屋上にて   作:VRT

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第十話

それは本格的に冬の始まりを感じるようになったある日の昼下がりの事だった。空はさっぱりとした青空が広がり、穏やかな日差しが辺りを照らしているにも関わらず肌寒いと感じるようになっていた。多くの生徒が冬服の上に防寒着を羽織り登校する光景は文化祭が終わるとこの継続高校では見られる風物詩だ。十一月も中旬になると一気に冷え込むのがこの継続高校がある学園艦の特色だった。もう少しすれば雪もちらつく季節になる。

 

そんなお世辞にも過ごしやすいと言えない気温の中俺はいつも通り屋上にいた。基本的に雨や雪が降らない限りはここでサボるのが俺の去年からのスタイルだ。別に俺がここを訪れるのは過ごしやすい環境を求めている訳ではない。ただ、この屋上いう空間が社会や世間と切り離されてる場所だからだ。学園艦にいる以上、どこにいたとしても世間の患いからは逃れられない、人間関係を辞めることは出来ない。教室にいればクラスメイトや教師と付き合わなければいけないし、寮に帰えれば、寮生との付き合いがある。人と人が付き合う以上衝突は避けられない。人は人間関係を続ける中で時には怒り、時には悲しみ、時には嫉妬し、時には嘆く。俺は今まで散々にそんな経験を繰り返してきた。繰り返して飽き飽きした。

 

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ、とはとある名作の冒頭だと記憶しているが、この世は本当に生きにくい。理屈ばかりだと人と衝突し、情をかけると足元をすくわれる。そして自分の哲学は突き通し難いのがこの世の中だ。

 

数百万人もの足をその肩で支えているはずの官僚は汚職に塗れ、重い天下がおぶさっているはずの政治家は自らの利益のために国を動かす。子供を導く立場にいるはずの教師には信念が無く、目を輝かせて成長するはずの子供には夢はない。これが世の中だ。

 

そんな折に見つけたのがこの理想郷だ。どこにいたって人がいるこの世の中でここだけは別だった。本当の意味で一人になれた。煩わしい仮面を捨てて息苦しい猫の皮を破り捨ててありのままの自分を出せる場所がここだった。

 

制服の内ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつける。敷島という名のこのタバコは昨日寮の大掃除をした際に何処からか出てきたものだ。調べて見れば第二次大戦時に発売されていた煙草らしい。風味も何もかも飛んだ煙草だが、どうやら湿気てはいないらしく、簡単に火が付いた。

 

――こりゃ、ひでぇ……。

 

一口吸ってみてその辛さに思わず眉を潜めた。風味もクソもなくただただ辛いだけだ。何とも言えない渋い表情を作っている俺を尻目に、吐き出した紫煙は悩みも何もないようにゆっくりと宙を漂い消えていった。

 

――タバコ代浮いてラッキーだと思ったけど、こりゃ吸えないな。

 

試しにもう一口吸ってみて、これはダメだと確信する。辛すぎて吸えたものではない。はぁ、と一つため息をついて飲み干した缶コーヒーの中に吸殻を入れようとした時だった。ガチャガチャと屋上のドアノブが音を立てた数秒後、扉が開かれた。

 

「やぁ、名も知らない先輩。こんにちは」

 

やって来たのは最早説明するまでもない何時もの後輩だ。トレードマークのチューリップハットによく分からん弦楽器を持った彼女は俺を見るなり陽気な笑顔で右手を上げた。

 

「よう、名無しの後輩。こんにちは」

 

彼女に合わせて俺も右手を軽く上げて挨拶をする。彼女と知り合って既に半年近くになるが、お互いに名前も学年も知らないのが俺たちの関係だった。彼女が俺のことを先輩と呼ぶため、俺も後輩扱いしているが、それも彼女の自称なため怪しい。もしかすれば先輩の可能性もある。まぁ、彼女が先輩だろうと後輩だろうと同級生だろうと俺と彼女の関係は何も変わらないため関係はない。

 

――コイツはコイツで、俺は俺。

 

そう、この理想郷では年齢や肩書何て何も関係ない。ここにいるのはただの個人だ。ペルソナをとった一人の人間として、ただの一個人としてのあり方だけが大切だ。だからこそ、俺は彼女の事を何も聞かないし、彼女も俺の事は何も聞かない。ここには、俺が居て、そして彼女がいる。ただその事実だけで十分だ。

 

「一気に冷え込んで来たね、先輩」

 

ソイツはそう言いながら何時もの定位置に腰を下ろすと、一つ弦楽器を指で弾いた。

 

「あぁ、そうだな。文化祭終わりになると一気に冷え込むのがこの学園艦の特徴だ。来週辺りにはもっと冷え込むぞ」

 

胸ポケットからいつも吸っているタバコを取り出し、火をつける。

 

――あぁ、やっぱりこの銘柄は美味い。

 

紫煙を吐き出しながら、ついでに「体育の持久走も来週辺りに始まるから体育の出席日数だけは注意しておけよ」と忠告をしておく。

 

「その点は心配ないよ。私、持久走好きだから」

 

「へぇ、珍しいな。女子高生は持久走を嫌う生き物だと思ってたけど」

 

それに何だかこの後輩が真面目に長距離を走っている姿が想像できない。

 

「それは先輩の周りだけじゃないかい? 私は好きだよ持久走。長い道のりを自分の足で努力しながら進んでいく。まるで人生の縮図のような気がするじゃないか。それに、走り終えた時の達成感も一入だしね」

 

「へぇ、そう言うもんかね」

 

「何だか意外そうな顔をしているね」

 

「まぁ、意外だったからな」

 

「それにしても先輩は持久走嫌いそうだね」

 

彼女はそう言って笑った。

 

「まぁ、好きではないな。持久力ないんだよ。直ぐにばてる」

 

運動自体は別に嫌いではないのだが、長距離だけは本当にダメだ。1km以上を走れる気がしない。

 

「それはタバコの吸い過ぎじゃないのかい? 辞めたらどうだい?」

 

彼女の最もな意見を、

 

「馬鹿野郎、これが俺の生きがいなんだ」

 

笑いながら否定するのだった。こうしてある日の昼下がりは過ぎていった。季節は初冬。長くて、辛い継続高校の冬の始まりだ。

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