彼女はお面を装着し、腰から狐の尻尾を生やす。同時に服を白いワンピースのものへとふわりと変化させた。
――清城市で噂になりつつある狐面の巫女の姿がそこにある。
これが白野の戦闘装束だった。
「へえ……とってもキュートね」
クリスは舌なめずりをする。
白野を一目見たときからクリスの嗜虐センサーがびんびんに反応しているようだ。
――しかし、ゲヘナと言ったか。私の視線の先に立つ、現れてからまだ一言も喋らずにいる寡黙なシュミクラムを私はじろりと見る。ハクノの言葉をそのまま信じるのならば、こいつはたいしたストーカーである。
呼べば即現れるということは、盗聴機能付きの
結論、ゲヘナ――こいつは変態である。
正直なところハクノの安全面を考えると、素性の知れないゲヘナを近くに置いておくのは危険だ――私も困る。とはいえ、彼女はゲヘナのことを信頼しきっている。
仮に私が強引にゲヘナとの仲を裂いたりすれば、この仮初のパーティはすぐさま崩壊することになるだろう。
それではいけない。
私の灰色のクリスマスはまだ終わっていないのだ。私は眼帯に意識を向ける。事変の象徴がそこにあった。
――私には彼女が必要だ。
ならば今は私が折れるしかない。この不審者という名のゲヘナは私が監視する。私の目的を邪魔しない範囲であるならば、こいつと協力し合うのも許容できる。
ただ――この模擬戦で無様を晒すのならば、迷いなく斬り潰すつもりだけれど。
と、一秒にも満たない刹那の中で、クリスは考えていた。
一方、同性でも綺麗な容姿をしているクリスに格好を褒められた白野は何を考えるわけでもなくただ照れていた。
「……ありがと」
実のところアークで目覚めてから、可愛いねなんて言われたのは初めてのことであったため存外に嬉しかったのだ。白野はにへらとだらしなく笑っている。狐のお面でなんとか表情は隠せているが、もじもじと動く指が丸見えだということに彼女は気付いていない。
だが――ここはアリーナだ。
いくら可愛らしいガールズトークを繰り広げようとも、機体の残骸が床に転がり、多くの弾痕が壁に刻まれているこの空間ではただ空しく響くだけ。ファンシーな空気は夏祭りを過ぎた水風船のように萎んでいき、次第にちりちりとした戦場の雰囲気へと変わっていく。
クリスの柔らかなほほ笑みはいつしか軍人の顔に変わり、ゲヘナはそれに応えるように長刀を構え直す。白野は胸の前で静かに手を組んだ。
ワインレッドの機体が片方のチェーンソーを天高く掲げる。
「さあ――お互いを知りましょう!」
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MATERIAL
>>電脳症
正式名称は電脳性自我境界線喪失症。AIとの親和性が高すぎる人々が、自己の脳チップとネットワークとの境界線を失ってしまう難病である。罹患者は長時間ネットとの関係性を断たれると、心理的・肉体的に負荷がかかり速やかに死に至る。
電脳症といっても症例は様々であるため、特異な能力が発現する場合もある。例えばドミニオンの巫女の場合、無意識に防壁をすり抜けてしまう症状であるため、あらゆるセキュリティが彼女の前では意味を成さない。
六条クリスもまた電脳症を患っている。
>>追跡子
対象の挙動を追跡する発信機のようなもの。
現在白野には付けられていない。